2011年3月31日木曜日

昔も今も横柄なワカゾウ

大震災からほぼ3週間。当初は世情もTV番組もCMなども軒並み自粛方向であった。このブログも全く他のことを書く気にすらならず、3/11以降ほとんど震災のことばかり。少しずつ他のことも書きたいと思うようになっても、被災地の映像を目の当たりにするたび、いまだ何か呪縛にかかったように筆が進まなかった。でも最近ようやく肩の力を少しだけ抜けるようになってきた。でももちろん「被災地の方たちの気持ちになってみよう」とACの嵐の広告にあるように、これだけは忘れてはならない。本当のサポートはこれからが本番だから。

今日は新宿区役所建築指導課へ直行。店舗設計者にとって、役所・消防・保健所はいわゆる「お上」。いつも対峙しなきゃいけない3大関係官庁なのだ。担当者によって違うけれど、柔軟なアタマの持ち主もいれば、四角四面の堅物もいる。愛すべき頑固オヤジなら、こちらも一丁将棋のひとつでもさしたくなるが、困るのはいわゆる「大学出の若造」で「世間知らず」で「横柄な態度」で「役所仕事」を全うしちゃう奴だ。今日の担当者はそうでもなかったが、会話の端々に初対面の年上に対して「うん、...」という相づちを入れることにはうんざり。これに辟易してるオトナは多いはず。自分がガキの頃は(今でも)、たとえ下請けさんであろうと、道路工夫であろうと、浮浪者であろうと、年上に対してタメ語では話せなかった。付き合いが長くなり気心が知り合える仲になり、親しくなればそれなりに「はい、...」が「うん、...」に変化するけれど。
これはもうかなり昔から思っていることだ。電話での会話でも多いことこの上なし。今のその若い連中を産み育てた親の世代は...現在の我々の世代。おい、うちは大丈夫か?

22歳で結婚した小生。
婚姻届や子どもの出生届けを渋谷区役所へ届け出たことがある。窓口の担当者は正に前述の彼よりももっとひどい横柄な若造だった。自分とさして変わらぬ年代。
「あっそう、この用紙に書いてくれる?」
「ちょっと待ってくれるかな」
「違うよお〜、ここの欄に今日の日付書くんだよ」
.....うぐぐ....ぐぐ。頭の中で血管が沸騰点に達する音が聞こえた。
(一時期マスコミで役所バッシングがあって以来、今ではこんなことは滅多にないけれど。むしろ最近の役所は丁寧すぎるくらい親切で誠意に満ちている)

おもむろに私は彼のネクタイをひっつかんでカウンター越しに引きずり出し、
「この公僕のくせに税金泥棒が何をほざいてんだバカヤロウ!俺とテメエは人として対等なんだぞ!人に対しての口の聞き方を教えてやる!」と叫びながらやつの顔面を137往復ほど殴打し気絶させ、首に縄をして馬車で渋谷区内中引き回してのち、奴の口の中へ「敬語の使い方辞典」を1ページずつ破って喰わせてやった。

....そうしたかった(^^)

新宿アルタ前。「笑っていいとも」ギャラリーの女の子たちの群れ。

20歳前後の我が青春の新宿3丁目。ここでバイトに明け暮れていた。当時の上京したての自分が脳裏に蘇る。
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2011年3月28日月曜日

復興の花を咲かせるのはいつ?

昨晩急ごしらえの募金箱を今日グランドへ持参。周りの人たちに訊かれればことの経緯を説明したが、この小さな箱に込めた大きな思いがどれだけ伝わったかはわからない。自分のコトバの足りなさを忸怩たる思いで自分を責める。やはり十人十色、震災に対する考え方は人それぞれで温度差があることに思い至る。どれもが正論。わかってはいたけれど。これから一ヶ月でどれだけの気持ちがこの箱に込められるか。もちろん金額の大小ではなく...。

連盟は宮前区の少年野球のメッカ、第一公園と第四公園にこの募金箱を常設することを決定。それで連盟用の募金箱を製作することに。練習時間の間隙を縫って近くの100圴ショップへ、美人の人妻のクルマでドライブデート。...ってInoueコーチオヤジに言われ彼の愛妻の運転で、だけどね。これが募金箱二つ分の原型。締めて945円、税込み。明日から母さんでもないのに「夜なべをして〜」鋭意製作予定。

練習後は久々のオヤジ呑み会。その帰り舗道で見かけた花壇の花々。
頭の中のハードディスクがアルコール分を吸収し空回りしていても、思わず立ち止まりカメラを構えてカシャリ。
この寒い夜空で健気に、排ガスもものともせず咲き誇る小さな花たち。
こんなふうに被災地の子どもたちも、いつの日にかそれぞれの復興の花を咲かせる時を思い願って。


2011年3月27日日曜日

顔を上げて一歩前へ

今日も終日怒濤のメールの嵐。震災とどう向き合うべきかの、連盟や少年野球のことで。この時期我々はどうすべきなのか?世情を鑑み「自粛」なのか?被災者の少しでも力になれればと「実行」なのか?...わからない、というのが正直なところ。ダルビッシュ有が言っていた「野球なんかやっていていいのだろうか」今もTVでサッカーの本田も「正直わからないけど、前に動かなければならないのは確か」...。
みんな迷っているんだと思う。下を向いて立ち止まるべき時から、顔を上げて一歩前へ踏み出す勇気をもうそろそろ持ってもいいのかな。
「少年野球・開催・自粛」で検索してみたけれど、百花繚乱。自粛の方向性に動いてるところが多いようだ。地域によって温度差はあるけれど。
プロは今年がなくとも来年があるけれど、小学6年生や中学高校の3年生は今年しかない。彼らから大好きな野球を奪ってしまうことだけは避けたい。東北人気質からすると、逆に気を遣ってもらいすぎると恐縮してしまうところがある。
自粛=暗いムード=閉塞感。
開催=お祭りムード=不謹慎。
そのバランスと時期の見据え方だと思う。難しいけれど。

そんなこんなで、連盟との連携を記念誌チームKasaharaさんとNishimuraさんが動いてくれた。募金活動を中心とした話と今後の大会開催の在り方について。
連盟役員会後、小生の被災地の子どもたちへの募金シンボルマークが、あっというまに全チームへ配付されることに決定とのこと。連盟分も含め先ほどやっと20チーム分が完成した。全チームのロゴマークを入れてあるところがミソだ。

うちのチームにも設置するので昼間手作りで試作を製作。明日側面にチームロゴを貼ってグランドへ持って行く予定だ。
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2011年3月26日土曜日

子どもたちに元気を!

チームとしての募金箱のデザインを作った。
明日箱を買ってきてこれを貼り、募金箱を制作予定。
連盟にも連盟バージョンを作り制作可否の判断を仰ぎたい。
このブログをご覧になって、「ウチにも欲しい」というご要望がありましたら、チーム名と下のグレイ部分の文言を差し替えるだけで宜しければ、喜んでお作りします。JPGなどご希望のデータでメールにて送付します。ご連絡下さい。右「自己紹介」のわんこをクリックするとメールできます。言わずもがなもちろん無料でお作りします(^^)

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2011年3月24日木曜日

日と陽・復興への願い

今TVを見ていて驚いた。16歳である。
先日のブログで被災された80歳の祖母と16歳の高校生のことを書いたけれど、今日の16歳はセンバツの選手宣誓を宣言した創志学園の選手だ。16歳で主将。その威風堂々の風格、真っすぐな眼差し、滑舌の良い声、そして宣誓のコトバの内容。
こんな子だからこそ主将に推されたのだろう。サッカーと女の子のことと仲間と遊ぶことしか考えてなかった自分の高校1年の頃のことを思えば、映画ラピュタに出て来る悠然と天空に浮かぶ「雲」と、映画ラビリンスに出て来る沼の底の「泥」くらいの差がある。(ちょっとだけ自分をフォローすれば、少しは人生とか将来のこととかも考えていたけれど、今にして思えばあまりに稚拙であった)
センバツの子と画面下のテロップに思わず釘付けであった。

以前のブログ「日はまた昇る」で発作的に作ったこのシンボルマーク。

シンプルすぎてずっと何か足りないような気がしていた。そこで「心のチカラ」の心を表すハートマークを追加アレンジ。このハート(心のチカラ)が下にあるのは、人の心が被災地東北を下から支えていることを意味している。ついでにどうでもいいけど解説をばのたまうと。
まずタイトル「日はまた昇る」を「陽はまた昇る」にせず、あえて「日」にしたのは太陽が昇る物理的要因よりも日輪=日の丸=日本という意味合いを込めてのもの。東北のみならず日本そのものが再生することを願って。
また、正円にせず下部分をカットして淡いボカシを入れたのは、海から朝日が昇る様子を表現。
簡単に言えば復興への希望を表したかったのです。

一日数万アクセスの芸能人のしょうもないブログとは比べようもないけれど、この「晴耕雨読」雑文ブログを愛読して下さる方はきっと、常識と良識とユーモアを兼ね備えた賢人であるような気がしてならない。そんな方たちにもこのマークを見て何か感じ取っていただきたくて。
その瞬間に心がひとつになることが出来れば、こんなに嬉しいことはない。

追記:これを使って義援金の募金箱を鋭意制作予定。フレンズ用と連盟用と。
Kasahara社長、Nishimura編集長、第一公園にも設置しませんか。役員や審判の方などはこちらにどうぞ、ということで。

2011年3月22日火曜日

今、自分に出来ること

久々に野球に行けると思ったら朝からの雨が路面をたたく音、早々に中止の連絡網メールが携帯を鳴らす。それではと記念誌の仕事に取りかかるために、Macを起動...。
起動画面を見ていると突然また「天から降って」きた。
昨日のブログの一文。連盟に対しての提案、要望、希望、切望、渇望...。
今、自分に出来る事があったではないか!
早速携帯のフリップを開けて黙々とキーを打つ。主なターゲットはこのブログでも最多出演男優賞の記念誌のNishimura編集長だ。こういう時の文章はつるつると打てるもの。このブログの昨日の記事URLをコピペして送信。メールは全14名ほどに一斉送信される。
ここからが電光石火だった。私やNiさん、Kaさん始め終日メールが20通近くやりとりされ、結果、良い意味で強制的に連盟会長の腰を持ち上げることに成功、これを受けKasahara社長の大ナタを振るう英断のもと、「東北大震災特別募金」活動が決定し、宮前全20チームに公式の連絡網が流れるまでに至った。感謝!

被災地は今は野球どころではない。生きるための温かい食べ物と毛布が必要だ。
それを買うためと輸送するためのお金が必要だ。今は。
時間が経ち、東北の地のグランドにも希望の陽が射しはじめたころ、野球少年少女に大好きな野球をもう一度始められるようにグローブを届けたい。

昨日のブログにも書いた80歳と16歳。
ニュースなどでもうご存知ですね。16歳の子は中学時代野球部だったそうだ。
彼が警察に言った最初の言葉が、「祖母を助けて欲しい」...。
祖母がTVカメラに言った言葉が「孫はどうなりましたか?」...。
そのニュース映像を見ていた私は、TV画面が上から温かい液体で滲んできて直視出来なかった。
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2011年3月20日日曜日

おばあちゃんと男子高校生

今日は本当に暖かい一日だった。昨日今日と自宅で仕事。朝から窓を開けてパソコンに向かえるほど暖かかった。教育委員会からの通達で小学校の施設開放は一時禁止となったけれど、先日グランド使用は再開されたので野球練習も可能に。私は仕事で土日はつぶれたから同じであるが、子どもにとっては何より嬉しいことだろう。ただ、まだ体育館は使用不可らしい。屋内であることの危険性と、電気を消耗する観点からだろうね、たぶん。

27日に行う予定だった宮前区少年野球連盟の20周年記念イベントも、世情を考慮し無期延期となった。今後は状況を見ながら開催時期を決定するらしい。我々記念誌プロジェクトも各チームから生え抜きの優秀な(?)カメラマンを十数名投入し、当日の模様をフィルムに収め...じゃなかった、デジカメだからこういう場合なんと言うのだろう?「当日の模様を記録媒体に収める」じゃあ味もソッケもないし。昨日の呑み残しのコップ酒をなめてみたら水のようだったのと同じ。その予定も自粛ムードで当分延期となったわけだ。もし近い将来開催されるならば、いつもの10円募金とは別に、東北大震災の特別募金を実施してほしい。宮前のみならず横の連携をとって他区も巻込み、川崎少年野球全体でウェーブを起こしてほしいものだ。更に一年後、街が復興し野球が出来るようになったらもう一度実施して今度は集まった募金を義援金ではなく、東北の少年少女たちにグローブやバットを届けられたらいいな。メーカーやスポーツショップとも協賛してもいいし。
Ka社長、Ni編集長、連盟への働きかけいかがですか?
そのKaさんは、仕事で被災地へこれから現地入り。不眠不休でそれどころではない状況だけれど...。

自粛の空気。
TVも震災時にはCMなしで通し、少し経ってからCMの代わりにAC公共広告機構の例の映像が流される。さすがに最近は食傷気味だ。みのもんたは一週間のうち最も長時間TVに出たタレントとして世界のギネスブックに載ったらしいけど、今回のACの映像に出て来る、電車で妊婦に席を譲れなかった男の子が、おばあちゃんに階段で手を差しのべる...みなさんお馴染みのあの男子高校生の彼が、この一週間で最もTVで観た人になるのでは。次点でこれに枝野さんも追随するか。
あの一連のCMはもういい加減にしてくれという苦情もあると聞く。私ならそれならいっそ、過去のACの優れたCMを一挙に流してくれたら全部観たいと思ったけれどね。

偶然にも上記の公共広告機構のCMのことを思っていたら、夕方驚きと嬉しいニュースが飛び込んできた。石巻で80歳のおばあちゃんと16歳の孫が奇跡的に救助された。私のようにあのCMとダブらせて思った人はあまりいないと思うけど、でも少しはいると思う。
暗く不安な状況には変わりないけれど、その中で胸の底辺のあたりにホッと、温かいものが降りて来たような知らせであった。
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2011年3月19日土曜日

唖然呆然憤然悄然...

今日面白くない話を聞いた。うちの配偶者が聞いた話。品不足の嵐吹き荒れる首都圏だけれど、ここ川崎宮前区も例外ではない。クルマで10分も走れば横浜のコーナンがある。家内の知り合いがそこへ行って、カセットコンロのボンベをなんと60本買ったという。しかもそれを鬼の首を取ったように自慢げに話したらしい。
唖然を通りこして呆然、そのあと憤然とし、最後は悄然としてしまった。
こんな状況下多少の蓄えは理解できるが、必要以上にモノを買い占めることによって、その反動で困る人々が存在することに気がつかないのであろうか。向こう1年間、真夏でも毎日アツアツの鍋を囲んで、熱燗でも飲んでろって話です。
そのオバサン、お願いだから60本のうちの50本、いや30本でもいいから被災地へ救援物資として送って下さい。

仕事帰りの駅へ向かう地下道。寒風吹きすさぶ東京の地上から地下へ降りるとホッとする。暖かいからだ。ところが節電にて照明は通常の明るさの半分ほどであろうか。人もまばらなことも手伝い、心なしか体感温度は地上と変わらぬ寒さを感じる。
でもでも、被災地でいまだ行方不明者になってる方は、暗黒の底で冷たい瓦礫の下、未だに無念の思いを胸に静かに眠っているに違いない。それを思えば寒い東京の地下道はとたんに温暖な南の楽園に思えてくる。

ちょっと一息の画像を掲載。
先日神保町の交差点で信号待ちの折り、ふと下を見ていて発見した。
モルタルで固めた地面の一角。(クリックすると大きく見れます)おそらくはモルタルがまだ乾ききらぬうちに、散歩途中の犬君がスタコラサッサと踏んづけてしまったのでしょうね。犬君のその後モルタルが肉球に付着したであろう困難に思いを馳せれば可哀想なのだけど、思わず笑える一コマです。
こんな時だからこそちょっぴりだけ癒されてもらったら本望です。

2011年3月18日金曜日

男どもは垣根を越えて

長文です。
宮前区少年野球連盟20周年記念誌プロジェクトチーム。
これにまつわる話は何度かこのブログで書いた。Ka社長とNi編集局長以下、4チームからなるオヤジ連合軍団である。それぞれの仕事をこなしつつ今日まできた。連絡網は双方向通信のメーリングリスト。先日もNiさんとのやりとりをここで紹介。
震災から数日。記念誌自体の連絡内容をはるかに凌駕したのは、もちろん震災の話。
チームの垣根を越えて、オヤジたちの思いはひとつであった。
メールを見ていて是非これをここで引用、紹介したいという欲求にかられる。
※引用・一部削除・加筆及び文責は私。ほとんど原文のままです。


●記念誌の皆様…地震は大丈夫でしたか?親戚や親類知人に不幸のないことをお祈りしてます。さて私のことなんですが…ご存じのように仕事柄しばらくの間野球どころではなくなってしまいました。会社はパニック、頭も体も精神的にもパニックの状態です。(....中略)いろいろとご迷惑をお掛けいたしますが宜しくお願い申し上げますm(__)m...Ka

●私も、バタバタです。(...中略)みなさんおむすびやらお弁当やら、お菓子やら、すごい勢いで購入していきます。そんなに買わなくてもいいのではないかと、正直思ってしまいます。被災者の方々は、ちょっぴり供給される食事を、分け合っているのでしょうから...でも、頑張りましょう。何とか、乗り切りましょう。...Hi

●日々のマスコミ報道を見るにつけ、Hさんも実感されてる通り「ほんとにこんなこんなことやってていいの・・」と思いながら過ごしています。(...中略)私の会社では、昇給・賞与にも影響を与えそうですが、そんなことを心配している者は誰もおらず、皆が「今、メディアに対して、突き詰めれば被災者の皆様に対して出来ること」に微力ながら邁進しています。Tさんのブログ「心のチカラ」を皆で実践していきましょう。...Ni

●Sです。(...中略)追跡調査、了解致しました。明日からサザエさんの三河屋さんばりの自転車配達を考えなくては....。...Sa

●Naです。(...中略)そんなに買ってどうするのかと正直思ってしまいますね。皆、本当に必要なものは何なのか考えた方が良いでしょうね。...Na

●FのTです。今朝、T交差点のガソリンスタンドは朝の6:00から56台も並んでいました。思わず数えて嫌気が差して並ぶのを断念。(...中略)最悪、ガス欠の場合はFのM酒店でアルコール純度の高い酒を入れて車を走らせます。...Ta

●今日は久々に家に帰ってきました(=_=;)
私はあと何日か経ったら…被災地にライフラインが整ったら向こうへ行かなくてはなりません(>_<)
社員も二人亡くなり家族も亡くなっている状況です。
東北支社や東北の各営業所は応援を求めてるのに未だ駆けつけられないこの虚しさ...Ka

●Neです。(...中略)皆さんお元気ですか?
この数日は、夢であってほしいと思うことの連続ですね。今、東電は色々と叩かれています。でも、当たり前ですが彼らも必至だと思います。(中略)東電の下請け、孫請けの兵隊たちが命がけで戦っているわけですが....。とにかく、そういった兵隊たちがこれからの日本の運命を背負っているかと思うと、とにかく応援したいです。(...中略)
そして、被災者の方々に少しでも早く平和で幸せな日々が戻ることを願っています。 頑張れニッポン!...Ne

●Kaさん...と書きだしたら、地震となりました。(...中略)昼間も書きましたが、野球は二の次で今を大事にしてください。
私が言うのも僭越ですが、何とかなるメンバーに恵まれてるじゃないですか!大丈夫です!!...Ni

●MのHです。(...中略)この記念誌担当プロジェクトの人で、食品購入で困ったら(夫婦共働きなどで)ご一報下さい。...Hi

●Tです。うちのカメラマンメンバーの一人は東電社員です。不眠不休で頑張ってるようです。元気づけようと、先日のNeさんのメールを無断で転送してやりましたm(__)m私も同じ思いを持っていたので。
翌朝彼から返信あり、とても元気づけられた!とありました。ありがとうございました。あの日のみんなのメールを近いうちブログに引用したいと思います。...Te

●皆々様、お疲れ様です。MのIです。(...中略)昨日、仕入のために、富士宮まで行ってきました。富士宮も震度6前後の地震がありました。(...中略)自衛隊車輌の隊列、福岡ナンバーの消防の隊列に遭遇しました。頭が下がる限りでした。オールジャパン体制、私は凄いなと思いました。そして感謝ならびに応援するのみです。...I

こんな感じです。
計画停電や節電で供給されなかった電力は、カタチを変えて被災地の方たちにそっくり配給されていると思うことにしましょう。
10個の電池を買ったつもりになって5個に抑えておきましょう。買わなかった残りの5個は、カタチを変えて被災地の方たちにそっくり配給されていると思うことにしましょう。

愛する人の命を失った被災地の人々の気持ちを思えば、停電や品不足や電車遅延ごときで目くじら立てて右往左往している人たちは、自らを嘲笑・自省すべきだと思います。
と、私は思うのですが...。

2011年3月15日火曜日

出来たてのパン

筆者の配偶者の姉、つまり義姉はあの阪神淡路大震災を体験した。夫の赴任先の神戸での経験だった。
私も朝、TVで高速道路が湾曲し崩落した映像を観たときは義姉のことを瞬時に思い愕然とした。幸い義姉は死ぬ思いをしたけれど、堅牢なマンション住まいだったがために怪我もなく済んだそうだ。後日談だけど、あれ以来自分の人生観がガラリと変わってしまったそうだ。しかし、家の中はあらゆるモノが床に散乱し、酒瓶も全て割れたので復旧後もしばらくは部屋から酒の匂いが抜けずに閉口したそうな。
それからたしか1年後のことだったと思う。神戸の義姉から突然パンが送られて来た。朝、復興した街の一角で営むパン屋さんを通りかかった時、出来立てのパンを見て衝動的に買ったものらしい。...おかげさまでこんなに元気になったよ...ということを出来立てのパンに託して伝えたかったようだ。おそらくウチへ送るだけじゃなく、出来ることなら全国の人たちに送って伝えたかったに違いない。

その義姉は数年後、今度は盛岡に転居。数年前の南部地震も経験することになる。
更に今度の東日本大震災。日曜になって、現地に設置された災害用特別公衆電話から連絡があった。「とりあえず元気」だと。携帯が壊れたのかどうか、電話番号を暗記していたのが唯一ウチだったらしい。我々は携帯の短縮番号に慣れてしまって、いざという時、電話しようにもどこにも連絡できない状況というのも想定しなきゃと思った次第。
みなさんはご自分の携帯をなくしたとき、自宅電話が不通のとき、奥さんや子どもの携帯番号を言えますか?
(※私の場合は....全くわかりません)

日はまた昇る。
夜明けのない夜はない。
春がやってこない冬はない.....。
被災地の方々、どうかがんばってください。

日はまた昇る


がんばれ東北。
自分にできるちっぽけなこと。
イギリスの新聞が日本の大地震に対して、「がんばれ日本。がんばれ東北」という日本語入りの日の丸マークを作って掲載しているのを、昨日TVで観た。
ちょっぴりあやかって私も作ってみた。
今のAC公共広告機構のCMでは
「心は誰にも見えないけれど、心遣いは見える」
「思いは見えないけれど、思いやりは誰にでも見える」
という秀逸なコピーライトが流れている。祈るだけでも十分だけど、何か見えるカタチにしたかった。
力を合わせて頑張ろう...の力ってなんだろう?
肉体的な意味での力よりも、つまるところ人の心のチカラなのではないだろうか。

2011年3月13日日曜日

心のチカラ

車が泳ぐ。家が走る。船が登る。街が消える。
あり得ない言葉の表現が、次々と目にする映像とともに現実のものとなる。
山形、岩手、宮城には親類縁者、友人知人がいる。近しい親類とは今晩になってやっと安否が確認できた。少し安心したものの、被災地の映像をみると未だ心は晴れない。

昨晩は会社で泊まりを覚悟したけれど、東京メトロ半蔵門線と東急田園都市線がふたつとも偶然いち早く運行再開したので、幸運にも夜遅く電車で帰れた。車中は満員地獄だったけれど。駅からのバスは無料運行していて、深夜1:00に帰還。
今日になって終日TVで被災映像を見るにつけ、いかに関東の自分たちはちっぽけな被害で済んだのかを思い知ることになる。
写真は地震直後に外へ出た時に携帯で撮ったもの。車が停まり、人が道路にわらわら出ていた。この数時間後には車が数珠つなぎになり、舗道には徒歩で帰宅の人が溢れることになる。

どうか一人でも多くの命が助かりますように。
日本の国力と、人の心のチカラが試される時。

2011年3月11日金曜日

逃げろ!

「おっ地震だ」.....
関東の人には慣れたものである。

「ちょっと長いんじゃねえ?」
関東の人でもあまり慣れてない長さと強さ。

「これはヤバイよ!逃げよう!」
関東の人でなくともあわててビルの外へ。

道路には人があふれていた。
身の危険を感じたこんな地震は初めてだ。
今は会社でこのブログを書いている。
東京から神奈川川崎の自宅まで歩くことも考えたけれど、結局会社に釘付け。
地下鉄が一部運行開始の情報。
赤坂まで歩いて銀座線に乗り渋谷までなら行けそうだ。駒澤大学の息子のマンションまで歩き、
泊めてもらう手もあるが、息子と電話が通じない。


家族関係に100回ほど電話コールして、やっと繋がり安否の確認はできたからまあ良しとするか。
息子からはメールが来ただけで電話がダメだが。
もう少し待ってみるか。
最悪は会社に泊まりか...。

偶然の出逢い

筆者はインテリアデザインが本業。店舗の設計である。
チーム内ではコーチ兼スコアラー兼...何かとチームロゴや募集ポスターや冊子類のデザインをやっているけど。それがためにグラフィックデザイナーと思ってる人もいるようだ。連盟記念誌でもどっぷりグラフィックデザインをやってるし。

ここ数日、本業の店舗設計業で、東京大田区蒲田に小さな居酒屋の設計で現場に赴くことしきり。今日も消防検査の立ち会いで蒲田の現場へ。港や船をモチーフにした意図的に安っぽいデザインにした海鮮居酒屋である。
明日オープンを控え、最後のチェックで店舗の外で現場をにらみながら電話をかける。携帯のフリップを閉じて、フト向こうから歩いてくるサラリーマンの二人連れに目がいった。
筆者視力が悪い。そのくせ眼鏡もコンタクトもしない。どっかで見たことあるオヤジだなあと、目を細め焦点を合わせてみる。
なんとウチのチームの29番コーチOtsuboさんだった。声をかけた。
彼は最初何の事かわからないような怪訝な表情だったけど、すぐに笑顔になり立ち話。とある超一流企業(F)に勤務する彼の会社が蒲田にあったのだ。

そのあと現場監督など数人と昼メシ。
この現場を仕切った監督と話をしたら、彼も若い頃数年間蒲田のその一流企業(F)に勤めていたのだそうな。
いやはや街角の偶然の出逢いは、小生たくさんあるけど、今日は面白い一日だった。もっと面白い偶然の出逢いの話もあるけど、いつかまた書いてみよう。
たぶんみなさんもこんな偶然の一つや二つ、いや三つ四つあることでしょうね。

2011年3月8日火曜日

連盟記念誌・メールの攻防

このブログで過去何度か、宮前連盟の20周年記念誌プロジェクトのことを書いた。このプロジェクト遂行に当たってはメールでのやりとりが不可欠となり、メンバー間での双方向メーリングリストを特設。去年からすでに322個のメールが飛び交い、日本のIT産業の発展に少なからず寄与している。
今日はそのまんま東から西へと、メールのやりとりをごっそり引用しちゃう。
毎回Nishimura編集長のメール文は、さすが出版社じゃなかった、広告代理店勤務だけあっていつも秀逸。小生よりもよっぽどブログを開設すればいいのにと思ってしまう。

状況がわからないとナニを言ってるのか理解できないと思いますが、それでいいんです。かなり長文ですが良かったらどうぞ。

先日の小生のメールに対するNishimura鬼編集長からの返信メール。

「世界のTeshima」先生&プロジェクトの皆さんへ
こんばんは。Nishimuraです。今となっては「岡本太郎」「イチロー」「小澤征一」「Teshima」「ナベアツ」とこれくらいしか「世界の」と冠がつく人が思いつかないですが、その「世界のTeshima先生」に控えめに、とても控えめに私の意見と、それからもしご納得いただける部分があったとしたらのお願いメールです。

表1は、「ヘルメットバージョン」を希望します。
※送ってもらった写真の大きさからすれば「帽子バージョン」の方が表1には向いているのですが、理由は以下に、ビクビクしながら書きます・・。

表4は、できればなるべく小さくシンプルに納めたいです。もしくは全面写真で写
真に「載せ」で必要な文字組みを、下の方にアッサリと、とも頭の中で想像してみま
したが、やはり「小さくシンプル」の方が、頭の中で○○してしまいました‥。

これが一番余計なことだと思いつつ・・。添付データ位の大きさで「表4」ではダ
メでしょうか・・?
もし可能なら、これは余計な上に更に負担をかけてしまうのですが、「樹木」や
「バックネット」は、もっと見えるように再合成していただいて・・・。

更にもし可能なら、私も「Let it be」と「Hey Jyude」それから少しとんで
「imagine」が大好きで、特に「imagine」の精神を「Let it be」より少し優先させ
ると、(連盟で一番新参チーム)の白幡台イーグルスの水色の帽子が、他のチームの
帽子の影に隠れてかわいそうでなりません。歴史の古いチームならそれでも無視で良
いと思うのですが、連盟加入3年目で勝ったのはシャークスに勝った1勝だけ(連盟の
HPにその結果を間違ってアップした、その10分後にクレームの電話がかかってきまし
た。。すみません余談でした。。)で、また、まだあまり連盟にも溶け込んでいない
控えめなチームなので、余計いまの「Let it be」がかわいそうで・・。
すんごいメンドくさい作業は重々理解しているのですが、陰に隠れていて少しだけ見
えている部分を消していただいて、他の写真で見えている写真を合成で、どこかの位
置に入れていただければイーグルスさんもあと10年は連盟に残ってくれるかな
と・・。
あ、ちなみに私は連盟職員(コピー用紙やインクや賞状を買って、かなりポイントが
貯まっています。いつかこれで洗濯機を買おうかと思っています)ですので...○○を言う資格はありませんでした。

是非ご検討をいただけますでしょうか?
それから「編集後記」のページには「社長杯」の写真を左隅に1cm位でのっけるのも
お茶目で良いかもです。
ちなみにあの写真を見て、なぜか「モーニング娘」を連想してしまうのは私だけで
しょうか・・・?

対する小生が今日送ったメール文。
やっとこさっとこの、世界のテッシーです。
Nishimura編集長の、私を持ち上げるための見え透いた形容詞が大袈裟になればなるほど、
そのあとに続く辛辣なご指摘が比例してより大きくなるということは世界中の人々の誰もが
知っている周知の事実であります。
その落差たるや、天国と地獄、またはスカイツリーの1階部分と第二展望台
ほどの差があります。またはチリ落盤事故の地底と地上ほどの差ですらあります。

1=実は私も表1はヘルメバージョンと決めてました。帽子バージョンも悪くないのですが、
表1にふさわしい諸々の条件を鑑みると、ヘルメのほうに軍配を上げざるをえません。御意。
2=表2の写真サイズは送ってもらったものがほぼ10センチ角くらいですね。一昨日までは
私もそのくらいのサイズで考えてました。
3=再合成するよりも全体写真を10センチくらいに縮小かけてはダメですか?
  青空のボリュームと帽子の散らばり具合とネット・樹木のバランスはこのままがベスト
だと考えてます。帽子の周りをすぐネット・樹木で囲ってしまうと、青空の比率が小さくなり、井戸の底から上を見上げたら帽子が降ってきた...みたいな閉塞感が漂うので。
また物理的に合成には無理が生じます。
4=私もこの青いキャップがどこのチームのものなのか気になってました。編集長の仰せのとおり、これは是非合成でマークが見えるように、数ある写真の中から抜き取って入れちゃいましょう。こういう春のような温かい理由なら私も労は惜しみません。

さてさてあさってしあさって。
実はすでに.....昨日夕方練習から帰り、メシ喰って風呂入って歯を磨く合間に表1を作ったのです。
ヘルメバージョンで。(原本はA4のトンボを打ってあります)
以前みなさんに配ったイラストの試作品のレイアウトとは思いっきり変えて。
写真をメインに大きくしました。背表紙も付いてます。パソコンでご確認下さい。
これに呼応する形で、表4は上半分を帽子写真で目一杯いこうかなと思ったのでした。
つまり...表紙と裏表紙=グランドの地面と上空の青空....という対比ですね。
表紙ではカメラ目線は下を見て、裏表紙ではカメラが上を向き未来へ目を転じるという、
言われなければ誰にもわからないであろうこだわりのデザインです。
しかし先の2にあるように、品よく小さくまとめるのも自分的にも捨てがたいのです。
よって、表4は2案を思索にふけりながら試作してみようと思ってます。
とりあえず表1をjpgで実寸より小さくして添付送付します。
もう寝てる方は明日ご確認ください。
一番好きなのは「Let it be」より「The Long and Winding Road」
長く曲がりくねった道を経て、記念誌完成の暁にはウマイ酒をみんなで呑みましょう!平和的に(^^)

※西村編集局長殿。
余談ですが、編集長のメール文を記念誌MLだけで終わらせるのは非常にもったいない。
常々「世界の」人々に読んでもらいたいと思ってましたので、独断にて一部不都合ヤバイ部分を割愛しながら勝手に私のブログに転用させて下さい。
「俺は嫌だ。勝手に引用すんな!」と言われても、時すでに遅し、アフターフェスティバルなのであしからず。

2011年3月6日日曜日

早春の芽

さてコレはいったい何でしょう?

すぐにわかった方もいますね。すぐに分らなかった方には次。

もうわかった方はたくさんいますね。まだ分らなかった方のために。

西有馬小学校の校庭のブランコがリニュアルオープン。
座の木の部分を画一的に同じ色にしなかったところがいい。赤,緑、青、黄色。
今日の日和が春めいていたことも手伝い、なんだかチューリップを連想させた。
すぐ近くの花壇には毎年色とりどりのチューリップが咲く。すかさず花壇へ行ってみたらこんな感じでひょっこり芽を出していた。

まだ芽を出せない子(チーム)
ちゃんと芽を出してる子(チーム)
もう花を咲かせようとしてる子(チーム)
この時期、強いチームはすでに色とりどりの花を咲かせようとしている。
うちはどうなんだろう。
「ちゃんと芽を出してるチーム」に育っているだろうか。
我々指導者はちゃんと土と水と太陽を与えているだろうか。
早春に思う。
明日はまた冬の気温に戻るらしい。三寒四温というところか。
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冷や汗2

木曜に電車での焦った話を書いた。(下の「電車にて」)
翌金曜、昨日のことである。部下の女子が時間のない仕事でパソコン相手に四苦八苦。見るに見かねて「手伝おうか?」「いえ、大丈夫です。...でもここだけ分らないので教えて下さい」
おもむろに彼女のデスクに行きマウスを手にする。
「ああ、ビットマップデータか.....こいつは厄介だなあ.....イラレよりもフォトショで開いてみて.....コピペがダメならドラッグ&ペーストで.....あっベクターじゃないの?......図形選択マクロで....こいつをアングループにして.....うん、コマンド+Uキーでショートカットを覚えたほうがいいよ....」なんちゃらかんちゃらと、のたまっていた。
途中、尻のポケットに入れた携帯がぶるぶる振動。説明しながら携帯を開くとメールの着信アリ。電話じゃないからこれを無視していたら、来るは来るは、メールが連続5件ほど。「うっせえなあ」ぶるぶるブルブル尻がこそばゆくなったので、最後の6件目でたまらずフリップを開きメールを確認、開いてみた。右手にマウス、左手に携帯、口では説明をしながら....。
例のH画像がドカンと携帯画面に現れた。
突然空から今度は鰹節が降ってきて、後頭部を直撃された気分。
すかさず何喰わぬ顔をして携帯を閉じ、説明を続行。
女子に見られたかもしれないが普通の様子。これがあえて無視を決め込んでいるのか、全く気がつかなかったのかは以前不明。
心臓の周囲を冷たい汗がつたい落ちるのを感じた。
木曜のブログ「電車にて」を見た○○さんが、イタズラ心でまた同じものを送ってきたことがあとで判明した。
夜、帰りの電車で両隣りの乗客を確認後、携帯画面を目の前5センチに近づけて削除したのは言うまでもない。

画像は画像でも、話は違って先週の春季大会開会式で撮ったカップの写真とバックネットのスナップ。これだけ立派なカップが並ぶと壮観ですね。優勝、獲得、1年後に返還したのは昔のこと。現チームでもいつか再現したいものだ。

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2011年3月4日金曜日

電車にて...

小生の携帯は3台所有。ひとつは個人携帯Docomo。二つ目は会社携帯au。最後は昔使っていた古いもので、目覚まし専用のもの。
問題は個人携帯だった。1ヶ月ほど前に○○さんから来たメール。添付ファイルがあって相当ヤバイ写真だった。○○の○○が○○に○○してるH系のモロ○○の写真。(○○の部分は好きに想像して下さい)。もらった時は苦笑・失笑しながらそのまま携帯を閉じた。この時に削除しとけば良かったのである。以来この画像のことは頭から全く失念していた。

今日現場から社へ帰る電車の中。本を一冊読了したあとなので手持ち無沙汰だった。胸ポケットからおもむろに携帯を抜き、メールの不要なものを削除することにした。知ってる人は知っている。保存メール最大500件とかを超過すると、古い順から自動的に削除されてしまうことを。大事なメールを勝手に削除されてはタマランので、不要なものを削除していった。携帯画面に一件一件表示させてはチェックを入れていく。...賢明な貴兄には事の顛末はもうお分かりですね(^^)

小生の両隣には妙齢の女性が座っていた。真ん中に挟まれた私は膝の上に両腕を最大限伸ばし携帯を操作した。つまり二人の女性からは小生の携帯画面がモロ見える状況なわけだ。サクサク削除のチェックを入れていって、何十件目かにかの問題のメールが突然表示された。いきなり空から鯖が降ってきたみたいに。小生の口から思わず声が漏れてしまった。
「あっ!!」
両隣の女性が同時に小生の携帯を見た....ような気がした。
瞬時に携帯を手元に引き寄せたけれど時すでに遅かった...ような気がした。
ほどなく次の駅に到着。小生の降りるべき駅はまだ先だ。
二人の女性は....スックと立上がりそそくさと行ってしまった。
「俺は潔白だぞ〜」と、ココロの叫びは彼女たちに届くはずもなく。
左右にぽっかりと空間があき、その替わりに冬の寒風が舞い込んできた...ような気がした。
問題の写真はコレ↓↓↓
......って掲載出来るわけないよね(^^)
家に帰ってから速攻削除したのであった。

2011年3月1日火曜日

三世代

昨日は春季大会で初戦敗退大敗し、退廃的な気分で排他的になり家に入った敵。
脈絡のないダジャレほど読んでいてつらいものはないですね。自分がイタイです。

さて、西有馬小での練習を私だけ早めに切り上げて帰宅。連盟記念誌の仕事を遂行することにした。夕方まではね...。
何故か? 夕方から一ヶ月ぶりに娘夫婦が赤ちゃんを連れてやって来るのだ。つまりは認めたくはないけど孫なんである。私が若い頃、人が言うには「子ども」と「孫」は可愛さが全然違うと。当時はそんなもんかなと漠然と思っていたけど、実際は....やっぱりそうだった。贔屓目なしにめちゃめちゃ可愛くて仕方ないんである。いつまで見ていても見飽きることがない。

そんな娘夫婦の来訪に全く偶然にもめったに帰らない息子もやって来た。
駒沢に一人暮らしの息子。ヤツが乗っている400ccの廃車寸前のバイクを、あざみ野のバイク屋で査定しに来たのでついで寄ってみたとのこと。IT企業に勤めていたのだけれど、会社が危なくなり別のITに誘われて転職したばかり。つき合っている彼女がいて1,2年内には結婚を視野に入れているらしい。
どいつもこいつも幸せになりやがってからに、とても良いことではある。
と同時に私も配偶者もそれだけ歳をとってしまうことの証でもある。
私は頭髪は60代、身体は40,50代、ココロだけは30代と日頃自分に言って聞かせているのだけど、そろそろ現実を見つめなきゃだ。それでもやっぱり虚勢を張りたいのはある意味まだ若い証拠か。
それにしても当のオヤジはいったいどうしたもんだろう...と思いつつ、みんなでキムチ鍋をつついて夜は更けていったのであった。
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