2011年12月8日木曜日

ことごとく佳境に入る

いろんな事どもが佳境に入って来た。佳境を過ぎすでに頂上に到達せんとするものもある。スコアブックの年間成績表制作しかり、新応援幕制作しかり。応援幕は卒業生を「送る会」でのお披露目となるので今はここでは詳細は掲載出来ない。これからは卒業生への記念写真スタンドの制作や送る会へ向けての諸々の仕事がいまだ山積。

佳境を過ぎて頂上が見えてきたもののひとつに、宮前少年野球連盟設立20周年記念誌がある。これも今週10日に各チームに配付となるため、まだ内容は掲載できないんである。各チームが持ち帰り選手や父母、コーチングスタッフに配付され、その1ページ目をめくった瞬間に完結となる。我がフレンズでは筆者が画策し各人への配付を翌日曜にせずあえて一週間ずらし、ハレの舞台「送る会」でのお披露目となる。いずれ記念誌のページもこのブログで紹介したい。

そのプロジェクトチーム全員が渾身の力を込めて作った記念誌が今日、メンバーのHigo邸に納品された。1000部を軽く超える冊数の梱包は、その重みでHigo氏の豪邸の離れの床を抜け落ち地面にめりこみ、地球の裏側ブラジルまで届かんとするのである。ブラジル国民はいきなり地面から日本の冊子の塊が突き抜けてくるものだから、きっと驚くに違いない。なぜそんなに重いのか。質量の重さ以上に編集長をはじめとする制作メンバーの努力の積み重ねの重みがあるからだ。

Higoさんから納品の第一報がメンバー全員へのメーリングリストの電波に乗る。
承諾なしで引用しちゃうのだ。
「おはようございます。松風Higo父です。20周年記念誌22ケース、無事到着しました。一つ開けて中身を見たい衝動にかられ、自問自答している次第です。
Saitohさんやっぱりジープの出動お願いします」
写メ付きであった。

日通が深夜に新幹線の車両を極秘に道路輸送するがごとく、この記念誌も編集長が綿密に輸送計画を策定し、メンバーのSaitoh本部長所有の軽トラ...いやジープ...いやハマーに白羽の矢が立ったのであった。ハマーには「越乃寒梅」「雪中梅」などの素敵な文字が描かれてあるのだ。
本部長から速攻電撃の返信メール。
「Saitohです。了解しました。」
ラジャーなんである。
筆者もたまらず携帯のキーを打ち込む。
「どーにもこーにも、Teshimaです。
Higoさん、ナイスショットの写真ありがとうございます(^O^)/
とうとう来ましたねえ。小学校の下駄箱のようであります。一つ中を開けたら靴の横にバレンタインチョコが入ってるかもしれませんよf^_^;
写メを見た編集長は、今頃涙ぐんでいるに違いありません(^O^)」

ほどなくして、またHigoさんのメールが携帯を鳴らす。
「お疲れ様です。Higo父です!Nishimuraさんからの指令で、一箱開け、チェックしましたが、本当にいい出来で、感動ものです!」

夜になり美人愛妻の待つ自宅へご帰還の編集長PCからやっとメールあり。
「Higoさん。
ちゃんと一梱包に50部入ってて、乱丁・落丁も無かったわけですね。
確認ありがとうございました。
Saitohさん。
明後日よろしくお願いします。
積み込む前に中身見たら、涙で前が見えず運転できないかも知れません。
事故起こさないように気をつけてください。
Teshimaさん。
昼間写メ見ました(Higoさんは、見た目や雰囲気とは全く異なり細やかで、メーリングリストでは届かない私の携帯メールにも送ってくれてました。)
ちょうど大手町駅構内の雑踏の中で携帯に没頭しながら歩いてたら、とても大きなお姉さんとぶつかってしまい、吹っ飛ばされて泣きそうになりました...。」

編集長。「とても大きなお姉さん」のほうの怪我よりも、編集長の安否と愛用のメガネとiPhoneが壊れなかったかどうかが気にかかるTです(^^)
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