2012年1月27日金曜日

涙の向こう側

満を持しての「宮前Queens6年生を送る会」のブログにいよいよ突入なんである。
たぶんこのブログ史上最も長文になるはずの嫌な予感、愛媛の伊予柑。
村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」ほど長文ではないにしろ、400字詰め原稿用紙数枚に書く夏休みの読書感想文よりははるかに長くなるはず。
Queensを愛するあまり、Kasaharaさんにはコメント欄で恫喝!恐喝?いやいや、遠回しの催促をされてしまった(^^)今週は仕事が終わるのが夜遅く、それから写真の選別と加工・編集でたっぷりふた晩を要し、やっと昨日完成。今日少し余裕ができたので執筆開始なんである。
えっ!?前置きはいいから早く先を書けってか?
登壇人物紹介で前置きたっぷりでマイクを握っていたのは誰でしたっけ(^^)
これを朝の通勤電車または会社のパソコンでご覧の方には、ゆっくり読める環境を得たのちに見ることをお勧めしたい。コーラとポップコーンを脇に置けばなお良し。

JA向丘で開催された。連盟がよく総会などでも利用させていただいてるところだ。会場入口には例の全国デビューを果たした、ケン・グリフィー・ジュニアとQueensとのドデカ写真の日刊スポーツが山積み。更に東スポの鷺沼ヤングホークスの写真記事も。その横には追い打ちをかけるように、読売巨人軍からKasaharaさんへ送られて来た生写真もある。野球教室のナント4日前にKさんへ巨人から参加要請の連絡があり、宮前からは上記ほか富士見台ウルフ少年野球クラブ、リトルグリーンズなども参加したのだそうだ。全くもって電光石火の神業である。

6年卒業の4人はMeika、Risako、Erina、Haruna(敬称略。○○ちゃんを付けて書いていたらこの先、東京〜リオデジャネイロ間を往復するくらい時間がかかるからだ)みんなの手のトンネルをくぐっての登場である。会場脇のテーブルには4人への贈り物がどっさり。こんな可愛い楯もあるんだなと感心しきり。とりあえずKurihara連盟副会長の音頭でカンパ〜イ!

連盟事務局長のSasakiさん、ヤングKurosuさんKatsuさん、審判副部長Hayashiさん、連盟副会長Matsuiさんなどなど、重鎮が参集。

ここで女子野球が宮前に生まれた経緯を簡単に。
6年前読売巨人軍から、以前から巨人とのパイプを持っていたKasaharaさんの元に、「女子野球のチームを作ってほしい」と打診があったのだそうだ。Kさんは強豪リトルグリーンズのKoshimizuさんを監督に指名。(前リトグリ総監督。今年からはQueens専任監督に) Koshimizuさんいわく「ある日Kasaharaさんから居酒屋に呼び出され、女子野球チーム作るからおまえ何とかしろ!」の一言で始まったそうで、6年後にこんな素晴らしいチームになるとは思わなかったと、支えてくれる大人たちに心から感謝したいと言ってらした。実は正確には「言った」のではなく後日Koshimizu監督から筆者へのメールで打ち明かされたんである。こういう人物だからこそ周囲のスタッフもついて来るのだろう。筆者の脳裏に「好循環」「人徳」「一枚岩」という言葉が浮かんで来たんである。

送る会でのDVDスライドショーというのがある。
みなさんのチームでもやってらっしゃるところもあるはず。数年前から筆者もフレンズのを作ってみたいと思っていたのだけれども、もの凄ぇ〜大変なのは知ってるので二の足を踏んでいるんである。でもその苦労の何倍もの素晴らしさと達成感が味わえるのがこのスライドショー。これをやってのけたのは28番コーチでありMeikaの父Mochidaさんだ。写真撮影からDVD編集制作まで。
正直、参った。
静かな暗い会場で次々と流れる子どもたちの笑顔と、考え抜かれて選曲された楽曲のメロディー。涙腺がゆるみっぱなしだった。暗くてヨカッタと安堵。
こーゆー時、ゆるんでもいいのは涙腺と頬(ほお)。
ゆるんでいけないのは財布の紐とパンツのゴム、と昔から相場が決まっている。
特に素晴らしかったのはDVDの編集技術とかじゃなく、1枚1枚の写真の内容だ。笑顔あり真剣な眼差しあり、その瞬間を鮮やかに切り取ってみせたモッチーカメラマンの目線に脱帽なんであった。
更に今日初対面のサンダースTsudaさん。
このDVD上映でパソコンや専用機器持参でご夫婦でやって来た。
「Tさん。私「晴耕雨読」の大ファンなんです!」といって握手まで求められた。びっくりしてしまった。めちゃくちゃ嬉しかった。ブログを書いてても読んでいただいてる方というのは筆者にはわからないわけで。でもこうして一言声かけてもらえることほど素敵な出会いはない。ブロガーにとってはこれが「書く」パワーの源泉になるんである。
(Tsudaさんもブログを書いてる。後日そのことも書きたい)


監督コーチから6年生への贈呈式。
「小さい子の面倒をよくみてくれた、思いやりのある優しいRisako」
とコーチから紹介されてずっと泣きっぱなしだった彼女がすごく印象に残っている。
ヤベ。.......筆者また思い出してキーボードを叩きながら涙腺がゆるんで....。
こーゆー時、ゆるんでもいいのは涙腺と3月の早春の気温、と昔から相場が決まっているのだからこの際いいのだ。

Kasahara代表も時おりマイクを持ちながら涙声に。Meikaが大人になって結婚式に参列したら、ぱんぱんに膨らんだご祝儀袋の他に、涙を拭うバスタオルとそれを絞るバケツを持参することをお勧めしたい。
Kurosu監督と29番Murataさん。男たちのなんともいい笑顔だ。
向丘サンダース代表であり兼宮前連合チーム監督も務め、筆者の娘も大昔連合でお世話になった、宮前区の名を神奈川県下に何度も轟かせた名将Matsuiさん。それから神木マーキュリーズ出身Kinoshita君。昨年夏甲子園の帝京高校5番だった子だ。爽やかなナイスガイ。あまたの有名大学からのオファーを断って今年米国へ留学で行ってしまうので最後に駆けつけてくれたのだそうだ。帝京ユニフォームに着替えたのは誰かの粋な演出か。

連盟の特別全面バックアップで設立された我らがQueens。
いろんな大人たち(もちろん親も含めて)に支えられて育ったQueensの姫たちは幸せだ。今はピンと来ないかもしれないけれど、オトナになってからじんわり感じることがあるはず。筆者も「フレンズ送る会」でも言うのだけれど支えてくれた人、指導陣のみならず、特に親への感謝の気持ちを忘れないで欲しい。そんな大人になって欲しいと願う。

筆者もKasahara代表から最後にご指名を受けて壇上に。
去年BBQにお呼ばれした時のことが蘇る。
そのBBQでみなさんに言おうとしたのは、
「Kasaharaさんは『ウチのクィーンズママたちはみな美人ぞろいだぞっ』と言ってましたが、今日初めてお母さんたちにお会いしてみて、Kさんは嘘つきだと思いました。なぜならば、『美人ぞろい』ではなくて『超!美人ぞろい』だったからです」と。(^^)
そんなことが去来し頭をよぎりながらシドロモドロでマイクを戻す。
どんだけシドロモドロだったかと言うと、地球上に初めてミトコンドリアが生成された時くらいにシドロモドロであった。綺麗な女性を前にすると緊張で無口になってしまう、まるで思春期の中坊のような私なんである。
どんだけ無口かと言うと、海底にじっとしているナマコくらい無口になるんであった。
写真に撮れなかったオトコたちにはゴメンナサイm(_ _)m

Queensの中枢を担う30,29,28の面々。
泣く子も笑うKoshimizu、Murata、Mochidaの各氏。

終盤では親を前に6年生の「作文」を披露。
会場の照明が落ちてピンスポが彼女たちを浮かびあがらせる。
とつとつと作文を読み上げる少女たち。
去年まではボールを打っていたが、今日は父や母、コーチたちの胸を打つ。
筆者のカメラの液晶画面にもぽつりとまた、一滴、二滴....。
涙腺が...のくだりはもういいですね。

最後は次期チーム選手の紹介。
5年以下の子どもたちと親たちのスピーチ。来季に期待したい。
ここでYamaguchiさんである。
奥さんはスコアラー。ダンナYamaguchiさんは有能なQマネージャー兼司会者。リトグリ・現コーチでもある。
Qきってのイケメン男子。目深(まぶか)に被ったキャップにこぼれる白い歯と目尻に寄るステキなシワ。女性はイチコロに違いない。今度から筆者も帽子は目深にかぶろうっと決めたぞ。
もっとも、帽子は筆者にとって、もともと必須アイテムなんであるが(^^)

最後はKinoshita君による手締め。
こんな場面で部外者の筆者が壇上に上がりカメラを向けていいものかどうか迷ったけれど、ええい、撮っちゃえ。
Queensに広報部長というポストがあるならば、自ら買って出て就任したいくらいなんだから。これからも宮前Queensの話はこの「晴耕雨読」でチャンスがあれば書いていきたい。自チームの有馬フレンズコーチなので、Qの試合に帯同出来ないのが残念なんであるが。

うちのフレンズの送る会も決して引けをとらない。毎年良い会を開催してると自負する。合宿計画や送る会の黒子になってさんざん苦労して準備した経験もある。そんな筆者から見ても今回のQueensの会は、男子中心のチームとはひと味違った女子チームならではの、とても気持ちのいい「送る会」であった。
準備に奔走した親たち、スタッフのご苦労を心から労いたい。
お疲れさま。
そして、ありがとう。

※文中一部間違いがあり追記訂正しました。(2012/01/27/10:20)
Kinoshitaくんの部分です。すでに有名公人となったので、あえて名前を書いてもいいでしょう。昨夏伊藤拓郎くん(今季横浜DeNA入り)や松本剛くんと共に甲子園をわかした帝京高校の木下貴晶くんでした。
Kさんご指摘ありがとうございます。
まだあるようなので、随時訂正いたします(汗)
※訂正第二弾。肩書きなど古い部分を修正しました。(01/27/13:30)
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2012年1月24日火曜日

コーチとして父として

日曜お昼にコーチ会議へ行った。ランチミーティングというやつ。
会議直前にQueens代表Kasaharaさんからメール。「昨日は忙しいのに来ていただきありがとう...」このへんのさりげない気遣いがKasaharaさんのKasaharaさんたる所以である。代表、副会長、社長、委員長、役員などの肩書きを持つ人の資質であろう。
その日深夜の1:30に図面を描きあげクライアントへデータをメール。
今日月曜は別件の仕事でまたしても終日相棒Macとねんごろになる。
風呂上がりに外を眺めれば、「一面の銀世界」というにはあまりに貧相な雪景色ではあるけれど、首都圏ではこれでも立派な積雪なんである。
「立派な積雪」と「立派じゃない積雪」の評価基準はなんだろう?
そんなバカ話を考えるのは大好きなんだけれど、安穏(あんのん)と妄想に耽るほど筆者の人生に残された時間は長くはない。

「宮前Queens6年生を送る会」でいただいた、焼酎のボトルの封を切る。
「ぐびり....」「ぷは〜」「ウマシッ!」

会では自分でも驚いたけれど280枚の写真を撮っていた。
暗い写真、ボケボケの写真などを削除してもまだた〜んとあるんである。
どれも捨てがたいけれど、ライオンが可愛い我が子ライオンを崖から突き落とすという、「ジャングル大帝レオ」の心境で選別作業。
こりゃマジ大変だ。写真選別加工だけでも相当な時間を要することが、過去の経験値からして容易に想像出来ちゃうわけで。記憶と頭髪が薄れる前に、早くQueensのブログを書きたいのだけれど、毎日こんな深夜では書くのはままならぬ。
もすこし時間を下さい。
今日はサワリとして一枚の写真だけ。この日を象徴する写真が撮れた。
モッチーこと28番Mochidaコーチ兼主将Meikaの父親としての涙。
..........
あえて言うまでもないことだが、歯が痛いわけではない。
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2012年1月22日日曜日

水泡に帰す

万全を期したはずの今日、1月21日であった。
女子野球チーム宮前Queensの6年生を送る会、いわゆる卒団式に招待されていたのである。仕事もある程度メドを付けて今日の午後はガッツリ空けていた。明日の日曜も昼から大事なフレンズコーチ会議があるし....。

Kasahara代表がクルマでお迎えに来てくれる1時間前の正午。
クライアントから電話。図面のリミットは来週中頃とメールで伝えていたのだが。
「なんとかもっと早くなりませんかねえ」
「いやあ〜、土日予定が入ってまして、月曜火曜も別件がありまして」
「そこをなんとか日曜にアップして欲しいんですが」
「うぐぐ.....」

Kasahara代表には去年から「Tさんこの日は絶対空けといてよ〜」と言われての今日である。筆者も楽しみにしていたし。
当然行った。行って良かった。楽しくて心温まる会だった。
筆者ブログのためにメモをとるなんてことは滅多にないんであるけれど、今日はシッカリ手帳に書き込んでいたんである。DVDスライドショーの暗闇でも、あてずっぽうに勘で殴り書き。Mochidaコーチ&Tsudaさんの手による上映会では、御多分にもれず母たちの目には涙、涙。筆者もカメラを手に思わずもらい泣き。ファインダーの向こうの画像が滲んでいた....。

酒が入り、家に帰ってから当然仕事に向かえるはずもなく。
仕事どころかチョ〜爆睡しちゃったんである。
でもやんなきゃだ。
おもむろに例のメモを取り出してみた。
見るも無惨、涙で滲んでこのありさま......「げっ!俺こんなに泣いたっけ?」
...なわけではなく、誰かがビールをこぼしての惨状なのであった(^^)
メモを取った努力は水の泡...というよりビールの泡で消えてしまった。
記念に頂いたQueensロゴラベルの特製焼酎のボトルと一緒にパチリ。
たくさんの人と出会えて、たくさんの話を聞かせてもらい....。
仕事が一段落したらまたここで写真つきのブログを書いていこうと思う。
しばらくお待ち下されましm(_ _)m
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2012年1月21日土曜日

心の手紙

「野球Excelスコアブック集計」.....
こんな検索ワードで全国から小ブログを見に来て下さる方が多い。
メールをいただいた方にはちゃんと返信し、Excelのデータを添付して送って差し上げている。
一昨年に宮城県仙台市の母スコアラーさんからメールをいただいた。
年があけて昨年の3.11後、遅ればせながら安否確認のメールをしたためた。
私は逆に勇気をもらった。
その一連のやりとりをこのブログで紹介したことがある。
仙台からの手紙

今回は昨年11月に新潟県の母スコアラーからいただいたメールのやりとりを記録したものである。ご本人の承諾を得て記載します。
こんな父・母スコアラーが全国にとても多くいらっしゃるのではないだろうか。
会ったことはなくともこの方、YAさんのシンプルでしっかりした文章力と心温まるメール、いや心通じる「手紙」に私自身が元気をもらったのである。

以下長文です。(原文のまま。文責筆者)

テッシーさま、こんにちは。
新潟県M市のYAと申します。貴ブログを拝見して、メールを差し上げています。
 私の息子(小5)も野球をやっておりまして、テッシーさま同様、親の私も楽しませてもらっている毎日です。
息子が所属しているチームの「なんちゃってスコアラー」をやらせていただいていますが、シーズン終了後、今までの記録を整理しなくてはいけなくなりました。
私、Excelはまったく初心者なもので、どなたか親切な方が手ほどきしてくださるサイトはないものかと、あちこちさまよっていたところ貴ブログにたどりつき、わらにもすがる思いでメールを差し上げた次第です。

どうか集計ソフトを送っていただけませんでしょうか。お手数をおかけして申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
YA

※筆者からの返信、略。

Tさま、こんにちは。先ほどメールを差し上げた、新潟県村上市のYAと申します。
さっそく送っていただき、ありがとうございました。とても素早いご対応に感激しています!

拝見したところ、私にとってはレベルが高いものなので、うまく使いこなせるかドキドキですが、がんばってみます。
今年の上半期は電卓を使って手作業(!)で成績を出したので、もううんざりでした。
でも、成績発表をしたときの子どもたちの盛り上がり様を見たら、がんばってよかったな、と思ったものです。これからはTさまが提供してくださったフォーマットで、華麗な表など作れるのではと期待しております。

今まで息子のチームにはスコアをつけられる人がいなかったようで、監督さんにはとても感謝されていますが(勘違いや失敗も多いですが…)、スコアについて相談できる方がチーム内にいなくて、地味に孤独にスコアラーをしておりました。でも、思い切ってTさまに相談してみて、全国に少年野球を支える父ちゃん母ちゃんたちがたくさんいることにあらためて気づき、なんだかうれしい気持ちでいっぱいになりました。

おまけの表紙にある言葉や、「子供向け解説」などに、子どもたちを心から応援して、思いやる気持ちがあふれていて、心があたたかくなりました。有馬フレンズの子どもたちは幸せですね。

このたびは大変お世話になりました。新潟県より、Tさまはじめ、有馬フレンズのご活躍をお祈りしています。
YA

YAさま
早速の返信メールありがとうございました。

うちも電卓でチャカチャカの時代がありました。あれは確かに地獄ではあります(^^)このExcelも全て万能というわけではなく、率の計算は自動でラクチンですが、他は地道に暗算の足し算をやって入力なので、結構これも大変です。一人の子の入力途中でTVなどに気を取られていると、どこまで入力したかがわからなくなる時があります。
これが一番の盲点ですね。(もっとも電卓でも同じことが言えますが)

以前も宮城県の「母スコアラー」からのメールを小ブログで紹介したことがあります。
いつになるかはわかりませんが、山上さんのメールも紹介したいと思うのですがいかがでしょうか?
もちろん固有名詞などはイニシャルにします。
少しでも全国の方にスコアラーや集計の苦労をわかって欲しいのと、
興味を持ってもらえたら、少年野球の広がりにもほんのちょっぴりでも寄与出来るかなという思いで。
喜んでいただき私も嬉しいです。
自分の一年の集大成と、子どもらの笑顔のためにお互い頑張りましょう。
スコアラーは私もいい加減なところがありますが(^^)
私に分ることでしたらいつでもご連絡下さい。(このExcelも含めて)

Tさま
こんにちは。新潟県M市のYAです。
お返事をありがとうございました。

私どものチームの公式試合はすべて終わりましたが、雪が降るまで練習試合はあるかもしれません。
今月中旬ごろになるとぼちぼち降り始めるので、それまでには集計作業を終わらせるべく、がんばります。

私のメールをTさまのブログで紹介していただくことについてですが、もしなにかのお役に立てるのでしたら、どうぞお使いください。
スコアをつけるようになったのは、息子がある日「お母さん、オレの打率ってどれくらい?」と聞いてきたことがきっかけでした。
打ててもいないのに打率って… でも記録をつけていないとわからないな… スコアブックっていうの、ちょっと勉強してみようかな?
という軽ーい気持ちではじめたのでした。
さっそくスコアのつけ方の本を買って、スカパーでその頃やっていた過去の高校野球の試合を見ながら練習して、1週間程度で何とか記録することができるようになりました。
そこで息子の試合でスコアラーデビューをしましたが、最初のうちは開始時間を書いていなかったり、エラーかヒットか迷ったり、三遊間ヒットかと思ったら、実はレフト前だったりと散々でした。セオリー通りの高校野球と違って、少年野球は何がいつ起きるかわからないスリルに満ち溢れていました。一度にいろんなことが起きるので、「今なにがあったの?」と周りの方に聞くのもしばしばです。

たまに、スコアをつけていて意味があるのだろうかと思うこともあります。監督さんは参考にしてくれてるのかな、とか。
私は試合で起こったことを記録することはできますが、戦略とか作戦などはまったくわかりませんので、スコアをつけるようになってからのチームがどのように変化したかはわかりません。
ただ、子どもたちががんばった証を残したいな、と思ってスコアを記録し続けるだけです。

今後、わからないことがあったら、また教えていただけますでしょうか。
どうぞよろしくお願いいたします。
YA

YAさま
こんにちは。Tです。
メールの件、快諾いただきありがとうございます。
同じような全国のママスコアラーにはとても励みになることでしょう。

ご自分で独学、しかもスカパーなどで練習しながらというのは、頭が下がる思いです。教えてもらえる人がいないというのはキツイですね。それだけに立派なものです。感服しました。

私も今でも「無死満塁の場面で、打者交代、守備位置も変わり、初球ツーベースヒット、エラーも加わり3者生還」...などの場面では確実にパニクリますね(^^)おっしゃるように、子どもの野球はありえないプレーが続出するのでスコアは大変です。
逆にそれだからこそ面白いことも多々ありますが。

わからないことがあれば(私に出来ることなら)いつでもどうぞ。
かく言う私も結構いい加減なところはありますが、子どもの成績に影響するところだけは正確にシッカリ付けるよう、心がけてます。
因に、ブログの右下にあるリンク集「草野球のためのスコアブックのつけ方」のHPはとても参考になりますよ。

ブログでの紹介がいつ頃出来るかわかりませんが、その時にはまたご一報します。
お互い頑張りましょうね!
お風邪などひかぬようにご自愛のほど。
ではまた。
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2012年1月19日木曜日

20th記念誌Vol.7記念大会・イベント大会編

記念誌のお話。前回は...そうそう、戦国絵巻の巻なんであった。今回の8ページからは20周年記念大会の巻。「巻」とは英語に訳せば「Volume」つまりVol.7なんである。ワカリマスネ。
これは例年「秋季大会」として開催されている連盟主催のものを、20th記念大会と兼ねたものだ。予選ブロックリーグ戦を組み更に順位決定リーグ戦まで用意し、宮前少年野球を盛り上げた。これらは成績と写真を中心に構成されたもの。

おっと、いけない、いけない。いけないルージュマジック。
ここらでキチンと制作者サイドの話を書いておかねばならぬ。
このブログに登場する常連であるNishimuraさんは「編集長」というニックネームであるが、実際にも辣腕編集長兼プロデューサーであった。その昔は土橋ウルフ(現・富士見台ウルフ少年野球クラブ)に息子さんがいて、お父さんとして参加、御多分にもれずチームにのめり込み、スコアラーや事務局を歴任した強者なんである。ご子息が卒業後も連盟に残り、現在も副事務局でその手腕を遺憾なく発揮していただいている。そのN編集長は広告代理店勤務。冊子制作経験は少ないらしいが、それでもさすがグラフィックや印刷のイロハはプロである。
そのNさんが個人的に親しくしている、宮前在住のグラフィックデザイン事務所に白羽の矢が立ったというわけだ。筆者がデザインを担当したページ以外は全て、このプラス・エーさんの手によるもの。Aokiさんである。グラフィックデザイナーとコピーライターのご夫婦だ。かなり格安で請け負っていただいたらしい。Nさんはじめ我々スタッフはもちろん無償であるけれど。Kasahara社長、今度驕ってね(^^)
そのN編集長がExcelなどで大まかなラフを作り、文章を書き込み、Aokiさんへ指示、依頼し、フィードバック、校正チェック、修正、etcなどを経て1ページ1ページが作られていったんである。
こんな陰の気が遠くなるような努力があって、記憶と記録に残る冊子が出来たのである。

さて、その力作のページに話は戻る。
大会終了後にN編集長から各スタッフに電撃メールが回ってきた。
「各チームで今大会で撮った写真を送ってほしい」
膨大な枚数が集まったに違いない。冬のドラフト会議よりも選択に悩んだに違いない。3万人のEXILEオーディションからJSブラザース2人のボーカルを選ぶくらい悩んだに違いないのだ。
これらをモザイク、コラージュ調に配置して出来た力作のページ。

更に晩秋にずれ込んだけれど、記念大会懇親会とイベント大会のページも圧巻であった。功労者表彰式・懇親会では酒も飲まずにNさんとNemoto師匠はカメラを手に縦横無尽に写真を撮りまくっていた。N編集長は完全に記念誌制作モードで懇親会の酒宴を渡り切っていたんである。その時筆者は赤い顔をして有馬子ども会やQueensの方たちとノンキにグラスを交わしていた。
記念大会懇親会については過去のこのブログで書いてるので、ここではちょっぴり割愛。詳しくはコレ。
200名の少年野球オヤジ軍団


これらの圧倒的な写真は、あらかじめ記念誌担当チームにどの競技を撮るかを割り振り、計画的に枚数を撮っていったんである。筆者もカメラマンとして参加。途中同じアングルばかりでは面白くないと感じ、超ローアングルで撮ったり、脚立に上り俯瞰で撮ったり。いっそ、ヘリコプターをチャーターし上空から鳥瞰で撮ろうと思ったけれど、筆者の財布ではそれも叶うはずもなし。
今改めてチョイスされた一枚一枚の写真を見ると、N編集長の審美眼が伝わってくるんである。
「躍動感」「真剣さ」「笑顔」「可愛いらしい」「楽しい」「面白い」...そんな基準で選んだのであろうことがひしと伝わるページである。レイアウトの妙も素晴らしい。これを最高にアレンジ、デザインしたAokiさんにも敬服。
圧倒的なボリューム感に負けないくらいに内容も濃い記念大会・イベントのページである。宮前関係者以外の全国の読者の方には、多少高慢な視点に立って書いているように思えるかもしれないけれど、実際とても良く出来た記念誌と自負してるので、敢えてジマンげに書いちゃうのであった。
ちなみに17ページの特別演目Queensのロックソーランなどイベント大会はこちらの過去ブログ。


※子どもの写真と名前が合致しているものについては、名前を曖昧にしました。
入賞者などの名前だけのものはそのまま掲載。大人の場合はこの基準にあらず。ご了承下さい。
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2012年1月17日火曜日

宮前Queensついに全国区!?

仕事で下北沢のパスタ屋さんの図面を描いていた。夜も9時を過ぎたので、J-WAVEからTVに切り替えて仕事を続行。フジの月9が始まったらしい。
いっぺんでハマったんである。ドラマ「ラッキーセブン」
もともと瑛太は役者として好きだったし、探偵もののドラマが面白くないわけがないし、キャスティングもなかなか良いではないか。主役はマツジュン松本潤だけれど、圧倒的に瑛太の個性が光っていた。映画「ブラックレイン」の松田優作を想い出しちゃったほど。それにしても、あのリアルな戦闘シーンはどうやって撮影したのか。単なるCGの加工技術の良さだけじゃなさそう。

これだけでブログネタにするほどヒマじゃない。
ぐいんぐいん観ていると、ドラマの中のTVに映像が出るシーンがあった。いわゆる「劇中劇」というやつ。そのTVの中では白いスーツの谷原章介が探偵役で劇中劇を演じていた。ドラマタイトルを見て驚いた。
「探偵 真壁☆リョウ」
筆者Tの本名は真壁なんである。(20代半ばに長男が生まれて今の姓Tになった)
うんと若いころ、配偶者の関係で、知り合いのアングラ劇団のポスターをデザインしたことがある。当時は手描きのイラストに写植の文字を切り貼りして...なんて感じで原稿を作っていた。その時にワカギの至りってやつで作者としてポスターの中に印刷するペンネームを考えたんである。真壁はそのままで下の名前を変えた。それが...
「真壁リョウ」
今日「ラッキーセブン」を観てビックラこいたわけなんである。
それ抜きにしても今後クセになりそうな月9なのだ。

さてそんなことよりも。
今日ビッグニュースが飛び込んで来た。
連盟副会長兼女子野球チーム宮前Queens代表のKasaharaさんから数人へ送ったメール。
「今日の日刊スポーツ見て!」
駅まで日刊スポーツを買いに行けない筆者は、早速日刊スポーツHPでチェック。何も判明せず。Kasaharasさんにメール返信する。
「いったい何が載ってるんですか?Kasaharaさんが今季巨人のGMに電撃就任したとかで記事になってるとかだったりして?(^^)」
返ってきたメールを読んで驚いた。
おお〜!すげえ〜!
昨日の川崎ジャイアンツ球場で野球教室が開かれた。
やって来たのは、な、な、なんと、ケン・グリフィー・ジュニア。
米大リーグのビッグネームである。それと東北の野球少年や神奈川のチームからも子どもたちが参加したらしい。そこにマスコミ各社が取材に来ていた。筆者も今朝の朝日新聞スポーツ欄にも載っていたのを確認済み。
日刊スポーツだけはデカデカと写真を載せていたんである。
どんだけ大きいかって写真は畳6帖分くらいの大きさだった。
ケン・グリフィー・ジュニアと一緒にカメラに収まっていたのはナント...。
我が宮前Queensの6年生の女の子3人であった。
Meika・Haruna・ErinaのAKB48を凌ぐ可愛い子たちだ。
全国版に載ってしまったんである。
この話は今週土曜日にKasaharaさんに取材してまた詳報を書きたいと思うのであった。
土曜日はQueensの正にその「6年生を送る会」にご招待されてるので、しっかり氏に話を訊こうと思うのである。

日刊スポーツ記事↓↓↓クリックどーぞ。
日刊スポーツ(01/16)
Kasaharaさんに頼んで送ってもらった写メがこれ↓↓↓
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2012年1月16日月曜日

映画。コレ、観たことある

昨日、今日の土日は仕事で野球には行けなかった。
子どもたちはみんな頑張って練習していることと勝手に想像して、筆者は朝から夜0時半ころまで図面仕事にイソシムのであった。

来週もずっと忙しいので、ブログ更新はままならぬやもしれぬ。
ならば、今のうち記録しておこうと思ったのが映画の話なんである。
先日Inoueコーチから借りていた映画のDVDをやっと返却。「本を人に貸したら絶対返ってこないと思って、あげるつもりで渡せ」という言葉は、筆者が若い頃に先輩に言われたのである。本のみならずとも映画なんかもそうだろう。
でも「約束は守る」のが筆者の信条。DVDをInoueさんに返し、先日の「愛と青春の旅立ち」の話をハーレーの前で談笑していたら、その30分後には、今度はトム・クルーズの「トップガン」を持ってきてくれたんである。
早速先日観た。
Inoueさん、ゴメンナサイ.....。
親日家でもあるトム・クルーズという俳優は大好きなんである。「MIシリーズ」や「マイノリティーリポート」、「バニラスカイ」「レインマン」.....とか。
でもこの「トップガン」はひどかった。
なんでかって?
「愛と青春の旅立ち」のどうしようもなくパクリなんである。
トム・クルーズが悪いのではない。プロデューサーがいけないのだろう。
シチュエーションを変えただけで、「愛と青春の旅立ち」のアイディアをそっくりパクッてしまった。原作があって俳優を選ぶのではなく、最初に俳優ありきでシナリオを書くみたいな映画である。ペラペラの薄〜い内容。
「伊豆の踊り子」で山口百恵と三浦友和をキャスティングするんではなく、山口百恵と三浦友和を売るために「伊豆の踊り子」を撮るようなものだ。因に筆者、山口百恵も好きだったけれど。
「トップガン」の良かったところは、当時にしては秀逸な戦闘機のCGシーンの迫力と、大ヒットした有名なテーマソング。それだけ。

そんな気持ちを抱えながら、先日渋谷TSUTAYAで映画「2012」を購入。
なんでかって?
2012年の12月21日に地球が壊滅するという設定のSF映画なんであるのよ。
12月21日というのは目に入れても痛くないアレ、Minamiの誕生日なんである。
今年のMinamiの2歳の誕生日に地球が崩壊するとは、見捨てておけぬではないか!Jの俺が地球を救ってやるしかないじゃないか!....てんで買ったわけ。
有名な俳優は誰も出演していない。何しろCGがすごいリアル。セスナが飛ぶシーンは下手くそだけれど、ビルや自然が津波で崩壊するCGは見事である。
でも、まだどうしても日本の3.11のことが頭によぎり100%楽しんで入り込む気にはなれなかったけれど。

映画の半分くらいまで観た時にふっと気がついたんである。
「アレ?....前に、これ観たことあるな」
随分前にレンタルで観たことがあったのだ。

みなさんはこういうことないですか?
筆者はヒドい時は、映画のラストシーンになって、やっと以前観たことに気づくこともある。
情けなし....。でも面白かった(^^)/
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2012年1月13日金曜日

20th記念誌Vol.6チームマップ編

20周年記念誌のベースになったのは、前回の10周年の時のそれである。モノクロ印刷でいかにもその当時の空気が漂うものだ。いい意味でもそうでない意味でも、そこかしこに苦労の跡が忍ばれる。印刷とデザインのグレードが全然違う。
その冊子の中に宮前区少年野球全チームのマップがあった。制作会議の席上、危うくこのページは削除されそうになった。筆者はこの手の絵が好きだし、子どもたちが一番喜ぶページになるはずとの確信もあって、なんとか説得し20周年にも載せることになった。ただし言ったからには責任をとらなきゃだ。私が制作することになった。
10周年のイラストマップを見るとすでに存在しない施設なども多くある。アレ昔はあったよなあなんて。じゃあもっと昔はどーだったんだろうと、家にあった宮前区発行の歴史に関する冊子や宮前地図などを睨んでいるうちに閃いちゃったんである。
「戦国時代の武将たちがシノギを削った戦国絵巻に、現代の野球チームが一番を目指すイメージをだぶらせてみてはどうか」
イメージのアイディアが浮かぶまですんごく時間がかかる場合と、瞬時に降りて来てあとはイケイケドンドンの場合とがある。これは後者だった。
まずは地図を全体的に捉えてイラストレーターでデフォルメし、主要幹線道路や田園都市線を描き込む。

チームの所在地はどうしたものか。今はGoogleMapというのもがある。
各チームの小学校所在地を調べあげ、GoogleMapに入力、一気に飛んで行きその航空写真をデスクトップに保存。更にフォトショップで統一規格サイズに加工しフォルダにぶち込み保存。

Nishimura編集長からもらった宮前各チームのロゴを一堂に集めて、これも統一規格に調整。

GoogleMapの上にロゴを乗せていく。ここで取り違えたら後々ただでは済まない。慎重に何度も確認しながらMacと自分の頭をリンクさせてフル稼働。

制作会議当初は編集後記にくっつけてA4サイズの半分のスペースだった。
作っていくうちにそれではあまりに小さすぎて見るに耐えないものとなる。
またラフを見せていくうちに、A4サイズ1ページ分に昇格して、会議を重ねるごとについにA4見開き、つまりA3サイズにまで昇格したんである。Kasahara社長やNishimura編集長の英断であった。なぜならページ数が変わると全体に影響を及ぼし、また印刷料金も変わってくるからだ。最後は「金はあとで考えよう。とにかくいいものを作ろう!」という社長の言葉で決定した。
A5サイズからA3へ出世魚のように、飛び級で昇格したんである。編集長はスタイリッシュな冊子をイメージしていたので、当初このページだけ時代錯誤的で浮くんじゃないかと懸念していたが、鶴の一声で吹っ切れたようだった。むしろこのページに思いを寄せてくれることになる。
最初のベースマップに小学校のグランドのGoogleMapとロゴを組み合わせたものをイラレで取込み載せていく。

これだけでは戦国風が感じられない。実は2011年初頭のアイディアでは、仙台の伊達政宗像の写真を使う予定だった。兜の替わりに野球帽、刀の替わりにバットを持たせて...。しかし3.11により何か被災地に「不謹慎で申し訳ない」気持ちになりこれは自ら削除。代わりに掛け軸の写真や古文書の絵などを使うことにした。更に各チームの本拠地である小学校の名前を「幟(のぼり)」にして、「城」とする。このへんのアイディアは電光石火、サクサク湧いて出て来る。しかしMacの作業はどんどん複雑、困難を極めるけれど。

ここからはアソビ感覚である。
「東京料金所」は「東京関所」に。
「川崎インターチェンジ」は「東名川崎立体交差変換所」に。
「青葉区」は「青葉村」に。
「川崎国際ゴルフクラブ」は「川崎国際孔球場」に。
更に「鷺沼駅」などは「鷺沼宿」とした。何度目かの会議の席上誰かが出したアイディアだった。
とにかく現代語やカタカナを無理矢理漢字に変換し、昔臭さを出してみた。
逆にロゴマークの上にチームの正式名称を入れたのは、Inoueコーチの息子Takumiの希望だったり。子ども目線の意見も取り入れた。
宮前の歴史を調べていくうちに、以外にも身近なところに古い痕跡があったのには驚いた。古墳などがそうだ。案外全国的にあるんである。中でも西暦700年(飛鳥時代)に建立された影向寺(ようごうじ)は特筆もの。それも盛り込んじゃう。旧石器時代の鷲ヶ峰遺跡などもあったり。記念誌を通り越して自分の住む地域の歴史にのめり込んでしまった時期があった。
完成したのがこれ。一番時間がかかったページだったけれど、楽しく作れたページでもある。

読者の方でもしこのブログを記念誌制作の参考に見にきている方がいれば、是非チームマップのページを作ることをお勧めしたい。活字だけでは子どもが興味を持たないから。大人も子どもも楽しめるページを作れたと自負する。
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2012年1月12日木曜日

経験の向こう側に待っているもの

正月の松の内もとうに過ぎ、そろそろ連盟記念誌Vol.6や、Excelスコア集計の話などを書きたいと思うのですが、これらを書くにはいつもと違うパワーをちょっとだけ必要とするので、ついつい身近な話に手をつけてしまう筆者ではあります。受験勉強の時に数学を後回しにして、真っ先に国語から手をつけるような気分。数学の中で図学は大好きで成績も良かったけれど、微分・積分、セブン・イレブンなんぞは異次元の話を聞いているようだった。そんな数学の授業の時は、窓の下のまっさらなグランドを睥睨(へいげい)し、放課後のサッカーの部活に思いを馳せていたんである。

なわけで、手近な話に今夜ももぐり込んでしまう筆者。
先日の日曜、ホームグランドのひとつ西有馬小学校の隣りの有馬中学校で、野球部の体験練習があった。野球ブロガーの「台風一過」「かに」さんのブログによると、強豪シニアなどは体験会に100名を超す子らが来るそうだ。シニアならわかるけれど、部活の中学野球部でも体験会をやってるとは知らなんだ。とてもいいことだと思う。我がフレンズの6年生も参加しているんである。勢い筆者も見に行きカメラを向けてみた。

隣りの小学校ではフレンズの子たちが弁当を食べ終わったばかり。
「Tコーチ!僕も見に行く〜!」と言ったのはHiro。
「今はまだベーランやってるだけだから見ても面白くないぞお〜」
わらわらと何人かが小走りに中学へやって来た。こんな子どもたちが可愛い。

我がチームの練習があったので、途中から見てないのだけれど、夕方まで体験練習は続いたようだ。

夕方遅くに戻ってきた6年生に感想を訊いた。
「マジ、疲れたあ〜」
「ヘトヘトですぅ〜」
そりゃそーだ。中学生レベルでの練習に参加したんだから当たり前だのクラッカーなんである。
でも、辛い経験を乗り越えた向こう側に待っているものは、決して悪いものではないはず。多少なりともキミよりも経験値の多いオヤジが言うのだから間違いはない。
「おいおい、部活に入れば大好きな野球が放課後になれば毎日出来るんだぞ。」
と言ってやった。
部活は野球でなくとも全然いい。たとえ文化部でも帰宅部でもたくさんの経験をすることが大切だと思う。
「疲れた」なんて言ってる場合じゃない。キミの未来は今始まったばかり。

その晩、窓の外を見ると偶然満月だった。しかもデカイやつ。
新月から数えて15日目の夜。
まだ三日月の子どもたちが、中学へ行き経験を重ね、人それぞれの満月を向かえることをファインダー越しに祈った。
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