2012年8月29日水曜日

フレンズBBQ大会Vol.2

というわけで、後半なんである。
川へ遊びに行き上がってきては何か飲んだり食べたり。また川へ突入しぎゃんぎゃんばしゃばしゃ...の繰り返し。子どもは全く飽きる様子もない。筆者も3,4度川へ入り写真を撮ったのだけれど、自分の周りの子らを中心に撮ったので全員カメラに収まったかどうかは怪しい。陸(おか)へ上がれば勝手に冷えたビールをまた開け、Yanagisawa代表やYanagisakiさんらと談笑し、至福の時を過ごす。焼き場では相変わらず汗まみれのオヤジたちが、がしがし笑いながら焼いたり飲んだりしている。
「帆立バター焼きできたよ〜!」とシノちゃん(Inoueママ)の声。子どもらに運んで行くところだった。
程なくして、何やら背後で黄色い声が騒がしい。
チームいちのノリノリお祭り娘ママ、自称「有馬の浜崎あゆみ」こと、なっちゃん(Ohmoriママ)であった。
昔、「脱ぐとスゴイんです」という流行語があったが、脱がなくてもスゴイのは十分理解できる人がいる。たまに、脱いだら腹や腕あたりがスゴイ人もいたりするのだが。なっちゃんが武田久美子よろしく帆立の貝がら片手に、セミヌードを披露してくれた。左手でちゃんと胸は押さえてある。完璧だ。なっちゃんに強要されて次に披露してくれたのは、これまたノリのいいシノちゃんである。こちらもちゃんと首に掛けたタオルで胸は隠れているではないか。完璧だ。あちこちからヤンヤの喝采を浴びる。

午後1時を回り佳境に入る。
恒例のスイカ割り大会。合宿でもやるのであるがやはり子どもはこれが大好きだ。大人たちが場所の片付けに入っていたので、筆者も合流すべく高学年の子しか写真に撮れなかったけれど、中でも見事にかち割った瞬間を収めたのが写真中央の5年Mamoru。1打数1安打、打率10割のホームラン。試合でもこの「秘技スイカ割り打法」でかっ飛ばしてくれよ!

残暑厳しい日々を過ごしている皆様、いかがお過ごしですか。そこでせめて涼(すず)やかな気分を味わっていただきたく、最後に涼味満点の写真を。(写真クリックで拡大)
ここにはちいさな滝がいくつもある。およそ3メートルにも満たないけれど、これが子どもが遊ぶにはちょうどいい。次から次と勇敢にまたは恐る恐る、滝に打たれる子どもオトナたち。全身ずぶ濡れになっても、炎天下にちょっといれば乾いてしまうことをあとから聞き及び、筆者もやりたかったと後悔。頭部の育毛にはもってこいかもしれない。
2枚目の写真上段。
断っておくが山から下りてきた山猿が仲間に加わったわけではない。本人の名誉のために言っておくとレッキとしたKamiyaオヤジ、通称てっちゃんである。この写真をあとからパソコンで見て初めて気づいた。いつの間にトレードマークのヒゲを剃っていたんである。男のヒゲなんてこんなもんである。案外気がつかないものだ。筆者も数年前あごひげを剃った時、誰も気づいてくれなかった経験を持つ。
写真下段。
一心不乱・心頭滅却・無我の境地に至る奥義を習得しているのはSone父であるが、ここでは滝に打たれてそれを実践していたのは6年生のShouya。小さな修行僧のごとし。まだ年端もいかない彼が無の境地に至るまでは10年早いというものだ(^^)
そこへいきなり大人の手が伸び頭を押さえる。びっくらこきパニクるShouya。左手の主はSuekiさん。Suekiさんは子どもらの輪の中に自らずんずん入り、子らとすぐに打ち解けられる奥義を習得している達人である。そういう意味では我がチームではてっちゃんと双璧を成す貴重な存在なんである。
この写真を見ればちょっぴり涼しい気分になってもらえるだろうか。会社や部屋のクーラーの設定温度をもう1,2度上げて節電に協力してもいいだろうと思う。

今年のこのレクリエーションを企画し、計画、実践してくれたInoue夫妻にチームを代弁し感謝したい。これだけの大人数のイベントをやるには人知れずの苦労があったはず。これに追随し朝もやをつき先遣隊で準備に奔走した父たち、買い出し準備などの母たち、そして酒が飲めずに運転を引き受けてくれたドライバーの父母たち...。
感謝、感謝である。
来年もやろうねっ!

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2012年8月28日火曜日

フレンズBBQ大会.Vol1

いろいろな乾杯というものがある。世間一般的に認知されているものは、日中の仕事や野球が終わり、夕方ないし夜から仲間と飲む時にやる乾杯である。しかし日曜の朝7:00にやる乾杯というものがあったんである。

昨日に続きBBQ大会の話。地元有馬から車7,8台に分乗して大井松田近くの河原に着いたのは7時過ぎ。部員数19名に対して、大人と部員の兄弟その他も含めて60数名の大所帯である。代表の挨拶のあと「それでは、乾杯ッ!」車運転者には本当に申しわけないけれど、これがまたウマイわけで。
子どもたちは早速川に入り、思い思いのスタイルで遊びまくる。数人の引率の大人たちも子どもと一緒になって遊ぶ。いや、むしろ大人が楽しんでいるようだ。筆者もこの川遊び大好きで童心に返って思い切り水に浸かりたいのであったが、いかんせんカメラマンである。カメラにとって水は大敵。カメラが水をかぶるということは、ナメクジに塩をかけるようなもの。溶けてなくなったら大変だ。
子どもらのスナップショット2点。断っておくが、2枚目のデジイチを肩に下げたお母さんはOhshiroママ。本人の名誉のために言っておくと本物の妊娠8ヶ月(?)のオメデタなんである。決してメタボリックではない。その右はKamiyaママと1歳と半年を過ぎた娘Kukuruちゃん。女の子ちゃんたちが集まってのミニ女子会開催である。


一度河原に上がって子どもは食事タイム。ここに至るまで我々オヤジどもは肉を焼いたりビールを飲んだりの至福の時を過ごす。時に炎天下で太陽を浴び、時にテント下で目を細めながらビールを堪能。こんな幸せってあるんだろうかっていうくらいのシアワセなんである。幸せと言えば食欲旺盛な子どもを見ることほど、親や大人にとっての幸せはあるまい。「食ってるかあ〜?残さず食うんだぞ〜。お替わりいっぱいあるかんな」と言える大人も幸せだ。

前述のKukuruちゃんである。4人目の子である。このご時勢少子化社会に貢献する素晴らしきこと。Kamiyaママには総理大臣賞かモンドセレクション賞をあげたいくらいだ。水にちゃぷちゃぷ浸かりながら本人も楽しそう(?)かどうかはわからぬが、周りの大人たちは楽しそうだった。断っておくが、写真左はグラサンの怪しげな男が赤ちゃんを拉致して幼児虐待しているのではない。本人の名誉のために言っておくと愛娘と戯れる本物のパパなんである。

3人寄れば文殊の知恵、9人寄れば野球が出来て、10人も寄れば大抵一人くらいは「鍋奉行・鉄板奉行」がいるものだ。飽くまで自称「鍋奉行・鉄板奉行」の昭和オヤジAraganeコーチである。自称とは言え、確かに手さばきは見事なもの。網焼き鉄板焼きに仕切もさすが「自称職人肌」なんである。なぜ「自称」なのかというと誰も認めてくれないから、自分から言うしかないのであった。あるオヤジから「Araganeさ〜ん!味薄いよ〜!しっかり焼いてよ〜」との激が飛ぶ。犯人は先のKamiyaオヤジであった。年齢差20歳、無礼講もまた楽し。しかしこの昭和オヤジ、絶滅危惧種のごとく無くしてはならない存在なんである。ニッポニアニッポン(朱鷺)やウーパールーパーやイリオモテヤマネコ同様、貴重な存在なのだ。写真左茶色帽子。鉄板の肉に汗をだっくんだっくん垂らしながらのお務めご苦労様。さぞかし大粒の荒塩の塩味が効いてるに違いない。

嬉しい限りである。
土日は仕事の都合でフレンズにはなかなか来れないOBコーチ、Yanagisakiさん。3人の息子娘は全員フレンズのOB選手である。9年間ものあいだ、晴れの日も雨の日も陰日向になり夫婦そろってフレンズを支えてくれた、フレンズ史上燦然と輝く夫婦なんである。紫綬褒章か天皇賞の当たり万馬券をあげたいくらいだ。オヤジ参加だけでも嬉しいのに、一緒に愛娘OBのHarukaも来てくれた。こんなに素敵なことってあるだろうか。女の子のOBがレクに参加してくれるなんて。中3になりソフト部の部活も引退お休みか。男子に交じって頑張っていた小6の頃に比べて、すっかり女の子に変身しちゃった感のあるHarukaであった。写真左下。父娘(おやこ)のナイスなツーショット。

写真右下。
Yanagisawa代表とサブスコアラーMitsuyoさん、そしてKukuruちゃん。代表は試合や練習の野球ではめちゃくちゃ厳しい人なんであるが、赤ん坊を見るとニッコニコになり目尻がとろんとろんに垂れ下がり、抱っこしたくていてもたってもいられなくなるんである。断っておくが、3人の関係性には血のつながりはない。Kukuru本人の名誉のために言っておくと、Mitsuyoさんは母ではない。但しキングサイズベッドの肉布団で気持ち良さげにしていたKukuruではあった。Otubo監督とKanedaコーチが来れなかったのはとても残念。

まだ編集した写真は3点あるわけで。
う〜む、AM1時過ぎだぞ。駄文を生でダラダラ書いてしまう筆者は、この先一気に書いても何時になるか分ったもんではない。そんなこんなで、なんてこったの、パンナコッタ。
Vol2、後〜半に続くぅ〜、なんである。
※次回予告
ママの貝殻一枚のセミヌード写真の撮影に成功したんである。
秘蔵写真、次回公開。自戒後悔しなきゃいいが(^^)/
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2012年8月27日月曜日

フレンズイケメンズ


今日はフレンズレクリエーションの日。朝6時集合、先遣隊場所取りオヤジ軍団6名はすでに5時には出発。目指すは大井松田インターからほど近い清流の河原。川遊びとBBQ大会の一日である。
筆者は朝4:45に起きている。帰りの車で多少居眠りぶっこいてしまったが、帰宅後は281枚の写真の選択・編集をさきほど終了。すでに時計は短針が0時を過ぎて....。ブログ本文はもう明日に書こうと思うんである。
母たちの協力もさることながら、我がフレンズオヤジ軍団の努力に敬意を表して、このイケメン野郎どもの写真だけ載せよう。参加オヤジは16名。ちなみに筆者はこの写真中にいないのであしからず。メンズへのファンレターの宛先はとりあえず筆者のアドレスまで。
ちなみにあしからずPART2。右下のTakenakaさんは、子豚3匹を丸呑みしたアナコンダではない。ましてや妊娠8ヶ月でもないのであしからず。
子どもも大人もめちゃめちゃ楽しい一日、大成功のBBQ大会であった(^^)/

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2012年8月25日土曜日

風花

世田谷区池尻大橋から、なう。
20年続いた店が今月で閉店。筆者がこのちいさな店を設計したのは20年前。
人と人の繋がりに感謝!!
ありがとう!
この店のママは入退院を繰り返す半生。しかし辛いことを一切顔に出さずいつも明るく振る舞って俺たちに元気をくれた。筆者より10歳も年上なんである。
ありがとう、そしてお疲れさま...。
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繰り返してはならぬこと


原爆ドームへ行った。
20代の頃一度行ったことがあったので今回は2度目の訪問となる。路面電車の市電を降り立ったところにこのドームがある。23歳だった頃の若造には、戦争の悲惨さや原爆の威力や恐ろしさばかりに目が向いて、この世界遺産が伝える本質的なメッセージに気づいていなかったように思う。30年ぶりに訪れて私の胸に去来しこみあげてきたものは、二度とこの過ちを繰り返してはならない、ということ。これがこのドームが後世に伝えるべき真のメッセージなのではないだろうか。あえて原爆を投下した米国を批判することなく、当時の気が狂ったような大日本帝国が、開戦を是とし戦争への歩調を早めていったことの愚行を悔恨すべきである。

このドームは広島県産業奨励館だった。昭和20年8月6日この建物の上空600メートルでそれは炸裂した。その爆風は音速よりも速かった。奇しくも私が今回訪れたのは太陽が南中しようとする時刻。カメラのレンズを建物を仰ぎ見るように撮った。まるで当時のその爆裂の瞬間のような画が切り取られた。

配偶者の祖父は陸軍将校だったそうで、命日は8月6日である。たまたま外地から市内へ戻っていたそうだ。昔の広島の人はそれを「ピカドン」と呼ぶ。結婚したてのころ興味本位で義父母に戦争当時のことを訊ねたことがある。配偶者の父母はあまり戦争当時の話をしたがらなかった、特にピカドンについては。あまりに忌まわしい記憶だから憶(おも)いだしたくないのであろう。増してや義母はここの現場を目の当たりにしているのである。重い口を開いて語る言葉少なな中にリアルタイムを生きてきた人の現実が私の目の前に立ち上がる。ドームを境にしてふたつに分かれる旧太田川と元安川。そこに夥しい数の老若男女の被爆した人たちが喉の渇きに耐えかねて川に殺到し息絶えた。この川の川面が見えなくなるくらいの死屍累々の山だったそうだ。学徒動員で子どもの数も多かったと聞く。
戦後68年。今改めて河畔に佇み原爆ドームを眺め、当時のことに思いを寄せてみると熱く胸に迫りくるものがあった。

炎天下の平和記念公園を散策しながら、ほどなくして記念碑のある場所へ。終戦記念日にTV中継されるところで有名である。石のモニュメント越しに見えるのは原爆ドーム。ヨーロッパの庭園建築を模した設計であろうか。たまたま私の前に来て黙祷を捧げていた家族づれがいた。お父さんはカメラを構えていたのでアングルには収まっていないけれど。私は見ず知らずのこの家族が頭(こうべ)を垂れる姿になぜか感動してしまった。特に子どもたちが深々と頭を下げていることに。小さな子どもには戦争のことなどまだ分らないことが多いはずだ。でもこんな子どもの姿を見ているとなぜか心安らぐのである。ファインダー越しにまたも胸が熱くなってしまい....。

こんな風な戦争を題材にしてブログを書いたのには訳がある。
最近の竹島・尖閣諸島問題が根底にある。本来政治問題にはこのブログでは一切書かない方針であるけれど。いろんな思いがあり、ここでそれを書くには紙面足りず。
まず私は右寄りでもなければ左でもないのを自認するのを理解してもらいたい。それでもかの隣人の常軌を逸した行為には正直腹が立つのを禁じ得ない。せっかく近年の日本における韓流ブームでとても「近い隣人」になったと心が緩む思いをしていたのに、この急転直下の愚行は嘆かわしい。サムスンなどの世界的台頭を言うまでもなく、近代国家としての韓国の経済成長には目覚ましいものがあり、舌を巻く思いと同時にやっと国際社会の一員として立国したと感じていたのである。かつての戦後日本が幼児から大人に成長したような同じ思いでいた。そこへもってきて今回の暴挙。国際社会における一員としての自覚のなさに驚いた。自分のことしか考えない者は正直嫌いだ。中国に対しても同じ思いがある。国際社会における民度の成熟度でいえば韓国の比ではない。一見、近年目覚ましく経済立国したかのように見えるかの国であるが、反して民度が経済大国の冠の名に追随してないように思う。
断っておくけれど、これは個人的な話ではない。我が少年野球チームフレンズには中国人の親御さんがいる。私は個人的には彼の大らかなキャラが大好きだ。これは個人をうんぬんする話ではない。また韓流のタレントも好きだし、伊集院静のような韓国人の血を持つ男特有の、日本男児にはない韓国人特有の骨太の逞しさには一目置いているつもりだ。

竹島と尖閣では論じる土俵が違うけれど、根底にあるのは歴史認識なのであろう。野田さんはそれとこれは別問題と言うけれど、彼らと日本のすれ違いの根源はやはりここなんである。彼らにとっては植民地支配と戦争被害者としての憤懣やるかたない意識があるからであろうと思う。ここをどうにかしないことにはいつまで経っても同じことの繰り返し。
だからといって日本の軍備増強論や性急な右寄りの考え方には賛成しかねる。絶対繰り返してならないのだから。被爆国の貴重な経験を今一度想い起こして欲しい。弾薬のきな臭さを鼻に感じるようになっては駄目だ。何のために原爆ドームが世界遺産になったのか。引くべきところは引いて、言うべきところは毅然たる態度で敢然と臨む。日本政府には歴史的過ちを認めた上での、国際社会における大人の対応を切に願う。我々はもう大人なんだから。
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久々にいっぱしのエッセイをガチガチに書いた。ちょっぴり恥ずかしい。異を唱える人たちもあろう。それもこれもここまででご勘弁願いたい。

ここからは少しだけ砕けて...。
この平和記念公園の一角に鈴木三重吉の記念碑がある。
鈴木三重吉をご存知だろうか。広島出身の児童文学の父といわれ児童文芸誌「赤い鳥」を創刊した人である。夏目漱石の門下生での一番弟子だった人でもある。
筆者の息子がフレンズに入団して間もなく、Suzukiという子が入ってきた。後になって知ったことであるが、この子は紛れもなく鈴木三重吉のひ孫なんであった。とてもトリッキーで楽しい子であった。フレンズ30周年記念式典にも息子とともに連絡を取り合い、立派に成長した若者として顔を見せてくれた。鈴木三重吉の銅像を発見し想い起こしたのであった。

新幹線発車までの間、駅前にあるお好み焼きで昼食をとったのは言うまでもない。すっかり恒例となってしまった感あり。「電光石火」という超人気店である。メッチャうまかった(^^)
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2012年8月24日金曜日

赤の他人と赤い他人

去年神宮球場でカープの試合を観戦した時、ピンチの場面でマエケンこと前田健が6-4-3の内野ゴロのゲッツーを取り、一瞬でチェンジ、見事な投球を見せてくれたことがある。3塁側のカープファンが多いスタンドでは大盛り上がり。筆者は大声で「いいぞ〜!!!マエケン〜!!!サイコ〜!!!」と絶叫したら、5席ほど離れていたカップルのカープTシャツを来た男性がこれをリピート絶叫し、私にハイタッチを求めてきたんである。筆者は隣りの配偶者には見向きもせず、男同士で「イェ〜イ!!」「イェ〜イ!!」
赤の他人であってもココロが通じ合える喜び。

昔から思うのだけれど、どの球場に行ってもアウェイのスタンド(レフトスタンド)のカープファンは凄い。関東のカープファンというのは応援が熱心で有名なんである。これは広島出身者だからというだけではなく、広島出身ではなくとも全国に結構いるんであるカープファンが。もちろん巨人ファンには数では負けるけれど、熱心さでは負けちゃあいない。筆者がカープファンになったのはたまたま一緒になった配偶者が広島だったからもあるけれど、市民に根付いた球団という、他の球団にはない特異なカラーに魅力を感じたからに他ならない。

さて21日。日中あちこち駆けずりまわり所用を終えて夜はやっとマツダスタジアムへ。
ズンズン、ズムズム球場が近づくにつれてファンたちが激増していく。これはどの球場でも見かける光景である。その市街地の舗道のマンホールにはカープ特製のフタがあったりして。市民球団ならではのもの。入口前では人工雪を降らせたスペースで子どもたちが楽しそうにはしゃいでいた。

筆者も念願かなって否が応でもテンションは上がる一方。球場前ではこれまたどこでも見かけるチームグッズ販売のテントが。筆者この日のために真っ赤なポロシャツを着て神奈川から臨んだのであるが、はやる気持ちを押さえられず応援メガホンを購入、更にTシャツも着て応援しようと物色す。どれにしよっかな?1番Maeda...ない。ならもちろん5番のクリケン、栗原健太である。彼は山形生まれの山形育ち。筆者の郷里出身である。カープに入団し4番を打ってきたスラッガーとなれば、当然これしかないわけで。
そのTシャツに手を伸ばしかけた瞬間、隣りの広島のオッサンがそれを手にしたんである。
店の女の子に「5番?これ誰やったん?...ああ、栗原かあ...もうワシ持っとるけん、ちゃうヤツがええなあ。栗原はもうええけん....」
冷たいのも広島ファンの特徴である。カープを離れて巨人にでも行こうものならば手のひら返すように冷たい。配偶者の母が小早川に対してそうだったように。「小早川さんはカープさんを出て行っちゃったけんのう...」昔は負けた日の晩に流川で選手が飲んでいたら、ファンに石を投げられたらしい。「しっかりせんかい!なんしょっとぉ、達川!」なんてね。それだけ市民に愛されてるとも言えるけれど。
栗原は右肘手術で今季絶望らしい(?)。だからこそ彼のTシャツを購入した筆者である。

名物カープうどんを食しキリン生を片手にいざ球場へ。
東京に比べて日が長いのでまだ明るい。いきなりマエケンが本塁打を打たれてしまっていた。ライトスタンドはほぼ80%に対して横浜ベイのレフトスタンドはご覧のとおり。それでも一生懸命応援していた横浜ファン。筆者カープではあるけれど、次に好きな球団は地元である横浜なんである。ちょっとだけ頑張れよと思ってしまった。
正直言おう。筆者ガチガチのカープファンだったのはコージ、ヨシヒコ、衣笠、津田、北別府、大野などがいた頃である。今は当時に比べればそんなんでもないけれど、いまだに体に刷り込まれたDNAが疼く。でもやはりいちカープファンというよりは普通の野球ファンになっちゃったのかなあと思うこともしばしば。だから横浜にも頑張ってほしいなんて思うのだろうか。元カノのことを忘れられない浮気性の情けない男みたいだ。

増してやこのカードはマエケンと浜の番長三浦である。三浦は地元西有馬小学校にも講演にきた選手であり、いわゆる「中年の星」でもあるわけで。

いろんなシートがあって楽しいのがマツダZOOMZOOMスタジアム。本当にファンに楽しんでもらおうと構想されたのがひしひし伝わってくる。この写真以外にも車いす専用シートとかパーティールームとかいっぱいあった。2階の回遊通路では常にファンたちが移動している。自由に回遊出来、どこからでも無料で観戦できちゃうんである。普通の球場の通路は飲食店の壁に阻まれてグランドの試合が観れないのが多いけれど、ここはほぼフルオープンなのだ。

知っている人は知っている。あの甲子園名物阪神ファンの7回裏の風船飛ばしは実は広島が最初にやったということを。いやはや壮観であった。

終盤マエケンに代打を送り、回が変わってマウンドに登ったのは大野...。んなわけない。
球場がざわざわしてる時に、投手コーチの大野が出て来てリリーフ投手の具合をじっと見つめる。大ファンだったので筆者思わず口からついて出て来た言葉。
「リリーフピッチャー!大野〜!投げろ〜!」
絶対受けると思ってメガホンで絶叫したんであるが、周りは反応なし。チョー恥ずかしかったので穴があったら入りたかったが、大人一人入り込めるほどの穴をポッカリ開けているほど日本の建築業者に落ち度はないんである。思わずメガホンで自ら穴を掘ろうかと思ってしまった。
9回広島ビハインドで2アウト。最終打席4番の代打に1番前田智のアナウンス。場内がどっと湧きに湧いた。あのイチローが尊敬する球道者の前田である。今日一番の盛り上がりのような気がする。全員立上がり声援を送る体勢に.....。
結果は残念。負けてしまった。せっかく3位をキープしてるのに、横浜に負けてもあまり悔しくない自分がいた。昔なら違ったろうに。
あれだけ飛ばした風船の残骸は全く見当たらない。おそらくファンがゴミとして持ち帰るようなファン同士の不文律があるに違いない。わずかに1,2個発見。「強者(つわもの)どもが夢のあと」みたいな。日曜朝の公園の草むらに落ちているものに似ていなくもないが...。オトコのあなたならワカリマスネ!?

このあとホテルに直行して寝るにはもったいなく、当然帰路の居酒屋の暖簾を独りでくぐったのは言うまでもない。どこもかしこもカープファンの赤いユニフォームないし、Tシャツの姿で埋まっていた。
「赤の他人」であると同時に「赤い他人」がいっぱい。
でも全然他人のような気がしなかった。自分も赤いKURIHARA.Tシャツだったしね(^^)
希う!栗原復活!とってもいいヤツなんである。
原爆と東日本大震災について語るKONG栗原ブログ↓↓↓
KONG栗健#5

更に追記。
携帯アドレス帳にある人に片っ端から球場の写メをBccで送信。90%の人から返信あり。
誰にもそれに返信してません。皆さんごめん送りっぱなしで。当時は酔っぱらっていたもんで(^^)
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2012年8月21日火曜日

広島、なう




詳細は明日以降なんである。程よく脳みそがビール浸けになっているんだからして。
広島から、なう。

故郷の訛り懐かし...

新横浜発8:29。諸々の所用があり明日新幹線で配偶者の実家広島へ。夜はマツダスタジアムで対横浜DeNA戦を観戦予定。
20代前半結婚したての頃、2回ほど原爆ドーム近くの旧広島市民球場へ足を運んだことがある。配偶者の実家からは車で1時間以上の距離であったけれど、めちゃくちゃ楽しかった記憶がある。球場で食べた名物カープうどんが絶品なんであった。

筆者在京の旧後楽園・東京ドーム・神宮球場・横浜スタジアムなどは、少ない回数ながら行っている。球場で飲むビールは何とも言えず最高の味わい。家や居酒屋で飲むビールとは全然違ううまさがあるのは何故なんだろうか!?ガチのプロ野球ファンに比べたら、球場へ行った経験は少ないので(10〜15回くらいだろうか)あまりエラそうなことは言えないのだけれど、あのマツダスタジアムには死ぬまでに絶対1度は行ってみたいと思っていたんである。その理由の80%はカープファンだからというものだけれど、他球場とは一線を画す、そのアメニティー空間を是非体験してみたいと思うのだった。

早速カープのHPからネットでチケットを購入。これがまた凄いことになっている。いろんな種類のシートがあるんである。バーベキューが出来るゾーンや、寝そべって観戦出来るエリアや、グランドレベルで選手と同じ目線で観れる砂かぶりシートやetc...。これらの話題は新築完成の時から知っていたけれど、この他にもいっぱい楽しそうな席が用意されちゃっているんであった。
※広島東洋カープHPより

目を付けたのは「一塁側スカイシート」
2階席のスタンドの一部がグランド方面へズームズムッとせり出しており、空中で観戦してるような浮遊感を楽しめるらしい。まあ、その感覚は大げさだとしても一も二もなくこのスカイシートを予約。ちょっとカープパフォーマンスというライトスタンドの最上階天空席で、見知らぬカープファンと共に名物スクワット応援をしたい欲求にかられたけれども、やはり内野の野球を睥睨出来るスカイシートを選んだ。
※広島東洋カープHPより

言っておくけれど、筆者は山形の産。啄木に言わせれば、
故郷の 訛り懐かし 停車場の 人ごみの中に そを聞きに行く 」
なので上野に行くべきなんであるが、明日は
「広島の カープ懐かし 球場の ファンの中に 広島弁を聞きに行く 」
のである。こんなにココロがわくわくするのは何年ぶりだろうか。
明日迷惑承知で何人かに携帯から写メしようと思う筆者なんであった(^^)/
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2012年8月20日月曜日

夏のスプリンクラー

少年の夏の日に見た「雲」の記憶はどんなだったろうか。
8月に入りその記憶を彷彿とさせる雲たちがモクモクと顔を見せ始めた。いかにも夏らしい入道雲、積乱雲である。じっと見てるその端からどんどんモクモク、ぐんぐんムクムク。実に気持ちのいい雲たちなんである。

快晴の夏の日、今日は東高津小学校ドームでの練習試合。
高津区教育委員会からの意向なのか、学校独自の規律なのか。新築小学校の校庭ではスパイク禁止なんである。両チームみんなアップシューズでの試合。更にグランドから砂ぼこりが舞うと近隣住民からクレームがくるという理由で、定期的にスプリンクラーを撒かなきゃいけないのだそうだ。この試合中も試合を一時中断してスプリンクラーを作動。しかも新築後1年間は休日野球その他をやらせてもらえなかったらしい。近隣住民から子どもらの野球の「音」が騒音として認識されたためだ。なんだかなあ〜なんである。近隣住民や子どもの親に平身低頭する今の学校教育機関の有り様を垣間見たような気がする。誤解を恐れず極論を言えば、モンスターペアレンツなどがのさばる温床を自ら作っていやしまいか。住民の気持ちも分るし、地方自治体の教育委員会の気持ちも理解出来ないわけではないけれど.....。
しかしながら新築の小学校での試合は実に気持ちのいいものだ。畳と女房と校庭は新しいほど良いのだ。(これもまた女性解放運動団体から横槍が入りそうな表現だが)

過去に何度も対戦した諏訪ウィングス。このチームはうちのInoueコーチが子どものころ所属していたところ。出身校もこの東高津小学校なんであった。昔は諏訪第一野球部と言ったそうな。今日はInoueさんのご両親が差し入れを持ってきたり、懐かしい同窓生が観にきたりと賑やかなベンチ裏であった。親父さんは途中から飲み友達からの誘いでドロン、孫の試合観戦を途中放棄してトンズラしたらしい。それもまた良いではないか(^^)

試合は相手チーム主力3人が連合で欠け、うちは暑さに弱い子が何人かいて先発からはずれてのプレイボール。結果は四死球・失策・長短打の乱打戦で19:8でフレンズの勝ち。うちは先発全員得点、珍しく三振は1個のみの大奮闘であった。小さい子も全員出した試合である。終盤代打・選手交代に伴う守備位置の変更が筆者の知らぬままに行われ、筆者スコアラーのミスもありスコアブックがぐちゃぐちゃになっちまったりして大慌て。それにしても去年までの諏訪ウィングスは主力を欠いたとはいえこんなんじゃなかったはずだ。試合後ウィングス監督から「今度はフルメンバーで有馬ドームへ乗り込みますんでよろしく!」とのことであった。
ベストプレイヤー賞はチームの柱として投打に奮闘したTakumiと、クリンナップの一角を担い4の2、打点4を叩き出した4年生のHiroにあげたい。

余談である。
筆者所用で21日火曜に広島へ。あの凄いマツダスタジアム(広島市民球場)のスカイシートで観戦の予定。相手は横浜DeNA。出来れば在京球団以外の中日か阪神が良かったのだけれど。ずっぽり楽しんできちゃうのである。またここで観戦記を書いてみようと思う。
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2012年8月19日日曜日

サランラップにモノ申す

以前、このブログでこんなことを書いたことがあった。
憎きもの
現代版「枕草子」
改めて「サランラップ」に対してもの申したい。「クレラップ」でも、聞いたことないようなメーカーのものでもいい。いわゆるラップについての一考察である。

まずあの「びにっ!」と切れる時の手に伝わる感触の違いはなんなんであろうか。王者サランラップは比較的「びにっ!」と小気味良く切れるんであるが、その他のラップでは「びにっ!」というより、時として「ぶにっ!」と、切れ味すこぶる悪し。左手に持った箱の金属製の刃と右手に持ったラップとの相互の力の入れ具合、あるいは左右互いのひねりの角度によって微妙に感触が変わるんである。0.何ミクロンの厚さの差が生む違いがあるに違いない。びにっ!とやった時の切れ味が明らかな王者と、王者以外とでは違うんである。
更に皿の上に食材や食べ残しなどを載せて冷蔵庫にて保存せんがために、右手でラップを引き出し、皿の上にかぶせ、皿の左横7,8センチあたりまで来たところで「びにっ!」または「ぶにっ!」と切る...。その後やおら右手で皿の右下までラップを巻込み、すかさず左手で皿の左下までラップを巻込み、皿の下面にピタリと吸い付くように密着させる....はずなのであるが、これが王者サランラップと言えども時として、さっぱりくっつかないことがある。ピタリと固着したのちにダメ押しに両手でラップの表面を四方八方からピンピンぱつぱつに張りつめさせてから、しかるのちに冷蔵庫に収納したいんである。高い金を支払って購入した以上、この程度のささやかな快感に浴させてもらっても良いではないか。ところが皿の下面にピタリと密着せず、ぺろんぺろんになってしまうことがあるんである。まるで「いくら密着させたくても今回は無駄だかんね!」とラップのヤツがへらへら筆者をあざ笑うかのようだ。悔しい思いをして泣く泣く冷蔵庫へぶち込んだ経験があるのは筆者だけではあるまい。特に女性主婦読者なら少なからず身に覚えがあるはずだ。

今日分ったんである。やっと理解出来ちゃったんである。その原因が。
着眼点はステンレス。ステンレス製のバットやボウルなどは「ピタピタ、ピンピン」のその期待をまず裏切らないのであった。
ではなぜ皿の場合ムラがあるのか?陶器と磁器の違い?というより「つるんっ」としているか「ざらんっ」としているかの違いなんではないだろうか。「つるんっ」としている平滑な食器にはまるで、神奈川と高知で遠距離恋愛している恋人同士が2年ぶりに逢うことが叶いひっしと抱擁するがごとくの密着感を楽しむことが出来る。反して「ざらんっ」としている凸凹(でこぼこ)な食器にはまるで、同棲しているカップルが倦怠期を迎え、互いに背中を向け合ってひとつのベッドで寝るような冷たい淋しさがある。

そんなこと、とっくの大昔から知っていたわよ、という主婦読者も大勢いらっしゃるであろう。でも浅学な男筆者はやっとこの歳になって長年の疑問を氷解出来たのであった。

最後に「甲子園高校野球余談」
浅田次郎の「沙高楼綺譚」か、または村上春樹の「東京奇譚集」みたいなタイトルだけれど。
筆者の敬愛する少年野球ブロガー、hiratakuwaさん。(右リンク上から2番目)
郷土熊本を愛してやまない氏は出身高校の済々黌高校の応援に、自身のブログでマイクロバスでの応援ツアーを呼びかけあっと言う間に30名以上を募り、今日一塁側アルプスで黄色一色の海の中に身を投じて応援に行ったのであった。筆者も今日はその試合をTV観戦。済々黌の雲行きが怪しくなるやいなや、いてもたってもいられず、今リアルタイムでアルプスにいるであろうhiratakuwaさんにショートメール。
「せいせいこうこうこう(済々黌高校)、頑張れ!アルプスの応援も頑張れ!」
試合後ほどなくして氏から返信あり。
残念ながら負けてしまいましたが、済々黌ナインは力を出したと思います。甲子園に来られて全ての人に感謝です!ありがとうございます!」
注目して頂きたいのはこの部分。「.....甲子園に来られて全ての人に感謝です!.....」
「全ての人に感謝」と言える彼のその心意気が素晴らしいのであった。
甲子園野球の感動の副産物として、その奥深い言葉に込められた思いがあるに違いない。そんな別の意味で感動した筆者なんである。
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