2014年2月4日火曜日

さよなら夏の日

一夜明けて私は自戒の念にさいなまれていた。

故人とはいえ、明解な承諾もないまま勢いで高橋さんの人物像をみんなに伝えたくて、数通の私的なメールをブログなんぞで公表してしまった自分を責めた。
けれどたぶん.....、たぶんだけれど、少年野球「晴耕雨読」Blogを愛読して下さった高橋さんなら大らかな笑顔で、天国から「全然いいですよ。むしろ本望です。私を気にすることなく、ガンガン書いちゃって下さい」と言っているようで....私の独りよがりだろうか。

今日は代々木で仕事の打合があり、電車内では高橋さんの大好きだった山下達郎一本でiPhoneで聴いて過ごそうと思った。

「夏もそろそろ過ぎようとしてますね。今度のオヤジバンドライブではタツローの「さよなら夏の日」を歌おうかと思ってます」
「私もあの楽曲、タツローの好きな曲ベスト3に入ります。ベスト1は自分的には「ターナーの機関車」だけどね。是非やって下さい。いつか機会があれば高橋さんのライブに行ってみたいですよ」

そんなメールのやり取りが胸に去来した。電車内ではiPhoneの設定をタツローのアルバムをエンドレスリピートに設定して目を閉じ電車の揺れに身をまかせた。

昨日のブログであえて触れないでおこうと思ったことがあった。
小学一年で母を亡くし、今度は自分に寄り添ってくれたその父を亡くして....。
たった12歳の兄と低学年の弟、二人取り残された兄弟のその子たちの心情と行く末を慮ると、涙でこれ以上書き連ねることは無理だと思い、あえて書かなかった、いや書けなかった。
どうしてあんないい子に、神はよりによって母を失っただけにあきたらず、今度は父までをも奪ってしまうのか....。不公平すぎやしなか。

仕事がらみで代々木で呑んで終電近い帰りの山手線の車中で、今日はタツローだけ聴いていこうと再びiPhoneを操作していたら、Queensの輿水監督からのメールに気づいた。引用させていだだく。

『こんばんは、輿水です。
「晴耕雨読」を見て、びっくりしました。
バーズ高橋さん、お亡くなりになられたんですね。
高橋さんとは直接話した事もないのですが、イチカのメールを豊島さんから頂いた時は、涙がでそうでした。
最後の三多摩大会前にヒマリが怪我をしてしまい、どうしようか?と思っていた矢先に、豊島さんからバーズ高橋さんのメールを転送してもらいました。
私達が考えている以上に選手達も、Queensの事を考えて必死になっているんだと、つくづく考えさせられました。
こんなチームなら多少の事では大丈夫だと思えたのも、あのメールのお陰です。いつか直接会ってお礼がてら話をしたかったのですが、残念でなりません。
心よりご冥福をお祈りいたします』
 鷺沼駅に降り立った私は途中コンビニに寄り、普段は安い煙草と発泡酒を買い求めるのだが、今日はなぜか最高級の煙草と最上級のビールを買って、自宅でささやかな弔い酒をしようと歩いていた。

深夜の寒い路傍を歩きながらヘッドフォンから流れてきたのは、はからずも「さよなら夏の日」だった。私の胸の中にいきなり高橋さんの姿が、すっくと立ち上がって来た。
心の中の彼に問いかけた。
「小さい子を残し、なんでいなくなっちまったんだよ高橋さん。ちくしょう、ふざけんなよ、馬鹿野郎!」
心の中の高橋さんは大きな体でにっこり微笑むだけで何も答えてくれなかった。

深夜帰宅後、ビールのプルトップを開けながらMacを起ち上げメールチェックすると、連盟事務局の西村さんからのメールがきていた。引用したい。

『少年野球に関わるようになって、今日より悲しい日は訪れないと思います。
「晴耕雨読」を読んで愕然となりました。

何故、あの高橋さんが亡くならなければならないですか。
普段あまり飲まない酒を、胃に流し込んでいます。

昨年まで、「連盟連絡メール」を高橋さんにも送っていました。
グランドで会った時は、必ず挨拶しあい、
短い言葉ですが、会話を楽しんでいました。

そんな高橋さんが、今年初めてメールくれました。
そして、それに返信しました。

高橋さんとの初めてで、そして最後のメール会話となってしまいました。

もう言葉が見つかりません。
あの大きな身体とそれ以上に広い心を持った高橋さんと、
高橋さんと話しがしたいです』

「あの大きな身体とそれ以上に広い心を持った高橋さんと、
高橋さんと話しがしたいです」

私も叶うならば一緒に酒を酌み交わし、話がしたい。

今、深夜AM3:00近く。筆を置こうとしていた矢先、こんな偶然てあるんだろうか。
今ヘッドフォンから聴こえてきたのは、

「さよなら夏の日」

(※しばらくのあいだ少年野球「晴耕雨読」Blogは休筆いたします)

1 件のコメント:

  1. ドラマのような悲しいことが現実に起きるのですね。息子や孫たちと年齢が近いこともあり、他人事ではなく、残されたお子さんたちのことを思うと胸が詰まる思いがいたします。

    折しも「明日ママ」がいろいろな論争を呼んでいます。今どきあのような施設はないと思いますが、もし施設で過ごすようになっても、今までどおりのチームで野球が続けられるように祈っています。

    皆様方のご尽力をどうかよろしくお願いいたします。

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