2016年7月11日月曜日

小説「月に雨降る」12

※小説「月に降る雨」とタイトルをつけたものの、ふと思い立ってこの題名で検索してみた。なんと同名の歌があった。THE BOOMの「月に降る雨」というのが。ネット小説にもあった。完敗である。いろいろ悩んだ末にここからは小説「月に雨降る」と改題したい。マイナーチェンジである。この差は実に大きいけど仕方がない。
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店が少し混み合ってきたころ恭子が龍一に訊いてきた。
「さっきの晴海のお店で神島さん、奥さんがいないって言ってたでしょ。初めて知りました。もし嫌じゃなかったら...」
「ああ、あれね。驚いた?」
「正直、はい」
「今の会社に入って数年経ったころ、俺、ちょっといろいろあってね、一時会社行かなくなったりとか。そのあと普通に結婚して普通に子どもができて、普通に年をとっていったのさ」
真壁は気を利かそうとしたのか、カウンターの端の別の客のほうへすっといなくなった。
「普通に結婚したんだけどただひとつ普通じゃなかったのは、奥様は...何だと思う恭子ちゃん」
「奥様は魔女だったのです、なんて」
「よく知ってるね、その若さで」
「もちろんリアルタイムじゃないし。昔のアメリカドラマなんかユーチューブでいくらでも観れるもん」
「だよなあ。実は俺もそうなんだけどさ。でね、本当のところは奥様はやっぱり魔女だったんだよ」
「えっ?」
「魔女って言うより魔人かな。または、鉄人別人奇人変人超人」
龍一はざっと話し始めた。
二十代後半ある女と出会い勢いで結婚した。昔から結婚は勢いでするものとの格言があるが、それを地でいくようなものだった。龍一はその数年前の経験の記憶を払拭しようとした不埒(ふらち)な動機もあった。結婚してしまえばあの記憶から逃げることができるかもしれない。そして結婚して一男一女をもうけた。普通の家庭だった。しかし子育てが一段落したころ妻が徐々におかしくなった。私の結婚はこれで良かったのかななどと言い出し、人の不幸を悲しむよりも自分の幸福だけを求めるような、人並みはずれた自己中心主義的な女になった。龍一が徹夜続きで仕事をし精神的に限界近くになった時も、妻として慰労の言葉もないどころかそれを全く察することもなく、クレジットでいくつものブランド品を買ったり、近所のサークルで知り合った男女の仲間と深夜まで飲んだくれたあげく、翌朝子どもが学校へ行く時間になっても起きずに昼まで寝たり、そのうち週の半分は飲み歩き金を湯水のように使うようになった。料理はちゃんとしていたのだが、おかずを4品も5品も大量に作っては自己満足していた。ある晩遅くに帰宅したとき、食卓に置かれたその山のような晩飯を前に龍一は言った。
「俺の安月給で申し訳ないと思うけど、家計に余裕はないんだし俺こんなに食べきれないし、残したらもったいないだろ。もう、いい加減にしろよ」妻は言った。
「あたしのすることにいちち口を出さないで」
「マジで言ってんのか。とんでもない自己中だな」
「ええ、すいませんねえ、どうせあたしは自己中よ。だってこの世で自分が一番可愛いもの。あたりまえじゃん。それがどうかした?」
思いもよらないほど急激に龍一の視界からこの女の姿が遠ざかっていった。龍一の瞳に映ったその姿は醜い怪物だった。その晩から拍車をかけるように毎晩のように飲んでは深夜に帰宅し、床に倒れ込んだまま着替えもせずに朝まで寝たりするようになった。テレビに映る政治家やお笑いタレントを見ては「こいつ大嫌い」とぶつぶつ文句を言い、反面こと自分のことは全く反省するそぶりもなかった。頭がおかしいわけではないことは龍一も理解はしていたが、やはり尋常ではないことも確かだった。医者に行くことを強要すれば「いちいちあたしにかまわないで」の一点張りで、ますます固い鎧を身にまとうようになった。愛想を振りまく才能には長(た)けており生まれつき外面(そとづら)だけは良いので、龍一以外の周囲の友人や付き合いのあるサークルの連中には全く気づかれなかった。異変を感じ取っていたのは龍一と小学生の子どもたちだけだった。
ある日残業がなく早めに帰宅すると、妻は家を出て行ったあとだった。漢字が読めるようになった息子が食卓を指差して言った。「これ何?」食卓には緑色に印刷された紙切れに判を押したものがひたりと置いてあった。龍一はあの日を一瞬思い出しまたかと思ったが、あの時のような喪失感は全くなかった。自分はともかく子どもまで捨てた女を追うつもりはなかった。むしろ清々しささえ覚えた。龍一はひとつため息をついてつぶやいた。
「俺にも非はあったかもしれないけどさ。とうとう父子家庭かよ」
息子に向き直って言った。
「これからおまえたちに辛い思いをさせることになるけど、ごめんな。すまない」
娘は少し離れたドアの陰から怯えた小動物のようにこちらをうかがっていた。息子が言った。
「お父さん。この『離婚届』は読めるけどさ、今言った『ふしかてい』って何?」

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