2017年1月31日火曜日

小説「月に雨降る」35

黒坂の長い話を聞き終えると龍一は言った。
「それで私の名前と会社の番号を知っていたんですね」
「そうです」
「でもなぜ、今頃になって」
「長年探偵事務所をやっていた新宿のビルが老朽化で取り壊しになりましてね、まとまった金も入る予定で。いい機会だから年も年だし思い切って廃業して、鎌倉へ引っ越すことにしたんです。古民家を借りてのんびりやろうかなと。ゆくゆくは一階を改装してカフェにしようかとも考えてます。それで先日事務所の資料を整理していると、キャビネットの奥から今回のファイルが見つかりまして。希伊さんのことを神島さんにお伝えしようか迷いました。あれから相当な年月が経ってますから、興味がなく電話口で断られると思ってたんですが、希伊さんのことを思うとささやかな情報ですがお役に立てればと思いまして」
黒坂は誠実な人柄なのだろう。一見取っつきにくい風体ではあったが、やはり人を外見で判断してはいけないのだった。
「役に立つどころかとても貴重なお話でした。希伊は当時金沢にいたんですね」
あのあとすぐに金沢へ発ったのだろうか。身寄りのない彼女はそのあと何をどうして生きてきたのだろうか。
「はい。ただし物的証拠はありません。管理所のおばさんの話と私の類推ですので。でも伊達にこの年までこの稼業をやっていたわけではありませんよ。おそらく九割方間違いないと思います。ただ、現在も金沢にいるかどうかは分かりません」
「ありがとうございます」
龍一は自分でも驚くほどに舌が滑らかに回り始めた。
「わたし実はお恥ずかしい話ですが...」
龍一は初対面の相手であるにもかかわらず、今までの希伊との関係性や消息を絶ってからの自分のこと、結婚し離婚し、二人の子の父親であること、にもかかわらず最近どうしても希伊のことが頭から離れなくなってしまったことなどを吐露した。希伊とのことは学生時代からの親友でバーの店主真壁にだけは話したのだったが、今の自分の抱えている思いを誰かに話すことによって、自分の心の立ち位置を確認したかったのかもしれない。
逆に今度は聞き手に回った黒坂はじっと龍一の話を黙って聞いた。
「そこまで一人の女性に思いを寄せることが出来る相手がいるなんて、実に素晴らしいことですね。希伊さんも可愛い子だった。もっとも私は女子高生の頃の彼女しか知りませんが」
柔和な笑みを浮かべた黒坂に龍一は訊いた。
「黒坂さんは独身なんですか」
生活臭さが全くない印象だったのである程度は予想していたことだったが。
「ええ」と言ってひと呼吸おいてから黒坂は言った。
「若い頃一度結婚しました。男の子もできました。子どもが小学3年生の時に少年野球の遠征試合の帰り、妻の運転する車が事故にあってね。妻に過失はなかったんですが。予定では私が車出しをするはずだったんですが、急な仕事で出かけてしまい、免許取りたての妻が車を運転することになって。知らせを聞いて病院に駆けつけた時は、冷たい霊安室で妻も子どもも白い布がかぶせてありました。自分を責めました。来る日も来る日も。周囲からはおまえのせいじゃない、自分を責めることはないとさんざん言われましたが、私は聞く耳を持ちませんでした。以来、もう結婚など絶対するものかと」
龍一は言葉を失った。
「幸せを手に入れたことを数値にすると仮に百としますね。でもその幸せを失った時は百の何倍もの悲しみが襲うことになるんです。幸せが大きければ大きいほどその不幸せの倍数は正比例して膨れあがっていく。二倍にも五倍にも十倍にも。百の幸せの陰では千の不幸が舌なめずりをしてこちらをうかがっているんです。薄くてもろい壁の裏でね。わかりますか」
「はい。わかるような気がします」
「でもね、神島さん。私のように悲しみを怖れて幸せを諦める必要はありません。私は弱い人間でした。人には誰でも幸せを求める権利があります。同時に人には誰でも幸せを求める努力をすべきだと思います。幸せの権利。それを自ら放棄することは、つまらない人生を選んだことになります」
心が熱くなった。つまらない人生。自分の人生に欠けていたものが何だったのかを改めて知らされた。結果を怖れず金沢へ行こうと決意した。ここ数週間のあいだ頭の片隅に思い描いていたことだったが、黒坂が背中を押してくれた。しかし金沢へ行くにはひとつ大きなハードルを越えなければいけないと龍一は思っている。自分に対してけじめをつけなければ行ってはいけないとまで考えていた。それは恭子とのことだった。

鎌倉で店をやる時は是非自分に声をかけて欲しい、お礼に何か出来ることがあれば個人的に協力したいと黒坂に伝え、二人は席を立った。

喫茶店を出るとすっかり暗くなった恵比寿の夜空に、ナイフで切り取ったような下弦の白い月が凛と浮かんでいた。遠い記憶の中の雨が降りそそぐ月が、龍一の胸の中で間近に迫ってきた。
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2017年1月30日月曜日

2017宮前区少年野球連盟大新年会

宮前区少年野球連盟総会、及び新年会なんである。新年会には宮前各チームから監督コーチなど愛すべき宮前の野球オヤジたちがわんさと詰めかけて、大いに盛り上がるんであった。連盟の公式ではないけれど公認ではある筆者広報担当としても参加し、毎年この模様を内外に報じるべく会場を彷徨するのも恒例となった。ここで言うところの「内」とは、野球に現(うつつ)を抜かして夜は飲み会で家にいない亭主、という誤った認識をまれに持っている奥様方のことである。ほとんどの奥様たちはダンナと一緒に子どもの野球を楽しんでいるのであるが、野球に関わる飲み会で夜遅くなると理解を示してくれない方も中にはおられるかもしれない。更に連盟とは距離を置いてただただグランドで野球を指導するだけのコーチにも理解を深めていただきたく、毎年愚直にこのブログを書いているんである。子どもたちが楽しく安全に野球ができるように、そして強いチームが育つように、それを総括的に支えるのが連盟であろうと思う。そしてその連盟を支えるのがここに集まった、或いは来れなかった大人も含めての宮前の男たちなんである。

さてお堅い話はここまで。写真紹介的文章少なめ的レシピで、強火で一気に勝負する中華料理のように、アップさせたい。
来賓からのご挨拶。漏れもあるけれど許されたし。
川崎市長福田さん。日本の政令指定都市の中で面積が一番小さいのが川崎、でもスポーツジムなどの施設利用者が一番多いのも川崎、というツカミの話から引きずり込まれ朗々と話すスピーチに皆聞き入る。宮前区長の野本さん。流行りの言い方をすれば「美人すぎる区長さん」というネットサイトがもしあれば確実に世界ランキング上位に名前が挙がることだろう。

県議会議員飯田さん。筆者と同郷の高校で高校野球児だった。今でもオトナ野球をやっている。
元横浜市長中田さん。近年は歯に衣着せぬコメンテーターとしてもTVなどで活躍。氏もまた青春時代は野球小僧だった。横浜青葉リトルシニアの一期生だったそうである。

川崎北リトルシニア。人数の激減により試合に出られない状況に陥ったとは驚きだった。フレンズからも何人もお世話になったシニア硬式チームであった。部員数名、それでも休部とせず黙々と活動はしているそうだ。監督はじめスタッフも全て一新し再起を誓っていた。
前出横浜青葉リトルシニアからも来賓挨拶。

さて各テーブルを巡回、彷徨、徘徊、遊撃しちゃう。


筆者のテーブルは筆者はもちろん他のメンバーもみな他のテーブルへ酒をつぎに行ったり談笑しに出張中で、偶然ながらもぬけの殻だった。筆者はフレンズではなく連盟枠で行ったのだったが、Queens席にはKurashigeコーチとYamaderaさんだけだったので、急遽Queens席に落ち着くことに。ヤングIshikuraさんがピースサインを送ってくれた。



会長Sohmaさんはちゃっかり川北の美人役員さんとツーショット。聞けばウルフ出身とのこと。どうりで気品漂うご婦人であった。
花フラTadaiさんもカメラ目線で。

それではお待ちかね、各チームが壇上で挨拶。見慣れた顔ぶれもあればスタッフ一新もあるし、強烈なキャラオヤジ登場の場面もあり、宮前は実に人材が豊富なんであった。
個々にコメントしていては筆者の体が持たないので、第一公園ドームでの開会式入場行進に倣(なら)い、写真で一挙掲載。全21チームである。筆者はQueensとフレンズ両方で登壇。Qの面々はみな掛け持ちである。兼業農家、二毛作で働いている。




ウルフの生き字引、その昔は歩くピッチングマシーンとの異名をとったGotohさんが役職を勇退の挨拶。昨年の全国大会3位の快挙の御礼に加えて、侍JAPAN、U-12で選出されたTaiyohくんが世界大会でも優勝の報告。彼から差し入れの日本酒。それを持つ会長。断っておくが会長が持っているのは一升瓶であって決してビール瓶ではない。

どんどん行っちゃうぞ。



最後に連盟スタッフ挨拶。知っている人は知っているが知らない人は知らない。連盟連絡網メールなどを見ると実に複雑な業務を日々平日もこなして支えているんである。OhtakeさんやNishimuraさんが都合で欠席だったのが残念。各チームの監督やコーチ、事務方なども然り。グランドだけではない平日に子らの野球を支えるため地道に努力しているんである。奥様方や子どもたちにもそのカケラでいいからそれをご理解してもらえたら、このブログも本望というもの。(途中TVの情熱大陸に見入ってしまって、結局今深夜の1時すぎだった)

司会はレッパのIshiiさん。ドラマ相棒か半沢直樹あたりの脇役に抜擢されそうな役者顔の風貌である。レッパといえばホームページ管理しているTakimotoさん。ひとしきりブログやHPの話題で花が咲く。更に松風スラッガーズのKikuchiさんから声をかけていただいた。ブログを書いていて良かったと思うことのひとつである。年賀状の息子の写真を当「晴耕雨読」から引っ張ってくれたのだそうだ。カメラ談義などして談笑。実に嬉しいことである。多くの宮前関係者が「晴耕雨読」を読んでもらっていることを知り改めて感謝。
連盟の事務方があってこその連盟なんである。それは会長などは痛いほどよく知っている。少年野球を支える組織を更に陰で支えるこの男たちがいるから成り立っているんであった。各チームの事務局オヤジ軍団に敬意を表したい。今年一年よろしくお願い致します。

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2017年1月26日木曜日

小説「月に雨降る」34

富山に車で来ていた黒坂は、滑川から国道8号線と併行している北陸道を走り金沢東インターで降りた。郷土資料館や図書館へ立ち寄り、市役所や東京の仕事仲間など何本か電話をかけた。希伊の実の父母、氷室家の墓所を調べるためだった。滋賀に住む旧知の友人にも訊いてみた。通称トミケン、冨沢健司郎という男だった。彼は黒坂の三歳下の後輩で以前金沢にある会社に勤務していたことがあり、転勤で実家のある滋賀へ戻ったのだった。彼の話によると金沢市営の野田山墓地には、いくつか無縁仏の墓もあるとのことだった。それだけでは深夜の山奥で一軒家の灯を探すようなもので心もとなかったが、黒坂はとにかく行ってみることにした。型落ちのボルボステーションワゴンに乗り込みキーを回した。
そこは歴史の重みを感じるかなり古い墓地だった。管理所に行き「氷室」姓の墓はあるかと訊ねた。人の良さそうな中年の女の管理人が案内してくれた。裏ぶれた卒塔婆(そとば)の先にあったのは立派な墓石ではなく、角のとれた四角い石が佇立(ちょりつ)していたのだった。微かに「氷室家」とかろうじて読めるものだった。親類縁者がなくいつの頃からか供養する者がいなくなったため無縁仏となったのだろう。確信はなかったがこれが希伊が赤ん坊の時に死に別れた両親のものに違いないと思った。手を合わせる黒坂の背後から管理人がにこにこ話しかけた。
「どうしてここが氷室さんのものだとすぐに分かったか言うとですね、ここ数ヶ月、毎月決まった日に、小柄できれいなお嬢さんがここへやって来て手を合わす姿を見ていたんねんて。気になって声を掛けたらこちらの娘さんだとのことやったがやね。その時に娘さんが言ったんねんて。『どうかこれはこのままにしておいて下さい。私は今お金がないですが、いつかきっとちゃんとしたお墓を建てますので』って。真っすぐな目をした人で、ここらの訛りはなく標準語を話しててんて。それで印象に残っていたんねんて。意志の強そうなそれでいて可愛らしい女性でしたよ」
黒坂が探偵事務所で初めて希伊と会った時の初見と同じ印象だった。間違いない、希伊だった。黒坂は帰京したら自由が丘の永山家を訊ねようと思った。どうして今希伊が金沢にいるのか、個人的な興味と職業的な探究心からだった。

東京へ戻った黒坂は、当時希伊から調査依頼された資料をキャビネットの奥から引っ張り出し、数年ぶりでもう一度熟読した。永山剛の名前でネット検索すると外食産業を中心に幅広く事業展開する大企業の社長だった。そのことはもちろん当時も調べて知ってはいたが、希伊から依頼された当時から更に企業規模は拡大していた。週明けに奥沢にある永山の家を訪問した。インターホンで探偵事務所の者だということを告げると、家政婦に案内されて中へ通された。平日だったせいか主人の永山剛はおらず妻の永山奈津子が応対した。怜悧な面立ちにどこか暗い陰のある女だった。調査は済んでいたが会って話すのは初めてだった。娘さんからその生い立ちの調査を依頼されたこと、全てはすでに報告済みであること、従って自分は全てを知っていることなどを率直かつ手短に告げた。そしてこの訪問は仕事ではなく飽くまで個人的なものだということもつけ加えた。そこまで話したところで奈津子がやっと口を開いた。
「そういうことですか」
どういうことだ。黒坂は瞬時に「そういうこと」のふたつの意味を考えた。話を聞き終わって理解したという意味合いと、もうひとつには暗いニュアンスが含まれているように思えた。奈津子の次のひと言でそれが後者を意味するものと分かった。
「で、おいくら欲しいの」
金持ちの家の秘密をネタに強請(ゆす)りに来たしがない探偵と彼女の目には映ったらしい。儲からない商売だが俺はそこまで落ちぶれてはいない。あるいは世の中は全て何でも金で解決出来るという魔法を信じているような表情だった。
「誤解しないでいただきたい。私はまだ人としての矜持(きょうじ)は持っているつもりです。生きていくためには金が必要です。しかも出来れば今よりももっと多くの金があればとても素敵なことだ。それは否定しません。しかしそのために、金を得る代わりにハートを売るつもりは全くありませんので」
奈津子はそれでも表情は変わらなかった。金沢で希伊の消息を掴んだことは伏せておこうと判断した。長年の探偵業で、こんな時の知り得た情報の出し入れには慣れていた。個人的に希伊に会わせて欲しいという本来の意図を改めて言ったが、奈津子の硬い表情は変わらなかった。二十歳のころ家を出て一度だけ顔を見せたがそれきりだ。消息は知らぬ。細部の事情まで知っていて要求するものがないのなら、もう帰ってくれと言われた。辞去しようと立ち上がった時に、奈津子が「あっ」と小さく声を漏らした。
「あなた、まるであの男みたいだわね」

以前希伊と同棲していた若い男がここへ押し掛けてきたと言った。その男の名前は分かるかと訊ねると、奈津子は別室へ行って一枚の名刺を持って来た。黒坂は職業柄本能的にそれを手帳に書き留めた。その名刺には『T&D神島龍一』と印刷されていたのだった。

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