2018年3月22日木曜日

鬼畜生

日中は仕事し、夜になればブログ書くわけだけれど、毎日なわけではないことは火を見るよりも明らかなんであることは、自明の理というものである。こーやってコトバの羅列で読者を煙に巻くのは少年野球「晴耕雨読」BLOGの悪癖であることは、自省の念に堪えないわけで。

どーしたことでしょう?普段のブログアクセス数は一日30〜50なんである。毎週月曜のアクセスが一番多く60を越えることもあるけれど、この中には検索ロボットのGoogleBotからのアクセスも含まれるので、一概に数字は信用出来ないのだった。みなさんがGoogleやYahoo!で検索した時に、世界中から何十万もの数のサイトがヒットするのはこの検索ロボットのおかげなんであった。全世界のWebサイトの全文をコピーしまくってサーバーに保管しているんである(らしい)。

そうだ、どーしたことでしょう?なんであった。
昨日のアクセス数を見たらこともあろうに120を超えていて、今日もそれに肉迫する勢いなんである。おそらく120越えは少年野球「晴耕雨読」始まって以来かもしれない。どーして急に伸びたのかは全く分からないけれど。なぜだろう?なぜかしら?
ピコ太郎を拡散させたジャスティン・ビーバーが、この「晴耕雨読」を世界中にPRしてくれたら筆者も左うちわで残りの人生を悠々自適に暮らせるのに。

さて映画の話なんである。
筆者は邦画よりも洋画を観ることのほうが圧倒的に多い。けれど、若い頃レンタルビデオ店で借りたVHSのビデオテープの邦画を、もう一度観たいと思うことがよくある。今はDVDやブルーレイになって蘇った名画がいくつもある。観たいけれど食わず嫌いで観てない映画もゴマンとある。
先日あるキッカケがあって思いあまってTSUTAYAディスカスで借りた映画がある。
「鬼畜」

鬼畜とは人間以下の鬼のようなものという意味。20代の頃観た。当時観た記憶では東京タワーの展望台で子どもを置き去りにするのは鬼母の岩下志麻だったと思ったけれど、今回観たらとんでもない、父役の緒形拳なんであった。エレベーターが閉まる寸前に置き去りにした女児と目線が合ってしまう父(緒形拳)。あの女児の目線を見ただけで一気に涙腺がゆるんでしまうのだった。映画「楢山節考」やイタリア白黒映画の名作「自転車泥棒」に通底する気がしたのだった。

これを観て更に「あの頃の」邦画を観たくなっちゃったわけで。
AmazonPrimeでは無料でいろんな映画が観れる。次に観たのは、
「復讐するは我にあり」

全国を股にかけた殺人犯を追った映画である。緒形拳の鬼気迫る迫真の演技。気合いがこもっていても気負いがあっては名優とは言えない。迫真の演技を力一杯食傷気味に演じる役者は多いけれど、迫真の演技を自然体でこなせる俳優はそう多くはない。緒形拳は筆者の中では昭和の名優のトップクラスの筆頭である。

AmazonPrimeで、もうひとつ行っちゃう。
「砂の器」

当時不治の病、感染すると思われていたハンセン病患者の話から、親と子の有り様まで、考えさせられる名画である。重厚長大、松本清張の社会派ドラマの枠を越えた人間ドラマの真骨頂。加藤剛演じる世界的ピアニストの名声の陰に隠された真実とはいかに。刑事役丹波哲郎の執拗な追い込み。加藤嘉の存在感はオンリーワン、誰にもまね出来ない空気感を身にまとっている。観終わって気づいた。これとストーリーが酷似している映画がある。「飢餓海峡」であった。筆者は水上勉の小説のほうを読んでから映画を観たクチであるが、これも昔の記憶である。更に言えば森村誠一「人間の証明」も似たようなシチュエーション。どれをとっても一度は観たい映画であるが、「砂の器」に比較しちゃうと「人間の証明」は全く色褪せてしまう。「キリスミ」と「キスミー」のクダリなどは砂の器をパクったのかと思えるほどだ。

上記3本の映画に共通するのは緒形拳が出演していることと、親と子をテーマにした内容であること。涙なくしては観れない名画であると思う。ある映画では、ラストシーンの刑事に訊かれた少年の反応には泣いちゃうこと必至。どれもこれも「日本映画史上決してはずせない名画」に名を連ねている作品である。
筆者は滅多に人に「あの本、この映画」を読んでみて、観てみてと強要するのは苦手なんである。趣味嗜好は人それぞれだから。筆者の愛する「ブレードランナー」はおそらく女性には全く人気がないだろうと思う。それでも良いから邦画でお薦めの映画は、と訊かれれば他にもあるけれど、まずはこの3本を列挙したいのであった。

今回の「晴耕雨読」は日々雑感、映画の話であった。
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