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2019年2月4日月曜日

北帰行、どこへ帰るのか

今日、日曜は図らずも義兄の葬儀で山形へ。仕事の関係で日帰りの強行軍。帰りの新幹線でブログアップと思いきや、中学同級のグループLINEに投稿しているうちに、チョー爆睡し初志貫徹ならず。今、帰宅してから書いている次第。

往路の福島までは車内は蒸し暑いくらいで全く雪がなかったけれど、福島米沢間では景色は一変、白と青の白銀世界。

昼食後山形駅前からタクシーに乗り込む。セレモニーホールの名を運転手に告げる。発車後ほどなくして70代と思しき運転手さんがおもむろに言った。
「お客さん、大変失礼ですけど、故人とはどのようなご関係で」
親族であることを告げた。聞けばその方は、義兄のゴルフ仲間だったのだそうだ。タクシーの仕事で葬儀には行けないとのこと。斎場に着くまでずっと義兄の思い出話を語ってくれたのだった。心筋梗塞の突然死だったので、義兄と同年代の運転手さんに降車間際に言った。
「運転手さんも、どうぞお体には気をつけて。お世話様でした、ありがとうございます」

たいそう立派な葬儀だった。詳細は省くけれど、昔義兄がいた会社社長が弔辞を読み上げる。その社長は実に筆者の中学の同窓生S君だった。(同級生ではない)驚きであった。

このところ筆者の周囲では友人知人の訃報が相次ぐ。中学同級生グループLINEではほぼ同時期に3名の訃報。往路の新幹線車中では、宮前少年野球連盟会長のご尊父が逝去、その訃報メールに接する。更に義兄の亡くなる二日前は義兄の実の兄が亡くなっている。義兄方の身内にとっては三日間で兄弟二人が鬼籍に入ったわけで、その衝撃度は想像を絶するものであろう。
とりもなおさず、それは、自分もそういう年代に突入したことを意味するのであった。

行きの新幹線ではそれと相前後してQueensSatoko母会長からLINE。女子選手募集チラシの画像が来た。筆者なりのアドバイスをリプライ。春季開幕ではQの募集チラシをどーぞご覧あれ、野球にちょっとでも興味のある少女諸君、ぜひQueensへ来ていただきたいとの思いを新たにするわけで。
.....
さてここからは一転し、いつもの「晴耕雨読」調で。
トンボ帰りとは言え、中学同級生LINEには内緒でサプライズを謀略、葬儀後、復路の車中の人となる前の僅かな時間に同級生の経営する洋菓子店へ寄ったんである。昔懐かしバタークリームケーキを目当てに。店主は昨年の同窓会幹事を務めた「じ君」である。中学生当時、名前がコージ君だったのであだ名が略して「じ君」なんである。イケメンでバスケットの花形選手だった。サッカー部で攻撃的ミッドフィールダーをやっていた筆者とは、女子にモテる男子の双璧であった。(ハイ、ごめんなさい、見栄を張ってしまいました)

雪道にタクシーを待たせて店内を覗くと、びっくりした彼のキョトン顔が見えた。その後破顔一笑、握手して旧交を温めたのだった。モデル級の美人妻がいるのは噂に聞いていたが、その奥さんに写真を撮ってもらった。モデル級どころかスーパーモデル級の可愛い奥様であった。

山形は思いのほか雪は多くなかったけれど、大通りから一本道を入るとまだまだ雪道の住宅街があった。雪の山形帰郷は何十年ぶりだろうか。

笹かまをツマミに復路の新幹線で缶ビールを、ぷしゅり、かしゃり。窓外ではモノトーンの雪景色が、私のココロの中をびゅんびゅん通り過ぎて行く。

ふと目覚めると福島郡山だった。駅名表示を見てニンマリ。
「こおりゃま」
「や」が微妙に小さい「ゃ」になっちゃっているではないか。
瞬時に思い浮かんだ。
「こおりゃまあ、どーしたことか、郡山」
ダジャレの宝庫、「晴耕雨読」ブログなんであった。

再び泥のように、或いはボロ雑巾のようにシートに沈み込み惰眠を貪る。
やっと渋谷まで帰った。駅前は日曜夜とあっていつもより静かで穏やかなシブヤだった。
10代、20代の頃、山形へ帰郷した時は「ああ、田舎へ帰って来た」という感慨があったものだが、今はむしろこの渋谷の夜景を見て「ああ、東京へ帰って来た」という思いになっちゃう。それだけ郷里で過ごした18年の時間よりも、こちらで生きてることの時間の蓄積が圧倒的に大きいからだろう。
でもまたいつか、「ただいま〜山形」と言って郷里へ帰りたい。
なぜならそこには「お帰り〜、山形へ」と、言ってくれる中学の友人たちがいるからだ。

明日からまた仕事の激務が待っている。この1週間、連休明けまでがピークで勝負どころなんである。
もう寝なきゃ。
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2016年4月19日火曜日

ありがとう がんばるけん

熊本の大震災。東北大震災のあの記憶が蘇る。津波がなく原発がからまなかったのが不幸中の幸いだったと思うけれど、「前震」から予想外の「本震」、そして今もなお震度5,6クラスの余震が続く状況はいったいどんな恐怖だろうか。毎日揺れるたびに身を固くする被災者の胸中を察しても、関東にいる私たちには想像だに出来ないであろう。

このブログを書き始めた頃、ここを通じて知り合った熊本の少年野球ブロガーがいる。根っからの九州人熊本野郎である。出張ついでに一度ウチに泊まりに来たこともあるアグレッシブな人である。Hiratakuwaさん。今では年に一度年賀状のやりとりをするだけであるけれど。その人に安否確認のLINEを送った。幸い家族ともども無事だった。会社の中がめちゃくちゃになった写真を送ってきた。
しかしその後「本震」のあと市内が停電になったとの報があり、再度の連絡は控えた。スマホの電源が確保出来ない状況を察してあえて、こちらから通信することは貴重な電池を消耗させるのでためらったのだった。

土曜はQueensの試合がありそのブログも書かねばと思いつつ、週明けから仕事が急に詰まってきて、ままならぬ日々を過ごして来た。それに加えて連日の震災報道に唖然としつつブログを書く時間も心の余裕もなくしばらく諦めることにした。

昨日ネットニュースやTV報道で知ったことがある。地面にパイプ椅子を並べて「カミ」「パン」「水」「SOS」などと発信したこと。すでに多くの人がご存知だろう。

それを知った地元中学生が学校の避難所にいる被災者のために、自主的にトイレ掃除やゴミ処理などを進んでやり、更に校庭にラインカーで「のみ水ください」などの文字を描いて支援活動した。これがSNSで拡散されて飲料などが多く届いたのだそうだ。
これに対してその返信が実に素晴らしい。
「のみ水ありがとう」「がんばるけん」
「頑張る県」になって欲しい。

昔から「今の若い子らは全く...」と年配者から言われるけれど、日本の子どもたちは捨てたものじゃない。なんだかTVを見ながら目頭が熱くなってしまった。

昨晩仕事を終えクライアントへメールしたのが深夜0時ちょうど。昨日このニュースを見ながらだった。寝ようかと思ったけれど、咄嗟に思い直しまた椅子に座り直した。
漫画家の提案に端を発して「くまモン」をモチーフにしたイラストで支援しようという輪が広がっているらしい。
物理的に制約のある今の自分に出来ること。募金などもそうだけれど、このブログで出来ることは何か。東日本大震災のことを思えば当然こうなった。
熊本県のHPからくまモンのイラストを拝借。著作権フリーではないが、震災時につき営利使用目的でなければ、特別に許諾するとあった。ただし熊本県のクレジットを付与することとある。

くまモンのバックの赤い日の丸。日本中がキミの背中を見守って支援しているから。
ほっぺの赤い丸とリンクさせた。
胸には赤いハート。日本中の思いがキミに届き元気になるように。
「KUMAMOTO+ハートマーク」
熊本+「心のチカラ」
東北の時と同じく「心のチカラ」が必要になる。
本当に必要なのはうわべだけの慰労の言葉ではなく、水や食料や物資であり、安心して寝るところであることは百も承知だ。
でも今の自分に出来ることは残念ながらこんな支援ブログやマークの制作しかない。
どうか頑張ってください、としか言えない自分がもどかしい。

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2013年11月3日日曜日

がんばれ東北「心のチカラ」

今日は南部リーグである。午前の試合は行けなかったけれど、対Aチームフォルコンズ戦はなんと11:1のコールドゲーム。ただスコアブックを検証するに、がんがん打ちまくったというわけでもなく、相手失策や暴投なども大いに得点にからんだようであったけれど。でもコールド勝ちというのは立派である。

午後から筆者も参戦。今度は対Bチーム野川レッドパワーズ戦である。6年の抜ける選手の面々はまだまだ「頼もしい」という面構えには至ってないが、それでも近年の成績からすれば来年が少し期待できる顔になってきた。

試合前にニコニコと挨拶に来てくださったのはレッパのYoshikawaさんだ。Queensの審判でもあるYさんのこの笑顔を見てると、ついこっちも笑顔になってしまう不思議なチカラを持っているんである。
訊けばレッパは24人、来季6年抜ければ18人という、ほぼうちと同じような人数構成である。宮前の最古豪のとんでもない歴史のあるチームも、子どもの人数には勝てないのだった。野球は「審判と天気」には勝てないと昔から言われているが、少年野球はチームの子どもの数もそれに近いものがあるわけで。
野球がずば抜けてうまい子が仮に10人に1人の割合でいるとしよう。10人しかいない小さなチームではうまい子は1人だけだが、90人もいるチームなら9人スタメン全員がずば抜けて野球のうまい子だけになるわけだ。もちろん仮の話ではあるけれど、統計学的確率論的な絶対値である。しかし人数の少ないチームでもなんとかして上を目指すところに面白みと難しさがある。大きな体で常勝無敵の北の湖は時に憎まれ役になり、小さな体でも巨体を土俵に沈める千代の富士を応援しちゃうのは、洋の東西を問わずどうやら人間の持っている性(さが)なのかもしれない。
偶然ではあるけれど、今このブログは第7戦楽天VS巨人をTV観戦しながら書いているんである。
何をか言わんや、である(^-^)

試合はこれまた圧勝の7:0のコールド勝ち。しかしやはりレッパはベストメンバーではなかったらしいけれど。それでも一日のダブルヘッダーでA,Bともにコールドゲームというのは、弱小フレンズにしては近年まれに見る快挙なんである。

この時季になると「6年お別れ会」の空気感が漂いはじめ、筆者は公私ともに忙しくなる。いろいろやんなくちゃ的仕事が山盛り大盛りてんこ盛りなのだ。そのひとつお別れ会用の6年3人の写真を撮った。ヒマしていた3人は選手の妹軍団にタジタジであった。
小さい子というのはグランドで緊迫した試合なんかどこ吹く風、試合そっちのけで砂場でぎゃんぎゃん遊ぶ姿は、古今東西どこでも見られる光景である。

オマケ編1。
フレンズOBで今中学2年のOnoがひとりで遊びに来た。
中学生になり野球ではなく吹奏楽部を選択して「華麗なる転身」をはかった。すっかり声変わりしていたが、無理矢理ノックを受けさせて、その返球フォームを見たら全く昔と変わらなかったのには笑った。けれど野球はやめたがいい笑顔をしていたぞ(^-^)
オマケ編2。
5年連合代表だったKasaharaさんから10/20の祝勝会の写真が当日送信されてきた。
いつかブログにと思って温存していたのだが、今日Ohmori母から話を聞いたら「この写真またブログに載るんじゃないの」と周りの母たちから言われたのだそうだ。早速アップしちゃうんであった(^-^)

+++++++++++++++++++++
さて、書きながら途中ブログタイトルはいかがなものかと思案していたのだが、東北楽天がつい先ほど優勝を決めた。9回表は書く手を止めて見入ってしまった。田中がブルペンで準備している映像をみて直感した、これは粋な監督采配などではなく田中が監督に直訴しての登板ではないのかと。同じように推測した野球ファンは決して少なくないはずだ。160球投げた翌日、セーフティーリードとは言えない場面での志願の登板。
この闘志と自信は東北の被災者の方々にどんなにか勇気を与えたろうか。
おめでとう!
9回に田中がマウンドに登った時、ブログタイトルが瞬時に決まった。
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2013年8月20日火曜日

真壁、部活やめるってよ。

県立山形南高等学校に入学した真壁は、一も二もなくサッカー部へ入部した。

小学生の時分から夕方になると、家から歩いて3分のこの高校へ当たり前のように通い、高校生が部活をやっている所へ行き、近所の友人とあちこち探検しては遊んだものだった。レスリング部のマットの下に空気を送り込んで巨大なテントを作り、もぐり込んだはいいが程なくしてしぼみ始めあわや窒息しそうになったり、水泳部のプールに行った時は遊び半分で高校生にプールに投げ込まれて、足が底に付かないことに気づき、半ズボンを着たまま溺れそうになったり、野球部の外野の球拾いを手伝ったり、サッカー部ではゴールキーパーを立たせてのシュート練習に、「おまえもやっていいぞ」とお兄さんに言われて嬉々としてボールを蹴ったはいいが、あまりのボールの重さに足首が折れたんじゃないかと思えるほど痛い経験をしたり....。少年真壁のお気に入りは、高校生と一緒にボールリフティングをやることだった。またゴールをはずれたシュートが隣りのテニスコートへ飛んで行けば友人と競ってサッカーボールを拾いに行き、それを高校生のところへ返しに行くと「おうっ、ありがとな」と言われるのがなんとも嬉しかった。

そんな真壁は中学をサッカー浸けで過ごし、受験は公立南高校一本、通称ナンコーに入ってサッカー部に入るのが当たり前だと思っていたし当たり前のように合格したのだけれど、南高が県内ベスト5に入る難関進学校だと知ったのは、入学したあとだった。

当時の運動部は全国どこでもそうだったと思うのだが、うさぎ跳びでグランドを何回も周回したり、どんなに炎天下でも何時間でも水を飲んではいけないのが部活の不文律だった。それでも不思議と誰も倒れたりはしなかった。水を飲んだら最後、自分が自分に負けるような気がして。

南高は公立男子校、文武両道、質実剛健の学校であった。サッカー部は野球部ほど厳しくはなかったものの、逃げ出したくなるくらいの毎日辛い練習があった。でもそれをどこかで楽しんでいる自分もいた。成長期男子の汗と革と保革油の渾然一体となった部室の強烈なあの匂いも今は懐かしい。

グランドはサッカーと野球部が共有で同時に部活をやっていた。野球部に背を向ける格好でゴールに向かって黙々とシュート練習していれば、背後から野球部の硬球ががんがん飛んできていた。野球部の連中から「行ったぞー!」と声がかかると、サッカー部は皆首をすくめて身を守る体勢になった。亀が甲羅に頭を引っ込めるように。或いはナメクジが塩をかけられた瞬間のように。逆にサッカーボールが野球部の内野に転がっていき、球を拾いに行く時は命がけだった。銃弾を避けて進む戦場カメラマンみたいに、あの硬い硬球がびんびん飛び交う中をかいくぐって、拾いに行くのだった。今となっては恐ろしい話だが、小学生が高校のグランドで部活に混じって遊んでいたり、現代では考えられないのどかな、かつ安全管理面では信じられない時代だった。

1年の夏、合宿で学食の2階に泊まり込むことになった。
この合宿話を書いたらまた長くなるので割愛。
その時期の前後だっただろうか、南高野球部が初の甲子園出場が決定したのだった。当時の真壁は野球に毛ほどの興味もないサッカー小憎だったけれど、さすがにこの一報には驚いた。甲子園出場がどれほど凄いことなのかを知るのはずっとあとの大人になってからだけれど。奇しくもその年、サッカー部は県大会決勝で敗れ、高校サッカー選手権全国大会への夢は破れたのだった。

当時山形県で甲子園に行くのは日大山形と相場が決まっていた。毎年夏の決まった日に町内盆踊り大会がある恒例行事のように、日大が甲子園に行くのが当たり前だった。公立校のひがみ根性もあって巷間まことしやかに囁かれた話。「日大山形は誰でも入れるとこだべよ」「野球部は毎日授業もしねえで、朝から晩までナイター設備もあって、一日中野球やってんだとよ」なるほど毎年強いわけだと得心。そんな不毛の時代だから公立の文武両道の学校が甲子園を決めたのは意味深いものがあったのだった。

思春期の真壁は勉強とサッカーは1年生まで。2年からはワルいことを覚えて甘美な退廃の奈落の底へ落ちてゆく、大袈裟に言えばだが。
顧問のKanemura先生に退部届けを出した。K先生は激怒し、やがて真壁の親友を通じて説得を試みるも結果は変わらず....。
(因に後年Jリーグが発足した際、かのK先生はモンテディオ山形の初代GMになった人物。更に偶然であるが、中学時代サッカー部の一個先輩であるNakaigawaさんが現在のGMに就任している)

あのとき、本当に、マジで、サッカーを続けていればよかったと、大人になってから何度も悔い入り思い返すことになった。半面、部活を脱線したからこそ得られた貴重な経験もいい想い出となっているのだけれど。

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2013年今日、夏の甲子園で山形県勢初の4強に入った日大山形。対明徳義塾戦は見応えのある試合だった。日大三、作新、明徳と全て歴代優勝校を撃破しての快進撃。周りからはまた「一勝して来いよ」と言われたそうだが、その悔しさをバネに目標の4強入りを果たした。どうせなら、史上初の東北勢同士の岩手との決勝戦が観てみたい。以前決勝で宮城東北高校が敗れて東北に初の優勝旗をもたらすことが出来なかった年を思い出す。その東北高校3年には有馬フレンズOBのMiyataがいたのだった。そして一年後輩にはダルビッシュがいた。
郷里に想いを馳せれば、若き日の確執はすでにない。山形と言えばほぼ初戦敗退、良くて2回戦進出であった。正直者で朴訥な県民性、悪く言えば優柔不断。華々しいスター選手もいなければマスコミが好きそうな爆発的な打力があるわけでもない。でも、やっぱり郷里の高校が甲子園で活躍する姿には目を細めてしまう。真壁が1年坊主のころ聞いた前言は白紙撤回、頑張れ日大山形。

継続は力なり。
勝っても負けても辛くても苦しくても、大好きな野球を最後まで続けた全国の野球小僧の高校生のキミ。
志半ばで挫折したオジサンは、真摯に頭(こうべ)を垂れてキミたちにエールを送りたい。
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2013年7月25日木曜日

長く熱い終わりの夏

庭先でおもちゃのバットを振り回しているだけで楽しかった、5歳の夏。

父といっしょにぴかぴかのグラブで初めてのキャッチボールは、2年の夏。

辛くて苦しくてもう野球なんて辞めたいと思った、3年の夏。

朝早くから夜遅くまで全力で応援してくれた母のことを思う、5年の夏。

勝っても負けても力いっぱい駆け抜けた少年野球の最後、6年の夏。

それからの5年間、いろんな夏を過ごしてきた。
怪我に泣き、厳しい練習に心が折れそうになり、打てずに悩んだこと。
一喜一憂、チームメイトと抱き合い泣いたり笑ったり、...そして恋もした。

最後の夏、高校3年の夏。
最終回やっと代走で出て3盗を決めたけれど、本塁は遠いまま夏が終わった子もいる。
主将と同じポジションでレギュラーにはなれなかったけれど、延長戦の熱戦にベンチから最後までナインに声をかけ続けた子もいる。
華々しく注目を集めながらも地方大会で敗れ、涙をのんだ子もいるだろう。
甲子園の夏はこれからだ。けれどその手前で彼らの長く熱い夏は終わった。

同時に、彼らのおかげで泣いたり怒ったり笑ったりさせてもらった、父・母たちの夏も終わってしまった。
しかし父・母にとっても甲子園への夢は失ったけれど、
ここまで大きく成長した彼らの記憶はちっとも色褪せず、
これから大人への階段を昇ってゆく希望はきっと光輝いているはずだ。

個人的に応援していた宮前出身の子がいる宮城、神奈川、東京などのチームが敗退し、ふと心に浮かんだ気持ちを文章に書いてみた。
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2012年8月12日日曜日

日本人が取り戻したもの

頑張ったじゃないか!ニッポン!
なでしこJapanも男子U23も、そして今日の女子バレーボールも。奇しくもU23と同じ対戦相手は韓国。20数年ぶりに韓国をストレート撃破してメダルに届いたのだから。どれもこれも共通して言えることは、金には届かなかったけれど、試合後のインタビューでは仲間のことに言及している点である。この3つの競技のみならず他の種目でも、今回のオリンピックで強く印象に残っていることなんである。口をそろえて異口同音で発する単語は.....
「仲間」「チーム」「みんな」....に感謝したい、更に「絆」「つながり」「連帯」云々。

毎大会似たような言葉を聞くけれど、今年は特に多いような気がする。角度を変えた見方をすれば、ニッポンはあの東日本大震災以降、半年過ぎあたりから「絆」という言葉が一人歩きして、マスコミで大安売り状態になったことに筆者はひそかに眉をひそめたクチなんであるが、しかし、今大会でそこかしこで耳にするそれには、確かな重みを感じている。軽はずみには使いたくない「絆」ではあるけれど、世界の狩猟民族に対してフィジカルで劣る農耕民族の小さい躯の日本が武器とするのは、チーム力、組織力、一体感、などのメンタル部分の中枢を司る、言い換えればその「絆」なんではなかろうか。あの震災以降日本人が失ったものは星の数より多いけれど、反して得たものはこれではないだろうか。彼ら彼女らの言葉を聞いていて、震災以前には日本人が忘れかけていたもの、震災後に日本人が取り戻したもの、それが彼らの言葉の中に脈々と息づいていると感じたのは、筆者の穿った思いなんであろうか.....。

久しぶりにマジメなことを書いてしまった。
ここからはいつもの調子で。
今五輪サッカー決勝戦がキックオフ。筆者はマニアックではないけれど心底サッカーが好きだ。だからメダルを逃したU23のあとも楽しみだったのがこれこれ、決勝戦なんである。ブラジルとメキシコ。ブラジルは理解出来る。U23のメキシコは全く知らなかった。対日本戦、こんなにいいチームだとは思わなかったぞ。開始たったの28秒でメキシコが電撃先制ゴーーーーーール!これは面白い展開が期待出来ちゃうんである。
どっちが勝てども決勝戦に相応しい、いいプレーが観たいぞい。
近頃のサッカー雑感。(サッカー好きじゃない方は読み飛ばして下さいまし)
その1=キーパーへの不用意なバックパスが多すぎるぞ。
その2=キーパーからディフェンス陣への不用意なパスが多すぎるぞ。
(日本はこれで負けた)
その3=縦のロングパスからカウンター狙いの一発勝負のサッカーも面白いけれど、鋭いワンツータッチのパス回しでエリア内に切り込み、ファーのゴール片隅ぎりぎりに、鋭く突き刺さるシュートで決めるサッカーのほうが好きな筆者なんである。

さて、なんだかんだで結局野球である。
先日のブログでInoueさんからの甲子園便りの写真を掲載。翌日の桐光戦も観たかったらしいのだが家族サービスでユニバーサルスタジオJAPANに行ったらしい。USBじゃない、あのUSJだ。

今日代々木で打合をしている時に懐かしい人からメールがあった。フレンズOBのMuroi母である。そのInoueさんの写真ブログに誘発されたわけではないそうだが、郷里福島「聖光学院」の応援で甲子園に来ているらしい。強豪日大三に勝ったとのこと。えっ、えっ〜?以外な展開。彼女はそんなに野球好きだったっけ!?
返ってきたメールは....
「野球の応援を通して、生まれ育った郷里と繋がる一体感がたまらない!」
更に、
「もし私が知っているフレンズの子が甲子園に行ったら、絶対応援に行く!」
とのことだった。

ここでも肉眼では目にすることは出来ないけれど、暗に「絆」の存在をふわりと感じたものであった。
サッカー決勝は、こうはさせん、挿入!
....ん?違った、後半戦突入!なんである(^^)/

2012年4月15日日曜日

野球マグネットボード仙台編

3月下旬、ブログをご覧になった方からメールをいただいた。
先日も書いたけれど仙台のスポーツ少年団のHondaさんである。スポ少のことは詳しくないけれど全国規模のしっかりした巨大な団体である。愛子(あやしと読む)スポーツ少年団の事務局長をやってらっしゃる方であった。
野球マグネットボード(略してBMB)のお問い合わせである。

毎年一年に一度くらいの割りでこのBMBのことを書いているのだけれど、先日書いた「富士見台ウルフ少年野球クラブ」のブログを見てメールされたとのこと。個人で購入するにはお高いと思うので、部費での購入をお奨めした。部員数×数百円集めるか、または連盟Nishimuraさんが言うように、オトナ飲み会でオヤジたちからちょっと多めに徴収するとかすればいいかもである。筆者、本当は定価を安く設定したいのであるが、一個一個手作りで時間も労力も相当消費するのである。ワンセット全部作り終え洗面所の鏡を見ると、そこには竜宮城から戻った腱鞘炎ぎみの脱力系浦島太郎がいるんである。減ったのはお腹と黒髪の数。増えたのはシワと白髪の数。たとえ定価でも大失敗したりしたら作り直し、材料原価を引いて時給換算するとマクドナルドの女子高生バイト程度以下だったりして。そんなわけでやむなく不本意ながら有償にて全世界に絶賛発売中なんである。

同じ少年少女野球に携わる同胞に喜んでもらえたら嬉しい。
子どもらが目を輝かせて楽しくいじって野球が好きになったらもっと嬉しい。
Hさんからは速攻メールが返ってきて購入しますとのこと。
仙台ということもあり、被災地支援のほんのささやかな気持ちから送料、etcを無料にして定価も割り引かせていただいた。もし将来岩手・宮城・福島から注文あれば同条件で請けさせていただこうと思う。

(※Hさんの了承のうえで写真掲載します。基本このブログ、いい表情の子どもの写真をたくさん載せたいと思う半面、個人情報、プライバシー権云々のはざまで逡巡しながら掲載しています。よって自主規制として写真とフルネームの組合せはNGとし、姓か名どちらかだけの表記としてます。写真中のボカシはそれに拠るものです。あしからず)

Hさんから送付していただいた、パワポに貼付けた写真をフォトショで切り取り加工。なんといっても東北の子どもたちの笑顔が実にいい。特にKiyoharaくんの表情が筆者のお気に入り。なんだか北国の雪解けの小川のせせらぎが聞こえてきそうだ。ココロの底がゆっくりほっくりしそうな。

それらをAdobeのイラレに配置。Excelでの名前データを開きイラレに取り込む。ロゴも随所に配置する。打順ボードと守備ボードにもロゴを貼付ける。ここまでのデータ制作でアタマのMac作業は終了。黒髪が37本くらい散っていった。

ここからはチカラ技での勝負。力技といってもフィルムを基材に貼り込む作業は神経を集中しないと失敗するんである。精神力と力の両方を必要とする。フリーザと魔人ブーを合体させちゃうのだ。カッターナイフでの打順プレートを切る作業はその最たるもの。日本カッターナイフ技能認定協会の一級カッターナイフ士の資格を持つ筆者でも至難の技なのだ。

更に守備ボードの丸いマグネット制作。ステッカー印刷したものを選手一人ひとりヒグチカッターで....いや、サークルカッターで切り抜く。熟練の錬金術の老練な手練手管で...さて「練」という漢字いくつ使ったでしょうか?ほんの練習問題です(^^)/

だいぶ前にウルフのBMB制作後、新たに素材を購入しに街を徘徊。ベースになるホワイトボード、もっといいのがあった。ひと回り大きめでガッチリしているし卓上に立てることも可能。原価はアップしちゃうけどまいっか。ウルフNishimuraさんゴメンナサイ。これがスッポリ入る厚手のキャリングケースも発見。チームロゴを貼って完成。ここまでで白髪が37本くらい増毛していた。

完成後仙台のHondaさんへ先週の土曜日に間に合うようにゆうパックで郵送。
大好評だったとのことでした。良かった。嬉しい。黒髪が2,3本増えたような気がした。今回は5,6年生のみ30人分を制作したけれど、今後下級生のぶんも依頼されたいとのこと。
実は今日日曜、もう一つ別のBMBを完成させて手渡したばかりなんである。次回は我れらが女子野球「宮前Queens」のBMBのブログを書く予定。
ん、しかし明日は村山杯か。ならば次次回になっちゃうかな。
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2012年4月12日木曜日

ちいさな建造物

「本業はナンデスカ?」と問われれば空間デザイン・設計業務なんである。
ご存知のように建築業界の構造不況が叫ばれて久しいのだけれど、この店舗内装業・インテリアデザイン業界もその例に漏れないんである。だから少年野球やこんなブログにウツツを抜かしてるヒマがあったら、営業に東奔西走し、靴底を減らして額に汗しなきゃいけないんでもある。
しかしながら、少年野球やブログ、その他の事どもは筆者にとって、砂漠で見つけたキンと冷えた一杯の水のようなもの。週が明ければまた砂漠を彷徨(さまよ)う元気が出るというものである。少年野球に携わるオトナの読者諸兄も似たようなものではないだろうか。

TeshimaDesignWorksの事業案内冊子プロフィールの業務内容ページ。
1.空間デザイン・設計業務一式
2.サイン計画・ディスプレイデザイン
3.ロゴタイプデザイン
商業空間のデザイン、パース制作、設計、設計監理だとか、トータルサインシステムの構築だとか、ショップ・企業のロゴデザイン、イラストレーション制作、キャラクターデザインだとか、とかとか....。とうきょうとっかとかきょく。

昨年の大震災を契機に私たち宮前区少年野球連盟で募金をつのり、宮城県名取市に野球用具を送らせていただいた。その際、安い材料で既製品の木製の箱を組合せながら募金箱を作ったんである。
宮前野球のメッカ第一公園ドームと第四公園スタジアムに設置していたけれど、安かろう悪かろうであった。まさに安普請。(※豆知識=普請(ふしん)とは建物のことをいう)風雨に耐えきれず古くなり使用に耐えなくなった。反省しきり。このところ謝ってばかりの私なんである。連盟事務局と話し合い新しく作ろうということになった。願ってもないリベンジである。

「本業はナンデスカ?」と問われれば空間デザイン・設計業務なんである。
あれっ、最初に書いたか(^^)
CAD(パソコンで図面を描くソフト。筆者はVectorWorksを使用)で図面を描くのはお茶のこさいさい、朝飯前のラジオ体操。ちいさな箱といえども視線を変えれば立派な建造物だ。ピラミッドやアンコールワットや法隆寺ほどの歴史と威厳はないけれど。昔の大工は自ら筆で図面を描き、建設に着手したんだそうだ。法隆寺の宮大工、西岡さんもそうだった。
だから筆者もこれでもかっ!と言わんばかりに渾身のチカラを込めて図面を引いてみたんである。(普通この程度のことで、こんなことしない)
この次は魂を込めて建立するのだ。
おこがましい言い方を許していただけるなら、被災地の方々に思いを込めて。
この建造物が完成した暁にはこのブログでまた紹介してみたい。
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2011年12月23日金曜日

子どもの笑顔は宇宙を救う

ちょっと大上段に構えすぎたタイトルではあります。
「子どもの笑顔は地球を救う」ではなく「子どもの笑顔は宇宙を救う」。

連盟記念誌の「Vol.5序章編」を書こうと思ったけれども、なぜかふと脱力。
仕事部屋の片隅にはTV。ニュース番組の時間帯。画面には3.11以降何度も目にした被災地の子どもをテーマにしたごく普通の取材VTRが流れていた。

その子の笑顔を見たとたんに私は...はからずも....どうしたことか.....目頭が熱くなり。記念誌の文章を書く気が失せてしまった。

今一度、私たちは忘れかけていやしまいか。
記憶の風化の入口に立っていやしまいか。
戦前、戦中、戦後....「戦後は終わった」という過去の有名な言葉があるけれど、
「震災後」はまだ終わってなんかいない。
私たちはとっくの昔に平穏無事な日常を手にしているけれど。

それでも子どもたちの笑顔を、消え失せていない瞳の輝きを見ると心が洗われる気がする。
「子どもの笑顔は宇宙を救う」と書いたけれど、
子どもの笑顔で本当に救われたのは私たち大人なのかもしれない。
Le* Sourire
こども夢花火-10年先の花を咲かそう
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2011年10月3日月曜日

「道」

EXILEの「道」と「ただ...逢いたくて」が私のEXILEのベスト2の曲である。
携帯の「着うたフル」にも入っている。「道」はその詩の内容とメロディーラインの融合が絶妙で何度聴いても飽きない。特に春が近づく頃には...。

今晩(10/2)のEXILEの震災復興特番は、宮城県の南三陸町でのライブの模様を中心に放映されていた。ご覧になった方も多くいることだろうけれど、3.11の夜、志津川中学校に避難しとじこめられた卒業生たちが、明日の卒業式で歌うはずだったEXILEの「道」を、恐怖のどん底であったであろう、ろうそく1本の真っ暗な闇の中で、誰からともなく歌い始め、やがて伝搬し最後はみんなでの合唱になったそうだ。
後日この新聞記事に目を留めたHIROが企画、この志津川中でのライブ実現となった。涙腺がただでさえ弱体化している私は、幾度かTシャツの裾で目頭を押さえるはめになる。

TVを観ながらふと、志津川中はどんなところにあるのだろうと思い立ち、Googleマップで検索。川崎から一気に宮城県南三陸町へと飛んだ。
..........................。

唖然とした。
Googleマップが最近新しくなったのは知っていたが、デスクトップに表示された東北のその小さな町の衛星画像は、震災後に撮影されたものに変わっていたのだ。
拡大すれば海岸べりの土地はまさに何も見る影もなく、影を投ずるのは積み上げられたガレキの山のもの。建物が何もない茶色の平地。すぐに他の太平洋海岸寄りの町へマウスを操作。どの町も同じだった。ガレキの処理がだいぶ進んでいるように見受けられるから本当に最近の画像なのであろう。マスコミ報道などではよく目にする衛星画像だけれど、こうしてGoogleで点と点が線でつながり海岸沿いに延々と続く同じ光景を見ると、TV報道とは別の圧倒的な現実感を伴って胸に迫って来る。大きな町も小さな漁村もおしなべて人家が消えてしまっていた。
GoogleMap

茶色い虚無のベタ塗りにわずかに白く見える幾筋もの線がある。
「道」である。
道だけはそのまま残っていた。
卒業をテーマにしたEXILEの「道」ではあるけれど、あらためて「震災」というキーワードで歌詞を振り返れば、偶然にもそこかしこに被災地へ光を投ずる「道」でもあったのは、私の思い入れによる穿った見方だろうか....。

『思い出が 時間を止めた』
今日の日を忘れるなと
見慣れた景色 二度と並べない
思い出の道
..........
道、君と歩いた今日まで
かすかに 動くくちびる
特別な時間をありがとう
「心」「勇気」「友」「笑顔」
嬉しすぎて
溢れ出した
涙が とまらない

ゆっくりと歩き出そう
この道 未来へと続く
............................
(※EXILE  Words:Shogo Kashida  Music:miwa furuse)
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2011年8月12日金曜日

ステッカーが作る「輪」

震災後うちの宮前少年野球21チームから募金をつのり、集まったお金で野球用具を購入、少し前、宮城県名取市少年野球育成会さんへ宮前連盟から用具を贈った際に作ったポスターである。ここの小ブログのURLは連盟副会長からの要請で入れたもの。ことの経緯がこの少年野球「晴耕雨読」を読めば伝わりやすいから、というのがその理由。恐縮、面映くもとても嬉しいことだ。
これに先んずること少し前。このデザインのステッカーを作った。今や公式戦では子どもたちのヘルメに貼られて、熱戦が繰り広げられている。これも小ブログのヘビーユーザーならご記憶であろう。
このステッカー、なかなかの人気なんである。
チームのお父さんたちも「俺も欲しいっす」と言ってくれる人が何人もいて。オヤジが欲しいものはお母さんも欲しいとは限らないのであるが、母たちも欲しいのではないだろうか。ある父はこれをお盆に郷里の高知へ持って帰り、地元の野球コーチに(お兄さんだったかな?)自慢して見せてやりますと言ってくれた。ありがたいことである。
小生も自分なりにアチコチ貼ったりしているのだけれど、先日ある女性がステッカーを半分に切って携帯に貼っているのを見せてもらった。
う〜むむむ...。脱帽。ウワテがいたものだ。貼る場所に困った時の正しい最終手段は、朝おもむろにオデコにぺたりと貼り込んで、そのまま通勤ラッシュに揉まれて出勤し、会社の女子社員から「カワイイ〜!」と嬌声を浴び、男子社員からは垂涎の的となり、.....とそこまで考えたけどやめた。ことの経緯ときっかけに記憶をたどれば不謹慎ですから。でも今だからちょっとだけこんなジョークも書けるようになったんだなあと、感慨深い。
ステッカーのサイズからして携帯に貼る発想がなかった。携帯には自チームの小さなステッカーが貼ってあるから尚更である。これ使用前の携帯写真。

負けじと一念発起、どか〜んと貼ってみた。
う〜むむむ...。悪くないね。自画自賛。
他のチームでの反応はどうなんだろう?ヘルメに貼るだけじゃなく、大人たちも欲しい人がいれば、チームごとに集計をとり、今度は連盟予算ではなく希望者には購入してもらえば、もっと輪が広がると思うのだけれど。大人一人5枚。1チームで10人の購入希望。×21チームでちょうど1,050枚だ。希望総数にもよるが、一枚単価は十数円でいけるはずだ。

貼ったあとフリップを開いてフト気がついたんである。
「この携帯画面の大きさとステッカーの大きさがほぼ同じじゃん!」
貼ってみた。バッチリである。素晴らしい。
...けど電話もメールも出来なくなっちゃった(^^)

※注...もちろんこれは写真合成の成せるワザです。そこまで筆者、能天気ではありませぬ。良い子のみんなはマネしないように(^^)
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