2015年2月19日木曜日

コトバ

普段、日常、毎日、常日頃、言葉に接する機会はもの凄く多いものである。
朝刊の中の文字、駅のアナウンス、隣りの乗客の話し声、iPhoneで聴いている音楽の歌詞、朝礼の挨拶、仕事の打合や会議、書類やメール文章、TVから流れるドラマのセリフやニュースのアナウンス、家族の会話、雑誌の中の記事、.......更に、自分の頭の中で、音声に出さなくとも心の中に浮かんでは消える言葉の数々。例えば今、このブログをここまで読みながら、読者諸兄は頭の中で「あんだよー、今回も野球ネタじゃなくて、難しそうな話だなあ」とか、或いは「おっ、今日はやっと更新してんじゃん、ナニナニ、今回は言葉の話か...」と思ったに違いないんである。電車の中のスマホかPCを起動したついでに。

でしょ?

そう考えれば人間は実に言葉に囲まれながら、あるいは言葉に励まされながら、時には言葉に翻弄されながら、或いは言葉に傷つけられながら、逆に言葉で人を傷つけていることに自分でも気づかずに、この日常を過ごしているのである。日常で言葉に接することなくいる状況は夢を見ていない時間帯の睡眠中くらいのものである。
休日に独り。新聞もTVもラジオも雑誌も見ず、何も考えず無言のまま頭をカラッポにしてボーっとして青空を見ている。そこに「言葉」は皆無だろうか?答えは「否」である。なぜなら心の中で「抜けるような青空だなあ。気持ちいいなあ」なんて無意識のうちに、自ら頭の中で言葉を発しているからだ。ボーッとしていつつも「抜けるような青空だなあ。気持ちいいなあ」という言葉に人間は接しているのだった。
このブログを書いていて途中からこの事実を発見した筆者は今、愕然としてしまったんである。この発見は少なくともSTAP細胞発見よりは信憑性があるはずだ。ノーベル言葉学賞受賞の期待は薄いけれど。

こんなふうに筆者は「言葉」が大好きなんであった。いちいち言葉が気になって仕方がなく愛しているんである。
昨年朝日新聞朝刊の『天声人語』に載っていた文章を一部引用させていただく。
本来こーゆー時は著作権法上出典の日付けなども明記すべきだが、忘れちゃったのでゴメンなさい。(写真に埋め込まれている日付け情報を見ると、2014年7月17日であった)また本来新聞記事の写真をブログなどに掲載するには、新聞社にお金を払って借用したのち載せなきゃいけないんであるけれど。
ブロガーの皆さん知ってました?

『.......父親と息子が車に乗っていて事故を起こし、大けがをして彼らは別々の病院に運ばれた。父と離ればなれになった息子が搬送された病院で、担当に出て来た医師がこう言った。
「これは私の息子です!」....』

ちょっとしたミステリー仕立ての話のようでもある。
みなさん解は分りますか?答えは簡単。その医師は息子の母親だったのだ。
「医師」イコール「男性」という思い込みが、簡単な話を複雑にしてしまう....という『天声人語』なんであった。

そこで思い当たることがあった。昔から書きたかったことである。

「女流作家」と言うが、男流作家とは言わない。
「女流カメラマン」と言うが、男流カメラマンとは言わない。
「女性議員」と言うが、男性議員とは言わない。
「女性ガードマン」と言うが、男性ガードマンとは言わない。
更には「女社長」「女教師」「女盗賊」...枚挙に暇(いとま)無し。

昔こういう言葉に対して男女平等同権を訴える女性グループ団体(?)が猛然と抗議したことがある。女性蔑視の言葉であると。
それは違う。
書くことを日頃のルーティンワークとしている筆者に反論の余地を与えて下さるならば、これは差別ではなく区別なんである。誤解を招かないための。
先の天声人語の「医師」が男性という思い込みを避けるためにも、「女医」という言葉をあえて使うわけで。
言葉って面白くも難しいのであった。
逆に言えば難しいからこそ面白いんである。

そこから派生しての話。
昔は「助教授」今は「准教授」
助教授を英語にすると「アシスタント・プロフェッサー」となるんだそうな。助教授は決して教授のアシスタントではないとの、憤懣やるかたなき風潮から確固たる地位を明示するために「准教授」となったんである。

「ある看護師Aが同僚の看護師Bと飲みに行った。深夜になり終電もなくなったのでAが「俺んちに泊まっていくか?」となり、二人はAの家に行って朝まで一緒に過ごした」
という文章で、つい二人は男同士という誤解を持ちつつ読んだ読者もいるだろう。B看護師は女性である。お持ち帰りしちゃったんであった。
昔は「看護婦」今は男も女も「看護師」
男女の別なく職業の貴餞(きせん)なく、男女平等の観点から生まれた言葉であろう。

100年後の将来、医学がめっちゃ進歩して、いつか男も子どもを産めるようになったら、(そんな未来は御免願いたいが)「妊婦」は「妊夫」となってしまうんではないか。
「主婦」に対して昨今「主夫」という言葉が市民権を得たように。

「言葉って面白いですね、それではサヨナラ、サヨナラ」(^-^)/
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2015年2月17日火曜日

犬派か猫派か?

一週間更新を怠ってしまったんである。仕事や飲み会関係もあり、別に怠けていたわけではないのだけれど、更新が出来なかった。
今日は日頃から思っている「男女にまつわる言葉のいち考察」的大学論文的な話について、でろんでろん書こうと画策していたのだが、その言葉の群れを頭で整理するうちに時間が過ぎていきもはやこんな時間、はやり今日の更新は諦めることにしちゃったわけで...。

ところがMacの灯を消す前に、ふとブログ用フォルダの中を見ていたらこんな写真が見つかった。
昔うちに同居していた黒猫の「ぴあの」なんである。
彼女の破天荒な冒険譚(たん)はかなり昔にここで書いた記憶がある。いや、冒険譚ではなく「奇跡の生還物語」と言うのが正しいか。(右のブログ検索で「ぴあの」と入力すれば、たぶん出てくるはず)
そのぴあのと、映画「魔女の宅急便」に登場する黒猫のキキのぬいぐるみとのツーショット写真。傑作とまではいかないまでも佳作ではあると自画自賛の画なんである。左の写真はまるで会話をしているようではないか。

「ぴあの」が5年前老衰で亡くなった今、ウチにはワンコの「りん」がいる。右の筆者プロフィール画像がそうだ。LINEでも使っている。
もし街頭インタビューで「あなたは犬派?猫派?」と訊かれたら、筆者は迷わずこう答える。
「犬猫派です」と。
「そこをなんとか、どちらか一方を選んで下さいよ」と問われれば、筆者は迷わずこう答える。
「では、あなたはご自分の二人の娘が川で溺れていた時、どちらを優先して助けようと考えたりできますか?」と。

今日はちょっとイイ話になっちゃった。
次回は「言葉」について、なんである(^-^)/

※余談
昔流行った究極の選択で有名なのは「綺麗だけど性格の悪い女と、ブスだけど性格の良い女のどっちを選ぶか?」というものがある。読者諸兄のオトコのあなたはどっち?

筆者さんざん迷った末にこう答えるだろう。
「可愛くて性格も良い女性はいないの?」
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2015年2月13日金曜日

僕の記憶の欠片

だいぶ前にチームの母たちと話していた時に、どえらいカルチャーショックを受けたことがあった。筆者が「昔、女子高生でルーズソックスって流行ったよねえ」と言ったら、「そうそう、私も履いてた」と。「えっ!!!」しばし絶句しちゃったんである。そんな世代が母となり子と一緒に少年野球に携わっていることに衝撃を受けたんである。筆者も歳をとったわけだ。チームに在籍する父母たちは昔も今も常に30代から40代が中心。我が子の小学生時代の記憶の通過点に過ぎない。普通の父母たちは子どもの卒業と共に消えてゆくけれど、しかし、ずっとチームに残ってその有り様を眺めてきた我々古参の時計は止まってくれない。チームに残っているOBコーチや、連盟の役員、事務局や審判部の方たちなら同じように感慨深いものがあろうと思う。

さて今日はそんなことではないんである。いつか書きたいと思っていた「記憶の欠片(かけら)」
概して女よりも男のほうが昔を懐かしむ傾向にある。別れた元恋人に未練を抱くのは圧倒的に女より男であることは周知のこと。女は現実を一番に大事にするけれど、男は時として昔の記憶に飛んで行き、しばらく恍惚としてしまう性癖があるんである。もちろん個人差はあるけれど。「昔を懐かしむ」ようになったらジジイになった証拠であると言われるけれど、筆者は20代のころからその傾向があるので一概には言えないと思う。

以前このブログでヒッチコック映画のDVD豪華セットをオトナ買いしたことは既に書いた。
それ以来なんだか無性に昔の、しかも子どもの頃観ていた海外TVドラマのことが頭をよぎるんである。今日の話は50代前半以降の年代にしか分らない話であろうか。少なくともルーズソックス世代には「ちんぷんかんぷん」なはずである。

小学生時代に田舎で観れたTVはNHK以外は2,3局しかなかった。白黒からカラーになる過渡期である。にもかかわらず、どういうわけかこんなに海外TVドラマシリーズを観ていたんである。時系列は全く考慮しないで列挙してみちゃう。タイトルも中には間違っているのもあるかもしれない。小学生の時にかすかに観た記憶があるもの、夢中になった番組の数々。Wikiに頼らずググってもせずにほとんど記憶だけで述懐。以下、中には間違いもあるかもしれない、あしからず。


「ちびっこギャング」
「逃げろや逃げろ」
「ブラボー火星人」
「それゆけスマート」
「奥様は魔女」
「ルーシーショー」(バラエティー)
「名犬ラッシー」
「ララミー牧場」
「バークレー牧場」
「スーパーマン」
「コンバット!」
「ラットパトロール」
「0011ナポレオンソロ」
「サンダーバード」
「謎の円盤UFO」
「キャプテンスカーレット」
「逃亡者」
「ベンケーシー」
「宇宙家族ロビンソン」
「宇宙大作戦」
「スパイ大作戦」
「モンティパイソン」
「タイムトンネル」
「ザ・モンキーズ」(バラエティー)

ネットで調べたら、YouTubeでいっぱい面白いのが見つかった。
まずはこれ。「謎の円盤UFO」
地球防衛軍シャドーのストレイカー長官がクールでカッコ良かったんである。ドアが上に開くガルウィングのクルマも当時は超未来的で驚いた。ムーンベース、スカイダイバー、インターセプターとかとか、特撮ものは今も昔も子どもの大好物なんである。ちょっとエッチでグラマラスな衣裳の女性隊員の姿は今も昔も男子の大好物なんである。

特撮といえばこれは金字塔である。今でもコアなファンがいる「サンダーバード」
僕はズングリムックリの巨大な2号が大好きであった。大人になったらあの秘密基地に就職しようと誓ったんである。長男スコットの1号やアランもいいがペネロープ(吹き替え=黒柳徹子)の乗るピンクのロールスロイス風機関銃装備のクルマも好きだった。

今でもモノマネが出来るナレーション。
「コー・スターリング(主演)、リック・ジェイスン、....エーンド、ビック・モロー」
「コンバット」
そのあとだったかやはり戦争もので「ラットパトロール」
どちらも白黒で見ているうちに口の中がじゃりじゃり砂っぽくなっていった。ドンパチのアクションも良いが深い人間ドラマでもあった。
ヘンリー少佐よりもサンダース軍曹のほうが圧倒的に主演であった。番組最初のナレーションの「...ビック・モロー」は僕には「ビッ、マロー」としか聞こえなかった。

特撮ならこれも。「宇宙家族ロビンソン」
スミス大佐(中尉?)の卑劣極まる言動行動を見ていて僕は生まれて初めて、大人のことを嫌悪する経験をしたんである。なんてヤツだと思った。卑怯で姑息なスミス大佐に腹が立って仕方がなかった。反してロボットのフライデーが大好きであった。家にこんな友だちみたいなロボットがいたらいいな、なんて。
「タイムトンネル」も面白かった。記憶は曖昧模糊・五里霧中だが、トンネルで過去に飛んでいった先が「トロイの木馬」の歴史的事件に遭遇したりとか、何しろ超スリリングSFドラマであった。

他にも盛りだくさん。今僕は一介のジジイからあの頃の小学生にタイムスリップしちゃうのだった。
「それ行けスマート」靴を脱ぐとレシーバーになるシーンは何度観ても笑えた。
「名犬ラッシー」犬も人間と会話が出来ると信じていた。ラッシーが愛おしくて仕方なかった。将来絶対コリー犬を飼いたいと思ったけれど、今家にいるのはミニチュアダックス。これはこれでめっちゃ可愛い(^-^)
「キャプテンスカーレット」....我々はミステロンだ。出た〜悪者軍団。「SIG〜!」
「奥様は魔女」若い人でも知っているだろう。ピコピコピンの唇の動きででなんでも動かしちゃう、可愛い魔女サマンサ。「....ただひとつ違っていたのは奥様は、魔女だったのです」のナレーションはあまりに有名。

「逃亡者」デビッド・ジャンセン主演。暗くて辛いドラマだがいつかきっと真犯人を見つけ出すことを子どもながら心から願っていた。早く片腕の男を見つけてくれ〜、と。
「0011ナポレオンソロ」スパイものの大人気シリーズ。ロバート・ボーンのソロと、デビッド・マッカラムのイリヤ・クリヤキンのコンビ。クールなイリヤが「ナポさん」と呼ぶ粋な大人の会話が好きだった。大人になったらアンクルに就職しようと思った。ブルドッグのような顔のアンクルのボス「タヌキオヤジ」も名優であった。

「バークレー牧場」...ララミー牧場のほうが有名だが僕はこれを観ていた。
「スパイ大作戦」言わずと知れた近年の映画「ミッションインポッシブル」の原型である。「....例によって君もしくは君の部下に....尚、このテープは自動的に消滅する」の大平徹のナレーション。電話ボックスを眉間にシワを寄せて出るジム・フェルプスことピーター・グレイブス。テープからは白い煙が...。のちに日本のHONDAのクルマのCMにも出てビックリ感動した。確かHONDA:Zという今で言う軽自動車だった。
以下はもう中学生以上になっていたかと思う。
「モンティパイソン」イギリス特有の過激で風刺の効いたお笑い番組。大人のブラックな笑いに初めて触れたような。確か深夜番組でモンティパイソンの合間に(?)日本のスタジオ収録番組が挿入されて、当時全く無名のタモリが「イグアナものマネ」とか「デタラメ広東語、FEN放送ものマネ」なんかをやっていたと思う。
「ザ・モンキーズ」てっきりイギリスのバンドかと思っていたが、アメリカのビートルズを目指して作った米国のバンドなんだそうな。彼らの名曲「デイドリーム・ビリーバー」は忌野清志郎がカバーしているが、僕にはモンキーズの印象が強い。

これらの記憶と共に名声優たちのナレーションや吹き替え、テーマソングなどが今でもありありと脳裏に蘇る。大平徹、納屋悟郎、広川太一郎、野沢那智、小林昭二......。
更にこの海外ドラマの他に、トムジェリやディズニーなどの海外アニメ、日本の特撮ウルトラQやウルトラマン、巨人の星や鉄腕アトム、おそ松くん、パーマン、タイガーマスクなどのアニメ、その他もろもろ、いっぱいありすぎてビッグ・モロー。明日も仕事でビックリ・トゥモロー。

そろそろ寝なきゃ。やっと過去の記憶の淵から現在へタイムトンネルで帰還した。気がつけばジジイになった僕なんであった。
今、玉手箱を開けちゃった浦島太郎みたいな気分の僕なんである。
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2015年2月8日日曜日

0.8と0.9→=1

今年もフレンズのミッションであるところの野球マグネットボードの更新なんである。かなりキズが目立ってきたけれどベースになるマグネットボードはそのままで、選手たちの守備と先発打順のプレートを新しいものに変えた。先発メンバーを決める際、打順だけ先に決めて、そののちおもむろに、守備位置を決める。この思索判断選択を別々に出来るのがこれの良いところ。それをもらってスコアラーがメンバー表の記入。一気に打順と名前背番号を書込み、そののちおもむろに、守備位置を記入する。監督もスコアラーも頭の整理をしながらシンプルに決めていけるし、間違いが少ないわけで。

弱点をしいて言えば、選手の背番号を暗記出来なくなっちゃったことだ。昔これがない時は自然とおおよそ子どもの名前と背番号は暗記していたんであるが、このマグネットシステムにしてからは、これを見て書けば良いので頼ってしまいがちになり、背番号はとんと覚えなくなってしまった。
それはまるでアレと同じ現象である。電話番号を昔は暗記したりしたものだが、携帯になってからは番号登録しちゃうし、かける時も名前を呼び出してすぐかけられるようになってからは、全く相手の番号は覚えなくなった。皆さんも経験ありますよね。家族やしょっちゅうかける相手でも番号を暗記している人はほとんどいないわけで。
ただ一人だけiPhoneの中のアドレス帳で唯一携帯番号を暗記している人がいる。
それは....自分の番号だけなんであった。

さて今年は「お遊び」でこのマグネットに二人の幼稚園児も加えたんである。
一人は6年Hiroの弟、今年年長さんになるHaru。親子そろってフレンズにどっぷり浸かったのでこのHaruも毎週グランドへ来ていた。将来はフレンズへ入るであろうことは間違いないと周囲の誰もが思っている。いや、Natsukiをフレンズに復帰させAyumuを継続してフレンズスコアラー統括本部長の椅子に座らせるためにもだ。
数ヶ月前Natsuki母が訊いたんだそうだ。「Haru、フレンズ入って野球やる?」彼いわく「オラ、まだ野球のコツ覚えてないから、まだいいや」
後日それを聞いた筆者は「Haru、フレンズ入ったら妖怪ウォッチのナンカを買ったげる」と彼に言ったら嬉しそうにコクンと頷きあっさり入部を約束してくれた。青田買い成功である。これほど安い契約金はない。サッカー方面に浮気しなきゃいいが。

もう一人の子は女子のSatsuki。今年やっと幼稚園年中さんである。フレンズ史上始まって以来Kamiya家以来のNakamura3兄弟全員フレンズに入っているんであるが、更にその妹である。ひとつのチームに兄弟2人は珍しくないが3人同時は稀ではないだろうか。この子はもしかしたら誰よりもピュアなフレンズファンなんである。すでに去年から嬉しそうにFマークの帽子をかぶって毎日幼稚園に通っており、今年の新年会で筆者がカメラを持ってうろうろしていたら、背後から「ねえ、写真撮って」と声をかけられ、振り返るとニッコリ笑顔のこのSatsukiがいた。若い女性に「写真撮って」と、言われたのは昨年のQueens、Himariたち6年に声を掛けられて以来なんである。若い子に逆ナンされたらオジサン悪い気分ではないが、若いにも程があるってもんだ。

この二人、背番号をどうするかで悩んだ。
31,32にしようか。または100番台にしちゃおうか。そうだ、まだ整数の1に1年,2年満たないから小数の0.9番と0.8番にしようっと(^-^)

このパソコン段階での原稿をフレンズLINEにアップしたら後日、Nakamura母からこんな写真がLINEに来た。手作りのTシャツなんである。可愛いやら楽しいやら微笑ましいやら嬉しいやら、なんだかほのぼのと幸せな気分になれたんであった。
あと数年後にはQueensの赤とブルーの素敵なユニフォームも着れたらいいね(^-^)
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2015年2月6日金曜日

リンク「繋がる」

数年前からこのブログに貼りたいリンクがあった。畏れ多くも宮前全21チームの相互リンクなんである。「相互」となるとお互いのHPにリンクを貼り合うことであるわけで、それには全チームの事務局なり監督さんなり代表なりに連絡しなければならない。筆者にはその術がない。いっそ連盟事務局の力を借りようかと思ったけれど、そこはそれ、このブログ、半官半民的な色を帯びているわけで。つまり連盟推奨ブログ&Queensブログではあるけれど、個人の徒然草的由無し事的バカ話も書いているブログでもあるわけであるからして、公的機関を利用して連絡したんでは各方面から白眼視されかねず、各方面へご迷惑をおかけするやもしれずなんである。善良で健全なる人々から恨みを買うことは筆者の、そしてこの「晴耕雨読」のポリシーに反するわけで。

その後、壮大かつ遠大かつ不遜な大言壮語は竜頭蛇尾に終わってしまうかと危惧したものの、ここにきていっそ相互リンクではなく一方的な勝手にリンクしちゃうという、自暴自棄的な活路を見出したのである。連絡もなしにリンクを貼ることは大人の流儀に反するかもしれないが、しかし各チームに百利あっても一害はないだろう、「百害あって一利無し」の逆であろうという判断から、沢田研二「勝手にしやがれ♪」的に勝手に貼っちゃうのだ。

連盟所属全チームの切磋琢磨は宮前少年野球全体の活性化に繋がるはずだし、それを微力ながら全チームのリンクを掲載することで、互いに繋がっていければと思うわけなんである。それ以外に他意はない。これは少年野球「晴耕雨読」BLOGのポリシーのひとつである。

左にリンクを貼った。「川崎市少年野球連盟学童部」も。
本来計画していたのは各チームごとにロゴマークとチーム名とリンクをセットにして個別にやりたかったけれど、スンゲエ長くなることに唖然とし、ロゴマークは一堂に会する一枚の画像に収めざるを得なかった。これをクリックすると連盟所属団体リンクページにすっ飛んで行く。

※ロゴマークは連盟20周年記念誌制作当時に入手したものである。更に各チームHPを徘徊し最新ロゴがあったと判断したチームはそれを採用。
※一部リンク切れのチームは連盟HPへすっ飛んで行くようにした。
※一部チームのロゴが入手出来てないところは「工事中」。入手次第差し替える所存なんである。
※ナニか障害がありリンク掲載は否、というチームは当ブログへ連絡いただきたし。
※当ブログ左サイドに掲載。

最後に。各チームHP当該担当者さんへお願い。
勝手にリンクとは言ったものの、出来れば、あわよくば、出会い頭的交通事故にあったと思って、貴チームのHPにも当少年野球「晴耕雨読」BLOGを相互リンクしていただければ幸いなんである。
既に「わんさいど・さんだーす2ndシーズン」さんと「富士見台ウルフ少年野球クラブ」さんと「南野川ブルーアローズ」さんは相互リンク完成しちゃっている。

宮前全体が「繋がる」ことを期待して。

おっと、もちろん宮前以外のチームや同業の少年野球ブロガーやその他ブログ、HP管理者の全国のみなさん。異業種交流、古今東西、老若男女、年齢性別は問いません。よろしければ相互リンクしませんか?

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2015年2月3日火曜日

今ふたたびの「さよなら夏の日」

ちょうど一年前の今日、書いたブログはこれだった。
「慟哭」

いきなりではあるけれど、今朝はある人から届いたメールでつい先ほどまで終日やりとりをした。
そのOさんご本人の承諾を得てほぼ全文を掲載したい。(文責:筆者)
かなりの長文掲載になります。
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テッシーさま
はじめまして。宮崎台バーズOBのOと申します
昨日2月2日は高橋さんの命日でしたので、バーズの仲間たちと故人を偲びました。晴耕雨読でのテッシーさんと高橋さんとのやりとりは、何度も何度も読み返えさせていただいており、楽しそうな高橋さんの笑顔が想い浮かび、読み返すたびに涙が出ます。本当に素敵なブログです。高橋さんの人柄がとてもよく伝わります。2人の息子たちも、元気に育っています。長男は宮中野球部、次男もバーズに入りました。
昨夜は、ブログで知った高橋さんの好きな山下達郎のさよなら夏の日をBGMに夜遅くまで高橋さんの思い出を語り合いました。

これからも晴耕雨読で少年野球の素晴らしさを伝えてください。
楽しみにしています。
突然のメール失礼いたしました。

宮崎台バーズOB O

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Oさん
テッシーことTです。メールありがとうございます。
昨日が命日でしたね。1年前の衝撃と悲しみが今、ありありと蘇ってきます。
故人を偲んでバーズさん仲間で集まったとのこと。
いかにも高橋さんのお人柄がこうしてOさんたちバーズさんの仲間を呼び寄せたようで、読んでいて胸が熱くなりました。

「晴耕雨読」ご愛読ありがとうございます。
あの中で描かれている高橋さんとのメールでの交流などは、一部にしか過ぎず、お父さんの人柄を伝えたくて、全メールのやりとりをプリントアウトしてお母さんと息子さんに届けようと思っていたのですが、亡くなってすぐでは子どもたちには酷だろうという思いと、恥ずかしながらうっかり失念してしまったこともあり、いまだに実現してません。

仕事中たまに達郎の「さよなら夏の日」を聴くのですが、必ず高橋さんのことが想い起こされます。
今日またこれをかけてみようと思い立ちました。

Oさん、メールありがとうございました。
OBになられたそうですが、これからも宮前少年野球をよろしくお願いします。

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Tさま

ご返信いただきありがとうごさいます。
高橋さんが亡くなったことは1年経った今でも信じらず、同じ色のワンボックスカーを見かけたり小学校や第一公園に行ったりすると黒いジャージにバース帽子をかぶり笑顔で手をふる高橋さんが目の前に現れそうな気がしてなりません。
彼とはなぜかウマが合い、会社帰りに飲んだり、自宅に家族を招いたりしてとても親しくさせていただいていました。ピアノや歌を披露してくれたりもしました。
亡くなる1か月くらい前に彼のバンドのコンサートに誘われたのですが都合がつかず行けなかったことが悔まれます。

……中略……。

私たち夫婦も少年野球に夢中で取り組みました。あれほど家族で濃密な時間を過ごせることってなかなかないですよね。本当に素晴らしい時間でした。少年野球は、かけがえのないものを子供にも大人にも与えてくれます。
本当に素晴らしいです。
高橋さんとはいつもこんな話をしていました。

………中略……。

葬儀のあと、高橋さんのお母さんから以下の
ようなお便りをいただきました。しっかりとしたおばあちゃんがいてくれて本当によかったと思います。

豊島さんともどこかでお会いできるとうれしいです。
晴耕雨読これからも楽しみにしています!
今後ともよろしくお願いします。

『筆者註。最後に高橋さんのお母さんからバーズさんへ宛てた手紙の文言が添えられていた。バーズ指導者、父母たちへの心のこもった感謝に満ちあふれる素晴らしい文章。しかしご本人に承諾なしにここに掲載するのは私の本意ではないので残念ながら省略させていただく』


+++++++++++++++++

Oさん
ご返信ありがとうございます。

私の涙腺は歳のせいだけではなく、昔からゆるいので困ってしまうことが多いのですが、
Oさんの文面や高橋さんお母さんの言葉を読んで、またどうしようもなく泣けてしまいました。

一周忌を迎えてブログを、と思ったのですが、いっそ、いかがでしょうか、今日のメールのやりとりを部分的に挿入させていただき掲載したいなと思うのですが。
高橋さんに言及している部分を抜粋し、文脈を損なわない程度に「中略」という形で他を割愛して。

ただ、お母さんの文章は勝手に公には出来ないかなと思いますので、こちらは割愛させていただき。

あのライブは本当に私も行きたかったです。今でも一緒に酒を呑むことが出来なかったことが、本当に残念でなりません。
Oさんのメールを読むと、改めて高橋さんの人柄が滲んできて、彼と仲良くされてきたバーズの皆さんに嫉妬すら覚える始末です。
おっと、決して私はそっち方面じゃあありませんよ。(^-^)

高橋さんとのメールのやりとりの公開は、やはり彼の了解を得て実現したものでした。
故人を偲ぶこともさることながら、高橋さんファンは他チームや連盟にも多くいたはずですから、その方たちにもブログで氏を想い起こしてもらえたらと、今回のメールも是非ご承諾いただけたら嬉しいのですが。
もちろん無理にとは申しませんので、ご一考下さい

追伸。書き忘れました。
「晴耕雨読」を過分に評価いただき大変光栄です。
大谷さんともいつかバーズとの試合とかでお会い出来たらいいですね。
よろしくお願い致します。

++++++++++++++++++++

Tさん

ありがとうございます。
私も昔から涙がもろく、息子がバーズで逆転のヒットを打ったことや、負けて悔し涙を流したシーンなどを思い浮かべるだけで、秒殺で涙が出てきます。はい、いまもすでにうるうるです。
Tさんとのメールのやりとりは何か暖かいものを感じとても心地がいいです。高橋さんもきっと同じ気持ちで豊島さんにメールをしていたんだろうな…。

私の拙い文章でよければ、ぜひ。
晴耕雨読に掲載いただけるとは、光栄です。

息子がバーズに入り、監督コーチに叱られてやめたいと泣きわめいたことがありました。夫婦で困り果てどうしようか思案しているとき、偶然新聞のコラムが目にとまりました。
このコラムには痺れました。
そして少年野球を続けようと誓った瞬間でした。
思い出してまた泣いてます。
高橋さんもすごく共感してくれました。Oさん、やっぱりこれですね、なんて言って2人でウルウルしたりして。
テッシーさんにもぜひ読んでいただきたいです。

ではでは。

『読売新聞 朝刊コラム【編集手帳】2009年03月25日 』

通勤の道すがら、中学生の男の子がいる家の前を通る。
ここ数日、ガラス戸に立てかけて野球のグラブが置いてある。中にボールを収め、指の部分をゴムひもで結んでいる◆遠い少年の昔、母親の靴下留めを借り、おろしたてのグラブに使いやすく型をなじませたことを懐かしく思い出した。その家の前を通るたび、何かに似ている…と感じつつ、真珠を抱く貝の姿だと気づいたのは、きのう、テレビ桟敷でのことである◆あれほど苦しみ、のたうつイチロー選手を知らない。第2回WBCの開幕以来、幾度も好機で凡退する姿には誰しも目を疑っただろう。その人が決勝の韓国戦で“ここぞ”の決定打を放ち、日本連覇の偉業を成し遂げる立役者の一人となった◆痛める貝にのみ真珠は宿る、といわれる。体内に入った異物を核にして、真珠は育つ。天才と呼ばれる人でさえ、過ちと悔いを核にして「痛み」のなかから成長することを、赤く潤んだイチロー選手の目に教えられた◆きょうもどこかの空の下で、「へたくそ」の声に傷つき、歯を食いしばって球拾いをする少年がいるだろう。あすの真珠たちに幸あれ。 

++++++++++++++++

Oさん
ご快諾いただき感謝します!
なんか「類は友を呼ぶ」んでしょうか。Oさんと高橋さんの文章文体がだぶって見えますね。
読売のコラム、途中までの文章で私は全然違う見方をしました。
イチローが出てくることは予想外で、むしろ親子の姿を想像しちゃって。
このへんは「晴耕雨読」にて...。

早ければ今晩にでも書きたいと思います。
ありがとうございます。

+++++++++++++++++

Tさん

類は友を呼ぶ、なんて、嬉しいです。うるうる…。
今朝初めてメールさせていただいたのに、夕方にはいつのまにか親しい友(勝手ながら)のようにやりとりさせていただいて、なんだか幸せです。これが高橋さんもハマったテッシーマジックかな…。

今夜は会社の飲み会。少し早めに切り上げて、いま帰り道。

「駅についたらサンクスで缶ビール2本買うよ。そして第一公園のベンチで、さよなら夏の日をかけよう。高橋さん、一杯付き合ってくれるよな」

++++++++++++++

Oさん
第一公園からはもう帰られましたか。
今晩は私も負けずに、会長からもらった「山崎」で。
もったいなので滅多にこれは飲まないのですがね(^-^)
今からブログ書きます。


+++++++++++++++

Tさん

はい、いま帰りました。
一塁側ベンチで、さよなら夏の日をかけながら寒空の下で、ビール飲みました。間違いなく高橋さんは僕の隣にいました。
今日はテッシーとこんな話しをしたんだよ、楽しかったぜ、3人は何だかつながってるぜ、なんて、話しました。

山崎もいいですね。
テッシーさま、
今度3人で飲みませんか。

***************************
Oさんとのメールはここまで。

ガラス戸に立てかけて野球のグラブが置いてある。中にボールを収め、指の部分をゴムひもで結んでいる。

痛める貝にのみ真珠は宿る、といわれる。体内に入った異物を核にして、真珠は育つ。


Oさんのメールにあった読売のコラムのくだりでは私はこんなことを想像した。
丸い小さなボールをグラブがまあるく優しく包んでいる絵を思い浮かべて。
ボールは子ども。グラブは母の胎内。父という素晴らしい「異物」を吸収し、母は大事に生み育てる。
「子は宝」という。
正に真珠であると思い至った......。

高橋さん。
天から大きな笑顔で見ている高橋さんならすでに知ってると思うけれど、あなたの遺して来た息子たちは今も元気に育っているようですよ。安心して下さい。

あらためてご冥福をお祈りします。


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2015年2月2日月曜日

いい塩梅だ

「塩梅(あんばい)」の語源は大抵の大人なら知っているかと思うのだけれど、そうなんである。塩梅とは梅を塩漬けにする際の塩加減の良し悪しを言うわけである。塩と梅酢の加減次第で良い梅が浸かることから「うん、いい塩梅だ」となったらしい。それが転じてものごとの計画や指示が的確なことも案配とか按配とか言うわけである。但し高校受験生諸君。厳密にはちょっと違うかもしれないので、高校入試にこの問題が出たら筆者のこのブログは忘れて臨んでほしい。

高校1年のころ多感な筆者は毎日サッカーの部活に明け暮れていた。夏の合宿にはOBのかなりのお年を召した名物おじさんOBがやってきた。氏は練習風景を見ながら「ん、やんばいだ」鋭いシュートを見て「ん、やんばいだ」華麗なドリブルをみて「んー!やんばいだ」と言っていた。多少山形訛りも手伝っていたのだが「やんばいだ」が実は「いい塩梅だ→いあんばいだ→いやんばいだ→やんばいだ」と変化した結果であることは当時の筆者でも理解出来た。
塩梅というのは実に大切なことで、ものごとの絶妙なバランスを保つことも「塩梅」と言い換えて差し支えないだろう。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。とかくこの世は住みにくい」
夏目漱石なら知っているが高校受験生ならややもすると知らない子もいるかもしれない。
住みにくいこの世の中を絶妙なバランスで生きてゆくことも「いい塩梅」と言えるのかも。その塩加減は学校の勉強では獲得出来ない、大人になって社会に揉まれて初めて学習出来ることなんだろう。

今日日曜は素晴らしい好天に恵まれて、フレンズの子らは午前中、冬の練習の定番、走り込みを横浜方面でやった。筆者の息子娘が現役だった頃も西有馬と有馬中学のブロックを何十周も走ったものだった。地味で苦しい練習ではあるが小学生とはいえこの足腰の鍛錬がないと長い1年間を戦うことが出来ないし、その副産物として粘りや精神的な強さをも養えることにもなるわけで。

筆者はお昼にどうしても蕎麦が食いたくなり、学校への途中そば屋へ寄った。食後外で一服していると近くの華やかな光景が目に入る。なにやら燃えるというより萌えるようなやたら白い風景であった。えっ、まさかもうこの時季に梅?
まだ2月1日である。しかし白梅がこれでもかと言わんばかりに凛とした冷たい空気の中で咲き誇っていたんである。

今日はフレンズロゴを胸にあしらったオリジナルパーカーが手に入る。オトコ物1着3,160円。母たちは紐をピンクに変えたのでほんの少し高く3,280円。良いではないか、なかなかのアイディアである。昨今革新的な印刷技術で衣服への高度なプリントが主流になりつつあるけれど、やはり手仕事の刺繍がしっくりきちゃうわけで。
それにしてもiPhoneで撮り、NIKONP100でも撮りもしたが、どうしてこうも色がバランバランなんであろうか。太陽光、室内の人工光、フラッシュの有無、光の加減などで色が全然違って来る。光の「塩梅」で写真の色は大きく違って来るわけで。左下はフレンズLINEにアップされた母マネKeiの写真。ロゴと紐のピンクがリンクしちゃって良い感じである。

このブログを書いていて想いだした。
2008年に宮前5年連合ルーキーズのTシャツを作った時に、当時のフレンズ主将Kenta母に頼まれて作ったオリジナルロゴ、「Rookies」
自分の作ったデザインが現物になった時が作者にとっては一番嬉しい瞬間である。
店舗設計業もそうだけれど、平面2D(二次元=x+y)のパソコンから飛び出してそれが肉眼で確認出来る3D(三次元x+y+z)のモノになった時が最高なんである。
フレンズロゴもルーキーズロゴも、チーム内のバランスも含めて「いい塩梅」で少しずつ前に進んでいると実感する今日このごろなんである。
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