2015年5月13日水曜日

笑顔の向こうの遠い記憶

昨日の村山杯優勝の軌跡のブログにひとつ掲載し損ねたものがある。データがPDFではこの「Blogger」サイトではダメなんである。よって拡張子をjpgに変換してやっと載せちゃうのである。連盟HP、WEB担当のNishimuraさんの仕事であるところのトーナメント表だ。毎週お疲れさま。みなさん是非連盟HPをご覧いただきたい。「HPを見てくれている人がいる」と認識出来ることで次回の仕事への意欲が湧いてくるのは、ブロガー同様WEB管理者とて同じなんである。
※画像は連盟HPから出典。

さて村山杯の直後はかなり時期遅れのグリーンカップ決勝であった。さっくり行こう。対戦はお隣チームの有馬子ども会野球部。
試合前にシートノックを担当したのは、28番Ohshiro、Ruiのオヤジだ。いや、オヤジと言っては失礼か、立派にベンチスタッフとして陰になり日向になり活躍しているんであった。
カメラで撮ったものをその日のうちにフレンズLINEにアップ。筆者がもし女ならこの男に口説かれたらほいほいどこにでもついて行ったかもしれないくらい、なかなかのイイ男なんである。するとどうだろう。奥様方から「カッコイイ」「素敵〜」「輝いてる〜」「マジっすか」「惚れてまうやろー」と、称賛の嵐、あげくの果てにOhshiro夫人のんちゃんからは「改めてダンナに惚れ直しました♡♡」とのコメントが...........
......あったかどうかは読者諸兄のご想像にお任せしたい。(^-^)

先発はエースRui。有馬子ども会はKobayashiくんだ。相手チームに女子がいるとすぐQueens広報部長の職責に目覚める私なんである。大声を出してセカンドを健気に守るはQのHonamiであった。アリコナインの声は決してFに負けていなかった。

試合内容は割愛したい。グリーンカップという準公式戦ということもあるけれど。スコアラーだったので写真もないし。結果は13:0、4回コールドであった。Fは1番から7番まで全て安打を記録、8,9番も得点をし勝利に貢献、全員で勝ちとった優勝であった。守りではわずかHashimotoくんの1安打に抑えた。準公式とはいえ今季連日の2冠達成なんであった。


試合後は練習だ。
思うにどのチームでも卒団したOBが中学高校、または大学に行っても尚、母体チームに気軽に遊びに来てくれるのは嬉しいものだ。OBが来てくれるチームに悪いチームは絶対ないと思う。
我々コーチが「おまえは入部したころは砂遊びばっかしてたのになあ」と言うのは、もはやOBを迎えたコーチの慣用句となっている。大人になった姿をみてそのギャップがまた楽しいものなのだ。
今日はすでにフレンズコーチとして毎週来てくれているShohtaに加えて、中学生のBenやHiro、更にOBのTakaとKazuの兄弟が来てくれた。かつては9年間3人の息子娘と共にチームに多大な貢献をしフレンズの屋台骨をしっかり支えてくれたYanagisaki夫妻の子どもたちである。現在兄貴は社会人、弟は大学生。かつては立花学園と宮城気仙沼東陵で高校野球をやってきた。
キャッチャー出身の代表に言われてキャッチャーだったKazuが、Fの現役キャッチャーYuiにアドバイスを送る。Takaはクールな表情で目を細めて現役選手たちを見守り、代表と歓談する。ふたりとも実に好青年になったものだ。

今、ふいに記憶が蘇った。

あれはTakaが3,4年生だった頃か。その日は厳冬の中冷たい雨で有馬小の体育館を借りてのサーキットトレーニングだった。途中少し遊びを取り入れた練習にしようと、子どもたちを2組に分けてのバスケットボールの紅白試合になった。当時私はまだバリバリに体が言うことを聞いてくれていたので、大人も参加することに。「わあ、Tコーチはこっちだあ〜!」私が片方のチームに入ると子どもたちから歓声が上がり、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)したものだ。その中でTakaが飛び跳ねながら屈託のない笑顔で両手を広げ私を迎えてくれた。子どもが卒業しフリーのコーチになって数年目だった頃だろうか。
子どもの笑顔に接したくらいで、いったい俺はどうしたものだろう。訳もなく妙に感動した覚えがある。とても些細なことだけれど少年野球のコーチになって良かったと思えた瞬間なんであった。あの笑顔はその後ますます少年野球に埋没するひとつの契機になったのかもしれない。
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2015年5月12日火曜日

優勝...積年の想い

村山実杯は川崎地区の少年野球46チームが参加する、27年の歴史を持つ実に大きな大会なんである。あの阪神タイガースの村山実氏の名を冠した、各区入り乱れての他流試合とも言える群雄割拠的ビッグタイトルなのだ。

ついに決勝まで登り詰めたフレンズ。筆者はスコアラーを務める。今年のフレンズの優勝を応援してくれていた故笠原さんのために、試合前テーブルに献花した。もし連盟、審判団からおとがめがあればベンチの地面に置くつもりであったが、最後まで何もなく無事一緒に試合に臨むことが出来たのだった。
本部席ではすでに準決勝で散ってしまったウルフが、同じようにチームとして献花をしていた。その昔は「ウルフの歩くピッチングマシン」の異名を取ったGotohさんのお顔も見えた。Gotohさんのバッティングピッチャーの勇姿を記憶している人も、宮前では少なくなったであろうか。

決勝戦ならではの試合前の選手挨拶。大舞台慣れしていないとはいえ、フレンズナインも少しは経験してきた。緊張で黙りこくって言葉をなくす子はもういない。それどころかなかなか立派な姿になってきたものだ。
対戦相手の南生田ウィングスの戦士たちもにこやかに声を張る。あの名門常勝富士見台ウルフを準決勝で撃破した強豪である。後援の宮前審判団はKosaka審判部長、Hayashi副部長始め豪華ラインナップ。


はい、そーなんである。試合中の写真はないんである。スコアラーなので。
なので文章で濃厚にいく。
初回FはShohgoが相手の度胆を抜くスリーベースヒットを放つが無得点。
反対にその裏先発FのRuiは緊張からか珍しく制球に苦しみ、ボールが先行四球と死球のランナーを3番Horieくんに返されて2失点。不安な立上がりとなった。子どもは緊張で調子が狂うことがあっても顔に出さないことがある。決して責めてはいけない。信じることだ。

Fは初回4四死球に続き2回裏にも2個の四球に相手W打線の猛爆が続き4失点。
早くも6:0の大差がつく。さすがにベンチや応援席にも暗雲が垂れ込める。しかし回はまだ浅い。今のフレンズなら諦めるには100万年早いってもんだ。諦めずこつこつ1点ずつ返せと、不機嫌な監督がぼそりナインに言う。

4回やっと1点を返し6:1となった次の5回のF軍の攻撃。
前回も書いたがこんな時に下位打線がやってくれた。7番Kyohが先頭でヒット出塁すると、8,9番が連続内野安打で無死満塁、相手失策に乗じてShohgo適時打、更に4番主砲Hajimeのセンターオーバー2点タイムリー、Kohkiのヒットなどで一挙7得点6:8と、とうとうゲームをひっくり返したんである。湧きに湧くフレンズ軍団。スコアラーのくせに冷静さを欠いて筆者の声も若干枯れぎみであった。

ところが全く同じパターンで巻き返してきた南生田W。下位打線の3人が安打で出塁しなんと2点奪取。8:8の同点、また試合を振り出しに戻してしまった。

しかーーーーし、なんであった。
6回表Fは一死後1番に打順が回る好打順。Ruiが脚で稼いだ内野安打と四球、それを主砲Hajimeの強烈な3塁打とKohkiの単打などで3点勝ち越し。8:11となったのだった。
点に火がつくと書いて点火と言う。
線に火がつくのは導火線。
打線に点火され導火線で火を繋ぎ、最後はダイナマイトが爆発し得点する。野球の得点方法の理想的パターンである。今のフレンズ打線はこれを具現化している。但し有頂天になるには1000万年早いってもんだ。
最終回Wに1点を返されたが、立ち上がり不調だったRuiは見事に蘇り抑えた。

9:11の大逆転、死闘の打撃戦を制した。

優勝...........。

この子らに最後の帽子投げをやらせてあげられて本当に良かった。
そして指導者は驕り高ぶらず、むしろ感動をくれた子どもたちに感謝しなければいけない。野球をやっているのは指導者ではなく子どもらなのだから。

現監督Satohが6年生だった黄金時代にこの村山杯で優勝。1994年のことである。実に21年ぶりの冠奪還なんである。また宮前公式大会優勝の二文字を最後に目にしたのは、2002年の連盟事務局Nishiharaさんの息子の時代に防犯大会での優勝。
私はフレンズに関わって約20年。フリーコーチになってからは16年。
2002年以来13年間この「公式大会優勝」を待ち続けたことになる。男は相手がどんなにイイ女でも待ち合わせに遅れてきて13年間待つことはない。忠犬ハチ公だって主人の帰りを13年待つことは不可能である。

十数年ぶりの「優勝」という言葉の心地よい響きに私の脳は痺れて、しばらくベンチに茫然と佇むのであった。

閉会式はなんとも気持ちよいままに粛々と進んで行く。各チーム、ノーサイドである。

各賞選手にRuiが選ばれた。大会通じて満場一致であろうと思う。サンダース(Queens)のAyaも受賞。蒼い空の上から笠原さんもニンマリしているはずだ。
幹事チームであるウルフの昨年父母のみなさん、お疲れさまでした。ありがとう。感謝。

持田県議と全員で記念撮影。

寡黙なくせに陽気な縁の下の力持ち的存在の28番Ohshiroコーチが、サプライズで男たちに呼びかけ、監督Satohを胴上げしちゃったんである。ちょっと重そうだった(^-^)
更にYanagisawa代表も。
優勝への思いは数年間子らをチームに預けて一緒に活動している親たちもそうだが、筆者のような長年渇望してきたコーチにはその優勝への思いの深さが違うのである。チームと共にどん底を這ってきた経験を持つ者にしかわからない感慨という重みがあるからだった。短編小説の厚みと百科事典の重みとの差があるのだ。
そんな筆者を遥かに凌ぐ重たい思いがあったであろう、代表なんである。創成期からチームを指導し見守り続けてきた人だ。Yanagisawa代表の前では青二才の筆者なんぞが歴史の感慨を語るのは1億年早いってもんだ、なんである。
代表の胸に去来するものはいったい何だったろうか....。

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2015年5月11日月曜日

冠まであともうひとつ

今日はすでに5/10日曜日。焦っているんである。とっても。既にここ数週間の怒濤の大会、試合のブログネタ、写真が山積しちゃって足の踏み場もないほどだ。しかし時間は待ってくれない。どんどん過去と現実のギャップが大きくなっていくのである。
しかもであった。今日帰宅して夜、クライアントからメールが届いた。連休明けから始まる仕事の依頼であった。滋賀県のアウトレットモールの、某スーパーブランドのテナント設計。参ったぞ。

というわけで取り急ぎ、5/3に行われた村山実杯の準決勝なんである。いっそ割愛して決勝戦へワープしちゃうかと思ったけれど、やはりどーにも外せないわけで。しかし、写真はいつものソフトを使わず簡易的な写真ソフトでさっくり行きたい。

この日は筆者にとっても或いは宮前連盟にとっても更にはQueens、いろんな関係者にとって特別。故笠原さんのために急遽筆者からチームLINEへ提案、ご遺族が密葬にしたのに出しゃばった真似をして良いものか逡巡したが、連盟会長Sohmaさんへお伺いを立ててのち決断した。「喪章を付けて試合に臨もう」と。監督が対戦他チームへの根回しをやり、母たちは時間のない中ユニフォームに喪章を縫い込むことを快諾、電光石火のネットワークで実現した。大人も全員喪章を。Kさんがけらけら笑いながら「やめてよ〜テッシー」なんて声が天から聞こえてきたが、かまうもんか。

対する相手はMatsui監督率いる強豪向丘サンダース。ここにはすでにQueensの柱となったAyaがいる。サンダースでも立派な主軸である。きりりとした横顔が眩しい。更にQueens繋がりでOBのIchikaと母、おばあちゃんも応援に駆けつけてくれた。

試合は初回四球で出塁のRuiを3,4番のタイムリーで返し3点先制する理想のパターン。
長距離ヒッターYuiが打席に立つとS軍ベンチは外野をバックさせる。これはすでにお馴染みになった光景だ。Fにとっては光栄なことである。Yuiはそのバックされた守備の更に後ろを目指して打て。
先発マウンドはまだあどけない可愛い顔したKyoh。これがのちに快挙を成し遂げる。

Fは3回に1点加点、途中Ayaがマウンドに登板するも、更にF打線は最終回5回にダメ押しの3点を奪取。反省点は下位打線からでも出塁しトップに繋げるように出来ないと、上部大会に行けば通用しない。時にそれが実現することもあるが、今回はダメだった。

特筆はあの強豪サンダース相手に非力ではあるけれど投手Kyohが四球2個ながらノーヒットノーランを達成したんである。今年のFは強力打線がとかく喧伝(けんでん)されがちだが、今日はキョウを褒めてやりたい。思わず抱きしめてチューしたくなったほどだ。
結果は7:0の5回コールド。

これで決勝進出が決定。
さてこの試合の前のもうひとつの準決勝はあのウルフ....。
富士見台ウルフと再三の決戦になるかと思ったのだが、番狂わせが起きた。
ウルフが負けたんである。あのウルフが。ビハインドで迎えた最終回、筆者は周囲に断言した。「絶対この回逆転勝利するよ、ウルフは」
しかしあにはからんや、なんであった。ウルフは今季初黒星。凄く残念なようなホッとしたような複雑な気分。

Wヘッダー頂上決戦はウルフではなく、これまた強豪南生田ウィングスとの闘いがこのあと待っていたんである。
その決勝ブログはまたいずれなんであった。
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2015年5月5日火曜日

大舞台のちいさな勇者たち

前回ブログをお読みでない読者諸賢は、ここを読む前に下の「激闘の空中戦」を読まれてからこちらを読むことをお勧めしたいと思う、黄金週間終盤を迎えた今日この頃、みなさまいかがお過ごしですか?毎年GWは半分くらいは仕事で野球に行けないのであるが、今年はうまく休むことが出来てる。しかし仕事は休みでも少年野球とブログには休みはないんであった。

閉会式なんである。今大会では宮前少年野球連盟からもSohma会長を始め大勢の方たちが応援に駆けつけていただいた。ヤングホークスのIshikuraさんの顔も発見。川崎の中でも宮前は、こーゆー熱いオトコたちが少年野球を支えていることに今更ながら思い至るわけであった。

優勝は富士見台ウルフ少年野球クラブ。
準優勝は我が有馬フレンズ。
リベンジを誓うこととは別に、素直に名将Ogasawara監督率いるウルフに敬意を表したい。常勝軍団には常勝するだけの理由があるはずだ。その王者を今までは地に這いつくばって見上げていたのが、今日は同じ雲の上で同列に並んでいる。ヤツらの勇姿を誇りに思う。

最優秀選手賞はウルフOgasawaraくん。5年生ながら今や押しも押されぬウルフのキーマンであり、O監督のお孫さんである。小さい低学年の頃からこのブログでも幾度か紹介してきた。フレンズの普段辛口のYanagisawa代表も絶賛するスーパー小学生である。
敢闘賞はフレンズから一名。決勝1試合に豪快なツーランを2本も放ったYui。オヤジはバスケのコーチとフレンズの事務局を兼任する180cm越えの体育会系、母はスーパーモデル級のスタイルを持つ。その恵まれた体格にミートセンスが加わりYuiは今年に入りますます進化している。ゲーム中自らタイムをかけてマウンドに行くメンタル的にもオトナな面も併せ持つキャッチャーだ。しかし県大会、関東大会レベルになれば彼ほどの打者はゴロゴロいくらでもいる。それを忘れず精進して欲しい。

母たちも手伝ってメダルの授与。ズシリと重い。

今更ながら気がついた。筆者もまだまだ日々勉強である。行進のシーンをさんざん撮ってきたのにこの俺、テイタラクめ。
行進のシーンをカメラを構えたホームベースに最大限近づいた時にシャッターを切るのは間違いなんである。その時は先頭選手たちは足元のラインを踏まないようにどうしても下を向くものだ。すると下の画のようになってしまうのである。なんだか下を向いて暗い画になっちゃうのだった。ホームから5m手前くらいに差し掛かったところで撮ることがベストなんであった。

記念撮影。まずはウルフから。統制が取れて相変わらずピシリとしているではないか。指導が行き届いているし、記念撮影慣れしていると言ってしまえばそれまでだが、相変わらず流石である。


対してフレンズ。こちらはこれでもまだ良くなったほうである。しかしこんなちょっとバランスの悪い個性豊かなナインが私は好きだ。

余談。
今年フレンズ歴9年目を迎えるAkane母。手作りのフェルトで応援ウチワを作った。チーム選手全員分である。こういうオトナたちが子どもらを支えていることにも言及して今日は終わりたい。
このあとの翌日日曜には「村山実杯」の準決・決勝があった。これも感動の試合となったわけだが、まだ書けないでいる。野球ネタが溜まっても現実のスケジュールは待ってはくれないんである。
明日はいよいよ防犯大会である。息つく暇もない怒濤の2015年5月なのだった。
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激闘の空中戦

あの日からまだ3日と経っていないのに、もう遠い過去のような気がするのは私だけだろうか。このところ怒濤の内容の濃い連休日程を過ごしているせいであろうか。
このブログは昨晩写真編集を終えて、今日5日午後のグリーンカップ決勝戦までのあいだ、珍しく日中に書いているんである。ちょっと調子が狂うかもしれない。

5月2日高円宮賜杯川崎大会なんであった。午前に互いにとんでもない試合内容の準決勝を勝ち上がってきたのは、有馬フレンズと富士見台ウルフ。奇しくも決勝は宮前対決となった。連盟的には来年度はここへ宮前から4チームの参加枠を確保出来たことで良かったことに違いない。しかし、フレンズ的にはそれよりも「因縁の対決」なんである。昨年の新人戦決勝では苦杯を舐めさせられ準優勝。今年の宮前春季大会決勝でもウルフの力量に圧倒されて準優勝に甘んじた。そして互いに川崎を勝ち上がりこうしてまた決勝で相まみえることになったのを、「因縁の」と呼ばずしてなんと言うのだろうか。

準決勝でエースを使ったフレンズは決勝では2番手Kyohが登板。Ruiほどの力強さはないものの、制球力が売りの、チームにとっては大事な存在だ。対するウルフ先発投手はShimadaくん。筆者の見方ではあるが、ウルフの投手陣はどれをとってもさほど力の差はなく、誤解を恐れず極端に言えば誰を先発に起用しても良いくらいの優良粒ぞろいなんである。
プレーボール!

1回表W先頭打者Ogasawaraくんが真骨頂を発揮。いきなりの好球必打でレフトオーバーの二塁打で出塁、3番Shirotaniくんのライト前タイムリーで早くも先制する。
しかしその裏FはShohgoも負けじと左中間を破る二塁打を放つと、どかりと打席に立った4番Hajimeが、なんと特大の5万の大観衆が待つレフトスタンドへ突き刺さるツーランホームランで一挙逆転。これが今日の空中戦乱打戦の始まりになろうとは誰が想像しただろうか。

2回にはWは無安打ながらFの失策四球がらみでまたしても逆転し3:2。更に3回にもShirotaniくんが単打で出塁するとWP三盗などでまた1点加点、4:2となる。ミスによる失点が続きFに少し暗雲がたれ込めるのだったが、その裏.....。

ところで大師球場には休日となると自転車で観戦にやってくる近所のオジサンが名物だ。目を細めながら少年たちの熱戦をのんびり観戦するのは、筆者も本当の「晴耕雨読」的生活になったなら、やってみたいことのひとつではある。今日もたくさんの観戦者がいた。中にはネットから首を突っ込みグランドへ身を乗り出して観ている者、更にこともあろうに4人で徒党を組んで外野芝生を闊歩しちゃう輩まで出没しているんであった。
ほれ、これが証拠写真(^-^)

閑話休題。そんなオッサンたちをライトスタンドから見ていた筆者付近へ砲弾が飛んできたのだった。
....暗雲がたれ込めるのだったが、3回その裏.....。なんであった。
その裏3回Fの攻撃。Shohgo出塁のあとの3番眠れる獅子、アジアの大砲Ruiのバットにようやく火がついた。2B2Sからの6球目を強振した打球は高々と宙を舞い上がりライトスタンドへ着弾したのである。歓喜に沸くF軍ベンチ&ギャラリー応援席。
これで起死回生の4:4の同点だ。更に堅守速攻ウルフにしては珍しくエラーが続き、Taichiの安打などで2点を加えて、この回一挙4得点、計4:6とまた再逆転に成功したのだった。

ところがまたしてもWが....。猛打爆発なんである。すかさず下位打線Kimura、Saitoh両打者が連続安打で出塁、トップに返りまたしてもOgasawaraくんがタイムリー二塁打で1点を返すと、クリーンナップに回り一挙5得点でまた逆転。こちらが4点取れば5点を取ってくる、野球の王道を行くウルフなんであった。
4回裏にはエンジンに火がついたYuiとHajimeで1点を返し、ここで計9:7でウルフ。

5回FのマウンドはYuiに託されたが、Wは2番Wadaくんの適時打で更に2点追加、確実にFを引き離しにかかってきた。6回にも狼の牙はいよいよ鋭さを増し1点、12得点とする。

もはやフレンズもここまでか....と思ったのは例年のことである。
6裏にYuiに打席が回ってきて、またしてもやったのである。主将Ruiがこの日初安打で出塁、しかしすでにツーアウト。F関係者なら心の中で祈ったはずだ「ここでもう一本」なんて。そんなに世の中うまくいくはずはないことはオトナなら分っているけれど。だけどごくまれにではあるけれど、世の中うまく行く時だってあるんである。
Yuiがまたしてもセンターフェンスオーバーの1試合2本目のツーランホームラン。点差のことは忘れて感動の一撃であった。
こんな試合展開になろうとは思ってもみなかった。

12:9の3点差なら最終回まだまだ諦めるには早いぞと奮起したのだが、7回Wは可愛い顔した狼の牙が心臓深くまでずぶりと突き刺さるダメ押しの2点を加えた。
死闘激闘の末、Fに3本のツーランホームランが飛び出したのに、超乱打戦を制し川崎大会優勝カップを手にしたのはまたしてもウルフであった。試合後負けず嫌いの若き監督Satohの目が赤くなっていたことに気づいたが、筆者は声を掛けることを躊躇った。準優勝という嬉しさはかなりあとからやって来るもので、負けた直後は猛烈な悔しさがそれを遥かに凌駕して余りあるものだ。

しかし、フレンズナインは最後まで諦めずによくやった。この経験が絶対次に繋がることを筆者はココロに深く確信した試合であった。大舞台に不慣れな子たちが一戦一戦成長してゆく様を見届けることは、コーチとしての責務であると同時に、最高の喜びでもある。
明日はまた宮前で村山実杯の準決勝、決勝がある。再度絶対リベンジを誓ったのは監督だけではなくフレンズ関係者なら誰しも思ったに違いない。

※午後の試合が迫ってきた。閉会式表彰の模様を伝えるにはもう時間がない。
これからバイクにまたがりグリーンカップ決勝会場有馬ドームへ向かう筆者なんである。村山杯でのブログはまたいずれここで。
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2015年5月2日土曜日

ふたつの気迫の接戦

今夜はどこまで書けるかわからないんである。連日のような朝5時起きで、今日は高松宮賜杯川崎予選大会、準決勝、決勝のダブルヘッダーなんであった。眠くて志半ばにして倒れるかもなんである。明日も早い。しかし今日少しでも書いてしまわないと後がつかえているのだった。

準決勝は幸区代表・南河原リトルウィングス。サウスポーの豪腕投手Kanaiくんは、おそらく今大会イチの本格派ピッチャーであるに違いない。戦う前から苦戦するのは火を見るよりも明らかであった。
例によってスコアラーをやった筆者は写真が撮れず画像がない。
1回裏Fは死球で出塁したYuiがセンター失策にて先制のホームを踏んで1:0。
ところが2回には今度はFの捕手送球エラーで1点献上。これで1:1のイーブン。
その後はまるで合わせ鏡のような両軍の展開なんである。一人安打で出塁するも後続がなく無得点、的ないわば白熱の投手戦であった。1:1同点のまま延々6回まで続く。両投手の気迫のピッチングが続く。

最終回表、三者凡退に切って取るF。これで負けはなくなった....いや、今大会準決までは延長特別ルールはなく、引き分けならば即くじ引き決着なんである。なんとしてでも7裏に点を入れて勝たねばならないわけで。
こうなれば形勢は後攻のFが有利である。一死後8番Kyousukeがまたも死球で出塁。豪速球ゆえ避けきれないのだろう、デッドボールが多いのだった。最後はこれが仇となる。続く伏兵9番4年生のイケメンボーイShohmaがショートオーバーのヒットで1,2塁。更に四球と三振でツーアウト満塁となり、満を持して3番Yuiが登場。かれは前回ノーヒットで良いところがない。
誰もが心の中で「サヨナラ満塁本塁打」を期待したわけで。
ワンボールツーストライクからの内角高めの球がうなりを上げてYuiに迫り来る。
ぱしっ!
キャッチャーミットにボールが納まった。

Yuiが自分の袖を引っ張り審判にアピールする......。
サヨナラ満塁押し出しデッドボールだった。
2:1、勝ちは勝ち。歓喜に湧くF軍ベンチとギャラリー。
死球で出したランナーを死球で押し出して負けたKくんは悔しかったに違いない。
この結果を残せたのは、ここまで1点だけで気迫の投球で打線を押さえ込んだRuiであろう。

+++++++++++++++++++
さてもうひとつの準決勝は富士見台ウルフなんである。相手は貝塚子供会野球部。ウルフが勝てば宮前同士の決勝となる。シートノックを見たら宮前王者とのその差は歴然と思われたのだった。ウルフの快勝かと....。(貝塚さんゴメンナサイ)

ところがなんである。
これもまた凄いゲーム展開であった。詳細の記録が手元にないのだが、Wがこのまま勝つかと思われた最終回表に、Kに起死回生のホームランが飛び出し5:5の同点に追いついたんである。




ウルフを知る人は心の中で誰しも思ったに違いない。その裏に1点を入れて6:5の僅差で勝つウルフの必勝パターンまたしても炸裂かと。
ところが....。無得点、引き分けであった。
ウルフらしくないと思ったのだが、くじ引きの結果はなんと、ウルフに勝利の女神が微笑んだのだった。さすが「持ってる」。実力もあるが運も持っているのだった。


++++++++++++++++++++++++++++++++
さてそのウルフの準決勝を見守るフレンズ。筆者はカメラを持ち徘徊していた。その時こんな写真を撮った。何の変哲もない木陰で昼食をとりゆっくり観戦している風景である。
どこかで見たこの風景...。デジャビュか?なんだろーこの曖昧な記憶は...。

そーだ、分った。
誰しも見たことがあるに違いない絵画だった。
フランスのジョルジュ・スーラが描いた「グランド・ジャット島の日曜日の午後」だ。
しかし実際には....
宮前のT・テッシーが撮った「川崎大師少年野球場の土曜日の午前」なんであったが。
次回は宮前因縁の決勝戦なんである。
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