2017年7月9日日曜日

少年少女による少年少女野球

今日は日曜、向丘サンダースとの練習試合なんであった。といってもFは6年抜きのBチーム、サンダースはほとんどが3年生以下中心の構成なんである。
ブログは夜7時から書こうとし、さていつもなら「鉄腕ダッシュ」を観ながらとなるんであるが、今日はアメトーク日曜版「高校野球大好き芸人」を観戦しながらの観戦記を書くんであった。Macの画面よりもついついTV画面のほうばかり観てしまい、めっちゃ時間がかかっているんである。
※東海大一と東海大二の対戦、同じく智弁対智弁の映像には笑ってしまう。

さて、梅雨の合間の猛暑の中、菅生ドームでの試合なんであった。サンダースエースは女子選手であった。Q広報だから書くわけではないが、女子時代到来が叫ばれて久しいんである。本当に女の子が野球をやって全く違和感がないどころか、活躍する場面が多くなったんである。女子のプロ野球だってあるわけで。



練習試合でしかも遠征なのにFの父母応援団はもの凄い人数であった。銀座を闊歩する中国人観光客並みである。アレには辟易だが、Fの熱い応援団はとても喜ばしいことである。
Fは5年エースShohの力投に加えて、打っては初回に4本の長短打で一気9得点。チーム構成に差があるためここは点数や勝ち負けではなく、伸び伸びと収穫のあるゲームを両チームに期待したい。
Kazu「むぎゅ〜」



塁審は少年野球に熱き男Maedaオヤジ。
サンダース軍曹(コンバット!古い人ならワカルかな?)、カメラマンはご存知Takahashiさん。ドデカイCanonの望遠でセンターバックスクリーンからのショットを狙う。まさにCanon砲である。今またこんなレンズが欲しいと言ったら、確実に奥さんに殺されるそうだ。

Kazu「むぎゅ〜」

サンダースチビッコ軍団は大敗したものの、これだけの低学年選手が粒ぞろいなのは、きっとまた近い将来強豪サンダースの屋台骨を作っていくに違いない。チームの層の厚さはやはり強豪の名を後世に伝えるための基本形なんである。

もう1試合、時間の許す限りチーム構成を変えての対戦に。
その前にひと息つく。猛暑の中、川のせせらぎは人に清涼感を与えてくれる。菅生ドームそばの川は、およそ清流とは言えないし、四万十川には遠く及ばないけれど、じっと見つめていると、その水の流れは人の喉の乾きをも癒してくれるわけであった。

さて2試合目。主審を務めるFのKumadaさん。御歳70過ぎ。2試合連続でのマスクでも「なかなか普段汗をかかないから、まあいいさ」と、こともなげ。深謝。

試合はほぼ互角の3:2でサンダース。

途中から県議のIidaさんがサンダースの練習に参加。高校時代は東海大山形で高校球児であった。



ついにまたフレンズに女子が入部したんである。これでAnjuはじめ4人である。ヤングやフォルコンズにとうとう並んだわけで。猛暑の中その一人Reonaはチームの女子マネージャーとして、皆に冷たいタオルをせっせと一生懸命配りまくっていたんであった。

フレンズ史上初の大人数女子となった。筆者の娘が在籍していた頃は3名くらいが最高で、その後女子はとんと途絶えて、やっとHarukaが入りまたその後途絶えて。そしてここ数年で一気に4名になったんであった。
彼女はもうすでに5年生のRiko。それともちょっとおしゃれに、女子力高めにLicoという表記が良いだろうか。「筋金入りのカープファン」の両親の影響で野球が大好きなんであった。昨年体験会に来た時は水を得た魚のようにグランド狭しと跳ね回っていたんである。俊足が印象に残る可愛い子であった。そのRikoが5年生ながらFに入部。他のフレンズ姫と共にこれからが楽しみである。


にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

少年野球 ブログランキングへ

コトバについて

久々、コトバについての極私的考察的駄文製造マシーン発動なんであった。

先日ってゆーか先週TVの「アナザースカイ」を観ていたらこんな言葉が飛び出して、少年野球界の端っこにいて、なおかつ、言葉の扱いには慎重にならざるを得ないブロガーとしても気になった言葉があった。

「勝って奢(おご)らず、負けてくじけず」

うーむ、素晴らしい言葉であると思った。ブログを書くにあたりググッてみたら、案の定その番組のゲストが考えた言葉ではなく、古今東西たくさん言われている言葉らしい。正確には「勝って奢らず、負けて腐らず」。本来の出典はよくわからないが、座右の銘としているスポーツ関係著名人も多くいるようだった。確かに良いコトバである。是非こうなりたいと思う今日この頃である。

小説「月に雨降る」はいよいよ佳境を迎え...と、以前ここで書いてから随分経つように思うけれど、実際今書いているパートは龍一がすでに金沢へ行っているシーンなんである。これを粛々と毎週一話ペースでアップしようかと画策。連続でアップしちゃう弊害は何か。ブログは新しい順から読んでいくので、連続してアップすると読者はつい「42話」を読んだあとにその前に書いた古い「41話」を読む、という連載小説としては本末転倒、言語道断な、あってはならない結果になりがちなんである。本格ミステリで言えば密室殺人のトリック解明を読んだあとに、その直前の犯人の犯行シーンを読むようなものだ。
その小説やこのブログにもたくさんの「コトバ」が登場するけれど、時にちゃんと調べないで己の経験値や勝手な解釈で、「コトバ」の誤用が生まれているんであった。

例えば「須く(すべからく)」
例文はこれ。「学生はすべからく学業に励むべきだ」
正しい意味は、「当然、是非とも」なんであるが、筆者は「すべからく」が「全て」の語感と相まって「すべて、皆」というふうに誤解しちゃっていたのだった。たぶんブログで何度か誤記しているかと思う。ああ、怖いったらありゃしない。

このように誤用に気づかされるひとつのツールがある。
iPhoneにダウロードした辞書アプリ「コトバンク」なんである。毎日「本日一番多くネットで検索されたコトバ」が自動的に届くシステム。ちょっと煩わしいと思うこともあるが、前出「須く」の正しい意味を知ったのはこのコトバンクのおかげであった。「忖度」は当然アップされたけれど、更に「忖度」と「斟酌」のビミョウな違いを調べてみるのも楽しいものである。

この中で「参ったな、マジっすか!俺使い方間違っていたじゃん」という「忸怩(じくじ)たる」思いをしたコトバがあった。それはまさにこの「忸怩たる」というコトバなんである。
このコトバの意味をずっと漠然と、「不本意でイライラして、自分の心のいら立ち」を表すコトバだと思っていたけれど、コトバンクによれば「自分の行いを心の中で恥じ入るさま」とあった。これまで誤用してきた自分に対してまさに「忸怩たる」思いなんである。この「忸怩たる」はここでかなり多用してきたはず。ほんとに恥ずかしい思いである。

他にもいっぱいある。「檄(げき)を飛ばす」
正しい意味は「自分の主張や考えを広く人々に知らせ同意を求める」こと。
間違った用法は、「元気のない者を激励し活気づける」こと。
少年野球のシーンで監督コーチが子どもらに大声で「檄を飛ばした」と書くのはたぶん、間違っているんである。
因に前者の正しい意味を理解していた人は19.3%で、後者の間違いの人は72.9%だった。

ほかにもいっぱいあるんである。
「情けは人のためならず」...他人に情けをかけるのは本人にはかえって良くないこと、というのは間違い。正しくは、人に情けをかけると巡り巡って自分のためになるから良いことだ、なんである。正しい人は45.8%、間違いは45.7%で、これは拮抗している。

「破天荒」...これワカリマスカ?
正しくは「誰もなし得なかったことをやってのけること。前代未聞」なんである。16.9%
間違いは「豪快で大胆な様子」で、64.2%
筆者も64.2%の一人であった。あな、恐ろしや、なんである。

他にも「役不足」「憮然(ぶぜん)」など。初めて知った言葉は国会で乱発されてまだ記憶に新しい「恣意的(しいてき)」

たかがブログ、されどブログなんであった。

自分の書いた文章をワールドワイドウェブ(WWW)に公表するからには、それなりの「矜持」を持って書かねばと「襟を正す」と同時に、なんてこの世は住みにくい、あまり萎縮しちゃったら勢いのある文章が書けないわけで、夜も更けてグラスを傾けながら、琥珀色の海の中で、そのコトバの海の間(はざま)に身を任せ、たゆたうわけなんであった。
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

少年野球 ブログランキングへ

2017年7月4日火曜日

小説「月に雨降る」41

店を出たあとよほど恵比寿に戻って真壁の店に行こうかと考えたが、今日はやめておこうと思い、まっすぐ帰宅することにした。それでも恭子のことを思うと胸に刺さった棘は簡単に取れそうもなく、もっと強い酒が飲みたかった。酒で胸の痛みが沈静化するはずもないことは分かっていたが、地元の駅前のスーパーがまだ開いていたので寄ってみた。いつも購入する国産の安ウィスキーには食指が動かず、思い切ってワイルドターキーを買い物かごへ放り込んだ。自宅は駅から歩いて10分ほどの中古分譲マンションの上層階にあった。ローンの残高はまだ気が遠くなるほどあった。希伊と過ごした中野坂上のアパートはあれからほどなくして引き払い、田園都市線の桜新町へ引っ越し結婚後もそこで暮らしていたが、子どもができたのを機に同じ路線のもう少し郊外のここへ越して来たのだった。あれ以来捨て猫だったサチコも神島家の家族としてずっと龍一とともに過ごしてきた。龍一は帰宅するとまず最初にサチコの喉を撫でてぐるぐる鳴らすのが日課となっていた。時には抱き上げて頰ずりしたり、または足の肉球の匂いをかいでみたり、一番にサチコに接するのだった。希伊の分身と思い飼い始めたサチコだったが、子猫だった彼女も今は老猫となり最近の様子をみると、近い将来やってくるであろう、生の終焉の予感に胸が締めつけられる思いだった。
そんなサチコが玄関口で龍一を出迎えた。「ただいま、サチコ」と言って右手で喉をさすり同時に左手で頭を撫でると、目を細め顎を突き出してすぐにぐるぐると喉を鳴らしはじめる。しばらくして頭をぽんぽんしてやるとゆっくり娘のベッドへ戻って行った。娘の部屋はサチコが夜中でも自由に出入り出来るように扉は薄く開けてあるのだが、灯は消えて暗かった。娘はもう寝ているようだ。息子の部屋のドアのすき間からは薄明かりが漏れているが、間違いなく勉強ではなく彼女とLINEをしているかスマホゲームをしてるはずだ。自分も中学時代は3年の部活が終わるまではまともな受験勉強などした記憶はなかった。ましてやまだ2年のあいつは今が一番楽しい時期なのかもしれない。

軽くシャワーで汗を流したあと冷蔵庫から350mlのビールを取り出し一気に飲んだ。まだ真夏のように汗をかくような季節ではなかったが、炭酸が喉を刺激しながら下降し腑に落ちる感覚が心地よかった。すぐに空にすると先ほど購入したターキーの13年物をスーパーの袋から取り出す。ロックグラスに氷を入れ、とぷとぷとグラス半分まで注いだ。ターキー独特の香りが龍一の鼻腔をつく。グラスを目の高さまで持ち上げてその奥行きを見てみる。リビングの照明の光を受けて、琥珀の液体はゆらゆらと氷のすき間を漂っていた。宇宙が生まれる前のカオスの渦巻きのようだ。或いは神様がこれからどうやって宇宙を形成したものか迷っているみたいに。龍一はそれを見ているうちに、つい数時間前の恭子とのことに思いが及んだ。心臓がきゅっと音を立てて締め上げられたような気がした。食卓に頭をつけて目を閉じた。しばらくそうしていたが、やっと顔を上げてひと口喉に流し込むと今度は希伊の映像が浮かんできた。あの日の朝の記憶が蘇ってきた。龍一の頭の中でもうすでに何度この映像がリプレイされたことだろうか。希伊は書き置きを残して雨の朝に忽然(こつぜん)と消えてしまった。ふとあの書き置きのことが気になった。確か今でもどこかに保管していたはずだ。うしろから背中を針で突つかれたように立上がり、収納家具の一番下の抽斗(ひきだし)をあけ、その奥からモンブランの万年筆の空箱を取り出す。
「あった」
龍一はその17年前にしまい込んだ黄変したメモ用紙を取り出し、ゆっくりと丁寧に広げてみた。博物館の学芸員が古文書のページをめくるみたいに。そこには懐かしい希伊の筆跡が踊っていた。
『リュウ、ほんとうにごめんね。いつかまたその日がきたら逢いたいよ』
じっと見ているとちいさなメモ用紙の表面に僅かな窪みを発見した。複雑にうねるようなミミズ腫れのような窪みだった。あの時も何か違和感を感じたのを想い出した。光にかざしてみる。はっと閃いた龍一は、目の前の抽斗から仕事で使う2Bの鉛筆とカッターナイフを取り出した。鉛筆の先を何度か削り芯だけを長く露出させる。今度はカッターの刃を立てて芯の部分だけを細かく削り粉末状にフローリングの床に落としていった。中指でその黒い粉末をすくい取るとメモ用紙に軽くこすりつけていく。全体が鉛筆の粉で黒く染まったところで余分な粉をはたいて落とした。手にした紙には希伊が書いた黒い文字とは別の文字が、うっすらと反転して白く浮かんでいた。ジェイムズ・ボンドだったかケーリー・グラントだったかは忘れたが、若い頃昔のサスペンス映画で見た手法だった。メモ帳に強い筆跡で一度書いてから思い直し破り捨て、2枚目にまた文字を書く。その際に2枚目には1枚目に書いた筆圧が微かに窪みとして残されているのだった。
龍一はその紙面を凝視して照明の光をいろんな角度から当ててみた。解読を試みた。おそらく希伊は1枚目を破棄して2枚目だけを龍一に残したに違いなかった。目を細めて見てみるとそこには希伊の筆跡がおぼろに浮かんでいた。
『私は金沢に行きます。いつかまたリュウと逢える日を待ってます。こんな意気地(いくじ)なしの私でごめんなさい』
龍一はじっとその字面を見つめたあと、たたみ直して財布にしまい込んだ。うす暗いリビングで龍一ははっきりと声に出して言った。
「金沢へ行こう」

にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

少年野球 ブログランキングへ

2017年7月3日月曜日

強いチームと良いチーム

低学年大会フレンズは、ほぼ同時進行の子ども会大会本大会の部で優勝した、野川レッドパワーズの弟分のレッパなんであった。
スコアラーはOhmoriスコアラー部長の予定であったけれど、筆者急遽第四へ行けることになり、最近スコアラー機会が激減している私はやれる時にやっておこうと思い、試合直前になって久々のペンを握ったんであった。
これがもしいつものようにカメラマンをやっていたら、ブログは延々と文章写真に埋もれてまた神経をすり減らす晩になっちゃうから、実は少しホッとしているわけで。簡単に写真...といってもスコアラーなので、最初と最後の数枚しかない。いっそ「お蔵入り」させて没ネタにしようかとも思ったんであるが、「モッタイナイ」の日本人の美徳を思い出し、小さい記事になるけれどアップしちゃうんである。
集合!.....パシャリ。

試合前の投球練習。マウンドは4年エースK.Kaito。ベンチや応援席のリアルタイムでは分からないことが静止画の写真で判明することが良くある。打席のバッティングフォームもそうだけれど、ピッチングもまたしかり。どうしてこれを指導しないのかと不思議に思うことすらあるが、筆者も写真を撮って初めて気がつくことが多いわけで偉そうなことは言えない。これは以前のブログにも書いたこと。リリースの瞬間左手のグラブが左胸に納まっておらず、地面に着かんばかりに垂れ下がっている。これでは体の芯がブレて真っすぐな球が行かないと思う。野球経験者ではないけれどサッカー経験者なので、つまりスポーツ経験者なので、それくらいは理解出来るんである。サッカーではとかく脚にばかり注目が集まりがちだが、フリーキックなどボールコントロールの際に以外と大事なのは両腕のバランスなんである。
※この記述は自分のチームのフレンズのことなので書ける。ご理解されたし。


一夜明けて今日(日曜)は終日練習であった。打撃練習では久々にレフトの守備につく。選手が十分いるときは球拾いに回りもっと後ろに位置するのだが、今日はたまたまレフトが空いていたんであった。年齢はジジイだが気持ちは42歳、まだまだイケテルと思ったのは十年前。マジで体が言うことを聞かないわけで。もし深夜パソコン相手に不健康なブロガーなどやらずに、28番あたりのコーチを今でもやって、毎週健康的にノックなどしていれば、体の動きは随分違っていたはずだ。ほんの一時期父コーチの頃はユニフォームを着てベンチに座っていたけれど、素人ながらYanagisawa代表などの教えを踏襲し、子どもらにも熱く指導していたが、今は昔、今昔物語。いろんな大人がいろんな事を言えば子どもが混乱するという、大昔から言われている少年野球指導の弊害を鑑みて、今は筆者、ほとんど子らには具体的な指導をすることは控えている。どのチームでもよくある話で。監督にはこう指導された、○○コーチにはこう言われた、○○くんのお父さんにはこうしたほうが良いと言われた、家に帰ればパパが...。じゃあ、ボクどーすればいいの?おそらく皆言ってることはそれぞれの正論なのだろうと思う。しかし一番の被害者は子どもなんである。指導陣が一枚岩で基本の骨格がきちんと形成されていれば、多少そういうことがあっても問題ない。今のフレンズはその点不協和音は全く聞こえてこない。(筆者の知る限りではあるが)
親は指導者に敬意と感謝の気持ちを持ち、指導者は常に奢らず親に対しやはり感謝の気持ちを忘れなければ、ほぼ良いチームになるはずである。強いチームになるかどうかはこれにプラスまた別の要素が加わってくるが、少なくとも「良いチーム」にはなるはずだ。

前置きが長くなってしまった。「晴耕雨読」の悪癖のひとつであった。
今日そのレフトの守備位置にいるとショートの守備の4年Kaitoに接近遭遇したんである。
「Kaito。昨日はめっちゃフォアボール多かったなあ」
「はい」
「Teshimaコーチさ、あんまり言わないんだけど、今日はひとつだけ聞いてくれるか?」
「はい、なんですか」
Kaitoは学年のわりに実に会話が流暢で、「自分の言葉」を持っている希少なヤツなんである。大人の会話に十分ついて行ける頭脳を持っている、頭のいい子だ。
「あのさ、写真撮ってるじゃん、俺。そうするとKaitoの投球フォームを見るとさ....」
こうこうこうで、グラブの持ち方を左胸に引き寄せてこう直したほうが四球が少なくなるはずだよ、ということをジェスチャーを交えて循循(じゅんじゅん)と伝えたんであった。
こくんこくんと頷きながら聞いていたKaito。
「はい。パパにもすごくそれ言われていて、良いときは全然良いんだけど、どうしてもクセが直らなくって、ダメな時はダメなんです」
「それをいつも意識して、左手のグラブをな、ちゃんと直すようにしたらさ、もっとストライク入るようになるぞ」
「はい、わかりました」
「おし、がんばれよ」
と言って頭をポンポンしてやった。
ちょっと自分に課した規範を逸脱したが、これくらい基本的なことなら許されるだろう。
因に彼のパパとは、フレンズOBでチームのコーチでもあり、かつては甲子園球児だった熱きフレンズ魂を継承するKakenoくんである。一昨年の全国の時の前監督Satohくんとフレンズで同期だった。
.........
すんごい試合から逸脱しちゃった。簡単にアップしてTSUTAYAのレンタル映画を観ようとほくそ笑んでいたのに、もう、やんなっちゃう。
試合はレッパが圧勝かと思いきや、最終回なんとかフレンズのHideakiが痛烈な左中間ツーベースタイムリー、続く4番Junのタイムリー連打で2点を返したが、結果は6:3の負け。スコアラーやっているので、最後にもしやAnjuにも連打が出るか?という場面では、一旦スコアラー席を放棄し一眼レフを手にし、ベンチから離れてAnjuにシャッターを切った。すかさずまたスコアブックにカウントを記入しまたカメラを持ってベンチの外への繰り返し。

面白かったってゆーか、低学年にしては珍しいのは、犠牲フライが低学年の試合なのにフレンズに2本も出たことなんである。Aチームでもなかなかスコアブックに犠牲フライの△マークを付けることは少ないのに。審判もちゃんとタッチアップを良く見ていた。
強豪相手に負けてしまったけれど、悲壮感は伴わない負けだったように思える。


それにしても今日帰宅後は、都議選と藤井聡太くんのふたつの勝負の日。
面白い日だった。
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

少年野球 ブログランキングへ