2016年12月9日金曜日

Q姫たちのChristmas

さて今年もQueensのクリスマス会なんであった。その土曜日、筆者はフレンズ仕事が切羽詰まっており、なんとか目鼻をつけて終了、だいぶ遅れて到着、残りあと1時間しかない頃なんであった。なので写真は少ないし、ほとんど経緯は分からないんである。

JAに到着すると遅れたことを詫びてビールで皆と乾杯。すると隣からフォルコンズで見かけたことのあるSachiko父が握手を求めて話しかけてきた。こういうとき外国人はおしなべて社交的で初対面でも気持ちよく接してくれるんである。日本人はどうしても良く言えばシャイ、悪く言えば引っ込み思案なのだった。筆者は昔、日本にスコットランド人の友人夫婦がいて親しくつき合っていたので、相手が外国人でもあまり気後れしない。英語はカタコトではあるけれど、中学英語でも直感的に話せばおおよそニュアンスは伝わることを学習していたんである。難しいのはヒアリングである。Jeffがにっこり話しかける。
「How do you do?」
「Fine Thankyou、and you?」
という教科書的なイントロを経てのち、しばらく英語で会話をしたのだった。英語圏の人と会話をするのは何十年ぶりだろうか。互いの名前の紹介から、Teshimaさんの英語はうまいね、いやいや自分の英語はめっちゃ下手だよ、英語を使う仕事をしとるんかい?うんにゃ設計デザインの仕事だわさ、いやあずっと英語を使ってるように見えるぜよ、そんなこたあないよ中学高校でしか習ってないし、ところでTさんはくぃーんずのコーチなのかい?ちゃうよ、ええとね.....。と、ここまで英語で。
ここでやっと「広報部長」を英語でなんと言うのか言葉に詰まってしまった。
そばで会話を聞いていたYamaguchiさんやSatohさんに訊いた。「広報か,,,あっPR!」と助け舟を出してもらったのだった。PRはパブリックリレーションの略である。

ところがJeffは実は日本語が達者なんであった。そのあとからは主に日本語での会話になった。個人情報があるのでどこまで書いていいかわからないけれど、アイルランド系カナダ人で、複数の大学で英文科の教鞭をとる仕事をしており、また翻訳の文章を書く副業もしているということで、筆者とウマが合ったんである。フレンズの名刺を出してブログを書いてることも伝えた。もう日本に来て20年になるとのことだった。どおりで日本語がうまいわけであった。実に気持ちのいい人柄で気さくなナイスガイなんである。

さてそんなこんなで、子どもたちは楽しくゲームに興じていた。例によって途中からカメラを持って遊撃に出動。

母たちが一生懸命考案したゲームである。子らを何チームかに分けたのに加えて最後のプレーはオトナが加わってやるもの。ピンポンを小さな手桶に投げ入れるとか。これ、以外と難しいらしい。大トリはJeffだった。オトナもことごとく失敗したプレーだったが彼は2発も投入に成功し、皆から拍手喝采なんであった。

次はオタマにピンポンを乗せてリレーするゲーム。これには筆者も加わることに。Kuuがやって来た。
「Teshimaさん、うちのチームに入って下さい」
うら若き美少女に上目遣いに懇願されて嬉しくないオッサンがどこにいるだろうか?
「おっし、やろっか。どうやるの?」と訊いたら、めっちゃ丁寧に説明してくれた。


クリスマスと言えばプレゼント交換会。子らは連絡網であらかじめプレゼントを各々持ち寄って来ている。みなでジャンケン大会。なぜか野郎たちは端っこでタイマン勝負。

更に監督Koshimizuさんから、なんとQ母たちへのプレゼントがいくつも用意されていたのだった。宮前Queensの誇る美人妻たちが大集合、監督とジャンケン大会。これだけ母らが一堂に会してワンショットに納まるのは滅多にないことだ。


愛娘と仲のいい親子のツーショット2枚。
Yoshikawa母子とSachiko&父Jeff。(これまた美人母のSachiko母は事情がありカナダへ行って不在だった)
うわあ〜、筆者の娘が小学生でフレンズしていた頃のことを思えば羨ましい。当時の筆者は昭和のオヤジたるもの、娘とデレデレするのはカッコ悪いという日本人的既成概念や照れがあったのだろう。今となってはちょっぴり羨ましいと思ったりしちゃうのだった。時計のネジは逆回しが出来るけれど、時代の針は昔に戻せない。実に微笑ましいショットであった。

会長も6年生とゴキゲンなショット。

来年のお別れ会DVDのためにもここは一発集合写真を撮らねばなんである。
久々にフォトショップで加工してアップ。
どこの少年野球チームでもそうだけれど、母たちの懸命な企画と準備に感謝。

このあと、前述ブログのように駅前のカラオケBOXへ大勢のQ姫らとオトナが繰り出した。

JA鷺沼支店から俯瞰する駅前のロータリーには、恒例のクリスマスイルミネーションが、今年の師走を人々に知らしめるように明滅していたのだった。

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2016年12月6日火曜日

最後の試合

以前はよく子どもたちも含めた祝勝会や、飲み会などやったものであるが、今年はとんとその数は減少しちゃったわけで。そこで母たちからの提案で「オレンジボール&新人戦お疲れさま会」が催されたのだった。すでに先週の日曜の話ではある。
フレンズ御用達の居酒屋で部屋はふたつ予約。片方は子どもら専用、もうひとつの部屋がオトナたちで。
パンカーイ、なんである。

このあとずんずん、どこどこオトナたちが増えていき、また減っていき、それでもわいわい、がやがや久々の飲み会は盛り上がるのだった。
....中略。てゆーか、お開きの時間。子らを全員こっちへ呼んで一人ひとりに、抱負を述べよ的スピーチタイム。学年ごとに起立し発表となった。親たちは学芸会に来た時のようにスマホカメラを手にワラワラ集まり見つめる。
「おいっ!Hajime!もっとこっち寄れよ、写真入らないから」
と大声で叫んだのはYukimatsuオヤジ。Hajime(OB中学1年)は知らんぷり。
子らが粛々と抱負を述べ始める。
「えっと、あの、来年は...」
またしても大声で叫んだのはYukimatsuオヤジ。Hajimeはまだ知らんぷり。
「おいっ!Hajime!もっとこっち寄れよ、写真入らないから」
「ボクは今年は...だったので来年は...」
「おいっ!Hajime!もっとこっち寄れよ、写真入らないから」
Hajimeは最後まで知らんぷりだった。

...............
時と場所は急転回する。一昨日の日曜は練習試合、VS有馬子ども会なんであった。試合と言ってもこの時期だ。他のチームでは新体制での練習に黙々と取り組んでいる頃。
アリコは今年6年生が13名も在籍し、年間通じてどうしても試合に出られない子も出て来るわけで。かつてフレンズでも6年なのにレギュラーではなく、試合出場の機会に恵まれない子もいた。他にも同じ悩みを抱えるチームもあるはずだ。そこでアリコさんはそんな子らのためにも最後の練習試合を組んだとのことだった。


うちはたまたま6年は二人だけなので、バッテリーを組ませて交互に投げさせた。


卒業生にとってはこれが小学生最後の試合となる。
途中Q繋がりのAbeさんが来て談笑。上記のような理由を初めて聞いたのだった。



試合のあと、母らが6年生の写真撮影。すかさず筆者もそれに乗じる。
陽気で明るく、人をノセるのがうまいNatsuki母のおかげで、だんだん緊張がほぐれじゃれあう6年二人。今年一年チームを牽引してきたKaitoとTomokiだった。

さて残るフレンズ仕事はまだある。毎年12月はこれで忙殺されちゃうのだった。取引先と個人の年賀状もいつも後回しで、お別れ会が終わってから作るんである。年末近くになって最後にプリンターで出力していると、ハガキが足りなくなったり、インクが切れたり、プリンターの機嫌が悪くなったり、勢い筆者の機嫌も悪くなったりで、ほとほと疲れちゃうのだった。なので3年前くらいから年賀状もCMでお馴染みネットの「プリントパック」で印刷するようになった。
ああ、毎年面倒くさっと思いつつ、今年もそんな季節なんであった。
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2016年12月5日月曜日

師走の日々雑感

このところずずずっと、フレンズの年間成績冊子制作に追われて、コーチたちと卒業生の集合写真を撮って、今日やっと完成したんであった。明日ネットで京都のプリントパックへ発注すれば良い。納期的には「6年生を送る会」になんとか間に合うわけで。色紙に貼るシールの制作も同時に作り、今日母たちへ手渡し済み。卒業生へ贈る写真立ての制作と、送る会当日の「成績発表」へ向けての仕事がまだだけれど。
そんなわけで本日、作家で言えば「脱稿」というやつで、ちょっと脱力ぎみなんである。毎年この時季は昼間仕事し夜はフレンズ仕事に拘束されちゃうので、ブログを書く元気玉が減少するんである。しかしかたや、アップしていないブログネタも山積しており、筆者の両肩に重くのしかかっている。断腸の思いでいくつかは割愛することにした。アップ予定はフレンズ系とQueens系ネタに絞ることに。いずれにしても野球ネタは疲れるし時間がかかるので、またいつかなんである。

なので今は日曜の深夜、野球ネタ以外の久々の「日々雑感」的ブログを手当り次第に放出しちゃう。

金曜日。茅ヶ崎の物件の仕事で東京下馬にある設計事務所で打合。これで5回目である。三軒茶屋から歩いて約15〜20分の不便な所。池尻大橋からバスで行く手もあるけれど、今日は天気がよいので歩いて行った。途中面白い樹に遭遇。大木の梢を切り落とした姿は、まるでオブジェのようだった。なんだかお台場の実物大ガンダムを想起される姿。最近のニュースであれが撤去されるらしいと聞く。自分はガンダム世代ではないけれどちょっと哀しい。

2時間みっちり打合せのあと、帰りは「公園好き」の筆者、広大な世田谷公園を散策しながら帰路につく。いかにも「秋」を象徴するような見事な枯れ木の絵が撮れた。

大きな噴水が元気に躍動している。日だまりのベンチでは昼食を楽しむ人や、ひなたぼっこをする老人。

隣にはテニスコート、更にその隣はナイター設備のある野球場兼サッカー場。こんな施設が宮前にあればどんなにか幸せであろうか。

.................
土曜日。午前中は有馬小学校で年末恒例のグランド清掃だった。筆者は家で冊子制作をしており行けなかったが、フレンズLINEに楽しい画像がアップされた。母たちが掃除の合間に撮ったであろう、あの画像。昨年あたりからネットで女子高生などのあいだで流行ったヤツ。
みんなマスクをしているあたりも可笑しい。見事である。

ジブリの魔女の宅急便を彷彿とさせる画でもある。あの映画では「ジジ」という黒猫が出ていたけれど、フレンズではGakuの「ババ」も元気に空中を浮遊していた。

美魔女(?)たちのあいだでShohの妹Sakiも訓練していたが、どうやらまだ魔女修行が足りないようで、地面から数センチしか浮かべないようだ。今後の精進を期待したい。

.......
土曜日その2。冊子制作にやっとメドがついたので夕方からQueensの「クリスマス会」にかなり遅れてから行った。これはまた別の機会にアップ。そのあと二次会は鷺沼駅前に新しく出来たカラオケBOXへ、子どもらと別々の部屋を取り、オトナ数人で行ったんである。
みんなSachikoの父、アイルランド系カナダ人のJeffともすぐに仲良くなり、カラオケは「横文字」の曲のオンパレード。筆者も彼とビートルズの「Let it be」を熱唱するも、もっと中学生の時に英語をやっておけば良かったと後悔する羽目になる。Murata代表もクラプトンから始まり、延々と洋楽を披露。前半はそれを黙って聴いていた会長とKoshimizu監督。後半はその反動でド演歌シリーズで盛り上がるわけで。

いろいろあってヤングのKurosu監督らも合流。なかなかの喉を披露。
「俺の歌もそうだけど、ヤングもやれば出来るんだよ」と。新人戦で劇的な優勝を遂げたヤングの大将、破顔一笑であった。Queens監督Koshimizuさんが「Teshimaさん、「M」行こうよ」と。今度またKoshimizuさんとプリプリの「M」をデュエットするつもりである。

.....
今日、日曜日。
有馬小の銀杏の樹もやっと本格的に銀杏らしいクロームイエローになってきた。ひらひら、ふるふる、かさかさ、わさわさ、銀杏の葉が舞う下で、子らがノックを受けていた。
今年もあと4週間を残すのみとなった。

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2016年12月1日木曜日

深夜の弁明Part?

すでに記述の通り、
今週は連夜、
フレンズの、
2016年間成績集計冊子を、
制作のために、
忙殺されており、
それはまるで巨大な結束バンドで、
全身をギュッと固定されたように、
がんじがらめの今日この頃なんである。

小説「月に雨降る」も、
終盤へ向けての、
構想はぼんやりあるものの、
とんと更新出来ないでいるんである。

今週いっぱいは、
身も心も、
いっぱいいっぱいなんであった。


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