2017年8月8日火曜日

143年の風景

日曜日はSatoh前監督のコネクションで、町田方面への大遠征なんであった。どんだけ大遠征だったかというと、古代ギリシャのアレキサンダー大王の大遠征に匹敵しちゃうんではと、思えるほどの遠征だったんである。Maeda母の運転する高級ワンボックスベルファイヤーは、あたかもマケドニア38,000の軍勢の先頭を行く軍馬のごとく、一路地の果て町田へ16号街道を北進したのであった。途中手綱を持つMaeda母がナビに嫌疑を持ち始め、疑心暗鬼、暗中模索しはじめたので、馬の尻尾にぶらさがっていた筆者はiPhoneのGoogleナビで確認、進路が正しいことを伝えた。そこで気づいたのは目指すのは「町田市立相原小学校」なんであるが、町田駅を過ぎて相模原市内に進軍すると「相模原市立相原小学校」という、なんとも紛らわしい敵陣地の表記が表れたんである。さては敵軍め、我が軍を目くらまし戦法で幻惑する作戦かと思ったのであった。
相模原、町田、相原、原町田...。おそらく大昔はこのへん一帯田んぼと原っぱだけだったのだろう。
(※文中「地の果て町田」という表記は決してヘイトスピーチ的表現ではない。東京町田から見れば川崎有馬のほうがよほど小さいのは百も承知である。ご笑納されたし)
「町田市立相原小学校」にはブログ最後にまた触れたい。

対戦は相原ジャガーズ。二試合であった。一試合目は6年以下のAチームで筆者がスコアラー。なので写真はない。結果はジャガーズが長短打8本(うち内野安打4)、フレンズは4安打中内野安打が3、という内野安打の大盛りバーゲンセールであった。ジャガーズは飛び抜けた選手はいないものの、全員で長短打を放ったゲームであった。6年主力二人を連合で欠いているとはいえ、それにしても打てない情けないフレンズ軍ではある。唯一のクリーンヒットは5年生Shohの三遊間を抜ける安打のみであった。5:5の同点で終了。
午後の二試合目前にランチタイム。

二試合目は5年以下のBにて。
Shohがいきなりの先頭打者ホームランをかっ飛ばす。


入部して間もない正真正銘のカープ女子Riko。まだよく分からないことは多いけれど、好きこそものの上手なれ、スタメンで起用されてすでにスライディングも出来るように。以前にも書いたが、投げる、打つ、走るはオトナコーチが実際に目の前で実践して教えられるけれど、このスライディングだけはオトナでもなかなかやってみせることが出来ないのである。筆者はサッカーをやっていたので、もう10歳若くてグランドが芝生だったら怪我を怖れずやってみせられるのだが、残念。因に中高の時サッカーは芝のグランドはほとんどなく、学校の固い土のグランドが主だったため、短パン太ももむき出しでスライディングするから、試合やるごとに血だらけで傷が絶えなかった。野球のスライディングの比ではない。
野球大好き少女Rikoはなかなかの器と見た。

この試合の先発マウンドはマエハルことHaruto。気迫の投球であった。最近の肩の強さの成長ぶりには目を見張るものがある。来年の期待を背負っての登板であろうと想像す。精神的に一皮むければ大化けするかもしれない逸材と筆者は思っている。
自分に負けるな、頑張れ!Haruto。

相原ジャガーズと親交のあるSatohくん、大奮発しちゃってなんと三塁審判まで引き受けた。同級生Kakenoオヤジの「審判おまえやれよ〜」の売り言葉に買い言葉なんであった。


試合はShohのホームラン以外の安打は、4番眠れるアジアの大砲Kazukiの右翼へのシングルのみ。

一塁審判は熱中症対策で業務用のスーツを着用したYukimatsuオヤジ。この上着にはモーターファンが内蔵されており、衣服の中に風が舞う仕組み。確かに涼しいらしい。しかし炎天下こんな分厚いジャケットを着たのを、知らない人がこれを見たらきっと「変なオジサン」としか見えないだろうと、Ohmoriオヤジがぎゃんぎゃん爆笑していた。確かに。ただでさえ面白い変なオジサンなのに。

しかしその息子Hideakiはショートゴロから本塁へ送球された球を捕球し本塁ホースアウト、すかさずゲッツーを狙うために、ファーストへ転送を試みる。そのシーンを撮った一枚。なかなかカッコいいではないか。我ながら通好みの良い写真である。このキャッチャーの写真の良さが分かる人は、筆者と同じ思考と嗜好であるに違いない。


またしてもフレンズの敗戦。しかし子らの顔はステーキに例えれば、春先ベリーレアだったのが春季が終わるころにはレアを過ぎてミディアムレア、その後梅雨が明けて今ウェルダンにこんがり焼けてきたんである。
夏休みが終わるころにはきっと、カリカリに焼けたベリーウェルダンになっているはずだ。

さて「町田市立相原小学校」なんである。
なんと創立は明治7年!
お寺を小学校にしたいわゆる「尋常小学校」が発祥、その古さたるや、まさに尋常ではない。明治から大正、昭和、平成と、この校舎はどんな風景、光景、情景を俯瞰し見つめてきたのだろうか。その悠久の記憶に思いを馳せてみる。
開校143年であった。

煙草休憩で外に出てみると、そこにはアニメ映画「君の名は。」に出てきそうな、入道雲が青空にむくむくと湧き上がる風景がそこにあった。

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2017年8月6日日曜日

あの日あの時、3題

脅威の数字をたたき出している日曜夜の日本テレビ「イッテQ」の前の、「鉄腕ダッシュ」を観るのが日曜テレビ視聴の黄金のパターンなんである。その鉄腕ダッシュを観て愕然としちゃったんである。番組の中にドラゴンボールは出てくるは、シェンロンは出て来るは、金沢は出てくるは、昔氷を作る家の「氷室(ひむろ)」は出てくるは、で、焦ったんであった。(※氷室は希伊の本名。金沢の本当の親の姓である)小説「月に雨降る」に登場するファクターがテンコ盛りなんであった。ことごとく偶然のカブリなんである。でもこっちが先だかんね。中でも小説の中の「オチ」がこの番組のテロップにもろに表現されていて、勘のいい読者なら「あっ!」と気づかれたのではと、焦ったんであった。この小さなオチはすでに昨年には考えてあったんである。その部分は一ヶ月前にはノートの構想メモにもう書いてある。その部分はまだブログにはアップしてない、これからなんであった。

さて本日は朝早くから町田へ遠征なんであったけれど、ブログ的には後日の仕事に回したい。今日は以前から溜まっていた小ネタをみっつオムニバス的にアップ。

一ヶ月ほど前、クライアントがある恵比寿へ打合に行った。ここ恵比寿は筆者の第二のふるさとみたいなもの。以前ここで個人設計事務所を持っていたところであり、本格的なデザインを初めてやった「恵比寿ガーデンプレイス」があり、結婚当初住んでいた場所であり、今でも本籍は恵比寿であるからである。打合の前にガーデンプレイスの43階に昇り、かつて設計した店の鮨屋を見に行ったけれど、当然リニュアルされて全然別の店に変わっていた。YGPのその階からiPhoneで都内方向と、神奈川方向の二枚の東京の写真を撮ってみた。
写真を撮りながら、この東京に憧れて上京した18歳の頃の自分に思いを寄せてみる。


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土曜もフレンズは遠征だったが、筆者は第一公園ドームでのQueens練習に参加したんである。ブログは関係なく球拾いなどの純粋な練習だった。また新人Karinのマグネットとステッカーを持って行った。前日の読売巨人軍主催の「シスタージャビットカップ」開会式@東京ドームには、会長Sohmaさんからお誘いを受けたんであったが、悩んだ末断念し行かなかった。
フレンズでも新人が二人入部したのでマグネットを作成。ついでなので一緒に作ったほうが効率が良いのである。ここ1,2年、フレンズの新人入部員ラッシュ(とまで行かないまでもそれなりに多く)が続いている。自分の子が卒業したら終わりという親と違って、ずっとチームに残る指導者にとっては毎年の悩みの種が、チームの存続、繁栄という命題なんである。昔人数が少なくてチームが解散するかもしれないという危機に直面し、夜も眠れない日々が続いたことが今は嘘のようだ。あの時は精神的に本当に辛かった。野球指導はもちろん、チームの運営、設営や審判、車出しまで我々OBコーチが駆り出されてやっていた時期であった。それらをやることになんの抵抗感もなかったが、やはり父母たちのサポートなくしては風前の灯なのは間違いない。今はOBコーチのみならず、父母らのチーム愛がフレンズを支えてくれており本当に感謝しているわけなんであった。
マグネットとステッカー、FとQの写真。Fは名実共にバリバリのカープ女子であるRikoと、フランス人の父を持つLeoの二人が加入。

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最後にもうひとつ。
一昨年フレンズがマクドナルド高円宮賜杯の全国大会に神奈川代表として出場したことは、ここでみなさんの耳にタコが出来るほど聞いたろうし、筆者の指にもタコが出来るほど書いた。その百数十名が参集した全国大会壮行会の際に会場に流したDVDがある。当時の部員のWakamiya父の力作である。後日これを承諾を得たうえで、今度はRuiの母のんちゃんがYouTubeにアップしたのだった。最近それを知り、改めてここで紹介したい。
神奈川県大会の優勝までの軌跡、つまり全国への切符を手にするまでを描いた、映像集である。
因に今日まで視聴回数は6,000回を越えているが、どうやらその半分はShohgoのオヤジ、テツオによるものらしい。
Ruiの神宮球場開会式での全国大会選手宣誓も同じページにあるはず。
2015有馬フレンズ 高円宮賜杯神奈川県大会

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2017年8月3日木曜日

変貌を遂げる男ども

いつかこのブログでやってみたいと思っていたことがある。それは何年も子どもらの写真を撮ってきた経験から、彼らの小さいときの写真と今現在を比較しちゃうことなんである。一番理想は小1から小6まで、或いはもっと大きくなってからの写真まで範囲を広げてもいい。しかし、膨大なフォルダから特定個人の定点観測的な写真を一枚一枚掘り起こすのは至難の業であるからして、やっぱり難しい。なので小さい頃と現在のギャップを楽しみたい。

とはいえ、先日フレンズ合宿ブログの際、なっちゃんことOhmori母が、中3となった息子Hiroと3年前の合宿の小6のそれとをLINEにアップしたのをきっかけに、重い腰をあげて今回のブログとなったんである。但し限りなく「楽屋受け」に近いので、フレンズ関係者でないと面白くないかもしれない。

まずは2009年、今から8年前のフレンズ募集チラシ。もっと以前から募集チラシやチームロゴ、名刺などそのへん関係は筆者が一手に引き受けていたので、データが保存されているんである。
HiroとYuusukeが1,2年生のころ。二人ともひょうきんで可愛かった頃である。もっともひょうきんなのは今でも変わらないが。

2010年、入部したてのYui。彼は今中学2年、世田谷の城南ボーイズでキャッチャーで4番の座に座っている。Ruiとともに先日大きな大会で優勝を果たしたことは記憶に新しい。

同じ2010年、Hiro,Kohki,Shohgo。(※暗い写真は極端に明るく補正してある)
Shohgoがバットを持つと剣道の竹刀を持っているみたいだった。

2011年。現主将Shohmaの兄Takuto。イケメンぶりは兄弟そろってなんである。それにのちにフレンズのレジェンド主将となったRui。入部したての頃なはず。

少し飛んで2013年の現6年主将のそのShohma。Hiro,Yui,Ruiも少し大きくなり表情にも変化が。


更に2014年の、のちの有馬中学野球部の4人。他にもF出身中学野球部はたくさんいるが、きりがないので4人のカットだけを。

そして彼らが3年前の合宿時に撮った代表との写真。(※以下、写真提供Natsuki母)

でもって今年の合宿の時、代表とHiroが肩を組んだカット。いやはやマジか。ほとんど背丈が変わらんではないか。むしろHiroのほうが7mmほど抜いているではないか。上の写真と見比べたし、なんである。ちょっとオヤジのAyumuちゃんに似て来たな。今度オヤジの黒ぶちメガネをHiroにかけさせてみよっか。

そこでこの写真。合宿に行った三人の現存する一番小さい頃の写真と、現在の中3の写真を合成してみた。当ブログでは長年これをやってみたかったんである。
三人の鼻垂れ小僧どもは今、立派ないい男に変貌を遂げつつある。

...........
ここで終わらないのが「晴耕雨読」BLOG的オバケじゃない、オマケなんである。
2004年の募集ポスターもある。13年前か。恵比寿に設計事務所を持ち、髪の毛も少なくとも今よりはあった頃である。この頃はまだブログを書くなんて思ってもみなかった。
そのポスターに載っているのは現29番コーチShohtaと、アルバイトの合間を縫ってコーチに来てくれているKazu。彼もかつての主将であった。たぶんKazuは小学2,3年生の頃であろうか。
Shohtaほど見た目があまり変わらないヤツも珍しいが、
Kazuほど小さい頃と現在とのギャップが激しい男も珍しいんである。

練習をさぼり砂場遊びをやったりしていた鼻垂れ小僧たちは、確実に「男」に変貌を遂げるのであった。

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2017年8月2日水曜日

小説「月に雨降る」45

龍一は決心した。希伊の元気で幸せそうな笑顔を見られただけでも十分ではないか。このまま長く彼女を見ていると、今度は自分のほうが息苦しくなってきそうだった。まだ僅かに声をかけたい思いもあったが、胸の中から無理矢理それを追い出し、衝動的に伝票をつまんで立ち上がると、帽子を目深(まぶか)にかぶり直しサングラスをかけた。大きく息を吐きレジへ向かった。語尾を伸ばしてあの少し鼻にかかった声がした。
「ありがとうございま~す」
近くにいた希伊がレジへ小走りにやって来た。龍一はうつむきながら伝票をカウンターへ置いた。希伊が値段を告げると限りなく動揺してしまい、財布から乱暴に千円札を抜き取り釣り銭トレイに置いた。希伊はレジから釣り銭を取り出しその金額を言いながら、直接龍一へ手渡すように手をのばしてきた。自然と龍一も右手を差し出したその瞬間、手と手が触れ合った。17年ぶりに龍一の体に温かい血が通ったように感じた。思わず顔を上げて喉から言葉が溢れ出そうになった。『希伊!』必死でその塊を喉の奥へ飲み込むと、無言で踵(きびす)を返し出口へと向かった。

........................

希伊はしばらく呆然と我を忘れてしまっていた。店内の喧噪が次第に遠ざかっていく。今のお客さんに釣り銭を渡そうと手が触れ合った瞬間、何かの啓示を受けたように思考が止まってしまった。あの手のぬくもり、出口へ向かおうと体を反転した時に鼻腔に届いた微かな男の匂い、そしてドアに手をかけて姿を消したその背中。希伊の心の奥底に眠っていた琴線に何かが触れたような気がした。懐かしいような狂おしいような、それでいて愛おしいような。頭の中の記憶の回転軸が最初はゆっくりとそして次第に急速に逆回転していく。
突然背後からの翔子の声でその思いが破られた。
「希伊ちゃん、お疲れさま。遅番のナベさんが来たから私今日はこれで上がるね」
翔子は年上の親友であり、この店の共同経営者でもあった。我に返った希伊は慌てて言った。
「あっ、はい、お疲れさまでした」
「何よどうしたの、そんな幽霊でも見たような顔しちゃってさ」
まだ思考の半分はさきほどの男のことに占領されていた希伊は、咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。
「希伊ちゃん、マジでどっか悪いんじゃないの、大丈夫?」
「ああ、平気、平気。でも本当に幽霊を見たかも」
「えっ、やだ、ほんと」
「あはは、お疲れさまでした、翔子さん」
翔子の後ろからカズヤがくっついて来た。
「おっ、カズヤ。明日はまた試合でしょ。今度はヒット打つんだぞお」
「うん」
手をつないで店を出ようとした少年は翔子に言った。
「ねえ、ママ。きょうの晩ご飯はハンバーグがいいな」

希伊はまた先ほどの男の背中の残像に思いを寄せた。まさかそんなはずはない。自分の思い過ごしだろうかと心に問いかければ、二十代の頃一緒に暮らしたあの人の顔が浮かんできて、急激にきゅるりと胸が締めつけられる。女子中学生が初めて同級生の男子に恋をしたみたいに。
ふとレジの向こうのあの男が立っていた床に目が止まった。何か紙切れのようなものが落ちていた。拾い上げてみるとかなり古いメモ用紙のようだった。ゆっくり開いてみた。全体が黒い鉛筆の粉で覆われたその中に、くっきりと黒い文字で書かれた言葉と、その合間を縫うように微かに白く浮かんだ文字が交錯していた。

『リュウ、ほんとうにごめんね。いつかまたその日がきたら逢いたいよ』

それは紛れもなく希伊自身の筆跡だった。
心が打ち震えた、どうしようもなく。17年前の激しい雨の朝の記憶が唐突に蘇る。『その日』とはまさに今日に違いなかった。

「リュウ!」

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