2019年2月13日水曜日

がんばれ、ニッポンの女子

3連休は既報の通り、朝から晩まで仕事であった。自由が丘に造る新店舗のレストランの実施設計に埋没したのだった。唯一土曜夜はQueensの大人新年会だったのだが、翌朝さて仕事するかとMacに火を灯しVectorWorks2018を起ちあげると、なんと起動しないではないか。アプリのトラブルだった。頭から血が引くのが手に取るように分かる。真っ青である。火曜の朝までがリミット、まごまごしてる場合ではないわけで。この仕事でチームを組んでいる同業他社の設計会社に電話して、図面ファイルのバージョンを落としてもらい、一昨年まで使っていた古いバージョンのVectorでなんとか仕事を再開。月曜の夜中に全図面をクライアントに送って完了。どーにかこーにか事なきを得たのだった。
しかし今週もまだ続きがあり、また別件も始まるので油断はできないんである。

さてそんな今日この頃、やっとブログ更新しちゃうんである。
土曜のQueensである。毎年オトナだけで鮨の銘店「すし長」から出張握り鮨に来てもらい、各家庭から手作り料理を分担で持ち寄り、親交を深めるんである。いつも母たちの手料理には感心させられるわけで、実に楽しいものである。懐かしい味の煮物があった。筆者の郷里山形の名物「芋煮」であった。誰が作ったのだろうと取材調査という名目の詮索をすると、Ueshima母であった。やはり山形にゆかりのある血筋なのだった。どうりで美人だと思ったわけで。

毎年書いてるので繰り返しになっちゃうが、すし長のOhsawaさんは昔リトグリにいた人で、お父さんはあの「大沢親分」であり、銀座久兵衛で修行したのち、溝の口に店を持った人物なんであった。相変わらず超美味の握り鮨であった。

各テーブルを巡回飛行、遊撃活写しちゃう。テーブル上空を低空飛行しながら撮ったのだが、女子野球は至って平和なので、レーダー照射をするような不届き者の輩(やから)はいなかったのは言うまでもない。


麻生シスターフレンズの宴席のテーブルからは、絶え間なく爆笑が轟き渡っていたのが嬉しい。


さて前回も触れたけれど、今年は女子野球「3区懇親会」も兼ねての新年会なんである。川崎市女子野球の中でも宮前と親交のある麻生区と多摩区をお招きしての懇親会。来年は宮前Qが別の幹事の区へ行くことになる。
麻生シスターフレンズ監督は名将Katsukawaさん。いつもニコヤカベテラン監督であった。じゅんじゅんとスタッフ父母の紹介スピーチ。主将の子のお母さんとも話したけれど、昨年のバッテリーの超凄かったプレー姿が、いまだに目に焼き付いている。

多摩ウィンドフラワーズ監督はこれまた名将Minobuさん。風花=ウィンドフラワーなんである。試合で見るユニフォーム姿とは打って変わって、エレガントで実にチャーミングな方である。こちらもじゅんじゅんとスピーチを展開。いやじゅんじゅんとではなかったか。途中ぐだぐだ感があったとき、監督の業を煮やしたような、歯がゆい表情がまた可愛いかったのだった。

このあと、ふと多摩の男性から呼び止められたのだった。名前はSasakiさん。審判でも活躍している人で多摩の、創部なんと50周年の歴史ある堰子ども会野球部であった。あじさいやドジャースでもお目にかかったはずであるが、筆者には初見であった。
Sasakiさんに怒涛のごとく文字通り「息、堰を切ったように」話しかけられたところによると、兼ねてからこの少年野球「晴耕雨読」のヘビロテ読者さんで、毎朝溝の口を過ぎる頃の通勤電車でアクセスしていらっしゃるとのこと。これを明日読むのも溝の口の田園都市線の中だろうか。大手電気工事関係企業の方である。ことに一昨年ここで書いた小説「月に雨降る」は40を過ぎた男の大人の恋愛小説なんであるが、アレを是非とも本にして欲しいとご所望しておられた。小説終盤の金沢の喫茶店で龍一が希伊に悟られず店を去るシーンでは、思わず電車の中で泣きそうになったとのこと。「アレはもう、村上春樹じゃないですかっ!」
ここにも一人春樹ファンがいらしたのであった。

逆に、むしろ、そこまであの小説を読み込んでくれた初見の人に出会えた喜びを、口下手な筆者が流暢に説明できるはずもなく、この感謝の気持ちを伝えるにはハグしかないのだった。筆者女性とハグするのは大好きだが、生粋の日本人のくせに多分今まで女性よりもむしろ男とハグした方が多いと思うほど、ハグには抵抗感がないのである。
実に嬉しかった。「もし直木賞を獲ったらその賞金でみなさんをご招待しますんで、また飲みましょうね」と言って別れたのだった。しかし実際本当に賞金を手に入れたら速攻日々の生活費に消えるか、またはNISSAN GT-R NISMOの1/20の購入資金の頭金にするであろう。あるいはハーレー・ダビッドソン購入も悪くないな。その前に大型二輪免許取得しなきゃであるが。

こんな「晴耕雨読」のファンの方に衝撃的な出会いをしたのは、奇しくも同じ数年前のここ鷺沼JAであった。初めてQueens(バーズ)のYoshikawa母とここで会ったのだった。彼女は「晴耕雨読」の筆者は架空の人物で実在するとは思ってなかったとまで言い切り、自然に彼女から駆け寄りハグされたのだった。夫婦ともに今でもQとバーズに貢献しているYoshikawaファミリーなんである。

久々にブログ書いたのでぎゃんぎゃん長くなっちゃうのは職業病か元来の性癖か。
そーなんである、閑話休題、Q新年会であった。
Qの面々の一人ひとりご紹介である。

途中夫婦(めおと)漫才が入る。Tanaka夫妻であった。こちらもいまだにラブラブ夫婦である。


宴もたけなわではございますが、そろそろ、いや、モノマネ元彌風に、そろりそろり、お開きなんである。

最後にSohmaQ会長を中心にスナップ写真を掲載しちゃう。

改めて麻生区、多摩区のみなさん、ご参加ありがとうございました。これからも川崎の女子野球を盛り上げて行きましょうぞ。

昨年最後のお務めとなったQ母会長だったKitamatsu母とも、近く予定されている卒団式を最後にお別れかもしれない。なので一眼レフ使い手のHasumi父に頼んで皆で写真を撮った。お別れ会DVDが楽しみである。歴代レジェンド永久名誉母会長のモッチー母と共に。

最後にQueensだけで集合写真。Kitamatsu父に負けず劣らずイケメン父のKosakaさんに代わりばんこに撮ってもらう。ダンディーKosaka審判部長の息子さんだけあって、実にイイ男なYumeno父である。

......
さて昨年からほとんど息もつかずに仕事に埋没し、フレンズやQueensや神戸のチームのマグネット制作や確定申告やその他諸々全く手付かずに来てしまっている。そんな日々のケツの座りが悪い中、かつ焦燥感と達成感がないまぜになった中、衝撃的なニュースが今日飛び込んで来た。第一報はスマホLINEニュースの速報だった。女子水泳池江選手の白血病公表だった。

筆者のマーゴも血液のガンと言われる急性骨髄性白血病だった。白血病の数ある種類の中でも一番重篤な病である。二歳の誕生日を迎える直前の発症だった。あの時の衝撃と自分が死にたくなるような虚無感と厭世(えんせい)感は今でも忘れない。当時のフレンズ母たちから千羽鶴をもらった時は号泣してしまった。マーゴMinamiは小学2年生になった今でも年に数回病院検査に通っている。しかしおかげさまで今は毎日元気に飛び跳ねている。

頑張りすぎないように、頑張れ、池江璃花子さん。
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2019年2月10日日曜日

女子野球、今年もよろしく

ヤバイんであった。仕事の締め切りに追いまくられて「Queensの新年会兼3区懇親会」に行けるかどーかの、瀬戸際であった。どんだけ追いまくられているかって言うと、インディー・ジョーンズのハリソン・フォードが丸い巨岩石に追われて必死でダッシュするみたいに。17時集合で16:30まで仕事してなんとか鷺沼JAへ駆け込んだんである。

今年はQueens恒例オトナの鮨パーティー。出張握り鮨は銘店「すし長」Ohsawaさん。その辺のブログはまた次回としたい。明日からの日曜、月曜の連休もガッツリ仕事な訳で。

ただし、数枚の写真だけはアップしちゃう。
「3区懇親会」とは毎年持ち回りで多摩区、麻生区、宮前区の女子野球チームが合同で懇親会を催す飲み会なんである。今年は宮前が幹事チーム、いっそQオトナ新年会と「3区懇親会」を合体してやっちゃおうとなったんであった。

実に楽しい会であった。
多摩区、女性美人監督Minobeさん率いる「風花」ウィンドフラワーズの面々。小欄「晴耕雨読」のヘビロテユーザーと言うSasakiさんとの偶然の邂逅は実に愉快であった。そのあたりの話も次回に譲りたい。

麻生区、大ベテランKatsukawa監督率いるシスターフレンズの面々。
筆者、人のことは言えない立場なれど、頭髪のことをイジルとなぜかほぼ万人が爆笑することを心得ているわけで。案の定、思惑通り、良い笑顔がゲットできた。この一瞬を待っていたんである。三者三様、十人十色、実に良い笑い顔である。

気を取り直してハイ、チーズ。

そんでもって我が宮前Queens。総監督Koshimizuさんが途中所用で帰った後の全員のショット。Queens今年も頑張ろう!
お母さんたち、心のこもった数々の手料理、ご馳走様でした。ありがとう、お疲れさま。「前略おふくろ様」のショーケンが作ったくらいに、実に美味しかったわけで。

......
予報では結構雪が降り積もるとあったが、あにはからんや、ここ宮前ではうっすら雪化粧程度で終わってしまった。良いのか悪いのか。交通の便や流通業界にとっては良し、反して子供達のワクワク感を裏切ったとすれば悪しといったところか。それにしても連日の都市部の雪に対する戦々恐々ぶりはなんだか失笑気味である。筆者が雪国の産だからだろうか、天変地異などで命に別条なければ、ちっちゃい雪なんて、なるようになれってものだ。
17時の鷺沼駅前と20時頃のそれ。
仕事のトンネルの先に一筋の光明を確認できたら、またこの続編ブログを書いていこうと思う。

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2019年2月9日土曜日

明日は雪か?

ついさっきまで、クライアントとの細かいメールでのやり取りの応酬。

今日は金曜日、終日仕事で明日のQueensの「オトナスーシー新年会、兼三区懇親会」に出れるかどうかの瀬戸際なんである。この三連休はどっぷり仕事。どこか隔世の感あり、仙人になったような気分。

午前0:10。つい先ほどまでクライアントと自由が丘の案件でメールと電話で打合しながら、やっと今日はMacを休憩させることに。と言ってもTVで映画「ララ・ランド」の吹き替え版を観ながらの仕事なので、効率は悪いけれど。昨年DVDで観た時の方が当然面白かった。

明日Qが始まる夕方までにどんだけ仕事量をこなせるかで、参加の是非が決まる。
2019年、2月だというのに、まだまだ予断を許さない今日この頃なんであった。
うーむ、......今日は寝る。
明日は雪か?
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2019年2月4日月曜日

北帰行、どこへ帰るのか

今日、日曜は図らずも義兄の葬儀で山形へ。仕事の関係で日帰りの強行軍。帰りの新幹線でブログアップと思いきや、中学同級のグループLINEに投稿しているうちに、チョー爆睡し初志貫徹ならず。今、帰宅してから書いている次第。

往路の福島までは車内は蒸し暑いくらいで全く雪がなかったけれど、福島米沢間では景色は一変、白と青の白銀世界。

昼食後山形駅前からタクシーに乗り込む。セレモニーホールの名を運転手に告げる。発車後ほどなくして70代と思しき運転手さんがおもむろに言った。
「お客さん、大変失礼ですけど、故人とはどのようなご関係で」
親族であることを告げた。聞けばその方は、義兄のゴルフ仲間だったのだそうだ。タクシーの仕事で葬儀には行けないとのこと。斎場に着くまでずっと義兄の思い出話を語ってくれたのだった。心筋梗塞の突然死だったので、義兄と同年代の運転手さんに降車間際に言った。
「運転手さんも、どうぞお体には気をつけて。お世話様でした、ありがとうございます」

たいそう立派な葬儀だった。詳細は省くけれど、昔義兄がいた会社社長が弔辞を読み上げる。その社長は実に筆者の中学の同窓生S君だった。(同級生ではない)驚きであった。

このところ筆者の周囲では友人知人の訃報が相次ぐ。中学同級生グループLINEではほぼ同時期に3名の訃報。往路の新幹線車中では、宮前少年野球連盟会長のご尊父が逝去、その訃報メールに接する。更に義兄の亡くなる二日前は義兄の実の兄が亡くなっている。義兄方の身内にとっては三日間で兄弟二人が鬼籍に入ったわけで、その衝撃度は想像を絶するものであろう。
とりもなおさず、それは、自分もそういう年代に突入したことを意味するのであった。

行きの新幹線ではそれと相前後してQueensSatoko母会長からLINE。女子選手募集チラシの画像が来た。筆者なりのアドバイスをリプライ。春季開幕ではQの募集チラシをどーぞご覧あれ、野球にちょっとでも興味のある少女諸君、ぜひQueensへ来ていただきたいとの思いを新たにするわけで。
.....
さてここからは一転し、いつもの「晴耕雨読」調で。
トンボ帰りとは言え、中学同級生LINEには内緒でサプライズを謀略、葬儀後、復路の車中の人となる前の僅かな時間に同級生の経営する洋菓子店へ寄ったんである。昔懐かしバタークリームケーキを目当てに。店主は昨年の同窓会幹事を務めた「じ君」である。中学生当時、名前がコージ君だったのであだ名が略して「じ君」なんである。イケメンでバスケットの花形選手だった。サッカー部で攻撃的ミッドフィールダーをやっていた筆者とは、女子にモテる男子の双璧であった。(ハイ、ごめんなさい、見栄を張ってしまいました)

雪道にタクシーを待たせて店内を覗くと、びっくりした彼のキョトン顔が見えた。その後破顔一笑、握手して旧交を温めたのだった。モデル級の美人妻がいるのは噂に聞いていたが、その奥さんに写真を撮ってもらった。モデル級どころかスーパーモデル級の可愛い奥様であった。

山形は思いのほか雪は多くなかったけれど、大通りから一本道を入るとまだまだ雪道の住宅街があった。雪の山形帰郷は何十年ぶりだろうか。

笹かまをツマミに復路の新幹線で缶ビールを、ぷしゅり、かしゃり。窓外ではモノトーンの雪景色が、私のココロの中をびゅんびゅん通り過ぎて行く。

ふと目覚めると福島郡山だった。駅名表示を見てニンマリ。
「こおりゃま」
「や」が微妙に小さい「ゃ」になっちゃっているではないか。
瞬時に思い浮かんだ。
「こおりゃまあ、どーしたことか、郡山」
ダジャレの宝庫、「晴耕雨読」ブログなんであった。

再び泥のように、或いはボロ雑巾のようにシートに沈み込み惰眠を貪る。
やっと渋谷まで帰った。駅前は日曜夜とあっていつもより静かで穏やかなシブヤだった。
10代、20代の頃、山形へ帰郷した時は「ああ、田舎へ帰って来た」という感慨があったものだが、今はむしろこの渋谷の夜景を見て「ああ、東京へ帰って来た」という思いになっちゃう。それだけ郷里で過ごした18年の時間よりも、こちらで生きてることの時間の蓄積が圧倒的に大きいからだろう。
でもまたいつか、「ただいま〜山形」と言って郷里へ帰りたい。
なぜならそこには「お帰り〜、山形へ」と、言ってくれる中学の友人たちがいるからだ。

明日からまた仕事の激務が待っている。この1週間、連休明けまでがピークで勝負どころなんである。
もう寝なきゃ。
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2019年2月2日土曜日

深夜の弁明Part...

ブログ更新頻度が激減なんであった。この時期少年野球ネタが少ないのは当然としても、決して日常的日々雑感的ネタがないわけではないのだが、如何せん未曾有の忙しさなんであった。

考えてみれば今年に入ってまともに終日休みという日は数えるほどしかない。ひょっこりはんのようにFやQに顔を出してはそそくさと仕事に戻る週末。先日は二日間で一社のクライアントの三人の担当者から別個に電話があり、実に参った。当分新規物件はことわざるを得ないのだった。

つい先日は山形の義兄が亡くなり、日曜は日帰りで帰郷の予定。出来れば山形中学の同級生たちと再会し旧交を温めたかったのであるが、こればかりは致し方なし。筆者が中学生の頃、生まれて初めてボーリングに連れて行ってくれた義兄である。
更に日々の些事(さじ)に翻弄されることに。宅ふぁいる便の顧客データ流出事件でサイト閉鎖、大容量データが送れないのに加えて、他のサイトのIDやパスワードを変更してくれとのメール。zipファイルは他のサービスサイトに乗り換えて難を逃れたものの、実に煩わしく面倒なんである。更にまた今度はこのブログのGoogle+(プラス)という機能が4月で閉鎖されるとの一方的な長文の英文メールでのお達しがあった。Google+がなくなるからと言って、このブログがなくなってしまうわけではないだろうけれど、どーにもこーにも気分が優れないのである。

仕事以外でもやらねばならぬ仕事が山積。フレンズとQueensのマグネットに加えて、神戸のあるチームのお母さんから頼まれて制作せねばの予定がある。これは昨年から依頼されていたものだった。川崎と違い、神戸ではすでに公式戦の大会が始まっているのだそうだ。更には確定申告もまだ全然、ましてやHONDAダンク購入は遠い別世界へ行ってしまった。こんなトホホな毎日はいつまで続くのか。Qの三区懇親会・オトナ新年会も危なくなってきたんである。

「仕事忙しい話」というのは場合によっては食傷気味で、聞くに耐えないこともある。十分わかった上での清水義範的「深夜の弁明」なんであった。

次回は山形行での雪景色を、日帰りの新幹線車中からiPhoneでアップすることになりそうである。
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