2019年7月16日火曜日

笑いと涙の法則

いよいよ子ども会準決、決勝なんであった。ヤングVSレッパ、ウルフVSアリコの互いの勝者が決勝となる。筆者は昼前にちょこっと行っただけなのでほとんどリポートは出来ない。ヤングはレッパに圧勝していた。もう一戦ではウルフ優勢の展開であった。

アリコにはチームの要Kahoちゃんがとうとう復帰してきたのだった。秋季ではまた大暴れしちゃうに違いない。


午後は愛馬赤カブに鞭を入れて、シャンシャンしゃりしゃり、シャラリララとエンジン音も軽やかに有馬ドームへ。ちょうど222.2kmとなったところだった。ふと気がつきiPhoneでパシャリ。

川少連記念誌へ載せるチーム紹介の集合写真をやっと撮ることができた。今年の梅雨は予報通りの空模様にならず、Yahoo!の雨雲レーダーと現実のあいだに明らかな乖離が存在し、猫の目のようにコロコロと変わるのである。今日を逃したら最悪はジャビット優勝時の写真を採用せざるを得ないのだったが、それだと参加してない子が数人いてココロを悩ませていたのだった。
全19名、その半分が6年生。来年が厳しい、いや厳しすぎる訳で。
それでも子どもたちの笑顔は地球を救う。
フレンズは誰かの仕事で出来ている。

試合前。新手のパフォーマンスを考案したらしい。

集合!
VSリトルグリーンズなんであった。昨日は雨の中秋季「死の組」となったBブロ、ブルアロ戦を決行、文字通り雨中戦となったが先の過密スケジュールを鑑みると英断だったと思う。今日は曇天の元、開催となったんである。
連盟から審判部事務局の重責を担うAokiさんに来ていただいた。

試合はGが先制するもその裏すかさずF先頭Tsukasaのツーベース、Manatoのタイムリーで同点1:1。

このTsukasaがのちに攻守に渡って類例を見ない偉業を達成することになる。
とーちゃんと息子。

Tsukasaは二つのセンターフライを好守とスライディングキャッチでチームの危機を救う。交代の際はAnjuが声をかけHaruyaがグラブタッチでファインプレーを賞賛。



4回にはGのKasamaくんが倉庫屋根直撃弾の見事なツーランホームランで拮抗の1:1から3:1とする。その後5回にFが1点返し3:2と追い上げ肉薄。
回は終盤、時間がない。秒単位を睨み速攻で好守交代の策に出るF。どうにかFの最終回裏の攻撃にまで繋いだ。

3:2の一点ビハインド、一死満塁の場面で打順は一番のTsukasaに回って来た。二球目を振り抜いた打球は左中間を真っ二つ、走者二者を本塁に返す、逆転サヨナラタイムリーの3:4。主砲Akiは今日も二つの申告敬遠で無安打ながらも、小さな巨人の活躍とチームワークで勝利を手にしてリーグ戦2戦2勝とした。


歓喜の渦を尻目に、涙をこらえて冷静にスコアを計算するスコアラー部長Ayumuオヤジ。
しかしながら子どもたちや母たちの涙を見てるうちにこらえ切れなくなり、自分も号泣しちゃったのであった。自分の息子は試合に出てないのに。巨大なダムが決壊するかのように。

しかしそんなAyumuちゃんだからこそ、子どもたちに慕われ、チームの大人たちの誰からも愛されるキャラなんである。
フレンズは誰かの仕事で出来ている。その一人がこの男である。

ふと気が付いた、笑いと涙の法則に。
大事な試合で負けた時に泣くのは選手たちである。大人は眉間にしわを寄せ苦渋の表情で下を向く。
反して大事な試合で勝利した時笑うのは選手たちである。大人は勝った時にこそ笑いながらも感動で涙を流す生き物なんである。
20数年少年野球をやって来てやっとそんなことに気が付いた試合であった。
オトナの皆さんは、今まで悔し涙よりも感動の涙の方が多かったのではないだろうか。

他にもこの週末いろいろあったけれど、その辺のブログネタは仕事と記念誌仕事の合間に掲載予定なんである。
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2019年7月12日金曜日

蘇る一葉の記憶

このところの5,6月はちょいと暇だったのだが、ここにきてまた仕事が忙しくなってきた。フレンズ40th記念誌関係もチーム記念誌の母たちのおかげで、寄稿文仕事は少し前が見えてきたのだが、肝心の本編ページのエスキースはまだサッパリなんである。

同時に記念式典の昔の写真を収集するDVD制作チームがあり、筆者へは娘時代の写真提供依頼があった。棚の奥からごっそり引っ張り出してみると、当時はデジタルではなくプリント時代ゆえ、ましてや一眼レフは持っていなかったので、ぼんやりした写真ばかりであった。しかしこれでも当時はれっきとした写真として、フレンズの親たちに「焼き増し」プリントして配ったのであった。「焼き増し」と言う言葉自体がすでに死語となったのに今気づいた。時代の趨勢おそるべし。

何枚もあったのでこれをスキャンする手間を省いて差し上げようと、データで渡そうと思いカメラに収めてみる。娘が5年生の時の写真が多く、6年になってからはなぜかほとんど撮っていないのだった。あの頃の俺は独立して恵比寿に事務所を構えたばかりで、忙しかったのだろうか。2年前の息子の時はまだ会社員で、ほぼ毎週グランドへ行ったのだったが。
「有馬フレンズ広報部 報道写真課  焼き増し係」
どーやら当時から広報部長をやっていたらしい筆者であった。ほとんど記憶にないのだが。インターネットはすでにかなり広まりつつあったけれど、当時はまさか自分が将来ブログを書くなんて想像もつかない時代であった。

記憶は一枚の写真で一瞬で蘇ることがある。
息子が卒業し娘が5年生の時、フレンズの28番をつけてベンチに入った。当時はスコアブックすら読めないオヤジであった。監督がHohjohさん、29番が現顧問のKanedaさんだった。その後KanedaさんはBの監督となる。
自分がユニフォームを着てベンチ入りした記憶はもちろん鮮明にあるのだが、まさか写真に残ってるとは失念していた。この写真を発見して胸の奥から当時の光景がふわりと浮遊してきたのだった。
右端奥のしかめ面してる40歳過ぎのヒゲ野郎が筆者、左端が当時60過ぎのバリバリなKanedaさん、中央手前のカップを持っているのが筆者の娘Kanakoである。他にも懐かしい面々の顔がそこにあった。

4枚まとめて撮る。子ども会Bの大会だろうか、ほとんど記憶にないがフレンズはウルフに23:6の圧勝だったようだ。今では信じられないだろうが、今は昔、今昔物語。

試合後当時の中田ファミリーと、ウルフのEmiriちゃんとウチの娘と写真に収まる。ウルフの青いユニフォームが懐かしい。EmiriちゃんとはBの試合で娘と女子同士のエース対決で、死闘を演じた間柄であった。
中田さんはみなさんご存知、衆院議員、横浜市長、政治コメンテーターなどを歴任し、今年の参院選に出馬しているあの中田宏さんであった。
※公人をSNSブログに載せていいものかどうか迷ったけれど、反社勢力の忘年会に出た芸能人とはわけが違うので、独断で掲載。

一枚の写真から記憶が鮮明に蘇ることってよくあることだけれど、今日はその想いに囚われた時間が、自分の脳裏を駆け巡って行ったのだった。
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2019年7月8日月曜日

雨の日も仕事の「晴耕雨読」

今日日曜はさすがの梅雨とあって、川崎連盟や宮前連盟主催の大会はことごとく中止となった。フレンズも然りだが、午後はアリーノで野球教室の勉強会となった。大変いいことである。昔はウチのマンションの集会室で野球教室を何度かやったこともあったが、アリーノという公的施設が出来たことは実に喜ばしいことだ。筆者が現役オヤジだった頃、6年生の年は高円宮賜杯の県大会準優勝まで登りつめたのだったが、その年は毎週毎週公式戦が目白押しで、しかもほとんど雨で中止になったという記憶がない。朝の早起きが苦手な筆者、オボロな記憶ながら稀に雨で中止になった朝は、雨音を聴きながら再び惰眠を貪るためにベッドに戻りまどろむのが、最高の至福の時だった。現フレンズ監督Itohくんも息子と同級だったので、あの時の記憶は鮮明だったろうと思う。

再び今日日曜はさすがの梅雨とあって...2。
雨で野球が中止ということは、同時に連盟事務局の臨機応変の仕事が倍増することを意味する。子ども会大会、たまなみ大会、強いては秋季大会スケジュールまで影響が出てくることになった。連盟事務方、各担当から嵐のような連絡網メールが雨空の宮前上空を飛び交うのであった。各チーム事務局ならその片鱗をご理解しておられるとは思うけれど、いつもながら大変な仕事なんである。筆者は先日宮前のスポンサーでもあるRawlingsJAPANのHandaさんと「晴耕雨読」の件でメールのやり取りをした。Handaさんは年間通じ東京神奈川他全国のいろんなところの連盟の大会を見てきていらっしゃるのだけれど、宮前少年野球連盟の仕事ぶりには実に感心して絶賛しておられた。思わず事務局長のSatohさんにメール文を転送したくらいである。

三たび、今日日曜はさすがの梅雨とあって...3。
昼間筆者は雨音のショパン、じゃないQueens、おっと違ったQueenのiTunesをMacで起動しボヘミアンラプソディーのアルバムを大音量で聴きながら(映画もDVDでしっかり観た)、次にエルトン・ジョンを延々と聴きつつ、やっとフレンズ40th記念誌の構想に取り掛かったんである。全体の骨子をメモってみた。アイディアは多いほどいい。それらを後から引き算して贅肉を落とし、ブラッシュアップするんである。思いつくままの殴り書き。
これの前にセブンでフルボディーの安い赤ワインと冷凍ピザとシャウエッセンを購入。このセブンのピザがなかなかの美味なんである。シャウエッセンの輪切りを大量に並べて、さらにスーパーLIFEで購入してある「3種ミックスチーズ」をこれでもかと言わんばかりにバラバラと大量投入し、いわゆるダブルチーズトッピングにてレンジで解凍、その後オーブントースターで焼くこと5分。実にうまし。トドメにミントの葉っぱが一葉添えてあれば尚良かったのだが。
※内容はまだ明かせないので白で塗りつぶし。まるで政府の機密文書の「海苔弁」的塗りつぶしみたいな。

今まで記念誌はフレンズ30th、宮前連盟20th、Queens10thを作ってきた。連盟記念誌は鬼編集長のNishimuraさんが八面六臂の大活躍、さらにプロのグラフィックデザイナーに低価格とは言え有償で全体を依頼したので、相当助けられた経緯がある。当時Nishimuraさんと故Kasaharaさんがいなかったらこの偉業はなし得なかったに違いない。筆者は数ページをオリジナルで作ったのだけれど。白黒印刷が当たり前だった少年野球記念誌。10年近く前の言わば「作品」であるが、今見ても全然色褪せてない自負がある。他にも近年発刊のレッパや花フラの記念誌も入手している。それぞれの特徴が出ていて楽しい。

はて、改めて少年野球の記念誌っていったいどーなんだろうと思い立ち、Googleで検索してみたのであった。
検索ワードは「少年野球 記念誌」
ズラーリずらずらヒットしちゃってるではないか。何千件か何万件かは覚えてない。
はて、どこかで見たような文字が目に飛び込んできた...。
1ページ目の5,6番目にQueens記念誌を紹介した筆者の少年野球「晴耕雨読」BLOGがヒットしている。更に「Google画像検索」でググってみると、画像群の最初のトップ15サイト中、8サイトが筆者のブログ絡みであった。フレンズの表紙やQueensのページ、連盟記念誌の懐かしい画像が浮かんでいたのだった。
※Google画像検索から引用。

更に掘り下げて検索すると約10年前に書いた「晴耕雨読」のブログがヒット。フレンズの30th記念誌当時の苦労話がのっていた。今では「晴耕雨読」的少々偉そうに見える「なんである体」の文章が確立されているけれど、当時はまだ「丁寧体」と「なんである体」の過渡期だったようで、中途半端な稚拙な文体ではあるが実に懐かしい。また今ほど個人情報がうるさくなかったせいか、実名で掲載されているのも時代の成せる業か。今の時代の趨勢を鑑みればおいそれとアップは出来ないかもしれない。
※ページをそのままjpgでアップしているので、他のサイトでも実名満載である。記念誌というある程度公的メディアに載るということはそのままSNSに載っても仕方ないのかもしれない。
今ではフレンズに欠かせない存在となったOhmori父。9年前の記念誌では妻のなっちゃんを通じてまだ会ったこともない彼にメールのやり取りだけとは言え大事な仕事をやってもらった。その後フレンズに来るようになり今の彼がいるのも感慨深い。今となっては現フレンズスコアラー部長である。
晴れの日は外で働いて雨の日は静かに家で読書というのが、「晴耕雨読」の本来の意味である。雨でも、いや雨だからこそ仕事しなきゃなのが宮前の男たちなんである。

40thフレンズ実行委員会と記念誌委員会メンバーの母たちにはぜひクリックして見て欲しい。9年前の記念誌委員会のお話。
※2010年「30th記念誌編誌上公開」ブログ。

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2019年7月5日金曜日

仕事と仕事

連日の雨である。
梅雨時なので仕方ない。
しっとりジトジト、紫陽花にカタツムリがのったり徘徊する様を眺める余裕もなく、
仕事と少年野球仕事に身体を拘束される今日この頃なんであった。

フレンズでは来年の40周年記念誌担当として、寄稿文の仕事。
自分で作った予定では、この7月いっぱいで記念誌約90ページ分の、
ラフスケッチ(エスキース)を作らねばならないのにもかかわらず、
まだ全く手をつけられてないわけで。
その昔横尾忠則は3ヶ月で一枚のイラストを仕上げるのに、ほぼ3ヶ月何もしないで、
最後の一週間で一気に描くと聞いたが、こっちはそうもいかない。
週末のスコアラーは当分勘弁してもらおう。
クリエイティブディレクターとチーフデザイナーとアシスタントデザイナーの全てを兼任。筆者のフレンズにおけるおそらく最後の大仕事なワケで。
アシスタントデザイナーは記念誌チームに他にフレンズ母が5名いるので、
それが唯一の救いである。

それはさておき、かたや同時に宮前連盟依頼の川崎市少年野球連盟周年記念誌のマップページを作成中。
本来のグラフィックアプリが使えず、Macを再起動して古いバージョンのPhotoShopで悪戦苦闘。
宮前20th時代のマップをベースにして、2019年最新バージョンにデザイン更新。
まだもう少し手間暇がかかるワケで。
10年前とチームロゴが変わったのが数チームあり、
残念ながら廃部となったチームもあり、
戦国絵巻風デザインを、今風にする修正あり、
チーム名をもっと大きく変更する必要性あり。
...etc。なんである。
新チームロゴの件、副会長Sasakiさん、早めに返信下さい。

明日も雨または曇天の予報。
いつもの散歩コースで可愛いカタツムリは発見できるだろうか。

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2019年7月1日月曜日

Q四天王の男たち

予想通りの雨だったり、予報を裏切る雨じゃなかったり、Yahoo!雨雲レーダー通りの降雨量だったり、雨雲レーダー通りじゃない曇り空だったり。「女心と秋の空」ならぬ「猫の目」のようにコロコロ変わる天気に、川崎たまなみ大会や宮前少年野球連盟事務局の急転直下への臨機応変、各チームの早朝雨空を見上げての予定変更連絡網、いやはや水面下での縁の下の力持ちたちの孤軍奮闘があっての少年野球なんである。梅雨時ならではのそれぞれの奮戦記があるのだった。野球界では昔から言うではないか。「野球は審判と天気には勝てない」と。それで良いのである。近年日本ではドーム球場が林立しているので、野球は天気に勝っちゃうことも否めないのであるが、雨に打たれて泥だらけになって勝った負けたの悲喜こもごもも少年野球の経験は、絶対貴重な財産になるに違いないと思うのは筆者だけだろうか。この二日間も雨中戦の熱闘があったのだった。

さて個人的にいろいろあってこの雨の土日は少年野球に行けてない。土曜はノジマ電機に小雨降る中バイクを走らせエアコン発注し、その後Queensの北部大会に行く予定なるも、ノジマの親切丁寧なれど、それが逆にアダとなって予想外の対応にここでエアコン買うことを断念し、外に出て駐輪場の赤いカブの傍らで空を見上げれば、雨脚がドガスカ強くなってエアコンと同時にQの試合も断念せざるを得なかったのだった。

しかしながら土曜午後はQueens代表Murataさんの、川崎JA専務退職お祝いの久々の飲み会なんであった。これは雨が降ろうと槍が降ろうと、あと数時間で巨大隕石が地球に激突し世界が終末を迎えようとも、行くと決めた以上は、宮前平七輪焼肉居酒屋「鉄四」へ馳せ参じたのだった。

宮前Queensは女子野球。その昔野球の子どもたちの裾野を広げるため腐心していた巨人軍から前代表故Kasaharaさんにオファーがあり、氏からグリーンズのKoshimizuさんへ監督要請があり(現Q総監督)、さらにKoshimizuさんから現Queens代表Murataさんへ一緒にやりましょうとお誘いがあっての、今日のQueensがある。これにのちに宮前少年野球連盟前会長Sohmaさんがどっぷり女子野球を後押ししハマることになって今日にいたるのであった。その途中過程で筆者もKasaharaさんからの誘いでQの棺桶に片足を突っ込んだのであった。筆者はともかく、前述の4名は片足どころか全身棺桶に収まったようなものである。女子野球Queensの黎明期を創造し過渡期を支えたいわば4人の神なんである。Kさんを除き3人は筆者の小説にもモデルとして登場させている。四天王?はたまた七福神?七福神ならその末席に筆者もQ広報として鎮座ましませることができるであろうか。最近滅法腹がメタボで布袋さんのような風貌になっちまったのだが。(※布袋を「ぬのぶくろ」と読んでしまったアナタ、若干を「わかせん」と誤読しちゃうタイプですな。あるいは出汁を「でじる」と読んじゃうF母なっちゃんのような(笑))

Murataさん、JA退職おめでとうございます。お疲れ様でした。
Qのみならず川崎少年野球、宮前少年野球にただならぬご協力ご尽力いただき、誠に感謝にたえません。Kasaharaさん亡きあとQ代表として歴代の母たちの声に耳を傾け、真摯にQの発展のために陰になり日向になり、時に飄々として笑いを取り、時に豪快に決断し、時に味噌ラーメン10人分を奢っていただき、時に酷暑の中アイスクリーム30人分の太っ腹、ありがとうございました。

私は人間としてのMurataさんが好きである。Qにハマった男たちの大きな要因の一人である。
なんか、故とか現とか前とか複雑になったのだが、JAはめでたく退職し順風満帆の余生が待っているけれど、Queensの代表職はまだまだ続くわけで、どうぞこれからも宮前Queensをよろしくお願い致します。

このあとMurataさんの慰労会感謝祭は延々三次会までハシゴし、Qの現状と未来の展望についての母会長Satokoちゃんの熱弁や、笑いを交えた熱いトークで夜は更けて行くのであった。7月には連盟主催のMurataさん慰労会も開催予定なんである。筆者はフレンズのジャビット本大会壮行会とバッティングし現在考え中である。

来たれ、女子野球Queensへ!
子どもも親も絶対損はさせませんから。親も子も女子野球Queensに入って良かった、と思えるチームがここにあります。
....
さてさて、写真がないじゃないか。ここからはオマケ的日々雑感である。

先日近くのスーパーで見かけた山形の旬のさくらんぼ。
郷里山形と見るや否や気になる今日この頃である。年取ったなあ。
しかし高っか!

そんなこんなを山形同級生39LINEでやり取りしていたら、偶然にも山形の姉からサクランボが届いたんである。まるでルビーよりも艶やかな赤い宝石のようだった。見た目通りめっちゃ美味しかったのは言うまでもない。夜のウィスキーロックのお供にも最適なんであった。

受け取ったその日の午後は仕事の打合で品川のクライアント某T社へ。
浦和のホテルレストランの仕事で高層ビルの19階から見た東京の風景。受付嬢はいつも来るたびに4名ほどが忙しく立ち働いている。みなさんめっちゃ美人さんでしかも感じがよく、この日はいつもは見かけない新人さんと思われる女性社員が筆者の担当だった。容姿端麗、麒麟淡麗、あまりに綺麗な美女だったので筆者ちょっと年甲斐もなくドキドキしちゃうくらいだった。しかし若い頃ならいざ知らず、今はこの思いを完璧なまでに隠し、IDカードを持って跪いてきた彼女の、スカートから垣間見える白い膝頭を一瞥しつつも、クールに「ああ、どうもありがとう」と、男の助平心を微塵も見せない完璧な笑顔で返せる年になった俺なんである。

この日の東京は、遠くに2020オリンピック建設の槌音(つちおと)を感じる、薄曇りの遠景を背にして穏やかに目の前のそこにあった。

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