2020年1月15日水曜日

温故知新

今年に入って幸か不幸か、仕事が緩やかになってしまった。自営業者としては生活の不安を頭の片隅に感じながらも、もう一方で、しめしめこの間隙を縫って一気にフレンズ記念誌を進めていけるぞ、やっちゃえニッサン!と悪魔の囁きが聞こえてくる。そんなわけで罪の意識に苛まれながらも、朝から記念誌制作を頑張っているのだった。フリーランサーとしては自由と恐怖が紙一重の綱渡り。

対談ページ作成中、DVDチーム母からの確認問い合わせのLINE、年代と写真の整合性の確認。記念誌チーム母からも広告校正結果の資料がどっさり怒涛のメール。修正と差し替えの暗澹たる煩雑な思いに囚われながらも、頑張ってくれている母スタッフに大いに感謝。これを無くして記念誌制作はありえないわけで。結果少しは誤記があったとしても記録である以上、間違いのないように精査しブラッシュアップしなければ、記念誌クオリティーの差が歴然となる。仮に誰も気づかないような箇所であったとしてもだ。更に夜はQueens卒団式DVDに使用する自撮り写真も撮って、Q母にLINEで送る。ナイスなアイディアに敬服するも、普段筆者は人の写真ばかり撮って自分の写真はほとんどないから、自撮りなるものは実に照れ臭いものである。お〜し、今年はツイッター、FB、インスタ、果てはYouTubeでもやっちゃうかナって...まあ絶対無理だわな。ブログだけで精一杯であるからして。

さて「対談ページ」である。対談と言うよりは三者座談会。ここではまだ内容は詳(つまび)らかにはできないが、「フレンズLegend」と言うタイトルで筆者を含めて座談会を開き、それを記念誌に掲載するという企画ページを画策。会話の内容をボイレコとビデオに録って母たちにテキストデータ化してもらう。「テープ回してないやろな!?」この場合、回さなきゃならないんである。届いたのはA4サイズで数十枚のテキストデータ。母たちはもの凄い苦労をしてPCと格闘してくれた。これを2ページに圧縮...は到底無理で、急遽4ページに増やしたものの、圧倒的にバッサリ削除割愛を余儀なくされる。レジェンドYanagisawa代表の会話の中で、創立当時のフレンズと有馬小の関わりに興味を抱いた。筆者のデザイナー兼記者魂が疼く。これは絶対当時の写真を挿入したい。フレンズ創立昭和55年あたりのたった5,6cm程度の白黒写真でいい。ネットで二日かけて散々検索したものの、当該写真はヒットせず。

有馬在住フレンズとーちゃんずOBに助けを求め、たどり着いたのが有馬小PTA会長でもありフレンズ28番Maedaさんであった。灯台下暗し。昨日成り行きと事の顛末、要望、コンセプトを話したら、今日速攻で学校へ行って当時の有馬小10周年記念誌(昭和56年)を借りて来てもらったのだった。

フレンズ記念誌を抜きにしても、実に素敵な素晴らしい冊子だった。学校の沿革だけに固執せず、子どもたちが住んでいる地元の有馬の歴史を丹念に深掘りし、子ども向けにわかりやすく、自然と子らへの教育へと繋げている編集方針は見事だった。Maedaさんから朝受け取ってすぐに、貴重で膨大な写真と文章に、食い入るように一気読みしちゃったのだった。

この中の一枚の写真を記念誌に掲載予定である。

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2020年1月9日木曜日

2010彩雲、再び

このところ深夜に毎晩のように目が覚める。40th記念誌なんであった。夜中に数ページ制作を終えて床に着くと、アレは違う、これはこーしなきゃ的な悪夢に苛まれて、AM3:00頃にガバリと目が覚めちゃうのである。年が明けてほぼ毎晩。更にはリミットから逆算すれば、制作、校正、修正、決定原稿、最終見積、発注、納品、振り分け、郵送、etcを鑑みれば、式典後に制作発送とは言え相当時間がないんである。記念誌チーム母たちに時間的な負担をかけたくないという思いもあって、余計に焦燥感にかられる毎日なんであった。チームを組んでいる以上自分の都合だけで仕事は進められないことは、オトナなら理の当然、誰でも理解できるはずである。

それでも当初計画のスケジュールからは大幅に遅延しそうである。
計画当初は式典に記念誌を配布する案もあったけれど、今にして思えばゾッとするわけで。
今日は各年代ページの写真挿入を終えて、PDFを校正のためにチームメンバーへ送った。懐かしい写真に時を忘れる暇はないほど逼迫しちゃっているが、それでもやはり「ああ、この時はあんな凄い子がいたなあ、そうそうこの年はこんな美人母がいたっけ、そうだあの時はこんな経験があったな」なんて、つい物思いにふけってしまうのであった。まるで、引越しの際の荷物を整理中、古いアルバムを手にして作業が滞ってしまうみたいに。

記念誌はまだザックリ半分しか完成していない。写真の画像解像度に不満があり、PDFやjpgに変換して取り込み、実際にプリントアウトして印刷精度をチェックして終日終わってしまった。
今0:20。この後ブログアップ後に就寝するが、また悪夢に悩まされることがないように祈りたいものである。
2010年の区切りのページにこんな写真を挿入した。この写真はほぼ10年前の2010年、30周年式典の1週間後、有馬小で練習中に横浜上空に出現した虹のような雲「彩雲」であった。
彩雲のような希望を胸に、残り少ない期限に向かって邁進。

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2020年1月5日日曜日

20200202

2020今年もフレンズが始動した。コーチ陣も指導が始動したわけである。
2020年2月2日には40th記念式典がある。この日を数字に直すと「20200202」なんである。左右シンメトリー。記念誌制作の重圧に心が折れそうになりながらも、とうとうあと1ヶ月となった。実行委員会では慌ただしくも着実に20200202に向かって計画が進行している。
神明社での初詣であった。これより先に近隣の有馬女子ソフトチームも初詣に来ていた。例年アリコやヤングなどもここへ来る、有馬神明社なんである。

建築建物好き、建築業界の端くれにいる筆者にはこの神明社は、いつきても気分が楽しくなって来る。日本古来の建築技術の粋を集めた神社は見ていてウットリしちゃうのである。日本人のモノ作りの技術力の高さは近年世界中に喧伝されているが、その技術力の高さを証明する最古のものがこの建築力の高さだと、筆者は勝手に信じて止まない。
狛犬。
あ!

うん!

フレンズ恒例階段ダッシュ。新学年×2倍の往復。2年生は4往復、6年は12往復である。正月ボケから一気に今日から厳しい練習が待っているぞと、選手らを鼓舞する意味合いもある。冬場は走り込みに徹する。体幹ができていないと一年間の長丁場は乗り切れないわけで。

ところ変わって新年会。有馬の団地集会所にて。母たち手作りのお雑煮が振舞われる。

フレンズ美人妻特集、スリートップ(?)の三人集。

代表、監督、総監、主将Rairenから抱負。
フレンズOB新監督Shohtaは29番兼総監Satohのアシストで今季A監督デビューする。まだまだ未熟者ではございますが、他チームにおかれましては末長くご贔屓のほど、よろしくお願い致します、なんである。

「ゴーンは行ってしまった」を英訳すると「Ghosn is gone」ゴーン イズ ゴーンなんであるが、フレンズの2020年は有馬で今始まったばかり。今年は昨年と違って厳しい予見があるものの、選手父母指導陣が一枚岩で今シーズンを突き進みたい。
昨年から総監になったSatohくんを中心に、旧態依然のチーム運営に新風を吹き込み、システマチックにチームを再構築する。40thを契機に新生フレンズ元年になるかもしれない。少年野球だから年間成績はまた別としてね。フレンズ引退間際の筆者には実に頼もしい存在ではある。

この少年野球「晴耕雨読」BLOG。どんなチームにも暗闇を抱える過去があるように、フレンズとてその例外ではない。遠い過去には争いごとや父母の葛藤、指導陣と父母の確執、いじめ問題もあり、少人数にてチーム消滅の危機あり、それを乗り越えて今のフレンズがある。大なり小なり他のチームもあることだろう。オトナが書く文章である以上、自分の苦悩をぶちまけたい衝動にかられることもあるけれど、清濁合わせ飲み宮前少年野球の発展に貢献できるならばそれで良し。チームが一丸となれるように、チームの今をチーム全員が共有できてワンチームになれるために「晴耕雨読」を10年以上続けて来たつもりである。今年はフレンズの些事から解放されて、広報部長として広報宣伝に専念できるため、Qや連盟広報も含めて頑張りたい...けれど実際にはどーなるか未知数である。

「晴耕雨読」的には今年もフレンズのみならず、宮前Queens、宮前連盟全チーム、全てどうぞよろしくお願い致します。
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2020年1月1日水曜日

2020年画像


明けましておめでとうございます。
本年も少年野球「晴耕雨読」BLOGをどーぞ、よろしくお願い致します。

毎年恒例、元旦にウチからの遠景にある有馬神明社方面の青空を撮って、「年賀状」ならぬ「年画像」なんである。著名人、芸能人ならばこんな写真をSNSにアップしたら一発アウトだが、筆者は凡人ではあっても芸能人ではないのでこの写真から自宅を突き止められても平気なんである。この写真から筆者の自宅を突き止めようとする人がいるとするれば、その人のことを暇人或いは変人という。

毎年アップして毎年書いているけれど、やはり2020年の元旦は今回も穏やかな晴天であった。数年前は午後から大嵐になったりもしたが、関東での元旦という日はかなりの高確率で何年も晴天が続いているはず。今日も終日雲ひとつない快晴であった。
ちなみにオトナなら知っていると思うけれど、「元日と元旦の違い」はお分かりであろう。元日は1月1日の日をさすが、元旦は1月1日の朝だけを意味する。元旦の旦は、日の下に一が表現されているが、これは地平線から日が昇る様子を表したものなのだそうだ。日本語や漢字って実に奥が深く面白い。筆者のiPhoneには3個の漢検2級、準1級テストアプリが入っている。

昼からギュンギュン飲みながら午後神明社へ。これも毎年のことである。
今年も階段下から道路まで長蛇の列をなしていた。

境内ではこれまたたくさんの初詣客で満杯。焚き火は小さくても大きくても、実に人の心を和ませるチカラを放っている。焚き火を見てホッコリするのは、多分原始時代からニンゲンに刷り込まれたDNAなのではなかろうか。

もう今週1/5日曜はフレンズの練習初めで、ここに再度来る予定。
ああ、とうとう今年が始まってしまったわけである。
今年は記念式典や記念誌制作を控え、年末には連盟の式典や記念誌もあり、またこのブログのあり様も再考したいし、さらにオリンピックイヤーでもある。
忙しい一年になりそうだ。

何はともあれ、本年も少年野球「晴耕雨読」BLOGをどーぞ、よろしくお願い致します。
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2019年12月31日火曜日

2019ありがとう

大晦日なんである。昔若い時はクリスマスや大晦日、明けて元日など、どこか厳粛で心が現れる(洗われる)ような、謙虚に厳かに身が引き締まるような、そんな気分になったものであるが、年とともにフツーで平坦な心持ちに変化して来た。特別な日であることには違いないが、日が昇り日が沈む地球の摂理にはなんの変化もなく、時計の秒針はいつもの日常と変わりなく愚直に時を刻んでいるわけで。とは言え、やはり大晦日は大晦日であり、元旦は元旦としての特別な環境と空気感を我々に提供するのであった。

昨日30日は宮前区少年野球連盟の忘年会であった。本年は宮前平駅前の焼肉居酒屋での開催。本年最後のブログはその写真を掲載したい。
14時から参集し会は大いに盛り上がったのだった。互いに一年を労う会話や、縛りを緩和しようという話や、来年の周年記念事業の計画、将来の展望など真面目な論議から、野郎どもだけの集合体であるからして、そこはそれ、一転砕けた男ならではの楽しい笑い話まで、実に楽しい忘年会であった。店員に頼んで写真を撮ってみればこちらに向かってニッコリ微笑んでいるイイ女がいるではないか。連盟顧問のSohmaさん、誰を連れて来たのかと思い、よくよく見れば井川遥のポスターであった。

....
ここで何度か触れているけれど、筆者は来年からフレンズでの立ち位置は少し変わることになる。みずから自分をそう仕向けて来たこの1,2年であった。ただ見た目には今までとなんら変化はないだろうけれど。フレンズ内での筆者の仕事は多岐にわたるのだけれど、それはフレンズに貢献しチームをより良くしたいがためのものであった。スコアラーもその一つであったし、このブログもチームの宣伝広報になればと思い、続けて来たんである。そのほかの仕事は10年以上続けて来てもう精魂尽き果て、作ることが当初の「楽しい」から「苦痛」に変わって来てしまった。気力と体力の限界なんである。まるでプロ野球選手か力士の引退理由のように。ことにマグネットプレートと年末の成績表その他の諸々は、精神的にストレスを感じるここ数年であった。それでも子どもたちや親たちの嬉しそうな顔を見れば、来年も続けようと思うのであったけれど、それを乗り越える気力が枯渇してしまったんである。他に違う理由もあるがまあ、ここでは書くまい。ただ責務を放り投げるのはオトナとして無責任。後継にあとを託し、レベルを下げてもっと簡単に作る方法も視野に入れて策は講じてある。一般的なチームなら全くなくてもそれなりに困らないものでもあるから、もし父母の負担になるようなら無くしても良いのかなとまで考えているわけで。

今まで「あれもこれも」やりつつフレンズ広報としてブログを書いて来たつもありであるが、これからは「あれもこれも」は切り捨てお役御免、広報専任となる。スコアラーはどうしても人がいない時にはやる所存。
「晴耕雨読」はフレンズ以外でもQueensや連盟広報として、他のチームの試合などにも目を向けて来たここ数年。これは来年からも継続して続けたいと思うわけで。連盟と各チームと宮前が一体となり気持ちが通じ合うような、橋渡し的なサイトになれれば良いと思うけれど、考え方は千差万別、十人十色、是とする人がいれば一方で非と考える人もいる。ならばと毒にも薬にもならない文言の羅列では面白みに欠ける。智に働けば角が立ち、情に棹させば流されちゃう...とかくこの世は住みにくいものである。

一夜明けて今日は大晦日。流石に今日と元日の二日間くらいは記念誌制作の呪縛から解き放たれたい。好天のもと日中有馬神明社へ立ち寄った。明日の初詣の準備は万端、昼からすでにスピーカーからお囃子が聴こえてきた。11月の小春日和のような、大晦日で気温20度は史上初とか。近年有馬神明社は有名になり、今夜はこの階段があっという間に長蛇の列、深夜まで続くんである。

さて、今年も一年この少年野球「晴耕雨読」BLOGを読んでくださり、誠にありがとうございました。
全ての読者様に感謝。
来年もまたよろしくお願い致します。
みなさま良いお年を!
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2019年12月27日金曜日

2019卒団式

2019年も押し迫った年末の27日、皆さまいかがお過ごしでしょうか、なんである。当ブログは月曜がアクセス数が多くなるんであるが、逆に減っちゃうのが盆暮れ正月なんである。おそらくいつもの日常と違う慌ただしい毎日で、それどころではないのだろうか。筆者は今年の仕事はカタがついたため、記念誌制作モードにシフトチェンジ、ローからセカンドへ日中から記念誌制作でエンジンをブリブリ回しているんである。ニッサンGT-Rゼロヨン加速のようなわけにはいかないのだったが。

さてそれはさておき、2019フレンズ卒団式である。結局写真は60数枚全部載せちゃう。一度は食べてみたい人気ラーメン店の「全部乗せ」¥1,200を、はるかに凌駕する具沢山なんである。最後なので背脂少なめ文章も写真も多め。時に100の言葉よりも1枚の写真が雄弁に語ることもあるわけで。モノは言いようである。

筆者の写真立てを含めて、更に5年以下母たち手作りの色紙を兼ねた密度の濃いアルバム冊子群。素晴らしいフレンズの世界遺産。


序盤の挨拶。来賓には例年の織田市議に更に今年は持田県議もいらした。

カンパーイ!

しばしご歓談を...。
するとどーだろう、「野球選手はご飯をいっぱい食べて大きくならねえとダメだぞう。ご飯を食べねえ悪い子はいねがーーー!」と秋田のナマハゲがドスの効いた低音で、チャーハンを大皿ごと持って子らの各テーブルを回ってきたのだった。おっといけねえ、ナマハゲのお面を被っているかと思いきや、素顔のAdachi父であった。(^-^)

フレンズ美女のツーショットNaoko&Emiko。更に卒団母に囲まれて鼻の下を3cmほど伸ばした代表。

毎年のことであるが、このあと恒例成績発表。これは年間の打率などの数字を讃えて表彰するフレンズ名物なんであるが、筆者は司会のために写真は撮れない。しかし、最後のNakamura母娘だけは撮れた。代表特別賞のSakiは実にサプライズであった。自分の体より大きいバッグをキョトンとして受け取る。OB美人母たちも駆けつけてくれた。


成績表が子らに配られて皆ガン見するわけで。「Teshimaコーチ!」とTsukasaに呼び出しを受けた。「これこれ、三塁打のとこ見てください」面目無い。早速誤植を発見されたのであった。ちなみにチーム戦績は74戦55勝18敗、勝率7割5分3厘。昨年新人戦から優勝4大会、準優勝2大会の久々の好成績であった。実に上出来である。
更にHideakiの個人成績は打率5割3分、83打点、本塁打15本。これだけでも凄いのだが更に長打率は特筆で7割0分3厘である。安打数のうち二塁打以上の長打を打つ確率が7割超えなんだから恐ろしい。

最近新しく入部した母にも挨拶をいただいた。早速このブログも読んでもらっているようで誠に嬉しい限りである。フレンズではKaneda顧問やAdachi父などがいつもブログのことを話題に振ってくれて、これも実に嬉しく楽しいことである。

はいこれまた各チームでも盛り上がりを見せるであろうDVD上映である。卒団の保護者はもとより、もらい泣きする他の母も続出なんであった。Queensは来年2月Fの周年式典前日に卒団式がある。Ueshimaさんの力作が今から楽しみである。暗がりでカメラのシャッターを切ると若干水を差すようで気が引けちゃうのだがご勘弁を。素晴らしいDVD上映であった。

暗転からの明転。更に客電をステージだけの照明に切り替える。
卒団生9名とその家族からの挨拶、一挙掲載。Anjuの女の子らしい号泣する姿にみな目を潤ませ、嗚咽をこらえる姿に会場中がシンとなる。Riku母もほとんどグランドには来れなかったが、この日はファッショナブルな装いで来てくれた。たどたどしい日本語にもRikuやチームへの愛情がこもっていた。





時は過ぎて後半戦。来季のFスタッフを総監Satohくんから紹介。筆者はなっちゃんにカメラを渡して撮ってもらったのだが、ここでも思わぬハプニングがあった。
来季新監督は現Itohに代わってこれまた選手OBのShohtaが就任の挨拶。
ちなみに筆者は来季、フレンズの広報部長(兼スコアラー)となって後進に道を譲る。後方から広報としてフレンズ全体をバックアップする立場になる。

背番号をShohta新監督から授与。10番主将はRairenである。コールされると会場はやんやの喝采。

新旧主将交代のパフォーマンス。会場からコールでハグを通り越して持ち上げるAkiと持ち上げられるRairen。

記念撮影。この後40thの実行委員会と記念誌チームの撮影も。これは前回書いたけれどピントが甘かった。40th記念誌のどこかのページに掲載予定である。

お開きとなった後の二次会では恒例の東有馬の鮨の名店、葵扇寿司へなだれ込むわけで。いつ来てもここの鮨は美味い。ちょっと早いが記念誌の葵扇寿司広告ページ。

ここでもサプライズあり笑いあり、大盛り上がりで夜は更けていくのであった。

それではまた。
今年もあと4日。年内もう一度くらいはブログアップできるかどうか、ビミョーである。
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