2016年5月10日火曜日

三振を喜ぶ親はいない

クロワッサン的にお待たせの防犯大会開会式なんである。
さてこのブログで幾度か紹介してきたけれど、今大会から新たなご協賛をいただいたんである。既報の通りあの「Rawlings」さんなんであった。いきさつについては省略するけれど、代わりにちょっとWikiってみた結果を抜粋、要約しちゃうんである。

概要及び歴史(一部のみ)

1887年、ジョージとアルフレッドのローリングス兄弟によって設立された。野球用品メーカーとしてもっとも歴史が古く、グラブの進化と共に成長してきた会社でもあり、デレク・ジーターを筆頭に現在も多数のメジャーリーガーに愛用されている。...※後略
...※前略 1957年には、守備プレイを評価するための賞「ゴールドグラブ賞」を設立。それ以後、さまざまなグラブが製作され、日本球界やアメリカのメジャーなどの選手たちに愛用され現在に至る。....※中略.....ローリングスは日本法人を設立し、2013年より「ローリングスジャパン」として日本での事業を開始。
以上「Wikipedia」より抜粋

更に日本のプロ野球でもおなじみの「ゴーデングラブ賞」(米国ではゴールドグラブ賞)についての、以下RawlingsHPから。
※前略.....しかしそんなワンプレイが試合を左右することも少なくありません。「ゴールドグラブ賞」は、そうした素晴らしいプレイとそれを生み出したプレイヤーを後世に伝えたいと、1957年、ローリングスが創設したものです。...※中略....2011年の受賞者を見ると実に18人中10人がローリングスのグラブを使用しているプレイヤーでした。名手だからこそ相応しいパートナーとしてローリングスを選ぶのか、ローリングスのグラブだからスーパープレイが生まれるのか。
以上「RawlingsJAPAN」HPより抜粋。
ここで以前大会MVP賞としてこのゴールドグラブ賞とほぼ同じものを云々、ということを書いたけれど、「決定じゃないよ、まだ未定だよ」と釘を刺しておいたはずである。連盟情報によると20kgほどの重量では子どもが持てないとの配慮からレプリカ的に軽く制作し、グラブ部分は本物のグラブが贈呈されるとのこと。製作が開会式には間に合わず、閉会式に登場予定とのことだった。

現代っ子には少し馴染みがないかもしれない。しかしオジサン連中に話を訊くと、子どもの頃はグローブといえばRawlingsだったそうだ。筆者はサッカー小僧だったのでサッカーと言えばadidasだったのが夢だったように。中学の頃はお金がなくてadidasには手が届かずオニツカタイガーとかYASUDA、良くてPUMAのシューズだった。
おっと閑話休題。
恒例の各チーム行進風景なんである。Queensは横浜スタジアムでの「エリエールカップ」開会式のために、やむなく行進出場は断念。
毎年撮っているのに今回はダメダメな写真だった。ゴメンナサイなんである。光と陰を計算しつつカメラの立ち位置を決めるのであるが、例年本塁後方からうまく撮れたはずなのに、今回は陰影がキツすぎて子らの表情がほぼ真っ黒になっちゃったんである。そーゆーことを軽減するカメラモードもあるけれど役に立たない。次回は一塁側から撮ってみるかと反省しきり。
LINEスタンプで言うとこんな感じなのだった。
ではでは宮前少年少女野球戦士の晴れ姿をどーぞ。
先頭は昨年優勝の有馬フレンズ。あの時の感動と興奮が遠い昔のようでもあり、つい昨日のことでもあるような、誇らしくも不思議な気分であった。
続いてジュニアの部、8チーム。Bが作れるチームは基本、強い。
Sohma会長の挨拶は会長一流のユーモアに富んだものだった。
「....なので、野球用品メーカー数々あれど、これからは是非ローリングスを買って下さい」温かい笑い声が5万の観衆から涌き起こる。
これまた当ブログでは恒例となった観客席の写真。父母コーチ三者三様、十人十色。
優勝旗返還。昨年の熱い思いが蘇るのは、今年いっぱい各大会開会式で続くのだろう。
おなじみ東京新聞川崎支局、Teshigawaraさん。少年野球語録にまたひとつ新たな文言が誕生したのだった。さすが新聞社である。
「※前略....皆さんが三振する姿を喜ぶお父さんお母さんはいません。...※中略...是非頑張って下さい」これほど逆説的論調で正論を語れる文言はない。スピーチとしても見事であった。
そしてRawlingsJAPANマーケティング本部ディレクターHandaさんのご挨拶。
それまで日本のメーカーとのライセンス契約だったものが、2013年から日本で本格事業展開することになり、「JAPAN」を起ち上げてまだ3,4年しか経っていないとのこと(開会式後に談話で聞いた)宮前少年野球へのご理解、本大会へのご協賛、誠にありがとうございます。
選手宣誓はリトルグリーンズ主将、Gushikenくん。
開会式後Rawlingsの方が始球式をやるというのは、連盟事務局Satohさんからこっそり聞かされていた。さすがこのへんの気遣いはSatohさんの真骨頂である。
始球式はJ.Watanabeさん。大学時代以来約20年ぶりの投球だったそうだけれど、いやはやどーして素晴らしい球を投げ込んで、観衆のどよめきを誘発しちゃったんである。ついでに言えばそのワイルドかつ甘いマスクは、筆者の若い頃の竹野内豊時代を凌駕して余りあるのであった。連盟Nishimuraさんと連携して宮前HPにもこの写真が掲載されている。N氏いわく「宮前始球式史上、最強の始球式だった」
せっかくなのでこれらの写真をRawlingsさんに送付。HandaさんやJ.Watanabeさんから返信あり。
J.Watanabeさんの文面には「子どもたちがRawlingsのバナー(のぼり)を見て、あっローリングスだ!と、言ってくれたことにとても感動しました」とあって、それを読んで筆者もなんだか妙に感動しちゃったんである。
因にWさんこの写真を見て、20年ぶりに投げたけれど軸が左にブレていて愕然、もう一度トレーニングし直しますと、結んであった。
ここにも一人、永遠の野球小僧がいたのだった。(^-^)
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2016年5月9日月曜日

得点を自信に、失点を反省に

8日、日曜日は歴史ある防犯大会なんであったけれど、その前に7日QueensVSフレンズの練習試合があって、時系列を無視するとBLOG的にはナニかとよろしくないんである。たった一日の違いは、賞味期限5月7日のイングリッシュマフィンと5月8日のクロワッサン程度の差しかない。ならばイングリッシュマフィンのほうを早めに食べちゃうわけで。
カリッと焼いたイングリッシュマフィンを半分に切って、マーガリン+オニオンスライス+塩+粗挽き黒胡椒+生ハム+からしマヨネーズでおいしくいただきたい。

あれは忘れもしない2013年、初めてQueensとフレンズが練習試合をやった。Himariの代のQの黄金期であった。女子には負けないぞという気負いがあったのか、フレンズはプレーの全てが悪循環し、逆にQueensは当時の猛攻打線が爆発しイケイケドンドン、20数点対いくつかで惨敗を喫したフレンズなんである。逆に言えばQにはとても自信になって勢いが付き、このあとの大会で破竹の連勝街道をまっしぐらなんであった。

練習試合、所は第一公園ドーム。宮前少年野球のメッカである。ここで練習が出来るだけでも幸せなんである。声をかけてくれたのは監督Koshimizuさん。連合監督時代にフレンズの若きコーチ(20代前半)のShohtaがお世話になった縁もあるのだった。


筆者本日はQueens側につく、と言っても練習試合、そこはそれ、あっち行ったりこっち行ったりするんであるが、基本Queens広報部長の重責を果たすべく帽子もQのをかぶって戦況を見つめることにした。勝ち負けの話ではないと言いつつ、どちらにも勝ってほしいし、どちらにも負けて欲しくないわけで。世界中で一番日本をこよなく愛するアメリカ生まれの在日米国人が、WBC決勝日米対決でどっちも頑張ってほしいと願うようなものである。

初回表Qは2本の安打とFの四球失策がらみもあり、3点を先制。先発Shohはきっと次々に打席に立つQueens姫の美貌にコントロールが狂ってしまったのか。
冒頭の2013年あの時の悪夢が蘇る。しかしFのチカラは知っていたので、まだまだ大丈夫、むしろQへの期待を込めて良い試合になるかと思ったのであった。もっと点を取ってもいいぞQueens、なんて。

しかし昨年の面影はなくなってしまったとは言え、やはり男子チーム、その裏Fはクリーンナップ以降の長短打で6点を返して6:3。
ベンチ周りの点景。

Fの女子である、フレンズ監督Itohの姪っ子Anju。大人びたこの身長でまだ3年生なんである。先日Sohma会長が優しくQへの勧誘をしたら、きっぱり竹を割ったように言い放った「いえ、入りません!」と。鬼の形相の会長かと思いきや、破顔一笑「そこまで言われるとむしろ気持ちいいな」と大笑いしていた。
そのAnjuが代打で起用。4番主将の代打なんである。かろうじて四球で出塁。


その後Fは尚も6点加点。しかし3回にはQも踏ん張り1点をもぎ取る。Q二番手はAyaka。
Ayakaの舌ペロリの「ぺこちゃん投法」についてはまたの機会に譲りたい。
ドリフ。「宿題やったかあ〜!」「顔洗ったかあ〜!」「ボール磨いたかあ〜!」

練習試合なのでQも代打起用でKurena(Coo)も打席に。

見てくれこの笑顔。Yurikoである。9番ながら終盤見事にツーベースヒット。筆者が審判なら、こんな笑顔を見せられたら2塁打を思わず5塁打とジャッジしてしまうだろう。
憎めないなあ〜(^-^)


試合は14:6でFの圧勝。
Fは6失点を反省し、Qは6得点を自信にして欲しい。やはり男子には厳しく女子には甘い筆者であるが、ジョーダンではなく本当にFは反省点が多すぎるんである。ただ、伸び伸び野球が出来れば勝てるのだという一種のセオリーを垣間みた気がしたんであった。そういう意味ではFも収穫のある試合だったと思う。

試合後は合同練習。名監督Koshimizuさんのもと、男女関係なく守備につく。
さすがに監督ちょっといつものQのノックよりは強めなんであった。

..............
有馬ドームに戻り午後は練習。世代は違うけれどOBのKazuとKentaが来てくれた。筆者も含めて当時のコーチに挨拶もきちんと。他チームでもそうだろう。こーゆーところが野球の良いところでもある。
若いフレンズではある。監督Itoh32歳、29番Shohta20代。

OBのKazuは大学3年生、Kentaは今年社会人になったばかりの18歳。みないずれもバリバリの高校球児であった。監督は現役当時副将だったがあとはみな主将だった。子らのバッティングピッチャーを務めた。緩くもなく速すぎでもなく。しかし実際これが難しい。Kazuは小学生相手に気を使いすぎてか、最初はとんとストライクが入らない。徐々に良い球を放れるようになる。

風になびくのは何も鯉のぼりだけではない。お茶のペットボトルのラベルもぴーぴーぴらぴらなびいていた。

二人のバッティングピッチャーは子ども相手に2割くらいのチカラで投げていたが、休憩時間になると二人でバッテリーを組み互いに100%本気モードで交互に投げる展開に。さすがである。形相が一変する。しなる右腕、躍動する肢体、目にも留まらぬスピードボール。Kentaがビーンボールを投げてキャッチャーKazuが受け損なった時にはKazu、後輩Kentaに「おめえ、これが硬球だったらぶっ殺してるかんな!」と言う。こんな性格、母親に似たのに違いない(^-^)それでもKentaもニヤニヤしながら豪速球を投げる。KazuもKentaも兄貴がいてだぶだぶユニフォームの入部当時のことを覚えているが、それを思えば光陰矢の如し、実に楽しい光景である。


最後はKazuをセンターに置いて外野ノックの場面。
筆者大声で叫ぶ「Kazu!本気のバックホーム見せてくれ〜」
すかさず周りの子らに言った「いいか、よく見てろよ」
ぱしっ!
ずさっ!
びゅんっ!
きーーーん....。
ばすっ!
イチローばりの「矢のような返球」という見本のようなプレー。
子どもはもちろん母たちからも歓声が上がる。

...........
次回は賞味期限5月8日のクロワッサン的な防犯大会開会式の模様をお伝えしたい。例によって全チーム行進の写真はあるのだが、素人カメラマンゆえの反省点多し。今度は一塁側のコーチ陣の前からガッツリ撮ってやるぞと決意を新たにするんであった。

では次回まで「美人局(つつもたせ)」的に終わる少年野球「晴耕雨読」BLOGなんである。(^-^)
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