山形南高校、生粋の公立硬派・文武両道の男子校であった。
1年の頃サッカーに明け暮れていた部活は、その年県大会決勝まで行き惜しくも敗退、もし勝っていれば正月の高校サッカー選手権に出場、TVに出ていたかも、なのである。負けた瞬間仲間と肩を抱き合いながら号泣したことは一生の想い出。ライバル野球部は甲子園初(?)出場を果たし、初戦敗退、涙を呑んだのも確か同じ年だったかな。
そんな高校時代小生の髪は今で言う超ロンゲで、背中に廻した右手で髪の毛の先端を引っ張ることが出来た。ボールをドリブルしていると、風を孕んだ髪がまるでモンゴルの草原の海のようになびくのが心地よかったものである。またはアラン・ドロン「栗色のマッドレー」の駿馬のたてがみのように。
30歳前後、その兆候は音も無く不気味に忍び寄ってきたのである。最近ナンカ前線が後退してきたかなあと鏡を正面から眺めてのんびり思ったものである。
35歳前後、おお頂上も少し薄くなってきたぞ、俺もそんな歳になってきたのかなと、感慨にふけったものである。少々薄毛くらいのほうが貫禄があっていいわい、ガハハのハなんて。しかしこの時代育毛剤のTVCMがやたら気になって仕方なかった。
40歳前後。自分の危機管理能力のなさを恨みつつ、急激な頭上の環境の変化に戸惑い、焦り、落ち込んでいるうちに末期症状にて回復不可能となったことを自覚したものである。
そして現在は...今、高校時代のようにロンゲにしたら、きっとアルシンド状態になるだろうなアヒヒとか、もっとヒゲをうんと伸ばして頃合いを見はかって刈り取り、頭に植毛すれば顔面二毛作だぞ、特許でも申請すっかムフフとか、しょうもないことを考えてはニヤニヤ出来るほどハゲであることを楽しんでいる。野球や人生も時に開き直ることも大切なのだ。...(と無理矢理自分を納得させている)
ハゲにまつわる話は尽きないが、最後に娘が小学生の時の話。
娘がフレンズに入部したかしないかの頃。小生はフレンズにハマり親コーチの立場でどっぷりグランドの土に浸かりこんでいた。砂風呂で汗を流す姿みたいに。
ある朝、いつものようにフレンズ帽子をかぶり、玄関でシューズのひもを結んでいると...「キンコ〜ン♪」ドアを開けてみると遊びに来た娘の友達女子3人がポカンと口をあけて立っていた。小生「やあ、いらっしゃい、娘なら部屋にいるよ」と言い残しつつ階段を下りようとしたら、背中越しに聞こえてきた女の子の言葉。
「Kanaちゃんパパ、カッコイイ!」
急に背中に羽が生えたように颯爽と階段を駆け下りる小生が、ココロの中で小さくガッツポーズをしたのは言うまでもない。
夕方帰宅後、ちょっぴり自慢げにコトの顛末を家内に話したら、家内曰く...
「はは〜ん、帽子かぶってたからね」...ですと。
薄毛に悩む若い諸君、俺の轍を踏むな、ハゲ防止に全力を尽くしてくれ。健闘祈る。
人事を尽くして天命を待ったにもかかわらず、努力のかい虚しく心が折れかけている貴兄、
「馬子にも衣装」というではないか。「ハゲにも帽子」である。
※但し弊害もあり。帽子(キャップ)をとった時の落差(ギャップ)はハンパじゃないことを覚悟すべし。
※だんだんと帽子を脱ぐことに恐怖を感じるようになったら、いっそ、帽子を頭に縫い付けることをお薦めする。