2021年12月29日水曜日

NPBジュニアトーナメント2021@神宮

 今年は28日まで仕事して29日からはナニかと忙しく予定があったのだけれど、本日28日は予定を変えて神宮球場へ向かったのだった。スケジュールを自分で調整出来るのは個人事業主の最大の特権なんである。NPB12球団ジュニアトーナメント大会である。例年この時期福岡か北海道で開催される、少年野球レベル最高峰の大会だが今年は東京神宮での開催となった。宮前的にはもちろんバーズ出身のSekiくんが選出されているわけで。初戦の相手は阪神Jr。因みにこちらはいつものジャイアンツJrではなく読売Jrという名称である。

両軍互いにナインの幟(のぼり)が寒風にはためく。2015年にフレンズが全国へ行った時に筆者がデザインして作った幟とデザインは似ていた。おそらくパターンが決まっているのだろうか。

さて試合である。先発マウンドは宮崎台バーズ出身Sekiくん。DH制なので打席には立たない。制球力が身上のSeki くん、初回無失点の危なげない立ち上がりだった。

Sekiくんと並び今回の観戦目的は久本ブルーエンジェルスのIrieくんだった。今年の全学童に神奈川代表で出場、その圧倒的な存在感は他の追随を許さない。宮前とは目と鼻の先の高津区のチーム。当ブログで川少連決勝での等々力球場の特大ホームランを記述したことは記憶に新しい。今回もあの素晴らしい一撃を期待して来たのだった。ジャイアンツで55番を付けるというのはもちろん特別な意味が込められているに違いない。ゴジラJrか?その風貌と実力からして納得である。一打席目は強打するも内野ゴロに倒れる。

本当にこれが小学生か?と疑念を持つほどに身長、体格、面構え、態度、プレー内容全てにおいて群を抜いた選手たちが全国から参集するんである。特に両軍ともにキャッチャーの構えなどはプロ選手そのものであった。ノーステップで二塁へ矢のようなノーバン送球なんて当たり前なんである。マスクを取って笑顔になると小学生らしい姿に戻るのだが。宮前で驚愕の素晴らしいプレーを目にすることがたまにあるけれど、この場ではそれが全員当たり前なんである。

阪神Jrがたたみかける安打で2,3回にSekiくんを攻略する。1:5と一方的な展開に。

Sekiくんは力投するも途中降板。2番手リリーフは.....実に驚いたのだった。Sekiくんとそう変わらない小柄な女子選手Hamashimaさん。しかも急速はSekiくんより少し遅い。遅いと言っても女子野球界では物凄いスピードである。ピンチでのリリーフゆえ、更に加点されて1:7となった。「7」という数字は実に重い。

待ってましたこの男の登場、Irieくんであった。走者を三塁に置き、バットを一閃した。筆者はシャッターを切った瞬間ファインダー越しに確信した。「行ったな」と。すぐに飛球の行方を肉眼で追うと、小学生用の外野フェンスをはるかに超えて、なんと神宮球場のセンターフェンス間際までぶっ飛ぶホームラン。宮前の少年野球評論家Yoshikawaさんによれば、これがレフト方向ならフェンス超えていたに違いないとのこと。軟球をあそこまで運ぶとはまさにモンスター級の小学生である。

一眼レフで撮った打球の場所。センターの住友化学の麓に白球がある。あわやフェンス直撃かと思える大飛球だった。我々は等々力球場での110m弾本塁打を見ているので、さもありなん、であるが、それにしても会場が唖然とする凄い打席だった。

上のこの一眼レフ写真ではイマイチその飛距離の凄さが伝わらないはず。すかさずiPhoneで広角で全体を撮る。ほれ、どーよ。センターの住友化学ロゴを見てほしい。フェンス直撃かとまで行った、あそこまでぶっ飛ばしたんである。

後半のHamashimaさんのピッチングが素晴らしかった。阪神Jrの猛者たちは打ち気にはやり、なかなか的確にボールを捉えることができない。さらには読売Jr外野陣のファインプレーも続出し女子投手を盛り上げ助ける。Hamashimaさんは4回以降阪神猛攻打線をゼロ封に抑えて、ゲームセット。なんとも劇的な大逆転試合であった。偶然光と影のコントラストで、まるでマウンドと言うステージにピンスポットが当たっている主演舞台女優のような絵になった。女子野球宮前Queensに携わる身としても実に素晴らしい光景であった。

後半の読売Jr猛攻にて9:7で勝利。筆者の認識ではスタンドではバーズKawataさんやYoshikawaさん、フレンズMaedaファミリーやリトグリTorigoeくんなどと邂逅できた。ぜひこのまま勝ち進んでほしい。28日は仕事納め、29日からは年末休みとなって宮前からも応援が増えるのではないだろうか。日本最高レベルの少年野球を観ることは驚愕の楽しみである。因みに会場へ行けない場合は、公式サイトで神宮と横浜スタジアムの生配信もしているので是非どーぞ、なんである。

https://npb.jp/junior/2021/

※またはNPBジュニアトーナメント2021 で検索

帰りは渋谷のLOFTに寄って買い物。若い頃はLOFTに何百回来ただろうか。垂涎の文房具など見ているといくらでも滞在できちゃう、大好きなショップである。渋谷は20代から40代まで昼も夜も足繁く通ったところ。東急を中心に、大規模都市開発でまだまだ変貌を遂げるSHIBUYAなんであった。

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2021年12月22日水曜日

フレンズ2021送る会「感謝」

 はい、お待たせしました、2021年フレンズ6年生を送る会なんである。久々に長文ブログ、覚悟されたし。一等最初にお断りしたい。昨日のブログにも書いたけれど。コロナ感染予防を鑑みて手指消毒、広い空間での換気対策、基本的マスク会食...etcなんぞを講じながらの会合なんである。厳密に言えば多少はそーでもなかったりするけれど、そこはそれ忖度されたし。一見するとマスクをしてない場面が散見されるが、それは気のせいであるからして看過されたし。

開会の挨拶は見た目通りのビッグボス、Shohta監督なんである。決して香港映画のカンフーマスターではない。

「パンカーイ」の発声はお孫ちゃんと日向ぼっこするNishiharaじいじ。筆者急いでメシを胃袋に掻き込みNikonを手に各テーブルを遊撃飛行する。ちなみにここは新横浜の某ホテル宴会場。東京ドーム並の広さが確保されているので安心だ。フレンズは伝統的に弱小貧乏球団ではあるが、反面時には県大会優勝や全国まで行った少数精鋭軍団の側面もある。人数が少なく潤沢とは言えない予算をやりくりし、毎年この「6送会」だけは結構セレブな場所でやっちゃうのだった。分不相応ではあるが、6年生とその家族を盛大に送ってあげようと毎年父母たちが努力した結果である。ちなみに筆者がフレンズに入った時は、有馬の団地集会所で畳に座ってちゃぶ台だった。信じられないほど狭くてあぐらもかけず、体育座りで酒を酌み交わしたものである。当時は男でガラケーを持ってるのは半分くらいで、女性はまだ少なかった。隔世の感があるのだった。

筆者の出番であった。個人成績発表なんである。昨年まではこの時期はもう何十年も、スコアデータをまとめた成績表冊子制作や写真立てや賞品の振り分けや...etcやってきたんであるが、流石にもう疲れたし、「自ら老害を排除し後輩に席を譲る」または「飛ぶ鳥跡を濁さず」または「もう勘弁してね」的にほぼ全てを放棄し身軽になったのだった。ましてや今年は連盟記念誌でそれどころではなく、それを見越して今年早期の段階でフレンズには通達していたんである(実はもう2年前から)。やっと肩の荷が降りた。肩と腰は凝り固まったままであるが。

年間ベストプレイヤー賞始め、首位打者、本塁打王、盗塁王、最優秀防御率、最多安打、最多得点、最高長打率、...etc。これらの選手を読み上げて壇上にあげ表彰し賞品を代表(監督)から手渡すのが伝統なんである。毎年心を砕くのは6年で何も賞をもらえなかった子。大勢いればまだ救われるけれど。

この成績発表の場面は筆者は壇上の人なので当然写真はない。

このあとこれもフレンズ伝統、昨年のOBも招待するわけで。今年はコロナ禍もあって代表してエミちゃんことHoshiba母が馳せ参じてくれた。このあとのDVD上映では誰よりも声をあげて号泣していたのだった。

「6送会」のもう一つの人気コーナーは言わずもがなそのDVD上映会である。今年もNakamura母の力作だった。人によっては不愉快かもしれないが、6年親の「頬を伝う涙」を写真に収めるのはカメラマン冥利に尽きるし、本人の思い出にもなるのではと思うので、暗闇の中ベストの画角を探し彷徨し、シャッターチャンスを狙うのである。6年美女母たちはビジョビジョのずるんずるんの、グチャグチャに嗚咽を漏らしていた。もちろんモリモリ父Ayumuはバケツいっぱいの涙であった。ではどーぞ。

更に涙が。今年ほど泣ける場面が多かったのも近年珍しい。卒団生の親への作文とそれに対する親からのコメント。全てに通底するキーワードはひと言で言えば「感謝」だった。江戸、明治、大正、昭和と、男が人前で涙するのは恥ずべきこととされていた。けれど今はむしろヒトであることの証、男だって大いに泣いちゃって良いではないか。会場、感極まりもらい泣きする親も続出。4家族写真一気呵成に行く。

場は一転し明転、6年親からのサプライズパフォーマンス。Kanakoプロデュース「かーもーんベイベ、アンメリカ〜」なんであった。ちょっぴり昨年2月のフレンズ40th記念式典を想起したのは筆者だけだろうか。

新チーム背番号発表。主将はなんとかつて宮前でも数えるほどしかいない女子主将の誕生だった。今年Queensにも入団したSatsukiである。他チーム、来季はお手柔らかにお願いします。

これを見届けて筆者はタバコ休憩。戻ってみるとちびっ子たちの背番号授与。11番をもらったEitoはいつになく大緊張の表情で職人の作りたてのコケシのようにガチガチに固まっていた。このEito、兄貴の連合に帯同して他チームの大人にも顔が覚えられて、そのキャラで存外ファンが多いのである。

大トリはSatoh総監。ここ数年飛躍的に劇的にオトナになった彼。フレンズを牽引する総監の立場に相応しいスピーチであった。入部当初めっちゃヤンチャだったShuntoの場面では感極まって声が上ずる場面も。大人になれば涙腺が緩むとはこのことなんである。筆者が同じ立場なら「1000mlの涙」でバケツ三杯になっていたに違いない。

最後は集合写真。ホテルスタッフにNikonを渡し撮っていただいた。変顔バージョンと笑顔バージョンの2枚。それに6年、父母、ベンチスタッフのカット。全員マスクを取って息を止めて撮ったのであしからず、なんである。

さてちょっとしたエピソード。この日スコアラー兼配車担当部長Achiwa母から聞いた話。前回ブログにも書いたけれど。この「晴耕雨読」を毎回読んでいる子が毎日日記を書いているそうな。それが「ですます体」ではなく「晴耕雨読」的「なんである体」の文体になっちゃっているとのこと。普通なら「今日ボクはヒットを2本打ちました」が「今日ボクはヒットを2本打ったんである」となっているとのこと。実に嬉しい限り、なんである。時にオトナでも判読できない難しい漢字や慣用句や四字熟語を多用する「晴耕雨読」なんであるけれど、これからも愛読されたし....なんである。きっと将来は国語辞典編纂者か、文学博士で大学で教鞭を執るに違いない。(^-^)

..........

さてここからは有馬に戻って6年主催の二次会。さっくりと行きたい。6年親からベンチスタッフへ記念Tシャツ贈呈。Ohmori夫妻共々Maeda夫妻もチームのための努力を惜しまず、選手確保やチーム運営など多岐に渡り、陰になり日向になりチームを支えてもらった。子供たちのみならず、Maeda父のようなこんなメンバーがいるから、私たちはフレンズを誇りに思うのである。Maedaさんはまだ下にEitoがいるが来季は一旦骨休めでユニフォームを脱ぐ。

お馴染み有馬フレンズ美女軍団、今年一年チームのために本当にお疲れ様でした。これからもよろしく哀愁なんである。逢えない時間が愛を育てるわけで。(^-^)

タバコ休憩で外に出ると女子中学生かJKか?「めっちゃバエる〜(映える)」とキャピキャピしながら、夜空の満月をスマホで撮っていた。

私も満月を仰ぎつつふと昔に想いを馳せた。筆者にとっては感慨深いOhmori夫妻であった。ちょっとした打ち明け話になる。個人的に長年(約26年)見てきたフレンズ史上記憶に残る夫妻のひとつである。兄貴Hiroが入部しHaruはまだ幼稚園だった頃。Haruは「オラ、野球なんかやらねえ、サッカー行こうかな」なんて。筆者はHiroの後もOhmori夫妻に残って欲しくて、姑息な手段に出たのだった。Ayumuちゃんには他の人には内緒ねと釘を刺して。「おい、Haru。フレンズに入ったら良いもんあげるぞ」と。当時流行っていた妖怪ウォッチにするか迷った末に、ドラゴンボールの悟空のフィギュアを極秘にプレゼント。それが功を奏したかどうかは怪しいが、Haruはまんまとフレンズに入り、Ohmori夫妻もこのあと何年も子供の野球で楽しい思いをチームと共有することになる。なっちゃんとはお別れになるが、Ayumuちゃんは来季もマネージャーとしてチームに残ることになった。Kawai父もHP担当広報として業務を推進してくれることに。父たちが残ることはフレンズでは実に珍しい。筆者はその成れの果てである。

最後の写真は左からOBハーレーダビッドソン野郎Inoue、縁側でお孫ちゃんと日向ぼっこジイさんNishihara、渋いイケメン、ポール・ニューマンKonno、晩年のジャック・ニコルスンTeshimaなんである。この後性懲りも無く大勢で三次会居酒屋へ雪崩れ込んだのは言うまでも無い。

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