2015年8月31日月曜日

リベンジの雨中戦

今日のブログタイトルは「雨中戦フレンズ号」か「宇宙船フレンズ号」にするか迷っていたのだった。ところがこれも過去の記憶が蘇り、ブログ内を検索してみると同じタイトルで書いた記事があったんである。「宇宙船フレンズ号」

ホームランや長打が飛び交う乱打戦を「空中戦」と呼ぶ。今日の秋の県大会である横浜銀行カップは、県下の正に強豪がしのぎを削る大きな大会。これがそぼ降る雨の中での「雨中戦」となったんであった。
会場は境川遊水池公園ドーム。....「おいおいおい、ドームならば雨は関係ないじゃんか」というツッコミは今のところ受け付けない。クレームがあれば弊社少年野球「晴耕雨読」BLOG秘書室か、お客様ご相談窓口へどうぞ、なんである。
盟友鷺沼ヤングホークスの野球狂のIshikura夫人が今日も応援に来ていただいた。更におしどり夫婦のごとく、ヤングIshikuraコーチも。頭が下がる思いである。Ishikuraさんのアイロニーの効いたIshikura節は今も健在だ。

対戦はあの栗木ジャイアンツ。
(※このブログでは文体のリアル感を損なわないために、相手チームに「さん付け」での表記はしておりません。呼び捨て風になってしまいますが、各チーム関係諸氏、どうぞお赦し下さい)
あの、と書いたのにはワケがある。今季川崎市子ども会の市大会決勝で、あと一歩のところで涙を飲んだ相手だからなんである。まさか県大会初戦でまた相まみえるとは思いもよらなんだ、なんである。当然フレンズはリベンジを誓って試合に臨む。かえって良かったのかもしれない。勝ってあの呪縛から解き放たれれば、フレンズナインの士気も高まろうというもの。(FマネージャーTagamiオヤジ談を引用)
薪(たきぎ)を枕に寝て、熊の胆(きも)を嘗(な)めてこの日を迎えたのだった。勉学に励む中学生は「がしんしょうたん」でネット検索されたし。

初回栗木Jの攻撃。先頭打者がいきなりの3塁打で出塁すれば、Fの二つのエラー、送りバント、四球、適時打などが絡み、あっという間に有馬Fの3失点。選手たちの間に浮き足立った空気感を察知したのは筆者だけではあるまい。

2回裏有馬Fの攻撃。先頭Hajimeが四球を選び、WP、kyohの安打で3塁へ進塁、のち、一死満塁から押し出し四球でなんとか1点もぎ取る。

今日のマウンドのRuiは今ひとつ調子が全開ではなかったようだ。Ruiにしては珍しく死四球が多かった。ボール球は投げても滅多なことではデッドボールは投じない彼なんである。しかもJに対して毎回安打を許している。が、後続を断ち得点を与えないところは、ヤツの真骨頂なんである。調子が悪いなりにも徐々に調整していける能力とガッツがある。

3:1の閉塞感を抱えたまま回はすでに5回裏。
Yuiシフトを敷かれた外野の向こうへ打球を飛ばすことは出来ず、今日は無安打のYui。しかし選球眼もひとつの武器なんである。四球を選択すれば単打を放ったと同様、盗塁、その後、アジアの大砲4番Hajimeに長打が出て1得点。更にKohkiの打席で相手失策で1点加点し同点。そしてKyohがこの日2本目となる安打がツーベースとなり、タイムリーヒットでついに逆転に成功、4:3。

ぽつりぽつりの雨が試合終盤にはさらさら降るようになり、やがてびゃんびゃん降るようになった。まだ中断するほどではない。
筆者戦場カメラマンはいつもカメラをオートで撮っているんであるが、光量が足りず選手の動きがブレるようになった。そこでシャッタースピード優先モードに切り替えて撮ると、今まで雨の降り様が線だったのが、点になって写ることに。高速になればなるほど雨粒が宙に浮いて見える。躍動感には欠けるがリアルな場面が撮れるんである。

最終回Ruiは三者凡退に抑えてゲームセット。
改めてスコアブックを検証してみると、面白いことが分った。
栗木Jの安打数は7本に対し有馬Fのそれはたったの3本。これはまるで先日宮前秋季大会初戦で負けたVSモンスターズ戦とほぼ同じ数字なんである。モンタは3本、フレンズは7本の安打を放ちながら少数安打のチームが勝利している。(ただし、この比較2試合の勝利理由は大きく違うけれど)
安打数が多いチームが勝つとは限らない。少ない勝機を逃さず、繋げる野球で勝つことも大いにあることを学習したい。今年は幾度かそんな場面を切り抜けてきての今がある。更に言えば強いチームの絶対条件は打たれないことではなく、四死球を出さないことと、エラーをしないこと。上部大会になればそんなチームはゴロゴロいる。そこで初めて差がつくのは打力と投手力なんであろう。いくら守備が良くても打てなきゃ点は入らない。
野球って面白い(^-^)
但し何事も、言うは易し、行うは難しだけれどね。
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2015年8月30日日曜日

東京オリンピックのデザインについての私見

ひと言申し上げたいんである。デザイン・設計業界の端くれとして。
この話は、筆者を取り巻く状況がフレンズの大きな大会が目白押しでずっと書けなかったんである。

今何かと話題になっている2020年東京オリンピックの新国立競技場問題。工事見積が膨大に膨れ上がりザハ・ハディドデザインを白紙撤回したことは記憶に新しい。記憶に新しいというにはまだまだホットな最近の話である。2,500億超の根拠にも疑問があるが、これまでにザハ事務所側に支払った数十億単位のデザイン料は国民の血税から拠出されており、それは全て水泡と帰した。これだけでも我々は怒りを露にしなければいけないのだけれど、時間がないのでその次の策をどうするかでやっきになっており、もはやそれどころではない。

なぜこんなにも迷走したのか。それはある報道によると、デザイン事務所のデザインとそれを具現化するための設計とこれを見積もる建設業者の3者が勝手に一人歩きし、統括されていなかったという要因があるのだそうだ。統括するのは国である。だから3者には責任はないとは言えないけれど、責任者不在のまま今度は「デザインビルド」方式で新たなスタートを切るという。2020年までに完工させるには設計と施工を分けないで一括で請け負うこの方式でないと間に合わないらしい。「デザインビルド」とはいわゆるデザイン設計も施工も1社に任せるやりかたである。業界では「設計施工」とか「責任施工」という。日本の建設会社は世界的にも非常に優秀なので、それも一計かとは思う反面、設計事務所と施工会社が分離されず、1社独占による利権や既得権益的な懸念が払拭できないおそれもある。おそらく1社とはいえ、結果的には国家的事業なので、JV(ジョイントベンチャー)を組んで数社での施工になると思うけれど、とても面白くない。デザインや設計だけに特化し生業(なりわい)としている企業は出る幕がないことになるからだ。
筆者は建築業界の中の、店舗設計業界の中の、更に個人設計事務所なので、サハラ砂漠の砂粒ひとつに過ぎないけれど、今回の迷走ぶりには忸怩たる思いを抱えて、連日の報道を横目に仕事と野球に没頭していたんであった。
池井戸潤著作「鉄の骨」では日本の建設業界の談合体質をテーマに描いたものだったが、それを脱却した(?)今、世界に誇れる日本の設計施工のデザイン力と技術力に期待したい。
金をかければ良いデザインを実現出来るとは限らず、逆に金がなくても良いデザインを具現化出来ることもある。但し理想と現実は相反し、悲しいかなほとんどの場合、金がモノを言うけれど。

ここで終わらないんである。もうひとつ。
世間を騒がせている東京オリンピックのもうひとつの話と言えば、佐野氏のロゴマークデザイン。昨日やっとデザインコンペの際の最初の原型と経緯が公表された。こちらも前出建築同様、共通項は「デザイン」なので筆者には他人事とは思えず、ずっと興味を持って報道に接していた。

初めて見たあと、ベルギーの劇場ロゴマークデザインサイドからクレームがついて、二つのエンブレムを見比べた時の筆者の経験値から第一印象を言っちゃう。
「似ているけれど盗作ではない」
佐野氏が本当にベルギーのデザインを見たことがなく、全く独創的に作ったのかどうかは、もちろん知る由もない。(※サントリーのトートバッグは正真正銘の正々堂々たるパクリである。言い訳は出来ないくらいに)....ただ言えることはこの程度で盗作と言われたら、世の中盗作だらけになっちゃう。日本語に比べて英字は圧倒的にシンプルなため、TOKYOの「T」に特化して何かをデザインしようと思ったら、1万個のデザインの中で数十個くらいは類似するものが出て来るのは自明の理。ましてや佐野氏の当初のデザインは全くベルギーとは似ていないものだった。
筆者も含めて何かをデザインする場合、頭の中で独自に創造し突然天から降りて来る場合もあれば、参考にいろんなデザインに接してインスピレーションを得て、その原型にリスペクトしつつも自分なりにアレンジしてオリジナリティーを加え、より良いと思えるものに仕上げることも多々ある。そんな場合に「似ている」と言われることもあろうか。もちろん「偶然の一致」というケースもあるだろうけれど。
強烈なコンセプトの元、シンプルになればなるほどデザインの方向性は絞られてくるので、撹拌・咀嚼・濾過されてビーカーに落ちて来たものは似ている傾向になるのは否めない。

オリンピックにまつわる建築とグラフィックの問題2題であった。
筆者商業建築(店舗)もグラフィックも両方やっているので、敏感に反応しちゃったんである。表参道を歩いていたらモデル級の美女とすれ違った時みたいに。
どちらかと言うと己の立場からして、デザイナー側を擁護する形となったことは否めないけれど、ちょっと似てるくらいですぐ「盗作」とか言わないでもらいたいものだ、ということ。店舗デザイン業界なんかは、流行りの居酒屋チェーンなんかどれもこれも「パクリ」になってしまう。実際大手2社で店舗の類似デザインで法廷闘争もあった。本当のパクリもあれば、時流に乗ったデザインという言い方も出来るわけで。

最後に蛇足なんである。
下は昔の日本工業規格の旧「JIS」マーク。懐かしいなあ。小学生の時分、鉛筆なんかに刻印されていたのを想起するわけで。
「JIS」とはJapanese Industrial Standardsの略。

この昔のマークを一新するため11年前に新しいデザインを公募、デザインコンペをしたんである。筆者がまだ恵比寿に事務所を持っていた頃だった。興味を持った筆者も応募したんであった。何十枚も描いたラフデッサンから数点を選び、更にふるいにかけて1点に絞り制作。当時すでにパソコンで自在に描ける時代だったけれど、筆者はまだパソコン黎明期(れいめいき)、手描きのペンで作った記憶がある。

コンペに当選し現行広く国内に流布されているデザインが下の左。右が筆者の応募作。
誰がどう見ても左を選ぶだろう。右は稚拙で完成度が低くバランスも悪い。自分で言うのもなんだけれど、筆者が選者ならやはり左を選ぶに違いない。

しかし、負け惜しみではないけれど、自分で最後の3案に絞った中にこの現行JISマークと全く同じデザインがあったのだった。左の当選作を見た時は我が目を疑ったほどだ。応募するにあたり、それを自分で落したことが悔やまれるけれど、所詮それも含めて当時の筆者の幼さが成せる技なんだと、今にして思う。
それにしても左のJのハネから時計回りに円弧を描いていくデザインは全く同じなんである。おそらく全国から何点もの似たようなデザインの応募があったろうと思う。
シンプルになればなるほど似てしまうものなんである。
(※このJISマークがらみの話は、以前「晴耕雨読」でも書いた記憶があり、検索してみたら5年前にも同じようなことを書いていた。やっぱし)
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2015年8月26日水曜日

憂愁と憂秋

秋季大会決勝トーナメント、VS嵐...いやVS宮崎モンスターズなんであった。

しかしここで例によってブログの言い訳を一発かましておきたいんである。
この日はこのフレンズVSモンスターズ戦と、次のウルフVSフラワーズ戦の途中までを写真に収めて、更にモンスターズ戦はブログ執筆のためにスコアブックもカメラにしっかり収めていたんであった。ついでに言えばこの中には花フラSaitoh部長に請われて、「花の台フラワーズ40周年記念誌」のための、連盟会長Sohmaさん、と部長Saitohさんの顔写真も数枚撮っていたんである。カメラのSDカードには合計100数十枚はあったと思う。帰宅後この顔写真を花フラNemotoさんへ送る段取りなんであった。(花フラNemotoさんは連盟20周年記念誌制作プロジェクト時のいわば盟友である)

夕方いったん帰宅し、18:00からの全国大会・東京新聞旗のお疲れさん会飲み会へ行く僅かな時間に送ろうと思った。カメラをMacに繋ぎその100数十枚を転送する....。きゅんきゅんぎゅるぎゅる、写真が音も無くMacへ吸い込まれて行く。転送した写真は同時にカメラのSDカードから削除される設定。
超高速で転送しているNikonアプリの画面を見ていたら.....突然、Macがブラックアウト。最近はとんとこの症状はなくなったが、以前は頻繁にあったトラブルなんである。画面が一瞬で真っ黒になり、アレをこうしても、ソレをああしても、何をどうしても、うんともすんとも、ワンともニャンとも言わず絶対ダメなんである。仕方なくパワーボタンを長押しして強制終了。1分ほど待って再起動。
ジャーーーーン♪

再び残りを転送したら100数十枚のうち、数十枚が消失していた。一部試合の写真、顔写真、スコアブックを写したもの....。ガッカリなんである。夜Saitohさんに詫びの電話を入れたのは言うまでもない。記念誌スケジュールの大勢に影響がなければいいのだが。ただでさえイイ男のSohma会長を、より一層色男に撮った渾身の一枚があったのに。(ハイ、言い過ぎですね)

ゆえにスコアがないので詳細は書けない。モンタ戦終盤とウルフVS花の台フラワーズ戦は一部抜け落ちていたので、久々に印象と記憶だけで書いちゃうから、正確性に欠けるかもしれない。

宮崎モンスターズ。おそらく今季の宮前では1,2番を争うトップグループの筆頭であろうと思う。ウルフの安定した強さは相変わらずだけれど、今年その昨年王者を初めて撃破したのがその宮崎モンスターズなんであった。フレンズも昨年の新人戦ではその脅威をしっかり脳裏に刻まれている。
...全国まで登り詰めたフレンズに驕(おご)りはないか?

先発マウンドは言わずと知れた豪腕投手Morishitaくん。受ける捕手はなんとまだ4年生のTeramotoくんだ。彼の豪速球を受ける子が4年生なんである。これだけでも凄いことである。2年後モンタの主軸を担うのは間違いないであろう。

本来ここから試合概略の記述に入るはずだったが、スコアブックがないのいでいい加減なことは書けない。
確か記憶が間違いなければYuiが三塁打を放ち後続の安打でフレンズが先制、そのあとも1点加点し2:0になったはずだ。勢いづいたフレンズこのまま波に乗っていけるか....。


しかしなんである。
あのMorishitaくんが走者を二人塁に置き、起死回生の強烈な逆転スリーランホームラン。3:2でフレンズ劣勢に。
まだフォームが荒削りながらも(偉そうにスミマセン)これは彼の資質を褒めるべきだろう。
湧き上がるモンタベンチ。しかし筆者、今のフレンズは1点差などいつでもひっくり返せると思う反面、次元を超えた速球派投手に対しては、F打線で打ち返せる打者はそう多くはない。打順と残り回数を計算し、チャンスは少ないだろうと見た。

Fのバッテリーは泣く子も黙るRui+Yuiコンビ。バックも盛り上げる。
Satoh監督は大技小技を駆使しなんとか3塁まで走者を進めるも、逆転するには本塁までの距離は太陽と冥王星の間くらいに遠かった。


筆者の杞憂に終わることを願ったけれど、最終回、審判のコールでゲームセット。Fの安打は7本、Mは確か3,4本だったかと。そのうちの1本のホームランが全てだった。
全く負けるつもりはなかったけれど、結果は秋季決勝トーナメント初戦敗退なんである。
今季王者ウルフを宮前で初めて撃破し、そして全国ベスト16のFを負かしたのだから、モンタのその喜びようは尋常ではなかった。まるで優勝したかのような。Fが逆の立場だったなら同じ気持ちになっただろう。
素直にモンスターズにエールを送りたい。

昨年まで雲の上を追う立場から、今年は宮前全勢力から追われる立場になったフレンズ。追われること自体、ひとつの勲章である。
いつも書いていることだけれど、負けることでしか学習できないことってある。ともすれば勝って学ぶことよりもそれは多くの含蓄があるのかもしれない。
今週末からはいよいよ6年生最後の公認大会、横浜銀行杯(神奈川県大会)が始まる。
この悔しさをバネに更に上を目指そうではないか。
宮前の秋季を制することが出来なかった筆者の気持ちを、このブログタイトルに託してみた。このニュアンスが理解出来たあなたはエライ!(憂秋とは筆者の造語。試験に出て来てこれを書いたら×をもらうので、良い子のみんなは真似しちゃいけないんである)
+++++++++++++++++
冒頭に書いたようにウルフVSフラワーズ戦も、そこそこ写真を撮ったのだけれど、だいぶ消失しちゃった。連盟広報としても少しでも紹介したかったのだが、無念。
数葉を合成したのが下の写真。序盤の接戦を観戦し途中から移動しちゃったのだが、結果はウルフが勝ったらしい。
宮前の秋はいよいよ佳境に入る。
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2015年8月22日土曜日

大人には見えない風景

東京新聞旗争奪・神奈川県大会、準決勝、決勝。試合会場は保土ヶ谷サーティーフォー球場なんであった。準決第一試合の審判は宮前区母体のUchimuraさんとKosakaさん。この試合の勝者と決勝で雌雄を決することになる。

有馬フレンズの準決勝の相手は相模ブルーバッズ。春の高円宮賜杯県大会、準々決勝で一度当たっている強豪チームなんである。筆者は決勝スコアラー担当なので、この試合はカメラマンをやっちゃう。これで負ければあとはない。断腸の思いで仕事を取りやめて来たんであるからして、決勝まで行かねばその思いは水泡と帰す。「どうか決勝スコアラー出来るように」と念じつつカメラを肩に彷徨。


先発のKyohは1回Enomotoくんにシングル、3回にはUenoくんに痛烈なスリーベースを打たれるも、後続をぴしゃりと抑えて隙を作らない好投。やっぱりあとでヤツをハグしなきゃなんである。これは写真を撮った者でしか分からないことであるが、彼はいつも不二家のぺこちゃんみたいに、舌をぺろりと出しながら力投するんである。たぶん本人も無意識のうちだろう。勝手に名付けたKyohの「ぺこちゃん投法」
有馬フレンズ初回の攻撃は先頭Ruiが安打で出塁、ShohgoDBのあと三塁まで達し、4番眠れるアジアの大砲、Hajimeがタイムリー二塁打で2点先制、幸先良いスタートを切った。

3回にはまたもRuiが出塁、Shohgoが送りYuiが返すというFの黄金の得点パターンで加点すると、いつもの繋ぐ野球というより、繋がる野球で単打を3連発、結果4得点で6:0。


4回にもHajimeの今日2本目のタイムリー安打などで2点、試合を決定づけた。
結果は8:0の5回コールド。
ほっとした。見ていて危なげない試合運びで「らしい」展開でった。打線もそうだが、先発で被安打2、5回完投のKyohも良かった。やっぱりハグしてやろう。これで次はRuiをフルで行けるし万一の時でも2回まではリリーフ可能だ。次はいよいよ決勝だ。

決勝は辻堂少年野球クラブ。藤沢のチームである。筆者のトラウマではあるが、かつて息子の時代に高円宮賜杯県大会決勝で、延長9回までやって敗れた相手も藤沢だったし、その後の低迷期には関団連などでボロボロにされた相手チームも藤沢が多かった。どうも藤沢方面というと「強い」というイメージがあるんである。若い頃藤沢小田急の仕事をしたり、湘南的土地柄は穏やかで好きなところなんではあるけれど。

スコアラーゆえ写真はない。
この決勝おそらくは先攻のフレンズの攻撃が全てだったように思う。
こちらは今年いくつもの決勝などの大舞台や大きな球場にも慣れてきている。準決勝のような普段通りの野球をやれば、自信を持って臨むことが出来る。対して相手はどうなんだろうか。これは飽くまでも筆者の想像だ。春の県大会優勝や、全国ベスト16の実績や、前の試合の展開はもちろん知っているはずだ。そのへんで心の余裕がなかったのではあるまいか。(※飽くまで主観です。辻堂さん、違っていたらごめんなさい)
初回表は、出塁、送りバント、主砲の適時打で得点、更に打線は繋がり、6,7,8番打者がそれぞれ3塁打、2塁打、単打と連発し下位打線からでも次に繋げる攻撃パターン。今年はこういう展開に持ち込んで負けたという記憶があまりない。対して相手チームは前述の理由からか(?)四球や失策が絡んでしまい、結果初回でフレンズは5得点。

初回の5点は決してセーフティーリードとは言えない。初回6失点されてもひっくり返すチームだってざらにいる。例えばそれが春の県大会のフレンズだったりして。
2回裏には一塁走者を2塁でホースアウトとするも、その後Fの失策が絡んで1失点。でも今のフレンズはこんなことも「想定内」だ。...(甲子園優勝の東海大相模の記事などを読んだ読者諸兄は想定内と聞いてニヤリとしたであろうか。半分はパクリなんである)

3回フレンズはこの日2本目となるTaichiのタイムリーで1点、4回にはKohkiの安打1本のみながら、相手失策などで2点、最終回には代打Buntaが内野安打を記録し、やんややんやの喝采を浴びて出塁し、その後Ruiの安打などでまた2点追加。
終わってみれば10:1で春夏連覇達成なんである。

春の神奈川を勝ち抜き、全国でベスト16になり、それでもなお自分的には「本当か?夢じゃないのか?」という一抹の不安があったんである。幸運やクジ運や偶然や...。しかしこの神奈川県下強豪54チームが競う大会で、1/54の一番上に来れた事実はもはや揺るぎない自信となったのは筆者だけではあるまい。胸を張って優勝旗を持って帰ろう。
試合後すぐにF帽子を脱ぎ捨て、カメラ片手に宮前連盟帽子をかぶりグランドへ飛び出す。
エールを送ったあとの恒例帽子投げ。空模様がハッキリしない写真で帽子もまばらに写り一瞬「失敗しちゃったか?」と思ったけれど、Macで大きく見てみると、ほぼ全員がその瞬間地を蹴って宙に浮いている絵になっていた。躍動感があって面白い。写真の下部分、皆浮いちゃっている(^-^)中央主将Ruiのジャンプはハンパない。

試合後東京新聞横浜支局長さんらから取材を受ける監督Satoh。これもすでにお馴染みとなった光景だ。監督の舌も滑らかなのは言うまでもない。

閉会式。真紅の優勝旗やカップを胸に。大会最優秀選手賞はもちろん主将のRui。これも小さな体でよくぞここまでチームをまとめて引っ張ってきてくれた。走攻守、全てにおいて抜きん出たセンスを発揮し、いくつもの場面で会場を湧かすようなプレーを披露。彼なくして今のフレンズは語れない。

どうしてもメダルをもらうとまじまじと見てしまうナインたち。もし筆者が子どもなら嬉し恥ずかし、全く同じことをしていただろうて。

集合写真。ふと気がついた。せっかくの全国大会では集合写真を撮っていなかったことを。あの時はそんなことはすっかり忘れていた。負けてもせめて記録に残してあげていれば、それを見て大人になってからの苦くも良い想い出になったのに違いないのだ。ビターの効いたほろ苦いチョコレートのように。
最初は選手監督コーチだけで。並入る報道陣の要求に応えて腕を挙げて。
次は筆者のカメラでブログ用に親たち含めて撮ろう。この場合、当たり前だがカメラマンなのでいつも筆者は写らない。机を用意しタイマーで撮るつもりだった。神聖な(とされる)グランドに机を持ち込むのには不謹慎のような一抹の不安と、ライオンに立ち向かう鼠のような勇気を必要とした。ところがプロである東京新聞の記者さんが自ら買って出て筆者のカメラで撮ってくれたんである。嬉しいことである。
連盟キャップを被っていたんであるが、この時だけ帽子をフレンズに変えれば良かった。

++++++++++++++++++++++
球場の外に出て皆、大人も子どももてんやわんやの帰り支度。大人は道具や野球用具を車に積み込み、子どもはユニフォームを着替えアップシューズに履き替えて。

ふとKyohが目に留まった。先日の思いを果たそうと、つかつか歩み寄り握手し、きゅんきゅん抱きしめたんである。彼が入部した頃はまさかこんな活躍をするとは想像もしなかった。
「Kyohおまえ、今まで本当に良く頑張ってくれたな。ありがとうな!」
ヤツをハグしながら思った。なんと薄くてちいさな胸なんだろうかと。

今年は彼のみならずフレンズの子らは、心臓が押しつぶされそうになりながらも、このちいさな体で幾多の大舞台の激戦をくぐり抜けて来たのか。我々大人には分からない風景が現場の子どもには見えていたに違いない。土の上に立っているのは監督でもコーチでも親でもない。彼ら子どもたちにしか見えない風景を見つめて、土まみれになってここまで来たのだろう。
Kyohを抱きしめながら心の中でチーム全員に「ありがとう」と言ったら、なんだか瞼の奥が熱くなってしまった。

そのあとヤツの頭をぺしぺしパシパシ叩いたのだが、筆者の思いとは裏腹に当の本人はキョトンとしていたのは言うまでもない。

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2015年8月19日水曜日

春夏連覇達成!

神奈川の春と夏を、今日制した。連覇達成なんである。真紅の東京新聞旗を奪取。
とりあえず、保土ヶ谷サーティーフォーから、Now(^-^)

2015年8月18日火曜日

春夏連覇を目指し

東京新聞旗争奪・神奈川県大会3回戦、準々決勝なんである。
神奈川県下各地で勝ち抜いた54チームで争われる大きな大会。いよいよ佳境を迎える。
3回戦:VS湘南ブルーサンダース(藤沢市)
8:0で勝利。完全復活か?Yuiの2打席連続レフト線へのツーベースに加えて、先発マウンドのKyoh、あわやノーヒットノーランかとなった僅か1被安打ピッチングはアッパレ。

準々決勝:VS港少年野球部(平塚市)
3:1で勝利。1戦目の先発マウンドの呪縛から解き放たれたか、Kyohが外野への2本のタイムリーツーベースで2打点。因にYuiはこの試合でも最終打席敬遠のフォアボールだった。まるで日曜の試合の再現のようだ、らしい。

のようだ...らしい...かもしれない....ぱはっぷすめいびー...そーりー、ぱーどぅん?
そーなんである。筆者は仕事の関係で今日は試合に行けてない。これらの情報はフレンズLINEと、アップされたスコアブックの画像から速報縮小版として書いた。

明日も仕事する予定だったが、もう、居ても立ってもいられんではないか。
作家と同じく閉め切りがあっての筆者の仕事。A社とS社の2社のクライアントには謝ろう。幸い二人の担当者とも、こういうことには理解を示してくれる人なんである。益してやA社の人は子どもが小学生の頃少年野球に携わっていた父親なんである。最近このブログも見ているらしいので、嘘はつけない。明日休みます。...「親戚のおじさんの葬式」または「子どもが交通事故」という、日本古来から連錦として語り継がれている会社員が会社をズル休む2大口実は通用しないんである。

監督SatohくんからフレンズLINEにアップされた言葉の中から。
「チーム一丸となり神奈川の春夏連覇の頂点を目指しましょう!」
そうだった、ついこの間のことのようだ、神奈川の春のてっぺんを獲ったのは。

奇しくも甲子園もいよいよ佳境に入って来た。
激戦区神奈川の少年野球の熱き闘いも明日最終日を迎える。
明日の決勝のスコアラーは筆者。先ほど見切りをつけて仕事を終了。酒をかっくらって寝ちゃうんである。
もっとも酒を呑んでるのは18時からであるが(^-^)
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2015年8月16日日曜日

君よ憤怒の河を渡れ

昨日のブログ「妄想特急」は書き終ったあと、いや書きながら一抹の不安があったんである。世界中で一番無念の思いに苛まれ心にキズを負ったのは最後の打者となった当の本人であって、それに比べたら筆者の哀愁などは、タクラマカン砂漠に落してしまった米粒ひとつに過ぎないことを理解していた。にもかかわらず、我がチームの選手だからという甘えがあったのかもしれない、書いてしまってから明日本人に言葉を伝えようと思ったのだった。

そして、今日。「東京新聞旗争奪・神奈川県大会」の初戦なんであった。
境川遊水池公園スタジアム。出発前に母にそれとなく訊いてみた。やはり彼は全国大会最後の打席を想像以上に重い心を引きずっていたらしい。朴訥で言葉少ない彼は自分の胸の内側の、心の襞に無念の記憶が刻み込まれていたのだった。ジャイアンツJrのセレクション結果もかぶさって...。その襞に塩をすり込むようなブログを書いてしまったのではないか?自責の念とともに私は遠征キャラバン隊の車中の人となったのである。

試合前、ベンチには偶然レガースを着ける彼とその父マネージャーTagamiさんと筆者の三人だけになった。彼に声をかけた。
「おうYui。Tコーチさあ、昨日ブログ書いたんだけど、いずれおまえも読むことになると思うけどさ、気にしないでくれよ。あれは俺の妄想に過ぎない独り言だからね」
絶対私も言葉が足りないはずだ。彼はきょとんとしていたが、いきなりこんなことを言われても理解出来ないのは無理もない。
キミがもう少し大人になれば私の心持ちも理解してくれるに違いないと、大人の傲慢さでもって会話を切り上げた。いつかきっと過去を断ち切り吹っ切れてくれることを願って、あわよくば今日の試合でそれが叶えば.....。

再びの今日。「東京新聞旗争奪・神奈川県大会」の初戦なんであった。



戸塚区代表「平戸イーグルス」。試合経過は省略し、筆者がつけた手元のスコアブックから。
戸塚区平戸イーグルス
安打数5、得点2、与四死球2、失策3、投球数97、自責点3。下位打線の打者のフルスィングからの打棒は目をみはるものがあり、正直我が軍にとって脅威だった。ことに6番Nakamuraくんはスリーベース+ツーベースの2安打と気を吐いた。幾人もの打者が痛烈な打球を外野に運ぶわけで。

対する宮前区代表有馬フレンズ
安打数6、得点3、与四死球0、失策1、投球数99、自責点1。
全く僅差での辛勝であった。

特筆はRuiの気迫の投球と、加えて主砲Yui。
初回いきなりのセンターオーバーの3塁打、続く2打席目は安打で出塁のShohgoを走者に置き、2球目を強振、やはりセンターオーバーのランニング本塁打、チームに活気をもたらす2打点。アイツらしいスィングが戻って来た。監督Satohも絶賛していたのは捕手としての投手へのリード。監督からのサインを踏まえて自分で考えサインを投手に出す。

最終打席では敬遠のフォアボール。今まで3ボールからの敬遠気味の四球はあったけれど、プロ野球みたいに最初から捕手が立ちっぱなしの明らかな敬遠フォアボールは初めて見る光景だった。点差を考慮すれば相手チームも当然の策であったろうと思う。これも彼の勲章なんである。

バットを振り切ることで、彼も過去の記憶を振り切れたと思ったのは筆者の独りよがりであろうか?
Yuiはきっとその苦い過去を経験したことで、今日の成長があったに違いない。
人は誰しも失敗から多くのことを学ぶ生き物であるから。

++++++++++++++

次の対戦相手はこの2チームの勝者。
野球を離れてブロガーまたはカメラマンとしての血が騒ぐ。
投手から1塁走者への牽制球と、走者の帰塁スライディングの絵。
実に良いではないか(^-^)
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2015年8月15日土曜日

妄想特急

しなる右腕、迫り来る豪速球、0.01秒の判断でコースと球速を読み解きバットを振り抜く。
キーーーーン!
その乾いた音が耳に届いたあとに私の目に映ったのは、紺碧の空にみるみる天高く舞い上がる白い球体。やがてスタンドの大歓声がすうっと遠のく。ベンチも静まり返る。蝉たちの合唱も聴こえない。音の存在しない異次元の世界を瞬時彷徨う。
鏡のような静謐の世界で、その丸い球体は豊かな白い弧を描き、やがてフェンスの向こうで大きくバウンドした。

ふと我に返ると世界中のありとあらゆる音が私の耳を通して、はち切れんばかりに頭の中を駆け巡る。見慣れた縦縞のユニフォームが三塁ベースを悠然と蹴って、徐々に本塁へ近づく姿を、私は目に熱いものをためながら見ていると、それは蜃気楼のように揺らぎ始め徐々にスローモーションになり、本塁ベース手前で彼は宙に浮いたまま映像は凝固してしまった。やがてまた世界の音が停止し、映像もフェードアウトし始める....。
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あれ以来毎晩こんな夢を見た....わけではない。言わば妄想に近い。しかし、これに近い感覚と体験をした野球に携わる人は少なからずいると思う。折しも今、甲子園がたけなわだ。全国大会が終わってからの筆者は、軽い「燃え尽き症候群」にまとわりつかれて、しばし現実世界から遊離していたんである。更に前回ブログアップ後は仕事のほうが忙しくなり、とんと「晴耕雨読」に食指が動かなかったんである。

でも大丈夫。てゆーか、そんな感傷に浸る暇もなく明日からは「東京新聞旗神奈川県大会」が始まる。明日もAM4:30起き。筆者夜型ニンゲンゆえに朝は滅法弱い。昔から弱いのは早起きとセクシーな女性と相場は決まっているんである。

勝って兜の緒を締めよ、という言葉があるけれど、負けて心機一転、全てをリセットしてもう一度挑戦する気持ちをこれからも持ち続けたい。
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2015年8月11日火曜日

胸を張って前を向け

これを書かねば自分自身へのけじめがつかないので、頑張って書いてみようと思ったけれど、部屋の時計はすでに0:00過ぎ。書くか書かぬか迷った末に見切り発車なんである。アクセス100越えだった今日、ブログ読者の期待に応えねばというプレッシャーもさることながら、自分自身のテンション、モチベーションも今のうちに、という思いもあるわけで。「鉄は熱いうちに打て」...なんである。

開会式は神宮で。その神宮に絶対戻って来るぞと個人的な信念を持って初戦を終えて、更に町田での2回戦はフレンズらしい投打の展開で快勝、本当にここへ戻ってこられた。チームの士気も高い。ここまで来たら絶対てっぺんを....と思うのは初出場チームの常なんであろうか。筆者や周りの大人たちの誰もがそう信じていた。しかし全国の壁は予想どうりとてつもなく厚かったのだった。

筆者はチームのコーチ兼スコアラーで名も無きいちブロガーである。父母たちが普段目にすることが出来ないアングル・シチュエーションでの写真を心がけているけれど、なかなかそうはいかないものだ、特にこんな全国大会での大舞台では。そこで例によって筆者の分身であるコピーロボットを起動しカメラを持たせて解き放った。ネット裏の記者席からちょっとだけ前試合の写真を活写す。観客席からでは味わえない迫力のある画になる。

スコアラーなんである。試合開始のコールからは写真は撮れない。さすがにコピーロボットも法令遵守の精神に違反することは出来ない。ならばせめて試合前の点景を。
ベンチと後ろの控室とのあいだの出入り口に母たちの千羽鶴を掲げる。緊張しいのナインたちの気持ちをほぐすために笑いを取ろうかと思った。控室から千羽鶴を居酒屋の暖簾(のれん)に見立ててくぐり、「オヤジ、まだやってるか?一杯呑ませてくれや」
実際はやってない。それほど神聖な張りつめた気持ちが自分やベンチを支配していたからだった。
写真左の千羽鶴ふたつ。紺と白のそれはフレンズのもの。そしてもうひとつは初戦に当たった滋賀県代表、物部少年野球団から頂いた、いや預かったものだった。

いよいよ時間が迫って来た。円陣を組んで新バージョンの儀式。声を高めて中心の主将Ruiが最後にジャンプするんである。


目線をベンチレベルで見ていると遠くの風景がゆらゆら画像が揺れている。そーなんである。いわゆる「逃げ水」。蜃気楼の一種で夏の風物詩でもある。地表付近の空気が熱せられて光の屈折率が変化し遠くに水があるように見えるアレなんであった。こんなに激しい逃げ水を見たのは久しぶりだった。黄色いラインやベンチが歪んで見えるのがそれ。
高円宮賜杯第35回全日本学童軟式野球大会マクドナルド・トーナメント、3回戦。
先発のマウンドは新潟代表「オール阿賀野ジュニア」のKatohくん。対する神奈川代表有馬フレンズはKyoh。

1表、先攻のオール阿賀野は先頭打者Saitohくんがいきなりの右翼線へのツーベースで出塁、3盗1死後、Sakagiくん四球、2盗でワンアウト2,3塁のフレンズ大ピンチ。打席には4番Katoh(秀)くん。痛烈な打球は瞬時にレフトの頭上を越えるタイムリーツーベースで2点先制。更に後続を三振に切ってとり2死とするも、6番打者の打撃で有馬フレンズの失策の間に走者が本塁帰還し、初回で3失点のフレンズ......。

1裏以降の有馬フレンズの攻撃、というよりオール阿賀野エースのKatohくんのピッチングは圧巻であった。身長163cmの長身から、独特のフォームで投球動作を溜めに溜めた状態からの一気の体重移動で投げ込む速球は、まるで定規で白い線を引いたように一直線を描いてキャッチャーミットに吸い込まれる。初球を見ただけでこれは一筋縄では打ち崩せないと思った。かと思えば時にスローボールを多投しフレンズ打線を幻惑。本格派速球投手にとって、ボールカウントによってはスローボールが有効に働くことはあるが、こんなにスローを多投するピッチャーは初めて見た。下位打線にとっては未知の領域かもしれない。2回までフレンズ打線は沈黙の戦艦。

3回フレンズの攻撃では2死後ながら3,4番のYui、Hajimeになんとか連打が出ていよいよフレンズらしい畳み掛ける猛打爆発を期待したが、走塁ミスなどで願いは叶わず。

延々膠着状態が続く。こんな展開も今まで経験済みだからいつかの逆転を信じていた。
最終回2死後からRuiが鬼気迫る気迫のヒットで出塁しBKで二塁へ、続くShohgoは四球を選び走者1,2塁で回ってきたのが神奈川の最強スラッガー、Yui。
ここまでのフレンズまたは彼を知る関係者ならば誰しも思ったはずだ。最終回2死からの一発出れば起死回生の同点劇。何度かそんな場面を見て来た筆者の頭の中では、ライトフェンスオーバーの打球が描く円弧まで勝手に見えていた。
しかし、Katohくんの右腕がそれを上回っていた。しなる右腕、唸りをあげて迫る速球、神宮に鳴り響くミットの捕球音。それまでの下位打線への投球とは打って変わって、1番Ruiからはいきなりスイッチが入ていた。百球前後を投げてもなお、まだ衰えを知らぬパワーを秘めていたんである。

ツーストライクからの3球目、Yuiのバットが空を切る音が聞こえた。
瞬間、天を仰ぐYuiがこの球場の誰よりも無念の思いを抱えていたに違いない。周囲の過大な期待を背にプレッシャーも多かったろう、一瞬にして泣き崩れていた。

創部35年目にして初出場の全国の大舞台。紆余曲折、近年廃部の危機も乗り越えてきた我が有馬フレンズ。ここまで選手も監督コーチも父母たちも本当に良くやったと思う。でもそんなお仕着せの甘い慣用句も通用しないほどの落胆だった。ここで立ち止まることは考えていなかったし、目指していた所はもう少し上だったから。

でもこれが全国での実力なんだと冷静に胸の内で反芻する自分もいた。
神奈川代表有馬フレンズの少年たちの熱い全国の夏は、終わりを告げた。
遠雷のように遠く神宮の森から聞こえて来る蝉の声が、筆者の耳に虚ろに響く。

どのチームでもそうであろうけれど、敗者のベンチ裏控室ではほとんどの子が号泣していた。もらい泣きしている下級生も幾人もいた。6年生に至ってはそのちいさな胸中はいかばかりか推して知るべしであった。
主将Ruiに取材依頼。まだ頬の途中に涙が留まっている真っ黒な顔を筆者は直視出来なかったけれど、心を鬼にしてシャッターを切る。
東京新聞・東京中日スポーツのTeshigawara氏、企画事業部Tada氏、報道部Ishii氏。プロだからたぶん慣れているだろうけれど、敗戦の将に気を遣うためか静かな取材となった。記者も仕事とはいえ辛いものだろうと思う。記事は少年野球とはいえ高校球児の甲子園などと同様の扱いの文章だから、それがまた読んでいる者の共感を呼ぶ。

少年野球の甲子園と言われることはこんな場面にもあった。初戦の滋賀戦でもあったけれど、勝者敗者との垣根を越えた挨拶交換。フレンズからお菓子の差し入れと、母たち手作りの思いを込めた千羽鶴を差し上げて思いを託す。もちろん初戦敗退した滋賀県物部少年野球団のそれも一緒に預けた。思わず両チームの母たち数人がハンカチで目頭を抑える場面が垣間見えた。


少し補足したい。
オール阿賀野ジュニア。休憩所でたまたま同席した母二人に思い切って声を掛けてみた。筆者こう見えても人生で一度もナンパなどしたことがなく、見知らぬ女性に声をかけるには真夜中にバンジージャンプするくらいの勇気がいるんである。背中から話しかけた。
「あのおー、ちょっとお話を伺ってもいいですか?」
びっくりして振り向いたお二人は、米どころ酒どころの産地の御多分に漏れず素敵な美人さんであった。
やはりオール、と名が付くからには阿賀野市から選抜セレクションされた選手で構成されたチームであった。いわゆる連合チームである。しかし話を訊いたり後日HPなどで調べたりしたところによると、阿賀野市は町村合併で出来た市で人口も少なく市内にはたった7チームしかないのだった。全国を目指すための苦渋の選択でのオール結成なのだろう。二人の母同士も違う母体チームなんであった。連合は賛否両論あろうけれど、野球をやる子どもにとっては関係ない。むしろ結成して歴史が浅いチームをまとめることの難しさもあろう。たった7チームからのセレクションでこんなに素晴らしい選手を構成出来たことのほうが称賛に値すると思う。また勝ち進むにつれて経済的な面でも苦しいのは甲子園同様の悩みらしい。

フレンズを破りベスト8に進出したオール阿賀野Jrは今日(8/10月曜)、降雨や落雷の中断をはさみ接戦の末、山梨代表に4:3で勝利、とうとうベスト4、準決勝まで進出したのだった。是非頑張って欲しい。

最後にフレンズナインへ。
志半ばで負けてしまったけれど、身びいきではなく本当に良く頑張った。全国13,000チームの中のベスト16に残ったのは決して偶然でもなんでもない、キミたちの練習の努力と気持ちの強さ、仲間を信じる心がここまで来れた理由だ。下を向く必要なんかないしその暇もない。胸を張って凱旋して欲しい。キミたちの心の中には大きな想い出が出来たはずだが、我々父母監督コーチの大人だって一生の想い出になったのは言うまでもない。

Special Thanks
※ここまで全国大会に向けて様々な方々に応援、ご支援、お声をかけていただきました。壮行会を始め神奈川、川崎、宮前少年野球に携わる方々、他チームの指導者、シニアチーム、県議市議、商店会、学校の先生方、OBの子どもたちと、実に多くのそのOB親たち、現役選手の祖父母、チームには関係ないのに頑張ってと声をかけていただいた地元の人たち、東京新聞やタウンニュース社などの報道関係の皆様。
この場をお借りして深謝、皆様本当にありがとうございました。

全国の夢はついえてしまいましたが、彼らの夏はまだ終わってません。
これからも有馬フレンズ、宮前少年少女野球をどうぞよろしくお願い致します。
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