2017年4月29日土曜日

キミたちを支えているもの

明日は(今金曜日夜0時前、明日とは土曜日を意味する)Queensのライオンズ杯祝勝会なんである。今年のGWは前半は仕事で、来週後半はなんとかカレンダー通り休める見通しが立った。自営業としては嬉しいやら淋しいやら複雑ではあるけれど、何はともあれ半分はゆっくり出来ることは喜ばしいことではある。
今朝の新聞折り込みの「宮前タウンニュース」にQueensの優勝に関する記事が掲載されていた。「宮前が女子の頂点」...これまた実に喜ばしいことである。

さて、ジャビットカップのフレンズVSヤングの試合詳報は既報の通り。その後筆者はFマーク帽子から連盟キャップにかぶり直し、次の試合フォルコンズVSリトルグリーンズの模様も少しだけ活写したんであった。Fマーク帽子の時はバックネット裏を徘徊することは基本御法度と認識しているけれど、連盟帽子をかぶればまるで水戸黄門の印籠のように、第一公園のあらゆる所をフリーパス、難関関所は顔パスなんである。もちろん連盟帽子はF以外の試合にのみ着用するように心がけている。いわゆる自分なりの「矜持」というヤツか。

フォルコンズVSリトルグリーンズなんであった。写真にコメントだけでさっくりいきたい。
フォルコンズ先発投手君を二枚撮った。この写真は連写ではなくふたつの投球モーションを一回ずつ別個にシャッターを切ったものである。以前にもこういう写真を掲載したかもしれないけれど、見てくれこれを。全く違う投球なのに、全くそっくりなんであった。わずかにグラブを抱え込む角度が違うだけで、ほぼ全ての体のバランスとそのタイミングがピタリと一致している。筆者は専門家ではないが、こういうきちっと同じフォームで投げれることは素晴らしいことだと思うんである。断っておくがこの二枚はコピーして並べたものではない。リリースポイントを基準に他を観察してみると見事に同じフォームである。

対するグリーンズ先発投手くん。

フォルコンズ優勢の試合展開であった。
ちょいワルオヤジ系ベンチ。F監督はTanakaさん。
最近ナニか奥さんに「おねだり」したらしい。ボトルに入った謎のモノである。Tohko父もお薦めのスグレモノらしい。
「もう、うちのパパ、欲しがりなんだから」とTanaka母のおおらかな笑顔が浮かぶ。(by Time LINE)


フォルコンズにはQの6年Sachikoがいる。今やヤングと肩を並べるほどの女子選手供給源となったFなんである。父母はアイルランド系カナダ人の父と、平野ノラ的(よく言われるらしい)峰不二子系日本人妻の、イケメンと美女のご夫婦である。
Sachiko本人は実に真面目で野球に真摯なQ姫なんである。


対するグリーンズ監督はOhnishiさん。でんと構えた風貌はいかにも歴戦の少年野球監督なんであった。

人間の走る速度と送球ボールのスピードを考慮すれば、この写真の判定はおのずとお分かりであろう。クロスプレーであった。誰でも知っているとい思うけれど、こういう場合審判は走者がベースを踏む瞬間だけを凝視している。その瞬間と聴覚で感じ取ったボールがグラブに納まる「ぱしっ」という音が、どちらが早かったかでアウトセーフの判定をする。ボールは見ない。視覚と聴覚の両方を駆使して判断するんである。ここで目で確認する「光速」と耳に届く「音速」では、差が生じるではないか?などと考え始めると、夜も眠れなくなるのでやめたほうが良い。

QのヤングAyakaとYuriko。
気をつけ〜!

礼!....ありがとうございました!
前試合の激戦を制した勝者ヤングは、来週はフォルコンズ戦なんである。

試合はFの優勢のままに展開。


宮前審判団のベテランの一人、Katsuさん。審判のジェスチャーはいろいろある。ストライク、ボール、アウト、セーフ、ファウル、フェア、タイム...。筆者的に好きなカットは意外と思われるかもしれないが「プレイッ!」の時の人差し指を投手に差し向けるこのスタイルである。これがスパッと決めてカッコいい人はたぶん他のジェスチャーも全部カッコいいに違いないんである。筆者がオヤジとしてこの少年野球の世界に入った頃には、すでにKatsuさんはバリバリ審判をやっていた。今まで何万回このポーズをしてきたのだろう。

試合も終盤、次のカードの対戦チーム同士のジャンケン大会を撮る。メイツKimura監督とブルアロYoshida監督。Kimura監督は筆者をつかまえて握手を求めて来た。「Queens優勝おめでとうございます」と。メイツ在籍のQ姫Rinaの成長の姿を、目を細めて嬉しそうにとうとうと語ってくれた。
今回のブログに登場したオトナたち以外にも宮前のいろんなオトナたちが、こうして自チームやQの子らを一生懸命、かつ温かく見守って育てているのだった。

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2017年4月27日木曜日

小説「月に雨降る」39

「恭子、今日の八時に渋谷のあのスペインバルで会えないか」
耳元でちいさく囁かれた恭子は少し驚いた。
恭子も小声で返した。
「どうしたのリュウさん。そんなに改まってさ」
ランチから戻ったばかりの設計室は人はまばらだった。渋谷の店とは、駅から代官山方面へ少し入ったところにある飲食ビルの五階の個室がある店だった。一度だけ二人で行ったことがあった。普段ならデートの時は、仕事が早めに終わりそうな日に、どちらからともなくスマホのLINEで連絡を入れるのが普通だった。直接社内で言うことはめったにない。恭子の怪訝な反応に多少狼狽しながら龍一は言った。
「あ、うん、まあね」
「いいわよ、私は。八時ね」
「うん、今日は俺、心斎橋の実施設計の打合が終わるのが七時半くらいかな。たぶんその時間には行けると思うから」
ここ数ヶ月龍一の様子に異変を感じ取っていた恭子は、眉根に皺をよせながらデスクのパソコンに向き直った。龍一と恭子の仲はいわゆる社内恋愛だ。そういうものはややもするとすぐバレてしまうものだったが、龍一の考えでつき合った当初から社内では絶対分からないようにしようと恭子には言ってあったし、また、恭子も女子の同僚や周囲などにも一切悟られないように気を遣っていた。設計の部署では二人は普通に仲のいい上司と部下の関係に見えているはずだった。

店に着くとすでに恭子は小さな個室で待っていた。ビールのジョッキはまだ四分の一ほどしか減っておらず、恭子も来て間もないことを龍一に知らしめた。
「ああ腹減った。ビールと何頼もうかな。前回食べたあれ、うまかったよな。なんだっけ」
「まぐろとアボカドのカルパッチョでしょ、スペインなのにイタリア料理。もう頼んであるし。たぶんリュウさん頼むだろうと思ってね。それとあとでアヒージョもね。リュウさん大好きだもんね」
「おう。それと最後はパエリアだね」
付き合いが長くなればなるほど、互いのことは以心伝心だった。龍一も恭子の服装の好みや、嬉しいときの笑顔は必ず片目をつぶってみせる癖など、よく知っていた。龍一は心から恭子のことを愛おしいと思っていた。しかし付き合いの長さが、むしろ相手を苦しめることになることも大人になった今では分かる。
小さな個室は龍一の思惑で取ってあった。他の客に聞かれたくない話をしなければならなかった。しばらく他愛無い話をして、ビールからワインに切り替えて二度目の乾杯をした時だった。龍一が切り出すよりも先に、恭子がグラスを置いて神妙な面持ちで言った。
「リュウさん。何か私に言いたいことがあるんじゃないの」
「えっ」
図星だった。彼女なりに薄々何かを感じ取っていたのだろうか。やはり以心伝心だった。良くも悪くも。
「なんで分かったの」
「最近のリュウさんを見れば分かるわよ。これだけの付き合いだもの。今日なんかいつもだったらこんな高いお店なんか来ないし。しかもその話の内容は、たぶん...」
たぶんと言ったきり恭子は黙りこくってしまい、下を向いて固まってしまったように見えた。
「恭子。ごめん」
ゆっくり顔を上げた彼女はまっすぐ龍一の目を見据えた。
「ごめんって、何?はっきり言ってもらったほうがいいわ。このところずっと、毎晩眠れなくて、リュウさん変だから。私と話をしていても私の後ろにいる他の誰かに向かってしゃべっているみたいで。心ここにあらずって感じで。私はね、このままずっとリュウさんとは、ずっと...ずっと...このままでいたいと」
恭子の目からみるみるうちに涙が溢れてきた。喉を振り絞るように言った。
「どうして?私じゃだめなの?」

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2017年4月25日火曜日

負けて学ばなければ負ける価値がない

昨日日曜のジャビットカップVSヤングホークス戦は、昨日のブログに書いたとおり、「長いヤングフレンズの歴史の中でも、後世に語り継がれるべき伝説の試合」となったのである。または「江夏の21球のようにこの試合を一冊の本にして、国会図書館で収蔵されるべき一戦」でもある。更には「この日のスコアブックをタイムカプセルに詰めて、鷺沼公園の桜の樹の下に埋蔵し、30年後現6年生が42歳になった時、両チームオジサンオバサンになって再会しそれを掘り起こすに値するゲーム」なんである。ついでに...もう本題に入ろう。

初回裏ヤングの攻撃は1安打のあと簡単に二死となり走者は三塁。一個の失策からYの5,6,7番に連打を浴びて悪夢の4失点を喫することに。途中から遅れて来た筆者はこのへんの事情は観ていない。2回から登板したのは主将Shohma。


2回Fの攻撃では相手四球や失策にからんでなんとか1点を返すにとどまる。その後はYのエースAsanoくんの快投の前に無安打の打席が続き、沈静が沈黙に変わりしまいに沈没してしまいそうなF打線。対するYも2回以降は一本が出るものの、後が続かない。
ヤングと言えば数多くのQueens戦士を輩出していることでQには多大な貢献をしているんである。Kurosu監督のひとつのご自慢でもある。
Ayakaが三塁まで到達、打席はYuriko。


3回から6回まで互いにゼロ行進の息詰る(?)、或いは閉塞感の漂う展開。

最終の7回表、スコアは4:1のままFは先頭Gakuが出塁するものの、続く打者は連続三振でツーアウト。あと一人でゲームセットだった。両チームの誰もが数分後主審の「集合!」の声を予想していたに違いない。しかし、なんであった。集合!のコールを聞くことになるのはまだ数十分後なのだった。
1番に戻って打席はShohma。一矢報いる痛烈なセンターへの三塁打を放ち1点を返す。

続くShohも出塁するとにわかにF軍団が息を吹き返した。ベンチ後方も湧いている。
ここで頼れる3番、4年生で捕手の頼れる男、Hideakiがまたセンターへのタイムリー二塁打でついに同点。臥薪嘗胆、生々流転、起死回生、輪廻転生、蘇る金狼なのだった。



4番Takashiは四球を選び、続く5番Kunji。昨年から比べて大きく成長した選手の一人である。彼もレフト線のタイムリー二塁打を放ち、とうとう逆転まで成し遂げてしまった。最終回に4:5と大逆転劇を演じたのだった。



しかしこれが野球の面白さであり怖さでもある。その歓喜の沸き立つ渦はあっと言う間に沈んでしまうことになる。まるで吹きこぼれそうになる鍋に冷水を注入した瞬間みたいに。
最終回裏、Yは1番からの好打順。TakashiroくんTamuraくんの1,2番コンビが外野への安打を連発し三塁二塁とすると、一死後4番Katsumeくんが振り抜いたバットは、白球をレフト後方の富士の樹海までワンバウンドで運び、一気に走者二者生還。その瞬間ヤングの劇的なサヨナラが決まったのだった。

悔しいので勢い余ってQの姫たちのサービスカット。
フレンズコーチだけれど、同時にQueensと連盟広報なんであるからして、これで良いのだ。負けた悔しさが少し和らいでしまうから不思議なものである。


前回も書いたけれど、フレンズの最後の粘りは結果は負けたけれど「最後まで諦めない気持ち」が心と体にしっかりと根付いたはずだ。もしそうでなければ、この負けはどこにでも転がっている「惜敗」のひとつに成り下がってしまうはずだ。
「負けて学ぶことはいつでも出来る」から負けてる場合じゃない、とはフレンズ前監督Satohくんの名言であるが、「負けて学ばなければ負ける価値がない」とは今思いついた筆者の迷言なんである。断っておくけれどフィリップ・マーロウの言葉を引用改ざんしたわけではない。

対してヤングには心からおめでとうとエールを送りたい。こちらも「諦めない気持ち」の強さがこの劇的な結果を呼び込んだのだった。サヨナラヒットのあと興奮する選手たちをKurosu監督やIshikuraコーチが冷静に諫(いさ)めていたが、子らの気持ちはよく分かる。
試合後舌も滑らかに笑顔でKurosu節が炸裂したのは言うまでもない。
筆者はフレンズ関係者としては実に惜しい勝ちを逃したという思いもある一方で、同時に連盟広報的なニュートラルな立場から振り返れば、両チームとも本当に素晴らしいゲームだったと思うのだった。誤解を怖れず達観したような言い方が許されるならば、負けてもどこか清々しさを覚えるような、そんな気分であった。相手が盟友ヤングだったことも幸いしたのだろうけれど、YもFも子どもたちの中に、目に見えない財産を築いたような記憶に残る一戦となった。

「この日のスコアブックをタイムカプセルに詰めて、鷺沼公園の桜の樹の下に埋蔵し、30年後現6年生が42歳になった時、両チームオジサンオバサンになって再会しそれを掘り起こすに値するゲーム」
ではあるけれど、30年後が無理ならば、
「5年後現6年生が17歳になった時に、この少年野球「晴耕雨読」BLOGの2017年の履歴をさかのぼり、あのときそんな名勝負があったっけなあ」と、懐かしんでみてほしい。
言っとくが30年後は無理だ。なぜならこのブログは閉鎖されて、またそれ以前に書き手がこの世から消滅しているに違いないから。
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