2020年3月29日日曜日

大脱走

いやはや、とんでもない局面になった。予想通りの或いは想定外のコロナ情勢を鑑みるに、言いたいことはいっぱいあるし、猫の目のように日々コロコロ変わる日本と世界の状況には、毎日新聞TVネットで注視するも、その情報量と質にいささか疲れてもいる。

記念誌が完成し肩の力が抜けたものの、読み手の手元に届くまでが制作者の最後の責務、必死で早めに配付の手配を画策するも、コロナ情勢に押されて忸怩たる思いを抱え断念、やはり当時予想出来た現在の状況を思えば、計画通り「3密」のないあの日に強行配付すれば良かったと後悔するも、今となってはアフターフェスティバルあとの祭り、おまけに仕事受注も激減、全てがコロナウィルス禍(か)のせいばかりとも言えず、日々粛々と自分の中を時間だけが通り過ぎてゆくんである。

そんな日々、今日はコロナで書きたいことはあれど、あえてコロナは封印したい。
記念誌完成以来、失われた時間を取り戻すように溜まっていた映画を観た。TSUTAYAのDVDはもちろんのこと、これに飽き足らずAmazonプライムで無料の映画も数本。無料ではない199円する「ダブルジョパディー」も。筆者の好きなトミー・リー・ジョーンズ主演。「逃亡者」に対応する「追跡者」まで。

そんなある日読みたい本があって近所のブックオフへ。目当ての本は見つからず、帰りがけ中古映画コーナーを流していると、キラリと目に止まるDVDがあった。そーなんである。スティーブ・マックィーンの映画史に残る名作「大脱走」であった。これはQueens(ヤング)のWatanabeさんと以前映画談義をしたことがある。マックィーンファンだと言うWatanabeさんに対し筆者は「大脱走」ファンであった。当時話は大いに盛り上がったわけで。しかもである。筆者は小学生か中学の頃、この映画は繰り返しTVで何度も観ていたんである。汗臭い男たちの緊張感溢れる脱走劇。バイクで疾走するマックィーンのなんとカッコよかったことか。子供の頃のおぼろな記憶では、チャールズ・ブロンソンの穴掘り、アメリカとイギリスの皮肉溢れる自家製焼酎を飲むシーン、失明寸前の役者、最後に脱走に成功するジェームズ・コバーンやデビッド・マッカラム。デビッド・マッカラムは0011ナポレオンソロのイリヤ・クリヤキン役で名を知っていた。そしてこの映画の圧巻のシーンはもちろんマックィーンのバイクの大ジャンプ、鉄条網を突破出来ず血だらけになって脱走失敗の場面であった。

記憶が溢れるように湧き出て思わず棚に手が伸び、DVDを衝動買いしたんである。その晩じっくりと鑑賞したのは言うまでもない。


3時間一気見しちゃったわけで。子供の頃は気がつかなかった男たちの葛藤や個性、生き様などに改めて気づかされるのが、昔観た映画を大人になってから観ることの一つの楽しみではある。それはいっぱいあった。

翌日はDVDセットになったいわゆる「撮影秘話」や「映像特典」「メイキング」をじっくり観てみる。知らなかったことがいっぱい詰まっていたんである。史実に基づいた映画であったこと。てっきりハリウッドエンタテイメント映画かと子供の頃は思っていたが、第二次大戦下のドイツ軍捕虜収容所での実話だった。多少の演出はあるものの脱走方法や手順などは事実に基づき忠実に再現したらしい。驚いたのは、フランス、イギリス、ロシア、アメリカの捕虜の脱走劇だったが、実際はアメリカ軍の捕虜は途中他の収容所に移送されて、この脱走劇にはいなかったと言う事実。つまり米兵役のマックィーンは脱走していないんである。当時のハリウッドでは興行的に売り上げを上げねばならず、米国で成功するには米兵マックィーンのヒーロー活躍は欠かせないとのことで、物語を作り変えたのだそうだ。これは捏造とかではなく娯楽映画としての「演出」と言うものである。
更にまた、ラストシーンでのあのマックィーンのバイクジャンプシーン。子どもながらマックィーン本人が演じていると信じていたが、あれはスタントマンであった。鉄条網はゴムで出来ており、そのスタントマンやスタッフが撮影現場で一生懸命作ったのだそうだ。筆者、今より若かったならば興ざめしたかもしれないが、今となっては事実を知り得てむしろ楽しく嬉しかったのだった。

これらの映像特典は衝撃だった。当時の本物のドイツのモデルとなったルフト第3空軍捕虜収容所のモノクロ画像がたくさん収蔵されていて、実在の人物画像も満載であった。実際掘られたトンネルの写真もあったのは驚きであった。

いやあ、映画っていいもんですね。(by 水野晴郎)...子供の頃観た映画を大人になってから再見する楽しみは尽きないのである。
....
現実に戻る。コロナで閉塞感漂う日本、いっそここから「大脱走」したいと思えど、世界中がこれではじっと留まるしかない。どう立ち向かうのか、人類が試練に立たされている。おそらく後世、世界史にも残るであろうか。
今日土曜、やっと仕事のオファーが来た。新潟の食物販物件。粛々とこなしたい。記念誌は最後に印刷品質にケチがついたり色々あって早期の配付は諦めた。
東京、関東ではとうとう、半ば予想通りの「非常事態」「感染爆発」寸前の今日。折りしも華やかなりし桜も満開を迎える寸前。マイナスとプラスの要素がせめぎ合う、桜に浮かれる気分ではないけれど、心して立ち向かわねばならない。
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2020年3月25日水曜日

ニャンコも人も、それぞれの

日毎に刻々と変わるコロナ情勢とその世界の対応。朝令暮改と言っては例えは妙だけれど、昨日の話は今日になって変わる、変わらざるを得ない、そんな数日である。「猫の目のように」ここにきて大きな動きはTOKYO2020開催の是非。今日やっと一年をメドに延期に踏み切ることに大きく舵を切ることになった。様々な要因と利害とが輻輳(ふくそう)して、やっとそーなったかの感が否めない。これには日本が経済的にも大きな痛みを伴うことになるけれど、総合的に判断して致し方ないことだと思う。中止となれば7回裏コロナ戦に負けたことになり、延期であれば特別ルール適用でコロナに勝つことを意味すると思う。

自粛。東日本大震災での自粛は鎮魂歌として、失われた人命に対する思いを表現するために自主的に行われた。日本人のモラルとして不謹慎にならぬようにと。しかし今回のコロナ自粛は意味が違う。確かに同じくコロナで亡くなった多くの方への精神論もあるけれど、それよりも世界の人の命を守る、自衛のための自粛である。同じ自粛でも意味が違うと思うわけで。

さて、毎日コロナ疲れでは身がもたない。せめて不謹慎にならぬ程度にこのブログは続けたいと思うわけで。連盟、Queens、フレンズ広報担当としての野球ネタはまだしばらくは書けない。

先日の三連休初日に息子家族の元へ遊びに行ってきた。南町田である。息子の住むマンションの外廊下、遠くの山並みからヒョッコリ富士山が頭だけのぞかせていた。疫病が世界中に蔓延してる中、富士山を見ただけでウィルスが払拭され、心が浄化されたような気分になる。

息子はフレンズの前監督Itohくんと同期である。某IT企業でとんでもない仕事をしている。ブラック企業となってしまうのでここでは企業内容は詳しくは書けないが、夜中の1時に帰宅して自宅で仕事の続きをやり、少し仮眠して朝早くまた出社の繰り返し。筆者が10年前の50代前半の頃勤務していた会社では、1ヶ月の時間外労働が250時間を超えたことがあったが、話を聞けばそれを超えているらしい。しかも会社始まって以来の最年少管理職への飛び級の昇進で、全社的に一目置かれる存在になるも、周囲から妬み嫉みもあって心身ともに疲れているようだ。しかし、息子はどこかそれを楽しんでいるように日々仕事をしているようだった。単純に30代だから体力的に出来るというのではなく、おそらく彼の性格なのだろう。筆者も若い頃はそんな精神的気概はあったものの、バイタリティーの面では彼に及ばない。親としては頼もしく思える反面、身体には気をつけてもらいたいものである。

夕刻になって息子宅を辞去。がしかし、この日は息子の嫁さんの誕生日でもあり、南町田駅へ戻って皆で晩飯にしようとなって、息子家族と一緒にアウトレット施設、新生グランベリーパークへ。かなりの人出だったが、コロナがなければもっと混雑していたに違いない。偶然ではあるが筆者は昨年某社の依頼でこの一角のキッズゾーンの一部を実施設計したんである。クライアントとの打合に訪れた当時は、鉄骨が林立しクレーン車と仮設事務所のプレハブだらけだったが、今は駅舎も含めて全面リニュアルとなってすっかり生まれ変わった。全てゼロから建て替えたと言っていい。富士山はすでに闇に消えかかっていた。

娘には女の子が二人いる。上の子は昔ブログに書いたMinamiである。2才になる直前に重度の白血病にかかったがなんとか紆余曲折を経て今はとても元気にしている。20才になるまでは再発の可能性が否定できないとのことで、今でも年に数回検査通院。事もあろうになんという因果だろうか、つい先日下の妹のMiuが入院した。別の大病であった。この4月には小学入学を控えた矢先である。無事退院しても毎日インスリン注射を欠かさず、一生付き合っていかねばならないもの。母親(娘)の苦労はいかばかりか。個人的にはコロナなんて吹き飛んでしまう家庭事情。
そんな中で娘は病院へ、息子家族に遊びに行くことを楽しみにしていた、娘孫のMinamiだけが一緒にここへ来たのだった。
焼肉屋で晩飯をとり、ついでに「猫カフェ」に行った。筆者もしチャンスがあったら一度猫カフェに行きたかったんである。たまたま近くにあったので千載一遇のチャンス。今は家にミニチュアダックスのRinがいるが、かつてはニャンコ二匹と同居したことがある。20代の頃恵比寿のアパートで「ももこ」と、40代今のマンションで「ぴあの」。もしもう一度ニャンコを、となれば数種類候補がいる。そのうちの一種がアメショーだった。ここにもアメショー他、いろんなニャンコたちがマイペースであちこちのんびり徘徊していた。犬と違って唯我独尊マイペースなのは、ニャンコの愛すべき最大の特性だ。

下の写真のニャンコはここのボスらしい。いつもこの箱の上が定位置で、横になってガムシロやミルクなどの残量を監視しているようだった。

アメショーと一緒に撮ったMinamiとYuuga。いわゆる、いとこ同士になる。

前述のように南町田はグランベリーパークの新規建て替えに伴い、駅舎も全面新築となった。駅名も「南町田グランベリーパーク」駅と改称。階段から俯瞰するホームはまるでミニチュアのジオラマを見るような光景だった。ホームの向こうに滝が流れている。近未来映画のCG画像みたいであった。コロナがなければもっと混雑していたに違いない。

2020年代後半には筆者の地元鷺沼駅も新築される。規模はこれほどではないが、いったいどんなデザインになるのだろうか。設計事務所はどこが請け負うのだろうか、なんて今から楽しみである。
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付録。余談。蛇足。
娘の家では昨年ニャンコを飼った。それがアメショー、アメリカンショートヘアである。名前は「コチョ」と言う。昨年夏娘たちが家族旅行へ行くと言うので、2日だけウチでこの子を預かることになった。実に可愛い。Macで仕事をしていると目の前の図面資料にズデンと居座り、なんか文句あるか?と言わんばかりの泰然自若の、人間界の規範や習慣の空気を全く読まない立ち居振る舞いが、逆にまた可笑しくて可愛いんである。以前同居していたニャンコ「ぴあの」と同じである。なかなかのイケメンであった。

桜も咲き始め、陽気もよく、反して閉塞感漂うコロナショック、これを払拭(ちょっとダジャレ)する1日だった。しかし相変わらずウィルスとともに暗いムードが蔓延しているこの地球。人それぞれの立ち位置で考え方も千差万別、人それぞれが抱えている悩みも千差万別。世界中の人々が一刻も早く、この暗渠(あんきょ)からの脱却を希(ねが)うのは筆者だけではないと思う。
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2020年3月22日日曜日

冬の閉塞感と春の開放感

まずは連盟広報からの速報である。宮前少年野球にとっての。
本日連盟役員の会議があり、コロナによる今後の大会予定や30th記念事業に関する協議が行われた。筆者は記念誌委員と言えど正式役員ではないので出席は思い止まり辞退。会議終了後、速攻で連絡網メール配信された。ここでは詳細は書けないが、各チーム事務局へ配信された内容をコピペする。

事務局員各位
お疲れ様ですSatohです。
本日連盟役員会を開催し、下記の決定を行いましたのでチーム内へ周知をお願い致します。
  記
・自粛期間は3/27(金)までとする
・春季大会は4/12(日)から開始として、ジュニアの部は実施しない
・今後の予定説明を4/5(日)9時から代表者会議を実施する(第一公園のバックネット前)
以上


「今後の予定説明」は各チーム必ず出席をされたし。詳細の説明があるはずである。また、老婆心ながら広報から補足するなら、最初の「・自粛期間は3/27(金)までとする」に続き「但し今後の新型コロナの状況によっては、この限りではない」または「但し今後の新型コロナの状況によっては、変更の可能性もあります」を追記したい。「緊急事態宣言」にまでは至らず、条件付きで各種イベントなどは解禁となった経緯を鑑みたのであろう。今の日本の状況は国民の命を守ることと、経済の停滞を緩和させることのせめぎ合いの中で苦しい選択を迫られている訳で。さらに大局的に言えば少年野球のみならず全国の閉塞的環境の子どもたちの、心のケアにも配慮したことだろう。
※追記:川崎市教育委員会から。施設開放禁止は3/31まで延期となった。28日から活動再開出来ても、グランドは相変わらず確保が出来ないことになる。

政府の休校要請以来、近所や遠方の公園をバイクまたは徒歩で通過する機会が多くあったけれど、ほとんどの公園では普段では考えられないほどの、多くの親子が伸びやかに運動を楽しんでいた。ある公園では電動ママチャリが10台ほど整然と並んで、子と一緒にワイワイやっていた公園もあった。テレワーク父だろうかお父さんの姿も散見される。休校宣言直後のニュースでは「公園で子供の声がうるさい」などの苦情があったり、学校の先生が公園をパトロールして、子供たちに帰宅を促したりという、妙な違和感を覚える報道があった。数日後やっと政府からは「健康維持のため公園などでの子どもの活動は決して否定はしない」みたいな声明がなされたわけで。筆者が広報官ならば、事前に十分予期できたことだから、公園で遊ぶことは規制しないと一言添えたに違いないのだが。スピード重視の現状では致し方なかったのかもしれない。今となってはこの筆者の慧眼?(けいがん)はコロンブスの卵と言われてもしょうがないけれど。ちょっと考えれば分かることである。

筆者は公園で遊ぶ子らを見るのが大好きだ。あくまでも親も含めて自己責任ではあるけれど、子供は屋外で楽しく遊ぶのが仕事である。赤ん坊は大声で泣くのが仕事だと、大昔から言われているように。大人が仕事で金を稼ぐのと同義語かもしれない。諸外国のように非常事態宣言がなされて、外出禁止令でも出ていれば話は違うが、現段階での公園の賑わいは良いことだと思う。但し日本はコロナ大爆発直前との専門家の意見もある中、そーなる可能性もあることは頭の隅に置いておこう。

公園事情に関して個人的に唯一困ったこともある。筆者は公園のベンチでコーヒーとアイコスで一服するのが日常の至福の楽しみであるが、近くに子どもがいた場合は副流煙を考慮して吸わないことにしている。万一、一服している間に子どもが近寄ってきたら、自らベンチを立って隅っこの方でそそくさとタバコを終えて早々に退散する。今回の「公園子ども満載現象」で、筆者の密かな楽しみを奪われてしまったけれど、公園の元気な子らの声がこだまする光景を見れただけで、ベンチまで行かずに退散するも、これはこれで喜ばしいことだと思う今日この頃なんであった。
.....
さてと、写真ブログが少年野球「晴耕雨読」の真真骨頂。ここからは写真を交えて鬼才が記載するわけで。
やっと記念誌が納品された。すぐに納品先の母宅へ自分の分を取りに行く。これは制作者としての当然の責務である。作品の検証をしなければならない。過去にQueens記念誌の時はグラデーション印刷に問題があって、印刷会社にクレームをつけた経緯があるから今回も予断は許さないのである。

記念誌はフレンズ内部関係者で「配付会」を3/22に開催予定だった。これは配付リストを管理する母の負担を軽減するためでもある。週末たまたまそこにいる親たちに、だらだらとあっちこっち配付し、毎回いちいちチェックしていたのではストレスが溜まるわけで、一気に整然と配付した方が良いと判断したんである。しかしながらコロナ情勢を鑑みて止む無く延期となった。

記念誌を手にとって印刷会社の重大な瑕疵が発見された。ガックシなんである。Qに続きまたかよ。俺のフレンズでの最後の集大成が台無しになった。簡単に言うと本来黒一色であるべきテキスト部分が、青が混じった青黒いフォントになり、なおかつ文字が正常よりかなり太く印刷されているのだった。全体ならばまだ看過出来るも、ページによって変化するからもう手に負えないわけで。正常と異常が混在する現象が散見され、実に参った。本日、印刷会社へ正当なクレームを少し強めの文章で抗議、対応を求めたんである。

記念誌内で使用した写真を数枚アップ。ネタバレになるので記念誌が公式に配付されるまではまだ具体的な紹介は避けたい。編集後記ページでハーフトーンで配置した写真2枚。シャーペンは長年愛用しているドイツのステッドラー社製。もちろんPCは愛機Mac。

「フレンズ活動地域の小さなページ」で使用した、近隣のセンター北駅前の写真。有馬地方の写真と同じく、2月の晴天の日にバイクで出かけて撮った写真である。もやはフレンズは有馬村のみならずオシャレな横浜までその範疇に入っている。川崎有馬小から数歩歩けばそこは横浜なんであるからして。

....
筆者は13冊を確保した。息子と娘に各一冊、そのほか娘時代のOBオヤジと今でも交流があるので彼らに配付のため数冊。筆者の今後のための数冊。少しでも早くYanagusawa代表に届けたいとの思いからイレギュラーで更に2冊を今日届けたんである。Kanedaさんには遠方なので次回配付会にて。更にこれとは別個に連盟記念誌委員会へ参考資料として十数冊確保している。もしこれをかつての宮前連盟の至宝、事務局Nishumuraさんが見ていて、住所を個人的にお知らせいただけたら、速攻郵送したい。連盟20周年記念誌の完成度と精度の高さは氏の活躍と尽力を無くしては語れない。

愛車赤カブをシャリシャリ、ガックンガックン言わして疾走、まずは同じマンションのOBオヤジSugiyamaさんを皮切りに、Matsuda、Hatakeyama、最後の代表Yanagisawa宅のポストへお届け。晴天のうららかな空の下、カブは快調にひた走る。ふと思った。この彼らの名前の一文字めを順番に列記すれば、「杉〜松〜畠〜柳」...皆日本の原風景を彷彿とさせる樹々の数々ではないか。
コロナで閉塞感の漂う中、先の公園の子らの光景と言い、なんかちょっぴり楽しい1日であった。
...
この下のニャンコ写真については、次回ブログにて。
「明けない夜はない」
「春の来ない冬はない」
日本だけではなく世界に目を転じて最悪の状況を考慮しつつも、桜の春の訪れと共にほんの少しトンネルの先に光明が見えてきたと思うのは、私の甘い考えだろうか。筆者にもまだ分からないけれど。
日本はオーバーシュート(爆発的感染)の危険も孕んでいるので、ゆめゆめ気を緩めてはいけない。

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2020年3月15日日曜日

新型コロナと「222222」

前回ブログではコロナにまつわる由無し事を、暗鬱と、どんよりと、ぐんにょりと、今にも降り出しそうな不穏な雨雲みたいに、暗い話になってしまった。なんだか申し訳なし。TVで「新型コロナ」とだけ聞けば、数十年前ならばトヨタの新車のことだったが、この文言は今年の流行語大賞筆頭になるであろうか。併せて「今年の漢字」一文字は「疫」「災」「病」あたりが候補に上がるだろう。

さて気持ちを一変し記念誌なんである。
先のブログでもお伝えした通り、3/11にプリントパックへWeb入稿し、いわゆる作家で言えば「脱稿」した。前日深夜まで編集後記の書き直しや、目次ページのデザイン変更など慌ただしい時間であったが、なんとか「有馬の中心で快哉を叫ぶ」ことが出来たのだった。記念誌発注を終えた報告がてら、フレンズグループLINEには表紙だけPDFを掲載した。お約束通りこのブログでも表紙だけアップしちゃう。右が表紙で左が裏表紙。真ん中のフレンズストライプは背表紙の一部。冊子厚みは3.3mmと意外とコンパクト。

本文は70ページ。広告ページは全て記念誌委員会母に任せて分担して作ってもらった。ギュギュッと40年のエキスを詰め込んだ一冊である。悪く言えば詰め込み過ぎだったかもしれない。目次を作り終えた段になって、またクリエイターのこだわりが頭をもたげてきた。皆がこれを手にするのは図らずも桜の咲く季節である。急遽思うところあって、一年前小台公園で撮った満開の桜の写真を使おうと閃いた。それまでのレイアウトを全て変更し、さらにフォントのバランス見直しも図る。表紙をめくって目次を開いた時のインパクトはかなりあるはずである。次をまためくってみたいと思ってもらえたら本望。

この表紙のJ号級ボールで40thを表現しようとアイディアが浮かんだのは、昨年の早い段階だった。制作が押し詰まった時に撮ると真冬の芝が茶色く枯れた状態になるので、確か昨年の秋ころまだ緑が青々とした季節に撮影しなきゃと決行した。横浜の某公園で新品のボールを並べて四苦八苦。通り過ぎる通行人は訝しげな目で筆者を見る。露出や撮影モードを変えてパシパシ撮った枚数は50数枚。ふと気がつき数えてみたらボールの数もちょうど偶然40個であった。最後にゼロの中にフレンズ帽子をセッティング。これもまた遊びココロが閃き、近くにあった野花を帽子の穴に差し込んで撮影。帽子はヨレヨレの物をそろそろ買い替えようと思っていたので、グリーンスポーツで買った新品である。

京都の印刷会社からの納品は来週19日頃の予定。22日日曜にコロナを鑑みて大人だけ集まり、グランドで現フレンズ関係者だけに配布会を計画した。詳細は省略するけれど、コロナ状況でそれも延期となった。制作者としては1日でも早く現フレンズに手にとって欲しかったのだが、忸怩たる気分で非常に残念である。時に制作者の熱い思い入れと読み手受け取り手との間には温度差があり、埋めようのない乖離(かいり)があるから、自論だけで強行するわけにも行くまいかと、オトナの判断に至った。式典関係者には基本郵送で進呈するので、フレンズ関係者よりも早く記念誌を手にするかもしれない本末転倒的な事態となった。それは構わない、立場関係なく手にとった方達にはぜひゆっくりページを繰ってほしいものである。記念誌のみならずこの手の世界中の制作物は、作り手がそれを作り終わった時が最後ではなく、一般ユーザーがそれを手にした瞬間が完了なんである。
.....
さて、最後に。
つい先日このブログを開いたら毎日のアクセス数の下の累計アクセス数に目がいった。あらまなんと「222222」ではないか。ページビューPVは100万を超えた。芸能人の内容のないブログに比べたらちっぽけな数字であるが、それでも今までお付き合いして読んでくださった読者の方達に、感謝!

「2」と言えば。過日の式典は2020年02月02日(令和2年)である。記念誌にも多少デザインを誇張してページを割いて制作。日本人はこーゆーゾロ目が大好物である。昨今のコロナ狂想曲に思うのだが、もし式典がもう少し遅れての予定だったら、いったいどうなっていただろうかと。例えば2月下旬や3月の今頃だったなら。イベントや大きな集会、不用意な外出禁止、学校休校などの嵐が吹き荒れている時期だったならば?想像するだにおぞましい。延期または中止に追い込まれただろうか。或いはやっても来賓OBなどの参加者は極端に減少したろうと想像する。コロナは既に日本に忍び寄っていた頃だが、ギリで2/2で開催できたことは実に幸せだったと言う他ない。

連盟からの活動自粛要請は、正式に当初の15日から22日まで延長となった。先日川崎市内で初の感染者が出たけれど、このままじっと待てばほんの少しでも収束に向かうのか。あるいはむしろ拡大し他区や宮前や有馬にも感染者が出る可能性とて大いにある。これまでの経緯を振り返れば後者の可能性が大きいけれど。それでも私たちは過敏にならず何がベストかを考えて、日本の未来を背負う子どもを守り、我々は相手の気持ちになってオトナの行動をしよう。

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2020年3月14日土曜日

新型コロナに思う、いつまで?

ここ1週間余りの連日の新型コロナマスコミ報道、Yahoo!ニュースは上から下までほとんどがソレで埋め尽くされている。世界的にも次々と各国蔓延の知らせが日を追うごとに増加する。中国では沈静化に向かっているとの報道もある中、むしろ政治的な策略で感染者数の数字を操作しているのではとの見方もあり。更にフェイクニュースとかではなく、米国の著名な生物化学者のインタビューでは、中国武漢の生物化学兵器研究所から漏れたと断じる記事もあり。イタリアや米国はじめ欧米では当初、対岸の火事を見る思いが、自分の足元に火がついた途端に右往左往、感染予防に対する文化の違いや、マスクに対する価値観の違いもあり感染拡大に歯止めがきかない。当初の日本の対応を冷やかに見ていた節があるが、あっという間に日本の数字を追い越すことに。偏見に満ちたアジア人への暴行などは記憶に新しい。実は日本だって加害者ではなく被害者なのに。中国発症であるにも関わらず、かの政府は沈静化に向かっていると「どーよ、凄いだろウチは」的に胸を張ることはあっても、決して世界に対して「ウチの国から全世界に迷惑をかけて申し訳ありませんでした。今後気をつけます」的な謝罪の言葉はない。もしこれが日本発症なら、筆者は世界に向けて土下座して謝罪しちゃうに違いない。しかもあろうことか、かの国の政府関係者は、今回のコロナは米国軍人がウィルスを意図的に武漢でばらまいた疑いがあるなどと、なんの証拠もないのに反論コメントしちゃう有様である。隣国韓国に至っては詳細を書くのもゲンナリしちゃうほどの政府対応と日本に対する反発である。一体どーなってんだこの世界は。人種や肌の色の違いを越えて協力しなきゃいけないパンデミックの事態なのに、人命よりも政治的な思惑が渦巻くこの世界。ゼウスが世界中のあらゆる災厄を箱に閉じ込めてパンドラに贈ったものの、彼女は誘惑に負けて箱を開けたら魑魅魍魎が全世界に飛び立ち蔓延する。いわゆるギリシャ神話「パンドラの箱」を想起したのは筆者だけではあるまい。神話では箱の中に残ったのはたった一つの「希望」だったと言うオチがついているが、果たしてその「希望」は今の世界にあるのだろうか。

転じてスポーツ界。春のセンバツが無観客試合になるだろうことは容易に想像できたが、まさか中止になるとは思わなかった。ちょっと衝撃であった。TOKYO2020オリンピックの行方も大いに気になるわけで。世界中の野球やサッカーなどプロスポーツも中止に追い込まれる中、アフリカ某国でも日本人の発症が確認されたらしい。アフリカでは十数国め。アフリカ大陸の医療機関の現状は詳しくないけれど、医療の整っていない国や地域に回ってしまったら手のつけようがないだろう。アフリカと言えば「エボラ出血熱」は遠い昔の話だが、感染拡大となれば急に現実味を帯びて来るわけで。

更に世界から局所的にこの辺の周りへ目線を転じれば、先日ついに川崎市多摩区でも感染者がでた。川崎市内では初。飛沫感染と言う性質を考えれば、どこの市やどこの区と言うのは意味を持たない。海の向こうの対岸の火事の火の粉が、とうとう頭に降りかかってきたわけである。十分予想できることだった。我々一般市民が出来る予防策はマスクや手洗いなど至って簡単明瞭なことを粛々とやるしかない。

先日このブログでフリーランスの立場の不公平を嘆いたら、与野党から疑問の声が上がり数日後には政府から自営業者も補償の対象にすると後追い発表があった。正規非正規約8000円に対して、自営業は一日4時間?日額約4000円?って、おいおい、ないよりはマシってか。但し筆者は小学生の子がいるわけではないし、クライアントからコロナ関連で仕事を失ったと言う証拠を提示できるわけではないので、その恩恵にあずかることはなく、全く関係ないのであるが。フリーランス=自営業で企業と契約を結び定期的な仕事をしている、かつ子供をもつシングルマザーの救済には厳しいに違いない。筆者のようなジジイではなくそんな若い人を救済してほしい。いやはや人の心配している場合ではなく、筆者も目に見えて仕事が激減している。生活の不安はサラリーマンの比ではない。建築内装業界はリーマンショックの時も全く仕事がなく、あの時の恐怖が目の前に横たわる。

もっと局所的。ここ数日の世界と日本のコロナ情勢を見ていれば、おのずと宮前少年野球にも考えが及ぶわけで。現段階では15日までの活動自粛だけれど、ここ1週間の情勢を鑑みれば延長になるのではと半ば予想はしていた。連日連盟連絡網で役員、事務局のメール会話が飛び交う。正式通達はまだなのでここでお知らせすることは出来ないが、自粛期間延長は避けられないだろう。甲子園が中止なのに小学生の身を危険に晒すわけにもいかないし、世間体を慮(おもんぱか)るオトナ的忖度もあるだろう。上部組織川崎連盟と政府の意向を鑑みて様子伺い。日本の少年野球の他のブログをざっと咀嚼(そしゃく)しても、活動自粛延長が大勢を占めているようだった。
ひとつ決定されたのは、本日上部組織からの連絡により毎年恒例の「ライオンズ杯」は延期ではなく中止となったことである。夜、連盟から一報が入った。これは決定事項なのでここで公表してもいいだろう。活動自粛期間の連盟の判断にも拍車がかかるはずである。女子野球Queensはただでさえ年間大会数が少ないのに、残念なことである。

晴れて、子どもたちに思い切り野球をやらせてあげたり、元気に学校に通わせたり出来る日はいつなのだろうか。先が見えないことが1番のストレスな今日この頃なんであった。
※文中、フェイクではないと判断した報道を要約した文章以外に、個人的見解も含まれます。

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2020年3月8日日曜日

有馬の中心で快哉を叫ぶ

ふっ.....
ムフッ....
ムフフフふ.....
んがーーーーーーーー!(笑)

ほぼほぼ、記念誌が完成したんである。この土日で最後の表紙と裏表紙のデザイン制作を終えたのだった。いやはや長かった。フレンズ30th、連盟20th(一部)、Queens10thに続き4冊目だけに、余計に力が入り、過去の二番煎じにしてはならず、新しいデザインを模索しつつのフレンズ40th記念誌。筆者の悪いクセは足し算を一気にしてしまうんである。その後引き算を試み、贅肉を削ぎ落としブラッシュアップして完成形にするわけで。ところが思い入れが強いと、引き算が出来ない時がある。詰め込みすぎは自分自身よーく分かっているのだが、あとからの削除割愛に罪悪感を感じちゃうカラダになってしまったのであった。写真はおろか、文章に至っては書いたのちに不要部分をバッサリ一行削除した後、事もあろうに二行書き加えたりしちゃうんである。「晴耕雨読」の1ページと最後の「編集後記」では5,6回は推敲(すいこう)しただろうか。記念誌は本文70ページにコンパクトにまとめたつもりだが、もし「晴耕雨読」と「編集後記」を際限なく書いていたら、この二つだけで70ページ分書いていたに違いない。
写真は最後の校正のためにA3で出力した全ページの紙データ。

表紙は色校も兼ねて写真用紙で出力した。本番の印刷では光沢アリの分厚い用紙を選んでいる。全体はまだ公開できない。今週印刷会社に発注したのち、フレンズLINEには公表するつもりである。そののちこのブログでも公開予定。

昨年から記念誌をやり始めて、実行委員会資料も含めて記念誌資料がどっさり積み重なった。サイドテーブルは普段は仕事の図面資料が山積みなんであるが、記念誌の資料がそれを凌駕して余りある。過去の手持ちの写真、寄稿文の原文原稿、20数年間の「成績表」と「フレンズ名簿」、印刷の紙サンプル帳、フレンズ30th、連盟、Queens、レッパ、花フラ、川少連の30thたまなみ、練馬の強豪シニアチームなどの参考記念誌群、etc。模倣にならないように気をつけた。

あまりに乱雑になったので途中から過去の「成績表」と「フレンズ名簿」はアクリケースの上に避難させた。他の資料に侵食されそうになったためである。写真の1996年の成績表は当時の父のリーダーだったIigaiさんやスコアラーのOchiaiさんらが中心になって作ったもので、筆者はもらう側だった。Iigai父はもう代表とKumadaさんと筆者しか知る人がいない。当時のフレンズを支えてくれた父であった。息子と一緒に現フレンズのItohくんも表紙に収まっている。まさかこの十数年後自分が作る側になるとはつゆ知らず。Iigaiさんはプロカメラマンで、試合が終わると写真をすぐに現像プリントして皆に配っていた。(当時まだデジカメはなかった)サンダースTakahashiさんもそうだった。Iigaiさんは更に写真を駆使して「フレンズ通信」というA4サイズ一枚の新聞を作って翌週チームに配っていたんである。卒団の時に彼に言われた。「俺はもう卒団しちゃうけど、TeshimaさんはまだKanako(妹)がいるから。だからこの「フレンズ通信」はTeshimaさんに引き継いで欲しいなあ」と。筆者は「ムリムリ」とムリクリ断ったのだけれど、図(はか)らずもこれも十数年後この少年野球「晴耕雨読」BLOGとなって結果的に意志を継承したカタチとなった。実は筆者、小学生の頃は新聞部長でクラスや学校の話題を取り上げて、壁新聞を手作りしていたんである。
Iigaiさんは今回の40th式典では出席がままならず、代わりにご祝儀を頂いたのだった。息子の主将だったTakumiくんは、仕事でタイに渡り今は結婚し、先日お孫さんが生まれたそうである。Iigai父とのショートメールのやり取りで知ったのだった。

さて、まだ記念誌は「ほぼほぼ完成」であって完全な「脱稿」ではない。現在記念誌委員会のTakahashi母を中心に最後の全体校正作業に入っている。編集後記にも書いたけれど、母たちには本当に感謝に耐えない。これを受領したのち、筆者は修正すべきところを修正し、VectorデータをPDFに変換、それを更に別アプリPhoshopで開いて所定の加工をして、文字化けのないように画像処理しもう一度PDFに変換し、やっとネットでWeb入稿となる。今週半ばには入稿が完了し発注となる。その日が脱肛...いや脱稿と言えようか。その後は納品を待つのみ。
ちなみに下に下りてしまい残念なのが「脱肛」であり、上にも昇る気分で爽快なのが「脱稿」である。
もう一丁ちなみに言えばスーパーカブのオーナーが集まってツーリングすることを「カブ主走会」と言う。思い切り走りたければ千葉県へ行く。そのココロは「暴走半島」

脱稿のその時は心の底からセカチュー、いや、有馬の中心で愛と快哉(かいさい)を叫びたい。
「ぬ、ぬ、ぬ、ぬおーーーーーー!!!」
終わったぞ〜〜っと。(^-^)
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