2011年8月31日水曜日

天職は転職しない

仕事というものは何故にこうも波があるんだろう。逆に言えば波があるからメリハリもでき、波の頂点では大変な思いをするけれど、波の低い時は頂点の時をむしろ懐かしみながら過ごすわけで。

筆者のクライアントO社から電話があり仕事の依頼。数人の小さい会社だけれど、このインテリア設計業界の資本金60数億円超えの業界トップ企業No1とNo2からの引き合いが絶えない企業だ。酒好きの社長とは長い付き合いだけれど、そこに所属してる女性社員Nさんが凄いのである。正直、筆者などは足元にも及ばない。仕事の精密さとスピードは時として反比例するけれど、彼女はどちらも完璧。しかも性格が良いし、電話応対やお茶出しもこなす。しょっちゅう会社泊まり込みで2徹3徹で図面を描き上げるのだ。むむむ、労基署にばれたらまずいかな。でも本人は平然としているんである。たまに彼女とチームを組んで仕事することもあるけど、筆者が図面1枚描くあいだに3枚くらいはペロリと描いちゃう。こういうのを天職というのだろうね。
「Nさんなら転職しても独立しても絶対成功するぜ」と言ったら「いえいえ、それを考えてるヒマすらありませんから」.....みなさんは男女年齢問わず尊敬できる人を何人知ってますか?

女性にちなんで話を女の子の野球に強引にもっていっちゃう....。少女野球の宮前Queens。何度かこのブログでもロゴデザインの話を書いた。今日、フト思い立つことがあって仕事のあと勢いでMacで乱暴に作ってみたものがある。これがナニカ?は来週のお楽しみなんである。
仕事が忙しくなるのに、墓穴を掘ってしまったかもしれない。
翌月曜朝、早起きしなきゃいけないのが分っているのに、日曜の深夜までカラオケで酒を呑んでしまうように....(^^)

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2011年8月29日月曜日

明日に繋がる敗戦

宮崎台小学校。宮崎台バーズさんの本拠地である。この小学校へ来るといつも建築の不思議を見ることができるので楽しい。古い鉄コン筋クリートの...もといっ、鉄筋コンクリートの校舎の屋上階から外へニョッキリパイプが伸び、下へ向かいまたすぐにズッポリ下階へもぐる、おそらく排水管であろう光景である。まるでシャクトリ虫のようにじっとして動かない。当たり前だ。見るたびに動いていたのでは「ナニコレ珍百景」に投稿しちゃう。遠くから眺めると屋上階と下の階を繋ぐホチキスのようでもある。ずいぶん前にもこの上に写ってる貯水槽が、映画「バグダッドカフェ」を想起させるということをここに書いたけれど、このパイプも建築業界の端くれにいる筆者にとってはマカ不思議なんである。

さてそれはさておき、宮崎台バーズ。かつての対戦では同点でジャンケンで負けたり、今年は3:2の惜敗だったり何しろもうちょっとのところで勝てない相手なのだ。Kobayashiさんが代表に退き老獪なOgawaさんが監督を引き継いだ、筆者オヤジコーチの時からシノギを削った昔からなじみ深いチームである。

秋季大会順位決定戦、有馬フレンズ対宮崎台バーズ。
試合前、最近サイドスローぎみにフォーム改造しコントロールが見違えるほど安定したエースOtoの投球練習を見て「???」と首をかしげる。サイド気味ではなく完全な真横からのサイドスローに変わってるではないか...?おいおい大丈夫か?

初回表Bの攻撃=先発Otoの立上がりは1安打打たれるも難なく無失点で切り抜け無難なスタート。
その裏Fの攻撃=四球で出塁のInoueが二盗と相手失策がらみで本塁を踏み先取点をもぎ取る。1:0
3回表B=今ひとつ制球力に欠けるOtoが突然5連続フォアボール。押し出しなどのノーヒットで2点を失い逆転さる。試合前に感じた「???」の違和感が的中。極端なサイドスローで投球に高低差はないものの、左右のコースの制球が定まらない。打者の背後を通過するボール球が目立つ。1:2
4回B=更に四死球連発、Bの連続犠打などで4失点。ついに1:6と引き離される。今年前半のチーム状態の悪夢が脳裏をよぎったが、最近のFは最後までわからない。
その裏F=二死から走者2塁。今までわずか1安打に抑えられていた打線にやっと火がつく。9番Shouyaの内野安打を皮切りに、続くTeruの左中間を破る適時打、Inoueの右翼線ラッキーヒット、主将Nabeの中前適時打などにより一挙5得点。正に点が線につながる攻撃で6:6の同点に追いつく。ベンチをはじめ背後の5万の大観衆が歓喜の大声援で湧く。
以前であれば回も押し詰まる中、1:6では下を向いてばかり、声も出なくなる我がフレンズ。よくぞ追いついた。

最終回....。ところが、なんである。「By the way」はところで、なんである。押し出しと夏の風物詩はところ天、なんである。
バーズ3番Ohtani君にナント勝ち越しの左中間ラインギリギリの満塁ホームランを喫してしまった。フレンズは失策1で悪魔の囁きはなかったけれど、バーズ側に天使が微笑んでくれたようだ。あとで打球の落下点を間近で見ていた人いわく、「ラインは超えてなかった。あれは2塁打だった」との複数の証言が得られたけれど、こればかりは仕方ないことだ。悔しいけれど。いち少年野球選手として相手打者を褒めてあげよう。
屈辱という汚泥にまみれてグズグズに負けるより、一発でスカッと負けたのならむしろ結果は良くないけれど、気分は決して悪くもない。1,2ヶ月前までのチーム状態を考えれば明日に繋がる負けだ。監督も試合後全く同じことを言っていた。三十路目前の選手OB出身の若き監督もオトナになったね(^^)/

ベストプレイヤー賞は起死回生の2点タイムリーを放った悩める知性派副将のTeru。更に打球の速さはピカイチ、同点タイムリーの主将Nabeのふたりだ。

本拠地有馬小へ帰り、監督からのご褒美アイスクリームをほおばったあと、午後の練習開始。
フレンズOBで今は有馬中学野球部のKamiya兄弟がやってきた。KoutaとHirotoである。沖縄のDNAを持つ彼らは天真爛漫の性格に加えて、小柄だけれど天性の体のバネが素晴らしく、かつてチーム在籍時は八面六臂の大活躍をしてくれた。ダブルでバッティングピッチャーをやってもらった。(フツーは危険なので二人同時に投げてはいけないよ)OBが遊びに来てくれるのはとても嬉しいことだ(^^)
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2011年8月27日土曜日

記録的記録の記憶

もの凄かったですねえ、今日の集中豪雨、ゲリラ豪雨、記録的豪雨...。
「記録的豪雨」の「記録的」ってなんぞや。数ある記録の中でもとりわけ「キングオブ記録」の称号に値するような、そんな「記録」なんだろうね。たぶん、おそらく、もしかして、気象庁発表によるところの「記録的〜」には確たる基準なるものがあるに違いない。一時間あたり何mm以上の降水量があった場合に「記録的」という表現を用いようじゃないか、気象庁職員の皆さん、なんて。いやいや、意外にもこの近代科学の発達した今日でも、観測官のその時の気分で「今日の雨マジ凄くねぇ〜?↗今回はやっぱ記録的って言葉使っちゃおうかな」なんてアナログチックに判断したりしてるのかも。(気象庁の方ゴメンナサイ。そんなはず絶対ありませんよね)

さて記録よりも記憶に残ってこの世を辞したいと常々思っている筆者。とはいえ、少年野球での肩書きはスコアラーなんである。平易なニホンゴで言うと高校野球で言うところの正に「記録員」である。だから記録というものには少なからず興味があるわけで。

そこで登場するのが今日の「降雨量」
「一時間あたり10mmの雨の量」とかいうアレである。今日のTVニュースでは驚きの映像と共に頻繁に使われた言葉。これは単純にアルミの弁当箱を一時間屋外に放置してのち、溜まった雨水の水深の高さを測るわけだ。ここで見落としてならないのは、アルミの弁当箱なんである。仮に100メートル級の空っぽのプールでも観測結果に変わりはない。弁当箱でもプールでも大きさは違えども優劣はない。男女雇用機会均等法みたいなもんだ。いずれも共通してるのは、他からの雨の流入がないこと、降り注いだ雨が他に流出しないこと、この2点なんである。

現実的には目の前で降り注ぐ雨は、地面にしみ込んだり、高いところから低いところへ流れていくので「なんだ、言うほどでもないじゃん」となるわけだけど、今日の練馬での90mm超えというのはハンパじゃない。例えば東京都内がビルも何もなく起伏に富んだ土地で、1万個のプールが設置されているとする。一斉にプールの栓を抜いてみる。溜まった1万個×9センチの雨は一斉により低いところに怒濤の流出。
それでもって池袋の地下道が冠水したり、幹線道路に四万十川の激流が出現したりするわけだ。侮(あなど)るなかれ水の「水量」と「水圧」。東日本大震災での津波などはその最たる例である。地に根ざした何十トンもの建物を一瞬にして流し去る威力を持っているのだから。

以上の考察は筆者独自の、蝉の寿命程度の、蟻の脳みそ程度の表現手段であり、科学的には「トウシロウが何言ってんねん。アホちゃうか」とのご批判もあるやもしれぬ。(※註・筆者はトーホク出身である)故に鵜呑みにしないでいただきたいけれど、当たらずとも遠からず。どっちかと言えば当たってると思うけれどいかがでしょうか。

怖いものの例えで「地震・雷・火事・親父」と言われたのは今は昔。
近年親父の権威の失墜が叫ばれて久しい。近頃では親父の替わりに「地震・雷・火事・女房」とすべきではないかと、広辞苑編纂委員会が日夜議論し寝不足に至っているらしい。この民間の動きに背中を後押しされるように、ついに国語審議委員会までもが重い腰を上げた。
「親父の権威」が記録的記録から抹消され、「記憶」の引出しの奥に追いやられる日も、そう遠くないはずだ。

(※仕事で多忙なくせにこんなブログをひょっこり書けたのは、前回ブログに寄せられた匿名さんからのコメントが僕の背中を押してくれたからにほかならない。アリガトウ(^^))

2011年8月25日木曜日

空飛ぶ子どもたち

ウチのMacでは、ネットを立ち上げると瞬時に現れるポータルサイトはYahoo!JAPANである。先日朝開いてみたら、面白い映像があった。
あっという間に形を変化する雲をとらえた外国(たぶんイギリス)の動画。これが低空で人間の顔そっくりに変化する。天から巨大な神か悪魔が出現したよう。最後は口を大きくアングリ開いて、地上の人間どもを吸い込んでしまいそうに形が激変、面白かった。
雲の様子を眺めたり写真を撮ったりするのは昔から好きだった。でも雲って誰でも面白い写真が撮れちゃうから、、たまたまその時にそういうシチュエーションにいて、どう感じたかなんである。それを面白いカタチだと認識出来るかどうかだと思う。100人が同時に空を見上げて「今日もクソ暑いなあ〜」と思いながら駅への道を急ぐのが98人くらいだけど、あとの2人くらいは「あっ、あの雲のカタチ面白いっ!」と気づく。そのいわゆる「感性」を持っているかいないかなんである。
先日圧倒的な朝の色彩の「美」を撮ったのがコレ....「眠れぬ夜は」

今日仕事で頭がフル回転している時に、フト窓の外を眺めたらちょっぴり雲の形が良かった。高校野球は終わったけれどまだまだ夏は健在。積乱雲だろうか。肉眼でそれと分るくらいのスピードでゆっくり形を変えてゆく姿を見るのは、小生にとってはちょっとしたコーヒーブレイク。NikonP100でファインダーを覗き数枚撮ってみた。
んん?むむむ?ファインダーの向こうに突然未確認飛行物体が飛び込んできた。
なんとも可愛い、健気(けなげ)な生命の営みであった。肉眼で見るとほんの数秒間の出来事だったけれど、あとで写真をパソコンで拡大し静止画として見てみると、鳥たちそれぞれが一生懸命羽ばたいているのがわかる。秋になると渡り鳥の整然としたV字飛行を見ることがまれにあるけど、この写真のやつらはみんな好き勝手にかつ必至に空を飛んでいる。こいつらウチのチームの子どもたちに似ている...なんて思ったりして。てんでバラバラのくせに目的地はみな同じ。さしずめ整然とした秋の渡り鳥の飛行形態は甲子園の高校球児の入場行進を彷彿(ほうふつ)。
なんだかちょっぴり得したような気分の午後5時であった。

2011年8月24日水曜日

ちっぽけな男の美学

仕事が詰まってきた。アッチを夕方終えて、夕方からコッチを始める、終了は23:30、やっとビールにありつけるぞみたいな。今週末の公式戦でのスコアラーがまた心配。土日の野球に出るためにウィークデイは少しでも仕事を消化せねば。

先ほどビックリ仰天のニュース。島田紳助の芸能界引退。23:00からの各局ニュースをハシゴした。日曜の生放送で自分の胸を指しながら「男には男気スイッチちゅうもんがあるねん」などと言っていたけれど、それが数時間後自分で自分の「男気スイッチ」を自ら押すことになろうとは...。筆者が個人的に付き合いのある、または過去につき合った関西人は、なぜかすごく頭のいい人が多い。島田紳助ももの凄く頭の回転が速く、かつ、人としての義理人情に篤いという印象は今も変わらない。.....ああ、それにしてももったいない。新庄のように阪神辞める宣言から一転して、また復帰なんてえのは彼の場合絶対あり得ないだろうな。
「ちっぽけですけど男の美学を通させて下さい」
彼はTVカメラの前では最大限卑下して言ったであろう「ちっぽけな...」、でも心の中では相当な「男の美学」を十分に意識していたはずだ。
一度でいいから言ってみたいセリフではある。
もう少し脚が長ければ....。もう少し髪の毛があれば......。
もう少し紳助のように面白可笑しく話術に長けていれば、女の子にモテたかも....。
好き嫌い・賛否両論あるだろうけど、どちらかと言えば口ベタな人種の小生にとっては、彼は凄い存在であった。
TV界のビッグネームの突然の引退で思い出したのは、大橋巨泉と上岡龍太郎と久米宏。中でもある意味紳助が抜きん出て「晴天の霹靂」であると思う。まあ、引退しても生活には困らない打算もあるだろうけどね。

日々ちょっとしたことで「日々雑感」なることを思い巡らせることはたましば。
仕事が忙しくなるとそれもなかなか書き連ねることもままならぬ。
また明日からMacと格闘の予定。そんな自分自身が油断したスキをついてブログします。
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2011年8月21日日曜日

魔物の囁き、天使の微笑み

昔からある事象なのに、ここ近年になってこれ見よがしに命名されたものがある。例えば「花粉症」。
あまり詳しくないくせに適当に書くのだから「キミ、そりゃ違うよ」などというツッコミはご勘弁願いたい。太古の昔、たとえば縄文時代から杉の木はワシワシ身を震わせて、その花粉は盛大に宙を舞っていたはずで、なのに縄文人が縄文式土器をこねくりながらクシャミを連発していたという記録はない。たぶん。江戸時代しかり、昭和もそうだ。近年平成になって現代病とでも言えるのだろうか、現代人の体質変化に伴い目ショボの鼻ズル的症状を「花粉症」と名付けたのであろうと推察。いまだに昭和人の筆者の春は安穏と過ごせており、幸いにも平成人のご苦労は知らぬまま今日に至っている。

もうひとつ。「甲子園の魔物」。
好きなくせにあまり詳しくないのだから「オメエ、そりゃ違(ちげ)ぇ〜よ」などというツッコミはご容赦願いたい。高校野球の甲子園大会がいつ頃から始まったのかは知らない。縄文人が土器を製作するかたわら、野球に興じていたという文献はいまだ発見に至ってないので、当時はまだ甲子園すらなかっただろうと想像するに難(かた)くない。おそらく。それでも甲子園の歴史は古いはずだ。そしていつの頃からか高校球児の聖地となり、憧れの大舞台となる。「甲子園には魔物が棲む」という素敵な命名はNHKのアナウンサーなのか朝日新聞の記者なのかは知る由もないが、いつしか巷間(こうかん)まことしやかに囁かれるようになった。

この魔物はゲームの終盤、ことに9回などにふっと、グランドに舞い降りる。残念ながら筆者はヤツの姿を肉眼で目撃したわけではないのであるからして、羽が生えていて「舞い降りる」ことが可能かどうかは定かではないけれど、絶対宙を飛べるに違いないのだ。魔物はほとんどの場合守備についている選手の背後にワッサワッサと降り立ちそっと肩に手を触れ、何事かを囁くだけ。その瞬間、投手なら指先の微妙な変化でいつもなら鋭く曲がるスライダーが、その時だけ甘くど真ん中に入ったりする。野手ならどうということもない凡ゴロをトンネルしたり、一旦グラブに納まったはずの凡フライを土手に当てて落球したり...。そんなひとつのミスから試合が急展開してあらぬ方向へ球児たちを連れていってしまう。ミスだけではない。土のグランドのイレギュラーバウンドだったり。起死回生の一発を打たれた投手にとって、球場を揺るがす観衆の大声援は、自分一人に襲いかかる闇夜の悪魔の咆哮に聞こえたりもするはずだ。

魔物のささやきか、天使の微笑みか。日大三高は後者だったのだろう。特に爆発的な打力を持つチームはなんだかんだ言ってもやはり強い。決勝で青森光星の守備に魔物が降り立ったようには見えなかったけれど、残念なことに天使も微笑んではくれなかったようだ。天使と魔物は共存しない。天使は魔物がいない時だけパタパタやって来る。しかも一人しかいないわけで。東北青森の球児たちは胸を張ってふる里へ凱旋してほしいと思う。おそらくキミたちが思っている以上に、私たちは感動をもらったのだから。

ところで天使に羽が生えていることは誰でも知っている。日本の狭い大阪に棲んでいる魔物と違い、天使に関しては古今東西、世界中にその文献が山のようにあるからだ。天使にとっては羽と頭の輪っかを取ったら、ただの幼稚園児に見えてしまうくらい大事なアイテムなんである。
このように天使の羽の存在は確固たる事実だが、果たして縄文時代にも天使は存在したかどうかを示す有力な物証は得られていない。縄文人が縄文式土器で天使と酒を酌み交わしたという記録が残っていないからではない。なぜならば記録や古文書の存在以前に「縄文人が縄文式土器で天使と酒を酌み交わした」かどうかについての研究をしようとする、気概のある学者が我が国にはいないからである。

2011年8月18日木曜日

恵比寿にてVol.8「切符」

 「物干から眺める夕まぐれの景色が好きだった。
 恵比寿の町を縁取るように、小高い丘がめぐっている。...中略。...そこは少し前まで進駐軍が接収しており、兵隊の姿はもうなかったが、町なかの中古家具屋やネオン管のまたたく酒場の窓には、まだ彼らの残り香が感じられた。」

浅田次郎著短編集「夕映え天使」(新潮文庫)収蔵「切符」の冒頭から引用。
今日で恵比寿の歯科医へ行くのが最後となる。3月の早春から通い始めて気がつけば蝉の大合唱の季節となった。冷房の効いた電車に乗り込むやいなや、先日購入した浅田次郎のこの文庫本の栞を引いた。
躯中から急速に汗が引くのと同時に、同じ速度でこの本に引き込まれ、浅田さんの文章世界に落ちてゆく自分を感じる。小説の活字を追うことの安心感と安堵感、爽快感と期待感は浅田次郎の小説は他の追随を許さない。どんな長編を読んでも最後の頁が近づくにつれ「やっと読み終える」のではなく「もう終わってしまうのか」との寂寞をすら感じてしまうほどだ。そんな浅田さんの短編集。1964年東京オリンピック当時の恵比寿を舞台にした小説。1964年といえば筆者はやっと幼稚園か小学生であった。恵比寿ということもあり増々引き込まれる。もう少し抜粋引用したい。

「東の空からゆっくりと、夜のしじまの忍び寄る様子も、広志はこの町にきて初めて見た。祖父の家は明治通りの電車道から広尾の丘に駆け登る途中にあった。」
....筆者が22歳の結婚当時住んでいたのがまさにこの文章のくだりにある『広尾の丘に駆け登る』坂の付近であった。


「『ひとつ聞いていいかな』と八千代さんは金盥(かなだらい)に洗濯物を畳み入れながら訊(たず)ねた。『ヒロシくんのおとうさんとおかあさんは、どこにいるのかな』広志は少し考えねばならなかった。」
.....小学生の広志は実の父母が離婚し、祖父に引き取られて二人暮らしの生活である。「広志」とはほとんど浅田さんの子どもの頃をモデルにしている。小学校6年くらいか。祖父の言葉が浅田お得意の江戸弁べらんめえ調で語られる。


「おめえのおやじはろくでなしで、商売をつぶして借金をこさえたうえに、女と逃げァがった。女手ひとつでガキを育てるのァ大変(てえへん)だろうから、じいちゃんが面倒を見ることにしたんだが、今度はそのおふくろに男ができたとよ。所帯を持つからおめえを欲しいと言って来ァがったが、いくらなんだってそいつァ虫のいい話だ。...中略...おめえには文句もあろうが、文句なら一丁前になってからいくらでも言え。今は了簡(りょうけん)せえ------。」

戦争で片足を失った一途で頑固で不器用で、それでいて言葉には出さずとも人として優しい祖父。口数は少ないが口ベタではない。
二階を間借りしている子どものいない若夫婦の綺麗な「おばさん」。やがて亭主と別れることになる八千代さん。
両親の勝手な理由で祖父との同居を余儀なくされつつも、多感な感情を胸に、子どもとしての成長期のひとつの壁を越える主人公の小学生広志。
これに東京オリンピックのアベベのエピソードが絡み、同級生の仲良しの女の子が実は朝鮮人だったことや、少年の淡い恋心、別離の悲哀、戦争の心の傷跡などの様々な要素が、森閑とした森に流れる清流のように、澱みなく渾然一体となって心にしみる逸品である。

筆者は文芸評論家ではない。ましてや人さまに自分の好きな本や映画や音楽を語ることはあっても、無理に奨めたり強要したりするのは本意ではない。こんな話を書いたのは大好きな浅田次郎と大好きな恵比寿とが偶然邂逅し、更に自分が幼かったあの頃の、遠い欠落した記憶の穴を埋めてくれるように、日本や東京の空気感はこうだったのかと、改めて想い巡らせてもらったからである。

最後の恵比寿での歯科治療が終わり、かつて住んでいた「町」の付近、いやもう「街」になってしまったあたりを、この炎天下しばらく徘徊してから帰ったのは言うまでもない。
最後にもうひとつ引用を許されたい。

「オート三輪の後を、広志と千香子はしばらく走った。...中略....八千代さんと菊の花が遠ざかっていく。
『さよなら、さよなら』
息を吐くたびに、広志は叫んだ。叫ぶ声はやがて呟(つぶや)きになり、車が夕闇に紛れてしまうと、広志は『さよなら』と言い続けながら泣いた」
このあと母のくれた「切符」のラストシーンの一文があるのだけれど、それは書けない。書いちゃいけない。
「泣かせの次郎」の真骨頂である。

※本来非営利的個人的ブログであっても、出版物の引用を出版社の許諾なしに用いることは...たぶん、おそらく...いけないことなのでしょう。
でも何か割り切れないものを胸に抱えつつ、えいやっとばかりに引用しちゃいます。世の中のほとんどのWebサイトではみんな承諾無しで勝手にやってるから、ここだって許されるだろうという気持ちではありません。出版社の方がご覧でしたら、叱咤またはアドバイスのコメントいただけたら嬉しい限りです。せめてもの礼儀として新潮社のクレジットは入れておきました。

※昨晩このブログをUPしようとしたら、全く入力出来ない状態に。仕方なくMacのテキストエディットで書いて保存。今もまだBlogger.comではトラブル復旧出来ず。天下のGoogle傘下のブログサービスサイトにしては何もコメントがなく不親切な対応。ヘルプフォーラムで検索してみるとこのトラブル他国でも同様のようです。ただ、書き込む際のエディターを変えてやればなんとかUP出来るとの記事を読み、やっとのことでいつもと違うシステムを利用し書きました。故に上のブログ内の「今日」とは昨日の8月17日(水)のことです。......(18日記)
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2011年8月17日水曜日

魔物が去ったあと

昨日のブログの続き。スコアラーの端くれの戯れ言PART2です。

どんだけ書いちゃうの〜、ってとこから始まるわけで。
強襲ヒットって何?
強襲と凡打の境界線はどこにあるのだろうか。打球の速さ鋭さと野手の動きとを勘案し、野手のグラブを弾いた場合に強襲安打が記録されるのだと思うけれど、動きの素早い選手が弾いた場合と、動きの鈍い選手がまったりと球を追いかけて弾いた場合とでニュアンスは大きく違う。昔から高校野球を見ていて思うことのひとつだ。ほとんどの場合が「安打」に記録されるはず。つまり太陽が東から昇るという事実と同じくらい明白なエラーでなければ、ほとんど安打になっちゃうのである。
TVを観ていて「うわ〜!エラーしちまったあ」と瞬時に思っても、NHKのアナウンサーの声を聞くと「ただ今の打撃はヒットがつきました」ほどなくして画面は電光掲示板の「H」の数字を映し出す。筆者忸怩たる思い。「今のはいくらなんでもエラーだろうが」こんな場面、結構あるんであるんである。昨日も書いたように投手に被安打がついちゃうのだ。

結局強襲安打と凡打のボンダーライン....いや、ボーダーラインを判断し決めるのはルールブックではなくスコアラーの判断で良いとされている。
筆者は少年野球なので、子どもに希望が持てるような人間的な記録を心がけているつもりだけれど、甘く付けるつもりはない。甘く付けはじめたらそれはもはや記録にはならないからだ。
スコアラーが自チームの守備欄にエラーの「E」と相手打撃欄に四球の「B」をつけるのがどれだけ心苦しいものかを知っている人は、意外に少ないはずだ。世界の人口に対してバチカン市国のそれくらいに少ない。

もっと書くって、いったいどーしたの?
ベンチにいて本塁方向を見つめる。ピッチャーが投げる。バッターは球を見送る。球審の判定はボール! この時皆さんは「えっ?今のがボール?」と審判に文句を言いたくなることってありませんか?「どう見ても今のはストライクだろう」と。ベンチから見ていると高低の差は歴然と分る。ストライクゾーンは胸から下、膝から上が基本ですよね。明らかにその範囲を球が通過したのに判定はボール。そうです、高低ではなく左右のコースが外れているわけです。これはベンチより球審のほうが圧倒的に正確な判断が出来る。文句を言ってはいけません。しかし私は、ベンチから見て左右のコースをある程度判断する要素として、捕手のミットの動きを見ることにしている。高低はストライクでも構えた位置から大きくミットをずらしたり、上体をひねって捕ったり、更にはあろうことか腰や脚を反らせて捕球したりしたら、それは明らかにボール。たまにそれでもストライクと判定したりする球審がいたりすると.....。グッと堪えて....人間だもんね、と思うことにする。

昨日のタイトル「故意か故意じゃないか」からずいぶん話が逸れてしまったけれど。
それにしても高校野球。とうとうベスト8ですね。
今日の何試合かももの凄い試合だった。能代商業とか、涙が出るくらい素晴らしい試合を見せてくれた。
今年はやたらと延長戦が多いと思ったら、史上最多タイの8試合らしい。特に9回表裏になると、「甲子園に棲む魔物」がむっくり顔を出してきて試合をあり得ない展開に変貌させてしまうようだ。私の予想ではあと2試合は延長またはサヨナラがあるに違いないと思う。今年の甲子園の魔物はやたら出たがり屋さんだからだ。魔物に魅入られたチームには気の毒だが、これがあるから高校野球は面白い。この魔物が去ったあとには副産物として「感動」を残していってくれる。

最後まであきらめない気持ち。
仲間を信じる心。
そんな「心のチカラ」がひとつになった時、野球技術だけでは証明できない、とてつもないパワーがナインに宿るのだろう。
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2011年8月16日火曜日

故意か故意じゃないか?(1)

少年野球スコアラーの端くれとしての「甲子園雑感」である。

盛夏。8月15日。終戦記念日。お盆のど真ん中でみなさんはいかがお過ごしでしょうか。田舎へ帰省中の方、のんびり自宅で休養の方、海へ山へバカンスを楽しむ方、反して休み取れずにフツーに額に汗して働いてる方...。筆者4番目のクチであります。
どんな環境にあっても野球ファンなら気になるのが高校野球。リアルタイムで観れるか、風呂上がりに「熱闘甲子園」で観るかは別として。筆者は仕事のかたわら観ることが多いので、普段はJ-WAVEを聴くところ、この時季は半ばBGM替わりにTVをつけている。しかしながら緊迫した場面などは自然とTVに目がいってしまうわけで。そんなこんなで、去年も似たようなことを書いた気がするけれど、「甲子園雑感」なんである。

まずこれを書いちゃうぞ。
ある試合。大事な場面での「走塁妨害」と「守備妨害」をとられたことがあった。左翼への安打を見送りながら三塁手が本塁へ背を向け、本塁方向へバックで2,3歩背走移動。その瞬間2塁走者に接触。「走塁妨害」を取られた。これは故意ではなくとも仕方がない。走者の進路を妨害したのだから、ワザとじゃなくても違反である。もう一つ。打者が送りバントを試みるも空振り失敗、1塁走者が2塁へ進塁するのを刺そうと捕手はセカンドへ送球せんとす。ところが打者がバント失敗のあとのモーションが大きく捕手の前に半身を乗り出す結果に。これを捕手の送球を妨害したと見なされ、「守備妨害」。これも故意でなくともルール上仕方がない。これによる失点は華々しいヒットによる失点と違い地味で見過ごされがちだけど、僅差のゲームだっただけに凄く比重が大きいと思っているのは私だけだろうか。(個人的には守備妨害のほうはちょっと審判が厳しすぎるような気がした)
「俺、ワザとやったんじゃないっス!」で許されるならルールブックは紙切れ同然の価値しかないわけで。何故か?「故意か故意じゃないか」の判断は審判のそれこそ人間性によって判断が違ってくるからだ。ワザとやったけれどそれをあとから嘘を糊塗(こと)する場合もある。だから「故意か故意じゃなかろうが」関係なくルールを適用せねばならないわけだ。これを未然に防止する典型的なルールが「インフィールドフライ」ですね。プロはもちろん、高校野球でも相手を欺くプレイ、審判を味方につけるためのプレイが当たり前に横行している。サッカーほどラフなプレイはないものの、それも野球のスキルだから。(但し少年野球ではこすっからしいプレイをやってほしくない。個人的には。やるなら中学行ってからやれよ)球児には可哀想だが仕方ないのである。

まだ書いちゃうぞ〜。
これもある試合にて。外野フライが打ち上がった。外野手は打球の落下点目指して走り込む。かろうじて落下点へ到着、完全な姿勢ではないものの、ある程度の捕球体勢に入る。打球はグラブに当たり弾かれ後方の芝を転々....。私がスコアラーならビミョーではあるけれども野手のエラーにする。カツカツのギリギリのパツパツの捕球体勢ならばヒットを記録するけれど。しかし高校野球ではヒットなんである。(ちなみにプロも若干そういうところがある)エラーをつければある選手の汚点にしかならないが、ヒットにすればある選手の栄誉になるからだろう。しかし、投手の記録から見ればたまったもんじゃない。エラーなはずが、被安打1が付いてしまうからだ。投手が可哀想だ。

更に書いちゃうぞ〜。
ある試合にてPART3。これも外野手二人がからむ。中堅手と左翼手か右翼手か記憶定かじゃないけど、二人が外野フライを追って交錯、接触し倒れ込む。ボールはこれまた広大な外野芝の上を転々とす。どんだけ広大かってアンタ、惑星探査機ボイジャーが土星にたどり着くくらい遠大なのだ。残りの外野手がやっと白球に追いついた頃にはバッターランナーはすでに3塁へ到達せんとす。バックホームを試みるも時すでに遅かりし内蔵助。記録はランニングホームラン。野手が交錯しなければ楽に捕球に至っていたはずなのに。ワンヒットワンエラーであるべき。これも投手の受難である。被本塁打の不名誉を投手一人が背負ってしまうからだ。ホームランだけは誰のせいでもなく全て100%投手の責任になるのだから。

どんだけ書いちゃうの〜。
強襲ヒットって何?
強襲と凡打の境界線はどこにあるのだろうか。打球の速さ、鋭さで....................!?

いい加減長文になったので、このあとのブログ文は次回へ持ち越していいですか?
まだ書き足りないんであるからして(^^)

2011年8月12日金曜日

ステッカーが作る「輪」

震災後うちの宮前少年野球21チームから募金をつのり、集まったお金で野球用具を購入、少し前、宮城県名取市少年野球育成会さんへ宮前連盟から用具を贈った際に作ったポスターである。ここの小ブログのURLは連盟副会長からの要請で入れたもの。ことの経緯がこの少年野球「晴耕雨読」を読めば伝わりやすいから、というのがその理由。恐縮、面映くもとても嬉しいことだ。
これに先んずること少し前。このデザインのステッカーを作った。今や公式戦では子どもたちのヘルメに貼られて、熱戦が繰り広げられている。これも小ブログのヘビーユーザーならご記憶であろう。
このステッカー、なかなかの人気なんである。
チームのお父さんたちも「俺も欲しいっす」と言ってくれる人が何人もいて。オヤジが欲しいものはお母さんも欲しいとは限らないのであるが、母たちも欲しいのではないだろうか。ある父はこれをお盆に郷里の高知へ持って帰り、地元の野球コーチに(お兄さんだったかな?)自慢して見せてやりますと言ってくれた。ありがたいことである。
小生も自分なりにアチコチ貼ったりしているのだけれど、先日ある女性がステッカーを半分に切って携帯に貼っているのを見せてもらった。
う〜むむむ...。脱帽。ウワテがいたものだ。貼る場所に困った時の正しい最終手段は、朝おもむろにオデコにぺたりと貼り込んで、そのまま通勤ラッシュに揉まれて出勤し、会社の女子社員から「カワイイ〜!」と嬌声を浴び、男子社員からは垂涎の的となり、.....とそこまで考えたけどやめた。ことの経緯ときっかけに記憶をたどれば不謹慎ですから。でも今だからちょっとだけこんなジョークも書けるようになったんだなあと、感慨深い。
ステッカーのサイズからして携帯に貼る発想がなかった。携帯には自チームの小さなステッカーが貼ってあるから尚更である。これ使用前の携帯写真。

負けじと一念発起、どか〜んと貼ってみた。
う〜むむむ...。悪くないね。自画自賛。
他のチームでの反応はどうなんだろう?ヘルメに貼るだけじゃなく、大人たちも欲しい人がいれば、チームごとに集計をとり、今度は連盟予算ではなく希望者には購入してもらえば、もっと輪が広がると思うのだけれど。大人一人5枚。1チームで10人の購入希望。×21チームでちょうど1,050枚だ。希望総数にもよるが、一枚単価は十数円でいけるはずだ。

貼ったあとフリップを開いてフト気がついたんである。
「この携帯画面の大きさとステッカーの大きさがほぼ同じじゃん!」
貼ってみた。バッチリである。素晴らしい。
...けど電話もメールも出来なくなっちゃった(^^)

※注...もちろんこれは写真合成の成せるワザです。そこまで筆者、能天気ではありませぬ。良い子のみんなはマネしないように(^^)
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2011年8月9日火曜日

眠れぬ夜は

『夜明け前』....近代文学を代表する、藤村が著した昭和初期の傑作とされる。昭和4年から10年まで中央公論誌上に掲載。読んだことはなくとも小説名だけは聞き及んだことがあるはず。教科書の文学年表にも必ず登場するわけで。
ここで藤村を「フジムラ」と読んだ方はおそらくブンガクとは無縁の人生を歩んでこられた方と推察。正しくは「トウソン」島崎藤村なんである。往年の大作家を片方の名前で呼び捨てにすると、あ〜ら不思議、なんだか文学通になった気分になれるんである。「太宰の...」「谷崎は...」「漱石が...」「三島の...」なんてね。
かく言う筆者は藤村の『夜明け前』は自慢じゃないけど読んだことはない。エラそうなことは言えないわけで。

先日、仕事で夜が遅くなり、就寝はAM2:00。ベッドに倒れ込むように横になり、そのままずぶずぶと泥のように眠るか....と思ったら、そんな時は案外眼が冴えて眠れないもので。明日朝起床のことを思うと、今からウィスキーや浅田次郎に手を出すのは自殺行為に等しいし、かといってこのまま羊の数を数えて安眠体勢に入れるほど、もう子どもじゃないし....。う〜ん、困った困った....と思い始めたらウトウト。普段ならこのまま朝までノンストップで爆睡街道まっしぐらなんであるが、ほどなく眼が覚めてしまった。その時に見た朝焼けの光景。爆睡街道をちょっと脇道にそれてカメラを構えシャッターを切る。「ピューリッツァー賞」受賞の赤絨毯が脳裏を掠めるが、ここはベトナムじゃないしドキュメンタリーでもないし。
写真の専門家が見たら朝焼けと夕焼けの区別が出来るんであろうか?
まるで夕焼けのような色味の、深く重い風合いがある。

この数分後には夏の太陽が「アンタ何やってんの?」と言わんばかりに、かつ、「オハヨーSUN!」とでも言いたげに、圧倒的にずんずん昇って来たのであった。

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2011年8月7日日曜日

高校野球 がんばろう!日本

秋季大会ブロックリーグ二位同士の順位決定戦の昨日、またもや、フォルコンズ戦に快勝!でも写真がない。今日は強豪メイツ戦。残念ながら11:6の負け...。でも記憶がない。記憶も写真もあるわけない、行けてないから、仕事で。土日だっちゅーのに...残念。

そのかわり仕事しながら高校野球をTV観戦。息子の残していったアナログTVに4,900円の地デジチューナーを取付け、びっくりするほど映像がキレイになったヤツ。脳の稼働状態は仕事93%、高校野球7%であった。
「帝京VS花巻東」次第に仕事32%、高校野球68%に逆転。
しのぎを削る白熱の好ゲーム。地元チーム以外ではおそらく全国民が被災地東北3県のチームを応援してるのではないだろうか。昔から小生の高校野球応援校の基準は....
1出身高校(山形南高校)
2公立高校
3郷里の高校(山形県)
4東北からの出場校
5雪国で冬場はグランドが使えないにもかかわらず頑張ってる地域の高校
6初出場校や強豪に大差で負けそうになっちゃてる高校
この1から6の間に地元神奈川県代表校が入る。
今日はチームとしては岩手の花巻東を応援していた。がんばれ東北。
「がんばろう!日本」のヘルメのステッカー。おそらく球児たちは全国からの声援を背に勇気をもらったこともあるだろうけど、逆に誰かのために勝たなきゃいけない、負けられないという変なプレッシャーを背負い込む場合だってあったはずだ。その重圧の中で強打で全国屈指の帝京と互角に競り合ったナインに拍手を送りたい。

この極私的基準とは別にチーム関係なく注目したい選手というのもある。
帝京のタクローこと伊藤拓郎投手。めちゃくちゃイケメンであると同時に、プロも大注目の逸材。相方の1年生でありながら正捕手の石川選手も話題に。映像を見る限りでは1年生であることを微塵も感じさせない堂々たる存在。
さて拓郎くんである。どこまで書いていいのかビミョーだけど、この選手は中学時代は東京のHNリトルシニアに在籍。近年全国制覇を果たしている全国大会常連の強豪チームである。つい先日もシニア日本選手権全国大会準優勝を果たしている。このHNに息子さんがかつて在籍し深く関わっている人がいる。小生ブログの右「勝手にリンク」にある「台風一過」の「かに」さんである。(7月31日付の記事に拓郎選手のことが)少年野球ブロガー界では超有名人。小生も昨年チームの記念誌の件で何度かメールのやりとりをさせていただいた。出来た記念誌を送ったり送られたり。その「かに」さんイチオシの選手がHN出身の帝京拓郎くんなんである。今日は途中降板したものの、デカい3塁打を放ち1打点の活躍。本人は投手として結果を出したかったに違いないけど。甘いマスクと実力を兼ね備えて、おそらくプロに進みスター選手になるに違いない。
将来は女子アナと結婚しちゃうんかなあ(^^)
9回表裏の攻防では仕事マイナス20%、高校野球120%になっていた。

最後のオマケに写真掲載。先日もこの花の写真載せたけれど、「がんばれ東北」の赤とハイビスカスの赤をひっかけて。アップで見ないと分らないけど(クリックで拡大)、中心部にぷにょぷにょの透明ゼリー状のナニカがあって、更にその中に黄色く丸いナニカが封じ込められている。ナニカ知らんけど美味しそうだ。

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2011年8月5日金曜日

「One for All〜All for One」

このタイトル、「ナンデスカ?」と思うであろうことは、想定内の範囲内なんである。チリワインが黒に近いドス赤い色をしているのと同じくらい誰だって知っている。キャッチャーは守備位置を確認するのに、外野センターを見る時は眼の焦点距離をロングに、セカンドを見る時は中間距離、その後本塁に眼を落し一瞬接写状態になり...顔を上げおもむろにピッチャーにサインを出す。
遠距離・中距離・近距離。

昨日のこちらの地域(川崎)では、時折、突然のゲリラ豪雨。「1時間に1ミリ以上の雨の降る確率は...」なんてもんじゃなあない。あっと言う間に10秒間で1センチくらいは1平方メートルの弁当箱に溜まったはずだ。そんな自然現象が大好きな小生はMacのキーボードを叩くのをしばし中断、NikonP100で撮影してみた。
まずは遠距離。センターの位置へズーム。

次にセカンドの街路樹の位置を確認。
(左バッターなんだからもう少し右へ守備位置変えろよ、と言っても聞いてないし)

1メートル手前くらいの本塁付近に眼の焦点距離を合わせたら、意外な雨の姿を捉えた。真っすぐ落下する雨粒の間隙を縫って、ちいさな飛散した雨粒が上に下に浮遊し宙を舞っていた。普段肉眼では気づかないものである。

「木を見て森を見ず」というコトバがあるけれど、その逆バージョンである。
大層な目標をかかげて現実に目を向けず、遠くの夢ばかりを見ているだけでは誰もついてこないだろう。遠くの理想の実現のために、足元の現実を見据え、一歩ずつ努力することが肝要なのではないだろうか。少年野球のチーム作りにも通底することかもしれない。
「森のために木を育てる」
「One for All〜All for One」...少しニュアンスが違うけれども。
突然、震災の被災地のことが頭に去来した。
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2011年8月3日水曜日

三年目の植木♪


♪三年目ぇ〜の浮気くらい大目にみってっよ〜♪
懐かしい歌である。ヒロシ&キーボーだったかな。男なら誰しも(?)この歌に共感を覚えたかもしれない(?)わけで大ヒットになった。
「三年目の浮気」ではなく「三年目の植木」....いや実際は「五年目の破局」ならぬ「五年目の植木」なんである。ハイビスカス。4,5年前に我が家のベランダへやって来たこの娘は毎年この時季になると健気に真っ赤な花を咲かせてみせる。赤いランドセルを背負ったショートヘアの似合う元気な女の子みたいな。親はほとんど何も子育てしてない。通年ベランダに置きっぱなしの放任主義。夏が近づくと液体栄養とひたすら水を与えるのみ。ヒドイ親である。児童相談所に通報されても文句は言えない。それでもこの娘が愛おしい。毎年この一つ目の赤い花を見ると、「もうじき高校野球が始まるぞ〜!」的な、俳句で言う季語に近いものを感じる。
赤い太陽のもと、赤い花を咲かせるハイビスカスであった。

こちらは白い月夜の晩に白い大輪の花を咲かせるご存知「月下美人」
つい先日夜中にひっそり咲いていた。
去年も一昨年もこのブログに載せたので詳細は省くけれど(2010年8月8日「ベランダのベテランだ」etc)、赤いハイビスカスとは対照的にこちらは14,5年前に恵比寿の事務所で密かに「愛人」として同棲していたんである。その後愛人の存在が本妻に発覚、協議和解を経て鷺沼の自宅ベランダで生活を共にするようになった。ここへ来てから初めて白い花を咲かせるようになったのには驚いた。サボテンそのものの肌年齢は、もうだいぶ更年期も過ぎて介護保険の受給資格も可能かと思われるほどだけれど、毎年この一種妖艶なひと晩限りの花を咲かせるのは、まだ女を捨ててはいない証なのだろう。歳を重ねるごとに放つ、歳を重ねなきゃ放つことの出来ない「オトナの色気」...男女問わずそうありたいものですね(^^)
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2011年8月2日火曜日

自負心と誇り

このところ上昇機運のAチーム。AチームがあるからBがあるわけではないというのがウチのチーム事情というもの。Bを作るには監督・29・28番・スコアラーから始まり、運営、設営、配車の手配、Aとの兼ね合いでの練習グランドの確保と、大変なことがいっぱい。選手数の少ないウチはほとんどAとの兼任でやれば、やってやれないことはない。しかしそれには父たちの協力が今以上に不可欠になってくるわけで。
筆者は息子娘がチームにいた頃はオヤジコーチとして参加。忘れもしない初参加の日は息子が5年の11月の初冬、寒い朝。霜が降りグランドガチガチ、ガタガタの状態を1時間かけてトンボをかけた。翌日は腰が使いものにならない。その後フレンズに慣れるに従い設営、運営、審判とほぼ毎週のようにやった。あの時代は幸運にも黄金期で、年間勝率が8割以上の常勝チームだったため、試合づくめだったからだ。朝の早起きと綺麗な女性にめっぽう弱い私でも、あの頃の朝の目覚ましには一発で起きれたんである。朝4時まで呑んでいても6時には第一公園の設営に行ったこともある。子どもが世話になっているチームに対して親としてそれが当たり前のことだと思っていた。それが次第に我が子どもなど関係なく、チームを支えるスタッフとしての「自負心」と、多少大袈裟だけど「俺たちのチーム」という「誇り」も芽生えてきたりして。当時も人数はそう多くなかったけれども、親たちや指導陣のチームワークも抜群であった。
その延長で自分の子どもが卒業後もこうしてチームに関わっている。おそらくは全国の小学生野球のコーチングスタッフのほとんどが大なり小なり、同じような経緯でチームに在籍してるのではないだろうか。

最近ここではAの写真ばかりなので、日曜にBの子たちを写真に収めてみた。
小さい子たちの親にAの試合の設営、審判、クルマ出しなどを協力してもらっているから、ちょっとでも罪滅ぼしにね。

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2011年8月1日月曜日

ブログについて

昨日のブロックリーグ2位通過祝勝会、居酒屋その1での開催。もちろん子どもも含めての、いわば懇親会である。居酒屋の部屋のキャパシティーの関係上、「チームこども」と「チームおとな」のふた部屋にわかれての開催。時々子どもたちがオトナ部屋にやって来ては、カツオの刺身などをぺろりと食べては戻っていく。年に数回あるかないかの楽しい祝勝会の光景である。

「ブログの功罪」については昔ここで書いたけれど、今日は書いてて良かったと思うことがいくつかあった。

うちの監督は宮前でも珍しい、選手OBの若い監督である。フレンズ黄金時代に選手だった、現在医療機関勤務の29歳。筆者の息子の2歳年上。ここ数ヶ月仕事が忙しくチームに顔を出せていない。その間、チームマネージャー兼29番のOtsuboさんが監督代行をこなしてきた。スコアラーとして同じベンチに入って、大変なプレッシャーと苦悩の中でよく仕事を遂行してきたのは私が一番知っているつもりだ。.....S監督、いつ来れるんだよ....。みな待ってるぜ。
今日そのS監督とみんなで呑んだわけである。若い監督にとっては周りのオトナたちはほとんどがみな年上。彼なりに時としてものすごくやりにくいのもよく分っているつもりだ。S監督は普段は飲み会には来ないのだが、今日は珍しく最後までつき合ってくれた。この数ヶ月フレンズに来れない間、チーム状況を把握するのはOtsuboコーチからのメールと小生のこのブログが唯一の情報源だったらしい。子どもたちの状況を把握できたのは、生きたコトバで状況を伝えている(らしい)このブログが良かったのだそうだ。
書いてて良かった。

その2。
子どもの親は我が子の練習風景や試合を常に見れるとは限らない。仕事でグランドに行けない親もたくさんいるわけで。その日の我が子の状況がこのブログで、あたかも現実的に参加したような気分で知り得るのだそうだ。事実を伝えるだけではなく、その場の空気を感じ取れる文面を心がけている(大抵はフザケた文章であるけれども)筆者にとっては、何よりも嬉しいお言葉である。また、その子の田舎の祖父母もこのブログを見ることで、孫の成長に目を細めることもあるそうだ。おじいちゃん、おばあちゃん、お孫さんは元気ですよ!

その3。
昨日のブログで、全日本素敵な全女性を敵にまわすようなことを書いた。Hiromiのお母さんが呑みに参加して、小生に言った。「ブログ今朝読んだわよ。Tさんさあ、途中までいい気分にさせといて、ナニよあの文章は、ヒドイじゃないっ!」(ガタイの大きい...という表現を指す)と言いながら顔はガハガハ笑っていて、満面の笑み、それをツマミにまた場が盛り上がるわけで。こんな話を書いたらキリがないくらい。彼女の笑顔が想像出来るから確信犯的に書けるわけである。

その4。
内輪の楽屋受けネタだけではブログは短命。とってもありがたいことに、アクセス数ではたいしたことないけれど、全国の少年野球に携わる方たちが見に来ていただいている。ヘビーユーザーの常連さんも多い。よくわからないけれど、検索ワード「少年野球 スコア集計」「少年野球 ロゴマーク」「少年野球 募集ポスター」などで上位にヒットしての来訪も多いみたいだ。役に立つかどうかは別にしてこれまたありがたいことである。ゆえに楽屋受けネタだけではなく、グローバルな視点でアホバカな文章を書かなきゃという思いもあるわけで。

いろんな人が見てくれている。いろんな笑顔がそこにある。時に反発、時に共感。これがあるからブログを書く原動力のひとつになっているんである。

みなさん、ありがとう。
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