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2026年10月16日金曜日

赤トンボの羽休め


先日、4月に亡くなった姉の納骨があり郷里山形へ帰省した。その時のブログを備忘録の代わりに。自分的にはもう2,3週間前のような感覚だが、つい約1週間前の話である。当初納骨は兄弟だけで済ませ、その足で近場の温泉宿へ泊まり酒盛りして一泊、翌日解散だったが、筆者はその晩中学同級生たちとプチ同級会をしてもう一泊する予定を立てていたんである。ところがホテルを検索していて妙なことに気がついたのだった。10月6日と8日では宿泊料金がとんでもなく違うのだった。10/6一泊朝食付きで通常約¥12,000が、10/8になると¥28,000。市内のホテルが皆同じ傾向だった。なんと言うことでしょう。理不尽も休み休み言えってもんだ。GoogleAIに尋ねてみたのだった。するとその日を境に全国規模の公的な会議があって、全国の市長クラスの面々が山形に集結するので全国から1,000人以上一挙に押し寄せるため、需要と供給のバランスで値段が格段に上がるとのこと。変動相場制、いわゆるダイナミックプライシングなのだった。(AIなので裏を取ったわけではないから真偽の程はわからないけれど)

そこでやむなく同級会の飲み会は、前乗りで納骨の前日に山形入りしたんである。場所はいつもの同級のAyaちゃんの店にて。ここで何度か登場している中学親友だったNaotoの差配でサッカー部の先輩キャプテンだったNakaigawaさんも来ていた。なんと懐かしいではないか。昔東京で呑んで以来だった。NakaigawaパイセンはサッカーJ2のモンテディオ山形の生みの親であり、黎明期から初代GMまで務め上げた人なんである。飾らない人柄で我々がタメ口をきいてもなんともない人だ。これに加えてやはりサッカー部で筆者と同級のKawamuraも参加し、当然サッカー部の話に花が咲いたわけで。N先輩が当時筆者をどう評価していたかとか、逆に我々同級生の中にN先輩に淡い恋心を抱いていた女子がいたとか、お互いに今になって知ることが盛りだくさんで大いに盛り上がったんである。当時サッカー経験がない先生が顧問だったので、ほぼN先輩が監督も兼任していたなんて話にも驚いた。レギュラーは上級生が当たり前の時代に、俺ら下級生3名を登録メンバーに推挙してくれたのもN先輩だった。初めて知った。

他にも同級会あるあるで、恩師も含め亡くなった級友や、誰それの病気や消息など話は尽きない。友の口から出てくる同学年の名前の1/3は思い出せない始末だった。サッカー部のうちすでに2人は亡くなっており、筆者の初恋の人も今年逝去している。

お祭りの神輿担ぎに参加していたNoriちゃんが、1時間だけ抜けてきてくれて集合写真。アッちゃんや東大出の秀才だったグッさんも参加。何を隠そう「N先輩に淡い恋心を抱いていた女子」がNoriちゃんだったわけで。皆で時間が過ぎるのを忘れて0時近くまで呑んで盛り上がったのだった。途中もう一人Masaakiが別件で来て、「十四代」という焼酎をボトルで差し入れ。強烈な香りが鼻腔を駆け抜け、どえらい旨かった。余りをホテルへ持ち帰った。

快適なホテル宿泊の翌日。午後の兄弟との待ち合わせまで時間があった。いつも帰省するとよく行く山形霞城(かじょう)公園へ。戦(いくさ)の時、霞(かすみ)に包まれて存在を消したことから霞城と名付けられたそうだ。ここからの写真はインスタと被ることになる。かつて11代城主最上義光が築いた城郭が残っている。天守閣などはもうない。この城郭や「二の丸東大手門」などの規模は江戸城に比肩し映画やドラマにも使われるそうだ。当時三の丸まで含めると東北でも一番大きな城だったそうである。

昔も書いたけれど、この門の丁番にはいつも驚く。建築的には「旗丁番」と呼ばれる巨大なもので、この重量をたった3点支持で開閉するのだ。筆者が最近仕事で描いた建具詳細図面でも記載している。重量用ヒンジの原型である。

県立博物館には入ったことがなく今回入館した。国宝の縄文土偶もあった。

中学サッカー部だった頃、野球と違って太ももが丸出しだから、学校のグランドではスライディングで生傷が絶えなかった。しかし唯一芝のグランドがここ霞城公園サッカー場で、思い切り気持ちよくスライディング出来るのが楽しかった記憶がある。今はもうサッカー場はない。本丸一文字門は現在復旧工事中だった。中まで入れるので行ってみない手はないじゃないか。見事な石垣だった。雑草で覆われている部分は内濠(うちぼり)でかつては水が満々とたたえられ、敵の襲撃から本丸を守っていたのだろう。

城があったであろう中は今はただの緑の草原だった。当時の大規模な城の様子を思い浮かべながら散策。季節柄赤トンボが群棲して飛び回っていた。赤トンボ1号機、2号機が着艦し燃料補給、文字通り羽休めし、次のスクランブル発進に備えて発艦準備完了の図。

ベンチで休憩しつつインスタの文章を書いていると、赤トンボ3、4、5号機が一度に3匹も羽休めにきた。筆者の膝がよほど気に入ったらしく長時間微動だにしない。「奥さん、私の膝、空いてますよ」と言っても寄ってくるのは赤トンボだけである。そんな彼女たち(彼らかもしれないが)をじっとみていると、筆者もゆるりと心が和み仕事の合間の羽休みとなったのだった。

この後千歳山の麓の墓地で兄弟と合流し納骨式を終え、車で20分ほどの温泉宿へ。兄弟は新潟、栃木、フランス、そして筆者は神奈川から。写真は敢えて掲載しない。

宿は蔵王温泉のお膝元、黒川温泉の「ゆさ」。おそらく旅館再生プロジェクトでデザイナーが入って近年改装したものだろうと思う。想像だが山形弁で「どさいぐだ?」「湯さいぐだ」...で、「どさ?、ゆさ」となったものだろう。部屋の窓から見る蔵王山は紅葉にはまだ程遠かったが、心が広々と解放される気がした。写真中央の奥に有名な「蔵王お釜」がある。

旅館の手配は筆者の役どころだった。宿泊料金には夕食の内容で格差がある。梅=米沢牛のしゃぶしゃぶ、竹=米沢牛のすき焼き、松=米沢牛のステーキ。もうこれから何度も会うことはないかもしれない兄弟ゆえ、「松」にしたのは言うまでもない。他の料理も手が込んでいて実に美味かった。「食の宝庫」山形の面目躍如である。部屋に帰り兄弟義姉5名で酒盛り大会。筆者を除きほぼ皆糖尿病で上はもう80過ぎである。いわゆる「病気自慢」からやがて、当然短いであろう余生の過ごし方を笑い飛ばしながらワイワイ酒を飲むのだった。今度皆で会うのは誰かが亡くなった時か?なんて。

翌日は一路新幹線で東京へ。帰路の車中では言わずもがな「牛肉ど真ん中」の駅弁に舌鼓を打つ。全国駅弁人気ランキングで上位の常連である。もう山形に親類縁者はいないから、帰郷の頻度は減るだろうけれど、来年は学年全体の同窓会が計画されているらしい。車窓の外に視線を泳がせながら、3年9組の同級生にLINEでしばしの別れを告げ、初恋の人に心の中で永遠の別れを告げた。

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2026年6月7日日曜日

2026「高円宮杯マクドナルド学童野球神奈川県大会」開幕

 

「高円宮杯マクドナルド学童野球神奈川県大会」開幕であった。実はこれかなりの略称である。正式名称は「高円宮賜盃第四十六回全日本学童軟式野球大会マクドナルドトーナメント神奈川県予選大会」と息が切れそうなほどの長い名称なんである。これには筆者に一家言(いっかげん)あり。昔の話だがフレンズの現総監督Satohくんが6年生の時、この大会の前身である「マクドナルドカップ学童軟式...」大会で神奈川県で優勝した経緯がある。ところが当時はその先の全国大会がなく全国的に各県大会止まりであった。しかし翌年か翌々年にマクドナルドが規模を全国大会にまで拡大し、更に皇室から杯を賜ることになり、高円宮賜盃(しはい=盃を賜る)となった。Satohくんの代の翌々年、筆者の息子の代になってもこの県大会決勝まで進んだのだが、惜しくも準優勝、全国への切符を逃したんである。

さらに言っちゃう。2015年にフレンズが神奈川を制し全国へ行った際に、開会式神宮球場のスタンドで、偶然マクドナルドの広報部長の女性と話をする機会があった。当時は筆者もフレンズ広報で広報界隈の端くれである。(ただし当時は一眼レフすら持っていなくコンパクトカメラだった)マック担当者曰く「当時それまではマクドナルドの名称がトップに冠されていたが、皇室からの賜盃となって、マクドナルド名称をトップにするには不遜に当たりおこがましく、それで最後尾に配置した」のだそうである。ナルホドなのだった。広報記載する際はこの順番を守ってくださいねと言われた。ちなみに翌年2016年にもウルフが全国へ進出し3位にまで上り詰めたことは大快挙であった。宮前から2年連続高円宮賜盃全国大会へ出場したことは、我が宮少連にとっての最大の誇りとなっている。

さて前置きが長いのは「晴耕雨読」の常。その開会式の様子から。球場の選手監督コーチを見てナニカ違和感を感じた。あれれ、全員赤白横縞のソックスを履いているではないか。全チームでこれを購入し開会式に臨む算段とのことだった。ただし売り上げはチャリティーで然るべき団体へ寄付されるそう。この赤白のストライプが一番似合っていたのは、もちろんレッパであった。元々赤白ユニのレッパゆえ全く違和感がない。

優勝杯+盾の返還。筆者もフレンズ時代に持ったことがあるがこの盾が実にズシリと重い。腰が砕け腕が抜けるくらいに。

毎回マクドナルドのキャラくん=ドナルド・マクドナルドが登場するけれど、複数人いて全国の地方予選開会式に飛び回っているのだろうか。おそらくタレント事務所のイベントのプロが扮しているに違いない。なぜなら会場を盛り上げる手腕やマイク慣れした所作は見事だった。あのミッキーマウスだってガチャピンムックだって、ミャクミャクだってその中には...。うわあ、いけね。夢を壊してはいけないのがオトナの責務であった。良い子のみんなはこの話は忘れてくれ。

会場全員を盛り上げる「お〜!」の掛け声を彼の絶妙なトークでやった。これは動画にて。最初は監督コーチの野郎どもの野太い声、次に会場の観衆全員で、温まった所で最後に選手たち。実にプロフェッショナルであった。

...
さて開幕戦初戦はウルフであった。ハードルを上げるわけではないが、10年前の2016年、甲子園に忘れてきたものを取りに行ってほしい。甲子園じゃないけど。でもこの大会は「小学生学童野球の甲子園」と呼称されるのはみなさんご存知の通り。対する相手は伊勢原市代表のスカイファイターズ、スコアボードでは略して「スカイF」だった。Fって何?筆者は一瞬「007スカイフォール」ダニエル・クレイグの映画を想起しちゃった。
初回Wは投手の球が浮き足だって見えたのは筆者の気のせいだろうか。ジワリピンチを迎えるとすかさずW監督トメさんがタイムを要求。後日談だが試合後監督の談話では、投本間距離は学童規定通りだが、バッターBOXの大きさは大人野球のサイズとのこと。打者の立ち位置と捕手の構え位置の相関関係が普段と違うのだった。更に投手の地面にはシートが敷かれており、足元の違和感が否めないらしい。しかし事なきを得て無失点に抑えたW。

その裏のW攻撃では主砲の打撃で得点圏に走者を置くも無得点。
2裏Wは待望の先制点をもぎ取る。このような大きな大会では先制点の喜びは格別である。5万の大観衆で埋め尽くされた三塁側スタンドでは、欣喜雀躍大歓声が巻き起こる。
撮影で陣取った筆者の隣の他のチームの子らが言っていた。「スクイズ失敗の後ヒットを打ったりするとカッケえよなあ」なんて。0:1でウルフリード。
Wの観客席には佐藤会長、前会長の松井さん、事務局藤沢さん、辻さん、ウルフの2016年当時の元監督Ogasawaraさん、その昔「歩くピッチングマシン」の異名を持つ重鎮レジェンドGotohさんらが参集観戦。ちなみにレッパは御幸球場第3試合、連盟メンバーは市学童協力のため御幸へすでに向かっていた。もう一発ちなみに。実は前日土曜、Wは偶然この等々力が8時から10時まで空いていたらしく、WのT部長のポケットマネーで速攻場所を抑えて練習ができたのだそう。用意周到、準備万端、シルビー・バルタンであった。2裏Wの打棒が爆発。更に3得点し0:4とする。いつもの宮前で見せる狼軍の姿で、戦況に安定感が増したと感じたのだった。このままイケるのではと個人的に感じたのだった。
捕手が打者にバットを手渡すシーン。このクダリについては昨日のブログに書いているので参照されたし。出来ればバットのヘッドを向けるのではなく、相手に対してグリップを向けて渡すともっとカッコ良いし素晴らしい。ただ現場ではそんな余裕もないのかもしれない。相手選手もコクリと会釈する。スポーツマンシップ、相手へのリスペクトを感じる日本人の美徳である。
4裏にもWの猛攻は止まらずボードに更に3点を叩き込む。偉大なるお姉ちゃんNanakoのDNAを継承する弟くん。もう姉のDNAだなんて言わせない、俺の実力だと証明するかのようにここぞの場面で大活躍。近年Wには見た目がドカベンタイプの強打者=スラッガーが目白押しである。下のトリミング写真は今日イチのクロスプレーのカット。
「もしかしてだけれど、もしかしてだけれど、アナウンスはプロのお姉さんじゃないの〜♪」。場内アナウンスは通常両軍母たちがウグイス嬢を務めるのが慣例だ。しかし今大会はヤケに素人離れしたツヤのある声音(こわね)が等々力に轟(とどろ)き渡っている。(ここダジャレで笑うところですからね)おそらくこれもプロのフリーアナウンサーだったろうと想像する。タイミングも滑舌も素晴らしかった。ちなみに県大会だが、等々力のこの主管は川崎野球協会と市学童である。0:7と大量リード。
4回Wは三塁に走者を置き、打者走者が一塁へ。一塁走者が大きくリードを取った瞬間、牽制球が飛んできた。「ヤッベ、挟殺されるな」とファインダーを通じて案じたのだが、走者の表情と行動にはどこか切迫した表情はなく余裕が感じられた。ははん、この故意の挟殺プレーの間に三塁走者が隙を見て本塁突入の作戦か。右目でファインダーを覗き、同時に左目裸眼で三塁を見た瞬間、走者がダッシュをかけ本塁へ向かうのが垣間見えた。練習の賜物であろう。トメさんの策士ぶりに脱帽であった。それを実践できる選手たちはもっと素晴らしい。
終わってみれば王者の貫禄、0:10のノーヒットノーラン無失点のゼロ封コールドの試合となった。相手のスカイFさんも悲壮感ありつつ選手は逆境の中よく奮闘していた。
こーして開幕戦が終わった。のちの連盟LINEでは御幸のレッパも4:3で接戦を制したとのこと。宮前勢まずは無難な船出となったわけで。
試合後等々力名物の天ぷらそばを摂取して赤いフェラーリ(50cc赤カブ)で帰路に着く。ここの立ち食いそばで締めるのは定番である。飲んだ後の締めのラーメンみたいに。ただし値段は立ち食いそばの範疇を超えている。ちなみに筆者は会社員時代にいろんな立ち食いそばを食してきたが、イチオシは小田急線沿線の「名代箱根そば」が絶品と思う。朝新宿で打合があった後の昼食は決まって「名代箱根そば」なんであった。その後喫茶店(もはや死語か)でレアチーズケーキとブラックコーヒーで黙々と小説を読み耽るのが最大の楽しみだった。帰社後「遅かったね」と上司に言われたら「いやいやお客さんが駄々をこねて打合が長引いちゃって」と言い訳するのももはや日常であった。
さて、こーして神奈川頂点への挑戦が始まったばかり。ジジイで腰痛の筆者はどこまで広報できるかわからないけれど、ひたすら宮前勢の健闘を祈るばかりだ。球場の周囲も再開発が進んでいるようだった。
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