2011年12月30日金曜日

男たちへの手紙

熊本に、とあるブロガーがいる。
少年野球をはじめ、愛する家族、仕事の地質学、音楽や下ネタから人生の来し方まで、自分の行動や思考の記録を綴ったブログなんである。ひょんなことでこの「hiratakuwa」さんと交流を持つことになった筆者。今回の宮前20周年記念誌刊行に伴い、氏を敬愛する私は熊本へ一冊送付申し上げた。
今朝いつものように、このブログの右のリンクから「1969/04/09に生まれて」に飛んでみたら、ナント送付した記念誌のことが掲載されていたんである。
「素敵な記念誌」....最大の賛辞でした。ありがとうございました。
「1969/04/09に生まれて」 (←クリックでスッ飛んで行きます)

記念誌の連載もvol.5まで掲載。
先日、Nishimura編集長に、このブログの場を提供しちゃうので、編集長自身で編集後記をブログ版で書いて欲しいと打診。記念誌最終ページには絶対、功労者であるNishimuraさんの名前を冠付きで載せるべきと主張したけれど、氏は頑として黒子に徹した。業を煮やした筆者はせめて「思いのたけ」をここで吐露してもらおうと思ったんである。

「おまえの替わりはいくらでもいる」...逆に、
「この人の替わりはこの人しかいない」
もちろん後者である。言い換えればNishimuraさんなくしては、この記念誌は全くの別物になっていたに違いないのだ。
Nishimuraさんが年末の帰省前の昨日、氏からメールが届いた。
それはメールというより、記念誌プロジェクトメンバーへの、
「男たちへの手紙」であった。

執筆=Nishimura・文責=Teshima 以下原文ママ。
(長文なのでお笑い年末特番を観たい方は、トイレ行ってTV終わってから読むことを推奨します)
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「発行終えて、年越えそうで」

記念誌プロジェクトチームの皆さん、いかがお過ごしですか?
早いもので、各チームに1冊600円で買ってもらった20周年記念誌のお披露目をして20日が経とうとしています。
もう後わずかで宮前連盟は21周年を迎えることになりますね。
今のところ悪評を聞く機会が無く、ただし面と向かっての悪評は言いづらいことだろうし、10年後の人たちが評価を下してくれるだろうと、そう思うことにしました。
つまり「歴史の評価を待つ」ということですね。そういう言い方をすればメンバー一同、なかなかの仕事をしたみたいでかっこいいでしょ。
出来れば10年後の「記念誌」の「30年のあゆみ」のページに「2011年12月10日、20周年記念誌発行」と表紙の写真付きで載っけて欲しいものです。
(10周年記念誌のことは、今回の20周年記念誌では「一切」触れませんでしたが…)
もっと欲をいえば今回の「表1・表4と全80ページ」を30周年記念誌に載っけて欲しいものです。
そしたら(たぶん悩み多かりきの)ページ稼げますし、今と10年後のチーム変遷の歴史も(もしそういうことがあれば)良く理解できることと思い
ます。印刷代はかなりアップで、1冊600円ではすまないと思いますが…。

30周年記念誌。
誰が総合的な判断を随時下すか、誰がディレクションをやるのか、誰がアートディレククションやデザインをやってくれるか、写真は誰が撮ってくれるか、コピーは誰が書く?一見地味だけど、コツコツと過去の歴史を紐解いていく作業を誰が、誰が誰がやってくれるのだろうか。
そんなことを考えていると、早く30周年記念誌を見たくなってきました。

「元気でいるか。街にはなれたか。友達できたか。」は、母とさだまさしが良く口にしていました。
「お金はあるか♪」は、母は敢えていつも聞いて来なかったですが。。
金はあまりないけど、明日福岡に帰ります。もちろんまた22年ほど親しんだこの街宮前に戻ります。
ただ福岡に帰る前にアートディレクターでありデザイナーであり、時にはフォトグラファー、コピーライターでもある豊島さんからの宿題をしたためないうちは、新年がいつまでたっても明けないような気がしていて、一筆啓上に至った次第です。

履歴を調べたところ、一年前の今日(2010年12月29日)は豊島さんから目次に使う連盟旗の加工データを送ってもらって、「あれやこれや」といろいろと控えめな意見やお願いをしていました。
それ以降も時には明らかに「無茶な(大変な)」お願いもし、今思うとそのようなお願いを、勇気を持ってし続けて…良かったなぁと...。
その分、先生の気合もウコンの力もサイヤ人がスーパーサイヤ人に進化する如く、ドラゴンボールを7つ集めてしまったが如く、次々と間断なく「傑作数々」の連射でしたからね。ちなみにこの2010年12月29日に初めて「編集長」という名誉あるハンドルネームを賜っているようです。

2010年2月27日、「第一回連盟設立20周年事業に関する理事・事務局員合同会議」というのが、宮前市民館で開かれました。
そこで司会の事務局長が配付した資料。その記念誌担当欄を見て、私は唖然としていました。
遡ること2010年1月30日の連盟役員・副事務会議で、私は笠原副会長の下、「記念誌担当」となり「記念誌担当チームには、フラワーズとフレンズは必ず入れてください」ともお願いしていました。確かにフラワーズもフレンズも、そしてスラッガーズとメイツが、もちろん笠原副会長の名も「理事・事務局員合同会議」での配付資料に刻まれていました。が、私は何故か「イベント担当」に…。その場で事務局長に「何故ですかぁ」ということは大人ですので控えましたが、正式に記念誌担当に変更してもらう(という言い方も元々が記念誌担当でしたので変ですが…)のに3カ月を要しました。

2010年11月7日、宮前市民館で開かれた「実際に記念事業に携わる人たち集合会議」。
事前の根回しもしていないのに私の予想通りのメンバーが集まってくれ、実はこの時点で仕事の半分は終わった感を抱いたものでした。
(豊島さんとはその3年前にフレンズの卒団式で初めてお会いして、「イラストレータ使い」であることも、話しているだけで「正にアートディレクター」だと言う事も、フレンズのホームページで読む「晴耕雨読」を通して、かなりの文章家でもあることも事前に知っていました。が、豊島さんはそれまでの3年で20kgも太ってしまった私のことをすっかり忘れていましたね...)
笠原さんはもちろんのこと、齋藤さん、根本さん、中尾さん、多田井さん、石橋さん、小西さん、荒金さん、井上さん、そして肥後さん…方々の大集合の日でした。

それから時を経た、あの大震災。
記念誌どころではありませんでしたね。こんなことやっている場合かと思った時期もありましたし、それは今でも変わりませんが、その気持ちは別のところにきちんと置いて、今は野球ができる喜びを味わい、そして私たちにできることをやろうと、そう思って歩んできました。
誤解を恐れず敢えていうならば、あの震災を境に記念誌メンバーのチームワークは階段をいくつも昇ったような気がしていました。

ハンドルネーム「社長」は、数々の決断を「瞬時」にしてくれました。トップであるもののあるべき姿です(おこがましいですが…)。
「本部長」と「事務局長」は、過去の歴史を調べ上げ、まとめあげてくれました。本部長とはまるで高校時代の彼女としゃべっているが如く、深夜に1時間以上にも及び話しをした時がありました(たぶん、記念誌仕事はほんの数分で、それ以外の話で盛り上がったような…)。事務局長は、細やかにアンカーマンの役割も務めてくれました。
想定外だったのが、スラッガーズの「肥後之守」。あったかくなった頃の第一公園のバックネット裏で突然奥さん(のちの肥後之守令夫人)を紹介してくれ、以降「記念誌プロジェクトチーム」を一段と盛り上げてくれました。「夫唱婦随」という言葉はこの夫妻のためにあるような、そんな仲間であったことには、誰も異を唱えないでしょう。二人で、区内の大会の歴史やら、イベント時の撮影やら、最後は1,100部にも及ぶ記念誌の納品場所の提供まで進んで買って出てくれ、そしてその重い荷を配付場所まで積み込み運んでもらい、その活躍ぶりをスラッガーズのチームの方々に直に伝えたい位です。
そして「師匠」。傍から見ると、特に忙しくなったような気がしたこの2011年。相変わらずの才能で、数々のプロ裸足の写真の提供に「想定内」ではありますが、感謝しきりです。10月の「国家試験」、「サクラサク」だったことだろうと推測しています。
それから「先生」。もういまさら書かなくてもいいですよね。何かの折りには、いつも相談しますし、お願いをしますからね。

「宮前は人材豊富ですね」。
読売巨人軍、鈴木さんの言葉です。
メンバーで無いにも関わらず、斜め俯瞰から「優勝旗」の写真や「カップ・トロフィー」の写真をスタジオで撮ってくれたメイツ古野さん、ありがとうございました。
ウルフ内田さん、宮前で唯一の1,800万画素のカメラを引っ提げ、毎大会の写真を撮ってくれてありがとうございました。
二人ともに後日談ですが、それぞれがそれにふさわしい職業につかれているとのこと。
まさに「宮前は人材豊富」です。

ハンドルネーム「編集長」として、内緒にしていたことが2つほど...。
1.チーム紹介ページの左上の「帽子の写真」。実は3チームだけ写真の左右の幅が足りなく、バックの芝を合成しています。個別に「校正依頼メール」を送ったので、その3チームはもちろんのこと、今もって誰も気づいていないんじゃないのかな。その3チームを全て当てた人には、私の手作りの「賞状」で、会長にお願いして表彰してもらいたいと思っています。
(ヒント:この記念誌メンバーの所属チームもその3チームの中の1チームです。これが判れば、他の2チームも判るかも?です)
2.最終入稿土壇場で、「ロゴマークの解像度が足りないチームがありますよ」とのメールがデザイナー氏よりあり。久々に怒りまして、トレースを指示。もしそのメールが無かったら、せっかくの記念誌の、中でもそのチームにとってはとても大切な「チーム紹介ページ」を台無しにしていたことでしょう。そのチームの1つが肥後之守のチームのロゴマークだったので、余計に怒髪天でした。そう言った意味では、最後にその確認メールをくれたデザインを担当のけやき平の青木さんにもデザインそのものの質ともども感謝しています。
最終的にこの土壇場でのロゴマークの解像度足りないチームは2チームでした。各チームにロゴマーク送付依頼をし、そのチェックを依頼していたデザイン・印刷担当会社を昨年末に変えた時期と被っていまして、それに起因している私のミスでした。土壇場ながらも完全データで入稿ができ事なきを得た次第でした。。

来年のなるべく早い時期に、記念誌メンバーの「卒団式」をやりましょう。
できれば辰年にちなんで「自分にとってのドラゴンボール(肥後之守令夫人以外は最低限のドラゴンボールはありますからね)」を持って。
社長、差配をお願いしますよ。

では皆さん、素晴らしき2012年となりますように。
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2011年12月29日木曜日

20th記念誌Vol.5序章編

2011年もあと2日余りとなりました。
地球や月や太陽などは、人類の思惑には頓着せず、彼らはせっせと宇宙の摂理に従ってシームレスにくるくる周り巡っているだけなのだけれど。どうしたものか、我々人類の先達が「時間」という概念を発見しちゃったがために、毎年この時期になると慌ただしい、特別な時を過ごすハメになるわけだ。太陽や地球は何の感慨もなく定理に従い規則正しい運動を繰り返すだけなのだけれど、ヒトは特別に厳(おごそ)かな気持ちになったり、または晴れやかな気分になったりと忙しい。
そんな人類の一員である筆者は、この時期のそんな気持ちの起伏が嫌いではない。日本人であることを改めて確認する季節でもある。

そんなこの時期にこのブログでは、こともあろうに年末とは全く関係ない連盟記念誌の連載シリーズを書いてしまうのだ。前回のVol.4では目次編。次の今回のページは各関係者の「あいさつ」のページである。当初いろんな方の「あいさつ」文をいただく案もあったけれど、記念誌ミーティングでそれをバッサリ、シンプルに絞り切ったのは社長こと、Kasahara氏であった。当連盟会長Sohmaさんと、川崎市少年野球連盟会長のMiuraさんだけにしたのである。こういう英断、決断の早さはさすが社長である。
記念誌は公的な刊行物であるとの認識と「オトナ」であることから、この際実名写真入りで掲載しても問題ないでしょう...との筆者の認識から掲載します。

次の4〜5ページは連盟主催による優勝旗と優勝カップである。
「防犯大会」は連盟設立以前からのかなりの歴史ある大会なので、優勝旗が他に比べて色褪せて見える。歴史の重みがあって、そこがいい。これらの撮影は筆者はノータッチだったので、苦労話は編集長のNishimuraさんの弁を待たないとわからないのだけれど、ここはひとつカップに注目いただきたい。
筆者の本業である店舗設計でも経験があるけれど、カメラを向けた被写体が鏡面のような金属体である場合、カメラやカメラマンがそれに写り込んでしまうことがある。これを避けるために白い紙や布でレンズ部分以外を全て覆って撮影するんである。この写真をよーく見るとカップの中心に黒い四角い部分があるけれど、この奥からレンズを構えているのだ。おそらく白い紙でカメラの四方をカバーしたはず。こういう静止画は一見素人にも撮れそうな気がするけれど、スットコドッコイおととい来やがれで、これだけのクオリティーの絵を撮るのは逆に難しいのだ。これは馬絹メイツさんの29番コーチFurunoさんの腕によるもの。記念誌プロジェクトには頼もしいメンバーがいるんである。

ブログを書いてるうちに、30代後半の頃、恵比寿ガーデンプレイス38Fに鮨屋を設計し、その竣工写真に立ち会ったことを想い出した。0時過ぎの深夜。個室を撮影するのにワンカット30分かかる。数アングルのテストのポラを何枚か切って承認、ようやく本番。当時デジカメなどない頃なので通称「バイテン=(8×10)」と呼ばれるごっついカメラを三脚に据えての撮影。
「ハイ、本番行きま〜す....」
との合図で露出時間10秒ほど。その間我々取り巻きは、息を止めてシーンとなる。考えてみればビデオ撮影じゃないのだから音声は入らないわけで、雑談してもいいのだけれど、どういうわけか黙って緊張してしまうのだった。
「ハイ、OKで〜す」とカメラマン。我々は緊張が解けて....
「だは〜っ」と息を吐く。
ワンカットの写真はたった0コンマ数秒で切り取るけれど、そこに至るまでの準備や設営などを考えると膨大な時間が投入されているんである。

次回はいよいよ6,7ページの「少年野球戦国絵巻」編。
でも年も暮れ行くころなのでアップはいつになるやも知れず。
配偶者は今、所用で帰省中。今晩はウィスキー片手にInoueコーチから借りてるDVD、映画「イージーライダー」を観ちゃうのだ。今年10月5日のAppleのスティーブ・ジョブズと同様、昨年好きな俳優デニス・ホッパーも逝去。
う〜ん、「ブルーベルベット」も観たくなってきた。
好きな人がどんどん亡くなっていく近年。それだけ自分も少しずつ「そういう歳」に近づいているのだろうと思う。
実際、まだ若いけどね(^^)
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2011年12月26日月曜日

みんな笑顔で!

みなさんは昨日のイブはどんな晩を過ごしたでしょうか?
私事で恐縮なんであるm(_ _)m
筆者は配偶者と娘夫婦の家で。娘夫の両親も加わり大宴会。
私事で恐縮なんであるm(_ _)m
目に入れてもちっとも痛くないというアレ、Blog初公開なんであるm(_ _)m

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今日、12月25日はチームの最終練習日。
うちは毎年最後の練習日はレクリエーションをやるんである。
最初はドッジボール大会。

大縄飛びなんかもやったりして、子どもたちはメチャ楽しそうだ。

卒業生保護者からの今年の贈呈品は新しい応援幕。グランドデビューした。
その前でみんなでパチリッ!

これも毎年恒例、昼食は母たち手作りカレー大会。
毎年いろんな家庭の味が楽しめるんである。
いつも筆者は子ども用甘口、大人用辛口をよそってもらい、堪能しちゃうのだ。
今年もウマかった、ごちそうさま。

さてこれも例年恒例のメインイベント、子ども対母の試合なのだ。
それにしても今年の母たちはむちゃくちゃヤル気マンマンなんである。試合前には肩ならしにキャッチボールまで始めた。筆者少しでもお手伝いしようと母たちにノックを買って出る。
「一列に並べぇ〜!おめえらエラーしたらグランド10周だかんなっ!」
「ううぃ〜ス!お願いしま〜ス!」
試合開始(^^)

毎年このブログでは母の顔出し写真掲載を躊躇してきたんだけれども、この際テンション上がってるので、まっいっか(^^)
だってみんな読者モデルのような美人ぞろいなんだから(筆者スリ鉢を取り出す)
だってみんな香里奈や松嶋菜々子みたいなんだから(黙ってゴマを投入する)
だってみんな....(必至にスリコギでゴマをスリ潰す)

広報部長・カメラマンとして情けない。
打撃の写真はピントが後方に合ってしまい(広報だけに)、肝心のバッターは若干ピンボケになってしまった。せっかくの美女軍団なのに申し訳ない。
これは全て筆者の不徳の致すところである。
(スリコギ持つ手にそろそろマメが出来る)
しかしみんな笑顔が素敵であった(^^)


毎年見てるけれど、それにしても母たちは予想外に野球がうまかった!マジ。
途中からオヤジたちも参戦し加点するも、結果は15:8で子どもたちの勝利。
子どもも大人も、みんな笑顔で今年最後の楽しい一日であった。

最後に締めくくり、Yanagisawa代表の音頭でマウンドを囲み全員で手締め。

筆者これを見て思った。
連盟記念誌の裏表紙にも使ったアイディア、映画「愛と青春の旅立ち」のラストシーンでの海軍兵学校の学生が帽子を投げ上げるシーンを。
やらせちゃおうっと(^^)
いち、にぃ、さんっ!
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2011年12月23日金曜日

子どもの笑顔は宇宙を救う

ちょっと大上段に構えすぎたタイトルではあります。
「子どもの笑顔は地球を救う」ではなく「子どもの笑顔は宇宙を救う」。

連盟記念誌の「Vol.5序章編」を書こうと思ったけれども、なぜかふと脱力。
仕事部屋の片隅にはTV。ニュース番組の時間帯。画面には3.11以降何度も目にした被災地の子どもをテーマにしたごく普通の取材VTRが流れていた。

その子の笑顔を見たとたんに私は...はからずも....どうしたことか.....目頭が熱くなり。記念誌の文章を書く気が失せてしまった。

今一度、私たちは忘れかけていやしまいか。
記憶の風化の入口に立っていやしまいか。
戦前、戦中、戦後....「戦後は終わった」という過去の有名な言葉があるけれど、
「震災後」はまだ終わってなんかいない。
私たちはとっくの昔に平穏無事な日常を手にしているけれど。

それでも子どもたちの笑顔を、消え失せていない瞳の輝きを見ると心が洗われる気がする。
「子どもの笑顔は宇宙を救う」と書いたけれど、
子どもの笑顔で本当に救われたのは私たち大人なのかもしれない。
Le* Sourire
こども夢花火-10年先の花を咲かそう
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2011年12月20日火曜日

卒業生を送る会2011(2)


昨日に引き続き「送る会」のPART2、後半である。(長文です。今のうちにトイレへ行っておいてね)

毎年6年生保護者からチームへ贈呈品がある。筆者の娘の卒業の時はベースを贈った。当時はスライディングして触塁するとキャンバス地で出来たベースはいとも簡単に、地を這う手裏剣のごとくすっ飛んで行くヤツだったからだ。今でもゴム製のベースをひっくり返すと当時の卒業生の名前が書いてある。十数年前のものである。
今年はバットケースと....横断幕=応援旗である。
2000年に作った応援旗を一新し、新応援ロゴを配したもので筆者がデザイン制作。当初ネットでチョイスした業者で見積をとり生地サンプルを取り寄せ、発注の寸前までこぎつけたのは11月下旬。しかし仕上がり感にどーにも納得がいかない。その業者への最終発注のボタンをクリックする直前で思いとどまった。
「安いけれど本当に悔いはないか?」
完璧を期するスティーブ・ジョブスの声が天から聞こえた(ような気がする)。
再度イチからネットで検索してみる。数社に絞りその中の一社、栃木の「幕壱」さんに決めた。完全データを送り再度印刷生地サンプルを請求確認し今度は納得の上で発注。最初から最後まで製作過程での逐一の丁寧な対応、誠実さに満足である。自宅へ届いた完成品も素晴らしいモノだった。
このお披露目をサプライズ的に演出するために、古い幕の裏にこの新しい幕を仕込み、「幕の除幕式」を密かに計画。古い幕をバッサリ床に落とすと「せ〜の」で新しい応援旗が現われるという寸法。カーネギーホールでのスタンディングオベーション同様...とまではいかないが、「おお〜!」との歓声が上がる。上々であった。

卒業生保護者の挨拶。今年は「涙」を見せてくれたのはOnoちんママ。幼稚園の女児が道に迷って泣いてる姿のようであった。普段の豪快さとは裏腹に可愛らしい一面を垣間見た(^^)
鷺沼ヤングホークスさんや「台風一過」さんみたいにDVDのスライドショーをやれば絶対涙涙の感動ものなのだけれど、未だ実行に至らず。なぜやらないかって?毎年やること目一杯なのに、これにDVD制作の激務を加えたら筆者絶対過労死するのは間違いないからだ。卒業生保護者の涙を見る前に、筆者の家族が涙を流すハメになっちゃう。

佳境である。
実は来年は監督が交代する。
Satoh監督はOB選手の生え抜き監督であった。子どもからの人望も厚い熱血野郎の好青年ではあったけれど、彼もいつの間に来年30歳の大台になる。Satoh君の固い意志により来年の監督は辞退し普通のコーチとしてフレンズを支えることになった。このあとの二次会に来た彼の弁で正式発表。オイオイもしや来年結婚か?との口撃で盛り上がるが、彼の持ち前の曖昧さ加減のノラリクラリ戦法でこの難局は乗り切ったようだ。
新監督は現29番のOtsuboさんが就任。
学校の先生に例えれば、聡明で真面目でいつもニコニコ時に厳しい学年主任が、教務主任に昇格したような好人物。きっと来年の子どもへの監督賞は富士通の最新ノートパソコンに違いないと期待するんである(^^)

最後に集合写真をパチリ。
今年も和やかな雰囲気で会を終了することが出来た。
陰で大変な準備をしてきたInoue母はじめ全員の親たちに感謝したい。

さて余談ではある。
二次会は卒業生保護者主催で有馬の老舗名店「葵扇寿司」にて賑やかに大宴会となり、その後有志というか残党10名ほどがカラオケスナックへなだれ込み勝手に独唱大会。更にあろうことか、その中の落ち武者オヤジ3名はビールとお茶漬けを求めて居酒屋へもぐり込みラストオーダー30分勝負を終えてやっと解散。
しっかし、よくやるよねえ〜...。

落ち武者オヤジの一人が筆者であった(^^)
帰宅し洗面所の鏡をのぞくと、鏡の向こうで、見たことのある顔の落ち武者が俺を見ていた。
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卒業生を送る会2011(1)

夏の合宿と冬の送る会は少年野球チームの2大イベントと言っても過言ではないであろう。

スポーツ少年団ではないから「卒団式」じゃないし。
部活でもないから「卒部式」でもないし。
学校ではないから「卒業式」ではもちろんないわけで。
学童野球に属する場合、なんて言えばいいのだろう?
宮前Queensでは6年生を送るから「六送会」というようだ。
いち団体を旅立つのだから「卒団式」でもいいのかな。
うちのチームでは「卒業生を送る会」と言っている。それが昨日の日曜に開催。

会場は昨年から利用している地元近隣のオンワード研究所内の、おしゃれなレストランを借り切っての開催。Kanedaコーチの乾杯の音頭で始まった。

地元有馬の川崎市会議員織田さんにも駆けつけていただき、ご挨拶をいただく。
六年生と五年生は同じ中央の円形テーブルに着席。カメラを向ければお決まりのピースサインは全国共通である。百貨店の商品券に匹敵するんである。
「それではしばらくご歓談を...」の合図と共に、フレンズ広報部長の筆者は速攻でバイキングの列に並ぶ。もう何年も前から経験値として知っているんである。こういう会では一部の進行役や写真撮影で、ほとんど料理も酒も口にするヒマがないのだ。昨年はビール2,3杯とツマミ2,3品だけであった。だから今年はパスタ2種とピラフの炭水化物強力トリオを速攻で胃に収める。

男性でもグラスやマイクを持つと、必ずといっていいほど小指を立てる人がいるんである。2009年の国民白書によると「あなたはマイクを持つとどうしても小指が立ってしまうほうですか?」という問いに対して、「はい」が「いいえ」を凌駕するまではいかないまでも、以外にも全体の9.3%を占める結果を得られたという。これには内閣府の統計係官も少なからず驚いたようだ。

もちろん嘘である。
我がフレンズコーチきっての愛妻家であり、かつてはT大S模でその豪快左腕を全国に轟かせた....かどうかはわからない、Yanagisakiコーチの左手小指はお約束どおり、お茶目に立っていたのだった。
年間成績表をA1サイズで作った。うちのプリンターは職業上A3出力対応なので、4枚に分割し貼り合わせてA1に。今年の成績で特筆すべきは首位打者の主将Nabeである。6冠を取った。首位打者としての打率4割3分は少年野球では決して珍しくない成績であるが、長打率が凄かった。普通単打が一番多く次に2塁打、3塁打、本塁打とだんだん少なくなっていくのが常であるけれど、Nabeの場合単打よりも2塁打が断然多く、結果長打率は5割6分6厘である。つまりヒット数のうち半分以上は2塁打以上を打っている計算になる。長打率は足の速さも影響するけれど、ちょっと驚いたわけで。
さてさてブログ一気呵成に書こうと思いきやの午前2:30。
この続きは明日の朝刊で...。
嘘である。
TVの通販番組では「ちゃん・軍足」のプレミアムオリジナルグッズが今ならなんと9,800円などと叫んでいる時間なんである。
こっちのブログは閉店ガラガラなのだ。
明日また!
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2011年12月18日日曜日

黄昏(たそがれ)

なぜか黄色が好きだ。小学生の頃から。
特に山吹色。クロームイエロー。
「黄昏」と書いて「たそがれ」と読む。
「黄」は夕まぐれの空の色。「昏」はほの暗いの意。
「誰(た)そ彼(かれ)」
夕暮れの時分、あの人は誰?人の判別がつかなくなる時間帯を表す。

「黄昏」...転じて終わりに近づかんとする短い期間をも意味する。

毎年この時季の銀杏の落ち葉を見るとそう思う。
終わりに近づいていても、しかしその色は光輝く黄金のようだ。
昨年も書いたけれど、エルトン・ジョンの「GoodbyeYellowBrickRoad」
さようなら、黄昏のレンガ路。
「黄昏」
若い頃パリへ向かう機中で観た、
H・フォンダとJ・フォンダ親娘共演の映画「黄昏」をふと想い出す。
黄色い銀杏の映像が印象に残っている。

明日、6年生が別れの時を迎える。「有馬フレンズ卒業生を送る会」
子どもは至って明るく元気だ。
感傷的になるのはいつも親のほうだ......。

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2011年12月17日土曜日

20th記念誌Vol.4目次編

冊子制作は必ずしもオモテから順番どおり、表紙→目次→挨拶ページ→.....と制作するわけではない。実際いずれ掲載する6,7ページの「宮前チームマップ」に最初に手をつけたんである。これを少しずつ形成しながら、他のページをも同時進行で作っていった。その過程で作ったのが目次。そもそも「このページとこのページと....はTeshimaさんにお願いしたい」とNishimura編集長がご指名。ドラフト一位指名されれば頑張るしかないし、俄然意欲もこんこんと湧いてくるというもの。そのうちの1ページの目次だった。編集長というよりキャスティングや予算管理もこなすプロデューサー兼ディレクターでもある。

冊子タイトルは「夢・未来・宮前」
Apple社のMacやiPod、iPhoneなどを持っている方なら見慣れているはずの、ロゴ・フォント(文字)の陰。数年前このスタイルをAppleが公開して以来、透明感のあるデザインは例によって世界中を席巻したわけで。私もいくつかロゴを真似して作ったものだ。Appleの1000分の1にも満たないけれど、ちょっぴり「夢・未来・宮前」にも応用。「スマスマ」とかでスマップの5人が歌うステージはピカピカで、床にうっすら5人の影が映り込むような、アノ感じ。

おお〜、フト気がついちゃったんである。未来の「来」の文字が左右ド真ん中に位置していることに。電光石火で「来」の縦棒の先端に未来へ上昇するイメージで矢印をつけた。タイトルはもうこれでOK。

10周年記念誌を参考にしながら、連盟旗を入れて欲しいというのがN編集長のディレクション。10周年記念誌に載っている写真をスキャナーにかける。
1=しわっしわっであった。シミも散見された。滅多に使わないからなあ。
2=全体が暗いのでPhotoshopで明るく補正。多少わざとシワを残した。
3=ベースを真っ白にし、宮前のシンボルマーク部分の色もベタに塗り替える。
4=下の漢字ロゴ。近似フォント(ピッタリのがあった)を探し入力しなおす。
これらをプロジェクト会議に提出。私は2の旗感が感じられるシワシワバージョンを推したのだけれど、N編集長は毅然と4を主張。のちにこれが正しい選択だったことに気づく。いくらなんでも黄ばんでいるモノじゃあね。「旗」ではなく「連盟マーク」と解釈すればいいわけで。結果4が採用された。マーク部分も私がIllustratorでトレースし新規に作ることにした。

川崎市宮前区のホームページや印刷物や街頭の看板などの資料を集めてわかったこと。以外にもパソコンで拡大すると、稚拙な仕上がりなんであった。曲線がどーにもこーにもバランスが悪いんである。トレースしながら微妙に補正を加える。それにしても著作権などどうなってるんだろう、などと思いつつなるべく考えないようにした。既成事実というヤツだ。
目次のテキストの上に記念誌のマーク。これはプロジェクトチーム発足前にすでに編集長が知り合いに作ってもらっていたものだ。これを配置して完成。
今になってちょっと全体的に頭の文字関係が大きすぎたと反省。
おっと「タモリ倶楽部」が始まっているんで今日はこのへんで。
あさってはいよいよ「六年生を送る会」
こちらの準備も大変なんである。
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2011年12月15日木曜日

20th記念誌Vol.3表紙2

むむ...。昨日のブログはどこまで書いたっけ?昨日の昼メシも思い出すのに苦労する今日この頃であるわけで。
と、見え透いた冒頭文を書いてしまったことに後悔しつつも、決して書き直そうとはしない自分はやはり、面倒くさがり屋なんだなと今更ながら自覚する今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

素晴らしい、企図したとおりの、いやそれ以上の表紙の写真が上がってきたというのに、ナニカが足りないと悶々とする中年オヤジの苦悩の日々....で、終わったのでした。頭の中に薄い靄(もや)がかかったように。山道のドライブで立ち込める霧が前方の視界をさえぎるように。
決して偶然ではあるまいヘルメの配置。鬼...いや大編集長Nishimuraさんのセンスであろう、色が偏らないようにディレクションしたヘルメの配置、色の配分も申し分ない写真なのに。

この写真ではリトルグリーンズさんのロゴが古いのと、ワイルダース、モンスターズさんのロゴが貼ってないのだった。後日東奔西走し3チームのロゴを手に入れ、グラフィックソフトでとりあえずロゴを「合成」した。その時....。

ん、合成?...ごうせい?...こうせい、ああせいと神が囁(ささや)いたのであった。

ヘルメが20個。連盟が20周年。「みやまえ」の文字を入れねばならない。
N編集長から「みやまえ」という言葉を入れてくれとの条件があったのだ。
これにテキストフォントを打ち込み写真に重ねて「20周年みやまえ」なんてやるにはあまりに稚拙である。
神が囁いたではないか、合成、ああせいと。

次の大会で行った第一公園。Kasahara社長とN編集長とマウンドへ歩み寄り、私が棒切れで「20」「みやまえ」と描いた。
NikonP100で切り取る。

この文字の写真の合成はかなりシンドイ。
身長に合わせて新調したスーツに慎重に袖を通すように、写真加工に挑む。
ダジャレを言ってる場合ではない。
文字部分だけ切り取りヘルメの写真に移植、異色の合成写真の出来上がり。
ダジャレを考えてる場合ではない。
タイトルなどのフォントの選択やポイント数、レイアウト、色の調整....etc。
時間をかけて完成。自分の感性に思わず歓声!
ダジャレを連発してる場合ではない。

次回の「20th記念誌Vol.4」はいつになるやも知れずとも、不定期に連載シリーズ化としたい。
ちなみにこの冊子は公式刊行物ゆえ、この個人ブログで公開するにあたっては一応連盟に快諾を得ておりまする。鬼、ではない、仏のN編集長にである。
だってこの「晴耕雨読」は、宮前の或いは日本の少年少女野球全部を応援するブログでもあるのだから。
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