2017年9月29日金曜日

小説「月に雨降る」51

龍一のもとを去り自由が丘の実家にも別れを告げた希伊は迷うことなく金沢へ向かった。実の父、母である氷室伊三郎と希沙子のことを知るために。そして自分自身のことを知るために。決して多いとは言えないまでも当面の生活に困らないだけの蓄えはあった。しかし安いアパートを見つけるとすぐに飲食店でのバイトを始めた。東京でのバイト経験を生かせることに加えて、賄(まかな)いが出るので食費が大いに助かることが飲食店を選んだ大きな理由だった。がむしゃらに働いた。数ヶ月後、帰りのコンビニでいつも買う最低限の食料品以外にも、自分へのご褒美にと、ささやかなスィーツを買える余裕が出てきた頃、野田山の両親の墓へ行ったのだった。あまりにみすぼらしい墓石と対面した希伊は、会ったこともなく顔も知らない父と母に、自分を生んでもらったことへの感謝の気持ちを伝えた。この時ほど自分の父と母に会いたいと思ったことはなかった。次の瞬間嗚咽がもれ、墓石に抱きつくとやがて声を出して慟哭(どうこく)した。一生懸命働いていつか必ず立派なお墓を建てるからねと、亡き両親へ約束して野田山をあとにしたのだった。

バイトの飲食店は石川県下にファミレスや焼肉店など十店舗ほど展開するそこそこ大きな外食企業だった。かつて池袋の店で龍一がそうだったように、希伊は店長に頼んで通しのローテーションを多く組んでもらった。ほとんどアパートへは寝るために帰るような生活だった。一年もしないうちに正社員として働くようになった。会社に認められて社員に迎えられた希伊はますますその手腕を発揮するようになった。自分でも飲食接客業に向いていることを知った。会社規模も大きくなるにつれて数年後には管理職にまで登り詰め、社内では女性初のエリア統括部長にまでなった。業績もアップし会社への貢献度は相当なもので、店舗数も徐々にではあったが更に多店舗展開するようになった。しかしその裏で資金繰りが手詰まりになることもしばしば発生し、経営に大きな影が忍び寄ってきたことは役員しか知らないことだった。その頃の希伊は気がつけば三十路をとうに過ぎていた。希伊の夢はいつか独立し自分の店を持つことに傾倒していった。

順風満帆に見えたある日の朝礼の時、社長の挨拶に社内に衝撃が走った。突然東京の大手企業に吸収合併されることになったのだった。その企業名を聞いた希伊は驚きとともに暗澹(あんたん)たる思いに心が落ち込んだ。相手企業の名は「FMコーポレーション」。フォーエバーマウンテンの頭文字を社名にした、いかにも稚拙(ちせつ)で安易な発想で名付けた社名にげんなりした。「永山」の名を冠した社名。赤ん坊だった希伊を違法すれすれで引き取り育てた永山剛の会社だった。
約三十年ほど昔、巨大資本FMが最初に石川へ出店した店舗は当初2年間は黒字を計上していたが、その後徐々に売り上げは下降し、業態転換やブランドの首のすげかえなどで凌いでいたが、赤字がかさみついに地元の不動産屋に売却することになった。回復の見込みのない店舗は容赦なくスクラップアンドビルドで消えて行く。その後も石川県への進出ペースは鈍り他県に比べて最も店舗数の少ない県となった。強引な経営手法と潤沢な資本にものを言わせて永山が下した経営判断は、地元の飲食チェーン店を取り込んでFMの傘下に収め、一気に数字をV字回復することだった。格好の餌食となった希伊の会社は、恐竜に睨まれた小動物のようにがぶりと飲み込まれてしまったのだった。

思ったらすぐに実行に移す即断即決の希伊は、動揺でざわめく社員を尻目にその日の午後には辞職願いを提出し会社を辞めた。永山の家で育った希伊は贅沢の味を知っていたが、家を出てからは金の無駄遣いを極端に嫌った。反面教師だった。おかげで希伊にはそれなりの貯金があったが、会社を辞めてからはまたがむしゃらに働くことを選んだ。宅配便のドライバーや深夜の仕事に至るまで、様々な仕事を経験した。自分の店を持てる資金がある程度溜まった頃に仕事先で出会ったのが翔子だった。彼女は一人息子和也と暮らす離婚歴のある年上の女性で、希伊と同じく飲食店を開くことを目標に生きていた。お互いの家も行き来するような親しい仲になった。時に幼い和也を預かったり面倒をみているうちに、希伊の子どもに対する「畏(おそ)れ」に近い偏見のようなものもすっかりなくなっていき、むしろ自分は子ども好きだったのだと気づかされるようになった。

意気投合した二人は、共同出資しやっと念願の店を持つことになった。資金は7:3の割合で翔子が多く負担したが、出店の際の店舗改装や店名の考案などは希伊の希望で全部任せた。理由は希伊が飲食店のプロだったことや、実際の運営は子持ちの翔子よりも希伊が中心になるということもあったが、それ以上に希伊がどうしても店舗や店名にはこだわりがあって、譲れないものがあることを知っていたからだった。
物件を探している中ですぐに目に留まったのが「赤い屋根の店」だった。龍一と暮らしていた頃遊びに来た金沢で一度立ち寄ったことのある、希伊には思い入れのある店だった。しかも探していた諸条件にほぼ合致したもので、古い物件だったことも手伝って格安で取引が出来た。二人は現場を見て即決し不動産屋から所有権を移した。

店舗を改装しようと不動産屋から正確な現存図面を取り寄せた希伊がそこに発見したものはあまりに衝撃的だった。かなり古い図面のコピーだったが、平面図の左下に記載されていた施工会社名はこう記されていた。
「一級建築士事務所 有限会社 氷室工務店」
鳥肌が止まらなかった。
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2017年9月26日火曜日

負けても研鑽努力

野川台フォルコンズは西野川小を本拠とする、Queens所属選手の多いチームである。かつての連合を通じて、フレンズ父母ともいまだに交流のある父母も多い。有馬小とも距離的に近いんである。
そのフォルコンズとQueensの練習試合なんであった。
監督はF、Tanakaさん、Q、Koshimizuさん。二人とも「ちょいワルオヤジ系」であるが、Koshimizu監督のちょいワルは年季が違う。
主審はTohko父、Ueshimaさん。
先発は宮前ヤンキース選出のひとり、ただの速球ではない豪速球派のFujiiくん、QはエースAyaka。

イケメンオヤジと美人妻のカップル、SachikoのPierce(ピアス)夫妻。Jeffは今日は仕事で少し観戦してのち、慌ただしく西野川ドームを後にした。
(LINEスタンプの帯はちょっと遊んだだけで他意はない)
Fの投手陣と堅守にQは三振と凡打の山ではあったが、これもジャビット、川崎秋季へ向けての貴重な鍛錬となるはずだ。

Q姫でありF選手でもあるMiku。速球を打ち返しては両軍ベンチから拍手、強烈打球をセカンドで処理してアウトにしては両軍ベンチが湧く。微笑ましくも楽しい場面であった。



Qベンチに帰還しTohkoたちにレンズを向けると、自らピースサインをしてくれた。
女子ならではの場面。みんな先輩後輩というより、姉妹のような関係なんである。男子にはない、Q姫ならではの伝統的な関係性なんである。

さすが主将Ayakaであった。起死回生となるか、痛烈な(?)二塁打を放った。他のQ選手にも強烈なライナー性のファウルボールが飛び出すたびにFベンチから「おお〜!」と驚嘆の声。



Q&F、お互いにピッチャーを順々と交代しながら研鑽を積むんである。

特筆はフォルコンズ。数人で投手リレーしたのだが、全イニング無四死球試合を敢行。たいへん立派なものである。
..........オマケ。
煙草休憩に行ったんである。
そこに雑然と寝かせて並んでいたのはFオヤジたちの煙草のパッケージ。瞬間的に想起しちゃったのは、縁日の屋台でお馴染み、「射的」なんであった。おもちゃのライフルのコルクでぱすんぱすん、ぺちぺち、ぺこんぺこん打つ、アレである。

でもって寝かしてあった煙草をそれ風に並べてみたんであった。僭越ながら筆者のエコーとZippoもお仲間に加えてもらいつつ。.....。捧げ〜銃!(つつ)
誰か、おもちゃのライフル持ってきて〜!
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2017年9月24日日曜日

平らな坂道?

先日は小説「月に雨降る」の佳境を迎えた場面をアップ。少年野球ブログにあるまじき、いわゆる「濡れ場」のシーンは極力抽象的な表現を用いたのだけれど、そのせいかどうか、いつもなら小説アップ時にはいわゆる「いいね」に相当するボタンが3から4くらいあるんであるけれど、今回は全く押されていなく、ゼロなんであった。うーむ、小説のリアリティーを求めるならば、構成上どうしてもこの場面をはずすことは出来ないので、苦労して表現したのであったが、ベッドシーンが裏目に出たのだろうか。少し気になっている今日この頃なんである。
今日Queensで二人の母がその感想を短く話してくれた。「あれは18禁マークね」と嬉しそうに言うし、もう一人は「読んでてドキドキしちゃった」とニッコリしながら言ってくれたんである。かなり救われた気持ちだった。
この小説は文庫本で言えばあと数ページ残すのみなんである。(と、思う)

さて今日日曜はQueensと野川台フォルコンズの練習試合であった。スケジュールが右往左往したけれどやっと確定、来週はシスタージャビット大会(めっちゃ強豪のVS東久留米@第一公園)、その翌週は川崎秋季大会(VS多摩区@御幸球場)なんである。それに備えての練習試合なんである。

しかし今日はそのブログは後日としたい。例によって写真チョイスで疲れちゃったからである。「おいおい、こんだけ今書いてるんだから、疲れてないじゃん」と言うのはナシである。オトナの事情というものを忖度されたしなんである。

とは言うものの、イタズラ心がむくむく涌き起こって今日のブログ。
フォルコンズの本拠地西野川ドームには何度も来ている。大昔ここで試合をやった時に、当時のフレンズにはYasukawaがいた。筆者が知る限り、フレンズ史上5本の指に入るほどの類い稀なる身体能力を持った子だった。その彼が1番先頭打者で打席に立ち、試合開始直後その初球を叩き、体育館の屋根に突き刺さる「先頭打者初球本塁打」を放ったことで強烈な印象が残っているんである。(当時は今のライト地点をホームベースにしていた。体育館はレフト外野だった)

更に今日写真を撮っていて思い出したのだった。
2009年だから8年前に書いたこのブログの黎明(れいめい)期、当時は面白可笑しく1枚の写真に比重を置いて様々な工夫を凝らしていたんである。外野フェンスに掲げられた「しぜんのさかみち=自然の坂道」

これをパロった写真がこれ。当時はのちに監督となるFukumotoさんが29番をやっていた記憶がある。
「しぜんのさかみち=自然の坂道」を、
「きゅうなさかみち=急な坂道」にしちゃったわけで。
当時のブログURLは下記。まだ自分のことを「筆者」ではなく「私」と気取って書いていた、稚拙(ちせつ)な文章のオンパレードであった。お恥ずかしい限り。
「勝つためには何をすべきか」2009年11月

これを思い出した以上、今回もこれを看過するわけにはいかぬではないか。
現在は看板がカラフルに新しくなった。これ。

でもって、今回もパロってみた。
良く見ればこの部分は「急な坂道」じゃないじゃん。勾配がなく平坦なので「たいらなさかみち=平らな坂道」にしたんである。FALCONSのロゴはオマケ。

写真合成してから気がついたのだった。
「おいおい待てよ。平らな坂道?」
地球上どこを探しても「平らな坂道」という場所は存在しないではないか。おそらく月や火星や冥王星に行っても「平らな坂道」というのはないはずである。
ご笑納下されまし、なんであった。
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