2014年2月27日木曜日

雪解けの日

グリーンカップで宮崎台バーズとの接戦をものにした。お互いに内容は悪くないものだったけれど、フレンズは薄氷を踏む思いでの逃げ切りだった。
試合後は鷺沼小スタジアムへ移動して、鷺沼ヤングホークスBとの試合なんである。
いるいる、Queensのちっちゃい姫たちが。Ayaka、Yuri、Kurenaの3人である。それに第一公園ドームに行っているヤングAには今年6年生のSunaoもいる。ヤングホークスは毎年宮前きってのQ戦士を輩出している、姫たちの宝庫なんである。歴代主将のMeikaやHimariもヤングなんであった。(Q戦士といっても決して「愛の戦士Qティーハニー」のことではない)

フレンズBvsヤングBといっても、主力ヤングAチームはごっそりグリーンカップに参戦しており不在だ。ゆえにヤングBはむしろ低学年チームといったほうが良いだろう。対してウチは新6年3人を外した純正新5年生以下のBなんである。勝ち負けは二の次でいい、大雪で何も出来なかったこの3週間を吹き飛ばすような、元気なプレーを互いに見せて欲しいものだ。

先発はY、Takadaくん、FはRuiをショートに外しKyouでプレーボール。

結果は火を見るよりも明らかである。18:3。とかくこういった試合では相手チームの失策や四死球で芋ずる的、ごっつあんゴール的、棚ぼた的、ねずみ算的得点が多かったりする。昨年まではうちがこれでいくつも悔しい思いをした。しかし今日は18得点に対して8本の安打を記録。圧倒的に強いチームならばこれでも物足りない数字だろうが、ウチにとってはなかなかの数字なんである。
途中から名門ヤングのAチームKurosu、Ishikura、Takahashi3氏の指導陣と煙草談義。
グリーンカップでは古豪花フラに敗れたらしい。バーズvsフレンズ戦と同じく3:2の接戦だったとのこと。
そうともつゆ知らずヤングBのちびっこ選手たちは頑張っていたぞ。

かつてQueensの草創期に我がフレンズからもQ戦士を輩出したことがある。チームでは紅一点だったHarukaだ。「記録よりも記憶に残る」子だったらしい。...らしい、と言うのは当時筆者はQには全く関わりがなく、知らなかったんである。Q監督Koshimizuさんと話していて言われた言葉だった。もし当時からQueensに関わっていたら、或いは自分の娘が現役の頃にQueensがあって関わっていたなら、今頃は広報部長ではなく、常務取締役くらいになっていたかもだ。
フレンズコーチとしてではなく、Queensのいちスタッフとして、当時のQのHarukaを見たかった。これは今でも悔やまれるんである。

さて、そんな状況でフレンズからもQ戦士を輩出しちゃうかもしれないんである。
熱血野球オヤジのTomiokaさんの愛娘Kurumiである。Tomiokaさんはプロを目指して3球団のプロテストを受けたくらいの、真性野球バカのオヤジだ。一方破顔一笑のジョークも飛ばせるユーモアセンスの持ち主。そのKurumi本人がQueensに行きたがっているんである。春になったら第四公園スタジアムへ遊びに行こうと話している。話しかけても、こくん、と頷くだけの口数の少なさは筆者の娘を思いださせて、余計に可愛いのである。
PHで打席に立ち四球で出塁しWPで3塁へ。三本間に挟まれて右往左往する姿は微笑ましい。おそらく彼女にとっては人生初の衆目を浴びた場面であったろうと思う。
試合後SunaママことQのKitamatsu母がフレンズベンチへ疾風怒濤のごとくやってきてこう言った。
「Tさん、あの女の子ぜひQueensに!」
スコアラー兼母会代表兼新人スカウト本部長なんである(^-^)

今年もやっと少年野球シーズンが始まったと思える2月のある日曜であった。
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2014年2月25日火曜日

天からの観戦

グリーンカップ開幕である。開幕といってもどちらかと言えば、プロ野球でいえばオープン戦に近い感覚と筆者は思っている。参加チームには11チームの制限枠があり、宮前全チームが参戦出来るわけではない。春季の日程に影響してしまうからだった。村山杯同様、昨年の優勝チームが幹事を務める。開会式の模様を撮っていて、フト気づいてしまったんである。

この瞬間って、知らない人が見たら「優勝旗返還」なのか「優勝旗授与」なのかいったいどっちなのって思ってしまうはずだ。偶然優勝旗をGスポーツ主催者と有馬子供会主将とが握っている写真。これを閉会式の「優勝旗授与」と言えば誰も疑わないだろうて。
しかしこれが開会式の「優勝旗返還」である証拠が2ヶ所ある。
1=白線が乱れていないこと。
2=背景に監督コーチが並んでいること。
(Kasahara副会長ならすぐに分ったであろう(^-^))

オフシーズンが終わり、久々に第一公園ドームへ行ったら驚いた。
あの3塁側から丘の上アルプススタンドへ至る狭い坂道が見違えるほどのリニュアルを果たしていたんである。雨上がりに初めてこの獣(けもの)道を通る「初心者」は子ども大人問わず、すってんころりの洗礼を受けた人も多いはず。市会議員のOdaさんが連盟の陳情を速攻で実行に移したものらしい。感謝である。

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今年初めての試合である。
昨年試合を6試合も組んだ宮崎台バーズとの対戦。奇しくも春季大会も初戦は同じカードになった。まるでTakahashiさんが引き合わせたかのように。
今月はじめにバーズTakahashiさんが亡くなられたことは、以前のブログで書いた。今日は氏の追悼試合でもある。両チーム共にユニフォーム左袖に喪章をつけて臨む。相手チームに対しての礼儀であり、また子どもたちにも親への感謝の気持ちや、好きな野球が出来ることの意義を少しでも感じてほしかった。フレンズ母軍団は母ネットワークを駆使して2,3日でこの喪章を全員のユニフォームに縫い付ける。大人全員の分も用意してくれた。
試合前に今年からKobayashiさんに代わり、バーズ新代表となったKawataさんと長く話し込んだ。Takahashiさんにまつわる話は尽きない。亡くなる前日はTakahashi親子がKawataさん宅へ来て、夜遅くまでバーズの将来の展望について酒を酌み交わしたそうだ。

試合前にはTakaiさんの声掛けにより黙祷。
その光景にカメラを向けるのは不謹慎のような気もしたが、Takahashiさんにこのブログを見てもらおうと心を鬼にして写真を撮った。撮影後すぐに慌てて筆者も黙祷した。

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試合開始。主審の右手が挙がる....「プレイッ!」
追悼とは別に試合は試合、勝負は勝負。
いよいよ今年最初の試合開始である。

Fの先発Ruiが初回を凡退に抑えると、その裏の攻撃では四球・補逸がらみで1得点。
しかし2回表すかさずBはFの失策に乗じ、安打とスクイズで2得点の逆転に成功。
4回裏Fの攻撃。簡単に2死に倒れて走者なし。しかし四球で出塁のHiroを5番Yuiが3塁線をぎりぎりに破る3塁打の適時打で帰し、続くRuiの内野安打で一気に逆転3:2。
最終回ではこれも2死走者なしから、Bは1番Takaiくん、2番Inoueくんが連続四球を選び、盗塁をからめて2死2,3塁。ワンヒットで同点、長打が出れば逆転の緊迫した場面を迎えた。
しかし、結果は途中からリリーフのHiroがなんとか抑えきり、ゲームセット。

久々に痺れる展開にF軍ギャラリーもベンチも盛り上がった。
今までのフレンズならあそこであっけなく逆転を喫して下を向いてしまう試合がいくつもあった。


昨年Takahashiさんとの交流から、いくつもの試合をバーズとやってきたけれどフレンズは全敗であった。なんとしてでも勝ちたかった。そしてそんな話をしながら楽しく彼と酒が呑みたかった。今日やっと、天にいるTakahashiさんと旨い酒が呑めそうな気がした。
敗れたバーズにはどこか申し訳ない気持ちがあったけれど、勝負は勝負。
Takahashiさんやバーズ指導陣、父母たちにも分ってもらえるはずだ。もう一度春季ではお互い頑張ろう。
試合後の夜、バーズTakaiさん、Kawataさんからメールを頂いた。真摯な文面に逆に感謝。一歩間違えば結果は逆だったはずの接戦。薄氷の勝利であるFは今度は受けて立つ立場に。心を新たに臨みたい。

試合途中ふと見上げた空は曇天。
でもそこには夫婦仲良く、笑顔でこの試合を見下ろしているTakahashi夫妻がいたような気がした。
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2014年2月22日土曜日

俺の「晴耕雨読」

チャーチルズ・マティーニというのをご存知だろうか。

そもそもマティーニというカクテルは超シンプルなれどカクテルの王様なんである。しかもドライになればなるほど通好みなのだ。ざっくりとしたレシピはこんな感じ。筆者二十歳そこそこの若い頃銀座と赤坂のバーでバーテンダーのバイトもやっていたんである。

1●マティーニ=ジンに少々のドライベルモット(例えばチンザノドライ)を加えステアーし、カクテルグラスに注いだあと、おもむろにスティックに刺したスタッフドオリーブを落し、最後にレモンピールをぴゅるっと振って出来上がり。
これをステアーではなくシェーカーでシェイクして作ってはいけない。水っぽくなって呑めた代物ではなくなるからだ。昔シェイクして出してきた店に猛抗議して作り直させたことがある。

2●ドライマティーニ=上記ジンに加えるベルモットを少なくし、一層ジンの辛さを際立たせる。普通はこれが主流。

3●エキストラドライマティーニ=ほとんどジンオンリーである。ほんの僅かなベルモットを1,2滴垂らすだけにとどまる。

4●ベリーエキストラドライマティーニ=ベルモットのコルク栓をぺろり舐めてからストレートのジンを呑む。

筆者は3番目の「エキストラドライマティーニ」が好きだ。自分をいわゆる「通」だとは思わないが辛さと甘さのバランスが程よいのである。
ところがこの上を行く究極の「スーパーエキストラドライマティーニ」があるんである。
昔から喧伝されているいわゆる「チャーチルズ・マティーニ」
英国歴代首相の中でもひときわ記憶に残るあの、ブルドッグのような人相と歯に衣着せぬ物言いで有名だった第二次大戦時代のあの人である。彼が好んだマティーニとは....。

●チャーチルズ・マティーニ=ベルモットの瓶を眺めながらストレートのジンを呑む。

真偽のほどは別として楽しい話ではある。

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さて今日、ある友人家族からとんでもなく素敵な贈り物をいただいた。
薩摩焼酎で「晴耕雨読」なるものがあるとは以前から知っていた。機会があれば一度呑んで、いやお目にかかりたいと思っていたんである。友人のおかげで今日、「晴耕雨読」にお目もじ叶うことになった。

「晴耕雨読」とは中国の故事や四字熟語ではなく、れっきとした日本の書物のタイトルなんである。筆者読んだことはない。主客転倒も甚だしいものだ。
簡単に言えば「晴耕雨読」とは「晴れの日は額に汗して働き、雨の日は読書に勤しむ」
ボトルの裏のラベルを見たらこんな文章が引用されてあった。
「....人生最高の楽しみは贅沢栄達にあらず、...中略....歴史の英雄豪傑を罵倒する、酒と楽しむ読書にこそあり」

友人に感謝したい。
今晩はこの「晴耕雨読」のボトルを眺めながら、これを酒の肴にして安いウィスキーをあおる筆者なんである。チャーチルズマティーニならぬ、俺の「晴耕雨読」なんである。

もったいなくて当分呑めない酒がまた一本増えた。
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2014年2月18日火曜日

世界は誰かの仕事でできている

昨日の日曜はご存知大雪の影響で、世の中が文字通り「フリーズ」しちゃったかのようにあらゆる動作が止まってしまったみたいだった。しかし、小売業や運送業関連などに従事する人たちは、早朝から雪道を踏みしめて職場へ急ぐのであった。頭の下がる思い。最近の缶コーヒーのTVコマーシャルの超秀逸なコピーライトを想起する。

「世界は誰かの仕事でできている」(筆者、超お気に入りのフレーズである)

仕事のメールを送り、午後は原チャリで近くのニトリへ出撃。ちょっと雪道が怖かったけれどなんとか乾いたところだけを選んで走行。そうこうしてると、有馬フレンズの本拠地のひとつ西有馬スタジアムが見えてきた。バイクを降りてiPhoneでグランドを撮影。

なんだか見てはいけないおぞましい光景を見てしまったような気がした。ただでさえ先週も記録的大雪で練習が中止、今週もこれだ。しかもシーズン開幕は間近である。マジか?
雪と氷とシャーベット状の曼荼羅模様を呈していた。晴れの日が続けば今週後半からはなんとかなるだろうか?

ついでにお隣り有馬中学校のグランドも視察。
思わず羽生くん金メダル大活躍のソチ五輪のスケートリンクを連想。更にここでわかさぎ釣りにでも興じようかと思ったほどだった。


野球マグネットボード=BaseBallBoard=略して「BBB」
夕方からはこれの制作。有馬フレンズのモノはすでに制作済み。今回はとんでもなくグレードアップしちゃったんである。今までは原価の低い材料で作っていたが、そのホワイトボードが市販されなくなり廃番、入荷の予定もないとのこと。数ヶ月かけてやっと探し当てた材料はA4サイズのポスターパネルと鉄板の組合せ。言わば自作でホワイトボードを作ったんである。手間暇も材料代も10倍以上に跳ね上がったけれど、どうしてもこれじゃないと自分を納得させられないのだった。そのかわりもの凄いグレードアップしちゃったんである。耐久性も大幅アップ。ちょっと見には手作り製品ではなく、市販されているメーカー既製品と見まごう出来である。実際、古いバージョンでさえ、去年Toyoda父から「えっ!これTさん作ったんですか?店で売ってるのを購入してきたのかと思ってました」と言われたくらいだ。むふふ、デザイナー冥利に尽きるってもんだぜ(^-^)
数年使ってくたびれた古いバージョンと、今回の新バージョン。フレンズはこれで3代目のボードとなった。

宮前Queensのも刷新しようと昨年から思っていた。フレンズよりも数万倍も多岐に渡り有効利用してくれており、相当使い込んで古くなっていたからだった。代表やベンチスタッフにメールし了解をもらう。するとKoshimizu監督から内容の変更要請あり。子どもたちに内外野の連携プレーを教えるために、若干のレイアウトの修正をお願い出来ないかと。嬉しい限りである。それだけ有効利用してもらってる証拠だからだ。こうなると制作者魂に火がつく。更に小さい子のために守備位置の英文に読みがなをカタカナ表記で追加。これはKitamatsuスコアラーのアイディアを盛り込んだ。Queensに入ると英語まで学習出来ちゃうのだ。しかも正統派の英語である。なぜなら.....「Queens English」なんてね。昨年提供した奈良の社会人野球チーム「マスダ」さんのボードから外野の芝のテクスチャーや内野の砂地の雰囲気もリアルに変更。守備位置の○もQueensレッドに....。


あとはフレンズ、Queens共に個々の選手のマグネットプレートの制作が待っている。
こっちのほうがこれまた数倍も厄介な作業なんであった。しかし、シーズン開幕まで時間がない。練習試合もある。頑張らねば.....。
ちっぽけなモノだけれど、これも「世界は誰かの仕事でできている」

余談ではある。
これらのボードや印刷用特殊フィルムはAmazonからネットで取り寄せた。
宅配当日、自宅のチャイムが鳴る。
「ピンポーン」
おっ、Amazonだな、インターホンを取り「はいっ」
「宅急便でぇ〜す」

ハンコ片手に玄関ドアを開けると、なにやらスラリ的長身のスレンダー美人のお姉さんが、ヤマトの制服を着て段ボール片手に立っている。ふと顔を見たらどこかで見たような.....。
「あっ!あれれ〜」

フレンズのAyuto、Kurumiの母なんであった。
筆者仕事中のぼっさぼさの頭でヨレヨレのスエット姿で出てしまったんであった。
前もって言ってくれればちゃんとお化粧してから出たのに....(^-^)/
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2014年2月14日金曜日

白雪姫とQueens姫

先週の東京は縄文時代以来の記録的大雪の日であったと書いたけれど、この大雪大会が2週連続となるとはいったい誰が予想したであろうか。2週連続となると、あのマンモスを絶滅に追いやった氷河期以来の大記録達成になっちゃうかもしれぬ。

大記録達成といえば、Queens2013年三連覇の大記録達成のご褒美、東京ディズニーランド大会の話なんであった。前回も書いたようにQueensに特派員を指名して写真とコメントを寄せてもらった。筆者デスクの感想も含めて展開したい。

およそディズニーランドへと言うよりは、スキーツアーに行くような気分。
合宿のないQにとっては貸し切りバスに乗るなんて大変珍しい。
スポンサーでもある会長は「Queensバッグ」を手に無邪気にご満悦。
開門後、Qは大挙して押し掛けた数の優位性をいかんなく発揮し、絶好の記念撮影ポイントを占拠、「ハイ、チーズ」

ところで会長にはこの日ワケがあり、このブログは全世界の少年少女野球ファンが見ているので、顔写真掲載は御法度と思っていた。顔写真にモザイクを掛けたのでは興ざめだし、黒い目線を入れたら何やらますます怪しいことになる。それで筆者一計を案じ、こんな風に顔をアレンジするつもりでいたんである(^-^)
巨大なミッキーと記念撮影(^-^)

失礼があってはならぬと思い、会長にその旨メールすると、速攻で電話があり「全然大丈夫だよ」とのお言葉。さすが見た目どおり太っ腹である。おっとこれも失礼か?
QのOGもご招待してくれた。Himariの姉、Meikaは早朝になって女子硬式野球の練習中止の連絡があり、なんとかギリでセーフ、参加が叶った。会長とMurataコーチとこんな感じで「ハイ、ピース」
しかしこれはハロウィンかコスプレ大会か変装 パーティーか。
彼女たちはこれからの人生、このミッキーの帽子をかぶることはあるのだろうか(^-^)

特派員の中でも最年少の女性記者からの写真を掲載したい。
お気に入りの写真が何枚もあっようだが、かなり悩んだ末にトゥータウンで撮った4枚をチョイス。6年だけでグループを作り行動したようだ。
はたと気づいた。なんとこの大雪の中、Akariは足首のところが生足ではないか。さすがパワーヒッターQueens不動の4番打者ではある。
「白雪姫」に負けず劣らず雪の中でも元気で楽しそうな、文字通り白雪にまみれる「Queens姫」なんである。


さて今度は違った目線でラブラブ(?)ツーショット特集なんである。
Queens年少の姫KurenaとDaikiコーチのツーショット。父も公認の仲なんである。
筆者はこの写真を電送してもらった時、一瞬、道に迷った可愛い少女に手を差し伸べる石原裕次郎かと思ったんであった。
右は正真正銘のラブラブツーショット。Hinataの父母、若い頃に返って.....(^-^)
フライデーに転売しようかと思った。

こちらはイイ女二人のツーショット。回転木馬に乗るなんて、いくつになっても女は乙女なんであった。
右は今度は正真正銘の若いイケメンコーチ二人。蜂蜜の壷に乗るなんて、いくつになっても男は少年なんであった。

男性特派員からも届いた。
OG三人の写真。後ろのShimizu父、Kitamatsu父がもし外国人であったなら、まるでクリスマスイブのニューヨーク・ロックフェラーセンター前で撮った写真と見間違うほどの一枚。さすがはCanon EOS Kissである。
6年生と5年生以下で分かれての写真。吹雪の中でも綺麗に撮れているのは、さすがはOzawa特派員、カメラに精通しているわけで。ちゃんとバックのシンデレラ城も画角に収めている。

そろそろ「星に願いを」が聴こえてくる。
夕刻になりおとぎの国ともお別れだ。ディズニーシーと併せて16のアトラクションが中止になったほどの大雪だったけれど、Queensご一行様はこの雪のおかげで逆に一生忘れない想い出になったことであろう。
普段ならば晴天のねずみの王国はこんな感じ。

最後に撮った風雪に煙るシンデレラ城はちょっと幻想的でさえあった。
子どもや父母たちには寒くて辛かったけれど、同時に素敵な贈り物になったに違いない。
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暴風雪のねずみの国

※いつもの少年野球「晴耕雨読」Blog風文体に戻るんである。

昨年宮前Queensは4大大会中破竹の三連覇を成し遂げた。その時のお約束が「全大会優勝したら子どもたちをディズニーランドへ招待しちゃう」という破天荒なサプライズご褒美の話があった。惜しくも4連覇はならなかったが、3個の優勝でも十分頑張った、ま、いっか的に会長・Murataヘッドの2大スポンサーのご招待となったんである。

おりしも当日の関東は縄文時代以来の記録的な大雪だったことは、みなさんの記憶にも新しいはずだ。筆者は延期するだろうと思っていたが、あにはからんや、雨天決行、小雨決行、大吹雪なお結構、というわけでQueens軍団は大挙して「ねずみの国」へ突入したんであった。

筆者は行っていない。
しかしQ広報部長としてこの一大イベントを黙って看過することは出来ないんである。ゆえに数人Qの部下を特派員として派遣し、写真をコメントとともに電送してもらった。今日はそのサワリの写真だけ掲載。次回は写真と本編の記事をアップ予定。すでに写真班によって写真の編集作業は校了している。

入場後最初に集合写真を撮った。雪が真横にすっ飛ぶ天候にもかかわらずみんな良い笑顔である。「ねずみの国」には至る所に「隠れミッキー」なるものが存在するのはみなさんご存知だろう。この写真でもどこかにミッキーが隠れている。
........................。
全然隠れてないじゃん(^-^)左上に巨大なミッキーマウス。
次回もこんな調子で特派員報告(^-^)/
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2014年2月10日月曜日

別れを告ぐ

その日は前日の天気予報が的中し、朝目覚めると全く車の通行音が聞こえず、窓ガラスは真っ白に曇っていた。窓を開けるとそこは一面の銀世界。これからもっと降り積もるとの予報。よりによってこんな日に....。
今日はTakahashiさんとの最後のお別れの日だった。

14歳も年下の友人の急逝。本当の親友の方たちからしてみれば、付き合いも浅くメールでの交友が主だった私なぞは一蹴されて当然だけれど、しかし私にとっては間違いなく友人であった。「Tさん是非呑みましょう。お声をかけてくれたら鷺沼でもどこでも駆けつけますから」いいですねえ、こちらこそ是非....。その約束を私は果たすことができなかった。あんなに慕っていただいたのに、申し訳ない気持ちで今は胸が張り裂けそうになる。

大勢の参会者が葬儀場を埋め尽くしていた。某大手食品メーカー勤務だった氏の会社からの多くの参列者に混じり、宮崎台バーズの子どもたちがユニフォームに喪章をつけてあらわれた。Ogawa監督はじめ29,28コーチも正装であるユニフォーム姿で。そのほか大勢の父兄も駆けつけた。

私は会場の中央後方に立ちTakahashiさんの遺影と正面から対峙することになった。粛々とご焼香の列が進む。私は列のうしろからずっとYuutaくんと弟の姿を見ていた。弟は時おりハンカチを目にもっていっていた。Yuuta君は背筋を伸ばし焼香客のお辞儀に、気丈にもちゃんと目をみて頭を下げていた。お父さんそっくりの風貌に一瞬彼がそこに座っているかと思った。

会社の上司と大学時代からの親友である先輩からの弔辞。まさにTakahashiさんのお人柄を如実に物語るものだった。仕事が出来て人望が厚く部下に慕われて。まさにその通りの人だったのだろうと今更ながら思う。

故人との最後の対面の儀。棺の中に白い花を手向ける。
自分の番がやってきた。足元には「MIYAMAE2013」の文字があった。連合チーム宮前クラブのブルーのTシャツだった。迷わずそこに花を一輪添えた。次にTakahashiさんの温和な顔を見た瞬間にゆるりと視界が狭まり手を合わせることしかできなかった。

喪主であるお母様が挨拶。たいへん気丈に朗々と語っておられた。
そこで初めて知った。亡くなる一週間前に6年前にガンで亡くされた奥様の7回忌を終えたばかりだったのだそうだ。こんなことってあるのだろうか。子どもたちには母の法事を終えたその一週間後に今度は父を.....。やりきれなさに絶句した。
奥さんにひと目惚れしたTakahashiさんは、何度もふられてそれでも何度もプロポーズして、大恋愛の末にゴールインしたとのこと。それはそれは仲睦まじい夫婦だったそうだ。

「Takahashiさん、なかなかやるじゃんか!」そんな話や音楽や映画や本の話も酒を呑んであなたから聞きたかった。

宮崎台バーズ代表Kobayashiさんはじめ、スタッフ父兄たちもみなハンカチで目頭をおさえていた。棺が最後のお別れで目の前をゆっくり進んでゆく。私は溢れる涙をどうすることもなく成すがままにしていた。
バーズの子どもたちが整列し、主将の号令が会場に響き渡る。

「高橋コーチに礼!」....「ありがとうございました!」

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告別式の模様を個人ブログなんかに書き綴っては不遜の極みと思っていた。
しかし、どうしてもTakahashiさんの追悼の意味を込めて、そのお人柄をせめて私小説ふうに変えて伝えたかった。

休筆することが本当にTakahashiさんの意に沿うことなのだろうか。今までの書簡のやりとりや人柄を想った時にあの人なら天から絶対こう言うだろう。
「Teshimaさんそんな「晴耕雨読」書かないなんて絶対やめて下さい。今は恋女房とこっちで再会できて、これからは天国からカミさんと一緒に「晴耕雨読」を見るのを楽しみにしてますから。いつものTeshimaワールド全開でお願いします」...と。

私の穿った見方かもしれないけれど、彼に背中を押されたような気がして今日ブログ再開を決意。ブログを休筆宣言し2,3週間くらい喪に服すつもりでいたが、私自身の胸の中でひとつの区切りをつけたかった。これからはいつもの文面で書くことが逆に氏の意に沿うような気がして。

ちょっとずつ日常に戻ることにしたい。


2014年2月4日火曜日

さよなら夏の日

一夜明けて私は自戒の念にさいなまれていた。

故人とはいえ、明解な承諾もないまま勢いで高橋さんの人物像をみんなに伝えたくて、数通の私的なメールをブログなんぞで公表してしまった自分を責めた。
けれどたぶん.....、たぶんだけれど、少年野球「晴耕雨読」Blogを愛読して下さった高橋さんなら大らかな笑顔で、天国から「全然いいですよ。むしろ本望です。私を気にすることなく、ガンガン書いちゃって下さい」と言っているようで....私の独りよがりだろうか。

今日は代々木で仕事の打合があり、電車内では高橋さんの大好きだった山下達郎一本でiPhoneで聴いて過ごそうと思った。

「夏もそろそろ過ぎようとしてますね。今度のオヤジバンドライブではタツローの「さよなら夏の日」を歌おうかと思ってます」
「私もあの楽曲、タツローの好きな曲ベスト3に入ります。ベスト1は自分的には「ターナーの機関車」だけどね。是非やって下さい。いつか機会があれば高橋さんのライブに行ってみたいですよ」

そんなメールのやり取りが胸に去来した。電車内ではiPhoneの設定をタツローのアルバムをエンドレスリピートに設定して目を閉じ電車の揺れに身をまかせた。

昨日のブログであえて触れないでおこうと思ったことがあった。
小学一年で母を亡くし、今度は自分に寄り添ってくれたその父を亡くして....。
たった12歳の兄と低学年の弟、二人取り残された兄弟のその子たちの心情と行く末を慮ると、涙でこれ以上書き連ねることは無理だと思い、あえて書かなかった、いや書けなかった。
どうしてあんないい子に、神はよりによって母を失っただけにあきたらず、今度は父までをも奪ってしまうのか....。不公平すぎやしなか。

仕事がらみで代々木で呑んで終電近い帰りの山手線の車中で、今日はタツローだけ聴いていこうと再びiPhoneを操作していたら、Queensの輿水監督からのメールに気づいた。引用させていだだく。

『こんばんは、輿水です。
「晴耕雨読」を見て、びっくりしました。
バーズ高橋さん、お亡くなりになられたんですね。
高橋さんとは直接話した事もないのですが、イチカのメールを豊島さんから頂いた時は、涙がでそうでした。
最後の三多摩大会前にヒマリが怪我をしてしまい、どうしようか?と思っていた矢先に、豊島さんからバーズ高橋さんのメールを転送してもらいました。
私達が考えている以上に選手達も、Queensの事を考えて必死になっているんだと、つくづく考えさせられました。
こんなチームなら多少の事では大丈夫だと思えたのも、あのメールのお陰です。いつか直接会ってお礼がてら話をしたかったのですが、残念でなりません。
心よりご冥福をお祈りいたします』
 鷺沼駅に降り立った私は途中コンビニに寄り、普段は安い煙草と発泡酒を買い求めるのだが、今日はなぜか最高級の煙草と最上級のビールを買って、自宅でささやかな弔い酒をしようと歩いていた。

深夜の寒い路傍を歩きながらヘッドフォンから流れてきたのは、はからずも「さよなら夏の日」だった。私の胸の中にいきなり高橋さんの姿が、すっくと立ち上がって来た。
心の中の彼に問いかけた。
「小さい子を残し、なんでいなくなっちまったんだよ高橋さん。ちくしょう、ふざけんなよ、馬鹿野郎!」
心の中の高橋さんは大きな体でにっこり微笑むだけで何も答えてくれなかった。

深夜帰宅後、ビールのプルトップを開けながらMacを起ち上げメールチェックすると、連盟事務局の西村さんからのメールがきていた。引用したい。

『少年野球に関わるようになって、今日より悲しい日は訪れないと思います。
「晴耕雨読」を読んで愕然となりました。

何故、あの高橋さんが亡くならなければならないですか。
普段あまり飲まない酒を、胃に流し込んでいます。

昨年まで、「連盟連絡メール」を高橋さんにも送っていました。
グランドで会った時は、必ず挨拶しあい、
短い言葉ですが、会話を楽しんでいました。

そんな高橋さんが、今年初めてメールくれました。
そして、それに返信しました。

高橋さんとの初めてで、そして最後のメール会話となってしまいました。

もう言葉が見つかりません。
あの大きな身体とそれ以上に広い心を持った高橋さんと、
高橋さんと話しがしたいです』

「あの大きな身体とそれ以上に広い心を持った高橋さんと、
高橋さんと話しがしたいです」

私も叶うならば一緒に酒を酌み交わし、話がしたい。

今、深夜AM3:00近く。筆を置こうとしていた矢先、こんな偶然てあるんだろうか。
今ヘッドフォンから聴こえてきたのは、

「さよなら夏の日」

(※しばらくのあいだ少年野球「晴耕雨読」Blogは休筆いたします)

2014年2月3日月曜日

慟哭


宮崎台バーズの高橋さんが、お亡くなりになった。

日曜夜、突然の訃報で言葉も出ず絶句。肺血栓の突然死。
よりによってこんな親子にこんな仕打ちをするなんて.....。
私は電話を切り机を叩き叫んだ。「この世に神はいねえのかよっ!なんて不公平なんだよ!」
6年前に奥様をガンで亡くして、男手ひとつで母のいない二人の男の子を育ててきた。

このブログを通じて知り合い、去年何通も高橋さんとメールなどで親しくさせていただき、その人となりに敬意をもっていた。
過去の高橋さんとのメールを全部読み返し.....。
涙がとまらない。
慟哭。

「高橋さんとのこのメール、いつかブログに引用してもいいですか」
「実名を隠していただけるなら、全然かまいませんよ」

拙い文章でその人となりを書くよりも、上記のその約束を今、果たしたい。
高橋さん、遅くなってごめんなさい。
何十通もの私との書簡のうちのほんの一部を以下に記載。あえて実名はそのままに。ほぼ原文のまま引用。かなりの長文です。

++++++++++++++++++++++++++++

テッシー様(お名前が分からないのですみません。てしま様ですかね?)

突然のメール失礼します。宮崎台バーズの高橋と申します。
昨日は練習試合ありがとうございました。(ベンチの端っこに座っておりました)
会社で昼休みにフレンズさんを検索していてこちらのブログにたどり着きました。
そうしたら、なんと!昨日の試合のことが出ているではないですか!と驚きとうれしさでメールをしたためた次第です。

私、現在はバーズのマネジャーをやっておりますが、野球は全くやったことが無く、少年時代はサッカーをやっていて息子にもサッカーをやらせたいと思っていました。
ただ、長男が友達と野球で遊ぶようになってからグローブを買ってほしいというのでトイザラスの親子グローブを買い与え、初めて第四公園でキャッチボールをやっていたら
バーズが練習していてその場で誘われて入部したというのがきっかけです。その後最初のうちは息子が練習する姿をたまに遠巻きに眺めていたのですが、息子やチームメイトの頑張りを見ているうちに毎週練習を見に行くようになり、遠征の車出しや塁審をやるようになり、オヤジの飲み会に行くようになりだんだんとはまっていき、昨年、今年とマネジャーをやるようになってしまいました。
未だに野球のことはよくわかっていませんし、ルールも怪しい状態なのですが、野球をやるようになってから息子と共通の目標が持てるようになりましたし、一緒に身体を動かすので体調も良い、異業種のオヤジと仲良くなるので視野も広がると良いことばかりです。他の家の子供を本気でしかったり、しかってもらったり、チームメイトと泣いたり笑ったりと、少年野球って本当にすばらしいなあと思っています。

テッシー様のブログ、とても楽しく拝見いたしました。「こんな面白いブログ見たことない!」というのが感想です。豊富な話題とユーモア、放っておいたら業務時間にも関わらずずっと見ていたと思います。
野球少年を持つ親や、チーム運営するスタッフの心理をこれでもか!と言い当ててくださっているからでしょうか。子どもたち一人ひとりの大切な成長の一ページに一緒にいられる、成長の手伝いができるというのがやりがいですよね。私も一人の親としてはもっと気楽にチームに関わりたいと思うこともありますが、子どもたちが試合に勝ったときの高揚感や練習でやってきたことが試合で出せたときの満足げな表情を見るとやめられない!
というのが正直な気持ちです。これから防犯大会etc・・・まだまだ痺れるドラマがまっているのか?ドキドキする気持ちもありますが、長男は6年生、終わりへのカウントダウンが少しずつ始まっており、さびしさも少し感じる今日この頃です。

今後もまた練習試合などよろしくお願いします。ブログ、これからも拝見いたします。

宮崎台バーズ 高橋

※本メールのアドレスで私の勤務先も分かってしまい、送付を躊躇したのですが、ブログのあまりの面白さに衝動的にメールをしてしまいました。ありがとうございました。
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高橋さん

テッシーことフレンズ豊島(テシマ)です。
こんばんは!返信遅れてすみません。メールには気づいていたんですが、返信がこんな時間になってしまいました。
こんな時間といっても、高橋さんがご覧になるのは翌朝の会社でのメールチェックでしょうけれど。

なんと嬉しいお便りでしょうか。ありがとうございます。
このブログは宮前の結構多くの関係者に読んでもらっているようです。高橋さんにもお誉めいただき、ありがとうございます(^-^)
今までバーズさんが登場するブログは3,4回書いた記憶があります。去年の関団連とか....。
日曜の試合の時はチームの父から「あの10番の子はすげえ打つらしいですよ」と言われて、打席に立ったときは慌ててレフトをバックさせたものです。
主将のあの子のお父さんなんですね!?今スコアブックを調べてびっくりしました。

私も少年野球にはまったのは、高橋さんと全く同じです。

もう正にその通りですよね。私も全く同じルートを辿ってきて、今があります。
親として今年で最後の年になる淋しい気持ちもよく分ります。
でも卒業しても、是非バーズさんに残っていただけたら、ご自分のためにも楽しい週末を過ごせるはずです。
私もサッカー部でしたので、子にもサッカーをさせたかったのですが、5年のある日突然「オラ、フレンズに入る」と宣言されて以来、娘も含めてフレンズに在籍し、いい思いをさせてもらいました。
息子の時は小林代表が当時連合監督で、お世話になりました。
親としてもいいですが、フリーのコーチになればまた違った意味で楽しいものです。
特にオヤジのみ会がですがね(^-^)

また是非、試合をやりましょう。
そして嬉しいメールをいただき、本当に感謝してます。

追伸
私は自宅で仕事をしているので、家内のいない昼メシは自分で作ります。
いつも「味の素」さんにはお世話になってますよ(^-^)/
ではでは。
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豊島さま

こんにちは。バーズ高橋です。
昨日は初めてお目にかかれてうれしかったです。何か、あこがれのDJに会ったような気分で最初にお目にかかったときはびっくりして言葉も出ず、間抜けなご挨拶をしてしまいました。
防犯大会のブログ楽しく拝見いたしました。私のこと、バーズの入場写真も掲載いただき光栄であります。ブログの文章も新緑でキラキラしていた昨日の第一公園がよみがえるような輝きで思わず笑みがこぼれてしまいました。
ただ、一方勝負は非情なものであの開会式の数時間後にはほとんどのチームが姿を消し、わずか8チームしか残らない、その数時間で様々なドラマが各会場で起きていたのですね。私が宮崎台小の試合が一足早く終わり運営会議のため第一公園に向かったところフレンズさんと花フラさんの試合が始まっていました。豊島さんの姿が見えたのと花フラは息子の学校の友達もたくさんいるのでどちらも応援していたのですが・・・。
少年野球とはいえ本当に勝負は非情ですね。バーズも運よく勝ったものの、来週のこの時間には次の決着が着いていると思うと今からソワソワしてしまいます。

さて、話題は大きく変わりますがブログを拝見していて、宮前クイーンズの広報部長もやられているとのこと、バーズの紅一点の選手Yumi=6年生も入部します。
本当は4日にデビューの予定でしたがインフルエンザになり、11日に延びました。既に19番の背番号ももらい本人張り切っているので是非よろしくお願いします。
現クイーンズの姫たちに劣らない、笑顔がさわやかなカワイイ選手です。豊島さんのブログに登場するのを楽しみにしております。

これからもブログ拝見します。クセになりそうな面白さです!いっぺんにファンになりました。ありがとうございます。

 バーズ高橋
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高橋さん
こんばんは。メールありがとうございます。

音楽の趣味がお互いにド・ストライクなんですね。S・ワンダーやビートルズ、達郎などは私も大好きで、電車でiPhoneで、または仕事中大音量でかけてたりしますよ(^-^)高橋さん、おいくつですか?私は55です。
いわゆるオヤジバンドをやってるんですね。フレンズにも2人ほどバンドやってるヤツがいます。あれもハマったら楽しいのでしょうね。私は中学時代にギターに挑戦したのですが、(無名の頃のアリス谷村新司に憧れて)全くモノに出来ずに挫折しちゃいました。ちなみにカラオケもへたくそです。カラオケにいくのは大好きですが。トホホ。

南の件、本当にありがとうございます。
昨年12月のイブの日にフレンズの周りの家族がみんな楽しそうにしていた光景を見て、いたたまれず衝動的にブログに書いてしまいました。以来、みなを心配させてしまい恐縮してます。今回、幸いにも退院したわけですが、返事は無用とメールしたのに、多くの方から返信ありました。その中に実はうちもこういうことがあった、または、今も難病と闘ってます...というようなことを知り、自分は孫のことで浮かれてしまっているようで、そういう方たちに申し訳ない思いです。

そんな中、今日高橋さんからこのメール。
....絶句しました。
言葉がみつかりません。

南はかろうじて九死に一生を得ましたが、奥様がまさかガンで亡くなられたとは。
私は孫でさえこうなのに、高橋さんの、その時生涯の伴侶を若くして失った悲しみはいかばかりか...。
これ以上メールなんかで言葉を継ぐことができません。不遜なような気がして。
心からお悔やみ申し上げます。

父ひとりの子育て、大変なご苦労をなさってるんですね。
南の病院は同じS医大でも、藤が丘の昭和医大病院です。まぎらわしかったですね。
子どもの骨髄性白血病は退院してもなお、二十歳までの生存率は約40~60%。これからは「死」という恐怖と隣り合わせながら18年間毎日を過ごさねばなりません。いっそ代わりにジジイである自分の命ならばいくらでもくれてやる、そのほうがよっぽど気が楽だと思います。私なんぞはともかく、娘夫婦の気苦労は大変なものだろうと思います。

6/9の練習試合、とても楽しみにしてます(^-^)
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豊島さん

おはようございます。昨日は息子の写真を送っていただきありがとうございました。
どれも親としてはうれしい写真で、ずっと大事にさせていただきます。本当にありがとうございます。

また、直近のブログでは本人の実力以上のお褒めをいただき、何だかむず痒い感じが致します。本人、あの体格なので鉄棒や器械体操、マット運動などは苦手でどちらかというとスポーツが出来ない子どものカテゴリーにいたのですが、野球に出会ってから急速にのめり込み体格的にも人格的にも逞しくなってきたと思います。
大変な親バカ(バカ親?)ですが、息子が野球で活躍している姿を祖父母が喜ぶので早速豊島さんのブログを見るように伝えました。
親の私が伝えるよりも、豊島さんの軽快で楽しい文章の方が伝わると思いそのように致しました。

本当にありがとうございます。また、練習試合など交流させていただくのを楽しみにしております。

バーズ高橋@ブログ拝見が日課になりつつあります。これからも期待しております。少年野球、サッカー、音楽、映画、読書と私の5大好物と見事に一致します。野球以外の話題も楽しみにしております。
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豊島さん

こんにちは。バーズ高橋です。少々ご無沙汰しております。転勤の影響でバタバタとしブログで面白いネタを読んでもお便りが出来ずにいました。
そんな中でも晴耕雨読ブログいつも愛読させていただいております。

さて、こないだ息子の野球関係の資料を整理していたところ、一昨年の20周年記念誌が出てきました。当時長男は4年生で野球を始めて間もないBチームの選手でした。
バーズの写真や寄せ書きもかわいい選手たちでとても懐かしかったのですが、何と記念誌上に豊島さんの詩が出ているではないですか!
当時は少年野球の「し」の字も分からず読み飛ばしていたのですが、今はかなり感情移入して見ることが出来ます。
また、記念誌をよく見ると作りがかなり凝っていて(特に各チームの所在を描いたページ)おそらく豊島さんの手によるものなのか?と思った次第です。
地域の少年野球のためにここまで尽力されていたのかとまた新たに感動してしまったのであります。

さて、秋季大会は残念ながらバーズは力及ばず南菅生ワイルダースとの接戦に敗れ終わってしまいました。
長男は期するものがあったようで打撃では3-3と気を吐き、守備ではチームメイトを鼓舞して頑張っていただけに、当日の敗戦の際には相当に落胆しておりました。
試合後の相手チームへのエールが涙声になっていたこと、小川監督に最後まで主将としてよく頑張ったと言われ感極まっていたのには泣けました。
私も子供たちと頑張ってきたものが終わってしまった感じ(失恋したような感覚??)でしばらく呆然としてしまいましたがようやく今日ぐらいに正気に戻りつつあります。

ところが、本人は翌日からまた素振りやバッティング練習を自主的に始めています。聞くと「まだ残りの大会と連合があるのでそこで優勝したい、中学でも野球やるから」
とのことです。親としてはうれしい限りであります。
いよいよカウントダウンが聞こえてきましたが、彼の野球人生はまだ始まったばかりなので前を向いて行きたいと思います。
また、昨今の長男の頑張りに触発されて次男が来月くらいからバーズに入ると言い出しました。まだ2年生で自分で自分のことが出来ませんがまずは楽しく野球をやらせたいと思います。
と、長文になってしまいましたが、誰かに今の心境を伝えたく、豊島さんならばご理解いただけると思い一方的にメールしてしまいました。お許しください。

ブログを拝見するにお仕事が猛烈に忙しそうですね。くれぐれもお身体にお気を付けてご家族と元気にお過ごしください。

バーズ高橋 

追伸
Qでお世話になっているYumiより、Qはとても楽しいそうです。彼女もQで頑張る!と言っていました。
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高橋さん
こんばんは。

仕事がやっと一段落しところで、ちょうど高橋さんのメールを読みまた、嬉しく拝読した次第です。

記念誌ですよねえ(^-^)
アレは死ぬほど苦労して死ぬほど楽しかった。
当初詩を書くページはなかったんですが、途中から敏腕鬼編集長の西村さんにほだされて書くはめに。
各チームの地図を作るにあたっては、子どもたちに面白く見てもらうために戦国絵巻風のアイディアを恐る恐る出してみたら、笠原さんから絶賛されて、これまた徹夜で作りました。
思えば西村さんや笠原さんと知り合えたこの記念誌チームがきっかけで、ブログの文章にも巾が出来、Queensとの付き合いも始まったようなものです。
独りよがりの井の中の蛙的ブログでいたら、高橋さんからのメールもなかったかもしれませんね。
この二人にはいろんな意味で感謝してます。フレンズという小さなコミュニティーから宮前少年野球という、大きな眼を開眼させてくれたのです。
あっ、因に記念誌の表紙と裏表紙もデザイン制作しました。詩はお恥ずかしい限りですが、こちらは自画自賛の出来でした(^-^)

息子さん、立派です。
こんな子がうちのチームには果たして何人いるだろうかと思うと、ちょっと情けなくなります。6年はそれなりの気概をもって最後の1年を頑張っているのでしょうが。「俺、中学行っても野球やりたいし、まだ連合とかで優勝目指したいし...」この一文には感動すら覚えました。数年前から男手ひとつで子らを育ててこられた高橋さんにも感慨深い思いがあったことと拝察します。

いかがでしょう。唐突に思ったんですが。
いつかこの一連のメールのやりとりをブログアップしたいんですが。
もちろん実名は伏せますし(バーズくらいは実名で)、知られてはマズイことは割愛しましょう。但し、宮前の知ってる人が読めば一発で「バーズの高橋さん」とすぐバレバレでしょうがね。
「嫌だ、恥ずかしい!」と思えば全然パスしてもらっても構いません。
いつになるかは別として、考えておいてもらえませんか?
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高橋さん
どーもです。

今回の「晴耕雨読」ではいちか母から何度も感謝のメールをいただき、今日もその返信を書いたばかりです。文面から滲み出る空気を読むと、いちか家族はとても温かい素敵なファミリーみたいですね。

それで清水一花(いちか)ちゃんに触れていた高橋さんの文章を思い出し、断りもなしにコピペして送りました。
普段こういうことは絶対しないのですが、良いことを書いているわけだし、高橋さんなら鷹揚に笑って許してもらえると思い、一花ちゃんに触れている部分だけを送りました。
どうかご容赦を。
これでまた、Q繋がりもあるし、横の繋がりで親しくなればこれに勝ることはありませんもんね。
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豊島さん
うれしいお便りありがとうございます!コピペ全く問題ございません!

Ichikaちゃんのお母さんとお話したことはないですが、何かの機会に是非お話したいと思います。
このように子どもの野球がきっかけですが楽しいお付き合いが広がっていくことをとてもうれしく思います。
豊島さんのブログが宮前のチームをつないでいますね。ブログ見ているとフレンズの選手も自チームの選手のように応援したくなります。
(末木くん、ベンくん、Ruiくん・・ベンくんはバーズの試合でかっ飛ばすのでこちらのコーチ陣でも話題になっています)


Ichika母の高いテンション!気持ちよーく分かります。またウチの息子のことも知って見ていてくれたのも感動です。
クイーンズはこれからが本番だそうですね!次の大会もIchika頑張れ!! バーズのYumiも続いてほしいと思います。

いつも楽しいブログありがとうございます。
(豊島さんからのメールを実は楽しみに通勤してきておりました)

バーズ高橋
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豊島さん

こんにちは。バーズ高橋です。
先日の偶然の第四公園!Ichika母へのご紹介ありがとうございました。
いつかいつかと言いながら実現できなかったことを豊島さんのおかげでおもいもかけず実現してしまいました。
あの日あの場所に豊島さん、Ichika母、高橋が揃わなければ実現するのはいつになったのやら。惑星直列のような確率(おおげさ?)でしたね。

Ichika母は想像通りの明るくて優しい方でした。しかも家が近くてびっくり!うちの長男のことも良く見ていたくれたみたいでとてもうれしく思いました。
中学校も一緒だからよろしくお願いしますねって感じでご挨拶しておきました。本当にありがとうございました。
クイーンズのIchikaAyanoYumiも同じ宮前平中で楽しみともおっしゃっていました。少年野球っていいですね。クイーンズも素晴らしい!

っと言うような様子が晴耕雨読BLOGに載っていましたね。これまた美談すぎず、ありきたりすぎず本当に清々しく描かれており感激でした。
息子に「Ichikaにサンダースで野球やってるよねって声かけたらしいね」と聞いたら「そうそう」と本人も覚えていました。
さて、クイーンズのBBQも盛り上がったみたいですね。豊島さんの愛情たっぷりの写真と文章を楽しませていただきました。
ガールズベースボーラーは本当にかわいいですね。おじさんたちがメロメロになるのもわかりますよ。クイーンズは本当にかわいい子が多い。
彼女たちのキラキラと豊島さんのブログの相性もピッタリですね。我がバーズの紅一点のユミも頑張っているのでクイーンズの記事には注目しています。
4冠目指して頑張ってください。

で、ブログの後の話ですが、その日の夕刻~馬絹交差点のサガミで宮前クラブ(松井監督の連合)の結団式があり親子で出席しました。
そこにも、相馬会長、笠原副会長、ヤング黒須監督いらっしゃっていました。のみならず連盟のお歴々と各出身チームの監督も駆けつけ盛大な会でした。
私は息子も一緒だったのでお開きとともに失礼しましたが、その後重鎮たちや父は更に飲みに行ったそうです。すごい!いったい何時間飲んでいるんでしょう??
来週から川少連大会で連盟の皆さんも気合いが入っていました。息子も数少ないガチンコの舞台。精いっぱい頑張って欲しいものです。

長文失礼いたしました。

バーズ高橋
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高橋さん

先日はどーもでした。
惑星直列...いい表現ですねえ。今度ブログで使わせてもらいます(^-^)

いちか母とは私もあの日がほぼ初対面で、確かに話が上手な明るい人でした。
バーズさんの小川監督がいたのは知っていたので、あとでそちらへ挨拶に行こうとは思っていたんです。
高橋さんと清水さんをドッキング出来てほんとに良かった。
ゆみちゃんも可愛い子ですね。野球もうまいし。もっと早くQueensに入っていくれてたらと、今にして思います。

BBQのあと6年連合の結団式に行くと聞いてはいましたが、みんなよく呑みますよね。
そのあとの2次会はたぶん「花フラの夜の部室」ではないかと思います。
花フラ代表の斉藤さんが酒店をやってまして、花フラオヤジ及び連盟関係のたまり場になってるんです。
だいたい早くても夜0:00過ぎ、下手すると朝まで呑んでますよ(^-^)
私も2,3回行きました。

夏は仕事でフレンズにはあまり顔を出せず悶々としてましたが、やっと落ち着いてきたのでまた少年野球に浸ることになりそうです。
面倒なことも多いですが、楽しいことも多いのでまた足を運ぶことでしょう。

息子さんは連合ではきっとかけがえのない経験を積んで、終わったころには友人の輪も広がり、ひと回りオトナになっていることでしょう。連合の良いところは勝ち負けよりも、子どもたちが自チーム以外の広い世界に身を置ける経験が出来ることだと思ってます。

息子さん共々お父さんも頑張って下さいね(^-^)/
+++++++++++++
豊島さん

心のこもったご返信ありがとうございます。花フラ部室は聞いたことがあります。宮前平駅から少しの酒屋ですよね。宮前連盟の皆さんのお酒はとても楽しく、野球と子供が大好き!一人ひとりの選手のプレーや良いところを見ていてくれて気持ちがいいです。
私は晴耕雨読ブログのおかげで少年野球オヤジの視野が急速に広がり出会いも増えて本当にありがたいと思っています。これからも応援してますので楽しいブログをこれからもよろしくお願いします。晴耕雨読!永遠なれ!

バーズ高橋@客と飲んだ帰り道ブログ楽しく見ています。


*****************************
昨年10月のこのメールが最後になった。
いつか絶対バーズ+フレンズで酒を呑みましょうと約束しておきながら、ついに約束を果たせなかった。無念。ごめんなさい。

享年41歳。
奇しくも南が入院していた同じ病院で亡くなられた。
母を亡くした我が子の成長を最後まで見届けられず、最後の一瞬はどんな思いで他界されたのでしょうか。
涙がとまらない。

ご冥福をお祈り申し上げます。

合掌。


2014年2月1日土曜日

さよなら、ありがとうVol.3

ゆずの「友〜旅立ちの時」からインスパイアされてタイトルとした「さよなら、ありがとう」もいよいよ佳境に入ってきたんである。2013年度宮前Queens卒部式の最終章である。その前にまたまた言い訳タイム。写真は全員分は網羅出来ない。また今回は来賓などの写真も割愛。更にDVD上映時の暗い中での撮影は画質は劣化、暗すぎて明度が足りないので専門の写真加工ソフトで明度を強制的に上げている。う〜ん、一眼レフが欲しいなあ、と思う今日この頃なんである。

JA向丘を借り切っての卒部(団)式はまず照明を落して6年生入場から始まるのが恒例だ。
今季の6年は実に8名。昨年の三冠達成の大きなチカラとなったことは言うまでもない。
下の上部写真左から主将のHimari、Akari、Hinata、Noeri、Misaki、Ichika、Ayano、そして遅くに入部したのにもかかわらずQの貴重な戦力となったYumi。

まずは代表のKasaharaさんの挨拶。
「え〜、いよいよQueensの................。え〜.........。あの〜..........」
どうも様子がおかしいぞ。マイクを持ったらいつもなら朗々と話し始めるKさん、暖気運転抜きでいきなりトップギアに入ったようだ。感極まる一歩手前で声を詰まらせながら挨拶。6年生もそれを察してか神妙な面持ちで話を拝聴する。続くSohma会長、豪傑らしく大きな声で明解に挨拶された。Sohmaさん=豪傑。うんうん、我ながら的を得た言い得て妙な人物形容である。

2013年歴戦を共にしてきたKoshimizu監督、Murataヘッド、Mochida28番コーチ、Kasahara代表から6年生へひそひそ話、じゃない労いの言葉をかけつつ記念品を手渡す。どんだけひそひそ度が高かったかと言うと、ステージ下でカメラを構えていた筆者ですら何を言ってんだか聞こえなかったくらいである。

これに対し6年からひと言。ステージ左手からレンズを向けていたのであるが、子どもの顔とスタンドマイクがカブり良い写真が撮れないと即断し右手に回る。ほっ。なんとか皆のアップが撮れた。広報部長としての職責を全うしなきゃなのだ。

以前Queensの歴史に燦然と輝く主将Meikaの卒部の時にも、Mochidaコーチの「歯が痛い」写真を掲載したのであるが、今年は涙を隠すために帽子をいつもより目深にかぶり、Qのハンドタオルで表情を悟られないように首に巻き付けて6年に声をかける。決して寒くてマフラー代わりにしていたわけではない。

そのMochidaさん渾身の力作DVD(ブルーレイディスク)上映である。1ベルが鳴り、2ベルが響き、映画館にアナウンスされる「間もなく上映開始されます。お客様はすみやかにお席につきますようお願い申し上げます」そして客電が落ち暗転(全て芝居用語)今年もサンダースTsuda一級スコアラー士が馳せ参じ上映開始。モッチーのその全体構成、写真選択、挿入歌、編集アレンジ...どれをとっても一級DVD編集士の名に恥じない出来映えであった。

しんしんと静まり返った中でレンズを会場に向けてもすごく暗いので、皆の表情はほとんど判別できない。肉眼を頼りに見渡すとやがてほどなくしてハンカチで目を抑える母たちが何人も。6年生たちも感極まった様子だった。

こんな反則技は見たことがない。ただでさえ涙もろいのに、これでもかと言わんばかりに、子どもたちの赤ちゃんから幼稚園、幼少時の写真が突然スクリーンに現れた。しばし手にしたカメラを放棄し見入った。やがて理由もなくなぜかスクリーンに透明の液体がゆるゆる降りてきた。眼球が大量の水分を含んで溢れてきたのであった。昨晩写真編集時にも同じ現象が起きた。会長や代表の目も心なしか光っていたと思うのは筆者の見間違いではあるまい。

上映が終わり一転会場が明るくなる。何人もの母たちが涙していた。筆者思い出した。19歳の頃当時つき合っていた彼女と六本木のディスコへ行き、真っ暗い中でチークダンスをやった。最後にDJがイタズラでいきなり照明を全点灯し真昼の明るさに。カップルのほとんどが「チ○ー」していて、皆苦笑いしていた。あのときのなんとも言えない気恥ずかしさを思い出したんである。
これは写真編集していて昨日発見したのであるが、いきなり明るくなって写真の左片隅で監督が慌てて涙を拭くカットが撮れていたんである。(赤い矢印)

ふと6年を見ると仲良し3人組が号泣していた。
筆者ひざまづきローアングルで活写。甲子園で涙を呑んだ球児がグランドの土をかき集める姿を撮影するカメラマンを想起しちゃった。

各テーブルを撮ってみる。和気藹々みんな思い思いの体(てい)で話に花が咲く。

順番は覚えてないけれど、なんと6年生たちからとんでもないサプライズがあった。いきなりHimariがマイクに駆け寄り「呼ばれた人はステージに上がって下さい!」
彼女たちから心のこもった色紙をもらった。(写真は先日のブログに掲載)
監督、29、28、代表、Sasakiさん、Yamaguchiマネージャー、Misaki母会代表、Kitamatsuスコアラー、そしてこともあろうに予想外の筆者。まだ目玉の水分が蒸発しきれてないうちに、追い打ちをかけられた。もうボロボロなんであった。

これについては後日極秘情報を入手。
予想どおりこれはHimariの提案だった。極秘裏に色紙を作成せねばならずアジトを提供したのはYamamoto家であった。しかも材料はYamamotoコーチが全て調達してくれたそうだ。この秘密作戦を知っていたのはHimari母、Akari母、Ichika母のみ。Himariは父でありコーチでもあるMochidaさんに知られまいとして必死だったそうだ。制作は全て子どもたちのみ。オトナ顔負けの素晴らしいものだった。
自宅でどうも様子がおかしいと思った何も知らないMisaki母は、Misakiを拷問にかけて問いつめたそうだが、とうとうMisakiはヒミツを守り通し口を割らなかった。お陰で本当のサプライズ、オドロキの感動をもらったのは言うまでもない。参った。俺たちオトナは全面降伏である。
ありがとう、みんな(^-^)

写真構成とは相前後しちゃう。
6年生の作文発表なのだった。これまた暗転し暗い中ステージでスポットライトを浴びながら、卒部生8人が一人ひとり、朗々とまたは訥々(とつとつ)と中には嗚咽をこらえながらの感動の作文披露。そのあとの照明が全点灯したらやはり何人もの親やコーチたちが涙していた。俺たちが小学生の頃、こんな素晴らしい文章は書けなかった。彼女らは将来全員、芥川賞候補になり得るであろう。

ひとつオトナたちの爆笑を誘った作文があった。Noeriである。少し記憶が曖昧ミーマインだが....。
「.....初めてKasahara代表を見たときはこれはヤバイおじさんだなと思いました。ちょっと怖かったです。でもそのあといっぱいアイスを買ってくれたりして本当は優しい人なんだなと思いました。でもいつも第四公園のオジサンと喧嘩してるのを見て、やっぱりヤバイ人なんだと思いました.....」
これを書きながら思い出してまた爆笑しちゃう筆者なんであった。

さてそろそろ「さよなら、ありがとう」も終盤である。
この作文は深夜の雪国にしんしんと降り積もる牡丹雪のように、心にずしりとくる時間が流れた。Hinataを皮切りに切々と読み上げられる。

原稿用紙に照明が反射し彼女たちの表情を黄金色(こがねいろ)に染め上げる。
或いは夕まぐれの日没の一瞬の黄昏(たそがれ)の輝きのごとく....。

最後は主将Himari。
途中から声にならない声を振り絞り、このQueensの仲間への想い、支えてくれた大人たちへの、或いは父母への感謝の気持ちの吐露。
最後の最後で怪我で無念の思いをした心情。しかし「禍い転じて福となす」キミはやがて中学へ行ったらその意味を古文で習うだろう。怪我の巧妙とはこのことだ。不幸にも怪我でチームに迷惑をかけたと思っているけれど、それによって逆にHimariのためにもチームが一枚岩になったのも事実。それを仲間に思い知らされたキミは幸せ者だ。キミもチームのみんなも、ひとつ大人への階段を一歩踏み進めたことに違いない。

素敵な仲間に囲まれて6年生は巣立つ。
Queensの輝かしい戦績をも凌駕するほど、キミたちの心に残したものは戦績よりももっと大きいはずだ。
我々大人たちからもキミたちに言いたい。

「さよなら、ありがとう」

.............................。
さて、2月8日は三冠達成のご褒美にジョーダンから発した発案に尾ひれ背びれが付き、ついに本当になってしまったお伽噺のような、嘘みたいな本当の話。
お伽噺のようなディズニーランドにQueens子どもたちご招待。会長、Murataコーチのご招待なんである。思い切り楽しんできてほしい。いずれ取材網を駆使して写真を入手しここでもブログアップしちゃいたいと思う筆者である。
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