さて、ここで何度も書いているように筆者、サッカープレミアリーグ・ブライトン三苫のすっかりファンになり、毎週欠かさず試合を生中継で観戦しているわけで。先週のFAカップでの久しぶりの素晴らしいゴールに続き、今朝5:00KOのチェルシー戦でも超ゴラッソゴールを決めてくれて、ものすごく幸せなんである。ド深夜かド早朝でも構わず、24-25シーズンは全試合観ている。今日も観戦後そのまま第一公園へ直行したのだった。この三笘超ゴラッソゴールについては後日別ブログにて。(その時意欲があればだが...)
さてモルテンをご存知だろうか。バレー、バスケ、ハンド、サッカーなどの領域では有名なスポーツ用品メーカーである。野球ではあまり馴染みがないのだが、第一に着くとすぐに目に入ったのがコレ。
従来の青い金属製のラインカーが1970年代の日産サニー旧車だとすると、これは黒い硬質樹脂製の電気自動車テスラのようだ。時代はカーボンニュートラルなんである。陸上用50mm幅と野球用76mm幅が引けて、石灰も独自構造で細かく粉砕しながら落下させるため、目詰まりがない、密度の濃い、ムッチリとした真っ白なラインが引けるんである。「晴耕雨読」アカデミー学院では気になってモルテンをググってみた。するとどーだろう、意外にも自動車部品や医療機器を製造し、スポーツ事業も営む、広島に本社がある世界的企業なんであった。このラインカーは小学校で10年ほど前にも見たことがあったが、名称は「レーザーライナー」という。イチローのライトから三塁への送球のような名前だ。テスラよりもカッコイイじゃんか。
さて今日は恒例グランド整備の日である。Matsui会長の秘密兵器ユンボ登場。余談だが筆者、建築業界にいる身もあって建設重機大好きニンゲン、最近はYouTubeでその手の動画をよく見ているが、このユンボの大型機のショベルカーは実に多彩な役者で、さまざまな顔を持つ優れた重機である。
外野はフェンス際を中心に宮前郡の各村から働き盛りの男たちがワラワラと作業に勤しむ。外野を均(なら)すのは鷺沼村のKobayashi青年。自動四輪車を操縦し、H鋼という鉄骨で地ならしを敢行。他にも宮前郡統括の有馬村や平村、宮崎村、宮前平村、...etcから参戦。フォルコンズ野川台村やブルアロ南野川村もあったが、ちなみにレッパ住民が棲息する村は、チロリン村である。
働き手の男どもに混じって子育て奮闘中の女たちも多く来てくれた。魚網を補修する漁村の港のお母ちゃんたちのように、緑網の細かな修繕に余念がない。
会長...いやMatsui村長の耕作機械が本塁、一塁二塁三塁...と各所を巡回し掘り起こす。本塁では宮前村裁判所のYamadera刑事、いや検事、いや副裁判官の号令で人海戦術で足で踏みならす。
戦後日本の復興を表現する言葉の一つに、「復興の建設の槌音(つちおと)高く」というのがあるが、まさにゴンゴン、ガリガリ、荒れた土地を掘り起こし整地して埋め戻す開墾作業が粛々と進んでいたのだった。本塁付近は砂も混入して戻したので、果敢なスライディングをしても以前のようなコンクリート状態の硬さではなく、村の元気な子どもたちが思い切り滑り込むことが可能でひいては怪我防止にもなるであろう。ただし、「雨降って地固まる」ように、時が経つにつれて徐々に硬くなることは否めないだろう。
さて今日は同時進行で「宮前郡宮前村遺跡発掘調査隊」がマウンド付近で発掘作業をしていたのだった。そこで発見されたのが投手板の遺構であった。丁寧に掘り進めると半ば朽ちかけた枕木のような木材を、金属製の柱で高床式に立ち上げてその上に投手板を固定していたのである。縄文時代から弥生時代まで、当時の古代人の高度な知性と創意工夫が感じられる。
審判部...いや「宮前郡宮前村遺跡発掘調査隊」はこの歴史的発見ののち、慎重に保存作業に取りかかる。原型を当時のまま復元したいところだが、現代のコンクリート片で補強をし、下には小石を敷き詰めて再現に至る。ちなみにこの小石を敷き詰めるのは、建築用語で「割栗(わりぐり)石」と言って、コンクリート基礎地盤を補強し地盤沈下を防止する働きがあり、現代建築でも必ず用いられる工法なんである。筆者建築設計業界の端くれなので知見がある。この建築知識を審判調査隊が知っていたかどうかは分からないが、実に理にかなった工法なんである。Aoki調査隊長と共にOhtsuka副隊長は水準器も用いて慎重に復元を試みる。調査隊重鎮のKosakaさんはミリ単位で微調整を指示。
はい、実はこれAokiさんに訊くと、基準となる従来のグランドレベル(建築用語でGL)から+250mm高い地点に設置されて正解だったのだが、マウンドがあまりに高いとの批評を受けて+250mmから10cm下げて+150mmにしたんだそう。一塁側と三塁側のGLが違いすぎて高低差があるため、自然な形になるようにマウンド(投手板)を下げたとのこと。これが投手に有利となるか打者有利となるかはプレイしてみないと分からないだろう。
村長の号令で各村民たちは解散となった。しかしこの後もマウンドや本塁付近をユンボで地ならしに余念がないのである。
調査団による本塁のマーキング作業。「晴耕雨読」的に言えば村民が青い苗を植える田植えである。厳密にこれもミリ単位で、なおかつ侃侃諤諤、ワイワイガヤガヤと、ピン(苗)を打ち込むのであった。
更に冒頭の「レーザーライナー」を試しに使ってみる。実に濃くて太い白を描けるのだった。気持ち良いいくらいに、濃密な白なんである。ただし、76mm幅で全て引くと石灰量が半端ないので、経済的に本塁打席とファウルラインは76mmで、他のダートサークルやコーチャーズボックスなどは50mmで行こうとなった。或いは76mmは開会式と決勝戦のみにするかなどの提案もあった。投手板の遺構は立ち入り禁止でフェンスで囲う。
さてタイトルのアレは一体ナニ?と疑問視する向きもあろう。宮前遺跡でこれを発見したのはおそらく筆者だけだろう。宮前郡宮前村どころか、川崎いや世界中でも類例を見ない巨大な化石を発見しちゃったんである。大英博物館か中国故宮博物館に寄贈しても良いくらいの大発見である。

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