2015年6月29日月曜日

連合Mvs単独F

今日日曜は午前ギリの時間まで本業の仕事をした。火急を要する壮行会実行委員の仕事などで昨日おとといは仕事にならなかったからである。途中挫折してフレンズのグランドへ。
今年もこの時期宮前6年生による連合チーム「宮前クラブ」が招集結成された。
そのMクラブと全国大会出場の有馬フレンズとの強化試合が組まれたわけで。
筆者は第一試合はカメラマン、第二試合はスコアラーだったので第一試合しか写真がない。互いにベストメンバーを組んでがっぷり四つの試合は初戦である。
(※後日談。ベストメンバーという表記は語弊あり。連合はまだまだ選手が予定が合わずに全員来ていたわけではないそうだ。今は招集されたばかりで全員が横一線に並んでいる。皆にチャンスがある。ここから本当のベストを目指し頑張って欲しい。※ご指摘下さった匿名さん貴重なお言葉ありがとうございます。7月1日AM4:15追記)

しかし筆者、帰宅後残りの仕事を終えクライアントにPDFを送ったのち、30分爆睡し、更に壮行会案内状の昔のOB親住所録をMac内HDDを調査し....、いかんせんへろへろなんである。
なのでいつものような写真編集合成はせず、いきなりノートリミングで主要写真をそのまんま掲載しちゃう。ずらりずらずらご覧あれ。宮前クラブはユニフォームはまだなんである。







宮前クラブは連合チームである。各チームの精鋭をセレクションし、皆がそれぞれの母体チームでは主将であったり、エースであったり、主軸打線を担う選手だったりする。下位打線といえど強力なスラッガー軍団だ。言わば宮前オールスター。
その結果試合は、
第一試合5:5の引き分け。
第二試合5:4でMクラブ。
招集間もないMクラブはどうしても個人技の披露に終始した感が有りまだまだ荒削りだが無理もない。それでも凄い打球や守備など将来の片鱗を見せてくれた。ここから短期間だがチームワーク、連携、サインプレーetcを磨き上げていく。毎年これをきっちり作っていくのが名将Matsui監督なんであった。昔から筆者の持論はチームが失点を重ね逆境に立たされたときこそ少年野球監督の資質が問われるというもの。負けている時こそ選手を鼓舞しモチベーションを上げる。世に言う「Matsuiマジック」だ。ぎりぎりの点差でも終わってみれば僅差で勝ち抜いていくOgasawara監督も同じだろう。
今年も宮前クラブは大暴れしてくれる予感がする。
一試合目のスタメンを活写、これだけは合成の手間をかけた。

勢い余って宮前の誇る連盟審判部の面々もご紹介。真ん中で面をかぶったのは副部長Hayashiさん。2試合目は部長Kosakaさんだった。
下の写真の個々のレイアウトはナニを表しているかは、野球に詳しくないお母さんでももうお分かりですね(^-^)

ブログアップして寝ようと思ったけれど、すっとこどっこい、ちょと待てちょと待てお兄〜さあん♪これを忘れてはいけない。
試合後ジャイアンツJrチームへのセレクション、宮前からの推薦選手が呼び出された。
宮崎モンスターズからMorishita君。宮前一の豪腕投手だ。
そしてフレンズからRuiとYuiの二人。
飽くまでセレクションなので結果はわからないけれど、名誉あることとしてこの3人には是非最後まで残れるよう頑張ってほしい。
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2015年6月27日土曜日

Kさんを偲ぶ会2

話は違うのだけれど、だいぶ前に新聞記事(?)で読んだトピックを思いだした。もはや記憶は判然としないが、この世界中だったか、全米だったか?は忘れたけれど、一日のうちにその大勢の牛がオナラを、つまり放屁する量はハンパないのだそうだ。確かに地球上の牛さんたちが屁をこいたら、そりゃ凄い量になるに違いない。オナラはつまりメタンガスであるからして、有害物質である。これが大気汚染、ひいては地球環境に拍車をかけているとまではいかないものの、少なからず影響を及ぼしていると、その記事は結んでいたと思う。(※後日談。やはりひとつ間違っていた。オナラではなくゲップだった。また大気汚染というよりは地球温暖化に拍車をかけていること。調べてから書けばこんな恥はかかないのに....)

転じて発想しちゃうのだけれど、「ヒトの3大欲」というのがあるのは周知のとおり。そのひとつ人間の「性欲」というものをどうにかして資源エネルギーに変換出来ないものか。牛のオナラのメタンガスを資源として活用できれば素晴らしい、からの着想である。人間の性欲を資源エネルギーに変えることが出来たら、人が長年夢見て来た「永久運動機関」の発明になり、仕入れ原価はゼロ、しかも人が地球上に生存する限り未来永劫、その資源は枯渇することはないのである。なんだかんだ言っても男も女もみんなエッチだからね。

この論文は私が近く然るべき学会で発表する予定なので、情報漏洩には最新の注意を払っていただきたい。個人情報も含まれるため取り扱い注意、なんである。少年野球「晴耕雨読」BLOGの読者諸賢、世界6200万人の読者の胸の内に留めておかれたし。Sasakiさんを通じて東京特許許可局とスエーデンアカデミーとギネスブックに明日登録申請する予定だ。

さて例によって序章が長すぎた。これは「笠原さんを偲ぶ会PART2」を書くに当たって、ふと思い浮かんだ話なんである。先の架空論文の話とK氏をリンクさせてみれば、氏を良く知る者にとってはニヤリ得心するであろうか(^-^)。天国からKさんが「テッシー、やめてよ〜!」という声が聞こえてきたが、こんな話も氏を楽しく弔い、送り出すための「晴耕雨読」的追悼の意を込めているんである。不謹慎極まりないけれど、彼なら分かってくれるはず。そしていつまでも彼の死を引きずらずに前を向いて歩いて行く契機になれば幸いとの願いも込めて。いつまでも下を向いていたのでは、Kさんから怒られそうではないか。

ガラリ変わって劇場は暗転、本編に突入....。

偲ぶ会閉会のあとは三々五々、来賓始め弔問客はあらかたお帰りになった。そうこうしていると「俺もあと先が長くないからTさん、Daiちゃんたちと写真撮ってよ」とSohma会長からのスリーショットをご所望された。連盟Kさん亡きあと宮前の大黒柱としての貫禄とそのオーラは他者の追随を許さない。ただこれだけならば知らない人には近付き難い頑固な昭和のオジサンになってしまうのだが、知っている人は知っている。一見豪放磊落に見えるSohmaさんは人の見えないところで細やかな気遣いをしてくれるわけで。それはとりもなおさず笠原さんも同じだった。

お開きとなった会場は後片付けの連盟実行委員会とQueensスタッフ、QのOBのみになった。そんな時ふと巨人軍の来賓鈴木丈介さんがふらりと戻ってきたんである。昨年のジャイアンツJrで面識があった筆者と二言三言言葉を交わし、写真パネルに見入る。そうだQのKitamatsuさんからもらったこの写真もパネルにすれば良かった。ああ〜なんてこったいm(_ _)m。

以前も書いたがMochidaコーチは何度ここを往復しただろう。その度にQueensタオルが塩辛い水分で重みを増していくのだった。
やっと意を決したかのように監督Koshimizuさんも写真と対峙した。己の心の中に事実を事実として受け止め刻み込むかのように。

Queens新代表兼ヘッドのMurataさんからスタッフ皆へ労いの言葉。ここから延々連盟スタッフも含めてお疲れさん会が始まる。これはQ伝統のパターンなんである。Kさんもニヤニヤしながら「おいっ、俺にもハイボール持って来て。ワインもいいな。マズイ酒は呑まねえぞ」と言っていた。超ミーハーなKさんだった。

何より嬉しいのはQのOGたちが大勢来てくれたことだ。OGだけでの写真撮影に及ぶ。「今日Harukaは来ないんですか〜?」
かつてフレンズからのQueensのOB母、Yanagisakiにも声を掛けたのだったが、仕事で参列は断腸の思いで断念された。ならばせめてOG卒部生、Harukaを強引にでも誘えば良かったと後悔の念。今となってはアフターフェスティバル、あとの祭りであった。Harukaごめんね。


大学生となった初代Queens主将が遺影を持つ。終始にこやかだった。Q伝説のレジェンド主将Meikaとその仲間たち。さながら楽しい同窓会・女子会開催なんである。

最後に全員で集合写真。連盟+Queens入り乱れての。
これも笠原さんがこの場を用意してくれたんだなあと、ファインダーを覗きながら思う。
写真パネルには敢えて載せなかったとっておきの一枚がある。スライドショーでは最後の場面に使われた一葉だ。私はこの日の下の写真合成のためにわざと使わなかった。

Kさん、ありがとう。
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2015年6月26日金曜日

仕事にならんぞ

全くもって仕事にならんぞ、なんである。
県大会優勝を挟んで、そのあたりから筆者も筆者のまわりも目まぐるしく、慌ただしく毎日が過ぎている。ブログネタも以前も書いたけれどBの試合や祝勝会や体験会はまだだし、偲ぶ会の計画、準備、実行は先日終わったばかり。来月の壮行会に向けての仮メンバーで実行委員を立ち上げたら、時間のなさと規模の大きさとやることの多さに唖然、茫然、悄然とするばかりなり。壮行会の計画に併行して地元のある公共施設に、「祝・全国大会....」的な懸垂幕を設置する動きも具体化し、選手の幟(のぼり)を作る計画もあり、全くブログなんて書いてる暇なんかないのだ....と、言いつつ書いてる、俺。

一昨日やっと「偲ぶ会1」をアップし、昨日の晩はそのあとのQueens中心の話を書くべく写真編集まではアップ。深夜に至り「偲ぶ会2」を書く前に脳みそが沸点に達し、頭の電源を切ったのだった。
野球関係のことはブログも含めて夜しかやらないと決めているのだけれど、今日は日中堂々と書いているんである。書かざるを得ないんである。
今朝フレンズLINEがまた鳴りだした。着信音ピコピコピン♪が止まらない。QueensOB母からもおめでとう、見ましたよ〜のメール。
まずは神奈川全県下と都内3ヶ所の全50地区をカバーし発行部数235万部の巨大タウン紙、タウンニュースの宮前区版なんである。

+++++これを書いていたらピコピコピン♪まさに今、今度はQueens新代表Murataヘッドコーチからも「見たよ〜」のLINEが入った(^-^)+++++

タウンニュース社の知り合いの記者さんから電話があり県大会のことを訊かれたんであるが、即答した言葉がうまく凝縮されて載っていた。レギュラー選手の名前を載せたいとの申し出には快諾しつつも、レギュラー以外でも控え選手になってる6年生二人も載せてやって欲しいと頼み込んだ。選手のコメントも欲しいとのことで夜中にLINEを駆使して3人の母から収集したのだが、紙面字数の都合で挿入は出来なかったようだ。試合展開はこの「晴耕雨読」を読めば詳報が書いてあるからと言い添えて電話を切った。それからメールで写真や補足点などのやりとり。締め切り間際なんであった。
※タウンニュース宮前区版6/26号から

そのあともLINEピコピコピン♪は鳴り止まないんである。そういえばLINEポコパンってあったよな。筆者ゲームは全くやらないが、さしずめこれはLINEピコピンか。
東京新聞の記事もデカデカと載っていたんであった。
普段ブログでは気を遣い人名は公人以外は英文表記しているが、新聞を見るとフルネーム実名である。当然といえば当然だけど、ブログでのささやかな筆者の気遣いは、新聞では木っ端みじんに気持ちいいほど破壊しちゃってくれてる。よほど新聞の名字部分をモザイクかけようかと思ったけれど、新聞だからまいっか、となりそのまんま行っちゃう。(実は面倒くさいからだ。それにフレンズ親たちは絶対文句言わないという根拠のない確信があるからでもある)
ではフレンズLINEに載った写真を一挙掲載。
東京新聞さん、無断でゴメンナサイ。出典だけは明記しますので。
※東京新聞Today「特別版」6/26号




またLINEピコピンが鳴った。
監督Satohからだった。
「名刺、全部売り切れました。お暇な時に増刷お願いします」
チームの名刺デザイン印刷担当でもある筆者。
「おっしゃ〜、了解。今度は100万枚刷っとくぞ〜」

とほほ、また仕事が増えたんである。
それよりも明日までに壮行会案内状の文案を作らなきゃなのだった。
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2015年6月25日木曜日

Kさんを偲ぶ会1

いよいよ準備が整った。会式の3時間半前から準備に入った連盟実行委員とQueensのスタッフ。ここに至るまで綿密な計画と準備を経て来たのだが、あーでもない、こーでもないの末になんとかベストの会場設営が完了。

どういう方向に筆が進むか筆者にもわからないけれど、今回のこのブログは時にしんみりと、時に不謹慎とも言える表現になる予感。野球で言えば「緩急をつけたピッチング」と言えようか。生前の笠原さんは湿っぽいのが大嫌いだったとの意向を汲み、Sohma会長はなるべく明るくやろうとのコンセプトを打ち出したことにも起因している。文中不謹慎な色が浮かんだ時はゴメンナサイなんである。(※公人は実名で表記)

Uchimura副会長、読売巨人軍からは鈴木部長のご挨拶。ジャイアンツジュニアの監督河埜さんもみえた。おごそかに献杯となる。
司会の白羽の矢が立ったのはQの母、Imanishiさん。補佐でYamaguchiマネージャーが脇を固める。連盟主催ではあるがQueensの存在なくして笠原さんは語れまい。Q現役親、コーチはおろかOG親総出で会を支えたんである。

弔問外交という言葉をご存知だろう。故人を偲びつつも酒を酌み交わすうちに、やがて活発な歓談となるわけで。あちこちでしめやかな空気感から一転、笑顔が見えるようになる。各テーブルを回ってみた。9テーブルあったが結果的に130名の予定を大幅に上回りおそらく250名くらいに上ったであろうか。ある程度それを見越して当初の着席から立食にしたのは大正解であった。
フレンズ監督Satohもそうだが、筆者も周りの多くの方達から「フレンズさんおめでとうございます!」と笑顔で挨拶された。嬉しいことこのうえない。宮前から全国へ。この思いを背負って行くのは重責だが、逆に皆さんの純粋な気持ちをバネに神宮へ乗り込もうと思った。県大会での戦いぶりを笠原さんに観てもらいたかった。存命ならばどんな言葉をかけてくれたのだろうか。
場違いではあるけれど、みなさん、本当にありがとう(^-^)


ほどなくして毎年Queens6年生を送る会ではお馴染みサンダースTsudaさん制作のスライドショー。
筆者と写真をシェアしてお互い別々に制作したんであったが、やはり写真選択のコンセプトは同じであった。ここの写真では割愛するが、あちこちからQueens母たちの静かな落涙の音が聞こえてくる。幾人もが目頭を押さえていた。

青空駐車場ならぬ、青空喫煙場では連合監督名将Matsuiさんの元へ、かつての連合OBの子たちが挨拶に。なかなか良い画である。
Qも主将Himariの時代のOGの子らや初代主将など中高大の生徒学生が大勢詰めかけた。さながら同窓会である。中学制服になるとなんか別人のようだ。娘を嫁にやったオヤジのような気分なんである。Himariはばりんばりんの京急ユニフォームで相変わらず女子野球まっしぐら、元気そうだった(^-^)親友Misakiとダンスまで踊ってみたり。

宴もたけなわと言っては不謹慎だが、途中から川崎市長福田さんも参式。スピーチの内容を聞いて笠原さんの人となりを改めて「凄い」と思ったものだった。巨人軍とのパイプしかり、笠原さんの人脈の広さと深さは到底凡人が真似出来るレベルではない。

弔辞。
笠原さんとは縁の深かった連盟副会長でもあるMatsuiさんから。
Qの柱であった氏が亡くなって以来、監督Koshimizuさんは練習の土日になると体調を崩していたのだった。こみ上げる感情を必死に抑えるかのように訥々と語るKoshimizuさん。どうしても信じられない、いまだに信じたくない。それは自分も含めて多くのQueens関係者、特に母たちの共通の想いである。この人ほど人望の厚さがあった人はいないのではないか。
それは妙な言い方をすれば、嫉妬にも似た感情さえ芽生えるほどだった。どうしてこの男は女性のみならず男までも魅了するオーラを持っているのだろうかと。
母代表のTaniさんの弔辞は涙で声も途切れがち、多くの母たちの共感を得たに違いない。

「Queensはファミリーだから」というのが笠原さんの口癖だった。
その思いに応えるように、現役選手とOGたちが参列し主将Miiが子どもらしい文調でお別れの挨拶。写真立ての奥できっと氏もにやにやしながら「ミーッ!ちゃんと読めよー」と言っていた気がする。
ファインダーの向こうにOGのMisakiがいる。二人の父を同時に喪ったような彼女のその悲しみに思いを馳せると、胸が締めつけられ言葉を失うのだった。

最後の挨拶である。閉会の辞は連盟副会長、やはり全国で百戦錬磨の名将Ogasawaraさん。その前に遺族として出席していたDaikiが父への想いを語る。彼はQueensのコーチでもある。Qの子たちにはお兄ちゃん的存在だ。20代半ばの彼は若くして父を喪った悲しみはいかほどだろうか。私のオヤジは自分が22歳の時に他界したのだが、あまりに自分が若すぎて実感が伴わないことを想いだした。
会長Sohmaさんもいつもの流暢な張った声ではなく、何かに戸惑っているような口調だった。
下の写真。
Daikiの右上のもの。彼の後ろの遺影のオヤジが例の甲高い声で「おいっ、Daiki。おまえの背中でテッシーのカメラに俺が写らねえじゃんか」と言って首をかしげてこっちを見てるような気がした。

最後に献花。
粛々と哀悼の意を込めて。
少しずつ皆の想いが白い布の上に降り積もる。





笠原さん。

歯に衣着せぬ物言いで大声で激高することもあれば、
優しく小さい子に気遣う心も持合わせ、
時に赤裸々な下ネタを言い合ったり、
スタッフの失策をおくびにも見せず自分のミスと公言し、
俺はこんな性格だから敵も多いんだよとぼそりと漏らし、
女性には優しく、そして厳しく、
男には楽しく、そして厳しく、
人と真摯に向き合い理路整然と論破することもあれば、
わがままな幼稚園児のようにだだをこね....。

人を引き寄せ、人を巻込み、人を振り回し、人に囲まれて、
そして人の中心にいつもいた、人だった。

不思議な魅力を持ったそんなあなたが、
俺たち皆大好きだった。

合掌。さようなら。
あの世に行ったらまた一緒にみんなで酒を呑もうぜ。
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2015年6月24日水曜日

求心力

神奈川県大会優勝のあと、周囲も筆者も何しろ慌ただしく時間が過ぎていくんであった。フレンズ関連の仕事だけでも5,6種類のファクターに関わっており....いや、スコアラーとこのブログ執筆も入れれば7,8種類になろうか。その最たるものは来月に開催予定の全国大会へ向けての壮行会プロジェクトである。週末には父母会を開き、チーム一丸で成功させなきゃなんである。先日土曜日は「笠原さんを偲ぶ会」のあとQueensのメンバーと深夜まで語り明かし帰宅はAM2:00だった。連盟の意向を受けて壮行会はフレンズ主催と決定し、急遽その翌日、日曜夜から壮行会プロジェクトチーム(仮メンバー)のキックオフミーティング。その日も深夜遅くになっちゃったんである。フリーランサーの自営業とはいえ、朝はほぼ通常通り起床することを信条としているので、寝坊は出来ない。20年前少年野球に関わる前のサラリーマンだった自分は、休日といえば昼近くまでだらんだらん、布団のぬくもりを愛してやまなかったのに。掃除機のノズルで突つかれて目が覚めるか、幼かった子どもらに「起きろー!」と布団にダイビングされてしぶしぶ起きる週末だった(^-^)

さて今回も「深夜の弁明」シリーズなんである。
偲ぶ会のブログ写真編集はあと少し残して先ほどほぼ終了。本文を書くのは明日にして、このまま就寝といきたかったけれど、考えてみれば明日は夕方から本郷で打合があり、そのまま夜はクライアントと飲む可能性が大なんであった。ならば今日のうちにこれだけアップしてしまおうじゃないのよ。

連盟実行委員で担当した笠原さんの写真パネルだけ一挙公開。
偲ぶ会に仕事や様々な都合で来られなかった方たちのためにも。
おかげさまで多くの皆さんに見てもらい、笠原さんを偲び思いを届けられただろうか。
中でもQueensのMochidaコーチは目頭を抑えながら何度往復し凝視していたことだろう。筆者は会場中をカメラ片手に徘徊していたが、気がつくとパネルの前には必ずと言っていいほど、Mochidaさんが佇んでいた。
パネル本体には笠原さんの写真を。そのフレームには笠原氏以外の周囲の人たちが集うようにわざとはみ出させて貼り込んだ。氏の求心力を象徴したつもりだった。いつも彼の周りには人が集まっていたように....。
写真提供は筆者のストックの他、Ichika母、Daiki、Natsuki、Hatano、Mochida、Ozawa、Nishimura、Kitamatsu、Nemoto各位(順不同・敬称略)
おかげさまでSpecial Thanks!
一気呵成、縦横無尽、千載一遇、一期一会の写真掲載なんである。





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