2011年12月2日金曜日

「エクセルにアクセル」2

スコアブックのExcel集計、更に全12ページに及ぶ年間成績の冊子デザイン・制作・編集までが終わった。エクセルにアクセルを踏み込んで佳境に至る。「エクセルにアクセル」は以前も使ったダジャレで今回も確信犯的にブログタイトルに使っちゃうのだ。

今回はExcelでの集計はほとんどチームの父Ohmoriさんにやってもらったおかげで随分と助かった。だから今年はちょっとは余裕かませるかなと思いきや、義父の葬儀や諸々の事後処理などで時間を取られ、カレンダーを見たら例年どおりタイムリミットの12月4日はもうすぐで。
少年野球の年間成績表でありながら、卒業生の想い出アルバム的側面もある。挿入した写真はおそらく40〜50枚はあろうか。表紙に使う写真は連盟20周年記念誌にも載せるものを選択。データはExcelをPDFに変換したあと、全てIllustratorとPhotoshopというグラフィックソフトで作った。とんでもない重さである。12ページ320MB。素人の方にはピンと来ないと思うけれど、どれだけ重いのかというと、象の代わりにこの320MBのデータを乗せたら、さすがのイナバ物置も社長もろともぺしゃんこになるくらいなのだ。
しかしまあ、良かった。あとはプリンタで出力して、今度はチームの母Fukaeさんに渡し、コピーを量産してもらい冊子に製本。12月18日の「6年生を送る会」に配付なんである。ここではサワリとして表紙のページとデータを収納してるフォルダのデスクトップを掲載。


先週の日曜、有馬中学校で新人戦があった。
うちのチームの卒業生が野球部にいる。まだ1年のヒヨッコなので応援席で頑張っていた。中学の野球となればレギュラー争いは少年野球のそれとは比べものにならないわけで。
昨年のチームOBに「記録よりも記憶に残る」子がいた。Muroiである。ヤツにレンズを向けるとサウスポーでVサインを送ってくれた。
いい笑顔だった。
全国の少年野球のコーチ全ての100%賛同を得られると思うのだけれど、チームを巣立った子が中学やシニアに行き...いや、違う道を歩んでいたとしても、その子が笑顔で挨拶してくれることほど嬉しいことはない。.......コーチ冥利である。

有馬小に移動し、成績表に載せる卒業生の写真を撮る。主将のNabeはシニア見学で不在だったが、あとの5人を集めてカメラを構える。単純な集合写真ではオモシロクないわけで......。
アイディアは瞬時に浮かんだ。
私「おっし、EXILEで行こうぜ!チューチュートレイン!」
ヤツらも瞬時に縦一列になり私の指示に従う。試合中のサインにもこんだけ言うことをきいて結果を出してくれていたら....。

「Teshimaコーチ、今度は千手観音やりたいっ!」と宣(のたま)うヤツら。
私「おっし、千手観音行こうぜ!」.....(千手観音って、よく知ってるなコイツら)
わらわらと隊列を変化させて手を伸ばす。
私「Katsuは手を斜め下っ、後ろのHiromiはバンザイっ!」
練習中の指導にもこんだけ言うことをきいて結果を出してくれていたら....。

最後にもうひとつアイディアが浮かんだ。
私「おっしゃあ、EXILEと千手観音のコラボレーション行こうぜ!」
この子らもあともう少しで卒業である。
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2011年11月27日日曜日

Rookies

先週行われた宮前区新人戦。今日決勝戦があり、富士見台ウルフ少年野球クラブが優勝とのこと。こちらフレンズは一週間経ってしまったけれども、色褪せないうちに書いてみたいと思う。琥珀の中に閉じ込められた恐竜のDNAほど古くはないはずだから、許してタモレなんである。

うちはこの一年、Bチームを作るかどうかのボーダーラインに揺れながらとうとう1年が経ってしまった。帯に短しタスキに長し。人数、協力父母、指導体制などを鑑みたとき、二の足を踏んだのは事実。来年はまた選手数が少なくなってしまう。B=新人チームはほとんど試合らしい試合はやってない。
その来年のチームの実力を占う新人戦。占いは飽くまで占いだから、当たらない場合もあるわけで。でもある程度各チームの「勢い」は分るというもの。
開会式でのショット。
Sohma会長、Ogasawara副会長、記念誌プロジェクト御大でもあるKasahara副会長の面々...。立派なトロフィーも用意されている。

連盟の裏方軍団。連盟事務局メンバーである。大会運営のみならず、日頃の宮前少年野球を底辺から支えている黒子のメンバーだ。
左からフレンズNishihara、アリコOhtake、リトグリ(Queens)Yamaguchi、そして記念誌プロジェクト編集長の元ウルフNishimuraの各氏。深く濃く感謝である。どれほど深く濃いかと言われれば、恐竜のDNAが閉じ込められた琥珀くらいに深く濃く感謝なんである。

場所を移動し初戦は対南菅生ワイルダース。先発I・Takumiでプレイボール。
初回4失点すればうちも4得点で同点。2回にはまたも4失点でその裏2得点の、8:6の激戦だ。3回にはついに7失点を喫す。裏になんとか2点を返すものの、気がつけばスコアは15:8の7点差をつけられた。最終回の裏....。少年野球、特にBチーム、セオリーのない若いチームにありがちな急展開。7点差をはね返しうちが8点をスコアボードに叩き込み、大逆転の15:16のサヨナラゲーム。

ダブルヘッダーの相手は宿敵・強敵でもあり、仲良し友軍の鷺沼ヤングホークス。試合前にヒマな6年生のOtoは「31アイスクリーム」のトリプルよろしく、ヘルメを3段かさねて移動のナイスキャラ。チームのムードメーカーたる所以。

先発はKohta。相手はすでにBと言えど百戦錬磨の、すでに出来上がっているAに近いBのようなもの。コテンパンにやられた。大差で負けることは予想していたものの、ケタが違った。悔しい。願わくば来年もヤングとは同じヤマで当たりたくないなあ(^^)...。野球の練習以外にも、主将にはジャンケンとくじ引きの特訓を課したほうが良いかもしれない。
それでも我が打線は気を吐いた...けれど無安打。1得点のみの貧打線。

打線は気を吐いたけれど、ひとり気を...じゃない、火を吐いたヤツがいる。
すでにフレンズ名物となりつつあるうちのS.Takutoである。
一球ずつ金切り声を叫び気合いを入れる。良いことだ。少なくとも声の出ない子よりは元気があってよっぽど良い。
但し喉を痛めないようにね(^^)
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2011年11月25日金曜日

新幹線の新感性

日曜の新人戦が終わりコーチ会議と称するチームの飲み会で盛り上がるさなか、尻のポケットがわずかに震えているのに気づく。携帯を抜きフリップを開けば配偶者からのコール。席を外し通話ボタンを押してから20秒後には膝が崩れそうになる自分があった。
配偶者の父の訃報であった。広島の片田舎で教頭昇進を断ってまでいち国語小学校教師として職を全うし、贅沢や華美を嫌い質素な生活を旨とし、また半面、反骨精神豊かで、ユニークとユーモアのセンスを誰よりも好む人であった。巨人を「虚人」、ヤクルトを「夜苦留人」などと勝手に名付け、生涯広島カープを愛した人。棺の中の胸元には赤いカープの帽子を添えた。

翌月曜には朝一でひとり帰郷した配偶者を追い、娘と11ヶ月になるMinamiと共に、横浜から西へと向かう新幹線の車中の人となった.....。

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と、ここまでは、ちょっぴり短編小説風に書いてみた。
そうでもしないと身内の話というのは書きにくく照れくさいものだから。
ここからはまた普通のいつもの少年野球「晴耕雨読」スタイルに戻るのである。
一連の儀式を終え帰ってきました。
また徒然なるままに駄文を書いていく所存であります。

日曜の新人戦はなかなかどうしてブログネタ満載ではあったけれども、時間が経ち旬の時機を逸した感あり。また近いうちに書きたいと思うわけで。なぜならこのブログ、自チームのフレンズ応援ブログでありながらも、宮前区少年野球全体の応援ブログをも標榜(ひょうぼう)しているのだから。

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往復の新幹線の中でのネタはいくつかあるけれど、久しぶりに乗った「のぞみ」の完成度には目をみはるものがあった。座席周りもそうだけれど、特筆は喫煙ルームである。羽田空港の喫煙室は結構広いのに時として煙が飽和状態になることもある。それに比してこの「のぞみ」のそれはなかなかの快適空間であった。ほとんどヤニ臭さがなく、満員でも煙がほとんど目視できないほどクリア。ヤニ臭さよりもオヤジどもの加齢臭のほうが鼻につくかもしれないほどだ。空間デザインもステンレス一辺倒の無機質さがなく、柔らかいテカリ感のあるメリックな粉体塗装。ナニカ近未来の宇宙船の快適なコクピットを彷彿とさせるほどだった。Gマーク=グッドデザイン賞をあげたいくらいのものだ。新しい感性ではある。
この写真のカウンターや駅の階段手摺まわりが斜めに傾斜しているのはナゼか知ってますか?小さなバッグなどを置くと滑り落ちてしまうように敢えて設計されているんである。つまりモノを置けないようにすることで、忘れ物防止と危険防止を兼ね備えているんである。

連結部のデッキに出てみる。
普段見ることのない様々な日本の田園風景を楽しめるのも、新幹線の旅のひとつの楽しみ。ぽつねんとした夜の人家の灯りを見るといつも思うのは、谷崎潤一郎著「陰翳礼讃」(いんえいらいさん)を想起する。「光と陰」日本建築デザインの根本を形成するものの考え方である。
窓外に流れゆく明るい風景を見ていたら、突然窓ガラスが真っ黒になり鏡に豹変。
そこでは変なオジサンが私の目をじっと見つめていた。
ぬぬっ、誰だコイツ!?
トンネルに入って「窓鏡」に映った車内の私の姿であった(^^)


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2011年11月21日月曜日

無題

今日聞かされた訃報。
享年86歳。
明日から家内の実家広島へ。
しばらくブログ更新お休みします。

2011年11月18日金曜日

11月なのに師走

野球のスコアブックをExcelで集計する地獄の季節の到来である。
しかし今年はExcel入力だけは強力で協力な助っ人が登場。我がチームのOhmori父である。データ入力をお願いしたところあっさり快諾、ここまでほとんどの試合をガッツリ入力済み。マジ助かってるわけである。
そのOさんから今日ここまでのExcelデータを送ってもらい検証。
Oさん曰く「数値入力してもMamoruの打率が算出されないんですけど...」
うむむ、なんで?
なんと!よく見たらMamoruの打席は7打席。で、全て四死球7。ゆえに打数がゼロなんである。打数がゼロなら打率もゼロ。低学年なので7打席しかバッターボックスに立ってないのだけれど、全て四死球って、スコアラーやってて気づかなかった。

そんなこんなでスコアの集計も佳境に入ってきた。OさんExcel完了後はまた筆者のまとめの作業がある。その他にも野球関連で12月の「卒業生を送る会」までにやること目一杯。大項目だけで6個あり。仕事が忙しくなると更にこれに拍車がかかり、毎年作業は深夜に及ぶことしきり。

宮前少年野球20周年記念誌プロジェクトチームの中で、メンバーそれぞれに愛称がつけられている。名付け親はNishimuraさんだ。そのNishimuraさんは「編集長」ボスのKasaharaさんは「社長」Nemotoさんは「師匠」Saitohさんは「本部長」とかとか...。でもって筆者は「先生」なんである。架空の出版社を想定したのものだ。

まさに師走を向かえる前の11月にして、すでに「師」が「走る」ほど忙しい今日この頃。ここで予定をフレンズノートに箇条書きにしてみた。
「デスノート」みたいに、書き込むだけでこれらのto do LISTが一瞬で消えてくれるのであれば、ドラゴンボール7個を集めてでもそのノートを手に入れたいものだ。全世界の読者の方、ドラゴンボールのありかを教えて下さいましm(_ _)m

ん、待てよ....。
この予定を消化する困難さより、ドラゴンボール7個を集めるほうがよっぽど困難を極めることに今、気づいたんである。本末転倒。
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2011年11月14日月曜日

快勝!6年最後の試合

南部リーグ最終戦。冠試合では最後の、そして6年生にとっても最後の公式戦となる。
南部リーグの発足理由は、6年生への「お疲れさま的想い出作り的親善試合的」要素が色濃い。野川レッドパワーズさんが発起人となって、宮前区をほぼ2分する246号線(厚木街道)の南部地区を中心としたチームで構成され、結構歴史も重ねてきた。
相手は同じ有馬地区で活動する有馬子ども会野球部。町内会下部組織の子ども会の野球部である。フレンズとも西有馬小校庭を共有してたりもする、お隣さんチームなのだ。率いるは有馬の顔Kawakoshi監督。対するうちの監督は久々の現場登場、Satoh監督である。第14期卒業生の宮前でも希有なOB監督なんである。

試合開始10:02。
1回裏F攻撃=先頭打者I.Takumiのいきなりのツーベースヒットで出塁すると、3番Otoの安打で3進、4番Nabeの一塁ゴロの間に本塁を踏み先取点。まずまずの滑り出し。
6年生の親たちも最後の試合とあって、続々登場。なかでもKatsumiの父さんが来たのは嬉しかった。彼は通信電気工事関係なので土日は仕事で滅多に顔をだせないのだ。いつも我々オヤジどもと会うのは、夜のとばりが下りてから、グラス越しの乾杯の時だけ。父子だけの家庭で子どもを育てるのは、我々バカオヤジどもには想像出来ないほどの苦労があるはずだ。やはり人の親。息子の最後の試合に仕事を抜け出し駆けつけたわけで....。
こっちも黙っちゃいない。Hiromiの母も登場。例によってベンチ後ろからOno母のトークが聞こえてくる。
「アリコのさあ、先発ピッチャーのあの子Kaname、可愛い〜のよ!うちの近所なんだけどね。昔うちのHiromiと一緒にフレンズに見学に来てさあ〜...」
久々に雀を見かけた話ではなかった。二人がフレンズに見学に来たけれど、K君はアリコに行っちゃって、息子Hiromiはフレンズに。そのK君は先日の宮前区のストラックアウトで優勝する投手に育った。それでもOno母はガハガハ笑いながら、相手チームのK君も応援していた。そんな逞しく度量の大きな母がフレンズにはいる。大きいのはそれだけじゃないけれど(^^)母子(ははこ)の家庭ではあるけれど、苦労のクの字は微塵も見せずに、いつも周りを元気にしてくれる。
筆者、こんな父や母が大好きだ。

3回裏F=3,4,5番のクリーンナップに連打が出て追加点、2点目。
先発Otoはサイドスローから再び元のオーバースローに転向。これが功を奏した。見違えるようにストライクが入り球も走り、自信と笑顔が戻った。6回までノーヒットノーランである。Satoh監督が捕手のNabeを呼び耳打ちする。聞こえなかったけれど、想像豊かな筆者の予想ではたぶんこんな感じ。
「おい、Nabe、おまえのリードでOtoのノーヒットノーランを達成してやれよ」

5回裏F=先頭打者Teruが5球目の低めインコースをなんとホームラン!
往年の西武田淵を彷彿とさせるような、滞空時間の長い体育倉庫屋根を直撃の一発である。悩める副将、冷静沈着、優等生のTeruの特大の一発であった。最後の試合で彼の心に何かが刻まれたはずに違いない。おめでとう!
これを皮切りに6年生の4連打で3点追加。

試合はノーヒットノーランは達成できなかったけれど、6:3の快勝。
間違いなく今年のベストゲームのひとつである。それが6年最後の試合でなし得たことが、筆者には嬉しかった。6年生全員の活躍が光ったのがいい。
怪我で参加出来なかったTaguchiがいないのが残念だ。いたらきっと彼も負けずに活躍してくれたに違いない。

ベストプレイヤー賞は6年全員。
投打が復活、大活躍のOto。
長短打4の3、4番主将Nabe。
本塁打と守備も光ったTeru。
左翼での好補と2安打のKatsu。
野手からの難しい送球を黙々とショーバンで拾い上げ、いくつものアウトを稼いでチームに貢献したHiromi。ついでにHiromi母にもあげちゃおう(^^)

ラグビーで言うところの「ノーサイド」
試合後は和気藹々、アリコの子らと一緒に写真撮影。
夜はみんなと酒を呑んで、家に帰って写真をMacで拡大してみると、チームの垣根を超えて何人かがお互い肩を組んでいたのを見て、それだけでなんだかウルッときてしまったオヤジの午前0:45。

ブログアップは仕事で月曜深夜1:30になっちまった、Tでした。
その夜のコーチ会議での顛末は時期を見てまたいずれ...。
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2011年11月11日金曜日

11.11.11.11.11.11

昨晩遅くに図面を描きあげたものを今朝、クライアントへメール。
ファイル名には日付を入れて。
「111111_2F-B5_PLAN.mcd」なんて。
もうお分かりですね。
つまり今日は2011年11月11日なんである。
だからどーしたって話ではある。
午後から阿佐ヶ谷の現場へ行かねばならず、それまで少し時間が空いたので、いつもは真夜中に書くブログなのに、とても珍しいことだけれども、こんな昼間にちょっとブログアップを。
Amazonで買った¥780の電波時計のアラームをわざとAM11時11分にセット。
ついにその時はやってきた。頼みもしないのに。
アラームの音がピピピッと鳴り出してから、10秒後にデジカメのシャッターを切る。それがコレ。
2011年11月11日11時11分11秒。
だからどーしたって話ではある。
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