2017年2月2日木曜日

川崎少年野球ブログのこと

少年野球ブログランキングというのがあって、全国の少年野球ブログにアクセス数などでランキングをつけちゃうサイトなんである。
以前にも書いた覚えがあるけれど、例えば「晴耕雨読」が登録しているサイトは、「にほんブログ村」という超巨大なランキングサイトがある。ありとあらゆるカテゴリーのブログを種類分けし、細分化した果てにあるのが少年野球ブログというカテゴリー。野球のカテゴリーだけでも8177サイト。例えば「旅行」に関するブログだと37350サイトが登録。全てのブログ数はいったいいくつ登録されてるんだろうか。何十万ものサイトがあるに違いない。

この中のひとつに少年野球ブログのカテゴリーがあり、その少年野球だけでも615サイトなんである。筆者がここに登録した時は確か400前後だったかな。ランキングの仕組みはこのページの左側または記事の最後にあるアイコンをクリックすると、ポイントが加算されて順位が上がるみたいである。(スマホではそのアイコンが表示されないかも。Webヴァージョンで見れば出て来るはず)
因に「少年野球ブログ」の他にも「野球コーチブログ」のカテゴリーにも参加している。

筆者オリジナルで作ったリンクバナーはこれ。

さて、そこでちょっぴり誇らしいことなんである。
この少年野球「晴耕雨読」は1,2年前は全国ランキングで1位から5位くらいの常連であった。共にランキング上位で頑張っていたのが同じ川崎中原区の「今井西町少年野球野球部」さん。かつて何度か試合もさせていただき、試合の合間に談笑し互いのブログのことで盛り上がったこともあるんである。
そして昨年宮前区からも参戦してきたのが「野川レッドパワーズ」
ほほう、レッパさんも「にほんブログ村」に登録したんだ、と思うのもつかの間、あっと言う間にランキング上位に登り詰めた。
何が誇らしく嬉しいかと言えば、全国615個あるサイトの中で上位10位以内に川崎の少年野球ブログが3個も入っていることだった。昨年一瞬ではあったけれど、1,2,3位にレッパ、今井西町、「晴耕雨読」の川崎勢がワンツースリーフィニッシュを決めたことがあったように記憶する。まるで陸上個人競技で金銀銅メダルを全て日本人が取ったような気分だった。(夢で見たのかな?)
今はこんな感じ。毎日コロコロ順位は変動相場制である。

当「晴耕雨読」はしばらく更新しないとあっと言う間に下位へ転落する。但し「にほんブログ村」にはアクセス数のランキングの他にも「注目記事」というランキングもあって、どういうシステムで人気順を決めているのかは謎に包まれているのだけれど、そこでは常時そこそこ上位に入るんである。サイトの担当者が目を皿のようにして毎日615個のブログをチェックして、良いと思ったブログをピックアップしているんであろうか。ましてや全部のカテゴリーに至っては目を通すことは不可能であろう。そんなバカな。もしそうなら、筆者その担当に就職したいものだ。履歴書を送ろうかなってもんだ。
昔椎名誠の小説で「ひたすら本を読むことでお金がもらえる夢のような職業」の話があったが、タイトルは忘れた。それを本当に実現させたのが「本の雑誌」という書評雑誌。編集長椎名誠で、発行人目黒考二。今や書評家の第一人者でペンネームは北上次郎氏なんである。
但し当然ながら小説「月に雨降る」は少年野球とは全く関係ないのでランキングではさっぱりではあるけれど。因に近い将来には、小説は小説投稿専門サイトに最初の1話から載せてみようかと考えている。そういうサイトなら、ずずずずいっと、連続して読めるはず。一度がっつり推敲(すいこう)と校正をかけて贅肉を落とし、または文章を上乗せしつつ。小説「月に雨降る」はきっちりと推敲もせずに勢いで載せているきらいがあるんであった。特に「てにをは」はあちこち破綻しているんである。同じような文章表現も多々あるし。
話は横道だけれど、先日村上春樹の「職業としての小説家」という文庫本を読んだ。長編小説を書くのに半年かかり、そのあと気が遠くなるような推敲と校正を何十回も重ねて(バッサリ削除したり、ガッツリ書き加えたりして)約1,2年かけて一冊の本を上梓するのだそうだ。
(※2月24日には氏の新刊本が発刊予定。今からワクドキ嬉しくて仕方ないんである)

それはともかく、川崎の少年野球ブログが躍進していることは喜ばしいことだ。自分の「晴耕雨読」の順位もちょっぴりは気になるところではあるけれど、順位が落ちても別に構わない。ただ、あまりにも下落しちゃったらブログを書くモチベーションもなくなってしまうので、出来れば「お気に召したらポチクリを!→」と少年野球ブログリンクのアイコンをクリックしてもらえたら嬉しい。

最後にレッパ(宮前なので敬称略)と今井西町さんのリンクを張っておくので、もしよろしければ、ポチクリどーぞ、なんである。

「野川レッドパワーズ」
http://blog.livedoor.jp/redpowers_n/

「今井西町少年野球部」
http://westcitybb.blog136.fc2.com

勢い余ってこちらもどーぞ!連盟事務局の至宝、Nishimuraさんの丹青込めたHP。
「宮前区少年野球連盟」
http://www.miyamaejbl.com/index.html

勢い余ったついでにこちらもどーぞ!公的な情報満載である。
「川崎市少年野球連盟学童部」
https://kawasakijbl.wixsite.com/kjbl
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2017年1月31日火曜日

小説「月に雨降る」35

黒坂の長い話を聞き終えると龍一は言った。
「それで私の名前と会社の番号を知っていたんですね」
「そうです」
「でもなぜ、今頃になって」
「長年探偵事務所をやっていた新宿のビルが老朽化で取り壊しになりましてね、まとまった金も入る予定で。いい機会だから年も年だし思い切って廃業して、鎌倉へ引っ越すことにしたんです。古民家を借りてのんびりやろうかなと。ゆくゆくは一階を改装してカフェにしようかとも考えてます。それで先日事務所の資料を整理していると、キャビネットの奥から今回のファイルが見つかりまして。希伊さんのことを神島さんにお伝えしようか迷いました。あれから相当な年月が経ってますから、興味がなく電話口で断られると思ってたんですが、希伊さんのことを思うとささやかな情報ですがお役に立てればと思いまして」
黒坂は誠実な人柄なのだろう。一見取っつきにくい風体ではあったが、やはり人を外見で判断してはいけないのだった。
「役に立つどころかとても貴重なお話でした。希伊は当時金沢にいたんですね」
あのあとすぐに金沢へ発ったのだろうか。身寄りのない彼女はそのあと何をどうして生きてきたのだろうか。
「はい。ただし物的証拠はありません。管理所のおばさんの話と私の類推ですので。でも伊達にこの年までこの稼業をやっていたわけではありませんよ。おそらく九割方間違いないと思います。ただ、現在も金沢にいるかどうかは分かりません」
「ありがとうございます」
龍一は自分でも驚くほどに舌が滑らかに回り始めた。
「わたし実はお恥ずかしい話ですが...」
龍一は初対面の相手であるにもかかわらず、今までの希伊との関係性や消息を絶ってからの自分のこと、結婚し離婚し、二人の子の父親であること、にもかかわらず最近どうしても希伊のことが頭から離れなくなってしまったことなどを吐露した。希伊とのことは学生時代からの親友でバーの店主真壁にだけは話したのだったが、今の自分の抱えている思いを誰かに話すことによって、自分の心の立ち位置を確認したかったのかもしれない。
逆に今度は聞き手に回った黒坂はじっと龍一の話を黙って聞いた。
「そこまで一人の女性に思いを寄せることが出来る相手がいるなんて、実に素晴らしいことですね。希伊さんも可愛い子だった。もっとも私は女子高生の頃の彼女しか知りませんが」
柔和な笑みを浮かべた黒坂に龍一は訊いた。
「黒坂さんは独身なんですか」
生活臭さが全くない印象だったのである程度は予想していたことだったが。
「ええ」と言ってひと呼吸おいてから黒坂は言った。
「若い頃一度結婚しました。男の子もできました。子どもが小学3年生の時に少年野球の遠征試合の帰り、妻の運転する車が事故にあってね。妻に過失はなかったんですが。予定では私が車出しをするはずだったんですが、急な仕事で出かけてしまい、免許取りたての妻が車を運転することになって。知らせを聞いて病院に駆けつけた時は、冷たい霊安室で妻も子どもも白い布がかぶせてありました。自分を責めました。来る日も来る日も。周囲からはおまえのせいじゃない、自分を責めることはないとさんざん言われましたが、私は聞く耳を持ちませんでした。以来、もう結婚など絶対するものかと」
龍一は言葉を失った。
「幸せを手に入れたことを数値にすると仮に百としますね。でもその幸せを失った時は百の何倍もの悲しみが襲うことになるんです。幸せが大きければ大きいほどその不幸せの倍数は正比例して膨れあがっていく。二倍にも五倍にも十倍にも。百の幸せの陰では千の不幸が舌なめずりをしてこちらをうかがっているんです。薄くてもろい壁の裏でね。わかりますか」
「はい。わかるような気がします」
「でもね、神島さん。私のように悲しみを怖れて幸せを諦める必要はありません。私は弱い人間でした。人には誰でも幸せを求める権利があります。同時に人には誰でも幸せを求める努力をすべきだと思います。幸せの権利。それを自ら放棄することは、つまらない人生を選んだことになります」
心が熱くなった。つまらない人生。自分の人生に欠けていたものが何だったのかを改めて知らされた。結果を怖れず金沢へ行こうと決意した。ここ数週間のあいだ頭の片隅に思い描いていたことだったが、黒坂が背中を押してくれた。しかし金沢へ行くにはひとつ大きなハードルを越えなければいけないと龍一は思っている。自分に対してけじめをつけなければ行ってはいけないとまで考えていた。それは恭子とのことだった。

鎌倉で店をやる時は是非自分に声をかけて欲しい、お礼に何か出来ることがあれば個人的に協力したいと黒坂に伝え、二人は席を立った。

喫茶店を出るとすっかり暗くなった恵比寿の夜空に、ナイフで切り取ったような下弦の白い月が凛と浮かんでいた。遠い記憶の中の雨が降りそそぐ月が、龍一の胸の中で間近に迫ってきた。
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2017年1月30日月曜日

2017宮前区少年野球連盟大新年会

宮前区少年野球連盟総会、及び新年会なんである。新年会には宮前各チームから監督コーチなど愛すべき宮前の野球オヤジたちがわんさと詰めかけて、大いに盛り上がるんであった。連盟の公式ではないけれど公認ではある筆者広報担当としても参加し、毎年この模様を内外に報じるべく会場を彷徨するのも恒例となった。ここで言うところの「内」とは、野球に現(うつつ)を抜かして夜は飲み会で家にいない亭主、という誤った認識をまれに持っている奥様方のことである。ほとんどの奥様たちはダンナと一緒に子どもの野球を楽しんでいるのであるが、野球に関わる飲み会で夜遅くなると理解を示してくれない方も中にはおられるかもしれない。更に連盟とは距離を置いてただただグランドで野球を指導するだけのコーチにも理解を深めていただきたく、毎年愚直にこのブログを書いているんである。子どもたちが楽しく安全に野球ができるように、そして強いチームが育つように、それを総括的に支えるのが連盟であろうと思う。そしてその連盟を支えるのがここに集まった、或いは来れなかった大人も含めての宮前の男たちなんである。

さてお堅い話はここまで。写真紹介的文章少なめ的レシピで、強火で一気に勝負する中華料理のように、アップさせたい。
来賓からのご挨拶。漏れもあるけれど許されたし。
川崎市長福田さん。日本の政令指定都市の中で面積が一番小さいのが川崎、でもスポーツジムなどの施設利用者が一番多いのも川崎、というツカミの話から引きずり込まれ朗々と話すスピーチに皆聞き入る。宮前区長の野本さん。流行りの言い方をすれば「美人すぎる区長さん」というネットサイトがもしあれば確実に世界ランキング上位に名前が挙がることだろう。

県議会議員飯田さん。筆者と同郷の高校で高校野球児だった。今でもオトナ野球をやっている。
元横浜市長中田さん。近年は歯に衣着せぬコメンテーターとしてもTVなどで活躍。氏もまた青春時代は野球小僧だった。横浜青葉リトルシニアの一期生だったそうである。

川崎北リトルシニア。人数の激減により試合に出られない状況に陥ったとは驚きだった。フレンズからも何人もお世話になったシニア硬式チームであった。部員数名、それでも休部とせず黙々と活動はしているそうだ。監督はじめスタッフも全て一新し再起を誓っていた。
前出横浜青葉リトルシニアからも来賓挨拶。

さて各テーブルを巡回、彷徨、徘徊、遊撃しちゃう。


筆者のテーブルは筆者はもちろん他のメンバーもみな他のテーブルへ酒をつぎに行ったり談笑しに出張中で、偶然ながらもぬけの殻だった。筆者はフレンズではなく連盟枠で行ったのだったが、Queens席にはKurashigeコーチとYamaderaさんだけだったので、急遽Queens席に落ち着くことに。ヤングIshikuraさんがピースサインを送ってくれた。



会長Sohmaさんはちゃっかり川北の美人役員さんとツーショット。聞けばウルフ出身とのこと。どうりで気品漂うご婦人であった。
花フラTadaiさんもカメラ目線で。

それではお待ちかね、各チームが壇上で挨拶。見慣れた顔ぶれもあればスタッフ一新もあるし、強烈なキャラオヤジ登場の場面もあり、宮前は実に人材が豊富なんであった。
個々にコメントしていては筆者の体が持たないので、第一公園ドームでの開会式入場行進に倣(なら)い、写真で一挙掲載。全21チームである。筆者はQueensとフレンズ両方で登壇。Qの面々はみな掛け持ちである。兼業農家、二毛作で働いている。




ウルフの生き字引、その昔は歩くピッチングマシーンとの異名をとったGotohさんが役職を勇退の挨拶。昨年の全国大会3位の快挙の御礼に加えて、侍JAPAN、U-12で選出されたTaiyohくんが世界大会でも優勝の報告。彼から差し入れの日本酒。それを持つ会長。断っておくが会長が持っているのは一升瓶であって決してビール瓶ではない。

どんどん行っちゃうぞ。



最後に連盟スタッフ挨拶。知っている人は知っているが知らない人は知らない。連盟連絡網メールなどを見ると実に複雑な業務を日々平日もこなして支えているんである。OhtakeさんやNishimuraさんが都合で欠席だったのが残念。各チームの監督やコーチ、事務方なども然り。グランドだけではない平日に子らの野球を支えるため地道に努力しているんである。奥様方や子どもたちにもそのカケラでいいからそれをご理解してもらえたら、このブログも本望というもの。(途中TVの情熱大陸に見入ってしまって、結局今深夜の1時すぎだった)

司会はレッパのIshiiさん。ドラマ相棒か半沢直樹あたりの脇役に抜擢されそうな役者顔の風貌である。レッパといえばホームページ管理しているTakimotoさん。ひとしきりブログやHPの話題で花が咲く。更に松風スラッガーズのKikuchiさんから声をかけていただいた。ブログを書いていて良かったと思うことのひとつである。年賀状の息子の写真を当「晴耕雨読」から引っ張ってくれたのだそうだ。カメラ談義などして談笑。実に嬉しいことである。多くの宮前関係者が「晴耕雨読」を読んでもらっていることを知り改めて感謝。
連盟の事務方があってこその連盟なんである。それは会長などは痛いほどよく知っている。少年野球を支える組織を更に陰で支えるこの男たちがいるから成り立っているんであった。各チームの事務局オヤジ軍団に敬意を表したい。今年一年よろしくお願い致します。

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