2023年11月3日金曜日

新人戦開幕2023

 3連休となるこの週末、それは宮少連にとっては3連戦、3日連続の新人戦開催を意味するわけで。...ってことは、筆者にとっては3日連続野球ブログを広報しなきゃを意味するのである。一日2,3試合のブログを書くとアドレナリンが沸騰するのだが、同時に書き終わると、浦島太郎のように歳をとってしまい白髪が増えて、抜け毛も増えるのである。この三日間は極力簡潔なブログを心がける所以(ゆえん)と、ご理解いただきたい。

さて初日、まずは秋晴れの下(もと)2023新人戦の開幕。開会式を写真にて。昨年優勝はモンタである。優勝旗返還。果たして来年の今日、返還に臨むのはどのチームなのか。

秋の朝の陽光は明暗激しく影が濃く出てしまう。あまり濃いと顔が判然としなくなる。濃くても良いのは、濃厚味噌ラーメンと濃いめのレモンサワーとダブルエスプレッソくらいなもんである。

さて1試合目である。対戦はヤングVSメイツ。始球式はスポンサーであるライオンズクラブ会長さん。鋭く落ちるフォークボールは千賀のお化けフォーク並みであった。(^-^)

初回Yは先制7得点と初回から大きく主導権を握ることに。そして対するMは....という「晴耕雨読」的文章展開は常套手段であるが、試合内容が投手戦でもなく乱打戦でもなく、しかし大量得失点のゲームとなったので、メリハリがつかなくなり途中から写真撮影を中断したのである。それはこの後の第四での試合はもっと差が激しくなるのである。さらに加えて冒頭の理由により写真中心にて文章少なめで。「晴耕雨読」写真掲載ラインに則って(のっとて)主将打席と投手のカットは最低限遵守にて。

Mの反撃なるか。

意に反してと言ってはMに失礼か、7:0から7:5まで肉薄するんである。しかしその後はYが得点を重ね大差がつく展開となった。

クラブ選出のQ戦士AinaとSaki。あっちでも大暴れしちゃってほしい。試合は大差でYの勝利となった。

その後愛馬赤カブにまたがり第四へ急行。ここではFujisawaさんが花フラの上部大会へ出向いたので、連盟事務局はYanagiさんが一人ぽつねんと管理運営していた。その後Sasakiさんも合流。こちらの対戦カードはドングリーズVSレッパ。前例に倣(なら)ってこちらも写真にて。新生ユニフォームいまだに眩しいDが先攻。

試合展開は圧倒的かつ一方的なRの優勢で進んでいく。DのSakajiri監督が何度もタイムをかけるも、なかなか窮地を脱すること叶わず。1イニングで給水タイム2度取る場面も。こーなったらDナインは勝ち負けよりも野球を思い切り楽しむことにシフトチェンジしてほしい。試合の流れから、勢い写真はR多めにて仕方なし、Dには申し訳なし。第一同様途中から撮影をやめることになった。

結果は近年稀に見る得失点差でR勝利。今季終盤は人数不足でドングリーンズとしてリトグリと合同を組んだD。来季はなんとか参戦可能となったのでこれからも頑張ってほしい。さらにはグリーンズは極端な人数不足で新人戦は不参加となった。つい数年前の宮前を席巻したリトルグリーンズ旋風が懐かしい。こちらもなんとか存続できるように頑張ってほしいと、切に願うのである。

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2023年11月2日木曜日

ハロウィン+旧交を温める日

 「東京に行くから浅草で飲まないか?」

山形の中学同級だった友人NaotoからのLINEだった。ここで何度か書いている3年9組同級生LINEは今でも生きており、その中の親友だったNaoto、4年ぶりに仕事がらみで東京に行くので、飲もうということになったんである。昨年11月には筆者が山形へ行き、同じ同級のAyaちゃんの店で何人か集って旧交を温めたものである。Naotoとはそれ以来の再会だった。

昨日10/31に浅草(合羽橋)に行くことになり、筆者は乗り換えのため夕まぐれの渋谷で、田園都市線から銀座線に乗り換える。そうだった、今日はハロウィン当日であったことを思いだす。ハロウィンなんて全く興味ないのだが、渋谷の喧騒、大騒ぎは毎年全国ニュースになり、特に今年は「渋谷はハロウィンのイベント会場ではない」と、渋谷区と警視庁総出で規制することになったことは皆さん周知の通り。ちょっと物見遊山的に地上へ出てスクランブルを活写。少年野球戦場カメラマンの血が騒ぐのであった。

「そこの交差点でダンスしてるお兄さん、危険ですから歩道に上がってください!」DJポリスが拡声器でガナった。見るとイキがっているチャラい系の馬鹿者...いや、若者グループ数人がこれ見よがしに車道で下手なダンスを踊っていた。彼らは全く従う様子はなかった。体制に従わないのが青春の証とでも言いたげに。もし迷惑系チューバーの生配信だったなら、全く大迷惑である。

交差点のランドマークだった渋谷TSUTAYAが閉館となったことは、つい最近知った。40代の頃まだ宅配のDISCUSがなかったから、たまにここへ寄って映画DVDを借りて、オシャレにスタバで美味いコーヒーを飲むこともあった。しかしスタバに行ったのは一回きりであった。なぜか?コーヒーは抜群に美味いのだが、ヘビースモーカーにとっては居心地が悪いのである。閉館と言っても来年またリニュアルしてオープンすると知り、少しホッとした。ハチ公周辺はニュースで知っていた通り、フェンスで囲われていた。きっとハチ公もこの期間中は群衆に囲まれることもなく、少しはゆっくり休めるのではないだろうか。フェンスの向こうで誰も見てないからと、ハチ公が横に寝そべってイビキをかいている姿を想像したら、このハロウィン厳重規制もハチ公にとっては悪くないと、ちょっぴり楽しくなったのだった。

人波に揉まれながら、改札場所がすっかり変わった銀座線に乗り込み、ほぼ終点浅草に近い田原町まで車中の人となる。待ち合わせの時間まで早めに着いたので、店の周囲を探索することに。二次会はここが良いぞとか、ここは結構高いなとか、道具街だけに凝った米国製の道具、カッコいいカラビナや米軍が使うような小物が並んだ粋な店とか。ひょいと路地裏の更に裏に入ると、狸の信楽焼がずらり並んだ光景に出くわしたり。うーむ、こーゆーの、好き。

「おう!お待たせ」やっとNaotoがやってきた。Naotoご指名の店は有名な「どぜう飯田屋」だった。歴史の古いドジョウ鍋の名店である。聞けばフーテンの寅さんが大好きで、この店はロケに使われたり、山田洋次監督など、著名人御用達の店だとのこと。

お互いニカニカしながら一年ぶりの対面、結構お高い店だけれど席はほぼ満席。旧友と座敷でサシで乾杯するのは実にいいものであった。この歳になっても離れた友人と旧交を温める機会を持てること自体が、実に幸せなんだなと改めて感じ入ったのであった。

筆者は若い頃仕事の付き合いで「駒形どぜう」で柳川鍋を食したことがあった。味そのものは嫌いではないが、タレが入った熱々の鍋に生きたドジョウを入れて卵で閉じるその様を見て、ドジョウくんが可哀想で、2,3口で箸が止まった記憶がある。しかし今日は「骨抜きどぜう鍋」なるメニューでなかなか悪くなかった。ゴボウと山椒で美味く食することができた。写真はドジョウの唐揚げと卵焼き。

Naotoがお土産を持ってきてくれた。山形の漬物「青菜漬け」と「おみ漬け」だった。驚いた。山形名物おみ漬けは大好きで、11月からが旬、近所のスーパーやコンビニに並ぶ日を虎視眈々と待っていたんである。グッドタイミングである。ちなみに筆者の好きな漬物第一位はこのおみ漬け。日本中の漬物の中で一番美味いと思う。もっとも日本中の漬物を全部食べたことはないが。二番目はこれも山形の「薄皮丸茄子漬け」この二つは一度食べたら病みつきになるんである。メシが何杯でもいけちゃう。ちなみに(昔「晴耕雨読」に書いたけど)世界中で一番好きな果物はこれまた山形のラフランス。もっとも世界中の果物を食べたことはないが。筆者、決して山形観光大使の座を狙っているわけでもないし、山形ふるさとCM出演オファーを期待しているはずもない。仮に山形出身でなくてもこれらは大好きに違いない自信があるんである。Naotoの慧眼(けいがん)と気遣いに感謝であった。

その後は大いに飲み大いに食った...と言いたいけれど、筆者は飲み出すとあまり料理は食べなくなるタイプ。互いの今の仕事や生活や年金の話、ジジイにありがちな持病の話から、ここまでの「来(こ)し方」に至るまで。筆者ふとNaotoに漏らした言葉があった。40,50歳くらいで自分の人生を振り返るなんて青臭いし、分不相応だと思っていたけれど、さすがにこの歳になれば、ちょっとは振り返ることも許される年代になったのかなあと。Naotoは某地銀の取締役まで上り詰めた、同級生の中でも出世頭の筆頭だが、話を聞けばぎりぎりの綱渡りだったらしい。テーブルの端に2本指を立ててトコトコ歩く仕草、一歩間違えて右へ行けば奈落の底、左へ行けば平坦なテーブルの上。人生いろいろなんであった。筆者といえばそれに倣(なら)って言うなら、テーブルの上を歩いたのではなく、ずっとテーブルの下、畳の上を蹴つまづきながら、時に転倒しなんとか一周しようとしている。テーブルの4本の脚の、3本目をターンしたあたりか。お互いにゴールはもうすぐなんだろう。明日かもしれないし、10年後、20年後かもしれない。そんな話ができる同年代の友人がいることは実に幸せなことだ。

上野方面へズンズンずらずら歩いて二軒目の店へ。かなり酔っ払ったけれど、ここでも楽しい時が流れた。楽しくない話題も出した。感じの良いこじんまりした店でスタッフの女の子に撮ってもらった。「フラッシュたいたらダメよ、頭が光って失明しちゃうから」というNaotoのオヤジギャグも添えて。

タクシーで彼の定宿がある上野へ。握手して男同士ハグして別れた。「また飲もうぜ」

筆者は銀座線に乗り込み頭で計算。表参道で乗り換えれば田園都市線で容易に帰れると。程なくして視界がぼやけ睡魔に襲われる。...プッシュー...目を覚ましふと気がつくと電車のドアが閉まる音がする。慌てて駅名を確認すればここは表参道だった。時すでに遅かりし大石内蔵助、であった。仕方なく渋谷で時間をかけて乗り換えることに。

また渋谷スクランブルの喧騒の渦に翻弄される羽目になった。普段のルートは完全に遮断され、至る所に規制線が張られ大きく迂回しないと田園都市線まで行けないのである。警察官が物凄い音量でホイッスルを吹き鳴らす、異様な光景だった。仮装は極端に減ったものの、若干外国人などは仮装してる人もいた。欧米人の家族5人はオレンジ色の着ぐるみ衣装を着て、楽しみに日本へきた様子だったが、小さい男の子は警官の若干狂気じみたホイッスル音に両耳を人差し指で塞いで、額に皺を寄せていた。筆者の見立てではきっとこう思ったに違いない。「ニッポンのハロウィン、もっと楽しいって思ってたのにさ、パパ、話が違うじゃん、ママもうホテルへ帰ろうよ〜」(個人的見解である)...「ボク、ごめんね変な国で。でも本当は良い国なんだよ」

最後に動画をアップしようとしたら容量オーバーで不可。筆者が18歳で上京した当時の渋谷は、この時間は真っ暗でひっそり閑散としていた。今では信じられないだろうけれど。光陰矢のごとし、なんである。

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