2016年6月7日火曜日

小説「月に降る雨」4-B

「本日はお疲れさまでした。面接の結果は後日電話か書面にて郵送しますので、よろしくお願い致します」
たぶん、今日もだめだな。ため息をつきながら自分の足首が鎖につながれたような錯覚を覚えながら、午前中休みをもらったバイト先へ向かうために、山手線に乗り込み池袋へ向かった。何社もの会社を受けたが「大学中退か」と、それだけで不合格だと履歴書を見た面接担当の顔に書いてあった。
「リュウはさ、いったい何がしたいの?会社に入ってどんな仕事がしたいの?ただ漫然と会社に入りたいってだけで面接に行ってない?小学生の卒業文集とかでさ、将来なりたいものって何か書かなかった?」
そう言えば昔から絵を描くのが好きだった。
「書いたよ。画家か漫画家かデザイナーになりたいって。同級生で野球やってた子は判で押したようにみんなプロ野球選手って書いてたなあ」
「画家はあり得ないな。それはわたしが保証する。漫画家は下積みが長いって言うじゃん。だったら...」
「だったらデザイナーか。昔デザイナーって言えばファッションかグラフィックが相場だったけど、俺はそういうんじゃなくって、なんかこう、白紙に描いた絵が現実に立ち上がることが面白いっていうか、自分の空想が実現するのが楽しそうだったから」
事実野球が終わった高校三年の夏休み、龍一は高知県のいくつもの有名な寺社仏閣を訪ねては、この建築を造るのには、当時の棟梁はどんなことを思い、どんな絵を描いていたのだろうとすごく興味を持ったものだった。龍一の心の底にちいさな光が見えた。
「そう言うきいはなんて作文に書いたんだよ。まあ、身長がないからファッションモデルはあり得ないな。それは俺が保証する」

龍一は専門の教育を受けたわけではないのに、思い切って恵比寿にある商業施設の内装工事会社の設計部門に応募した。面接はもう慣れたもので緊張感もだいぶ薄らいできた。龍一よりもひと回り年上であろう面接官が訊ねた。
「神島さん。履歴書に大学中退とありますが、それはどんな理由だったんですか」
またこれか、と一瞬思った。しかし中退の理由まで真摯に訊いてきた会社は初めてだった。龍一は全て正直に答えた。
「デザイン設計の経験は」
「ございません。やはり専門の学校や大学の学科を出てないと厳しいでしょうか」
少しくだけた雰囲気になった面接官はにっこり微笑むと
「習うより慣れろだ。きみはずっと野球をやってたと書いてあるけど、何度も繰り返しやることで自然と躯と頭が学習してくれるものだよ。野球も同じじゃないかい。人並みじゃだめだけど、人並みはずれた意欲さえあれば、この会社でいくらでも成長出来るよ。」
思い出したように面接官は続けた。
「英語を最も早く確実に身につける方法を神島さんは知ってるかい」
「英会話教室に通って...」
「うん、通って、それから?」
「通うだけじゃだめで、いっそのこと教室にテントを持ち込んでそこに居座るとか」
「あはは、面白いなきみは。それも悪くないが、一番手っ取り早いのは、英語圏の国に行って現地の女の子と同棲しちゃうのが良い。あっと言う間に英語をマスター出来るよ。あわよくば相手の女の子が美人だったら尚良しだ」
習うより慣れろ。谷底を見る前に崖の向こうへ飛んでみろ。昔読んだ石川達三の本に確か「見る前に跳べ」というのがあったな。ん、大江健三郎だったかな。
「ちなみに私もデザインの専門学校を一年で中退したクチだよ」
龍一はこの会話で胸が熱くなり、希伊に誘導尋問され高校時代に寺めぐりをした時のことも熱く語った。自己アピールが苦手な龍一にしては珍しいことだった。
「今日はお疲れさま。結果は後日電話でお知らせします。よろしくお願いします」
面接官は続けた。
「面接で自分の名刺を出すことはほとんどないんだけど」と言って一枚の名刺を渡してくれた。
龍一がもらった名刺には『株式会社T&D 設計部課長 鈴木孝雄』と書いてあった。
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