2026年10月18日日曜日

市学童大会 宮前無念の3戦準優勝

川崎市学童大会はいよいよ佳境、決勝戦を迎えた朝はこれ以上ないほどの爽やかな青空、実に野球決勝戦日和となった。場所は川崎少年野球のメッカ、等々力野球場、両翼は横スタよりも大きい球場なんである。余計なことは書かずに早速いきたい。決勝の宮前勢は宮前クラブJr、宮前スマイリーズ、宮前クラブと、史上稀に見る連合勢が揃い踏み、なんとか3部門全勝を目指すのだったが...。宮前の決勝3試合だからメッチャ長いブログとなること必至。

●Jrの部。クラブJr VS高津

先日の第一での試合観戦で、今季の高津が強く、応援団も一枚岩となって盛り上がるのは十分理解していた。しかし宮前も負けられない戦いがそこにある...のである。初回宮前は無得点。対して高津はその裏2点先制す。

まあ、2点くらいは...と思ったら2回には更に1点追加される展開となる。がんばれMJBL宮前魂。

その後も膠着したように宮前打線は沈黙を守ることに。ふと、ボードを見るとDH制を採用し、先発のEitoが投手専任だった。主砲がなんと打順8番...。控え選手を1番から5,6番まで並べてそれからレギュラーを組んだオーダーとのこと。うーむ、...。この「...」で行間を読んでいただきたい。チームの考え方なら仕方ないだろう。ただ、ファインプレーがあった時にグラブタッチしながらナインがベンチへ戻る姿には救われた。まだまだ諦めないぞ。

更に。立錐の余地もないほどの観客席ではJr応援団と次の試合のわがQueens(スマイリーズ)の姫たちが、応援歌でJrを応援し始めた。その小さな波は次第に大きなうねりとなってJr応援団にも伝搬していき、大きな歓声と笑いに包まれたのだった。こんな光景は実にいいものだ。

時折Jrにも安打や長打が出るものの、後が続かず。反対に高津はイケイケどんどんで更に1点加点し、0:4と引き離す。Eitoは打席に立つこともなく時間が過ぎる...。

まさかの無得点で完封負けとなってしまった。2026クラブJr準優勝である。こんな結末をいったい誰が想像しただろうか(Part1)

●シスターの部。宮前スマイリーズ VS多摩ウィンドフラワーズ

もう何度も戦ってきた相手である。代表でベンチ入りしている百戦錬磨のMinobeさんは、参謀としてどんな策を授けているのだろうか。こちらスマイリーズ(以降、Queens=Qと表記)は、ここまで二桁得点で大勝を重ねてきた。慢心がなかったといえば嘘になる、かもしれない。初回QはMiyuna、Sawaの連打で3点先制する。期待通りの幕開けとなった。

先発主将Miyunaがキッチリ三者凡退で打ち取る。

先のJrでもこの後の6年以下の試合でも注視していたが、男子にも劣らぬ球速100/kmをコンスタントに投げ込むMiyunaである。

しかし悪夢の2回裏であった。多摩が4安打8得点し3:8となった。4,5失点ならまだしもこの差は後々まで尾をひくことになる。

しかしこれで埋もれてしまう2026のQではない。相手四球絡みからMiyunaの長打が絡んで4得点し、7:8と肉薄する展開となった。絶対イケるぞと思ったのは筆者だけではあるまい。

しかし多摩も反撃し7:9と僅差ながらリードを保つ。

Qも負けずに1点返し8:9とまたしても1点差まで肉薄。しかし同点あるいは逆転までには至らないのが歯がゆいわけで。でもQ姫たちは一生懸命野球に打ち込み必死に頑張っていた。

その後終盤戦は息詰まる戦況となる。点を取って取られての死闘になった。Sawa今日2本目の3塁打を始めSakura、Chikaの安打などで多摩に迫るQ。Hanaの一塁への決死のヘッドスライディングは見事だった。こーゆープレーは単に一つのセーフ進塁打を記録するだけではなく、チーム全体を鼓舞するチカラ、付加価値があるわけで。都築ライムスターズのOikawaさんもみえていた。HanaとKureaの取材である。圧倒的な美しい写真は筆者の比ではなく、いつもインスタでは感動すら覚えるスキルとセンスの写真をアップしている。

無念であった。9:11で審判のコール。実力はQが上?と思うのは慢心というべきか。勝てる試合に勝てなかったことほど悔しいものはない。格上の実力差のある相手に負けるなら諦めもつくのだが。いや、そう思うこと自体がやはり筆者の慢心だろうか。前回も書いたが強い時ほど慢心は最大の敵になる。意気揚々と市学童2連覇を狙ったが無念の敗戦、Jrに続き準優勝となった。大人になった主将Miyunaは終始涙を隠せなかった。でも、涙の数だけ人を更に大人にするのから、この日の記憶を忘れてはいけない。こんな結末をいったい誰が想像しただろうか(Part2)

使用前+使用後の2カット。

●連合6年以下の部。宮前クラブ VS幸区

どーしたことか、筆者等々力名物スペシャルそばのランチを摂取したせいもあり、写真枚数が少ない。しかし理由はそれだけではない。圧倒的に写真を撮る見せ場が少なかったせいもある。まさかこんな展開になるとは、こんな結末をいったい誰が想像しただろうか(Part3)

初回宮前は無得点。逆に幸は3点先制。

そのたった3点がこのあと地球の重力かまたは巨大な漬物石くらいに重くのしかかることになる宮前クラブだった。今季の監督は連盟からYoshikawaさんが就任。ご存知「宮前少年野球辛口評論家」である。彼の辛口評論を韓国チゲ鍋とするならば、筆者の甘口のそれは、ハワイ土産のマカデミアナッツチョコレートくらいである。実は筆者とて憤懣やるせない辛口評論でも、ここ「晴耕雨読」ではついつい甘口になってしまうもの。少年野球ブログであり、宮少連公式広報兼Queens広報としては、時にオブラートに包んだ表現を心得ねば、なんである。

4回に至ってもボードの表記は宮前レコード0ヒット1、幸レコード3ヒット4のまま推移。膠着状態が続く中重い空気が漂うことになる。...まるでJrのパターンと同じだった。相手幸も追加点は取れずに時間だけが過ぎてゆく。時折たまらずタイムをかけるYoshikawa監督。Yosikawaさんの愛妻とQ代表Ueshimaさんの愛妻とが来ており、筆者は旧交を温め観客席で挨拶を交わした。

宮前は逆転ならずこのまま0:3でゲームセット。総括であるが、いやはや宮前勢が3チーム決勝に進んでそのどれも勝てなかったのはいかにも歯がゆい思いを隠しきれない。試合前は連盟的に巷間まことしやかに囁かれていたのは、「男子よりもQueensが一番優勝の可能性がある」と聞いたのだが、それも叶わなかった。三者決勝に進んで誰も結果を成し遂げず。これも野球の妙と言えようか。しかし甘口評論家の立ち位置を180度変えて見方を転じれば、宮前勢連合は全て準優勝まで上り詰めた、と賞賛できるではないか。選手らはよく頑張ったと思うのだった。

さてこれから連合的にはまだ川崎市長杯がある。本当の最強連合となる大会である。是非この日の忸怩たる思いを晴らしてもらいたい。

帰路の赤カブに乗る前に撮った秋の青い空。先日のタウンニュース誌面にも出ていたが、この等々力も更に新しい施設が設置される開発が進みつつあるようだ。スタバ、ローソン、マック...いやなんだっけか?利便性が高まることは間違いない。

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2026年10月16日金曜日

赤トンボの羽休め


先日、4月に亡くなった姉の納骨があり郷里山形へ帰省した。その時のブログを備忘録の代わりに。自分的にはもう2,3週間前のような感覚だが、つい約1週間前の話である。当初納骨は兄弟だけで済ませ、その足で近場の温泉宿へ泊まり酒盛りして一泊、翌日解散だったが、筆者はその晩中学同級生たちとプチ同級会をしてもう一泊する予定を立てていたんである。ところがホテルを検索していて妙なことに気がついたのだった。10月6日と8日では宿泊料金がとんでもなく違うのだった。10/6一泊朝食付きで通常約¥12,000が、10/8になると¥28,000。市内のホテルが皆同じ傾向だった。なんと言うことでしょう。理不尽も休み休み言えってもんだ。GoogleAIに尋ねてみたのだった。するとその日を境に全国規模の公的な会議があって、全国の市長クラスの面々が山形に集結するので全国から1,000人以上一挙に押し寄せるため、需要と供給のバランスで値段が格段に上がるとのこと。変動相場制、いわゆるダイナミックプライシングなのだった。(AIなので裏を取ったわけではないから真偽の程はわからないけれど)

そこでやむなく同級会の飲み会は、前乗りで納骨の前日に山形入りしたんである。場所はいつもの同級のAyaちゃんの店にて。ここで何度か登場している中学親友だったNaotoの差配でサッカー部の先輩キャプテンだったNakaigawaさんも来ていた。なんと懐かしいではないか。昔東京で呑んで以来だった。NakaigawaパイセンはサッカーJ2のモンテディオ山形の生みの親であり、黎明期から初代GMまで務め上げた人なんである。飾らない人柄で我々がタメ口をきいてもなんともない人だ。これに加えてやはりサッカー部で筆者と同級のKawamuraも参加し、当然サッカー部の話に花が咲いたわけで。N先輩が当時筆者をどう評価していたかとか、逆に我々同級生の中にN先輩に淡い恋心を抱いていた女子がいたとか、お互いに今になって知ることが盛りだくさんで大いに盛り上がったんである。当時サッカー経験がない先生が顧問だったので、ほぼN先輩が監督も兼任していたなんて話にも驚いた。レギュラーは上級生が当たり前の時代に、俺ら下級生3名を登録メンバーに推挙してくれたのもN先輩だった。初めて知った。

他にも同級会あるあるで、恩師も含め亡くなった級友や、誰それの病気や消息など話は尽きない。友の口から出てくる同学年の名前の1/3は思い出せない始末だった。サッカー部のうちすでに2人は亡くなっており、筆者の初恋の人も今年逝去している。

お祭りの神輿担ぎに参加していたNoriちゃんが、1時間だけ抜けてきてくれて集合写真。アッちゃんや東大出の秀才だったグッさんも参加。何を隠そう「N先輩に淡い恋心を抱いていた女子」がNoriちゃんだったわけで。皆で時間が過ぎるのを忘れて0時近くまで呑んで盛り上がったのだった。途中もう一人Masaakiが別件で来て、「十四代」という焼酎をボトルで差し入れ。強烈な香りが鼻腔を駆け抜け、どえらい旨かった。余りをホテルへ持ち帰った。

快適なホテル宿泊の翌日。午後の兄弟との待ち合わせまで時間があった。いつも帰省するとよく行く山形霞城(かじょう)公園へ。戦(いくさ)の時、霞(かすみ)に包まれて存在を消したことから霞城と名付けられたそうだ。ここからの写真はインスタと被ることになる。かつて11代城主最上義光が築いた城郭が残っている。天守閣などはもうない。この城郭や「二の丸東大手門」などの規模は江戸城に比肩し映画やドラマにも使われるそうだ。当時三の丸まで含めると東北でも一番大きな城だったそうである。

昔も書いたけれど、この門の丁番にはいつも驚く。建築的には「旗丁番」と呼ばれる巨大なもので、この重量をたった3点支持で開閉するのだ。筆者が最近仕事で描いた建具詳細図面でも記載している。重量用ヒンジの原型である。

県立博物館には入ったことがなく今回入館した。国宝の縄文土偶もあった。

中学サッカー部だった頃、野球と違って太ももが丸出しだから、学校のグランドではスライディングで生傷が絶えなかった。しかし唯一芝のグランドがここ霞城公園サッカー場で、思い切り気持ちよくスライディング出来るのが楽しかった記憶がある。今はもうサッカー場はない。本丸一文字門は現在復旧工事中だった。中まで入れるので行ってみない手はないじゃないか。見事な石垣だった。雑草で覆われている部分は内濠(うちぼり)でかつては水が満々とたたえられ、敵の襲撃から本丸を守っていたのだろう。

城があったであろう中は今はただの緑の草原だった。当時の大規模な城の様子を思い浮かべながら散策。季節柄赤トンボが群棲して飛び回っていた。赤トンボ1号機、2号機が着艦し燃料補給、文字通り羽休めし、次のスクランブル発進に備えて発艦準備完了の図。

ベンチで休憩しつつインスタの文章を書いていると、赤トンボ3、4、5号機が一度に3匹も羽休めにきた。筆者の膝がよほど気に入ったらしく長時間微動だにしない。「奥さん、私の膝、空いてますよ」と言っても寄ってくるのは赤トンボだけである。そんな彼女たち(彼らかもしれないが)をじっとみていると、筆者もゆるりと心が和み仕事の合間の羽休みとなったのだった。

この後千歳山の麓の墓地で兄弟と合流し納骨式を終え、車で20分ほどの温泉宿へ。兄弟は新潟、栃木、フランス、そして筆者は神奈川から。写真は敢えて掲載しない。

宿は蔵王温泉のお膝元、黒川温泉の「ゆさ」。おそらく旅館再生プロジェクトでデザイナーが入って近年改装したものだろうと思う。想像だが山形弁で「どさいぐだ?」「湯さいぐだ」...で、「どさ?、ゆさ」となったものだろう。部屋の窓から見る蔵王山は紅葉にはまだ程遠かったが、心が広々と解放される気がした。写真中央の奥に有名な「蔵王お釜」がある。

旅館の手配は筆者の役どころだった。宿泊料金には夕食の内容で格差がある。梅=米沢牛のしゃぶしゃぶ、竹=米沢牛のすき焼き、松=米沢牛のステーキ。もうこれから何度も会うことはないかもしれない兄弟ゆえ、「松」にしたのは言うまでもない。他の料理も手が込んでいて実に美味かった。「食の宝庫」山形の面目躍如である。部屋に帰り兄弟義姉5名で酒盛り大会。筆者を除きほぼ皆糖尿病で上はもう80過ぎである。いわゆる「病気自慢」からやがて、当然短いであろう余生の過ごし方を笑い飛ばしながらワイワイ酒を飲むのだった。今度皆で会うのは誰かが亡くなった時か?なんて。

翌日は一路新幹線で東京へ。帰路の車中では言わずもがな「牛肉ど真ん中」の駅弁に舌鼓を打つ。全国駅弁人気ランキングで上位の常連である。もう山形に親類縁者はいないから、帰郷の頻度は減るだろうけれど、来年は学年全体の同窓会が計画されているらしい。車窓の外に視線を泳がせながら、3年9組の同級生にLINEでしばしの別れを告げ、初恋の人に心の中で永遠の別れを告げた。

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