ジャビットカップ二回戦はあの「常勝軍団」の異名をとる強豪向丘サンダースなんであった。青い稲妻チームのスコアラーを務めるはTsudaさん。米国の名優ビッグ・モローなんである。そのココロは....「サンダース軍曹」。筆者と同年代ならばご存知のはずだ。白黒映像の「コンバット」はガキの時分大好きなアメリカTVドラマシリーズのひとつだった。因にあの時代の外国TVドラマで好きだったのは「名犬ラッシー」「バークレー牧場」「逃亡者」「謎の円盤UFO」「0011ナポレオン・ソロ」etc....アニメなどでは「トム&ジェリー」や特撮「サンダーバード」、それからそれから、あれやこれや.........。
おっと、いけねえ、途中脇道に逸れるのが「晴耕雨読」の本懐とは言え、これはヤリ過ぎというもの。別の機会にこの話は書いてみたいと思うけれど、たぶん無理だろーなー。
そうなんである、閑話休題、サンダース戦なんであった。
Sの先発のマウンドは誰が来るかでフレンズは戦々恐々であった。Yamadaくんか、それともKibakoくんなのか?メンバー表を見たら4番長身のKくんであった。我がF軍はこれまたエースで4番Hiro。
写真を撮ってみてあとで驚くことがたまにある。下のHiroの2枚は別々の投球途中のフォームを撮ったものだけれど、こうも全く同じカタチ、同じ表情になってるものかと感心した。僅かに鼻の穴の膨らみ具合が2.7ミリくらい違う程度か(^-^)
後攻のSは初回の裏Yamadaくんの三遊間の安打ののち盗塁、3番Onoくんの見事なスクイズバントで先制点。筆者スコアをつけていて最小失点の1で済んだことに胸をなでおろした。近年のFならばこのままズルズルと強豪相手に失点を重ねることが多かったからだ。
3回表Fは先頭打者9番Kyousuke。学年に比して非常に小さい子ながらこのところ着実に力をつけてきている。それがなんと2塁打を打った。こういう子が活躍するとどのチームもそうだが、ギャラリーは大拍手に湧く。結果この回1:1の同点に追いついた。
4回Sはまたもスクイズと単打により2点奪取。
6回表Fの攻撃。ここまで4番Hiroの打席はランナーを置いて2三振。筆者の手元のスコアブックの空欄には「Hiro、打線にブレーキ」と殴り書きしてある。筆者はブログのためにいつもではないが、時折印象に残ったプレーを書き留めているんである。因に今日はもうひとつ3塁手で主将のYuusuke。「サードライナーからのゲッツー」と美技を讃える走り書きがあった。
Hiroはやはりやってくれた、3打席目にして。5回からスイッチした超速球派投手のYamadaくんが満を持して登板。他の打者は軒並み振り遅れるも、Hiroはその彼から見事に左中間を破る安打を放った。その後相手失策がらみで本塁を踏み1点を返したのだが、Hiroが走塁する間は頭に蚊が止まってるのかと思えるほど、走塁時間が過ぎるのが遅かったわけで(^-^)
終盤まで3:2の接戦であった。筆者何度もiPhoneを確認する。時間的にはもう次の回はないだろうか。しかし、さすがは勝てる試合をとりこぼさないのが強豪チームの真骨頂、最終回にはSに連打を許し4失点。終わってみれば7:2の敗戦であった。
しかし、名だたる強豪相手にそう悪くない試合だったと思う。ブログでは少し甘い点をつけちゃうのは筆者の悪いクセではあるが。
強豪相手に善戦はするが勝利するまでにはほんの少し何か足りないものがある。もう少しでそれに手が届きそうなのだが。大金星を挙げて子どもらやスタッフ親たちと狂喜乱舞してみたいものだ。
もうひとつ写真を撮ってみてあとで気づくことのPART2なんである。(上の写真右上)
試合中は筆者の目の悪さも手伝って気がつかないのであったが、Macで編集して分ったんであった。打席の向こうで観戦しているのは県議の飯田満さんなんであった。(公人なので実名なんである)同伴してるのは娘さんであろうか。
筆者の郷里山形の、東海大山形で高校球児だったことは大昔の連盟懇親会で話して知っていたんであるが、まさか先日亡くなられた巨人原監督の父、原貢氏の影響を受けて山形へ行ったとは知らなかった。
以下は飯田満さんのそのHPブログURL。
飯田満2014/06/01「牛乳頂いた想い出」
最後になってしまったけれど、東海大元監督原貢さん、宮前区長沢ドングリーズ金丸さんのご冥福をお祈りいたします。
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2014年6月2日月曜日
川崎市宮前区少年野球を支えるオトコども
今日はジャビットカップ宮前大会、VS向丘サンダース戦である。
ところがなんである。今回ブログは有馬フレンズを幽体離脱し、宮前区少年野球連盟WEB広報班、及び宮前Queens広報部長職の職責を全うするべく、筆を執るわけである。
第一公園ドームへ着くと第二試合の長沢ドングリーズ対有馬子ども会の熱戦が繰り広げられていた。今年は強いぞとのもっぱらの評判のアリコに対して、ドングリーズはかなり善戦しているようだ。
大きな声を出してファーストを堅守するは、我らがQueensのYuma6年生。
実は昨日「エリエール杯」に出場したQueensの姫たちは初戦惨敗、苦杯をなめる結果となった。試合結果の連絡網のメールをもらった筆者は、Qに何か返信しようと思いつつも言葉が浮かばずiPhoneを打つ右手が止まってしまったままだった。昨日のそのうっぷんを晴らすかのようなYumaの元気な声が第一公園ドームにこだまする。
Dのベンチには連盟審判員で29番も兼任のHatanoさんが檄を飛ばし、スコアラーにはHatano母が相変わらずのにっこり笑顔でベンチ入りしていた。
ぎゅんぎゅん、ぎゅるぎゅる試合は進む。その間筆者は連盟の公式野球帽を拝受しているので、遠慮なくバックネット裏の役員席、放送席、貴賓席をうろちょろしオヤジ的Y談に興じたり....。
写真的には時系列的には相前後するんであるが、ネット裏では5年生連合監督のHirataさんとAbeさんが談笑。実はこの二人、宮前少年野球ここにありと、川崎全土にその名を轟かせた名監督なんであった。Abeさんは命を賭けていると言っては大袈裟だが、昨年から各チームの4年生を綿密にリサーチして構想を描いているんであった。どうゆう人選になるか知らないけれど、今年の連合は6年連合も含めて楽しみなんである。
宮前の少年野球を主催、統括、運営する連盟本部席。
Sohma会長やKasahara副会長、Ohtake副事務局と談笑。名将MatsuiさんKuriharaさんやSasakiさん、SatohさんNishiharaさんのいつもの顔ぶれも。先日連盟HPに「10年後の竹野内豊」の写真を掲載しちゃったNishimuraさんがいる。自前のパソコンを持参しネット裏で試合結果などをリアルタイムでアップしたり、各方面へメールを飛ばしたりしているんである。数年前の記念誌事業ではその辣腕の鬼編集長ぶりを遺憾なく発揮し、世界中の少年野球界にセンセーショナルを巻き起こした素晴らしい冊子が出来た。
先日のHP掲載には筆者にメールがあってTさんは「公人」なので肖像権はありません、とのこと。実にうまいことを言う。安倍晋三さんの写真をネットで使っても安倍さんは文句を言えないのと同じだ。ならばお返しにNishimuraさん(ペンネーム2460さん)も公人として写真を載せちゃうわけで(^-^)テーブル席手前ウルフの早稲田カラーのシャツを着てPCを叩いているのが2460氏なんである。
公人と言えばこの人ほどの公人はいないだろう。連盟トップの会長Sohmaさんである。その存在感とオーラは他の追随を許さない。初めて見る人にはちょっとコワイおじさんに映ってしまうのだが、(実際ちょっと恐い時がある)、その実宮前少年野球とQueensをこよなく愛する気の良いおじさんなんであった。少女野球Queensの会長でもある。(※会長も当「晴耕雨読」の愛読者の一人ゆえ、ちょっと恐る恐る書いている自分がいる)
その会長から「いつもQueensや宮前の野球を宣伝してくれてありがとう」と、畏れ多くも高級ウィスキーを賜ったんであった。花フラ夜の部室Saitohさんの酒屋さんからの直送便。目の球が飛び出るようなとんでもなく素晴らしい酒である。サントリーの高級酒「響」と、ジャックダニエルよりも濃く重厚なワイルドターキーなんであった。見てるだけで垂涎(すいぜん)の酒なんであった。しばらくはこのボトルをツマミ替わりに眺めながら1リットル900円のコップ酒が進むこと間違いない(^-^)
公人が公人に公然と贈呈するのだからこれは賄賂には当たらない。公職選挙法違反には抵触しないんである。しかし、そうは言っても会長のヒミツ話などはこれで永久にブログには書けなくなったのも事実なんである。それを言えばK副会長の裏話や武勇伝にも枚挙に暇(いとま)がないが、そこはそれ、オトナ同士の暗黙の了解というやつで筆者の胸の内にしまっておくわけなんであった....。
人の上に立つ人は人生経験豊かな人、というのは間違っていないようだ(^-^)
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ところがなんである。今回ブログは有馬フレンズを幽体離脱し、宮前区少年野球連盟WEB広報班、及び宮前Queens広報部長職の職責を全うするべく、筆を執るわけである。
第一公園ドームへ着くと第二試合の長沢ドングリーズ対有馬子ども会の熱戦が繰り広げられていた。今年は強いぞとのもっぱらの評判のアリコに対して、ドングリーズはかなり善戦しているようだ。
大きな声を出してファーストを堅守するは、我らがQueensのYuma6年生。
実は昨日「エリエール杯」に出場したQueensの姫たちは初戦惨敗、苦杯をなめる結果となった。試合結果の連絡網のメールをもらった筆者は、Qに何か返信しようと思いつつも言葉が浮かばずiPhoneを打つ右手が止まってしまったままだった。昨日のそのうっぷんを晴らすかのようなYumaの元気な声が第一公園ドームにこだまする。
Dのベンチには連盟審判員で29番も兼任のHatanoさんが檄を飛ばし、スコアラーにはHatano母が相変わらずのにっこり笑顔でベンチ入りしていた。
ぎゅんぎゅん、ぎゅるぎゅる試合は進む。その間筆者は連盟の公式野球帽を拝受しているので、遠慮なくバックネット裏の役員席、放送席、貴賓席をうろちょろしオヤジ的Y談に興じたり....。
写真的には時系列的には相前後するんであるが、ネット裏では5年生連合監督のHirataさんとAbeさんが談笑。実はこの二人、宮前少年野球ここにありと、川崎全土にその名を轟かせた名監督なんであった。Abeさんは命を賭けていると言っては大袈裟だが、昨年から各チームの4年生を綿密にリサーチして構想を描いているんであった。どうゆう人選になるか知らないけれど、今年の連合は6年連合も含めて楽しみなんである。
宮前の少年野球を主催、統括、運営する連盟本部席。
Sohma会長やKasahara副会長、Ohtake副事務局と談笑。名将MatsuiさんKuriharaさんやSasakiさん、SatohさんNishiharaさんのいつもの顔ぶれも。先日連盟HPに「10年後の竹野内豊」の写真を掲載しちゃったNishimuraさんがいる。自前のパソコンを持参しネット裏で試合結果などをリアルタイムでアップしたり、各方面へメールを飛ばしたりしているんである。数年前の記念誌事業ではその辣腕の鬼編集長ぶりを遺憾なく発揮し、世界中の少年野球界にセンセーショナルを巻き起こした素晴らしい冊子が出来た。
先日のHP掲載には筆者にメールがあってTさんは「公人」なので肖像権はありません、とのこと。実にうまいことを言う。安倍晋三さんの写真をネットで使っても安倍さんは文句を言えないのと同じだ。ならばお返しにNishimuraさん(ペンネーム2460さん)も公人として写真を載せちゃうわけで(^-^)テーブル席手前ウルフの早稲田カラーのシャツを着てPCを叩いているのが2460氏なんである。
公人と言えばこの人ほどの公人はいないだろう。連盟トップの会長Sohmaさんである。その存在感とオーラは他の追随を許さない。初めて見る人にはちょっとコワイおじさんに映ってしまうのだが、(実際ちょっと恐い時がある)、その実宮前少年野球とQueensをこよなく愛する気の良いおじさんなんであった。少女野球Queensの会長でもある。(※会長も当「晴耕雨読」の愛読者の一人ゆえ、ちょっと恐る恐る書いている自分がいる)
その会長から「いつもQueensや宮前の野球を宣伝してくれてありがとう」と、畏れ多くも高級ウィスキーを賜ったんであった。花フラ夜の部室Saitohさんの酒屋さんからの直送便。目の球が飛び出るようなとんでもなく素晴らしい酒である。サントリーの高級酒「響」と、ジャックダニエルよりも濃く重厚なワイルドターキーなんであった。見てるだけで垂涎(すいぜん)の酒なんであった。しばらくはこのボトルをツマミ替わりに眺めながら1リットル900円のコップ酒が進むこと間違いない(^-^)
公人が公人に公然と贈呈するのだからこれは賄賂には当たらない。公職選挙法違反には抵触しないんである。しかし、そうは言っても会長のヒミツ話などはこれで永久にブログには書けなくなったのも事実なんである。それを言えばK副会長の裏話や武勇伝にも枚挙に暇(いとま)がないが、そこはそれ、オトナ同士の暗黙の了解というやつで筆者の胸の内にしまっておくわけなんであった....。
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2014年5月31日土曜日
ありがとう、元気です!
いつかちゃんと書かねばと思っていたことのひとつに、Minamiのことがある。
2年前の当時このブログに書いてしまってから多方面の方々にご心配をおかけし、励ましの言葉を実に多くいただいたわけで、そのお礼に報告の義務があると考えていたんである。
おかげさまで元気です。元気を通り越して異常に元気なんである。
一昨年の11月に白血病を発症し、昨年退院、今は退院してから約1年経った。それまでは1ヶ月に一度の検査通院をしていたのだが、1年経って2ヶ月に一度の通院で良くなったらしい。これに加えて下に妹のMiuが生まれて、娘はその産後の通院もあって、二人の子の交互の通院でどちらかを預けにしょっちゅう、うちにやって来るんである。筆者はたいてい仕事があるので部屋に鍵をかけて仕事しちゃうんであるが、暇な時には近くへ散歩に行ったりもする。実は自分の運動不足解消のためもあるんだけれど。
ひとたび家に遊びに来ると日中常にしゃべりまくり、のべつまくなし動き回り、小さな嵐がやってきたようである。静かにしているのはTVアニメを観てる時だけだ。夜になって帰ったあとは「強者どもが夢のあと」、リビングにはありとあらゆるモノが散乱している。
あとから聞いた話だけれど、公園に遊びに行くと近所の幼稚園児のお兄さんたちといつの間にか仲良くなり、けたけた笑いながら延々ぐるぐる男子を追いかけ回すのだそうだ。園児たちが疲れてぐったりしてもまだ「ねえねえ、あそぼ!」と言ってきかないらしい。かと思えば今度は遊具で遊んでいる自分よりも小さい子のところへ行き、「こうやって遊ぶんだよ」といって自分流の遊び方を教えるんである。教えるというより強要してるのかもしれない。
言葉はまだ舌足らずで何を言ってるか理解不能な時もあるし、食事どきもそわそわしてじっとしてないし、小学生になったら給食時に徘徊しちゃって「学習障害児」のレッテルを貼られるかもだが、とにかく元気なんであった。
待てよ、今気づいたぞ。
筆者は中学高校はサッカー小憎で長距離は苦手だが短距離は速かった。
配偶者は今でもバレーボーラーで小学校の頃は走り幅跳びの地域の記録保持者であった。
息子はフレンズ卒業後中学で野球部、高校は陸上に入り川崎市大会で学校の400m記録を更新したことがある。
娘もフレンズの小学校時代に等々力競技場での大会でリレー選手になり、かなり後ろから何人もごぼう抜きでトップに躍り出たことがある。中学高校も陸部に所属していた。
娘の夫は川崎北高校時代サッカー部主将だった。しかも当時「三代目J.Soul.Brothers」のボーカル今市君と同級生のマブダチで、カラオケに行った時「絶対こいつ将来はプロシンガーになる」と確信したんだそうだ。.....てか、コレ脚の速さとは関係ない話か(^-^)
今度Minamiにベーランをやらせてタイムを計っちゃおうかと思うくらいの、親バカならぬバカジジイの筆者「J」なんであった。
白血病は二十歳になるまで再発の可能性があるので、本当は油断は出来ないんであるけれど、そんなことを微塵も感じさせない元気。
なにしろ子どもは元気が一番なんである。
実は今日5月30日もMinamiの通院でMiuを預けにうちに遊びにきた。
退院直後はつんつるてんのマルコメ坊やよろしく坊主頭だったけれど、今はここまで伸びてきた。子どもの髪ってなんでこんなに柔らかくツヤツヤしてんだろう。少し分けて欲しいものだ。妹のMiuと合成した写真。
夜、晩飯後そろそろ仕事に戻ろうかと思っていたら、娘とMinamiが何やらごそごそし始めた。Miuは相変わらずぼーっとして盛大にヨダレをたらしている。
「はい、これ。ケーキもあるよ」
筆者の好きなI.W.ハーパー。ケーキには「HappyBirthday ジェイ」
すっかり忘れていた、今日が自分の誕生日だったことを。
誕生日を忘れたついでに歳が幾つになったかも忘れてしまうことにするか。
はて、いくつだったかな?
そーだ、46歳になったような気がする...てゆーか、そうであって欲しいと願う今日この頃なんであった(^-^)
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2年前の当時このブログに書いてしまってから多方面の方々にご心配をおかけし、励ましの言葉を実に多くいただいたわけで、そのお礼に報告の義務があると考えていたんである。
おかげさまで元気です。元気を通り越して異常に元気なんである。
一昨年の11月に白血病を発症し、昨年退院、今は退院してから約1年経った。それまでは1ヶ月に一度の検査通院をしていたのだが、1年経って2ヶ月に一度の通院で良くなったらしい。これに加えて下に妹のMiuが生まれて、娘はその産後の通院もあって、二人の子の交互の通院でどちらかを預けにしょっちゅう、うちにやって来るんである。筆者はたいてい仕事があるので部屋に鍵をかけて仕事しちゃうんであるが、暇な時には近くへ散歩に行ったりもする。実は自分の運動不足解消のためもあるんだけれど。
ひとたび家に遊びに来ると日中常にしゃべりまくり、のべつまくなし動き回り、小さな嵐がやってきたようである。静かにしているのはTVアニメを観てる時だけだ。夜になって帰ったあとは「強者どもが夢のあと」、リビングにはありとあらゆるモノが散乱している。
あとから聞いた話だけれど、公園に遊びに行くと近所の幼稚園児のお兄さんたちといつの間にか仲良くなり、けたけた笑いながら延々ぐるぐる男子を追いかけ回すのだそうだ。園児たちが疲れてぐったりしてもまだ「ねえねえ、あそぼ!」と言ってきかないらしい。かと思えば今度は遊具で遊んでいる自分よりも小さい子のところへ行き、「こうやって遊ぶんだよ」といって自分流の遊び方を教えるんである。教えるというより強要してるのかもしれない。
言葉はまだ舌足らずで何を言ってるか理解不能な時もあるし、食事どきもそわそわしてじっとしてないし、小学生になったら給食時に徘徊しちゃって「学習障害児」のレッテルを貼られるかもだが、とにかく元気なんであった。
待てよ、今気づいたぞ。
筆者は中学高校はサッカー小憎で長距離は苦手だが短距離は速かった。
配偶者は今でもバレーボーラーで小学校の頃は走り幅跳びの地域の記録保持者であった。
息子はフレンズ卒業後中学で野球部、高校は陸上に入り川崎市大会で学校の400m記録を更新したことがある。
娘もフレンズの小学校時代に等々力競技場での大会でリレー選手になり、かなり後ろから何人もごぼう抜きでトップに躍り出たことがある。中学高校も陸部に所属していた。
娘の夫は川崎北高校時代サッカー部主将だった。しかも当時「三代目J.Soul.Brothers」のボーカル今市君と同級生のマブダチで、カラオケに行った時「絶対こいつ将来はプロシンガーになる」と確信したんだそうだ。.....てか、コレ脚の速さとは関係ない話か(^-^)
今度Minamiにベーランをやらせてタイムを計っちゃおうかと思うくらいの、親バカならぬバカジジイの筆者「J」なんであった。
白血病は二十歳になるまで再発の可能性があるので、本当は油断は出来ないんであるけれど、そんなことを微塵も感じさせない元気。
なにしろ子どもは元気が一番なんである。
実は今日5月30日もMinamiの通院でMiuを預けにうちに遊びにきた。
退院直後はつんつるてんのマルコメ坊やよろしく坊主頭だったけれど、今はここまで伸びてきた。子どもの髪ってなんでこんなに柔らかくツヤツヤしてんだろう。少し分けて欲しいものだ。妹のMiuと合成した写真。
夜、晩飯後そろそろ仕事に戻ろうかと思っていたら、娘とMinamiが何やらごそごそし始めた。Miuは相変わらずぼーっとして盛大にヨダレをたらしている。
「はい、これ。ケーキもあるよ」
筆者の好きなI.W.ハーパー。ケーキには「HappyBirthday ジェイ」
すっかり忘れていた、今日が自分の誕生日だったことを。
誕生日を忘れたついでに歳が幾つになったかも忘れてしまうことにするか。
はて、いくつだったかな?
そーだ、46歳になったような気がする...てゆーか、そうであって欲しいと願う今日この頃なんであった(^-^)
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2014年5月29日木曜日
「ノミニケーション」は大切
正式に5年生以下のいわゆるBチーム(連盟的にはジュニアチーム)を起ち上げるのはいつ以来のことだろうか?子どもの数が決定的に物事を左右するんであるが、プラス指導者ベンチスタッフの人選、協力父母や運営メンバー、遠征時の車の手配、グランド使用の振り分け.....なんとまあいろいろあるんである。今年のフレンズはギリギリの人数だがBも登録し大会出場することになった。まだ慣れぬためにもしかしたら予期せぬトラブルなどもあるかもしれない。しかし、それは大らかな気持ちで寛容のココロが肝要なんである。
午後の水沢ライナーズ戦の前に、AB分かれて別行動。Bチームは新監督Tomiokaさんの提案でルールを中心に「野球教室」を開催することになった。それをメールで知った筆者はホワイトボードで使えるよう、球場の俯瞰図をA3貼り合わせのA2サイズで制作。これ、大事。ホワイトボードにマーカーの殴り書きで言葉を羅列しても、小さい子にはなかなか伝わらないからと思ったからだった。前夜やっと完成。
新Bチームスタッフを紹介したい。監督はこのブログでも幾度か登場のTomioka、29番はOhshiro、28番Soneの各氏なんである。いずれもAチームに子どもを持つ親コーチなんである。つまり試合がカブった時はAの自分の子の試合が見れない可能性が大きいのに、よくぞ買って出てくれたわけなんであった。世の中の、自分の子どものことしか頭にないエゴイスティックな少数の親たちに、爪の垢を煎じて呑ませてやりたいと思う。
もっともオヤジたちの爪の垢を採取して煎じるのは、どーにも気色悪いので筆者は遠慮することにするが。
サブスコアラー二人もAの親なので、Aを譲り筆者はBのスコアラーを担当。経験者なら分るはずだが、Aに比べて低学年のスコアブックは死ぬほど大変なんである。あり得ないプレーが続出するからだ(^-^)
熱血新監督Tomiokaさんの言葉から。
「野球は人が動いて点になる競技」
サッカーやバレーボール、バスケなどはボールがゴールなどを通過した時に初めて点になる。選手がゴールの中にいくらなだれ込んでも点にはならない。野球は人が本塁を踏んだ時に初めて点になる、というもの。
「野球は一気に点が入るスポーツ」
サッカーなどは1点ずつ得点しその大小で優劣を競うもの。野球は一打で2点3点、本塁打が出れば一気に4点だって取れる。確かにサッカーの審判が「今のは素晴らしいシュートだから3得点にしてやろう」なんてことはない。
そんなことを聞いていて筆者、もうひとつ思いだした。
「野球は攻めと守りがハッキリ分かれている競技」
他の球技は攻めと守りが渾然一体、めまぐるしく変わるんである。しかし野球は攻撃する側は有無を言わせず攻める一方で、守るほうはどんなに苦しくても3アウトを取るまでは延々と守るしかないんである。センターフライからのタッチアップで3塁走者を本塁で殺したら、守備側が1得点出来るなんてことはないんである。
むむむ、待てよ!これを書いていて思ったけれど、むしろそれが実現したら超オモシロイぞ。1:1で迎えた9回裏の守備で、先のような場面でタッチアップの走者を本塁で刺したら、守備側に1点入るというルールにすれば、9回裏であっても守備側にもサヨナラ勝ちの可能性が出て来るわけだ。飲み会なんぞでこの「守備側にも得点ルール」のアイディアを出し合えば大いに盛り上がるかも。
皆、学校の勉強並みに真剣に聞いていたけれど、たぶん下級生はほとんど分ってないだろう。子どもの指導はそういうものだと心得るべし。「いいか、分った?」「は〜い」となっても、何人かは分ってないと思ってかからなければいけない。
我々指導者は「教えたつもり」になって「教えたんだから出来るはずだ」と思ってはいけない。「教えたからといって必ずしも出来るとは限らない」を胸に刻むべしなんである。
それでも、有意義な時間を共有できたと実感した2時間であった。この野球教室、雨の日やグランドがない時などに、是非Aチームでも開催しようということになった。
場所は地元の生涯学習施設「アリーノ」連盟事務局のOhtakeさんのいる公共施設である。
午後の試合を快勝し、有馬ドームで練習、夕刻帰宅時の路上でふとバイクを停めてiPhoneで日没の大きく沈み行く夕陽を撮ってみた。
さて、一気にいっちゃう。
その晩は久々に祝勝会。自宅の小さい子らさえ安全なら男女混合で父も母も集まり、くんずほぐれつ(?)酒を酌み交わす。酒池肉林じゃないよ、楽しい酒宴となった。
盛り上がったオトナの話の詳細はここでは書けないことも多い。小学生も読んでいるからね(^-^)もし「シーモネーター」のアラガネーゼ(Araganeコーチ)がいたら、場はそっち方面に終始していたに違いない。
宴もたけなわの頃(23:00頃かな)Ohshiroコーチの仕切で一人ひとり、なんでも良いから話すことに。やんやんやんやの喝采や、しんと聞き入る話、またはやたら茶々を入れる輩が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)してヒンシュク買ったり....。みなさんのところでも良くある飲み会のワンシーンなんであった。
「ノミニケーション」....昭和オヤジの死語とバカにしてはいけないのだ。
これ、ホント大事なんである(^-^)
会計後最後に筆者、iPhoneを構えて「はいはい、ブログ用に撮るぞー!並んでー!」
と、そしたら、Akane母が気を利かせて店員を呼びシャッターを。「Tさんもこっちに入んなきゃダメよ〜」と。
列の真ん中を開けて筆者はそこに来いと言われて、言われるがまま最後にそのポッカリ開いた穴ぼこに納まった。
穴があるとすっぽり入りたくなるのは、大昔からモグラとオトコの本能なんである(^-^)
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午後の水沢ライナーズ戦の前に、AB分かれて別行動。Bチームは新監督Tomiokaさんの提案でルールを中心に「野球教室」を開催することになった。それをメールで知った筆者はホワイトボードで使えるよう、球場の俯瞰図をA3貼り合わせのA2サイズで制作。これ、大事。ホワイトボードにマーカーの殴り書きで言葉を羅列しても、小さい子にはなかなか伝わらないからと思ったからだった。前夜やっと完成。
新Bチームスタッフを紹介したい。監督はこのブログでも幾度か登場のTomioka、29番はOhshiro、28番Soneの各氏なんである。いずれもAチームに子どもを持つ親コーチなんである。つまり試合がカブった時はAの自分の子の試合が見れない可能性が大きいのに、よくぞ買って出てくれたわけなんであった。世の中の、自分の子どものことしか頭にないエゴイスティックな少数の親たちに、爪の垢を煎じて呑ませてやりたいと思う。
もっともオヤジたちの爪の垢を採取して煎じるのは、どーにも気色悪いので筆者は遠慮することにするが。
サブスコアラー二人もAの親なので、Aを譲り筆者はBのスコアラーを担当。経験者なら分るはずだが、Aに比べて低学年のスコアブックは死ぬほど大変なんである。あり得ないプレーが続出するからだ(^-^)
熱血新監督Tomiokaさんの言葉から。
「野球は人が動いて点になる競技」
サッカーやバレーボール、バスケなどはボールがゴールなどを通過した時に初めて点になる。選手がゴールの中にいくらなだれ込んでも点にはならない。野球は人が本塁を踏んだ時に初めて点になる、というもの。
「野球は一気に点が入るスポーツ」
サッカーなどは1点ずつ得点しその大小で優劣を競うもの。野球は一打で2点3点、本塁打が出れば一気に4点だって取れる。確かにサッカーの審判が「今のは素晴らしいシュートだから3得点にしてやろう」なんてことはない。
そんなことを聞いていて筆者、もうひとつ思いだした。
「野球は攻めと守りがハッキリ分かれている競技」
他の球技は攻めと守りが渾然一体、めまぐるしく変わるんである。しかし野球は攻撃する側は有無を言わせず攻める一方で、守るほうはどんなに苦しくても3アウトを取るまでは延々と守るしかないんである。センターフライからのタッチアップで3塁走者を本塁で殺したら、守備側が1得点出来るなんてことはないんである。
むむむ、待てよ!これを書いていて思ったけれど、むしろそれが実現したら超オモシロイぞ。1:1で迎えた9回裏の守備で、先のような場面でタッチアップの走者を本塁で刺したら、守備側に1点入るというルールにすれば、9回裏であっても守備側にもサヨナラ勝ちの可能性が出て来るわけだ。飲み会なんぞでこの「守備側にも得点ルール」のアイディアを出し合えば大いに盛り上がるかも。
皆、学校の勉強並みに真剣に聞いていたけれど、たぶん下級生はほとんど分ってないだろう。子どもの指導はそういうものだと心得るべし。「いいか、分った?」「は〜い」となっても、何人かは分ってないと思ってかからなければいけない。
我々指導者は「教えたつもり」になって「教えたんだから出来るはずだ」と思ってはいけない。「教えたからといって必ずしも出来るとは限らない」を胸に刻むべしなんである。
それでも、有意義な時間を共有できたと実感した2時間であった。この野球教室、雨の日やグランドがない時などに、是非Aチームでも開催しようということになった。
場所は地元の生涯学習施設「アリーノ」連盟事務局のOhtakeさんのいる公共施設である。
午後の試合を快勝し、有馬ドームで練習、夕刻帰宅時の路上でふとバイクを停めてiPhoneで日没の大きく沈み行く夕陽を撮ってみた。
さて、一気にいっちゃう。
その晩は久々に祝勝会。自宅の小さい子らさえ安全なら男女混合で父も母も集まり、くんずほぐれつ(?)酒を酌み交わす。酒池肉林じゃないよ、楽しい酒宴となった。
盛り上がったオトナの話の詳細はここでは書けないことも多い。小学生も読んでいるからね(^-^)もし「シーモネーター」のアラガネーゼ(Araganeコーチ)がいたら、場はそっち方面に終始していたに違いない。
宴もたけなわの頃(23:00頃かな)Ohshiroコーチの仕切で一人ひとり、なんでも良いから話すことに。やんやんやんやの喝采や、しんと聞き入る話、またはやたら茶々を入れる輩が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)してヒンシュク買ったり....。みなさんのところでも良くある飲み会のワンシーンなんであった。
「ノミニケーション」....昭和オヤジの死語とバカにしてはいけないのだ。
これ、ホント大事なんである(^-^)
会計後最後に筆者、iPhoneを構えて「はいはい、ブログ用に撮るぞー!並んでー!」
と、そしたら、Akane母が気を利かせて店員を呼びシャッターを。「Tさんもこっちに入んなきゃダメよ〜」と。
列の真ん中を開けて筆者はそこに来いと言われて、言われるがまま最後にそのポッカリ開いた穴ぼこに納まった。
穴があるとすっぽり入りたくなるのは、大昔からモグラとオトコの本能なんである(^-^)
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有馬フレンズOB、宮前Queens、宮前区少年野球連盟のブログを通じた広報担当です。写真と文章のブログ、たまには個人的日々雑感も。
2014年5月27日火曜日
飛翔するペガサス
それにしてもどーしたって言うんだ、今日のアクセス数が22:30現在で131とは。
先週も100を超えてビツクリだったのに、今日は「晴耕雨読」史上初のこの数字。アクセス数の裏にはカラクリがあるのだけれど、それにしてもなんである。ありがたや。もしかしたらオランダあたりからの数字が寄与しているのかもしれぬ。いよいよ世界に羽ばたく「晴耕雨読」....とは連盟Nishimuraさんの弁。
昨晩書こうと思ったけれど、祝勝会という「ご公務」で帰還は午前様。よって本日になったんである。
さてジャビットカップ初戦、VS水沢ライナーズ。つい先日も「シートノック」について書いた。Lのノックを見ていたら守備に穴がないなんである。まさに侮(あなど)れないわけで。守備がうまいチームは打撃も推して知るべしなんであった。
LにはQueensのFuukoがいる。個人的には活躍して欲しいけれど公式戦なので、チームとしては負けるわけにはいかないという、二律背反的心情なんであった。
初回表Lの攻撃ではFの自滅的1失点である。四球と連続失策。普通なら嫌な空気が流れて暗雲たれ込めるところだったが、後続をなんとか凡退に抑えた。この最小失点というのは大きかった。
Lの先発はFuukoかと思いきやInoueくんだった。Fuukoは捕手である。少年野球でキャッチャーを女子がやるというのは相当珍しいことだ。それだけ信頼が厚い証拠なんである。
対してFはこのところエース格として安定してきたHiro。1失点は自責点ではないし、今のウチなら杞憂に終わる点数なはずだ。
1回裏Fの攻撃。守りの堅いライナーズからこんなに打てるとは。KohkiのBH、Rui、Hiroの連続タイムリー2塁打などで計6得点。先日のウルフ戦に続き初回のテンションはマックスなんであった。結局この1回で6:1になったことが決定的だったかもしれない。これが1,2得点で終わっていれば、その後の展開は苦しいものになった可能性はなきにしもあらず....。
特筆は守備面でも苦しい場面でファインプレーが続出したことなんであった。Kohkiのファーストでの二つの美技、捕手Yuiはキャッチャーフライをダイビングキャッチ、ショートのRuiは三遊間を抜ける打球をこれまたダイビング、二遊間でのカバーもお見事。美技の連続でチームが盛り上がらないわけがない。
Fuukoは途中捕手からセカンドへ。その中でもいつもチームを鼓舞する大きな声を出していた。これにはびっくりなんである。第一公園ドームに響き渡る一番大きな声を張り上げていた。終盤は喉が潰れるのではと思ったほどの悲痛な叫びにも聞こえた。
昨年のQueens主将Himari。誉れ高き名キャプテンの名を欲しいままにしている彼女も今や中学生だ。そのDNAを受け継いだ今季Qの主将Fuukoなんであった。張本氏でなくともアッパレをあげたくなっちゃうんであった。今年のQueensを頼んだぞ!
中盤終盤と小刻みに得点を重ね追い上げるLを、5回にYuiの適時打で追加点を奪い突き放す。
終わってみれば内容も悪くない7:4で快勝。このところチーム事情でいろいろあったけれど、この試合に勝つことはベンチスタッフ、特にSueki・Nishinaka両コーチにとっては特別な意味があったはずだ。
ところでなんである。
この試合の前後にいろいろあって、またしてもブログネタ倉庫に一気に荷がダブついてしまった。あんなことやそんなことなど....。またしても次回に書こうと思うんであったけれど、そのひとつのサワリ部分をアップ。
連盟Nishimuraさんがほんのイタズラゴコロでこんな暴挙に出たんであった。
4月からオランダへ赴任のウルフにいたMさんに送るメールに添付すると言うので、ニンマリと老醜をさらしてiPhoneカメラにピースサイン。
ところがその後、顔写真が連盟HPにアップされちゃったんである。筆者このブログに自分の写真がないのは、意図的に載せないのではなく、カメラマンだから自分の写真がないだけなんである。確かに自ら載せるほどの器量良しではないので、興味がないだけであるけれど、載ったら載ったで全然構わないわけで。このHPはNishimuraさんがバックネット裏からほぼリアルタイムで更新している力作なんであった(^-^)/
川崎市宮前区少年野球連盟ホームページ
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先週も100を超えてビツクリだったのに、今日は「晴耕雨読」史上初のこの数字。アクセス数の裏にはカラクリがあるのだけれど、それにしてもなんである。ありがたや。もしかしたらオランダあたりからの数字が寄与しているのかもしれぬ。いよいよ世界に羽ばたく「晴耕雨読」....とは連盟Nishimuraさんの弁。
昨晩書こうと思ったけれど、祝勝会という「ご公務」で帰還は午前様。よって本日になったんである。
さてジャビットカップ初戦、VS水沢ライナーズ。つい先日も「シートノック」について書いた。Lのノックを見ていたら守備に穴がないなんである。まさに侮(あなど)れないわけで。守備がうまいチームは打撃も推して知るべしなんであった。
LにはQueensのFuukoがいる。個人的には活躍して欲しいけれど公式戦なので、チームとしては負けるわけにはいかないという、二律背反的心情なんであった。
初回表Lの攻撃ではFの自滅的1失点である。四球と連続失策。普通なら嫌な空気が流れて暗雲たれ込めるところだったが、後続をなんとか凡退に抑えた。この最小失点というのは大きかった。
Lの先発はFuukoかと思いきやInoueくんだった。Fuukoは捕手である。少年野球でキャッチャーを女子がやるというのは相当珍しいことだ。それだけ信頼が厚い証拠なんである。
対してFはこのところエース格として安定してきたHiro。1失点は自責点ではないし、今のウチなら杞憂に終わる点数なはずだ。
1回裏Fの攻撃。守りの堅いライナーズからこんなに打てるとは。KohkiのBH、Rui、Hiroの連続タイムリー2塁打などで計6得点。先日のウルフ戦に続き初回のテンションはマックスなんであった。結局この1回で6:1になったことが決定的だったかもしれない。これが1,2得点で終わっていれば、その後の展開は苦しいものになった可能性はなきにしもあらず....。
特筆は守備面でも苦しい場面でファインプレーが続出したことなんであった。Kohkiのファーストでの二つの美技、捕手Yuiはキャッチャーフライをダイビングキャッチ、ショートのRuiは三遊間を抜ける打球をこれまたダイビング、二遊間でのカバーもお見事。美技の連続でチームが盛り上がらないわけがない。
Fuukoは途中捕手からセカンドへ。その中でもいつもチームを鼓舞する大きな声を出していた。これにはびっくりなんである。第一公園ドームに響き渡る一番大きな声を張り上げていた。終盤は喉が潰れるのではと思ったほどの悲痛な叫びにも聞こえた。
昨年のQueens主将Himari。誉れ高き名キャプテンの名を欲しいままにしている彼女も今や中学生だ。そのDNAを受け継いだ今季Qの主将Fuukoなんであった。張本氏でなくともアッパレをあげたくなっちゃうんであった。今年のQueensを頼んだぞ!
中盤終盤と小刻みに得点を重ね追い上げるLを、5回にYuiの適時打で追加点を奪い突き放す。
終わってみれば内容も悪くない7:4で快勝。このところチーム事情でいろいろあったけれど、この試合に勝つことはベンチスタッフ、特にSueki・Nishinaka両コーチにとっては特別な意味があったはずだ。
ところでなんである。
この試合の前後にいろいろあって、またしてもブログネタ倉庫に一気に荷がダブついてしまった。あんなことやそんなことなど....。またしても次回に書こうと思うんであったけれど、そのひとつのサワリ部分をアップ。
連盟Nishimuraさんがほんのイタズラゴコロでこんな暴挙に出たんであった。
4月からオランダへ赴任のウルフにいたMさんに送るメールに添付すると言うので、ニンマリと老醜をさらしてiPhoneカメラにピースサイン。
ところがその後、顔写真が連盟HPにアップされちゃったんである。筆者このブログに自分の写真がないのは、意図的に載せないのではなく、カメラマンだから自分の写真がないだけなんである。確かに自ら載せるほどの器量良しではないので、興味がないだけであるけれど、載ったら載ったで全然構わないわけで。このHPはNishimuraさんがバックネット裏からほぼリアルタイムで更新している力作なんであった(^-^)/
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2014年5月24日土曜日
同時多発的運動会
百花繚乱なんてね。とても気持ちのいい季節になってきちゃったんである。
先日は有馬中学校の体育祭、一週間後の今日は西有馬小、有馬小での同時多発的運動会、なんであった。
まずは西有馬へ。ここはグランドが狭いわりに児童数が多いため、立錐の余地もなくカメラを構える親たちの姿が林立するんであった。筆者の息子娘の時代もブルーシートの場所取りに余念のない親が多かったけれど、今はもっと多くなっているようだ。しかもミニテントまで持ってきてるのは現代風というか、なんというか。
ここではTomiokaコーチとItohくんに会った。西有馬小にはもはやフレンズの子は二人だけなんである。
次は有馬小へ出撃。
ここは反対にそこそこ大きな校庭なのだが、児童数は反比例しているわけで。
おっ、あれれ、先週有馬中でウグイス嬢をやっていたQueensのOB、Misakiが友達と一緒にいるではないかっつうの。筆者をみつけて「あっ、Tさんだ」と言ってくれた。「お〜!Misakiちゃ〜ん」彼女は東有馬に縁もゆかりも深いのである。また元母マネージャー兼スナックShinobuママとは親交が深いんである。
短い時間しか滞在しなかったけれど、盆踊り(?)で目の前を通る列の中に、何人かのフレンズの子らがいた。普段子どものユニフォーム姿に見慣れている中、たまに私服の子を見た時に以外と幼い印象を受けるのは私だけであろうか?そして更に体操着姿を見ると、もっと幼く見えてしまうと思うのは私だけではあるまい(^-^)/
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2014年5月22日木曜日
子どもの未来、大人の夢
前回ブログ「夢の未来」を書いたところ、まず新潟県、栃尾市のスポーツ少年団「若獅子スポーツ少年団」さんからコメントをいただいた。筆者にとって新潟は縁のあるところ、嬉しいものである。キャッチフレーズは「獅子奮迅」これ以上ないというくらいのドンピシャのキャッチなんである。ホームページは以下に。
若獅子スポーツ少年団jHP
ほどなくして更に当の稲城市の少年野球チーム「フューチャードリームス」さんからもコメントいただいた。29番コーチさんからであった。煙草談義でいろいろ熱き思いを語っていたんである。長身のイケメン氏だったせいか、我がフレンズの美女軍団母たちも熱心に耳を傾けていたんであった。
コメント欄に書いていただいたので、許諾を請うことはなしに、ここにそのままコピーペーストしちゃうんである。小保方さんのSTAP論文的コピペじゃねーの!と非難されても私は平気なのだ。「STAP細胞は、ありまあ〜〜〜す↗」的に世界の中心で叫ぶんである。「コメント欄から、コピペしちゃいまあ〜〜す↗」
『先日はお世話になりましたm(__)m
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若獅子スポーツ少年団jHP
ほどなくして更に当の稲城市の少年野球チーム「フューチャードリームス」さんからもコメントいただいた。29番コーチさんからであった。煙草談義でいろいろ熱き思いを語っていたんである。長身のイケメン氏だったせいか、我がフレンズの美女軍団母たちも熱心に耳を傾けていたんであった。
コメント欄に書いていただいたので、許諾を請うことはなしに、ここにそのままコピーペーストしちゃうんである。小保方さんのSTAP論文的コピペじゃねーの!と非難されても私は平気なのだ。「STAP細胞は、ありまあ〜〜〜す↗」的に世界の中心で叫ぶんである。「コメント欄から、コピペしちゃいまあ〜〜す↗」
『先日はお世話になりましたm(__)m
煙草談義をさせていただいたFD 29番です。
あの日以降、ブログを拝見させていただいておりますが、チームを取り上げていただき、ありがとうございますm(__)m
先日の試合の結果通り、まだまだ悶々とした日々を過ごしておりますが、正に未来を夢見て頑張っております。
5年生チームはもう少しやれると思いますので、今度は是非5年生もお願いします。
ちなみにスタ―ト時は、選手2人、指導者2人で、現在は選手15人、指導者10人(28~37番まで居ます。)になりました。
今度ともよろしくお願いします!』
あの日以降、ブログを拝見させていただいておりますが、チームを取り上げていただき、ありがとうございますm(__)m
先日の試合の結果通り、まだまだ悶々とした日々を過ごしておりますが、正に未来を夢見て頑張っております。
5年生チームはもう少しやれると思いますので、今度は是非5年生もお願いします。
ちなみにスタ―ト時は、選手2人、指導者2人で、現在は選手15人、指導者10人(28~37番まで居ます。)になりました。
今度ともよろしくお願いします!』
すぐにコメントを返し仕事をしていると、しばらくしてまたiPhoneのメール着信音。実はブログにコメントの書き込みがあると、その5秒後くらいには自動転送されてMacとiPhone両方にメールされるんである。見ると今度は畏れ多くもFD30番監督さんからであった。
『FD 29番に続き30番も飛び入りさせてください。改めて先日はありがとうございました。私達は学童野球で燃え尽きてしまうのではなく、中学高校大学でも通用する様な技術や強い気持ちをチームで学んで欲しいと思っているチームです。機会がありましたら是非今度合同で練習等行わせて頂き、情報交換できたらとも思いますのでよろしくお願いします』
子どもたちのためにこんな大人たちがいる。フレンズや他のチームもそうだし、宮前連盟関係も然り、全国にも多くの大人たちが子どもたちのために頑張っているし、逆に大人も子どものおかげで夢を見させてもらっているのだ。また決して子どものためだけではないはずだ。大人同士の付き合いにも魅力を感じていることも頑張れる大きな要因である。野球というスポーツに限らないだろう。さらに日本だけではなく、おそらくこの子どものスポーツ指導では世界的にも同じ構図なのではないだろうか。
++++++++++++++++++
ここで筆を置こうとしたら.....。
これはなでしこJAPANを観ながら書いていた。VS優勝候補の中国だ。
書き終わったとたんに....歓喜の奇跡のゴール!!!
前後半90分1:1の同点、延長戦も同点のままアディショナルタイム2分もとうに過ぎた。最後のCKから岩清水が決勝ゴーーーーーール!
凄いゲームだった。感動しちゃったぞっ(^-^)/
++++++++++++++++++
ここで筆を置こうとしたら.....。
これはなでしこJAPANを観ながら書いていた。VS優勝候補の中国だ。
書き終わったとたんに....歓喜の奇跡のゴール!!!
前後半90分1:1の同点、延長戦も同点のままアディショナルタイム2分もとうに過ぎた。最後のCKから岩清水が決勝ゴーーーーーール!
凄いゲームだった。感動しちゃったぞっ(^-^)/
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有馬フレンズOB、宮前Queens、宮前区少年野球連盟のブログを通じた広報担当です。写真と文章のブログ、たまには個人的日々雑感も。
2014年5月20日火曜日
夢の未来
だいぶ以前の練習試合ではあるけれどなんとかアップすることにした。相手チーム名は稲城市の「フューチャードリームス」なんである。少年野球チーム名もいろいろあるけれど、「フューチャードリームス」=未来の夢=とはなかなかのネーミングであった。
あとで知ったことだけれどいろんな意味でかなり特異なチームなんであった。
先発のマウンドはFはHiro、FDはMaruyamaくんである。
1回表Fの攻撃、先頭打者はShohgo。3球目を強振しレフトオーバーの見事なツーベース。続くKohkiもレフトへの当たり。その後WPなどからみ3点先制なんであった。
FDはそれにしてもまずは、ユニフォームがほぼ酷似している縦縞なんであった。近年上をチームカラーにして下は練習着と共用できる白にするのが主流になっている。ただでさえそうなのに、Fは上下とも伝統の縦縞スタイルだ。少年野球ではあまり見かけないはずである。FDも全く同じユニフォームだった。筆者の記憶では2,3回しかお目にかかったことがないんである。
Hiroは1,2,3回と三者凡退無失点に抑えた。
5月のうららかな日曜日。珍しいOBがやってきた。
前監督であり、フレンズ絶頂期の選手OBでもあるSatohくんだった。カノジョもいるのだがもう32歳である。その時代の同期OBのItohくんもやってきた。会社の(?)草野球チームはおそろしく強豪で全国大会にも出ているんである。彼らの時代は神奈川県大会優勝もあり、ほとんど負け知らずであった。
そしてこのところフレンズによく来て子どもを見てくれているItohくんの弟、Shinyaくんだ。彼は30歳、筆者の息子と同期だったんである。この時代ももの凄く、学童県大会準優勝まで行き、これに勝っていれば全国大会だったんである。年間チーム勝率は9割超えであった。
彼と昔話をした。
「オレらの頃って、あんまし練習試合をやった記憶ないんですよねえ」
「あはは、そうだね。あの頃は毎週のように公式戦で遠征が多かったからなあ。朝5時半集合して無言でアップして、8時半から大師球場で第一試合やって、宮前に帰ってから午後別の大会に出たりとかね」練習試合よりも普段の練習をがっつりやっていたような記憶もある。.....今は昔である。
試合はFの攻撃陣が4,5,6回に加点し計10点。投げてはHiroが7回74球の省エネピッチングで10:0の完封完投勝利。
写真を編集していてセカンド塁審のToyodaオヤジがキリッとした2枚目に写っていることに気づいた。さすがはチーム1のイケメン選手Takutoの親である。ん、普通逆か(^-^)
最近はすっかりフレンズオヤジカラーに染まりきって、ジョークでツッコミを入れると精度の高い返しが出来るようになった(^-^)
「フューチャードリームス」はかなり特異なチームと冒頭に書いた。
試合終了後FDのコーチと煙草談義で得た話。
実は昨年発足したばかりのチームだそうだ。当初は監督とそのコーチと選手4,5人からスタートしたんだとか。それが今や短期間でBチームまで作れるほどになった。氏の熱い弁舌を聞いていると、少年野球チームにありがちな不満や不条理を解消し監督と二人で理想的なチーム作りを目指して作った、みたいな印象を受けた。父親たちもみな背番号入りユニフォームを着ている。この日は31番から35番までのお父さんがいた。父たちにも子を育てるという意味でコーチとしての自覚を持ってほしいとの意図らしい。
なかなかに革新的なチームなんであった。
ぜひ、頑張ってほしい。
直訳は「未来の夢」が正しいけれど、本ブログのタイトルでは敢えて逆さまにしてみる。
「夢の未来」
このほうが素敵な明日が待っているような気がしちゃうから不思議なものだ(^-^)
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あとで知ったことだけれどいろんな意味でかなり特異なチームなんであった。
先発のマウンドはFはHiro、FDはMaruyamaくんである。
1回表Fの攻撃、先頭打者はShohgo。3球目を強振しレフトオーバーの見事なツーベース。続くKohkiもレフトへの当たり。その後WPなどからみ3点先制なんであった。
FDはそれにしてもまずは、ユニフォームがほぼ酷似している縦縞なんであった。近年上をチームカラーにして下は練習着と共用できる白にするのが主流になっている。ただでさえそうなのに、Fは上下とも伝統の縦縞スタイルだ。少年野球ではあまり見かけないはずである。FDも全く同じユニフォームだった。筆者の記憶では2,3回しかお目にかかったことがないんである。
Hiroは1,2,3回と三者凡退無失点に抑えた。
5月のうららかな日曜日。珍しいOBがやってきた。
前監督であり、フレンズ絶頂期の選手OBでもあるSatohくんだった。カノジョもいるのだがもう32歳である。その時代の同期OBのItohくんもやってきた。会社の(?)草野球チームはおそろしく強豪で全国大会にも出ているんである。彼らの時代は神奈川県大会優勝もあり、ほとんど負け知らずであった。
そしてこのところフレンズによく来て子どもを見てくれているItohくんの弟、Shinyaくんだ。彼は30歳、筆者の息子と同期だったんである。この時代ももの凄く、学童県大会準優勝まで行き、これに勝っていれば全国大会だったんである。年間チーム勝率は9割超えであった。
彼と昔話をした。
「オレらの頃って、あんまし練習試合をやった記憶ないんですよねえ」
「あはは、そうだね。あの頃は毎週のように公式戦で遠征が多かったからなあ。朝5時半集合して無言でアップして、8時半から大師球場で第一試合やって、宮前に帰ってから午後別の大会に出たりとかね」練習試合よりも普段の練習をがっつりやっていたような記憶もある。.....今は昔である。
試合はFの攻撃陣が4,5,6回に加点し計10点。投げてはHiroが7回74球の省エネピッチングで10:0の完封完投勝利。
写真を編集していてセカンド塁審のToyodaオヤジがキリッとした2枚目に写っていることに気づいた。さすがはチーム1のイケメン選手Takutoの親である。ん、普通逆か(^-^)
最近はすっかりフレンズオヤジカラーに染まりきって、ジョークでツッコミを入れると精度の高い返しが出来るようになった(^-^)
「フューチャードリームス」はかなり特異なチームと冒頭に書いた。
試合終了後FDのコーチと煙草談義で得た話。
実は昨年発足したばかりのチームだそうだ。当初は監督とそのコーチと選手4,5人からスタートしたんだとか。それが今や短期間でBチームまで作れるほどになった。氏の熱い弁舌を聞いていると、少年野球チームにありがちな不満や不条理を解消し監督と二人で理想的なチーム作りを目指して作った、みたいな印象を受けた。父親たちもみな背番号入りユニフォームを着ている。この日は31番から35番までのお父さんがいた。父たちにも子を育てるという意味でコーチとしての自覚を持ってほしいとの意図らしい。
なかなかに革新的なチームなんであった。
ぜひ、頑張ってほしい。
直訳は「未来の夢」が正しいけれど、本ブログのタイトルでは敢えて逆さまにしてみる。
「夢の未来」
このほうが素敵な明日が待っているような気がしちゃうから不思議なものだ(^-^)
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