2011年3月31日木曜日

昔も今も横柄なワカゾウ

大震災からほぼ3週間。当初は世情もTV番組もCMなども軒並み自粛方向であった。このブログも全く他のことを書く気にすらならず、3/11以降ほとんど震災のことばかり。少しずつ他のことも書きたいと思うようになっても、被災地の映像を目の当たりにするたび、いまだ何か呪縛にかかったように筆が進まなかった。でも最近ようやく肩の力を少しだけ抜けるようになってきた。でももちろん「被災地の方たちの気持ちになってみよう」とACの嵐の広告にあるように、これだけは忘れてはならない。本当のサポートはこれからが本番だから。

今日は新宿区役所建築指導課へ直行。店舗設計者にとって、役所・消防・保健所はいわゆる「お上」。いつも対峙しなきゃいけない3大関係官庁なのだ。担当者によって違うけれど、柔軟なアタマの持ち主もいれば、四角四面の堅物もいる。愛すべき頑固オヤジなら、こちらも一丁将棋のひとつでもさしたくなるが、困るのはいわゆる「大学出の若造」で「世間知らず」で「横柄な態度」で「役所仕事」を全うしちゃう奴だ。今日の担当者はそうでもなかったが、会話の端々に初対面の年上に対して「うん、...」という相づちを入れることにはうんざり。これに辟易してるオトナは多いはず。自分がガキの頃は(今でも)、たとえ下請けさんであろうと、道路工夫であろうと、浮浪者であろうと、年上に対してタメ語では話せなかった。付き合いが長くなり気心が知り合える仲になり、親しくなればそれなりに「はい、...」が「うん、...」に変化するけれど。
これはもうかなり昔から思っていることだ。電話での会話でも多いことこの上なし。今のその若い連中を産み育てた親の世代は...現在の我々の世代。おい、うちは大丈夫か?

22歳で結婚した小生。
婚姻届や子どもの出生届けを渋谷区役所へ届け出たことがある。窓口の担当者は正に前述の彼よりももっとひどい横柄な若造だった。自分とさして変わらぬ年代。
「あっそう、この用紙に書いてくれる?」
「ちょっと待ってくれるかな」
「違うよお〜、ここの欄に今日の日付書くんだよ」
.....うぐぐ....ぐぐ。頭の中で血管が沸騰点に達する音が聞こえた。
(一時期マスコミで役所バッシングがあって以来、今ではこんなことは滅多にないけれど。むしろ最近の役所は丁寧すぎるくらい親切で誠意に満ちている)

おもむろに私は彼のネクタイをひっつかんでカウンター越しに引きずり出し、
「この公僕のくせに税金泥棒が何をほざいてんだバカヤロウ!俺とテメエは人として対等なんだぞ!人に対しての口の聞き方を教えてやる!」と叫びながらやつの顔面を137往復ほど殴打し気絶させ、首に縄をして馬車で渋谷区内中引き回してのち、奴の口の中へ「敬語の使い方辞典」を1ページずつ破って喰わせてやった。

....そうしたかった(^^)

新宿アルタ前。「笑っていいとも」ギャラリーの女の子たちの群れ。

20歳前後の我が青春の新宿3丁目。ここでバイトに明け暮れていた。当時の上京したての自分が脳裏に蘇る。
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2011年3月28日月曜日

復興の花を咲かせるのはいつ?

昨晩急ごしらえの募金箱を今日グランドへ持参。周りの人たちに訊かれればことの経緯を説明したが、この小さな箱に込めた大きな思いがどれだけ伝わったかはわからない。自分のコトバの足りなさを忸怩たる思いで自分を責める。やはり十人十色、震災に対する考え方は人それぞれで温度差があることに思い至る。どれもが正論。わかってはいたけれど。これから一ヶ月でどれだけの気持ちがこの箱に込められるか。もちろん金額の大小ではなく...。

連盟は宮前区の少年野球のメッカ、第一公園と第四公園にこの募金箱を常設することを決定。それで連盟用の募金箱を製作することに。練習時間の間隙を縫って近くの100圴ショップへ、美人の人妻のクルマでドライブデート。...ってInoueコーチオヤジに言われ彼の愛妻の運転で、だけどね。これが募金箱二つ分の原型。締めて945円、税込み。明日から母さんでもないのに「夜なべをして〜」鋭意製作予定。

練習後は久々のオヤジ呑み会。その帰り舗道で見かけた花壇の花々。
頭の中のハードディスクがアルコール分を吸収し空回りしていても、思わず立ち止まりカメラを構えてカシャリ。
この寒い夜空で健気に、排ガスもものともせず咲き誇る小さな花たち。
こんなふうに被災地の子どもたちも、いつの日にかそれぞれの復興の花を咲かせる時を思い願って。


2011年3月27日日曜日

顔を上げて一歩前へ

今日も終日怒濤のメールの嵐。震災とどう向き合うべきかの、連盟や少年野球のことで。この時期我々はどうすべきなのか?世情を鑑み「自粛」なのか?被災者の少しでも力になれればと「実行」なのか?...わからない、というのが正直なところ。ダルビッシュ有が言っていた「野球なんかやっていていいのだろうか」今もTVでサッカーの本田も「正直わからないけど、前に動かなければならないのは確か」...。
みんな迷っているんだと思う。下を向いて立ち止まるべき時から、顔を上げて一歩前へ踏み出す勇気をもうそろそろ持ってもいいのかな。
「少年野球・開催・自粛」で検索してみたけれど、百花繚乱。自粛の方向性に動いてるところが多いようだ。地域によって温度差はあるけれど。
プロは今年がなくとも来年があるけれど、小学6年生や中学高校の3年生は今年しかない。彼らから大好きな野球を奪ってしまうことだけは避けたい。東北人気質からすると、逆に気を遣ってもらいすぎると恐縮してしまうところがある。
自粛=暗いムード=閉塞感。
開催=お祭りムード=不謹慎。
そのバランスと時期の見据え方だと思う。難しいけれど。

そんなこんなで、連盟との連携を記念誌チームKasaharaさんとNishimuraさんが動いてくれた。募金活動を中心とした話と今後の大会開催の在り方について。
連盟役員会後、小生の被災地の子どもたちへの募金シンボルマークが、あっというまに全チームへ配付されることに決定とのこと。連盟分も含め先ほどやっと20チーム分が完成した。全チームのロゴマークを入れてあるところがミソだ。

うちのチームにも設置するので昼間手作りで試作を製作。明日側面にチームロゴを貼ってグランドへ持って行く予定だ。
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2011年3月26日土曜日

子どもたちに元気を!

チームとしての募金箱のデザインを作った。
明日箱を買ってきてこれを貼り、募金箱を制作予定。
連盟にも連盟バージョンを作り制作可否の判断を仰ぎたい。
このブログをご覧になって、「ウチにも欲しい」というご要望がありましたら、チーム名と下のグレイ部分の文言を差し替えるだけで宜しければ、喜んでお作りします。JPGなどご希望のデータでメールにて送付します。ご連絡下さい。右「自己紹介」のわんこをクリックするとメールできます。言わずもがなもちろん無料でお作りします(^^)

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2011年3月24日木曜日

日と陽・復興への願い

今TVを見ていて驚いた。16歳である。
先日のブログで被災された80歳の祖母と16歳の高校生のことを書いたけれど、今日の16歳はセンバツの選手宣誓を宣言した創志学園の選手だ。16歳で主将。その威風堂々の風格、真っすぐな眼差し、滑舌の良い声、そして宣誓のコトバの内容。
こんな子だからこそ主将に推されたのだろう。サッカーと女の子のことと仲間と遊ぶことしか考えてなかった自分の高校1年の頃のことを思えば、映画ラピュタに出て来る悠然と天空に浮かぶ「雲」と、映画ラビリンスに出て来る沼の底の「泥」くらいの差がある。(ちょっとだけ自分をフォローすれば、少しは人生とか将来のこととかも考えていたけれど、今にして思えばあまりに稚拙であった)
センバツの子と画面下のテロップに思わず釘付けであった。

以前のブログ「日はまた昇る」で発作的に作ったこのシンボルマーク。

シンプルすぎてずっと何か足りないような気がしていた。そこで「心のチカラ」の心を表すハートマークを追加アレンジ。このハート(心のチカラ)が下にあるのは、人の心が被災地東北を下から支えていることを意味している。ついでにどうでもいいけど解説をばのたまうと。
まずタイトル「日はまた昇る」を「陽はまた昇る」にせず、あえて「日」にしたのは太陽が昇る物理的要因よりも日輪=日の丸=日本という意味合いを込めてのもの。東北のみならず日本そのものが再生することを願って。
また、正円にせず下部分をカットして淡いボカシを入れたのは、海から朝日が昇る様子を表現。
簡単に言えば復興への希望を表したかったのです。

一日数万アクセスの芸能人のしょうもないブログとは比べようもないけれど、この「晴耕雨読」雑文ブログを愛読して下さる方はきっと、常識と良識とユーモアを兼ね備えた賢人であるような気がしてならない。そんな方たちにもこのマークを見て何か感じ取っていただきたくて。
その瞬間に心がひとつになることが出来れば、こんなに嬉しいことはない。

追記:これを使って義援金の募金箱を鋭意制作予定。フレンズ用と連盟用と。
Kasahara社長、Nishimura編集長、第一公園にも設置しませんか。役員や審判の方などはこちらにどうぞ、ということで。