2016年4月10日日曜日

ささやかな昭和の記憶

今日日曜も晴れてフレンズ野球にいくことが出来た。北部大会Bの試合で対するはAbe監督率いる松風スラッガーズ。試合前AbeさんやKikuchiさんと談笑。今年から川崎連盟からのお達しで試合ベンチ入りの監督&コーチは「指導者講習会」を受けた者が最低一人は必要とのこと。ウチからはItoh監督とKakenoコーチが受けに行った。松風からはAbeさんも。筆者「Abeさんはもう、むしろ、指導者を指導する立場じゃないですか」と。Abeさん「滅相もない、とんでもないですよ〜」と言って、連合艦隊司令長官は意気揚々と出かけて行ったんであった。

さて断っておきたいのだけれど、ここから怒濤の松風戦ブログに突入は出来ない。試合後松風さんに無理を聞いていただき合同練習になり、更に松風&フレンズの寄せ鍋の最後の締めはうどんかラーメンか、いやいや子ども大好きのベーランリレーを3回戦もやったんである。ブログ写真ネタテンコ盛りなので一気呵成に書こうにも時間がない。なので今日はサワリのみでお許しくだされましなんである。

Mの本拠地は梶ヶ谷小または西梶ヶ谷小ドームを使っている。Fの有馬小もそうだがご多分に漏れず1学年3クラス程度の少子化の波押し寄せる学校なのだそうだ。それでも20数名のチームであった。Fはこの日にMaeda二人兄弟の入部が決まってもなお、18名である。その梶ヶ谷小へ相当ぶりに行った。(たぶん筆者は6,7年ぶりか)ブログを書き始めの頃にここでの試合を書いた記憶が蘇る。

いきなりコテンと懐かしい赤いポストがお出迎え。
昔フレンズで2年連続で海ほたる経由で木更津方面へ合宿に行ったことがあった。筆者はふっさふさの竹野内豊から、ぱっさぱさの温水洋一に変貌を遂げるその過渡期であった。地元のチームと練習試合をやったのだけれど、確か記憶に間違いがなければ、木更津のある小学校の校庭にもやはり赤いポストがちんまりと立っていたのを思い出す。

※ここまで書いて試しに検索したら2011年頃に書いたブログがヒット。
ちゃんと赤いポストのことに触れていた。
「グランドルール」

ささやかな「昭和の記憶」がこんな所に存在していることに、ちょっと嬉しくなっちゃったんであった。
松風戦ブログは次回にて(^-^)

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ピンクのじゅうたん

2回連続でQueensブログとなる。今日土曜は久々にフリーで午前はQueens本拠地宮崎第四公園ドーム、午後は有馬小ドームでスコアラーなんであった。

Queensの2016年版マグネットボードを届けに、春の柔らかな陽光を浴びつつ、オロロンオロロン、オンボロバイクを駆る。ここでは思いがけず桜がまだ盛大に咲き誇っていたんである。これを目にすることが出来ただけでも来たかいがあった。だいぶ散りかけているものの、鑑賞に十分耐えうるだけのボリュームは保持。青と緑とピンクのコントラスト。

久しぶりに見るQ姫たち。なかなか良い感じに仕上がってきてるではないか。個々の成長が感じられた。小さい姫たちもついこの間までバットに振り回されていたのが、ちゃんとバットを振り回している。受動態から能動態へ。責任感が強く小さい子の面倒見の良い主将Ayanoも一段とたくましくなっていた。以下写真を散文風に人と桜を交えながら。


打撃で特筆はMiku。安定したバッティングフォームから正確にポイントを捉えて外野へ強い打球を打ち込んでいる。目を見張るものがあった。サウスポーHonamiも鋭い打球を右翼線へ飛ばす。6年生は3人だけだがみんな成長著しい。


5年以下も頑張っているぞ。

ピンクのじゅうたん。
時折の風にはらりひらり桜舞い散る。贅沢この上ない風景。満開の桜の遠景は華やかなれど、一枚一枚の淡いピンクの花びらは愛おしいくらいに可憐。Q姫たちも満開の花を咲かせてほしいと願う。

ロングショットから本塁方向を狙うとその手前に桜の花吹雪、ピントは本塁だが手前の花びらが良い感じでボケてまるで雪が降ってるような白い斑点になっちゃったりして。

「冷やし中華はじめました」...ではなく、
「アイスクリームはじめました」
Queens恒例名物、中休みのアイスクリームタイム。代表Murataさん曰く「今日はあったかいから、今年初のアイスクリーム」そういえば今まで大人へのコーヒーはホットだったけれど、初めてアイスコーヒーもお目見えしたんであった。
練習中「集合!」と言ってもてろてろ時間がかかり山のように動じないが、「アイスあるから手を洗ってこい!」と言えばその俊敏性たるや風のごとし。アイスの風林火山的理論を発見したのだった。

ブルーシートはもうすぐ桜の花びらに埋没しそう。このまま花見をやっちゃおってか。
Tanaka母と話をしていたら、このブログお隣高津区の少年少女野球関係者にも読んでもらっているとのこと。宮前のみならず女子野球は川崎全区あげて盛り上がっていかねばならない。女子野球は選手の絶対数や大会数が少ないから、一個の団体だけでなくみんなで大きくならないといけないんである。これは少年野球以上の問題であろうと思う。

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さて午後はフレンズ「あじさいリーグ」スコアラーで有馬小へ愛馬をUターンする。ところでみなさんは自分のバイクなりクルマをオトコかオンナに例えて考えたことがあるだろうか。ウチの豆タンクはオンナである。娘が結婚して家を出た時に残していったもので、中古のオンボロであるが、馬に例えたら牝馬のような気がする。さしずめ、黒いハリアーのような四駆ならば、オスの黒豹みたいなイメージか。白ならばメスのスノレパ、雪豹みたいに。

あじさいリーグはVS横浜フューチャーズ戦。監督さんは甲子園球児だったのだそうである。主審を務めていただいた方も若かったがかなりの野球経験者と筆者は見た。複雑なメンバーチェンジをスラスラと伝えに来たり、投手に投げる球が真っすぐ芯のあるボールだったりしていたからだ。
Queensでもそうだがフレンズでも新1年生、昨日まで幼稚園児だったHaruが満を持して真新しいユニフォームで。

試合は写真がない。「あじさい」と言えどスコアラーでベンチ入りしているので、カメラは自粛した。先発横浜FはMizumotoくん、有馬Fは5年生エースShohma。
試合は4者連続三振を取るもののいつもの制球難もあり四死球も連発、有馬Fが0:5で完敗。試合前から実力差は明らかだったけれどそれにしても打てないんであった。打者が塁に出なければ何も始まらないのが野球。


...................
いつのまにやら中学生高校生の懐かしいOB連中が来ていた。最後はたまたま通りかかったという大学生のKazuもグランドへ。フレンズの苦しい時代を背負って主将を務めていたKentaとKohta。二人とも高校野球を続けてこの春めでたく卒業。この時代のOG、Queens姫でもあったHarukaも就職が決まったそうだ。さすがKentaが本気で投げると目にも留まらぬ豪速球を投げ込む。このKentaも小さい子の面倒見が良かった立派な主将だった。

Kohtaを見ていて誰かに似てるなと思う。すぐに「誰それに似ている」と夢想するのは筆者の癖なんである。
おおそーだ!妻夫木聡じゃねっ?クリソツとはいかないまでも、感じは似てると思うんだがいかがなものだろう。

因にしつこいようだが筆者が30代から40代の頃は竹野内豊似だったんである。決して自己主張ではなく周囲からよく似てると言われたものだった。特に女子に...。筆者にも「モテ期」があったとするならばその頃だったか。ちょうどフレンズに入った頃であり恵比寿に設計事務所を構えた時代であった。当時の筆者を知るフレンズ関係者はほぼいなくなったので、多少大言壮語的に恐る恐る言ってみる。ちょっと詐欺師になったような気分ではあるが。

しかして今は見る影もないし、髪もないし、金もない。はてさて今の自分は有名人なら誰に似ているかと自己分析してみちゃう。
ピタリと瞬時に思い浮かんだのは、ジョニーデップでもなければましてやジョージクルーニーでもない。
この人だった。温水洋一的筆者なんである。

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2016年4月8日金曜日

Queens記念誌Vol.1

すっかり失念していたわけではないんである。宮前Queens10周年記念誌のことを。このところ仕事で試合に行けずだったり、行ける時には試合が雨で流れたりしてブログネタがあまりない。なのでやっとQueens記念誌の紹介に至った。思えば連盟20周年記念誌のページは数年前途中で挫折したような記憶がある。こちらQのほうもたぶん途切れ途切れの切り売りになるのであしからず。それと記念誌のページの画像を中心に行っちゃうので文章は少なめ、ご飯少なめネギダクで行きたい。因に筆者吉牛では、牛丼の上にお新香と山盛りの紅ショウガを盛って軽く撹拌したのちにガブリと食うのが定番。この時撹拌しすぎてはいけない。なぜならば、混ぜすぎると次第にご飯の粒立ちの角が丸くなり、ぐじゅぐじゅになってくるからである。更に残り3分の1くらいになると、ご飯と牛肉の残量のバランスにも腐心しなければならない。先に肉を食べちゃって最後にご飯だけが残るパターンは避けたいものだ。最後のひとくちもご飯と僅かな肉が乗った状態で口に運べればベストなんである。

閑話休題。Queens記念誌、まずは表紙から。
(※画像四隅にいわゆる「トンボ」のラインが出てくるけれど気にしないでいただきたい。大判印刷後最後に用紙をカットする目安のラインである。画像は印刷屋に入校したPDF原稿をJPG変換しそのまま掲載)

表紙と裏表紙は最後の仕事だった。下の写真はKoshimizu監督が10年間で最も印象に残る写真だったという言葉を受けて、これだけは最初から採用を決めていたんである。
あっ!いけね(^-^)これは本番で使った表紙ではなかった。これは締め切り寸前に著作権に配慮し没にしたのだった。(過去ブログに書いた)
上の青空の写真に帽子などを合成し最終発注したデータはこれだった。


このブログでは筆者なりの、SNS的個人情報を鑑みた人名と写真掲載のガイドラインを心の中で決めている。普段は人名は名だけをアルファベット表記しており、画像に出てくる時は極力ボカシを加えている。Queensは女子ではあるし記念誌では名前がてんこ盛りなので加工しきれないんである。だから女子の名前が実名フルネームで載っているものは掲載しないことにした。通称「各年代ページ」のそれぞれの年代で卒部生の名前が載っているページがそれだ。100人中98人が寛容であっても残り2人が不愉快である可能性があれば致し方ないわけで。

しかしなんである。大人でしかもある程度の要職にある人、いわゆる公人的な立場であれば問題なかろうと判断する。例えば寄稿文を書いた連盟会長、Queens代表、監督などがそうであろうと思う。なのでいつもブログではSohma会長、Murata代表、Koshimizu監督と表記しているけれど、画像ではそのまま載せていきたい。制作者としては広くこの記念誌のことを知ってほしいからでもある。式典で参列者皆に冊子を配ったものの、チームに持ち帰り広く閲覧されているかどうかは分からない。少しでも多くの人の目に触れることでQueensのことを知ってもらいたいからだ。因に連盟20周年記念誌は連盟HPにて全ページの画像が見れるようになっている。

記念誌はA4縦。画像はA3見開きになっている。左が偶数ページ、右が奇数ページ。
Sohma会長のお見事な文章。(裏話はあれどここでは開陳しない(^-^))
Murata代表は渾身のチカラを込めて文学的表現でまとめた。
Koshimizu監督は長文である。実はこれ以上に長かったのだが、編集長として心を鬼にして最後の一文をバッサリ割愛し、更にもう少し校正して字数を少なく....と懇願したのだったが、監督「これでも相当短くしたのよ。これ以上は無理」と。Koshimizuさんの胸に去来するQueensへの10年間の想いをその瞬間理解した。速攻「分かりました。このまま行きましょう」と筆者。文字間と行間とポイント数のバランスに苦労したけれど、結果良かったと思う。
それぞれに熱い想いを語っていただいた。

このご時勢このブログのみならず、いつの間にPCよりもスマホで見るのが主流になっているようだ。こんな小さい文字を読むのには小さい画面のスマホでは難儀すると思うけれど、どうぞ4649なんである。

今後も折りをみてちょっとずつQ記念誌画像ブログを書いて行こうと思う。
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