2017年8月6日日曜日

あの日あの時、3題

脅威の数字をたたき出している日曜夜の日本テレビ「イッテQ」の前の、「鉄腕ダッシュ」を観るのが日曜テレビ視聴の黄金のパターンなんである。その鉄腕ダッシュを観て愕然としちゃったんである。番組の中にドラゴンボールは出てくるは、シェンロンは出て来るは、金沢は出てくるは、昔氷を作る家の「氷室(ひむろ)」は出てくるは、で、焦ったんであった。(※氷室は希伊の本名。金沢の本当の親の姓である)小説「月に雨降る」に登場するファクターがテンコ盛りなんであった。ことごとく偶然のカブリなんである。でもこっちが先だかんね。中でも小説の中の「オチ」がこの番組のテロップにもろに表現されていて、勘のいい読者なら「あっ!」と気づかれたのではと、焦ったんであった。この小さなオチはすでに昨年には考えてあったんである。その部分は一ヶ月前にはノートの構想メモにもう書いてある。その部分はまだブログにはアップしてない、これからなんであった。

さて本日は朝早くから町田へ遠征なんであったけれど、ブログ的には後日の仕事に回したい。今日は以前から溜まっていた小ネタをみっつオムニバス的にアップ。

一ヶ月ほど前、クライアントがある恵比寿へ打合に行った。ここ恵比寿は筆者の第二のふるさとみたいなもの。以前ここで個人設計事務所を持っていたところであり、本格的なデザインを初めてやった「恵比寿ガーデンプレイス」があり、結婚当初住んでいた場所であり、今でも本籍は恵比寿であるからである。打合の前にガーデンプレイスの43階に昇り、かつて設計した店の鮨屋を見に行ったけれど、当然リニュアルされて全然別の店に変わっていた。YGPのその階からiPhoneで都内方向と、神奈川方向の二枚の東京の写真を撮ってみた。
写真を撮りながら、この東京に憧れて上京した18歳の頃の自分に思いを寄せてみる。


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土曜もフレンズは遠征だったが、筆者は第一公園ドームでのQueens練習に参加したんである。ブログは関係なく球拾いなどの純粋な練習だった。また新人Karinのマグネットとステッカーを持って行った。前日の読売巨人軍主催の「シスタージャビットカップ」開会式@東京ドームには、会長Sohmaさんからお誘いを受けたんであったが、悩んだ末断念し行かなかった。
フレンズでも新人が二人入部したのでマグネットを作成。ついでなので一緒に作ったほうが効率が良いのである。ここ1,2年、フレンズの新人入部員ラッシュ(とまで行かないまでもそれなりに多く)が続いている。自分の子が卒業したら終わりという親と違って、ずっとチームに残る指導者にとっては毎年の悩みの種が、チームの存続、繁栄という命題なんである。昔人数が少なくてチームが解散するかもしれないという危機に直面し、夜も眠れない日々が続いたことが今は嘘のようだ。あの時は精神的に本当に辛かった。野球指導はもちろん、チームの運営、設営や審判、車出しまで我々OBコーチが駆り出されてやっていた時期であった。それらをやることになんの抵抗感もなかったが、やはり父母たちのサポートなくしては風前の灯なのは間違いない。今はOBコーチのみならず、父母らのチーム愛がフレンズを支えてくれており本当に感謝しているわけなんであった。
マグネットとステッカー、FとQの写真。Fは名実共にバリバリのカープ女子であるRikoと、フランス人の父を持つLeoの二人が加入。

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最後にもうひとつ。
一昨年フレンズがマクドナルド高円宮賜杯の全国大会に神奈川代表として出場したことは、ここでみなさんの耳にタコが出来るほど聞いたろうし、筆者の指にもタコが出来るほど書いた。その百数十名が参集した全国大会壮行会の際に会場に流したDVDがある。当時の部員のWakamiya父の力作である。後日これを承諾を得たうえで、今度はRuiの母のんちゃんがYouTubeにアップしたのだった。最近それを知り、改めてここで紹介したい。
神奈川県大会の優勝までの軌跡、つまり全国への切符を手にするまでを描いた、映像集である。
因に今日まで視聴回数は6,000回を越えているが、どうやらその半分はShohgoのオヤジ、テツオによるものらしい。
Ruiの神宮球場開会式での全国大会選手宣誓も同じページにあるはず。
2015有馬フレンズ 高円宮賜杯神奈川県大会

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2017年8月3日木曜日

変貌を遂げる男ども

いつかこのブログでやってみたいと思っていたことがある。それは何年も子どもらの写真を撮ってきた経験から、彼らの小さいときの写真と今現在を比較しちゃうことなんである。一番理想は小1から小6まで、或いはもっと大きくなってからの写真まで範囲を広げてもいい。しかし、膨大なフォルダから特定個人の定点観測的な写真を一枚一枚掘り起こすのは至難の業であるからして、やっぱり難しい。なので小さい頃と現在のギャップを楽しみたい。

とはいえ、先日フレンズ合宿ブログの際、なっちゃんことOhmori母が、中3となった息子Hiroと3年前の合宿の小6のそれとをLINEにアップしたのをきっかけに、重い腰をあげて今回のブログとなったんである。但し限りなく「楽屋受け」に近いので、フレンズ関係者でないと面白くないかもしれない。

まずは2009年、今から8年前のフレンズ募集チラシ。もっと以前から募集チラシやチームロゴ、名刺などそのへん関係は筆者が一手に引き受けていたので、データが保存されているんである。
HiroとYuusukeが1,2年生のころ。二人ともひょうきんで可愛かった頃である。もっともひょうきんなのは今でも変わらないが。

2010年、入部したてのYui。彼は今中学2年、世田谷の城南ボーイズでキャッチャーで4番の座に座っている。Ruiとともに先日大きな大会で優勝を果たしたことは記憶に新しい。

同じ2010年、Hiro,Kohki,Shohgo。(※暗い写真は極端に明るく補正してある)
Shohgoがバットを持つと剣道の竹刀を持っているみたいだった。

2011年。現主将Shohmaの兄Takuto。イケメンぶりは兄弟そろってなんである。それにのちにフレンズのレジェンド主将となったRui。入部したての頃なはず。

少し飛んで2013年の現6年主将のそのShohma。Hiro,Yui,Ruiも少し大きくなり表情にも変化が。


更に2014年の、のちの有馬中学野球部の4人。他にもF出身中学野球部はたくさんいるが、きりがないので4人のカットだけを。

そして彼らが3年前の合宿時に撮った代表との写真。(※以下、写真提供Natsuki母)

でもって今年の合宿の時、代表とHiroが肩を組んだカット。いやはやマジか。ほとんど背丈が変わらんではないか。むしろHiroのほうが7mmほど抜いているではないか。上の写真と見比べたし、なんである。ちょっとオヤジのAyumuちゃんに似て来たな。今度オヤジの黒ぶちメガネをHiroにかけさせてみよっか。

そこでこの写真。合宿に行った三人の現存する一番小さい頃の写真と、現在の中3の写真を合成してみた。当ブログでは長年これをやってみたかったんである。
三人の鼻垂れ小僧どもは今、立派ないい男に変貌を遂げつつある。

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ここで終わらないのが「晴耕雨読」BLOG的オバケじゃない、オマケなんである。
2004年の募集ポスターもある。13年前か。恵比寿に設計事務所を持ち、髪の毛も少なくとも今よりはあった頃である。この頃はまだブログを書くなんて思ってもみなかった。
そのポスターに載っているのは現29番コーチShohtaと、アルバイトの合間を縫ってコーチに来てくれているKazu。彼もかつての主将であった。たぶんKazuは小学2,3年生の頃であろうか。
Shohtaほど見た目があまり変わらないヤツも珍しいが、
Kazuほど小さい頃と現在とのギャップが激しい男も珍しいんである。

練習をさぼり砂場遊びをやったりしていた鼻垂れ小僧たちは、確実に「男」に変貌を遂げるのであった。

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2017年8月2日水曜日

小説「月に雨降る」45

龍一は決心した。希伊の元気で幸せそうな笑顔を見られただけでも十分ではないか。このまま長く彼女を見ていると、今度は自分のほうが息苦しくなってきそうだった。まだ僅かに声をかけたい思いもあったが、胸の中から無理矢理それを追い出し、衝動的に伝票をつまんで立ち上がると、帽子を目深(まぶか)にかぶり直しサングラスをかけた。大きく息を吐きレジへ向かった。語尾を伸ばしてあの少し鼻にかかった声がした。
「ありがとうございま~す」
近くにいた希伊がレジへ小走りにやって来た。龍一はうつむきながら伝票をカウンターへ置いた。希伊が値段を告げると限りなく動揺してしまい、財布から乱暴に千円札を抜き取り釣り銭トレイに置いた。希伊はレジから釣り銭を取り出しその金額を言いながら、直接龍一へ手渡すように手をのばしてきた。自然と龍一も右手を差し出したその瞬間、手と手が触れ合った。17年ぶりに龍一の体に温かい血が通ったように感じた。思わず顔を上げて喉から言葉が溢れ出そうになった。『希伊!』必死でその塊を喉の奥へ飲み込むと、無言で踵(きびす)を返し出口へと向かった。

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希伊はしばらく呆然と我を忘れてしまっていた。店内の喧噪が次第に遠ざかっていく。今のお客さんに釣り銭を渡そうと手が触れ合った瞬間、何かの啓示を受けたように思考が止まってしまった。あの手のぬくもり、出口へ向かおうと体を反転した時に鼻腔に届いた微かな男の匂い、そしてドアに手をかけて姿を消したその背中。希伊の心の奥底に眠っていた琴線に何かが触れたような気がした。懐かしいような狂おしいような、それでいて愛おしいような。頭の中の記憶の回転軸が最初はゆっくりとそして次第に急速に逆回転していく。
突然背後からの翔子の声でその思いが破られた。
「希伊ちゃん、お疲れさま。遅番のナベさんが来たから私今日はこれで上がるね」
翔子は年上の親友であり、この店の共同経営者でもあった。我に返った希伊は慌てて言った。
「あっ、はい、お疲れさまでした」
「何よどうしたの、そんな幽霊でも見たような顔しちゃってさ」
まだ思考の半分はさきほどの男のことに占領されていた希伊は、咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。
「希伊ちゃん、マジでどっか悪いんじゃないの、大丈夫?」
「ああ、平気、平気。でも本当に幽霊を見たかも」
「えっ、やだ、ほんと」
「あはは、お疲れさまでした、翔子さん」
翔子の後ろからカズヤがくっついて来た。
「おっ、カズヤ。明日はまた試合でしょ。今度はヒット打つんだぞお」
「うん」
手をつないで店を出ようとした少年は翔子に言った。
「ねえ、ママ。きょうの晩ご飯はハンバーグがいいな」

希伊はまた先ほどの男の背中の残像に思いを寄せた。まさかそんなはずはない。自分の思い過ごしだろうかと心に問いかければ、二十代の頃一緒に暮らしたあの人の顔が浮かんできて、急激にきゅるりと胸が締めつけられる。女子中学生が初めて同級生の男子に恋をしたみたいに。
ふとレジの向こうのあの男が立っていた床に目が止まった。何か紙切れのようなものが落ちていた。拾い上げてみるとかなり古いメモ用紙のようだった。ゆっくり開いてみた。全体が黒い鉛筆の粉で覆われたその中に、くっきりと黒い文字で書かれた言葉と、その合間を縫うように微かに白く浮かんだ文字が交錯していた。

『リュウ、ほんとうにごめんね。いつかまたその日がきたら逢いたいよ』

それは紛れもなく希伊自身の筆跡だった。
心が打ち震えた、どうしようもなく。17年前の激しい雨の朝の記憶が唐突に蘇る。『その日』とはまさに今日に違いなかった。

「リュウ!」

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2017年7月31日月曜日

スコアラーとスコアブック

本日日曜は小雨そぼ降る中、秋季大会ブロックリーグ戦、VS白幡台イーグルスなんであった。今年のイーグルスは滅法強い。冠大会をひとつ制覇しているわけで。

今年は筆者、あまりスコアラーをやらないことにしている。やると写真が撮れずブログが寂しくなるからで、カメラマンのほうに専念するためなんである。しかし、スコアブックをつける楽しさはスコアラーにしか分からないであろうか。またスコアラーでないと見れない光景や情景というものがある。試合に熱くなるととかく我を見失いがちだが、スコアラーはどんなに猛打爆発の欣喜雀躍の狂喜乱舞の前代未聞の前人未到のゲーム展開であっても、一瞬我を忘れて歓喜してもそのすぐあとは冷静沈着にならねばならないんである。ベンチや父母たちが大歓声をあげている中で、独り黙々とスコアシートに記入しなければいけない。まるで昭和のイギリスドラマ「謎の円盤UFO」のエド・ビショップ演じるストレイカー最高司令官のように、沈着冷静、冷蔵庫の冷凍室のように徹頭徹尾、冷徹でなければいけないのだ。冷静にスコアをつけていると、その時に見えてくる光景というものがある。選手と同じ目線で、文字通りグランド目線で試合を観ることもそのひとつである。ただ、肩を抱き合って喜ぶオトナたちの歓喜の輪の中に、自分も飛び込みたいという欲求は今でも抑えられないのだけれど、やはり出来ないのが残念ではある。かつて唯一、スコアブックを放棄してベンチを飛び出し選手やベンチスタッフと抱き合って喜んだのは、一昨年の高円宮賜杯神奈川県大会決勝で勝利し、全国への切符を手にした瞬間だった。あの瞬間はスコア表記なんてどうでもよくなっていた。

スコアラーの楽しさはスコアラーをやった者でしか味わえない快感がある。
超乱打戦の混戦でメンバー交代も頻繁に行われるゲームを、紙面が真っ黒になるようなスコアを、完璧に付け終わった時の達成感は快感以外の何者でもない。中学の学期末試験で答案用紙を返してもらった時に、100点満点だったような気分なんである。
たぶんこのブログを見て下さっている中にチームのスコアラーもいるはず。この快感ワカリマスネ?但し、スコアラーは向き不向きがあって全然ダメな人はダメなんである。そんな人は監督系に向いていると思う。(但し監督は人望もなければいけないが)。監督は誤解を怖れず言えば会社経営者のようなもの。対してスコアラーは会社で言えば人事担当取締役ないし、経理担当部長あたりだろうか。(※しかし筆者、経理とかお金の計算は大の苦手ではあるが)...社長が経理部長に「今の我が社の会社資産と負債はどれくらいか?」と問うのは、野球で言えば監督がスコアラーに「今の回、いったい何対何になった?」と訊いたり、自軍投手のストライク(資産)とボール(負債)のカウントを訊ねるようなものである。
....うーむ、我ながらうまいことを言ったなあ。

さてその試合、イーグルス戦なんであった。監督は老将Wadaさん。パンツまで濡れるほどの豪雨ではないけれど、かと言って優しく降り注ぐ春雨のような柔らかい雨でもなく、少々濡れながら序盤戦はスコアをつけていったんである、A3サイズのクリアファイルにスコアブックを包みながら。筆者は薄い白Tを着ていたので、「ずぶ濡れになってワタシのビーチクが透けちゃったらどうしようかしら」と思ったのは杞憂に終わったのである。

後半は雨はあがって曇天となった。空は曇天であったが、フレンズの最終回は曇天返し、...じゃない、ドンデン返しとならずに大差での惨敗だった。
それにしてもイーグルス、上位下位打線問わず素晴らしいミート力で良く打つのだった。試合後うちの代表も褒めていた。対してF打線は長打が外野正面だったりしたこともあったけれど、もっと打てるはずなのに打てないという負のスパイラルに陥り、散発3安打に終わる。因にエースShohmaの投球数は110球だった。相手投手陣の累計は74。球数を計算した時に100球とか99球とか77球とか111球とかになった時も、スコアラーはなんとなく一人でニンマリしちゃうのが常である。これも攻守交代の僅かな時間に暗算で算出しなければいけない。たまに監督から投手交代の参考のため「今、Shohma何球投げてますか?」と訊かれることもあるからだ。

さて写真は一枚も撮ってないことに思いが及び、帰り際になんてことない、どうしようもない、どってことない写真をiPhoneで二枚。載せないよりはまだ良いかという、お茶を濁す程度に。

ついでなので、筆者が付けたスコアブックの一部も。

.........
試合中、スコアブックのカバーが寿命を迎えたことを知った。
成美堂の黄色い塩ビカバーのバインダー部分がバカになって、ふたつに折り曲げるとバインダーがパックリ口を開けてしまい、用紙がバラバラ舞い落ちてしまう。おバカなワニがのんびり口を開けて昼寝をしてるみたいに。思えばこれ、もう何年も使ってきたんであった。これの前任者に至っては金属部分がサビサビになり、塩ビ部分が切れてセロテープで補強するまで酷使した。しかしこの金属のバインダーがバカになっては手の施しようもない。速攻新品を購入するようInoueスコアラーに要請指示、これまた速攻買ってきたんである。

昔から言うではないか。
「畳と女房とスコアブックは新しいほどいい」と。
ピカピカのクロームメッキの金属部分と、まっ白なスコアシートの迷路を見ていると、これから広大な砂漠を踏破せんとするキャラバン隊のような気分になるのであった。
ちなみにフレンズのMatsui母は女子高生時代、野球部マネージャーとしてスコアをつけていたそうだ。現在鋭意再度勉強中なんである。今日の雨中戦も木陰に立って記録していたんである。
お母さんたち、いや父母問わず「来たれ我がフレンズスコアラー部へ」なんである。

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2017年7月29日土曜日

小説「月に雨降る」44

「いらっしゃいませ」
女子高生のアルバイトだろうか、十代らしき女の子が龍一をテーブルに案内してくれた。店内はやはり古かったがメンテナンスが行き届いているようで、不快な感じはなくその古さがむしろ好感を抱かせた。店主のこの店に対する愛情が感じられる、そんな空気感があった。カウンター席が6席にテーブル席は十数卓、土曜午後夕方のアイドルタイムにしては席は埋まっており、そこそこ繁盛しているみたいだった。客層も家族連れからサラリーマン風、大学生のカップルなど様々だった。静かすぎずうるさくもなく、店内には心地よい適度な喧噪が漂っていた。その喧噪の中に混じってさりげなく店内に流れる、エルトンジョンの「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」のBGMが龍一の記憶に微かに触れた。恵比寿の真壁の店でよくかかっていた曲だった。店内を見渡し目を引いたのは、かなり年配の老人が独りで文庫本を読んでいた姿だった。老人が独りで本を読める店に悪い店はない。龍一がインテリアデザイナーとして自分なりに作った基準、良い店かどうかを判断するひとつのバロメーターだった。しかし昔希伊と来た時の印象とはまるで違っていた。あの時は若い店員の応対がぞんざいで少し鼻についた覚えがあったし、今の床は表情の豊かな上質のテラコッタタイルが貼ってあるが、当時のフローリングはがさがさで床の入り隅にはほこりが溜まって、定期的なメンテナンスがされていないのは明白だった。

龍一はアルバイトの女の子を呼んでアイスコーヒーを頼んだ。明るくはきはきした声でカウンターの奥へオーダーを通す。カウンターの向こうはかすかに見える程度だったが、オープンキッチンになっているようだった。注文を受けて声が返って来た。
「はあ~い」
龍一の腕に鳥肌が立った。
まさか。
忘れもしない少し鼻にかかったような独特の懐かしい声。二人で暮らした若かったころ、何千回も何万回も聞いていたあの声だった。呆然としながら惚(ほお)けたように固まってしまう龍一。しばらくしてアイスコーヒーをトレンチに載せて、その彼女は龍一のテーブルにやって来た。あの懐かしい声で言った。
「お待たせしました」
なぜか咄嗟に顔を伏せて下を向いてしまった。龍一の視界には彼女の小さなスニーカーしか目に入らなかった。キャップを被っていた龍一の顔は相手には見えないはずだった。視界からスニーカーが去って行く。頃合いをみてゆっくり顔をあげた。カウンターのレジに立つその人はいた。
彼女は間違いなく希伊だった。

今でも軽く茶色に染めたショートカットの髪をさらさらと揺らせながら、にこやかに客と応対している。ストライプのゆったりとしたTシャツの上からでもそれと分かるほどの、豊かな稜線も健在だった。時に小首をかしげ眉間に皺を寄せて、時に笑いながら仕事をしている彼女がそこにいた。年齢は龍一と同じだから、それなりの歳を重ねて来た痕跡は明らかだったが、むしろ若いころよりも成熟したひとりの女としての魅力が増しているように思えた。龍一の記憶の中の希伊と、今ここにある現実の映像がぴたりと合致した瞬間だった。

しかしどうしても希伊に声をかけることが出来ずにいた龍一だった。そこへ突然ドアがあいて小学生の男の子が入って来た。背中に背負ったリュックに金属バットを差して。希伊とアルバイトの女の子がにっこりして同時に言った。
「お帰り、カズヤ」
更に希伊は男の子の帽子を取って乱暴に頭をなでると、中腰になって少年と目線を同じにしながら笑って声をかける。
「今日の試合はどうだった。ヒット打てたかな、カズヤ。」少年は「あ」とか、「うん」とかうつむきながらもごもご反応していたが、希伊はすかさず笑いながら言う。
「ははん、さては打てなかったんだろ。よおし、次がんばれよお、ドンマイ」
少年は勝手知ったる我が家のようにキッチンの奥へ走っていった。オープンキッチンにはもう一人のスタッフだろうか、中年の女性が働いているようだった。

普通ならば母と息子の微笑ましい光景だったが、龍一の目には失望の入り交じった光景に映った。やはり希伊は結婚し子どもをもうけて幸せに暮らしていたんだ。半ば予想していたこととはいえ、それを現実に目の当たりに確認してしまうと急速に冷静になっていった。俺は何をしにここへ来たのだろう。希伊に声をかけて互いに驚き、昔話に花が咲き、じゃあ元気でねと、そして俺はひとり東京へ帰る。希伊にしたところで、幸せな家庭を築いているところへ昔の男がのこのこやって来ても困惑するかもしれない。ましてや彼女は一方的に蒸発したようなものだから、俺に対して少なからず負い目があるはずだった。俺が現れたことで彼女はますます自分を責めはしないか。いやそれ以前に、俺のことなどもうとうに忘れているかもしれない。全ては自分の独りよがりで金沢まで来た。相手の気持ちをおまえは考えたのかと、もう一人の俺が詰問する。龍一は何よりも希伊のこの幸せそうな笑顔を壊すようなことはしたくなかった。
しばらくすると店に五十がらみの男が入ってきて、そのままキッチンへまっすぐ向かって行った。希伊はにっこりして「おはよう、お疲れさま」と言って彼のために通路を空けた。飲食業界では昼でも夜でも「おはよう」という挨拶をするのが慣例だ。彼が夫なのだろうか。混乱する頭の中で龍一はコーヒーを一気に飲み干した。苦い味が喉を通過した。
もう希伊を取り戻すことは出来ないんだ。

このまま帰ろうか。
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2017年7月27日木曜日

2017年夏合宿

合宿に行かなくなってもう何年になるだろう。あの楽しさはナニモノにも代え難い、貴重な3日間なんである。一日中炎天下で存分に野球をやり、夕方ひと風呂浴びて、バーベキュー大会、そのあとオトナだけで夜更けまでの酒盛り。いつだったかは2,3時くらいまで飲んでいたこともあったし、翌日他のコワモテの宿泊客から大目玉を食らったりしたことも。
筆者的に一番辛いのは翌日のラジオ体操に、二日酔いをこらえて早起きしなければいけないことであった。

さてフレンズLINEに上がった写真にひと言だけコメントしていきたい。筆者が行っていれば、1枚につき30行の文章を書いてしまうから、延々終わらなくなる。実際昔の合宿ブログは3回に分けて書いていた。

写真は3日間を通して、時系列ではなく、カテゴリー別にアップしちゃう。
また、写真の所有権は母たちにあり、筆者はフレンズでの立場を利用して断りも無く勝手に使用しちゃうんである。それでも私にも良心というものがある。朝のノーメイクと思われるようなカットは掲載しない。もし載せたらきっと言われるに違いないからだ。「ナニやってんだよ〜、このハゲ〜!」あとが怖いからそのへんは斟酌して自粛するのである。
良い写真やギリギリの写真は、筆者と母たちとで「信頼関係」があると思っているので、無断借用しちゃうんである。

その1「グランド、昼、練習、スイカ割り」etc。

数年前からセカンドユニフォームを作って正解だった。ストライプユニフォーム1着の時は、母たちは毎日民宿の洗濯機をずっと回しっぱなしで、大変であった。


妙な陣形を作っているのは、ツルちゃんことTsurukawaオヤジの訓練に違いない。彼は元バイクのロードレーサーという異色の経歴の持ち主である。以前彼と、大藪春彦の「汚れた英雄」の話で盛り上がったことがあった。



現地での練習試合は、いつもの地元のチームとやったのだろうか。


その2「食堂、メシ」
昔現役オヤジコーチだったころの合宿で、とんでもなくマズい食事を出す民宿だったことがある。メシと酒が旨くなければやはりダメである。ここの宿はもう何年間来ているだろうか。


これはメシを食いながら「変顔」しろとのリクエストに応えて撮ったんだろうか。「美人は変な顔してもやっぱり美人」という巷の定説は本当のようだ。フレンズ母たちは結構みな平気で変顔してくれるんである。


その3「OBと代表」

今回もOBの大学生であるKazuが来てくれた。もう就活も終わって来年からの会社も決まったそうだ。めでたしメデタシなんである。これに加えて今年は今、有馬中3年生のOBも参加したんである。実に楽しそうだ。

Hiroと母Natsuが恋人同士で、それに嫉妬するのがオヤジのAyumu...みたいな構図。

次の写真は数年前その中学生らが6年だったころの写真。比較すると子どもらは大きく成長したことが分かるし、同時に母たちもほんの少し成長したようである。成長とはモノも言いようであるが。

昔も今も、母たちにフレンズで一番のモテ男なのは、代表のYanagisawaさんであろう。長身痩躯、口ベタだが少年野球指導にかける情熱は昔も今も変わらない。御年70半ばにして、このモテようである。筆者は20年間フレンズを見てきたが、昔の母たちからもたいへんモテていたんである。普段はちょっと近寄りがたい雲上人的な存在でも、合宿の開放感からかみなニコヤカに写真に納まっている。


その4「夜のお楽しみ」

バーベキューというものを発明したのはいったい誰だろう。敬意を持ってノーベル食文化賞を差し上げたい。実に楽しく良いものである。筆者が昔行った頃は、花火大会の予行演習を近くでやっていて、二重の楽しさがあった。大昔の山中湖合宿は「山中湖大花火大会」に合わせて行ったこともあった。筆者の髪がまだふさふさだった頃である。


誰かがズラを持ち込んだらしい。飲み会ではかなり盛り上がったみたいだ。チャイニーズTakenakaオヤジとフレンチDanielオヤジ。こう書くとなんか「料理の鉄人」対決みたいだな。

今回の合宿写真集でのベストショットはこれ。
LINEで見たときは一瞬「双子の姉妹か?」と思った。誰だろう?と。我が目を疑った。
Inoueスコアラーとその息子Shohtaなんであった。DNAとは恐ろしいものである(^-^)

むむ、これは、OB中坊たちが厨房を覗き込む写真か?果たして...。

実は母が撮った夕方の入浴タイム。これも毎年撮っている。しかし男子だからといってネットにつまびらかに画像をアップしてはならない。昨今、ネット社会ではいろんな性癖を持つ大馬鹿野郎の輩(やから)が徘徊しているからだ。さすがに筆者もどんどん自主規制しちゃうわけで。LINEキャラをモザイク替わりに合成してアップ。


その5「富士、集合写真」

富士はそのときどきで実にいろんな表情を見せてくれる。今回は晴天の写真はなかったが、それでも富士は富士。見ているとなんだか、ほっくりきちゃうのが富士山なんであった。

集合写真。このうちのどれかが年末の成績表の表紙を飾るだろうし、お別れ会のDVDの中にも採用されるに違いない。
準備と実行の母たち、ドライバーの父たちには本当にお疲れさまでした。
2017年、夏の想い出。合宿お疲れSUMMERでした。


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