2023年7月3日月曜日

ブログ写真掲載基準

 さてさて、さては南京玉スダレ...ではなく、1日5試合のブログ素材をどう切り刻んで混ぜて塩コショウをして焼いて皿に乗せて盛り付けるか...ではなく、いっそのこと、レンチンしてあっという間に調理完成とさせて頂きたいのである。そーでないと5試合分は無理ってものであるからして。そのため各試合の写真(食材)はかなり削減し、文章(塩コショウ)も少なめの減塩調理。

ちなみにこのブログ写真の選択基準は、「先発投手(できれば2番手も)」「主将の打席」「主軸の打席」「ベンチ全体の様子」はできるだけ意識して載せることにしている。これにプラス多くの写真の中で、光るプレーや本塁でのクロスプレー、写真的に良いアングルで撮れたカット、選手の笑顔やちっちゃい子のボールボーイ・ガール、下位打線選手の真剣な眼差しやあどけない仕草、応援父母の歓喜のシーン...そんな感じで選んでいる。そう、それに各チームのQueens姫もである。守備のカットが少ないのは残念ではあるけれど。本来なら全ての選手を取り上げられれば最高なれど、誌面に限りあることと、それ以前に筆者の脳内電池が最後まで持たないから致し方ないことを、ご了解いただきとうござります、なんである。

1試合目(低学年):花フラ vs モンタ

雨の多いこの季節、前日継続試合となったこの試合、残り7分からの再スタートだった。点差からして誰しもすぐに決着がつくかと思いきや、そーでもなく意外にもつれ込んだ試合となった。

3表3:13の大差からモンタの猛攻猛追猛反撃が開始されたのである。

しかし最後はFのライトくんだったか、難しいフライを捕ってゲームセット。ナインが駆け寄り仲間を讃えるこんな笑顔の写真はサイコーなんである。こーゆー時は筆者のアンテナがビビびっと来て、何枚か連写しちゃうのだった。

10:13まで肉薄したが、敗れたモンタの死力を尽くした闘いにもエールを。

2試合目(低学年):(1試合目の勝利チーム)花フラ vs フレンズ

Fの1表の守備にはちょっと驚いた。強豪Hの打線を三者内野ゴロに仕留めたんである。投球もそーだが、強いゴロでも内野守備が危なげなく1塁でアウトにしたんである。サードHinataの捕球からの送球にはプチ感動すら覚えた。「あの子がこんなに上手くなってるなんて」という感慨もある。これにはネット裏の本部でも感心しきりだった。

監督Shohtaがサブキャを務めたシーンがあった。高校までキャッチャーだったから言わば本業ではあるが、手にしたグラブがマッチ棒のように見えたのは筆者の気のせいだろうか(^-^)

2回にはHが2点先制。下の2枚目の写真は「主将の打席」であり、かつ「構図的に秀逸な」写真でもあった。バットとボールの位置関係が実に素敵である。おそらくライト方向へのライナー性の当たりを彷彿とさせるカット。(実際の結果は覚えてないけれど)

3表にもHが追加点。しかしH相手に大量失点しないところに筆者は光明を見出した。たとえ打てなくても守備面で大量失点はしない。とても素敵なことである。

全く打てなかったF、でも守備では光るものがあったと思う筆者。Hは危なげなく勝利した。

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たった2試合でこの時間となった。23時過ぎ。脳内電池残量はあと僅かなり。雨は降ってないけど次回へ持ち越し、「継続試合ブログ」となるナリ。

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ちょっと違う週末

 本日日曜の試合(大会)は以下の通り。

1試合目(低学年):花フラ vs モンタ ※継続試合(2回裏攻撃中、残り7分)
2試合目(低学年):1試合目の勝利チーム vs フレンズ
3試合目(低学年):ウルフ vs 有こ
4試合目(会長杯):レッパ vs ヤング
5試合目(子ども会):花の台A vs リトグリ

イレギュラーな継続試合も含めて3大会5試合が1日で決行されたんである。連盟グループLINEに登録の100名超えのメンバーには周知だが、各チームの母などには伝わらないこともある。我々とて混同、混在、混迷、混乱しちゃうこともある。なんとも凄いスケジュールの1日ではあった。

朝イチの継続試合から意に反して最後の試合途中まで居座って、カメラを構えてしまった。当初は2,3試合で切り上げようと画策したんであるが、ジジイの背中に自ら鞭打って写真枚数450枚以上撮ってしまったわけで。ブログでは自らの首を絞めることは自明の理。第一公園にいた約6時間のうちおそらく半分近くは炎天下でファインダーを覗いていた事になる。熱中症の危惧が頭をよぎったものの、なんとか事なきを得て夕方帰宅。シャワーを浴びてビールをグビリとやれば予定調和、程なくして睡魔が我が瞼を重くして底なし沼にズブリと嵌(はま)るのであった。

ヘビロテユーザーならもうお分かりですね。今回は写真選択だけでブログ本文には至らず。一旦選んだ各試合の写真を更にブラッシュアップ。団長の思い出...じゃなかった断腸の思いで何枚もの写真を元フォルダに戻す作業。そーこーしてるうちにこの時間なんである。1試合につき20〜30枚になった。

筆を置く前にちょっとだけ。宮前でも喫煙率の高打率を誇るレッパ軍。試合前には野川の野武士たちが、電線に止まるスズメのようにスズナリなのであった。筆者もその一人ではある。急激な人口密度の増加に加担したわけで。

そんな中Rのお馴染みNoguchiさんと談笑していると、急に彼が神妙な顔をして言ったのだった。

「そうだ、Teshimaさん。野球と全然関係ない話なんですけど...」

筆者内心(ナニナニどーした?借金の申込なら俺は無理だぜ。借金したいのはこっちの方だもん。ソレとも何か、俺に愛の告白をしよーってのか?)と思ったんである。

彼から聞いた言葉は、

「ブログ見ました。ご愁傷様です」と帽子を取ってペコリと首(こうべ)を垂れたのだった。

昨日書いたFさんの偲ぶ会の話だった。なんて気遣いのできる男なんだろうと思った。

「ありがとうございます」と筆者もペコリ。続けて、

「長い人生には師と仰ぐ人、兄貴的存在の人が、一人ないし二人くらいはいるもんだよね。そんなひとだったんだFさんは」

彼も神妙な顔で言った。

「自分にも一人います。あの人がいなかったら今の自分はないと思います」マサカリ担いだ金太郎ならぬ、ツルハシを肩にした彼の姿も実に似合っているとも思ったけれど。今は金融関係で汗を流す野武士なのだった。川崎市下全チームに配付されたボールケースの大元の担当者であったことには驚かされたのだった。

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昨日のFさんのブログを「I」さんにだけSMSでお伝えした。程なくして「ブログ全文読んだ。今度飲みに誘うからまたFちゃんの話をしよう」と返信あり。歳を重ねることの機微が長文に綴られていた。快諾したのは言うまでもない。

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結局こんな時間になっちゃった。今0時半近く。クッソー早く寝ようと思ったのに。安い芋焼酎をロックでたんまり飲んだのにまだ飲み足らず、冷蔵庫からとっておきのエビスビール黒を取り出した。先月の「父の日」に日吉の娘からAmazonで地ビールの詰め合わせを贈られ、同時に届いたのは南町田の息子の嫁さんからもAmazonで、このエビスビールのグラス付き8本セットを贈られたのである。「きたろう」のCMじゃないけれど「分かってるじゃないか」なんであった。大好きな恵比寿のエビスを飲みながら、昨日今日とちょっとフツーと違う週末を過ごしたのだった。

本日の試合ブログはまた今週中に...、なんである。

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2023年7月2日日曜日

笑顔でサヨナラを

 今年の2月3日に珍しい人から電話があった。かつて仕事関係でお世話になったIさんからだった。今は原宿で店舗の設計施工会社の会長となって、71歳ながらまだ頑張っているはずだ。久しぶりの電話で仕事の依頼だろうかと少し訝(いぶか)しがった。

「Teshimaさん久しぶり....」簡単に挨拶を交わすと妙な間があったのち、切り出された。

「Fukuちゃんがさ、昨日の晩、....亡くなったんだ」

私は絶句して膝から崩れ落ちた。

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私が初めて社会人となって勤めた会社は、池尻大橋にあった店舗の設計施工の中小企業で、そこのデザイン部に所属していた。20代前半の頃当時東急が109を新築で建築していた頃だったと記憶する。そこの地下に様々な業者の狭い詰所があり、そこへ駆け出しの私が図面を届ける役目をおおせつかったのだった。当時はパソコン、スマホはもちろんのこと、まだFAXすら採用していた企業は少なかった。手描きの図面は持って行って打合するのが当たり前な時代だ。その詰所で他の会社から出向で来ていたのが、IさんとFさんのコンビであった。二人とも広島の同級生で上京しこの業界へ。屈託のない笑顔で挨拶してきたのがFさん、その人との初めての出会いだった。

その後二人は共同経営者として内装工事の会社を立ち上げ、私の会社ともずっと長いお付き合いが始まる。Fさんは直感的に行動を起こす人で、Iさんは理知的で冷静な判断ができる人。その絶妙なバランスが会社を大きくした。小さな事務所からスタートし、今では原宿に自社ビルを構えるほどになった。私の6歳年上の彼らはバイタリティーに満ちて、Fさんは年下や業者にも面倒見が良く、仕事を離れても公私共に相談に乗ってくれた。仕事には厳しかったが、反面誰にでも優しく、困った人を見捨てておけない、損得勘定抜きで行動し、それでいて自分には無頓着でだらしないところもあり、誰からも愛される、そんなFさんだった。タバコをバンバン吸いながら打合するのが当たり前の時代、彼のポケットにはいつも、打合をした他人の誰かの100円ライターが入っていた。

私は20代30代の会社員のころも、39歳で恵比寿にデザイン事務所を立ち上げてからも、ずっとFさんとは細く長いお付き合いがあった。彼は40代の頃世田谷の巨大少年野球チームの監督をやり、50代には熟年離婚を経験し、それでもいつも笑顔を絶やさない人。一昨年だったか、恵比寿で打合の帰りに一杯やろうとなって、初めてFさんに胸の内を話した。それまで恥ずかしくて面と向かって言えなかったことだ。

「自分は壁にぶち当たった時、Fさんならどう対応するだろうか?と、いつもFさんを心の手本にしてきたんです。大きな背中を見てきて兄貴みたいな存在なんですよ。でも根本の性格が違うからFさんみたいに豪快にはできませんけど」酒の勢いを借りて歯の浮くような恥ずかしいセリフを言ってのけたのだった。対してFさんはちょっとはにかみながら笑っていた。その時Fさんはすでに起業した会社を退職しフリーになって私と同じ設計の仕事をやっていて、彼の仕事のことも、独り身になってからのプライベートな話もたくさんしてくれた。私もつい、抱えていた大きな心の傷も打ち明けたのだった。そんなふうに自分を曝け出したくなるような、大きな懐を持った人だった。

昨日まで全く元気だった人が突然目の前に暗幕が降り、否応なく人生の終末を迎える。明日もこのステージに立つことが当然だと思っていたら、自分の意思に反してその日がラストステージになってしまう。どうして惜しまれる人ってこうも突然、日常のステージから忽然といなくなってしまうのだろうか。

急性の心臓系疾患だったらしい。葬儀は縁者だけで広島で執り行なわれた。私は東京に墓所があればいつか訪ねて彼に会いに行く決心をしていた。共同経営者だった電話をくれたIさんに、そろそろ連絡してみようかと思っていた矢先、先月逆にIさんからSMSで渋谷で「偲ぶ会」をやるとの連絡があったのだった。

それが今日7月1日土曜の渋谷だった。怒涛の勢いで送られてくる連盟やフレンズのグループLINEを確認しつつ、渋谷へ向かったのだった。

エクセルホテル東急に参集したのは100数十名。元奥様や兄妹のお子さんたちと挨拶。献花、献杯。ほとんどが仕事関係つながりの、私と同年代か70代の関係者だった。お世話になったのは私だけではなかったことを今更ながら思い知る。むしろ私より太く濃密な付き合いだった多くの人たちがいた。皆彼を慕って参集した人ばかりであった。私も何十年振りかで昔の会社の先輩に会ったり、共通の仕事関係者と談笑したりと時間は過ぎる。サザンが好きだったFさん、会場で息子さんが管楽器で「蛍」を演奏。私は涙腺が弱いのは自認しているが、関係者のスピーチに瞼を熱くし、時を経て皆で笑ってはまた涙腺が緩む。Fさんにお別れの挨拶が出来て、自分なりのケジメが付いて良かった。最後にあの世でまた飲もうねFさん、と、遺影の大きな笑顔に向かって心で伝えてホテルを出た。

お開きとなったのはもうすぐ夕刻が近づくころ。立食だったので渋谷に早めに着いてからほぼ3,4時間立ちっぱなしで、さすがに足が疲れた。けれど、このまま渋谷の雑踏に揉まれて電車に詰め込まれるのは、なんか気分的に避けたかった。今やっている仕事の関係もあり、いっそ松濤まで歩いてみようと思った。足を棒のようにして松濤公園にたどり着く。途中外国人観光客の多さにはもう慣れた。東京では相当前から公園内は禁煙なのは認識していた。アイコスの代わりにブラックの缶コーヒーを手に、静かにベンチで佇む。ずっと悶々としていた気持ちに、一区切りがついて気分が平(たい)らかになってゆく気がしたのだった。

帰宅後、AmazonMusicでセカオワのオリジナルプレイリストを聴いて、ふと思い立ち今日のサザンの「蛍」を聴いた。

涙は見せたけど(涙見せぬように)

笑顔でサヨナラを

また逢うと約束をしたね

...そんな1日だった。

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