2017年8月12日土曜日

ノーヒットシンドローム

夏休みお盆の3連休初日、秋季ブロックリーグ戦、VS南菅生ワイルダースなんである。このあとレッパVSメイツ戦もあった。会場は犬蔵小ドーム。校門からグランドまでのアプローチが長く、学校には珍しい竹が植えられていたりして、なかなか趣のあるところである。ここは過去に何度か来ているが、ここ数年滅多に来ないので、新しい部員や親たちには初めて来たという声も聞かれた。

しかし、それにしても雨なんであった。サラサラ、ぽそぽそ、シャラシャラ、ポアポア、シャラポア〜と降るような中途半端な雨である。先日TVで観たのだけれど、大阪のUSJの企画担当者が言っていた。「人は軽く濡れると不快感を覚えるが、いっそ全身ずぶ濡れになると快感に変わる」と。言い得て妙である。確かに夏の夕立で、パンツまで濡れちゃうような豪雨に身をゆだねると、むしろ清々しい気分になるものである。


ワイルダースは昔からお馴染みのNakahama監督。

しっかしフレンズ軍、このところいったいどうしたものか。一時期に比べて打てない試合が続くのである。安打欠乏症候群、専門用語でノーヒットシンドローム(筆者造語)がチームに蔓延し、ジェネリック医薬品の特効薬がぜひとも欲しいところである。なぜ「特効薬」でなければならないか?6年生にとってはもう時間がないからだ。秋が終われば全て終わりなんである。そのへんのところ、いったいチームの何人が危機管理を意識して試合に臨んでいるのだろうか。
1,2回表先頭打者から1,2,3,4番まで連続三振なんであった。

Shohmaが力投し、守備も堅めの守りを見せてなんとか失点は免れる。3回やっと3得点し3:0。筆者はファインダーを覗いているので一瞬の場面が見えず、確実なことは言えないのだが、これは内野強襲安打かエラーか悩む時ってある。プロなら間違いなくエラーでも高校野球なら安打になったりしちゃうんである。いくら内野強襲でも一旦正面から捕球態勢になってグラブをかすめての後逸ならエラーだろう。今日の試合ではプロでなくてもアレは...という場面が連続して得点、Fは実質打てないゲームには違いなかった。むしろ実質安打数ではWが上回っていたんである。

Kazukiの打席。被写体としてはカメラマン魂をくすぐるナニかを持っている男である。その画面右後方にCanon砲を構えて写っているのはHoshiba父。フレンズLINEに毎回素晴らしい写真をアップしてくれるんである。筆者は遠く足元にも及ばない。根っからのクルマ好きで、巨体でごっつい旧タイプの素敵なランドローバーに乗っている。プロの雑誌ライターでプロのカメラマンなんであった。因に筆者はド素人の文章書き屋でド素人の写真好きに過ぎないんである。


試合は4:1でかろうじてフレンズ。

最後にオマケ。
若い頃のカープへの熱情は若干トーンダウンしたものの、まだまだカープファンであることに違いない筆者。熱狂的だったあの頃は古葉監督、コージ、衣笠、慶彦、池谷、北別府、大野...あの時代なんである。筆者は走攻守三拍子のヨシヒコと、出雲信用金庫から入団し大投手になった大野が好きだった。達川に大笑いし、炎のストッパー津田恒美には涙した。
でもって家にたまたまあったカープグッズのひとつ、なんとも可愛い「カープ学習帳」があった。うちのまだ幼いマーゴにあげる予定だったが、それでは豚に真珠になっちゃう、今度Fに入部したばかりのバリバリのカープ女子Rikoにあげようと思う。そのほうが丸も喜ぶはずだ。
正直言うとカープが昨年の勢いのまま、今年も優勝に向かって独走するとは想像しなかった。
ああ、またマツダスタジアムへ行って冷たいビールを片手に観戦したいなあ〜。
しかし今はプロ野球よりも熱闘甲子園が花盛りなんであった。

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2017年8月10日木曜日

小説「月に雨降る」46

龍一は大通りへ向かう路地を歩いていた。脚は砂浜に打ち上げられた流木のように疲れていた。すっかり雨は止み、すでに空は明るさを取り戻し雲と雲の僅かな切れ目から、青空とも夕暮れともつかない赤紫色の空が垣間見えていた。頭の中ではいろんな思いが渦を巻き、自分をどうコントロールして良いか分からなくなっていた。その渦の中から頭をもたげてきた者がいた。新幹線の黒鏡に映っていたもう一人の龍一だった。
『おまえは本当にそれでいいのか』
何かの力が働き立ち止まる。後ろから誰かに羽交い締めされたみたいに。
『おまえはこのまま家へ帰る。明日になればまたいつもの日常が待っている。そしておまえは、これから一生、自分に言い訳をしながら過ごすんだ。彼女に会わずに帰った理由を正当化し、同時に自分の心に嘘をついて』
何も言い返せない自分がいた。それはとりもなおさず、龍一自身の気持ちでもあったからだ。今度は虚像ではなく龍一本人の心が叫んでいた。
『このまま帰って希伊の残像を心の片隅に住まわせて、一生後悔しながら生きていくくらいなら、希伊とちゃんと対峙(たいじ)しろ。そのあとのことはその時に考えろ。見る前に跳べ』
龍一はそれ以上考えることはやめて、店へ戻るため走り出そうとして後ろを振り向いた。

そこに希伊がいた。

希伊は片手に紙切れを握りしめ肩で息をしながら、真っすぐな目で龍一を見つめていた。唇が震え出したかと思うと、その目からはあっというまに大粒の涙がぽろぽろとこぼれ出た。龍一はサングラスをはずし帽子を取ると希伊に一歩足を踏み出した。そのとたん希伊が龍一の胸に飛び込んできた。
希伊は声を震わせて言った。
「リュウ、逢いたかったよ」
「ごめん、待たせて。もっと早く来るべきだった」
「ほんとだよ、待ったんだからね。遅いよ」
希伊は昔から見え透いた強がりを言うのが癖だ。龍一も返した。
「待った?17年の遅刻だな」
涙目で笑いながら希伊が言う。
「ほんとだよもう。わたしいっぱいシワが増えちゃったじゃん」
「俺も増えたよウェストが。あっ、減ったのもある、髪の毛が」
あははと笑いながら希伊は龍一の脇腹をつねった。そのまま二人は押し黙ってしまった。いったい何から話していいのか。相手にかけようとする言葉を探すと、いくつもの言葉が広大な海に浮かび、手のひらにすくえば指の間からこぼれ落ち、結局お互いの気持ちの収拾がつかないのだった。
もう一度今度は優しく抱き合いながらやっと希伊が耳元で囁いた。その柔らかな胸は龍一の両腕の中に確実に存在していた。
「リュウ、ごめんね、突然いなくなって。話したいことがいっぱいあるんだ」
「うん。俺も訊きたいことがいっぱいあるんだ」
まだ仕事があるから閉店時間にもう一度店に来て欲しいと希伊は言った。
西の空を見渡すと、雲の間から眩しいほどの夕陽が希伊の頬に射して紅く染まっていた。


やっとあの日の、月に降る雨が止んだように思った。灰色の月の世界で強い雨に打たれて佇んでいる希伊を、ようやく迎えに来ることが出来た。同時に永いあいだ龍一の胸の底に沈殿していた灰色の世界もゆっくりと確実に消え去るのを感じた。
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2017年8月8日火曜日

143年の風景

日曜日はSatoh前監督のコネクションで、町田方面への大遠征なんであった。どんだけ大遠征だったかというと、古代ギリシャのアレキサンダー大王の大遠征に匹敵しちゃうんではと、思えるほどの遠征だったんである。Maeda母の運転する高級ワンボックスベルファイヤーは、あたかもマケドニア38,000の軍勢の先頭を行く軍馬のごとく、一路地の果て町田へ16号街道を北進したのであった。途中手綱を持つMaeda母がナビに嫌疑を持ち始め、疑心暗鬼、暗中模索しはじめたので、馬の尻尾にぶらさがっていた筆者はiPhoneのGoogleナビで確認、進路が正しいことを伝えた。そこで気づいたのは目指すのは「町田市立相原小学校」なんであるが、町田駅を過ぎて相模原市内に進軍すると「相模原市立相原小学校」という、なんとも紛らわしい敵陣地の表記が表れたんである。さては敵軍め、我が軍を目くらまし戦法で幻惑する作戦かと思ったのであった。
相模原、町田、相原、原町田...。おそらく大昔はこのへん一帯田んぼと原っぱだけだったのだろう。
(※文中「地の果て町田」という表記は決してヘイトスピーチ的表現ではない。東京町田から見れば川崎有馬のほうがよほど小さいのは百も承知である。ご笑納されたし)
「町田市立相原小学校」にはブログ最後にまた触れたい。

対戦は相原ジャガーズ。二試合であった。一試合目は6年以下のAチームで筆者がスコアラー。なので写真はない。結果はジャガーズが長短打8本(うち内野安打4)、フレンズは4安打中内野安打が3、という内野安打の大盛りバーゲンセールであった。ジャガーズは飛び抜けた選手はいないものの、全員で長短打を放ったゲームであった。6年主力二人を連合で欠いているとはいえ、それにしても打てない情けないフレンズ軍ではある。唯一のクリーンヒットは5年生Shohの三遊間を抜ける安打のみであった。5:5の同点で終了。
午後の二試合目前にランチタイム。

二試合目は5年以下のBにて。
Shohがいきなりの先頭打者ホームランをかっ飛ばす。


入部して間もない正真正銘のカープ女子Riko。まだよく分からないことは多いけれど、好きこそものの上手なれ、スタメンで起用されてすでにスライディングも出来るように。以前にも書いたが、投げる、打つ、走るはオトナコーチが実際に目の前で実践して教えられるけれど、このスライディングだけはオトナでもなかなかやってみせることが出来ないのである。筆者はサッカーをやっていたので、もう10歳若くてグランドが芝生だったら怪我を怖れずやってみせられるのだが、残念。因に中高の時サッカーは芝のグランドはほとんどなく、学校の固い土のグランドが主だったため、短パン太ももむき出しでスライディングするから、試合やるごとに血だらけで傷が絶えなかった。野球のスライディングの比ではない。
野球大好き少女Rikoはなかなかの器と見た。

この試合の先発マウンドはマエハルことHaruto。気迫の投球であった。最近の肩の強さの成長ぶりには目を見張るものがある。来年の期待を背負っての登板であろうと想像す。精神的に一皮むければ大化けするかもしれない逸材と筆者は思っている。
自分に負けるな、頑張れ!Haruto。

相原ジャガーズと親交のあるSatohくん、大奮発しちゃってなんと三塁審判まで引き受けた。同級生Kakenoオヤジの「審判おまえやれよ〜」の売り言葉に買い言葉なんであった。


試合はShohのホームラン以外の安打は、4番眠れるアジアの大砲Kazukiの右翼へのシングルのみ。

一塁審判は熱中症対策で業務用のスーツを着用したYukimatsuオヤジ。この上着にはモーターファンが内蔵されており、衣服の中に風が舞う仕組み。確かに涼しいらしい。しかし炎天下こんな分厚いジャケットを着たのを、知らない人がこれを見たらきっと「変なオジサン」としか見えないだろうと、Ohmoriオヤジがぎゃんぎゃん爆笑していた。確かに。ただでさえ面白い変なオジサンなのに。

しかしその息子Hideakiはショートゴロから本塁へ送球された球を捕球し本塁ホースアウト、すかさずゲッツーを狙うために、ファーストへ転送を試みる。そのシーンを撮った一枚。なかなかカッコいいではないか。我ながら通好みの良い写真である。このキャッチャーの写真の良さが分かる人は、筆者と同じ思考と嗜好であるに違いない。


またしてもフレンズの敗戦。しかし子らの顔はステーキに例えれば、春先ベリーレアだったのが春季が終わるころにはレアを過ぎてミディアムレア、その後梅雨が明けて今ウェルダンにこんがり焼けてきたんである。
夏休みが終わるころにはきっと、カリカリに焼けたベリーウェルダンになっているはずだ。

さて「町田市立相原小学校」なんである。
なんと創立は明治7年!
お寺を小学校にしたいわゆる「尋常小学校」が発祥、その古さたるや、まさに尋常ではない。明治から大正、昭和、平成と、この校舎はどんな風景、光景、情景を俯瞰し見つめてきたのだろうか。その悠久の記憶に思いを馳せてみる。
開校143年であった。

煙草休憩で外に出てみると、そこにはアニメ映画「君の名は。」に出てきそうな、入道雲が青空にむくむくと湧き上がる風景がそこにあった。

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