2014年1月8日水曜日

術後経過報告

縫合手術...と言ってしまえばかなり大袈裟ではあるけれど、右手人差し指斜め67°切断事故の術後経過報告連絡相談、ホーレンソーブログなんである。

術後数日間は可憐な乙女が初恋に胸を焦がす痛みとは180度違って、就寝時は右手だけを鉄鍋の煮えたぎる熱湯に突っ込んだような痛さで睡眠もままならなかった....と言ってしまえばかなり大袈裟ではあるPart2。実際は指先にちっちゃい心臓が埋め込まれたように、終始ドクドクズキズキ、鉛のように重い鈍痛に悩まされたのが事実である。時折忘れた頃にやってくる腕に電気が走るのにも閉口した。

それでも人間の自己治癒能力はたいしたものである。医者が言うには「うまくくっついたみたいですね」と。縫合が一日、或いは半日遅ければ合体は無理。カケラが壊死(えし)しちゃえば万事休すである。その場合は2,3ヶ月かけて肉が盛り上がるのを待つしかないんだそうな。トカゲの尻尾切りみたい。包帯を解けばそこに現れたのはまさにフランケンシュタインの首筋みたいなものであった。1,2週間後には抜糸の予定。
多方面に多大なるご心配おかけました。m(_ _)mとりあえず順調のようです。
おっとそれになんと言っても酒が呑めるようになったことは、快方に向かっているバロメーターであり、何にも増して嬉しいことのひとつでもある。

そんな状況で先日の日曜、グランド開きのあと普通に練習に参加した。怪我人なのでフリーバッティングではバックネット裏に椅子を構えてどんと座り、まるで楽天春季キャンプの野村前監督のように偉そうに鷹揚に構えてふんぞりかえっていたのは言うまでもない。しかし、怪我して思うようにならないストレスの反動だろうか。盗塁ランニングの練習時にはいつの間にバットを持って打席に立ち、打撃を想定したエアー素振りを数十本もやっちゃったんである。当然怪我した指だけは立ててバットのグリップには触れないように。今にして思うと無理して打席に立ったのはここまで治ってきたんだぞと、自分に納得させたかったのが動機かもしれない。

練習中ふと思い立ち一人倉庫に行ってみた。確か、グランドに打ち込むための鉄筋の杭があったはず.....。あったあった。
いっそこの不自由な右手をちょん切って、ピーターパンに登場するフック船長みたいに鉄筋のフックを装着してみてはどうだろうと、中学男子のような稚拙な発想と少年のような無垢な遊び心でやってみた。

やっぱダメだ。
これでは地球上の食べ物の中で一番好きなラーメンが食えないではないか。怪我した初日医者の帰りに新装開店のラーメン屋に行った。(鷺沼駅前の味噌ラーメン屋。ウマイッ)箸を持つことすらままならない状態でなんとか麺を持ち上げて、いざ口に運ぼうとすると目の前の麺が音を立ててズルリ落下し、箸だけを噛んだりすること数回。まるで大物を釣り上げたにもかかわらず目の前で糸が切れて釣り逃してしまった釣り人の気分。このフック船長的フックでは箸すら持てないことに今更ながら気づき、鉄筋フック装着は断念したわけなんであった(^-^)

話は変わるけれど。
今日仕事で六本木泉タワー付近の現場打合に行って来た。100坪の飲食店舗プロジェクト。旧知の仲間からは指の包帯を見て驚かれたりニヤニヤ嗤(わら)われたり。初めて会ったお客と名刺交換したら、「初めまして○○と申します」という挨拶をされず、いきなり「マウスクリック大丈夫ですか?」なんて言われたり。
「大丈夫です。親指と中指はビンビンですので」と筆者。
現場打合後泉タワー1Fのカフェで打合1時間。打合終了後全員外へ出たら灰色の空からはいつの間にそぼ降る冷たい雨。吹き抜けの階段には寒空の下、ガリガリに痩せてTシャツ1枚で下半身裸の変な体型の変な人が変な格好で佇んでいた。筆者、頭をなでながら、
「アンタ、下半身丸出しで寒くないの?」
と、訊いたけれど彼(彼女?)はキョトンとしてなんの返事もなかったのは言うまでもない。
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2014年1月6日月曜日

野球の神様

それにしても冷蔵庫の中の製氷皿の上を彷徨い歩くような、昨日とはうって変わって極寒の一日の始まりであった。今日は2014年フレンズ練習初日である。まずは西有馬スタジアムに集合しグランド開き。ダイヤモンドとピッチャープレートに盛り塩とお神酒(みき)。「野球の神様」という名の神様がいるが、その家臣のひとりに「グランドの神様」という役職の神様もいるんである。グランドの神様にグランドを使える喜びと感謝の気持ちを持ちつつ野球をしなければいけない。それをないがしろにしていると、グランドの神様のご機嫌が悪くなり、時として大雨を降らせて使用不能にしたり、スライディングをした時に思わぬ大けがをしたりと、なかなかに侮れない野球の神様界の要職に就く重鎮なんである。
「今年も一年子どもらが安全に野球が出来ますように」
塩をまき酒を地中に吸わせてあげる。
今頃グランドの神様は地中で清めの盛り塩をぺろり舐めながら酒をぐびり、決して悪くない気分でいるに違いない。地鎮祭のようでもある。

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我が名門鷺沼ヤングホークスは宮前の中でも古くからその名を轟かせてきた、名将Kurosu監督率いる鷺沼小ドームを本拠とする少年野球チームである。宮前に留まらず川崎、神奈川県下でもその栄光の戦績は今でも色褪せない。創立30有余年、その輝かしい歴史の中でも特筆に値するはプロ野球選手を輩出したことだ。ヤクルトスワローズにドラフト入団した高井雄平選手(現29歳)である。自慢じゃないけどと言いつつ実は自慢しちゃうのだ。6年当時の連合チームでは、相手投手が変化球を投げて三振を奪われたと主張し、ベンチに帰ってきた彼が悔し涙で号泣していたのを今でも鮮明に覚えている。(学童野球では変化球禁止)それくらい負けず嫌いの性格が、のちにプロのマウンドに立つ彼のプロ根性を形成する一助となっている。
そんな大先輩を持つ我がヤングホークスも今年は人数が減り厳しいスタートとなった。子どもたちから順番にお賽銭を投じ願をかける。最後は御年62歳となった大将Kurosu監督はじめ指導陣の番。私は写真班に徹していたのでその列には加わらなかった。
今年も優勝目指して頑張るぞっ!
そうこうしていると、お隣の盟友古豪有馬フレンズの面々がぞろぞろ階段を登ってやってきたんである............。

.........アレ、なんか変!ここはどこ?ワタシは誰?
いつの間にか筆者にヤングホークスの霊が憑衣(ひょうい)したようだ(^-^)


+++++++++++++++++++++++++
もとい。いかんいかん。
筆者は有馬フレンズのコーチなんであった。
階段を登り境内に着いたら盟友鷺沼ヤングホークスの面々がすでに参拝の途中であった。でんと構えたKurosu監督の第一声は「フレンズ、遅えーよ」である。腹回りと同じくらい大きなニンマリ笑顔で出迎えてくれた。知将IshikuraさんやTakahashi コーチなど指導陣と年頭のご挨拶。またKitamatu夫妻はじめQueens関係の父母たちとも挨拶を重ねることしばし。Mochida夫妻とHimariはまだ外出は容易ではないため参拝には参加できず顔を見ることは叶わず残念。
我がフレンズも集合写真を撮影。上のヤング写真と比較すればその人口密度には歴然とした差が伺える。それでも野球の神様が与えてくれたこの人数で今年1年頑張るしかないんである。

毎年恒例の階段ダッシュ。建築基準法をはるかに逸脱した階段の段差は、腿を鍛えるにはもってこいの高さである。学年に準じて何往復もすれば、一気に正月気分も抜けてしまうフレンズ伝統の恒例イベントだ。今年は脱落者は一人もいなかった。若い頃は筆者も挑戦したものだが、翌日ハンパない筋肉痛に苛(さいな)まれたおぞましい記憶があるため、それ以来無謀な挑戦は断念している。

西有馬スタジアムから有馬ドームへ移動。同じくグランドの神様のご機嫌伺い。年末にカッターナイフでテメエの指を切り落としてしまったバカなオトナもいるが、子どもたちにはグランドで怪我をしてほしくない。させないのが大人の責務である。野球は天候と審判と怪我には絶対勝てないのだ。

午後は近くの生涯学習施設アリーノで恒例となった「お雑煮大会」
母たち手作りの雑煮は今年も最高にうまいぞ。「頂きましたっ。星、みっ......つデス」
ジャガジャン「!!!☆☆☆!!!」


さて明日から指も痛いが頭も痛い仕事初め。
怪我をしたバカなオトナとしては仕事に大いに支障をきたすのは明白で、憂鬱には違いないのであるが、このご時世忙しいことは幸せなことと「仕事の神様」に感謝しつつ、やっとの思いで今年の最初の少年少女野球ブログの筆を置く筆者なんである。
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2014年1月1日水曜日

年画像2014


2014年 新年あけましておめでとうございます(^-^)

気が向いた時に、お暇な時に、ふと思い出した時に、朝の通勤電車で、毎日のメールチェックの時に、会社の朝礼のあと、昼ご飯の休憩時、パートから帰り夕飯の支度前に、夜帰宅後就寝前に、土曜の練習のあと、日曜の試合に出かける前.....、
本年も少年野球「晴耕雨読」Blog、ご愛読のほどよろしくお願い申し上げます。

毎年恒例の元旦の朝の風景を切り取った、年賀状ならぬ年画像2014年版をお届け。
と言っても毎年同じアングルなので2011年元旦から4枚とも何も変わらず。しかも天候も4年連続ほぼ晴天なので代わり映えしないんである。代わり映えしないということは、ある意味幸せなことに違いない。今年も有馬神明神社の高台を中心にiPhoneで撮影。

指の具合は時折電気が走る程度で、そう頻繁ではなくなってきた。利き手の指を怪我したことで困ったことがいくつかあるが、まず箸がうまく操縦できないんである。初日ラーメン屋で昼メシ食ったときは、何度口の前で麺が全部滑り落ちたことか。それも今では順応して人差し指を使わず親指と中指を中心に、器用に使えるようになった。また不幸中の幸いと言うべきか、トイレはウォシュレットなので全く問題ない。ニッポンのトイレ技術は「ハヤブサ」を宇宙に送り出した技術に勝るとも劣らない、世界に誇るべきものだ。外国人が日本のウォシュレットを見て感動するらしいけれど、どうしてこの「自動洗浄便座」がもっと世界に広まらないのか不思議で仕方がない。

なんてゆー、愚にもつかない駄文で始まる2014年「晴耕雨読」なんであった。
今年は年明けから仕事が猛烈に忙しくなるはずなので、更新頻度は落ちることが予見されちゃうんである。されど少年野球はストーブリーグ真っ盛り。フレンズ新年会・壮行会やQueensの新年会・お別れ会、連盟行事....そうこうしてるうちにグリーンカップ開幕なんてあっという間だ。
今年も1年、どうぞよろしく、なんである(^-^)
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2013年12月31日火曜日

ありがとう


大晦日の晩に書くような話ではないけれど、「指」なんである。
初日酒は絶対ダメと医者に釘をさされていたにもかかわらず、寝る前に一杯だけとウィスキーロックを普段の半分だけ呑んだ。自慢ではないが365日酒を抜いたことはない筆者、カラダがアルコールに慣れているので、呑まないと逆に調子が狂ってしまうんである。ところが、寝てからが地獄であった。布団にもぐり込んでから3時間、断続的に指先に電気が走る、走る。七転八倒ののちうとうとして油断するとやってくるんである。起き上がると楽になることを知った筆者は、AM3時にベッドに座る格好で小説を読んだ。4時頃やっと寝ることが出来た。

翌日また医者に行き「センセイ、酒はまだですか」と言ったら「絶対まだまだ」
その晩は何年ぶりかで酒を一滴も呑まなかったのは言うまでもない。しかしなんである。就寝して横になると日中それまで断続的にじんじんきていたのが、とたんに爆発的にギンギンくるのだった。またしても阿鼻叫喚の地獄を彷徨うこと2時間。やはり起き上がり読書に勤しむ。真夜中の読書がクセになりそうな予感。この痛みは決してアルコールではなく横になった時の体の血流が関係しているのだった。起き上がると痛みはすっと消え、寝ると右腕に雷が落ちる。初日の睡眠時間4時間、この日は5時間。

三日目になりようやく日中のじんじんも少し和らいできた。その晩は初めから読書と決め込み、瞼がくっつきそうになってやっと就寝。さすがにその頃になると指の神経も眠気を催すものらしい。
もう酒は自己責任で解禁にした。といっても少量に抑えているけれど。30日の昨日は比較的すんなり寝ることができた。だいぶ快方に向かっているようだ。大晦日の今日は例年なら昼から呑むところを夜からにして今に至る。
(※今TVの生放送で清原が阿波野との対決でホームランに挑み土壇場で打ったけれど、VTRを見たらアレ、ギリでファウルだよね(^-^))

さて先を急ごう。もうすぐ年が明ける。
去年も確か本年のブログ写真のベストを選んだと思うけれど、今年を振り返り3枚をチョイスした。Queens2点、フレンズ1点、夕景1点。



今年も多くの方々に「晴耕雨読」を読んでいただき感謝でいっぱい。
来年もこの駄文をよろしくお願い致します。
みなさま、来年も良い年でありますように。

ありがとう。
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2013年12月28日土曜日

年末の顛末

今年の前半は息子の結婚、二人目のマーゴMiuの誕生、そしてMinamiが白血病を克服して無事退院と良いことづくめではあった。しかしこれに比べれば些細なことだが、今年後半はその反動で財布はなくすは、配偶者は先日分割がたっぷり残っているiPhoneはなくすは....。そして極め付きは10月に仕事のクライアント社長が亡くなり、会社が闇金融の手に渡って、我々債権者ブレーンへの支払いが全面ストップ、闇金相手と戦うという費用対効果を考慮すると簡易裁判所へ訴え出ることもままならず、皆泣き寝入りするしかなかったんである。8,9月に土日返上でがむしゃらに働いたギャランティーが全て10月入金だったため全額灰色の雲の彼方へ消えた。しばらくの期間は視線が宙を彷徨い、ついて出るのはため息ばかりなり。10月は茫然自失であった。

さて歳も押し詰まる師走の27日の今日。もうひとつの凶事がおきちゃったんである。
ここからは「血」が苦手な方、そして良い子の小学生は遠慮したほうが良いかもしれない。多分に自虐的なネタの顛末を軽く書いてみるつもりではあるけれど。

きのう一昨日の2日間で電話が数本あり、年明け早々から仕事の依頼が山ほどきちゃったんである。赤坂の100坪の飲食店をプロジェクトチームを組んでやる仕事の他、武蔵小杉、川崎ラゾーナ、入札物件などだ。大小様々とはいえ全部同時には一人では請けれないだろう。とはいえありがたい話ではある。今日の午前中は見積書を一件メールし、あとは昼メシ前に台所の床の電気配線をモールを設置してやろうとしていたのであった。モールというのは細長いプラスチックのベースを床に貼り、そこに電源コードを這わせて上からまたカバーをかぶせるアレである。カッターで切るにはプラスチックとはいえ固いので結構骨が折れる作業である。
筆者会社勤めのころはプレゼン前夜に会社で徹夜して、カッターで仕上げのプレゼンボードを正確に速く何枚も切る作業などには自信があった。「一級カッター士」「カッティングの魔術師」「ゴールドフィンガーを持つ男」と社内で噂になり、いつしか周囲からそう呼ばれ........ることはなかったので、自称なのだけれど。このプラスチックのモールは堅物ではあるが過去に何度も切った経験があるので、少し油断していたのである。大工が使う大型のキレキレのカッターでおもむろに作業に入る。

「ガキッ!」
くそっ力を入れ過ぎたかな、刃が床に当たり失敗したかなと思ったまもなく、何か床に転がっているのが目に入った。
「なんじゃこりゃ?」
肌色をした小さなナメクジのようなものの正体が、自分の指の一部だと気がつくまで1,2秒かかった。見たこともないような勢いで血が溢れ出す。こんどこそ松田優作ばりに「なんじゃこりゃ〜!!!」なんであった。右手で握ったカッターの刃が床に当たる寸前に、滑った右手の人差し指が入り込んでしまったのだ。縦方向斜めにスッパリと指先の1/4が切り落とされてしまったんである。そのカケラには綺麗に爪の一部も含まれている。もう少しで骨にも届いていたかもしれない。一瞬ではあるが、映画「ブルーベルベット」の冒頭、草むらに落ちている耳の切れ端のシーンを妙に冷めた頭で回想していた。

出血と同時に激痛が走り我に返る。右手がどっくんどっくんしている。その音が聞こえてきそうなくらい。水道で水に流すと勢いでシンク周りに血が飛び散る。次に気が動転し焦りまくった。一般的に女よりも男のほうが血を見ると弱いのだそうだ。学説によると女は以外に神経が太いのと、毎月の自身のもので見慣れているからなのだそうだ。筆者には生理はやって来ない、がしかし自分で言うのもなんだが、案外冷静であった。すぐに輪ゴムで第2関節をぐるぐる巻きにし止血、救急箱から粉末状の消毒剤を取り出し散布し、ガーゼを当てて包帯を厚めに巻いた。更にふと思い立ち、指のカケラをサランラップに包んで病院へ持って行こうとも思った。その間頭の大半を占めていたのは怪我のことよりも、来年からの仕事のことであった。マウスとキーボードの操作に支障をきたすことを思うと暗澹たる気分であった。

ネットで付近の外科病院を検索し、一番近くの総合病院に電話した。指を1/4ほど切り落としたという表現にひるんだのか、手術出来る医者が今日は不在で駄目だと断られた。電話の女性は申し訳なさそうに川崎の救急センターの番号を教えてくれた。全く恨む気もしない。遠くの病院へ行けとなるのも嫌だったので、次に駅前のある病院へ電話した。今度は「1/4切り落とした」ではなく「1/4切ってしまった」という表現にしたのは言うまでもない。OKだった。しかし午前の受付 終了まであと15分しかない。不自由な右手で原チャリアクセル全開、間に合った。
同年輩と思われる感じの良い医師が指を見て、
「ほう、こりゃ随分大きくいきましたねえ。切り口がスッパリ綺麗に」
筆者は「ええ、だって俺一級カッター士だもん」とココロの中で返す。痛みは不思議にも台所での3分間のみで、あとは痛みを感じるよりは痺れのほうが勝っていたんである。
「保証は出来ませんが、たぶんくっつくでしょう。消毒No.○○、麻酔と針と糸用意して」と看護師へ指示。
人差し指の根本に2ヶ所麻酔を打つ。正直痛かった。しかしその時ふと頭に浮かんだのは、QueensのHimariの骨折のことだった。最初の晩は痛くて泣き叫んでいたそうだ。筆者の1億倍も痛かっただろう。小学生の女の子がそれを乗り越え元気に松葉杖をついて笑顔でジャイアンツ球場へ現れたときのことを想い起こした。その瞬間麻酔注射の痛みなどどこかへ吹っ飛んでしまったのである。不思議なものだ。ありがとう、ひーちゃん。

麻酔が効いて縫合処置も終わった。うまくくっつけば2,3週間。駄目なときは完治まで2,3ヶ月と言われた。またしても仕事の支障ばかり考え込んでしまう。会社員ならなんとでもなるが、フリーは生活に直結する一大事なんである。早速家に帰ってMacを起ち上げ、CADソフトで簡単な図面を描いてみる。マウスは包帯ぐるぐる巻きの人差し指を宙に浮かし、クリックは中指で。おおなんとかなるじゃん。かなりスピードは鈍るが仕事出来ない状況ではない。現にこうしてキーボードも叩けるわけで。中指というゴールドフィンガーは健在だった。人差し指はオールドフィンガーになっちゃったけれど。配偶者が言った「ピアニストでなくて良かったねえ」

残念なことに明日はQueensの忘年会なんである。今年は浴びるほど呑んでやるぞとめっちゃ楽しみにしてたのに、医者からは2,3日はアルコール厳禁を言い渡されているし、明日午後も通院しなきゃなんである。午前グローブを持って外野で球拾いをし、午後からQueens部室藍屋でオトナたち皆と酒を呑んで......1ヶ月前から楽しみにしていたプランは儚い夢となった。

事故ではなく自己責任だから、全くもって自分が悪い。
「一級カッター士」の免許は国庫に没収され「カッティングの魔術師」の称号は剥奪されても文句は言えない。それにしても利き腕の右指をやるかねえ。せめて左指だったらまだ救われたのに。
自分の不運を呪う年末の顛末である。とほほ....。
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