昨日新しい茅ヶ崎の物件仕事で、筆者の古巣である、一番好きな街である、二十代前半を過ごした恵比寿へ行ってきたんであった。本籍もいまだに恵比寿なんである。
7,8月はとんと仕事が暇で、特に8月は皮膚科と歯科医に足しげく通い医療費がバカにならず、そろそろ半年くらいマグロ船に乗るか、または臓器摘出しアジアの闇市場へ売るかと懸念していたのだったが、ここにきて少し忙しくなってしまった。
でもってこの土日は月曜締め切りまでのみっちり仕事なんであった。今やっているのは「銀座6丁目再開発計画」の一端の仕事。旧松坂屋跡地の例のアソコである。
しかし、今日はカープの優勝決定戦がある。だもんで仕事しながらNHKを観るわけで。
なので、ここから先は、アンチカープファンは読まないでいただきたい。
逆にカープファン、野球ファン、少年野球ファン、換気扇ファン、空調ファンの方々はどーぞどーぞ、なんである。
結婚して二十代の頃は熱狂的カープファンだった。初優勝し、更に数年後また優勝したのち日本シリーズでも優勝したのを知ったのは、山形から東京へ着いた上野駅の売店にあった、スポーツ新聞を手に取った瞬間だった。
あれからウン十年。
今は当時ほどの熱狂的な気持ちはなくなってしまったし、プロ野球自体あまり観なくなってしまった。それでもカープがいまだに最高に好きだ。他球団とは一線を画す球団の歴史、その理由によるものである。
ヘビロテ読者ならご記憶にあるだろうか。数年前ブログにも書いたけれど、広島マツダスタジアムへ行ったことがある。最近「マンホールカード」なるものが密かなブームであるけれど、マニアでなくともこのマンホールは思わず写真に収めたくなるというもの。
※当時のブログ写真から。
その時に球場の外で買った応援Tシャツ(背中はKURIHARA)を着用して、仕事しながらTV観戦。当時と違うのは仕事用の老眼鏡がぶらさがっていることである。
今なら黒田のTシャツを真っ先に買うに違いない。
優勝の瞬間、男気黒田と「どのツラ下げて帰ってきたんですか新井さん」の新井の涙を見た瞬間、すでに筆者の頬を伝わっていた熱い液体の流れに、更に拍車がかかって激流となってしまった。
9回裏ツーアウトになって自分がカープナインだったなら、緒方、黒田、新井の三人を胴上げしたいと思っていたが、全くその通りになった。
実は先日マツダスタジアムで優勝するかもとのことで、思い切って広島へ行こうかとも思ったんであるが、チケットがめっちゃ取れないので諦めたんである。
まだクライマックスと日本シリーズはあるけれど、なんといってもこの「リーグ」優勝がプロ野球最大の華だ。
「コロンブスの卵」と言われても仕方ないが、例年5月を過ぎるとカープはトップ争いから脱落するんであるが、今年の5月時点で筆者は「今年は絶対優勝する」と確信していたんであった。これホント。
おめでとう、ありがとう、祝優勝!広島カープ!
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2016年9月11日日曜日
2016年9月5日月曜日
小説「月に雨降る」22
翌朝龍一たち三人は、天文館からリムジンバスに乗り鹿児島空港へ向かって車中の人となった。短時間の道中だったが三人ともすぐ眠りに落ちた。特に龍一は一昨日からたっぷり体にまとわりついた累積の寝不足で熟睡と言っていいほどの深い眠りを貪った。空港へ着き全国的な快晴のもと十時の便で羽田へ飛んだ。龍一の座席は機体の後ろのほうだったがこの日はラッキーだった。主翼のすぐ真横の席では眼下の景色はほとんど見えないからだ。今日の快晴の日にこの席になったことを嬉しく思った。静岡近くになると左手の眼下にぽっかりと口を開けた富士山の火口が間近に迫ってきたのだった。ほぼ真上から見るそれは月のクレーターをもっと高く作り上げたような精緻な造形物のようだった。あの富士山を空の上から見下ろしている自分が不思議でならなかった。普段は都会の地べたを這いずり回るようにして生活しているのに、今の自分は空に浮いて圧倒的に非現実的な光景を目の当たりにしている。
龍一はこんな状況に置かれると、いつも心が二十六歳の時に失ったひとりの女のことを想い起こす。希伊のことだった。あの土曜の晩の月を見上げながらベランダに佇む希伊の虚ろな横顔。柔らかい唇と熱い小さな舌先の感触。滑らかな肌の高低差の大きい起伏に富んだ丘陵と、ショートカットの髪の匂い。希伊が初めて口にした出自の秘密。生来の明るいはじけるような笑顔と、その裏に隠してきた複雑な哀しい生い立ち。翌朝の豪雨の中で町じゅうを彷徨したこと。灰色の月に降り注ぐ冷たい雨の感触。老人とサチコとの出会い、そして由美に助けられたこと。あれから十五年間、龍一はほぼ毎日のように希伊のことを想った。なにげない日常のふとした瞬間でもそれは不意にやってくる。特に雨の日の朝と月が出ている晩はその記憶が顕著に蘇って来て、龍一の心の襞がぞわりと波打つのだった。
あの日以来龍一はその希伊への想いを断ち切るように仕事に埋没するようになった。目の前にある仕事に真摯に向き合っている時だけはあの記憶の呪縛から解放された。仕事帰りの夜道ではなるべく空を見上げないようにした。そこに月が浮かんでいると思い出さざるを得ないからだったのだが、しかし最後にはどうしても上を向いて暗い夜空に月を探してしまう自分がいるのだった。
しかし本当は龍一には分かっていた。自分は希伊の記憶から逃れようとしているのではなく、むしろあの記憶にすがって生きていることを。年を重ねるごとに数年間一緒に暮らした希伊の記憶の映像が少しずつ色を失い、徐々に細部が消失し始めることが恐怖だった。昔撮ったフィルムの写真が年を経るごとに少しずつ色褪せて黄変してしまうように。そんな過去の記憶に翻弄されている自分は男として情けないと思った。見えない誰かにそれを指摘され嘲笑されるのが怖かった。その後勢いで結婚し子どもをもうけてからも、誰が見ているというわけでもないのに、それを悟られないように慎重に生活をし大胆に仕事にのめり込んだ。
羽田行きの飛行機はとうに富士の上空を過ぎ行き、もうすぐ神奈川だったが龍一はまだ過去と現在の思いに耽っていた。
そして四十を過ぎた今、俺は二十も離れた恭子とつきあっている。下手をすれば親子ほどの開きがあると言えなくもない。あの恵比寿の夜以来もう何度も肌を重ねて来た。しかしお互い独身なのに普通と違うつき合い方をしていた。それは土日の休日は龍一の娘の少年野球チームへ行ったり溜まった家事をこなしたりで、恭子とは一度も休日のデートをしたことがないことだった。これについては恭子は口に出さないまでも少し淋しい思いをしていることは明白だった。社内でも1、2を競うほどの奇麗な子で性格も良く、当然男性社員からも人気があり、龍一が恭子本人から聞いただけでも、数人からのかなり熱いアプローチがあったらしい。同じ設計部の信介もその一人だった。それでも龍一は不思議と嫉妬心は起きなかった。それはすでに恭子は自分のものになっているという優越感からの余裕も確かにあったのだが、恭子のことを独占したいと思うことはないのだった。恭子のような若い女の子はこれからもっと人生を楽しみ笑い、時に苦しみや悲しみもたくさん経験して、もっといい女になるべきだと思うのだった。それには龍一が男のエゴで恭子の交際範囲や行動半径を制限すべきではないと思っていた。もちろん隠れて別の男と関係を持ったならば人並みに激高はするだろうし、悲しみの感情が全身を覆うだろうとは思うのだが。
龍一には恭子との再婚の考えはなかった。それなのにこのまま付き合いを続けることに後ろ髪を引かれる思いがあったのだが、それよりも再婚に対して後ろ向きな一番の理由は、希伊の幻影をいまだに心の中で灯しているからだった。無風状態の暗闇で一本の細い蝋燭が火を灯しているように。もし他人に女々しいと言われようがこればかりは手放すつもりはなかった。あの時代の記憶の写真はどんなに色褪せても処分する気はない。恭子と食事をしていても頭のどこかで目の前の女が希伊だったならと、身勝手な思いに遠くを見る目になることがあった。そんな時恭子は訝(いぶか)し気に表情を曇らせるのだが、あえて龍一に詰問するようなことはなかった。恭子なりに何か感じるところがあるのかもしれない。
そんな過去の女の記憶を捨てきれず、若い子と再婚する意志もないのにつき合うことにある種の罪悪感を覚える龍一だった。付き合いを重ねれば重ねるほど、ちょっとずつ恭子の何かを傷つけてしまっているのではと思うのだった。
宙に浮かんだ風船に横から針を刺すように、龍一のそんな物思いを打ち破ったのは、間もなく羽田に到着するというCAの機内アナウンスだった。
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2016年9月4日日曜日
振り向けば八月の夏
あじさいリーグVS小杉陣屋一丁目子ども会戦である。試合前には監督コーチたちがそれぞれごFベンチまで挨拶に来ていただいた。とても紳士的な印象であった。Ohmoriスコアラー部長によると中原区でも今年は強豪なのだそうだ。確かにシートノックを見ると、内野守備陣に穴はなさそうだ。
先発は小杉.....ん?スコアブック漢字が読めない....長身の○○くん、FはKaito。
両投手の力投でゼロ行進、しかし3回裏ついにつかまり2点先制されるF。
今日も中学生のOBたちが続々遊びに来る。来週は試験だっちゅうに、とんと能天気なヤツらである。OBらとワンコのHana。うちのワンコRinは人見知りするタイプなのでたぶんこうはいくまい。
4回にFが2点を返すもその裏小杉Jは大量5得点し7:2。
最終回表にFは3得点し肉薄(?)するも結果、7:5で小杉Jの勝ち。
気がつけばもう九月なんであった。
八月の夏はうしろを振り向いて初めて背後にあったことに気づく。
ここ数年そうだけれど、6年連合、5年連合、オレンジボール、新人戦と、チームが今日を境に少しずつ緩やかに解体されバラバラになる季節でもある。前向きに捉えればこれも進化の過程の橋を渡ることと解釈したい。
夏の正面から対峙するような太陽とはあきらかに違う、柔らかなちょっと斜(はす)に構えた九月の日差しが、日焼けした子どもらの顔を照らす。心なしか夕方の影も夏の時のそれよりもいくぶん長めに伸びてきたようだった。
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両投手の力投でゼロ行進、しかし3回裏ついにつかまり2点先制されるF。
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4回にFが2点を返すもその裏小杉Jは大量5得点し7:2。
最終回表にFは3得点し肉薄(?)するも結果、7:5で小杉Jの勝ち。
気がつけばもう九月なんであった。
八月の夏はうしろを振り向いて初めて背後にあったことに気づく。
ここ数年そうだけれど、6年連合、5年連合、オレンジボール、新人戦と、チームが今日を境に少しずつ緩やかに解体されバラバラになる季節でもある。前向きに捉えればこれも進化の過程の橋を渡ることと解釈したい。
夏の正面から対峙するような太陽とはあきらかに違う、柔らかなちょっと斜(はす)に構えた九月の日差しが、日焼けした子どもらの顔を照らす。心なしか夕方の影も夏の時のそれよりもいくぶん長めに伸びてきたようだった。
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2016年9月1日木曜日
建築の神は細部に宿る
「はあ〜、なんだかなあ〜」
今サッカーを観終わってため息を吐き出す筆者。UAEに前回に続き圧倒的優位に立ったゲーム展開にもかかわらず2−1の負け。あからさまな時間稼ぎでピッチに倒れ込むUAEの選手がいると、筆者はTV画面から引っ張り出して、カメムシとゴキブリとタガメを口に放り込んでTV画面に戻してやりたくなる。最終予選初戦を落とすとW杯本戦には行けないというデータがあるんだそうな。しかし、ならば、その忌まわしい呪縛を今大会のこのチームが破壊してやれば良いではないかっつうの。本田が言っていたが、あとの全部を勝つ気持ちで前向きに頑張って欲しいぜよ。本戦には絶対行くぞ。こんなところで下を向いている場合じゃない。それにしても「中東の笛」とまでは思わないがしかし「中東の笛」だと糾弾されてもおかしくないほどの、限りなく「中東の笛」に近い「中東の笛」ではあった。
さてまさかこんなに帯状疱疹が長引くとは思わなかった。見た目は赤いぽちぽちが残っているものの、ほぼ治ってきている。しかし右胸の奥のほうが灰色の曇り空のようにどんよりとしており、納屋の隅に落ちていた10年前の錆びたボルトを飲み込んだような痛みがまだ残っているんであった。
とは言え、昨日所用があってついでに市ヶ谷へ行ってきた時の写真ブログをアップしちゃう。
その前に先日の台風一過の空に掛かった虹の画像。右胸の奥のほうにある灰色の曇り空のようなどんよりとした空に出現し、ほんの2,3分ほどで消えた。
市ヶ谷にあるDNP(国内超大手印刷会社)の一階フロアを改装する仕事があった。既存スペースの床と天井を残してあとの什器などを新規にリニュアル。但し筆者は黒子で詳細図を作成する立場。0コンマ何ミリ単位で各種図面をCADで描く。十数枚の図面作成とその修正で延べ数ヶ月間。デザインは別途設計事務所の仕事。物販と書店とカフェなどのワークショップ複合施設。※撮影は商用目的ではないのでスタッフに承諾をもらってiPhoneで撮影。
カフェカウンターのバックにあった壁面。この部分は既存のままである。
このちょっとピカピカ光る金属質のグレイの壁にはディスプレイのためのBOXがあるんであるが、その周りの詳細を見てほしい。
「活版印刷」の文字群なんである。
昔の新聞などはこれで組版して元になる原稿を作り製版、インクをつけて輪転機を回し印刷していた。やがて時代は写真植字(写植)になり、更にパソコンとデジタルフォントが登場しDTPとなって今やデジタル印刷が当たり前になった。
なんかこういうアナログな時代の遺産を見ると嬉しくなっちゃうのだった。
「希み」の「希」、「希望」の「希」、「希伊」の「希」があったのでアップで撮影。
「建築の神は細部に宿る」と言ったのはフランク・ロイド・ライトと共に有名なミース・ファンデル・ローエの言葉。
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今サッカーを観終わってため息を吐き出す筆者。UAEに前回に続き圧倒的優位に立ったゲーム展開にもかかわらず2−1の負け。あからさまな時間稼ぎでピッチに倒れ込むUAEの選手がいると、筆者はTV画面から引っ張り出して、カメムシとゴキブリとタガメを口に放り込んでTV画面に戻してやりたくなる。最終予選初戦を落とすとW杯本戦には行けないというデータがあるんだそうな。しかし、ならば、その忌まわしい呪縛を今大会のこのチームが破壊してやれば良いではないかっつうの。本田が言っていたが、あとの全部を勝つ気持ちで前向きに頑張って欲しいぜよ。本戦には絶対行くぞ。こんなところで下を向いている場合じゃない。それにしても「中東の笛」とまでは思わないがしかし「中東の笛」だと糾弾されてもおかしくないほどの、限りなく「中東の笛」に近い「中東の笛」ではあった。
さてまさかこんなに帯状疱疹が長引くとは思わなかった。見た目は赤いぽちぽちが残っているものの、ほぼ治ってきている。しかし右胸の奥のほうが灰色の曇り空のようにどんよりとしており、納屋の隅に落ちていた10年前の錆びたボルトを飲み込んだような痛みがまだ残っているんであった。
とは言え、昨日所用があってついでに市ヶ谷へ行ってきた時の写真ブログをアップしちゃう。
その前に先日の台風一過の空に掛かった虹の画像。右胸の奥のほうにある灰色の曇り空のようなどんよりとした空に出現し、ほんの2,3分ほどで消えた。
市ヶ谷にあるDNP(国内超大手印刷会社)の一階フロアを改装する仕事があった。既存スペースの床と天井を残してあとの什器などを新規にリニュアル。但し筆者は黒子で詳細図を作成する立場。0コンマ何ミリ単位で各種図面をCADで描く。十数枚の図面作成とその修正で延べ数ヶ月間。デザインは別途設計事務所の仕事。物販と書店とカフェなどのワークショップ複合施設。※撮影は商用目的ではないのでスタッフに承諾をもらってiPhoneで撮影。
カフェカウンターのバックにあった壁面。この部分は既存のままである。
このちょっとピカピカ光る金属質のグレイの壁にはディスプレイのためのBOXがあるんであるが、その周りの詳細を見てほしい。
「活版印刷」の文字群なんである。
昔の新聞などはこれで組版して元になる原稿を作り製版、インクをつけて輪転機を回し印刷していた。やがて時代は写真植字(写植)になり、更にパソコンとデジタルフォントが登場しDTPとなって今やデジタル印刷が当たり前になった。
なんかこういうアナログな時代の遺産を見ると嬉しくなっちゃうのだった。
「希み」の「希」、「希望」の「希」、「希伊」の「希」があったのでアップで撮影。
「建築の神は細部に宿る」と言ったのはフランク・ロイド・ライトと共に有名なミース・ファンデル・ローエの言葉。
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2016年8月29日月曜日
小説「月に雨降る」21
「と、いうわけで本日のプレゼンは以上になります」
龍一と信介が交互に設計内容を説明し、最後に孝雄が引き取り言った。これに対してクライアントの営業本部長が返した。
「鈴木部長、前回プランと今回のプランでの相違点をポイントだけに絞って簡潔に説明してもらうことは可能でしょうか?」
「ええ、もちろんです。二人の説明は若干分かりにくい専門用語が多かったですかね」
鹿児島的な言い方で営業部長が言った。
「ですです」
鹿児島天文館近くに居酒屋とカフェとアクセサリーショップの複合店舗を新築するため、更地にビルから建てようとする計画があり、建築は地元の大手建設会社で施工、内装設計は東京T&Dの孝雄たちの会社がデザインコンペを経て受注したのだった。クライアントは地元では「不動産王」と呼ばれる飲食店舗やネイルサロン、美容室、物販店舗など、本業の不動産業以外にもいくつも店舗展開している会社だった。オーナーは孝雄とほぼ同年代の二代目社長、高須磨(たかすま)という男だった。高須磨はこの業界のやり手経営者にしては珍しくビジネスでは非常に聡明で時には辛辣な意見や指摘を発言する反面、それ以上に人間的な付き合いを大切にし、何よりも楽しく笑うことが大好きな男で、打合中に下ネタやオヤジギャグで座を湧かしたりするのも得意だった。社員にノルマを課したりトップダウンで雷を落とし従業員を震え上がらせたりするような、いかにもありがちな経営者とは対極にある経営者で、幹部や社員たちからも慕われ信頼されていた。それゆえに経営者と従業員との距離が近く、周囲をイエスマンばかりで囲われた裸の王様的な社長がいる企業のように動脈硬化が起きることもなく、社員が高須磨に向かって素直に進言出来る社風のために血流サラサラの風通しの良い会社であった。
T&Dとはすでに東京と鹿児島で7回ほど打合を重ねてきており、そのたびに夜は酒席を設けて龍一たちをもてなしてくれるほど昵懇(じっこん)の仲になっていた。龍一はもちろんのこと孝雄も信介もこの人間味のある飾らない高須磨という男のいちファンになっていた。この社長の夢を叶えてあげたいと損得抜きに思うまでになった。
プレゼン後高須磨が言った。
「神島さん。この平面図の左側は個室で構成されとるよねえ。右側はオープンな客席になっちょるけど、いっそ全部個室にしたらどげんじゃろか?」
「東京には100%個室だけで構成されてる居酒屋もありそれなりに人気がありますが、ここの場合客席数と減価償却とを鑑みたときに、客単価と回転率から想定してオープンのボックス席も絶対欲しいところです。むしろこのスペースがあるからこそ個室の価値感がアップします。個室ばかりですと客単価の見直しをしなきゃいけないですよ」
なるほどと得心顔の高須磨の表情を見て龍一はニヤリとしてとどめを刺した。
「社長。個室にはあまり固執しないほうが良いかと」
一瞬座が凍りついたかと思ったがそれは龍一の高尚な漢字のダジャレのために、一同理解するのに若干の時間を要したためだった。信介が助け舟を出すように言った。
「うっわ出ましたっ、神島さんのダジャレ」
総勢18名ほどの会議室は一斉に和み、高須磨も破顔一笑、会議室の外へ向かって大声で叫んだ。
「お~い、山田くん。神島さんに座布団三枚持って来て」
予定では午後一からの打合でその日の夜の便で日帰りするという強行軍だったが、飛行機が嵐で大幅に遅れたため夕方からの開始となり、当然鹿児島で一泊することになった。高須磨は今日は予定があると言って運転手付きの深緑色のジャガーで夜の街へ去って行った。龍一たち三人は天文館の繁華街をぶらつきながら、適当な居酒屋で今後の打合を兼ねて遅い晩飯をとった。仕事の話は最初の30分だけであとは男同士の四方山話で盛り上がった。途中龍一の電話に恭子から着信があり、あとでかけ直そうと無視していたら5分後にまたかかってきた。仕方なく出ることにした。
「あっ、もしもし神島です。お久しぶりですね、村井さん」
と言って村井の名前をダシに使って孝雄たちの目をごまかし、指を耳の穴に当てながらいかにも喧噪から逃れる風を装い、席をはずし店の外へ出た。急遽鹿児島で一泊することになったのは孝雄からの報告で知っていた恭子だったが、直接龍一からは連絡は入れてなかった。息子と娘のグループLINEには簡単に事情を説明し、今晩は帰れないことを伝えてあったのだが。
「恭子ごめん、連絡出来なくって」
「もう、心配したんだからね。嵐で大変なことになったって聞いてJALに問い合わせちゃったわよ。それから明日朝の帰りの便を手配したり、孝雄さんに頼まれてパソコンで今晩のホテルを三人分予約したり、それとは逆に渋谷のあの店キャンセルしたり」
「あっ、渋谷か」
「えっ、忘れてたの」
「やっ、忘れちゃいないけどさ」
「うっ、マジですかリュウさん」
龍一と恭子が男と女の関係になって龍一は恭子と呼ぶようになり、恭子もタメぐちで話すようになって龍一のことをリュウさんと呼ぶようになっていた。会社では今までどおり何食わぬ顔で上司と部下で通した。互いに独身なので世を忍ぶことはないのだが、龍一の家庭の事情や恭子との年の差を考えれば、やはり社内では内密にしておきたかった。恭子はむしろオープンにしたかったが、龍一が絶対秘密にしておこうと約束させたのだった。それに二人だけの秘密を共有することは、どこか淫靡な愉しみもあった。その点は恭子も同じだった。
「渋谷のあそこ、今日しか予約取れなかったのに。まあ、東京に戻れなくなったのはリュウさんのせいじゃないけどさ」
「ごめん、渋谷はまた今度。約束するから」
そこは東急電鉄系ホテルの夜景が奇麗な高層階にあるバーで、週に二回ほど著名なジャズバンドが出演し生演奏と酒が楽しめる大人の穴場スポットだった。龍一はジャズにはさほど興味がなかったが恭子が是非行きたいというので、予定どうりだったならこの日の夜は羽田に着いたらまっすぐ渋谷へ向かい、恭子と待ち合わせを約束していたのだった。職業柄インテリアデザインにも興味があったので楽しみにしていたのだった。
「今どこなの」
と言う恭子に対して龍一は答えた。
「うん、孝雄さんと月地と三人で飯食ってる、居酒屋で」
「月地さんが一緒ならこのあとはアレね」
「いやあ、どうだろアイツ、今日は疲れているみたいだしなあ」
恭子の言うアレとはキャバクラのことだった。月地はガールフレンドがいながら無類の女好きで、また逆にルックスも良いし頭も切れるタイプだったので女たちからもかなりモテた。店に戻り新しいビールを頼もうとすると、それを制して信介がにっこにこしながら言った。
「神島さん、ここ出て次、アレ行きますよ」
男数人で泊まりの地方出張ともなれば、勢いそういった店に繰り出すのは世の常だった。世間の女性が目くじらを立てるほど、男たちにはそれほどの罪悪感がない。昔のスナックが現代ではキャバクラになったくらいの軽いノリだった。龍一は営業職などに比べて出張などそう多くはないが、飲み屋の女の子と話していてその地方の方言やイントネーションで話す子が好きだった。
繁華街を歩きながら一軒の店へ入り、三人ともそのままぐでぐでになるまで飲み、恭子が取ってくれた天文館近くのビジネスホテルにたどり着いたのは、午前三時をとうに回っていた。
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