2020年2月6日木曜日

有馬フレンズ40周年記念式典

いよいよ有馬フレンズ創立40周年記念式典・祝賀会ブログなんである。写真は約400枚ほど活写した中から80枚、更に厳選70枚。ここから更にブラッシュアップしようと思ったけれど、やめた。10年に一度の周年行事だもの、思い切って大量掲載しちゃうのである。長いのでこのブログを見る前にトイレを済まし、ポップコーン片手に当館の銀幕をご覧になることを推奨したい。

場所は溝の口KSPホテル大ホール。実行委員ほかメンバーは前乗りして入念な準備と打合。過去の写真パネルや応援Tシャツなど展示。


式次第は至ってシンプルであるが、通常と違うのは記念のDVD上映を途中に挟まずに、いきなり式典の冒頭に持ってきたことであった。客電が落ち暗転す。
最初のシーンは記念誌座談会で撮ったKaneda顧問からのメッセージ動画で始まり、最後にYanagisawa代表で締まるのであった。

制作はフレンズOBのWakamiyaさんに白羽の矢が立って快諾を得、完成。写真は記念誌にも掲載する過去の写真など膨大な量から使ってもらった。相当な苦労があったであろうことは想像に難(かた)くない。

明転し、ここで初めて場内にアナウンスがある。しかもとびきり美人で伸びやかな美声の持ち主である。女優、声優、モーションアクターなどを生業とするShibai嬢であった。

開会の挨拶は実行委員長のSatohから。昨年春から実行委員会を立ち上げ、各チームに分かれてそれぞれの責任分担を果たしてきた。夏の野球がピーク時には月イチの委員会もすっ飛ばしてきたが、年末から年が明けてバタバタの状態でなんとかこぎつけた今日なんであった。実行委員会へ針をチクリと刺す筆者の老婆心は無駄になったかどうかは今となってはどーでも良い。ちなみに会場内が広いために、Satoh始めスタッフ4名がレンタルのインカムで連絡を取り合いながら進行したんである。

Yanagisawa代表挨拶なんである。「フレンズレジェンド」というタイトルで記念誌でも座談会の模様を収めている。40年間のフレンズを支えてリードしてきた。おそらくこの人がいなかったら今のフレンズは全く違ったチームになっているか、あるいは存在すら危ぶまれていたかもしれない。今日多くのOBやOB親たちが参加してくれたが、それは代表の求心力の賜物であろうとも思うのであった。実行委員会でも代表のためにも盛大な良い式典にしようとの思いもあって、分相応に身内だけでこじんまりとやるよりも、いっそ盛大にやっちゃえとなったんである。

齢(よわい)76歳ながら見てくれ、この長身痩躯(そうく)のシュッとした立ち姿。本人は謙遜して最近は腕が鈍ったと言うが、筆者の目には今でも正確無比の「神ノック」は健在なんである。

このあと代表には内緒のサプライズ。功労者表彰として記念品を贈呈。もう一人のレジェンドKaneda顧問は重要な用事があり郷里方面へ帰省で本日は欠席。筆者にはこれが実に惜しいのであった。代表ほどではないにしろ筆者も約24年間フレンズに携わってきた身。昔のOBオヤジやOB母に会うと必ず訊かれるのが「Yanagisawaさん元気?Kanedaさんも元気してるの?」なんである。Kanedaさんとほぼ同期間フレンズで過ごしてきた筆者には、この日のフレンズの晴れ舞台を見せて差し上げたかった。

来賓挨拶。敬称略にて失礼。衆院議員、県議、市議の、山際、持田、織田、添田さんの各氏。川崎市長福田さんは止むなく欠席なれど、祝電でFへのその思いを届けていただいた。
※連盟Matsui会長にも挨拶いただいたのだが、こちらも外せない用事があり、会の終盤に遅れて来場、ご挨拶いただいた。なので写真の時系列は少し違うけれど掲載。

乾杯の発声はご存知鷺沼ヤングホークスのこれまたレジェンド、代表Kurosuさん。Yanagisawaさん同様、Kurosuさん抜きではヤングを語れない存在である。いつものような軽妙なアイロニーの効いた話はなく、イキナリの乾杯発声であった。これもまたKurosuさんらしいではないか。筆者大慌てで壇上へ駆け上がり踵を返し、場内を振り向きざまシャッターを切る。

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さてすでに長くなってしまった。まだ用を済ませてない方はトイレへ、ビールとポップコーンのお代わりを欲しいお客さんは、当映画館内の売店でお買い求めくださいまし。ここからまだ長いんである。
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会はやっとご歓談下されましなんである。ここからは今後の記録のためのフレンズ報道班(カメラとビデオ)が勇躍する。筆者は記念誌とこの広報ブログのために遊撃態勢に入るのであった。和気藹々と旧交を温めるOBやOB家族の面々。筆者は自宅から小型の脚立を持参して、低空飛行しながら上から俯瞰した絵が欲しく各テーブルにレンズを向けた。その際にたまたま離席している人は撮れていない、許されたし。更に筆者のAテーブルはホスト役員席でほとんど人がいなく、また現役オヤジOテーブルも撮影が漏れてしまったので悪しからず。大体ずっと立ちっぱなしだったFのスタッフは写っていないことになる。
一挙掲載。来賓、OBおよびOB家族、現フレンズ。代表や顧問、筆者などと苦楽を共にし、長年フレンズを支えてきたYanagisakiファミリーは特別に2枚掲載しちゃう。





年代とその性格によって様々なOBたちがいた。多分どこのチームでもそうだろう。「おいおい、おまえらEXILEか?三代目Jソウルかよ?」とカメラを向けながら揶揄する筆者。写真は一部OB母Fukaeさんにも提供してもらった。紅一点のHarukaが野郎軍団の中で輝いている。Fukaeさんの写真で写真右奥でダビデ像のように脚立に屹立(きつりつ)しているのは筆者。安心してください、穿いてますよ。

毎年卒団式でも同様だが、筆者はビール2,3杯と目の前にあった料理の皿、ふたくちしか口にしていない。ベストショットを求めて多忙を極める遊撃なんであったのだが、ここで更に余興であるパーカッションライブが始まったのである。実はこれが本日の式典の命運を左右するほどの展開になるのであった。昨年、実行委員会でSatoh委員長から提案があった時は、正直「是か否か」どちらに転ぶだろうかと懸念したんである。あえて懸念を表明しないで良かったと今にして思う。想像の100倍も良かった。
埼玉県和光市を本拠として今年で9年目の活動をする、サンバをベースにしたパーカッション軍団のRisoさんであった。最初は見事な演奏に唖然と見守る会場。

やがて会場全体がその見事なリズムとパフォーマンスに魅入られていく。コンサートやライブに行く人なら分かると思うが、CDで聴く音と、現場で聴く大音量のライブ感は全く別物だ。やがてフレンズの子どもたちもステージへ駆け登って行く展開に。副会長Ogasawaraさんの誘導でFの子どもらが、どんどんわらわら、ギュンギュンギュルルル、大いに盛り上がる。


ラグビー日本代表堀江氏的ドレッドヘアー的リーダーのマイクパフォーマンスも冴えて会場は大盛り上がり大会。一旦子らは後方へ退いたのだが一度火がついた体はいまだに消えておらず、体が勝手に動く始末であった。フレンズ報道班の美人妻Aokage母が筆者のカメラにピースサイン。またKonno父などは往年のポール・ニューマンを彷彿とさせる渋い系イケメンオヤジだ。

更に盛り上がる演奏パフォーマンス。ブラジルやアフリカの太鼓のリズムは不思議と人を高揚興奮させる効能があるものだ。グリム童話ブレーメンの音楽隊に引き寄せられるみたいに、Risoメンバーの一人が「子どもたちこっちおいで〜」の一声で、フレンズ軍団はもう一度嬉々としてステージへ。
三代目Jソウル?いやEXILE SECOND From EXILE Tribeからネスミス的OB、Dazaiも参戦。Risoリーダーは「いつの間にか新メンバーが加入しました!」とノリノリの臨機応変のアナウンス。筆者は周囲に「●●県の成人式かよ!」と茶々を入れつつも破顔一笑。

周囲から押され、OB、Kazuのサポートにてついに代表までがステージへ。いい意味でパンドラの箱を開けたような大騒ぎ。鼓膜を破るような大音量がむしろ心地良い。Kimiちゃん始め、ShinoちゃんやKeiちゃん、Fukae、Natsuki母の年代が常にノリノリで会場を盛り上げる。レンズを通して彼女たちを見ているとあの頃が実に懐かしい。

興奮の坩堝(るつぼ)と化した会場もそろそろ終焉を迎える。
一本締めはF事務局Nakamuraさん。五人の子どもをフレンズに輩出した、かつてないほどの最長不倒距離多産系の記録を持つ、かつ強靭の腰も併せ持つオヤジである。(失礼!)

いわゆる「祭りのあと」は物悲しい空気感を漂わせる代名詞である。しかしこの祭りのあとは更に盛り上がったわけで。OBたちなどが別れを惜しむようにカメラに収まる。そんなOBたちが気軽に集まれるチームフレンズの空気感が、実は筆者のこのチームの自慢でもあるわけで。
見事に司会を務めてくれたShibaiさんと、少しは肩の荷が降りたであろう大任を見事に全うしたSatohくんとのツーショット。なんかこの二人実にお似合いではないか。邪推ながらそう詮索するのは筆者だけだろうか。そうこうしているうちに、いつの間にかNakamuraオヤジも割って入る展開。鼻の下がいつもより37mmほど垂れ下がっていた。

ほぼFのOB同窓会と化した会場。実にいい光景であった。紅一点のOG、HarukaはQueensのOGでもあり、QのMurataさんとツーショットも。

来賓がお帰りのあと、記念誌に掲載するワンショットを撮るために集合写真を撮影。
今回OBで最年長は2期生のSatoh、Babaの両氏。あれから40年。すでに50歳を過ぎた年齢である。Satoh、Itoh、Shohtaの今のOB含めて来場の全てのOBOGと代表Yanagisawaさんとの特別なショット。

盛り上げていただいたRisoと現役選手とのコラボ集合写真。実にアリガトサンキューなんである。皆様、Risoさんの出演オファーについてはまずはSatohくんまでご一報を。

そして連綿(れんめん)と繋がるフレンズ総出演、オールスターの一枚。これは本日2/5の東京新聞朝刊にも掲載された一枚だ。

筆者は次の10年後の50周年、フレンズにいるかどうかは神のみぞ知るわけであるが、そんな自分のことはどーでも良くて、有馬フレンズがこの先も元気に素敵に存続することを願ってやまない。
全てのフレンズ関係者、OB、OB家族、来賓の皆様に感謝の一日であった。
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以下、フレンズ広報部長、記念誌制作チームから業務連絡的メッセージ。
記念誌はこの日の模様も包含(ほうがん)した上での編集となる。式典委員会はこれで幕となるが、記念誌委員会はここからが正念場のラストスパート。「画竜点睛を欠く」であってはならない。最後のピリオドを打つのは記念誌の発送完了後と己に叱咤激励。記念誌の配布はまたフレンズ全員の手で遂行しなければならない。現在この日の式典用に4ページ分を空けてある。3月下旬の刊行予定。筆者のフレンズ最後のご奉公、集大成的な仕事になるはずだ。記念誌がお手元に届いた暁には、ゆっくりページを繰って欲しいと思う今日この頃なんである。更に自分的にはこの時期、フリーランサーには地獄の確定申告もあるっちゅうのに。
まいっか、Let it be為すがままに、Let it goありのままに。
※今回は「晴耕雨読」ブログ史上稀に見る長文にお付き合いくださり、感謝いたします。
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