2016年12月12日月曜日

冬のルーティンワーク

本日日曜は有馬子ども会と練習試合で、午後は西有馬ドームなんであった。その昔、筆者がフレンズに入った頃は、フレンズのメイングランドは毎週西有馬で、有馬小はほとんど使わずサブグランド。子どもも9割くらいは西有馬小だった。有馬子ども会は有馬小と子ども公園をメインにし、有馬小の子が多かった。今の若い父母らには知らない歴史があるんである。それがかなり前から全く逆転し、フレンズは有馬小、アリコは西有馬といった形勢になったんである。(その要因と経緯についてはいろいろあるのでここでは述べない)するとどうしても部員数に差がでてくるわけで。各学校の小学生の人数がそのままチームの人数に反映されるわけだった。(一概には言えないけれど、飽くまでも一般論)

ちょっとだけ顔を出したので写真を3枚だけアップ。実際は54枚撮ったのだったけれど。
試合中Sakiが日本中の澄んだ冬空にキャンキャン響き渡るような笑い声をあげる。日本中を元気にしてくれるような。冬眠しかかった北海道の熊さんが覚醒しちゃうような元気な笑い声であった。

冬の空、冬の日射し、冬の風。

このあと来週に迫った「6年生を送る会」で贈る写真立てに入れるプリンタ用紙を買いにコーナンへ。筆者、ホームセンターと100均ショップと文房具店と本屋が大好きなんである。行くと目的のモノの他に必ず他のナニかを買ってしまう悪いくせがある。コーナンでは電動ドリルなんか見ていると使わなくても欲しくなってしまうんである。電動ドリルは既に持っているのでもう買わないけれど、先日はロボコップのようなデザインのカッコいいメジャーがあって安かったので衝動買い。(高かったら買わないところがちょっと哀しい)商売柄メジャーは必要なのだが、家にはこれでもう5,6個くらい保管している。日本を測量して回った伊能忠敬に2,3個くらい無償で差し上げたいくらいだ。高級文房具店のガラスケース越しに見る万年筆なんかもう垂涎(すいぜん)ものである。1冊の本を求めて入った本屋にはほぼ30分から1時間以上遊泳することがしょっちゅうある。そのうちなぜかトイレに行きたくなるのは「本屋好き」の昔からの「あるある」なんである。

帰宅後写真立ては無事完成。今年は6年生が二人しかいないので楽だった。昨年は10人いたので10個の写真立てを制作するのにとても難儀したものだったけれど。一年間の彼らのベストショットを何枚か選ぶだけでも非常な労力を要する。何千枚の中から打撃シーン5,6枚に絞って最後に1枚選ぶ。そのあと守備のシーンでまた同じ作業などの繰り返し。...なんとかこれらも本日終了。
あとは当日の成績発表のためのA1サイズの用紙を作らねばなんである。今年はだいぶ前から準備していたので徹夜はしなくて済みそうだ。数年前まではスコアブックの年間集計からExcel入力、編集加工、印刷、製本まで一人でやっていた。当日が迫ると必ず徹夜していた。今思うとあな恐ろしや。近年はスコアラーとスコア集計をチーム内で分業制にしたのでとても楽になった。今またアレを一人で全部やれと言われたら、速攻フレンズを辞職してマスコミ各社に直筆のFAXを送信し、すぐに荷物をまとめて東南アジアへ逃避行するに違いない。「少年野球界でこれ以上耐えられません」と。

毎年「送る会」では母たち手作りの色紙が贈られる。卒業生からコーチたちへ。コーチらから卒業生へ。更に在校生から卒業生への3種類。昔はご多分に漏れずあの四角い色紙に持ち回りで一人ひとり書いていったものだったが、いかんせん時間がかかり過ぎるんである。コーチたちで回して書くと9月くらいからやらないと完成しないのだった。いつも特定のオトナのところで滞ってしまう。
「○○コーチ、色紙書いて持って来た?」
「アッいけねえ、忘れた。来週持って来るわあ」的な。翌週も忘れるのは火を見るよりも明らか。焦るのは当時の母担当なんであった。
しかし時は流れて現代は、一枚の色紙にそれぞれが小さな紙に書いたものを貼り込んでいる。そのちいさな丸い画用紙には母たちの刺繍やら送り主の顔写真が付帯するんである。この顔写真シール制作も筆者の仕事なんであった。このために10月ころからコーチや子どもらの写真を撮るわけで。
そのA4サイズのシールをアップしちゃう。ちなみに筆者は年齢からして、もしや同年代の連盟副会長2480氏やアラガネーゼAragane氏と間違えられるのはとても不本意なので、一応断っておきたい。
下の段の黄色いトレーナーに黒パーカーを着たエロオヤジ、ちゃうちゃうヒゲオヤジが私なんである。

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2016年12月9日金曜日

Q姫たちのChristmas

さて今年もQueensのクリスマス会なんであった。その土曜日、筆者はフレンズ仕事が切羽詰まっており、なんとか目鼻をつけて終了、だいぶ遅れて到着、残りあと1時間しかない頃なんであった。なので写真は少ないし、ほとんど経緯は分からないんである。

JAに到着すると遅れたことを詫びてビールで皆と乾杯。すると隣からフォルコンズで見かけたことのあるSachiko父が握手を求めて話しかけてきた。こういうとき外国人はおしなべて社交的で初対面でも気持ちよく接してくれるんである。日本人はどうしても良く言えばシャイ、悪く言えば引っ込み思案なのだった。筆者は昔、日本にスコットランド人の友人夫婦がいて親しくつき合っていたので、相手が外国人でもあまり気後れしない。英語はカタコトではあるけれど、中学英語でも直感的に話せばおおよそニュアンスは伝わることを学習していたんである。難しいのはヒアリングである。Jeffがにっこり話しかける。
「How do you do?」
「Fine Thankyou、and you?」
という教科書的なイントロを経てのち、しばらく英語で会話をしたのだった。英語圏の人と会話をするのは何十年ぶりだろうか。互いの名前の紹介から、Teshimaさんの英語はうまいね、いやいや自分の英語はめっちゃ下手だよ、英語を使う仕事をしとるんかい?うんにゃ設計デザインの仕事だわさ、いやあずっと英語を使ってるように見えるぜよ、そんなこたあないよ中学高校でしか習ってないし、ところでTさんはくぃーんずのコーチなのかい?ちゃうよ、ええとね.....。と、ここまで英語で。
ここでやっと「広報部長」を英語でなんと言うのか言葉に詰まってしまった。
そばで会話を聞いていたYamaguchiさんやSatohさんに訊いた。「広報か,,,あっPR!」と助け舟を出してもらったのだった。PRはパブリックリレーションの略である。

ところがJeffは実は日本語が達者なんであった。そのあとからは主に日本語での会話になった。個人情報があるのでどこまで書いていいかわからないけれど、アイルランド系カナダ人で、複数の大学で英文科の教鞭をとる仕事をしており、また翻訳の文章を書く副業もしているということで、筆者とウマが合ったんである。フレンズの名刺を出してブログを書いてることも伝えた。もう日本に来て20年になるとのことだった。どおりで日本語がうまいわけであった。実に気持ちのいい人柄で気さくなナイスガイなんである。

さてそんなこんなで、子どもたちは楽しくゲームに興じていた。例によって途中からカメラを持って遊撃に出動。

母たちが一生懸命考案したゲームである。子らを何チームかに分けたのに加えて最後のプレーはオトナが加わってやるもの。ピンポンを小さな手桶に投げ入れるとか。これ、以外と難しいらしい。大トリはJeffだった。オトナもことごとく失敗したプレーだったが彼は2発も投入に成功し、皆から拍手喝采なんであった。

次はオタマにピンポンを乗せてリレーするゲーム。これには筆者も加わることに。Kuuがやって来た。
「Teshimaさん、うちのチームに入って下さい」
うら若き美少女に上目遣いに懇願されて嬉しくないオッサンがどこにいるだろうか?
「おっし、やろっか。どうやるの?」と訊いたら、めっちゃ丁寧に説明してくれた。


クリスマスと言えばプレゼント交換会。子らは連絡網であらかじめプレゼントを各々持ち寄って来ている。みなでジャンケン大会。なぜか野郎たちは端っこでタイマン勝負。

更に監督Koshimizuさんから、なんとQ母たちへのプレゼントがいくつも用意されていたのだった。宮前Queensの誇る美人妻たちが大集合、監督とジャンケン大会。これだけ母らが一堂に会してワンショットに納まるのは滅多にないことだ。


愛娘と仲のいい親子のツーショット2枚。
Yoshikawa母子とSachiko&父Jeff。(これまた美人母のSachiko母は事情がありカナダへ行って不在だった)
うわあ〜、筆者の娘が小学生でフレンズしていた頃のことを思えば羨ましい。当時の筆者は昭和のオヤジたるもの、娘とデレデレするのはカッコ悪いという日本人的既成概念や照れがあったのだろう。今となってはちょっぴり羨ましいと思ったりしちゃうのだった。時計のネジは逆回しが出来るけれど、時代の針は昔に戻せない。実に微笑ましいショットであった。

会長も6年生とゴキゲンなショット。

来年のお別れ会DVDのためにもここは一発集合写真を撮らねばなんである。
久々にフォトショップで加工してアップ。
どこの少年野球チームでもそうだけれど、母たちの懸命な企画と準備に感謝。

このあと、前述ブログのように駅前のカラオケBOXへ大勢のQ姫らとオトナが繰り出した。

JA鷺沼支店から俯瞰する駅前のロータリーには、恒例のクリスマスイルミネーションが、今年の師走を人々に知らしめるように明滅していたのだった。

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2016年12月6日火曜日

最後の試合

以前はよく子どもたちも含めた祝勝会や、飲み会などやったものであるが、今年はとんとその数は減少しちゃったわけで。そこで母たちからの提案で「オレンジボール&新人戦お疲れさま会」が催されたのだった。すでに先週の日曜の話ではある。
フレンズ御用達の居酒屋で部屋はふたつ予約。片方は子どもら専用、もうひとつの部屋がオトナたちで。
パンカーイ、なんである。

このあとずんずん、どこどこオトナたちが増えていき、また減っていき、それでもわいわい、がやがや久々の飲み会は盛り上がるのだった。
....中略。てゆーか、お開きの時間。子らを全員こっちへ呼んで一人ひとりに、抱負を述べよ的スピーチタイム。学年ごとに起立し発表となった。親たちは学芸会に来た時のようにスマホカメラを手にワラワラ集まり見つめる。
「おいっ!Hajime!もっとこっち寄れよ、写真入らないから」
と大声で叫んだのはYukimatsuオヤジ。Hajime(OB中学1年)は知らんぷり。
子らが粛々と抱負を述べ始める。
「えっと、あの、来年は...」
またしても大声で叫んだのはYukimatsuオヤジ。Hajimeはまだ知らんぷり。
「おいっ!Hajime!もっとこっち寄れよ、写真入らないから」
「ボクは今年は...だったので来年は...」
「おいっ!Hajime!もっとこっち寄れよ、写真入らないから」
Hajimeは最後まで知らんぷりだった。

...............
時と場所は急転回する。一昨日の日曜は練習試合、VS有馬子ども会なんであった。試合と言ってもこの時期だ。他のチームでは新体制での練習に黙々と取り組んでいる頃。
アリコは今年6年生が13名も在籍し、年間通じてどうしても試合に出られない子も出て来るわけで。かつてフレンズでも6年なのにレギュラーではなく、試合出場の機会に恵まれない子もいた。他にも同じ悩みを抱えるチームもあるはずだ。そこでアリコさんはそんな子らのためにも最後の練習試合を組んだとのことだった。


うちはたまたま6年は二人だけなので、バッテリーを組ませて交互に投げさせた。


卒業生にとってはこれが小学生最後の試合となる。
途中Q繋がりのAbeさんが来て談笑。上記のような理由を初めて聞いたのだった。



試合のあと、母らが6年生の写真撮影。すかさず筆者もそれに乗じる。
陽気で明るく、人をノセるのがうまいNatsuki母のおかげで、だんだん緊張がほぐれじゃれあう6年二人。今年一年チームを牽引してきたKaitoとTomokiだった。

さて残るフレンズ仕事はまだある。毎年12月はこれで忙殺されちゃうのだった。取引先と個人の年賀状もいつも後回しで、お別れ会が終わってから作るんである。年末近くになって最後にプリンターで出力していると、ハガキが足りなくなったり、インクが切れたり、プリンターの機嫌が悪くなったり、勢い筆者の機嫌も悪くなったりで、ほとほと疲れちゃうのだった。なので3年前くらいから年賀状もCMでお馴染みネットの「プリントパック」で印刷するようになった。
ああ、毎年面倒くさっと思いつつ、今年もそんな季節なんであった。
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