2018年10月21日日曜日

宇宙へ逝く

土曜午前はQueensと花フラの練習試合であった。午後は仕事で帰宅したものの、実際仕事を始めたのは夕刻間近で、己の体たらくには呆れてしまうんである。Q練習試合、写真はあまり撮るつもりはなかったのだが...。

カメラを持ってグランドを睥睨(へいげい)していると、ライト外野である団体が輪を作って集まっていたのだった。
※この光景を良心に照らしてブログに書いて良いものかどうか逡巡したのだけれど、ある理由が芽生えて書くことにする。もし、関係者の方で不愉快に思われたら申し訳ない。
Queensには「外野で風船を上げるイベントがある」との情報しかなかったらしい。
そちらへ打球が飛んで行かないようにと、花フラ父たちがガッチリガードしていた。

男女比はほぼ同数、年代は中年層以上が中心でシニア世代もちらほら。Queens母たちもどういう団体なのか訝(いぶか)しがった。もしや、妙な...と思う向きもあったけれど、それはあとで大変失礼な憶測だったと知ることになる。しかしこの時点では我々にはそれも無理のないことであった。
筆者は小学生の頃、壁新聞を手書きで書いて作っていた「新聞部長」であった。山形市の小学生新聞の最優秀賞を取ったこともある。中学ではサッカー部でありながらガリ版刷りの学校の新聞も作ったものである。ロウ引きの原紙を鉄筆でカリカリ、うっわ、懐かしい。この「晴耕雨読」ブログは今にして思えばそれの延長なのかもしれない。ガリ版新聞のオトナバージョンてか。その好奇心と真実を突き止めようとする、子供じみた「記者魂」がむくむくと沸き起こり、団体の近くへ行ってみたのだった。

どういうわけかワンコたちがやたらに多い。筆者もかつてニャンコを二匹、今はワンコを一頭飼っている大の動物好きである。そのくせワンコやニャンコの種別や知識などには全く明るくない。でも可愛いワンコたちが目の前にいれば思わず写真に納めたくなるんである。

いったいどういう集会なんだろう。「世界平和を願う気持ちを風船に込めて」...みたいな団体なのだろうかなどの想像も膨らむ。そうこうしていると中心で巨大な風船、というよりはバルーンが膨らみ始めた。微かに聞こえる司会者のアナウンスに神妙に聞き入る人たち。筆者はQのOBコーチImanishiさんと少し離れたところから様子を伺っていたのだが、中にはハンカチで目頭を抑える女性も複数人いらしたのである。
「誰かの慰霊祭なのだろうか」と、その涙を垣間見て初めて思い至ったのである。

いよいよ人々の個々の風船が手元を離れて秋の青空へ舞い上がった。単純に実に綺麗で清々しかった。この素敵な光景が綺麗だったのがブログにしようと思った理由の一つである。

小さな風船がほぼ全てが見えなくなった頃、最後にメインの大きなバルーンが大空へ舞い上がった。いやこの場合は、「旅立った」というのが相応しいのかもしれない。団体の人たちは別れを惜しむようにサヨナラの手を振っていたのだった。

Imanishiさんとふたりでオレンジの球体が消えて見えなくなるまで、秋の爽やかな大空を見上げたのだった。望遠で追っても追尾できないほど高く行ってしまった。

.........
このあと偶然団体の中にQのOB母がいて詳細を聞くことができた。
パンフを見せてもらった。「バルーン宇宙葬」なのだそう。
このバルーンには故人の遺骨が粉末状になって入っており、高度40〜50kmの成層圏(宇宙までは行かないけれど)に達した時に、気圧の関係で3,4倍に膨張し破裂するのだという。バルーンも100%エコ素材で自然に還る材料、物理的な検証も済ませて法的に認可を取得した業者が行う新しいカタチの散骨の葬儀だった。パンフによれば基本料24万円。ペットも別料金で可能。お墓の問題や遺族の葬式費用負担など、昨今様々な物議を醸しいろんな葬儀のカタチがあるのは承知しているけれど、それを鑑(かんが)みれば人によっては決して高い費用ではないであろう。

4,5年前に亡くなられた方の「バルーン宇宙葬」であった。
その人物は愛犬と一緒にこの第一公園をいつも散歩するのが日課で、それが縁で愛犬家たちと親しく交流することになり、大きな輪が広がっていった...。第一公園にゆかりのある近隣の方なのだろう。
筆者は他人の葬送をこんなブログに公開することに良心の呵責を感じたのであるが、この人物の「人徳」に感じ入ってしまったのだった。5年も経てば肉親でも故人との繋がりは徐々に希薄となって記憶は風化されるのが世の常というもの。しかしこの方は未だにこんなに多くの人々を集め、5年後でも涙を誘うほどの人徳のある人物であったに違いない。私はそのことに少なからず心を動かされてしまったのであった。そのことを伝える真摯なポリシーがあれば、決して人の葬儀を写真にアップすることは故人、および参列者の方たちの意にそぐわないことはないだろうと判断したのだった。

天高く馬肥ゆる秋。
秋の青空はどこまでも高く、そして蒼く澄んでいた。
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2018年10月18日木曜日

いつまでも、これからも

先々週土曜夜は久々のフレンズ飲み会...という名の、実は代表Yanagisawaさんと顧問Kanedaさんのお誕生会なんであった。母たちは二人には「ただの飲み会」なんて言っておきながらの、実はサプライズのハッピーバースデイなんである。

Yanagisawaさんはほぼフレンズ創立当初からの、Kanedaさんは約20年前からの、フレンズの生き字引、レジェンドなんである。二人のチームへの貢献度はチョモランマよりも高く、チームへの愛は太平洋よりも深い。ここでそれを述懐するには枚挙にいとまがなく、記述するには頁数が足りないわけで。またその常人とは思えぬ若さについては、筆者が還暦になった記念に書いた過日のブログに詳しい。なので、今回はあえて余計な文言は抜きで写真にて。

フレンズ御用達だった有馬の居酒屋が数年前に閉店し、そのあとある程度の大人数で集まれる近所の飲み屋は「むつき」、ここしかなくなったんである。その地下で和気藹々と飲んでいた時、突然店内の照明が消えた。
筆者(おお、いよいよだな...)と思ったわけで。

「ハッピーバースデイ、おめでとう代表、Kanedaさ〜ん!」
と母たちから艶っぽい声。Takahashi母の手にはケーキが載せられていた。
パチパチパチ!と会場から大拍手。

一気にみんな笑顔になる。

母たちからの記念品と手作り写真立て。今年の子らの写真もしっかり入っている。ケーキには「だいひょう」「きんさん」の文字が。歴代の子供たち親たちに愛され、慕われ、尊敬されている証(あかし)である。Yanagisawaさんが少し昔、年齢を理由に監督の時やその後の代表職の時に、若い人に道を譲りたいと職を辞すると言った年は、筆者必死で説得、慰留に努めたことを今でも覚えている。「チームの心の柱であって欲しい」と何度も懇願したんであった。Kanedaさんもやはり数年前コーチを辞めたいと言ったわけで。筆者も周囲も何年も慰留したのだけれど、おん年を鑑みればその心情も理解できるわけで、それでは少しでも肩の荷が軽くなるならばと「顧問」という名義にしてもらったんである。
歯が浮くような照れ臭い言葉を面と向かって言うのは、実にはばかれるものだけれど、ブログで文字にするのなら少しは羞恥心も薄らぐので書いちゃう。

「いつまでも元気で子どもたちとフレンズを見守って下さい」


せっかくなので毎度お馴染み、フレンズが世界に誇る我が美人妻軍団。企画してくれた母たちお疲れさま、アリガトウ(^-^)

.......
さて、ここからは日々雑感的どーでもいいブログなんである。
この日の翌日日曜は午前第一公園へ行き女子の試合を観戦したことは前回書いた。そのあと私用があり新宿プリンスホテルへ。
久々の新宿であった。新宿は筆者が高校卒業後18から21くらいまで濃密な青春時代を過ごした場所である。昼も夜も、表通りを闊歩し裏道を徘徊していた。上京して初めてバイトしていたのが新宿三丁目の英国正統派のパブレストラン。ここは大学生になった中学の時の同級生がわざわざ飲みに来てくれた店でもある。学校を出て次にバイトで食っていたのが歌舞伎町地下三階のパブだった。オーナーに気に入られて21歳でバイト店長になり、社員の入社面接までやっていた。アメリカサンフランシスコのデザイン学校留学という夢のために、朝から晩まで必死で金を稼いでいた時代だった。口髭を生やすようになったのもこの頃からである。
夜、終電の時間を気にしながら仕事を終えて、歌舞伎町の酔っ払いやその筋の業界の人らを尻目に、新宿コマ劇場前の喧騒の街を早足で駅へ向かったものだった。

それがどーよ。先日コマのあった場所を振り返れば超高層ビルが屹立(きつりつ)していた。

よーく見てみるとビルの中ほどに巨大なゴジラが、まるで露天風呂に浸かったひょっこりはんが下界を見下ろすように、ひょっこり顔を出していたんである。ゴジラ完結編の広告なんであった。TSUTAYAで借りて観ちゃおうではないか。世界に誇るニッポンのゴジラ、大好きなんである。

新宿は短かったけれど濃密な想い出が詰まっている。それを語るにはやはり頁数が足りないんであった。そんな想い入れのある地は筆者のみならず、人それぞれ誰のココロにも存在するはずだ。あなたにもあるでしょう?...拙著(てか、出版はしてないけど)当ブログ小説「月に雨降る」の神島龍一の若いころの舞台にもなっている。

三丁目のアルタ前。「しょんべん横丁」へ通じる高架下の通路。ここを抜ければ西口高層ビル街へ行ける唯一の近道なのは今でも同じだ。筆者学生の頃は浮浪者のたまり場で、鼻をつく消毒液が常に側溝を流れていたちょっとヤバイ雰囲気の薄暗い通路であった。
そんな記憶を胸に駅へと向い帰路についたのだった。

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2018年10月16日火曜日

申告敬遠

土曜の午後は仕事して夜はフレンズの代表Yanagisawaさんと顧問Kanedaさんの「お誕生会」なんであった。そのへんの話はまた次回のココロとしたい。今回ブログは日曜午前の第一公園で行われた川崎秋季ジュニアシスターの一戦なんである。ブログ書くつもりは全くなく「ぶらり沿線の旅」的に行ったのでほとんど写真はない。

筆者は昼から新宿へ行く私用があり、その前に第一へ寄って女子の試合を少し観戦しようと思ったんである。たまたまフレンズの輪番でスコアラーはInoueさん、運営はNakadaさんであった。昔2回ほどフレンズ輪番の時に大師球場で公式スコアラーをやったことがあるが、大師の本部テーブルはネット裏ではなく一塁側で、また若干ネットの網目を通して見るのが煩わしい感がある。しかしここ第一公園スタジアムは本塁真後ろで見れるのが良い点である。宮前には他区に比べて正式な野球専用球場がなく、
.........
ちょっと待ってね。
今サッカーVSウルグアイ戦を観ながらの執筆にて、興奮が収まらないんである。
なんとあの強豪ウルグアイに対して現時点でなんと3得点!3:2!
くうううう〜、いいんですか?いいんです〜!
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さて、もとい。
宮前には他区に比べて正式な少年野球で使える野球専用球場がなく、なんとか立派な施設が欲しいと叫ばれて久しい、
.........
ちょっと待ってね。
ヤバイ、すぐに追加点4点目じゃんか、どしちゃったのよニッポン、チャチャチャ、いいぞ森保JAPAN。
.........
さて、もといPART2。
なんとか立派な施設が欲しいと叫ばれて久しい、...かどうかはともかく、第一公園はスコアラーにとってはベストなポジションで判断出来るんである。
カメラはないのでiPhoneにて。

対戦は中原ルーキーズVS麻生シスターフレンズ。
途中からの観戦であったが、手に汗握る白熱の好ゲームであった。同点に追いつき更に逆転すれば、終盤また同点、みたいな展開なんである。しかも両チーム共にレベルが高い。

中でも特筆は麻生の投手Yamaguchi選手の豪速球と、主将Akiyama選手、
.........
ちょっと待ってね。
試合終了!
野球じゃなくってキリチャレサッカー。なんとFIFA世界ランク5位ウルグアイに4:3で歴史的勝利しちゃったんである。いやあ、こんなスコアになるとは思わなんだ。今これを書いてる時点では何も分からないけれど、世界のサッカーニュースが大騒ぎするのではないだろうか。明日朝一番でみるヤホー!ニュースが楽しみである。
.........
ふう、さて、もといPART3なんである。
中でも特筆は麻生の投手Yamaguchi選手の豪速球と、主将Akiyama選手の超強打者のコンビ。このAkiyama選手は第一打席にランニングホームラン、次が三塁打、更に二塁打を放っているのだった。4打席目に回って来たんである。最終回裏同点での場面だった。無死で二塁には走者がいる。一打長打が出ればサヨナラ、それがもしシングルヒットならば男子でも滅多にお目にかかれないサイクルヒット達成という場面。息詰まるシーンであった。中立な立場から言えばサヨナラまたはサイクル達成の瞬間が見たかっただろう。しかし1S1Bとなったところで中原からタイムがかかった。監督は審判に対し手を振りかざし指を4本立てていたのだった。そーなんである。「申告敬遠」のフォアボールで歩かせたのだった。
ネット裏の本部席でもドヨメキが起こる。「うわあ、敬遠かあ」と。今年からプロに準じて導入されたあの「申告敬遠」であった。筆者は今大会3回ほど目撃している。相手監督にしてみれば苦渋かつ当然の選択であり、心情も理解できる。
走者1,2塁からダブルスチールで2,3塁とする麻生。監督は三多摩でもお馴染みのベテランKatsukawaさん。監督冥利に尽きるに違いない。次打者Hashimoto選手の打撃はショートゴロ。すかさず本塁へ送球するもタッチの差でセーフ。
波乱万丈の感動のサヨナラゲームであった。
素晴らしいゲームを見せてもらったのだった。試合後Katsukawaさんに握手を求めて祝辞とご挨拶。そしたらKatsukawaさん筆者を見て「あっ!「晴耕雨読」の...」と。「僭越ながらブログにちょこっとだけ書かせてもらいますね」実におめでとうございます、なんであった。
※下の写真の時系列は必ずしもこのシーンとはリンクしない。iPhoneなのでかなり暗い画像許されたし。


........
この後クラブJrの試合があったのだが、筆者は後ろ髪引かれる思いで所用にて新宿へ第一を後にした。
夕方クラブJrの「晴耕雨読」特派員YoshikawaQ母からLINEで速報が入ったんである。タイブレイクにて勝利したとのこと。しかも延長からの8得点。相手チームの戦意喪失(?でなかったとしたら失礼ですが)させるに十分な大量点。当日多難で急変な主力メンバー変更を余儀なくされたであろう、悩める監督Tadaiさん、お疲れさんなんであった。
MクラブもMクラブJrも伯仲の接戦をモノにしたのだった。
今週末は御幸球場にていよいよ決勝戦なんである。

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