2019年3月10日日曜日

春、到来

いつにも増して早起きしたんである。土曜早朝第一公園へ向かう前に頭の奥に「ピキリ」と頭痛が走る。椅子から立ち上がると背骨の関節の一部が「ギシリ」と音を立ててきしむ。体全体がなんとなく「ズシリ」と重い。嫌な予感。これは風邪を引く前兆の何者でもない。嫌な予感というものは人類史上ほぼ的中するのが通例である。しかし、今日は晴れの春季大会開幕、こーしてはおれぬ、バイクのキーを持って有馬を後にしたのだった。

さていよいよ宮前区春季大会開幕である。筆者にとっても仕事で忙殺されて今年はろくに少年野球に関わる機会が少なく、まさに満を持しての春の訪れなんであった。
ヘビロテ読者には手垢のついたパターンかも知れぬけれど、今年も開会式の模様を写真でアップしちゃう。

「Teshimaさーん、ちょっと〜」振り向けば愛、じゃなかった振り向けば県連審判も兼ねる重鎮Uchimuraさんが筆者を呼んでるではないか。宮前少年野球連盟30周年用に写真に納めて欲しいとのこと。ずらり並んだ優勝旗、カップなどを撮りまくる。

役員、来賓、宮前少年野球を支える指導陣の面々。

さて今年から入場行進は例年のようにダイヤモンド一周ではなく、1チームずつ外野から内野へ向かって直線的に進む方式を試験的に取り入れた。今の世の中時代の趨勢、時短である。審判部Aokiさんに説明を受けて、筆者も初体験ながらカメラアングルを検討し、三塁から一塁へ移動する戦場カメラマンとなったのであった。
時代の趨勢といえば、昨年の「宣告四球」に続き今年は「投球70球制限」ルールが話題になるであろうか。
本大会の部17チーム、宮前Queens、ジュニアの部10チーム、全28チーム一挙掲載。







一同揃い踏み、なんであった。

優勝旗返還。昨年はウルフとイーグルスの2大旋風が宮前に吹き荒れた年であった。果たして今年は如何に。筆者と同年のMatsui会長。ロマンスグレーとはこのこと。俺もこんな髪の毛だったら今でももっとモテたに違いないのだが、今となってはまさに無い物ねだりである。前髪が後退し始めた30代の頃もっと真剣に頭髪を大事にすべきであったが、今となってはアフターフェスティバル(後の祭り)なんである。

恒例第一公園の稜線を見晴るかし、峠の茶屋までの大観覧席のショット。

選手宣誓はまさかのフレンズ主将Hideakiなんであった。自チームのことだけに正々堂々、朗々と宣誓した姿をみてホッと安心。

おやおや?!閉会間近になって遠くからヘリコプターの爆音が近づいてきたではないか。ふと数年前にフレンズが全国大会へ行った時の、神宮での開会式が脳裏に蘇る。神宮上空に現れた東京新聞機ヘリから投下された始球式のボール。その翌年にはウルフナインの瞳にも焼き付けられたであろう、あのヘリコプター。

しかしながら予算カツカツで運営している宮前連盟が、自衛隊機をチャーターしてボールを投下できるはずもなく、虚しくヘリは爆音の残響だけを投下して飛び去ったのであった。

はい、オマケ。
フレンズの現役美少女Rikoと現役美人妻Natsukiのツーショット。
第一公園の初戦の模様は写真掲載中心にてまた後日なんである。

はい、オマケ2。
午後筆者は芦屋の少年野球チームのマグネット制作のために帰宅し、デスクに向かうわけで。制作ほぼ完了となったあたりで、「頭の奥に「ピキリ」と頭痛が走る。椅子から立ち上がると背骨の関節の一部が「ギシリ」と音を立ててきしむ。体全体がなんとなく「ズシリ」と重い。嫌な予感。」...に加えて悪寒が止まらなくなる。暖房をギュルギュル上げても悪寒は全身を震わす。悪寒は風邪の予感、胸がトキメクのは恋の予感、爽やかなのは愛媛の伊予柑、大阪のおばちゃんは豹柄ルックのオカンなんであった。

土曜の晩は寝る前に富山の風邪薬のカプセルを葛根湯ドリンクで喉に流し込み、汗をぎっちょりかいて、夜中まんじりともせず一晩を過ごし、翌日曜(今日)はスッキリ目覚めたのだった。病欠や有給休暇のあるサラリーマンと違い、仕事できない体になると死活問題になっちゃう自営業者の自衛手段なんである。

くだらない私的小話と本来の少年野球の「玉石混淆」的ブログであった。
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2019年3月3日日曜日

春は生きる証(あかし)

トンネルは暗かった。ずっと先まで。時折向こうに微かな光明が射し、いくらか周囲が明るくなったように感じられる。もう少しでこの長い志賀直哉的暗夜行路を抜け出せるかと期待したのち失望したこと数知れず。その度に突然手紙がひらり舞い降りてくるのであった。暗がりの中で懐中電灯をかざして読めば、
「Teshimaさん、すいません、また先方の都合で設計変更なんですが、月曜の朝までお願いできますか?」
ふと顔を上げてトンネルの向こうを伺えば、ふっつりと光は消えてなくなり、また元の暗渠が深く足元に広がっているのだった。

そんな繰り返しがここ1,2ヶ月続いたんである。Queensなどの大事なイベントには行ってるものの、少年野球関連、ことにフレンズにはとんと顔を出せていないわけで。平日ヒョコンと青天の霹靂的に暇になることはあっても、前述のように土日に限って仕事になっちゃうんである。しかし、昔はこの数万倍も身も心もボロボロになるまで仕事した経験値があるので、それを思えばさほど苦にならないのだった。ただ、胸が痛むのはチームのマグネットや名刺、スコアラーなどの責務を全う出来ずにここまできていることだった。

今度こそトンネルの向こうに射した光はホンモノか。どーにかこーにか、コニカミノルタ、抜け出せそうな予感がする今日この頃なんである。今週は神戸のチームのマグネットをはじめ、また少年野球関連にシフト出来そうなんである。

そんな春の予感を感じつつ先日例によって短い散歩にでた。回遊魚的生命維持装置的行為である。正確には散歩ではなくバイクで近所をサクッと走ってきたんである。バイクもすっかり冬眠状態だったので、小さな子熊も少し目を覚まさせてやろうと思ったのだった。お目当てはすぐ近くの、その名も「有馬梅公園」。梅と桜の混在する小さな公園である。桜はまだ硬い蕾だったが予想通り梅は満開、見頃なんであった。

すかさず山形39LINEグループに写真をアップ。
「紅葉と初雪は山形が先だけど、梅と桜は川崎が早いぞ」みたいなコメントで。
最後の写真をiPhoneで撮り終えたころ、視界の端に筆者よりも随分年上と思しき老婦人が独りやってきたのが見えた。70代後半80間近といった年代だろうか。軽装で白いスニーカーを履いていた。彼女とすれ違い公園を出るときに後ろを振り向けば、そのご婦人は嬉しそうにニッコリと目の高さの梅に顔を近づけ、その花の香りを楽しんでいたのだった。その表情はまるで少女のように純真無垢そのものだった。よほどその後ろ姿を撮ろうかと思ったけれど、なぜか少し不遜な気がして気後れしてしまい断念した。一眼レフを持っていたらもしかして遠くから撮っていたかもしれない。

その老婦人は「独り」だった。(最後の写真右端)...独り、それがちょっぴり気になった。老夫婦二人で仲良く公園を散歩なんて出来すぎたTVドラマにありがちな場面。なぜかその人の人生や来し方にまであらぬ想像が及んでしまった。筆者の悪い癖でシロウト小説家的、勝手な妄想と言ってしまえばそれまでなんであるけれど。....過日ご主人を亡くされて今は独り身ながら、梅の咲き乱れる春の訪れと共に、こうして生きている喜びを分かち合いたくて早春の梅公園へ足を運んできたのだろうか...なんて。違っていたらごめんなさい。
少し背伸びしながら梅の花に顔を近づけているその後ろ姿は、実に可愛らしかったんである。

今日日曜、確定申告書類も投函しやっと今週から少年野球にギアチェンジ出来そうな、梅の咲く季節であった。
春はまだきぬ。でもすぐそこまで来ている足音は、確実に聞こえていた。

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2019年3月1日金曜日

蕗の薹と沈丁花

水曜日は雨模様の中新橋へ出向いたのだった。そう言えば昔Naotoと神保町で再会し、おでん屋で一杯やり、そのあと地下のバーで飲みなおし、深夜に外に出た時も雨だった。

なんちゃって、私小説風の出だしにて。既報の通り山形の同級生Naotoが仕事がらみで上京の機会を得て飲むことになったのだった。筆者と同じ神奈川には同級生のAitaもいて参加できることになり、新橋で待ち合わせることになったんである。いわば山形のジーサンズ3人のささやかな「山形39会東京支部」の発足なんであった。筆者は高校は山形南高という公立男子校で、毎年開催されるその南高同窓会東京支部会に一度だけ参加したことがあるが、それは数百人規模で自分よりも大先輩がひしめき合う超ジーサンズの壮大な会合である。それに比較すれば実に和やかで可愛い小さな、そして温かな時を過ごせる飲み会であった。いわゆる「旧交を温める」とはこのこと。と言っても昨年の9月以来の再会であったが。

西口SL前で待ち合わせ。渋谷で言えばハチ公前みたいなところだ。ニヤニヤしながら遠くからiPhoneを取り出しカシャリ。

ほどなくしてAitaも合流し堅く握手しまくるわけで。BS-TBS吉田類「酒場放浪紀」的居酒屋へ。新橋ガード下と言えば戦後復興の小説や映画の舞台にもなる、由緒正しき正統派ニッポンのオヤジの酒場が密集するエリアである。TVの街頭インタビューで酔っ払いサラリーマンが登場する、オッサンの聖地でもある。

かんぱーい!!
従業員の中国人の女の子にiPhoneを渡し撮ってもらう。

Naotoとは中学の時の親友であり、筆者が22で結婚した時は、唯一山形へ招待状を出した男である。確かあの時、中学同級生皆からの連名でお祝いに圧力鍋をもらった記憶がある。滅多に使わなくなったがアレは今でも持っている。(※記憶が違ったらごめんなさいなんである)
Naotoはこれである。

「大変失礼いたしました。ただいま不適切な間違った画像が放映されたようです。Naoto様はじめ関係各位様には大変申し訳なく存じます。訂正してお詫び申し上げます。さて、次のニュースですが...」
なんちゃってなんである。過日EU離脱問題で揺れている英国から、HONDAも撤退を表明したのは記憶に新しい。それに先んじて原発計画凍結を発表した某大手H社の社長ソックリなんである。(※著名人ゆえ勝手に写真を掲載するのはご法度と知りつつ。所有権、著作権、肖像権、知的財産権...に抵触するであろうことは認識するも、どーしても載せたかったんである)
左がNaoto、右Aitaなんである。

Naotoは某銀行役員となり悠々自適、順風満帆の人生を送っているようであった。Aitaは東京の複数の大学の講師や研究員を勤めるかたわら、IT関連のNPO法人を立ち上げており、毎週毎週日本全国津々浦々を飛び回っているんである。
奴らのバイタリティーを見てるうちに、自分も還暦を過ぎたからと言って隠に篭らず、バリバリやらねばだと元気をもらった反面、ちょっぴり羨ましいと思ったのは人としてのサガであろうか。
あらかじめ山形の39LINEにはこの日のライブ画像を配信することは予告してあったので、時事刻々アップすれば素早く山形からガンガン反応あり。

iPhoneに保存してある中3の卒業写真を肴にわいわいギュルギュル飲んじゃう。
「アイツどーしてるんだべ?」
「あの子は今どーなのよ?」
消息通のNaotoはほとんどの級友たちのその後を把握していて、意外にもAitaもその後の同級生のことを知っていたんであった。クラスで一番の秀才だったI君は京大へ行き、その後大学教授になり、今は東北の某大学にいるんだとか。
ごめんなさい、写真流出しちゃいます。本来ならばイケナイ行為なのは承知の上で。名簿とかの名前ではないのでお許しあれ。

人には人のそれぞれの人生がある。いびつな襞(ひだ)をもつ失敗作のミルフィーユのように、歳を重ねた分だけの、それぞれの人生の来し方があるのであった。楽しいことも悲しく辛い消息も聞きつつ、そんな感慨にふけってしまったのであった。本音で語り合える友との邂逅に感謝しつつ、夜は更けゆくんである。もし筆者があの頃に戻れるのであれば、土下座して謝りたい同級生が何人かいる。当時の自分の幼さが招いたもので、あの頃の俺を自らぶん殴ってやりたい、そんな忸怩たるほろ苦い想いも蘇る。

そのうち本音ついでにそこはそれ男の飲み会である。俺は誰が好きだっただの、いや俺はあの子はいがったなあだの、ちょっぴり下ネタも挟みつつ大盛り上がりなんであった。

そーこーしてると酔った勢いでNaotoは神奈川在住のある同級の女子に電話をかけ始めた。うわっ懐かしい、確かバレーボール部だったか?体育館のブルマ姿が蘇るわけで。Naotoならそれはひとしおであろう。ぐふふ。筆者もAitaも代わる代わる電話で話したのだった。それはたぶん45年ぶりの会話なんである。

「俺の言うことブログに書いてけろず」
なにやらNaotoが人生訓的な持論を展開したのであった。実に頷ける良い話である。例えて言うなら、「勝者の論理と敗者の弁明」。この山形ジジイ三人ともそれぞれの、それなりの人生で地獄をみて来つつ還暦を迎えたのだった。その最後には「蕗の薹と沈丁花」になぞらえて北国の春待ち遠しい思いを語ったのである。
おお、そーいえば店に入った途端にテーブルに広げたのは、Naotoがわざわざ山形で摘んでジップロックに包装してくれたフキノトウであった。
ほんのり春の香りとともに、筆者を北国の春に誘(いざな)ってくれたのであった。

時刻は終電間近。また39東京支部会やろーぜ、夏くらいには山形でまた39同級会やっからな、みたいな感じで別れたのであった。別れ際なんとAitaがスマホを一瞥して「うわ、霞ヶ関から来てくれとお呼びがかかったから、今から行ってくるわ」と言って、新橋の夜に消えて行った。おいおいお前「Gメン75」かよ、と言って別れたのだった。

山手線の上野方面ホームまでNaotoを送った。大昔彼らが東京の大学生だった頃、Koyamaのケイちゃんたちに大宮(?)のホームで恐怖の「バタフライ」をされて見送られた記憶が蘇り、今度は俺が見送ってやる番であった。21、2くらいだったろうか「近く、俺、結婚するんだ」と言う筆者を、東京へ帰る大宮の閑散とした夜のホームで、数人の同級生がバンザイバンザイと怖くて嬉しい逆胴上げしてくれたんである。(※細かい記憶には間違いあるかもしれないが)

元気でな、山形の皆によろしく哀愁。
逢えない時間が愛を育てるのさ、ってわけで。

....。

筆者は山手線で渋谷で乗り換え、田園都市線で一路鷺沼へ。
改札を抜ければほんの少し春めいた暖かい雨が頭上に降り注いでいた。
「トンネルを抜ければそこは雪国だった」とは逆に、「改札を抜ければそこは春雨だった」みたいな。
なんだか気持ちよく、そぼ降る雨に濡れながら帰路についたのだった。
まるであの時の神保町の旧友との再会のように。
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