西有馬小学校にもしっかり春はやって来ていた。
昨年のちょうど今頃、このブログを書き始めた時にエントリーしたのがコレ。
「西有馬小の春」
「春の来ない冬はない」「朝が来ない夜はない」なんて言われる世知辛い昨今に希望を持たすコトバは数多あるけれど、こうして毎年花壇の花を見て「春」を目の当たりにすると、ココロの底がほっくりするのは小生だけではあるまい。
そんな学校の校庭で今日は初めての発見。
生まれて初めてキツツキなる鳥を見た。子どもの頃ディズニーアニメが大好きだった頃、キツツキといえば...そうウッドペッカーみたいな赤青黄色のまるで信号機みたいなヤツ。
実際にはどうなんだろうとGoogleしてみた。いるいるいろんなヤツが。例えば...。
今日見かけたキツツキも「コゲラ」という名のキツツキの仲間らしい。これ。ウッドペッカーに比べたら若干地味だけどね。
写真ではうまく伝わらないけど、間違いなくコイツだ。超速でカツカツコツコツ木を突ついているのを見ていると、こっちの脳みそがズレてしまう気分になるカワイイやつ。
先日チームロゴのステッカーの話を書いた。今日は満を持してInoueコーチがNIKEのエナメルバッグに搭載して登場。更に制作者(ボク)立ち会いのもとに、愛車HONDAステップワゴンのリアのどこに貼るかでさんざん悩んだ挙げ句、ここに決定。ビシリと決まった。すんげえ〜嬉しい(^^)
こんなちっぽけなステッカー一枚でも、この「輪」が広がりチーム全体の「和」になれば本望である。
そして....。
有馬フレンズ30周年記念事業について父母会を開催。
言いたいことの半分も言えなかったかもしれない。
伝えたかったことの1/4も伝わらなかったかもしれない。
言うだけなら誰にでも出来る。俺も向こう側に座って好きに意見を言えるのならこんな楽なことはなかっただろう。
誰かがやらねばという思いから委員会を起ち上げたけれど、正直ジレンマに陥り忸怩たる思いもした。
でもこんなことがありつつも、終了後大いに感動した場面もあった。
母たちのチームワークとパワーである。
7月までの無謀に近い短い時間の中でもこれなら行けるぞ...と。
この続きはまたいずれ(^^)
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2010年4月12日月曜日
2010年4月10日土曜日
若くてピッチピチの...adidas
本日の練習試合は対諏訪ウィングス。高津のチームであるがなんと監督は子どもの頃はこの有馬小学校の出身とのこと。こんなこともあるんですねえ。
試合は...エースKawaharaが三本間にはさまれキャッチャーにタッチアウトの際、本人のよけそこないで脚を怪我。交代の2番手ピッチャーはMuroi。調整なしの突然の登板となった。もっとも調整しても変わらないと思うが。スコアは情けなや...。先週もそうだったけど、今年は代わりの投手がいないのが難点。エースが打ち込まれた時、または連投だった時など不安材料はいっぱい。
打撃ではOtoのバッティングがちょっぴり光ってた。初回の打席にはセンター横へのツーベース。今回も1回表裏だけKaneda師匠にスコアをお願いし、小生はネット裏からカメラを向けていたのだけど、Otoのバットは当たった瞬間ピタリと止まっていた。球威に負けている証拠。しかし腕力とミート力でヒット。これに腰の回転が加わればもっと遠くへ飛ばせるのだが。BestPlayer賞というより印象に残った選手はOtoに決定。また、先週に続きOhtakeの2安打、Inoueのツーベースヒットなども飛び出した。春になってやっと目が覚めたのなら万歳だね。
写真はいつものベンチからのアングルではつまらないので、これからもいろいろな角度から挑戦したいが...その前にいいデジカメ欲しいなあ。一人ひとり連写してバッティングフォームを子どもらに見せてやりたいものだ。
さて小生は高校までサッカー小僧だった。当時スポーツ用品メーカーはMizunoなど聞いたこともなく、アシックスは鬼塚タイガーで、マンダムは丹頂チックだった。マンダムはちゃうか(^^)ナイキに至っては全く生まれてなかった。サッカー小僧の憧れは1にadidas、2にPumaの二大メーカー品。というわけで先日10年近く使い込んだショルダーバッグがとうとうブチ切れてお釈迦様。ボロボロになるまで使ったので本人もこの世に思い残すことはあるまい。待ってましたといわんばかりに憧れのadidasのエナメルバッグを購入。これ...長年連れ添った古女房と別れて、若いピッチピチのとびきりイイ女に乗り換えるようで良心の呵責がないではないが...。
早速フレンズステッカーをペタリ。ロゴのピンクと散った桜のそれとが微妙にいいバランス。
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王、長島よりも...
連日マスコミで木村拓哉コーチの詳細報道を目にするたび、涙腺の弱い僕はいちいちジュンワリきてしまって仕方がない。
自分のことだけで精一杯のはずなのに、周りの後輩を見て気遣える度量の深さ。
度量の深い人とは、何も大きく構えてデンと座っていることではなく、本当は木村氏のような人のことを指して言うのだと改めて認識した僕。
著名人が亡くなると「偉大な人を亡くした」または「惜しい人を亡くした」と言われることが多い。
さしずめ王、長島なら前者で木村氏なら後者だろう。
ニュースを見るにつけ、自分が死んだ時は氏のように「惜しい人を亡くした」と言われるような「ひと」になりたいと切に思う。
もっとも、「偉大な人」にはなれないし、なりたいとも思わないけれど。
自分のことだけで精一杯のはずなのに、周りの後輩を見て気遣える度量の深さ。
度量の深い人とは、何も大きく構えてデンと座っていることではなく、本当は木村氏のような人のことを指して言うのだと改めて認識した僕。
著名人が亡くなると「偉大な人を亡くした」または「惜しい人を亡くした」と言われることが多い。
さしずめ王、長島なら前者で木村氏なら後者だろう。
ニュースを見るにつけ、自分が死んだ時は氏のように「惜しい人を亡くした」と言われるような「ひと」になりたいと切に思う。
もっとも、「偉大な人」にはなれないし、なりたいとも思わないけれど。
2010年4月7日水曜日
2010年4月6日火曜日
男・37歳
木村拓哉=元広島カープ・現巨人守備走塁コーチ。
カープファンである小生にとっても、少年野球に携わる一コーチである筆者にとってもショッキングなニュースでした。1972年4月15日生まれ。一週間後には誕生日を控え、今年コーチに転身しこれから男盛りを迎えようとしている37歳。筆者も37の時に仕事の転機を経験してるゆえ、余計に心配で仕方がない。
なぜ昨日遅い時間に下のブログをアップしたばかりなのに、急遽今朝またこのブログを書いているかと言えば、かにさんのブログ「台風一過」でこれを目にしたから。
「祈」
木村拓哉氏に千羽鶴を折るような気持ちで制作したであろうバナーを、敢えて無断で拝借したい。文面では触れていないけど、きっとかにさんもそれを望んでいると思います。
一刻も早い快復を祈りつつ...。
カープファンである小生にとっても、少年野球に携わる一コーチである筆者にとってもショッキングなニュースでした。1972年4月15日生まれ。一週間後には誕生日を控え、今年コーチに転身しこれから男盛りを迎えようとしている37歳。筆者も37の時に仕事の転機を経験してるゆえ、余計に心配で仕方がない。
なぜ昨日遅い時間に下のブログをアップしたばかりなのに、急遽今朝またこのブログを書いているかと言えば、かにさんのブログ「台風一過」でこれを目にしたから。
「祈」
木村拓哉氏に千羽鶴を折るような気持ちで制作したであろうバナーを、敢えて無断で拝借したい。文面では触れていないけど、きっとかにさんもそれを望んでいると思います。
一刻も早い快復を祈りつつ...。
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