2011年7月26日火曜日

お母さんつながりで3題

夏合宿も3日目の最終日。山中湖からの帰り、Inoueコーチから今日もメールがあった。富士山の牧場に立ち寄りバター作りに挑戦。かつても洞穴探検(?記憶曖昧だけど)やらアスレチックやら川遊びやらレクを兼ねて立ち寄りをしたものだ。子どもたちの夏のいい想い出になったに違いない。夕方Otsuboコーチから連絡網着信。無事、怪我や事故もなく有馬へ帰ったようだ。仕事が暇ならば小生も行ってみるかと思ったけれども、ヒマがなかった。
バスを運転してくれたマジシャンInoueコーチはじめ、各監督コーチ、そして毎年陰になり日向になりいろんな分担仕事を担ってくれたお母さんたち...お疲れさまでした(^^)

お母さんといえば...。
だいぶ前に女子野球チーム宮前「Queens」のロゴを母さんでもないのに夜なべを〜して〜♪苦労して作った。その応援Tシャツが完成。Kasahara代表とメールのやりとりを昨日からさんざんやった。ナンデ?KaさんからTシャツの写真を送ってもらうのだが、すぐこちら側のメールBOXが満杯になって送れないとのこと。むむむ、うちのBOXは契約上20MBまでOKだから仕事で同じ現象はたまにあるものの、普通はサクッと送れるはずだがなあ。
あとで分った。写真の容量が一枚5,6MBもあり、それを一気に何枚もどど〜んと送ったからである。100万回送って断念したらしい。今日になって再挑戦。やっと数葉の写真をもらった。早速いろいろ加工してと...。
美人ママたちの写真をメインにしようと思い、Kaさんに打診したところ、待ったがかかった。「この写真は写りがイマイチ。うちのQueensのママたちの美貌はこんなもんじゃない。よし、私が今度じかに撮って送るから、今回だけは小さく載せといてね。」「お茶濁しにHonmaちゃんの写真でも使ってえ〜」...僕には十分すぎるくらい美女軍団だと思うのだが、まあ今回はそーゆーことで小っちゃく載せることにしたんである。背景から察するに多摩川河川敷グランドのようだ。
またKaさん曰く、ママたちに言われたんだそうである。「写真をブログに載せるなら、綺麗に見えるようTさんに写真加工をしてもらって下さい」と。
任しといてくれいっ。
但し、うちのフレンズママたちには、写真を載せる場合は希望によりシワを消去するのにシワ1本につき10円を徴収するかんね、と言ってある。しかしQueensママはセレブらしいので、シワ1本につき100円を頂くことにしようっと(^^)人の足元を見て商売する悪どいヤツであった(?)(^^)
ロゴ制作者としてはいつのまに白いラインが消えてるのが気になって仕方ないのであるけれど...。いずれQueensの特集を書いてみたい。もっと取材しなきゃね。

先日のQueens体験会では、日本の全女性6,000万人が押し寄せてくるかと思ったけれど、あにはからんや、それでも5人ほど来てくれたそうだ。また、先日あるマンション自治会主催のお祭りがあり、そこでQueensメンバーが「ロックソーラン」なる踊り(?)ダンス(?)をやったら大ウケで大盛り上がり大会だったそうな。

お母さんつながりで軽く3発目。
うちの娘が昨年結婚、子どもを出産し、お母さんになったのはすでに書いた。
コレ。→「娘女妻母」
その娘夫がこれがなかなかのイイ男なんである。素直な青年で男にも女にも優しくバイタリティーがあり、EXILEのマキダイに似ていると昔は言われたらしい。ふ〜む、俺といい勝負だな。
会社を興すことになりそのロゴを作ったり、相談に乗ったりで、むしろ娘よりもしょっちゅう電話やメールをしている。彼はサッカーをやっていた。その彼の以前のチームメイトが今をときめく「なでしこJAPAN」の宇津木瑠美選手。Queensも「なでしこ」のように頑張ってほしい。
ついでにビックリ。
彼の川崎北高校時代にマブダチだったのが、EXILE弟分の三代目J Soul Brothersの今市君なんである。3万人のオーディションから選ばれたあのボーカルの彼だ。よくカラオケに行っては今市君の歌のうまさに感激したらしい。高校当時から、男から見てもイイ男だったそうだ。
ふ〜む、俺といい勝負だな....(^^)/
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2011年7月24日日曜日

ダジャレを言ったのは誰じゃ!?

フレンズは夏合宿2日目に突入。Inoueコーチから日本全国ラジオ体操の時間に写メがきた。その時間遥か有馬地方の私は超爆睡中であったけれど。しかし、毎年子どもの私服姿を見るたびに思う。野球少年である以前にみんな全くもってどっからどう見ても「こども」なんだなあと。

毎年行くたびに練習試合をやって下さる山中湖地元の「並木レッパ」さんも健在。恒例のノーサイドでの集合写真撮影。今年もありがとうございました。

これも恒例になったスイカ割り大会。野球よりもこっちのほうが楽しそうだったりして。特に低学年坊主はきっとそうに違いない(^^)

さて今日のブログはこのままでは終わらないんである。コレ昨日も書いたセリフだけれど。
このブログ右の「過去のブログカテゴリー」という欄がある。
「少年野球」143個からTD.Works9個まで、過去455個のブログ投稿を内容別に区分けしたもの。クリックすればその内容に特化した投稿だけがズラリ。ひとつの投稿で2つ3つ重複するものもある。今年に入っていろいろ変化があり、今日やっと一週間かけて3つのカテゴリーを追加、過去全部のブログを検証しカテゴリー分類作業を終了。新しいものはこれ。

「スコアラとスコアブック集計」...スコアラ目線とスコア集計の話。
「宮前区少年野球連盟仕事」....今年はこの仕事が激増。いい仲間が増えいい意味 で超多忙に。
「がんばれ東北 心のチカラ」...3.11以降はこればかりだった。今でもこれからも 忘れてはならない。連盟とリンクしながら成し得たこといっぱい。

さて今日のブログはこのままでは終わらないんであるのPART2なんである。
この455個のブログを遡るうちに気づいた。ブログタイトルになんと多くのオヤジギャグ、ダジャレを多用していることか。しかし、このダジャレタイトルがカチャリと決まった時は体調がいい証拠なんである。以下にクダラナイタイトルを抜粋抽出どど〜んと列記しちゃう。

●驚きアリーナ 
●最初はGoo!邪険にポン
●エクセルにアクセル 
●晴れの日は晴ーれーライダー 
●記念誌完成!ひとりで歓声
●メモリとメモリー 
●駄文の復活...たぶん。 
●サクラは満開!成績は不満かい
●完敗・惨敗・疲労困憊 
●内定も笑っても、もう3 
●貧打戦か貧打線か
●勝ち敗けよりも一笑一杯 
●雪...首都圏は徒手空拳 
●言い訳するのはいいわけないが... 
2010 年画像をお届け 
●陰降る縁座 (いんふるえんざ)
●素振り(すぶり)をした素振り(そぶり
●夜間の悪寒はいやな予感 
●ハゲ防止、ハゲにも帽子 
●右脳左脳が右往左往


次回のブログは「Queens美人妻軍団」がテーマか「フレンズ合宿最終日」になるのか、誰にもわからない。
神の味噌汁なんである...じゃない、神のみぞ知る、なんであった。

勝つは長く負けるは一瞬の夏

今日から我がフレンズは夏合宿である。少年野球合宿のメッカ山中湖だ。筆者の息子が入部した時も山中湖で、民宿前でバーベキューしながら夜の湖畔の「山中湖花火大会」を眺めつつ、みんなで呑むビールは最高であった。その後もずっと山中湖が続き、途中アクアラインで木更津などになったりもしたけど、3年前からまたこの山中湖合宿になった。3年前と2年前もこの同じ民宿にお世話になった。
今筆者はこの民宿にノートパソコンを持ち込み、大人たちが呑めや歌えやくんずほぐれつの大騒ぎの宴会のさなか、耳栓をしながらこのブログを書いている.......。
......んなワケない。
もし行っていれば「くんずほぐれつの大騒ぎ」の渦中に自ら身を投じているに違いない。いいなあ〜。行きたかったなあ。去年も今年も仕事その他の諸般の事情により参加出来なかった。残念至極。
日中は図面仕事。カウンターの位置を135度方向へ237ミリ移動させ、既存パイプを回避するため腰壁を950ミリクランクさせ....と、やっていたら山中湖のInoueコーチから携帯で写メを受信。筆者の心はかの地へとんでゆき、しばらく仕事中断し写真を見ながら懐かしい時を過ごす。
夜。仕事も一段落。今日はこんくらいで勘弁してやるかと、図面設計ソフト(CAD)を終了しシャワーののち、ブログへ突入。ブログネタに今頃みんなナニしてんだろうと山中湖の母たち数人へ一斉メールしてみる。返信来たきた、Inoue母から写メ付きで。(^^)合宿の夜はこんなもんである。何人かはもう寝たらしいが楽しそうだなあ。

さて今日のブログはここで終わらないんである。
60年代の秀逸なヨーロッパ映画のように、ラストで話が転換するんである。
記念誌プロジェクトチームのNi村編集長から記念誌連絡網に一斉メールが飛び込んできた。氏は筆者と同じ根っからの文系で、かつかなりの文章家でもある。記念誌メンバーの一人の息子さんが活躍したのを見て、大会観戦後いてもたってもいられず、筆を執ったらしい。
以下に文責Ni村編集長にて、最終責任者はKa原発行人におっかぶせて、一応連絡網で転載掲載をアナウンスし勝手にコピペ。
(※文中、しれっとして、ナニゲに「晴耕雨読」のパクリ的表現が出てくるのはたぶん、おそらく、私の気のせいに違いない)

記念誌仕事とは全く関係ないですが、良い試合を見させてもらったので、つい一筆書きたくなりました。
本日の松風スラッガーズ対宮崎台バーズ戦。
誰もが(失礼ながら)バーズの勝利と思っていたはずである。
その予想通り初回・2回とバーズは小刻みに得点を重ね、スラッガーズ0-3で迎えた2回の裏。
スラッガーズ打線が爆発。
肥後之守のご嫡男(5年生)のライト右をライナーで深々と破るタイムリー3ベース、日本語で言う適時打。
それらのタイムリーを含めこの回、一気に合計6点をスコアボードに叩き込む。
当初、サードを守っていたご嫡男がどのイニングからかは忘れてしまったが、満を持してピンチの場面でマウンドへ上がる。
幼名ポークビッツくん。外国人の名前のようだが、事実なので仕方ないんである。肥後之守もその令夫人もそう呼ぶから仕方ないんである。
彼がマウンドに上がってから、試合が締まってきた。
勢いのある球をミットに投げ込む。
S局長とO委員長に「あの選手、5年生ですよ」と知ったかぶりをしたところ、「え、そうなの。いい球投げるね。5年連合には選ばれてるの?」とのこと。
当たり前である。選ばれていることを知らないとは困ったもんだである。
だが今シーズンの開幕当初、優勝候補にも挙げられていた先発メンバー全員6年生のバーズもこのまま負けてはいられない。
何せ、勝ったらブロック2位が確定する大事な一戦なのだ。
スラッガーズ、いつのまにか持ち前のエラー連発で、ついに同点に追いつかれる。
しかしなんである。肥後之守令夫人曰くの「合宿では岩に登ったり、オタマジャクシを捕っていた」のはBチームのこと。
この日のスラッガーズAは違っていた。
同点に追いつかれて、勢いは明らかにバーズ側にあったのだが、その逆境を跳ね返す力がこの日のスラッガーズにはあった。
合宿の効果か、ご嫡男ポークビッツくんのレフト前への痛烈なヒットを含め、バーズを突き放す2点を奪取。
そして最終回もしっかり抑えゲームセット。
これにより、本日の県大会リスト杯で1回戦・2回戦を突破した、名門鷺沼ヤングホークスのブロックリーグ3位以下が確定。7月30日にスラッガーズがヤングホークスに勝てば、2位通過となる。
バーズの面々は、その結果を待つしかないこととなった。
リーグ戦ならではのドキドキ感、秋季大会はどの大会より理数系の脳のできを考えさせられる苦手な大会だ。
肥後之守のご嫡男の元服の日も近いだろう。
その折りには、幼名「ポークビッツ」から「幸太」と命名したらいかがだろうか。
※文責はすべて筆者(←Ni村さん←註Tessey)にあり。但し、一部の文章を「晴耕雨読」からほぼそのまま引用。いずれ、事後とはなりますが承認申請の予定です…。

それにしてもフジTVの27時間テレビ。「ホンマでっかTV」に出演の筆者の憧れの加藤アナ。それにマツコ・デラックス。
二人が並んだ時の顔の大きさの対比。まるで100メートル先の可愛い子リスと1メートル先のデブの大魔神の顔を同時に見てるようだった(^^)

それにしてもPART2。
ココロで応援していた高校野球、宮城のT高校と神奈川のT大S高校。
期待値が高かっただけにとても残念である。
3年生の彼らにとっては、長くて、かつ一瞬の夏が終わった。
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2011年7月21日木曜日

3.11「心のチカラ」

2011年3月11日は日本人にとって忘れられない、忘れてはいけない日になった。
今さら言うまでもないことだけれど。
なんとかして非力な自分にも出来ることはないのか。
当時そんな気持ちで焦燥感に近い感覚を覚えた人も多いのではないだろうか。
小ブログでその言葉にならない悄然とした思いを書き連ねた。
「東北で震災にあった野球を愛する少年少女たちへ、野球用具を送りたい。」
これを宮前区少年野球連盟副会長、兼20周年記念誌プロジェクトリーダーのK原氏が読み、速攻会長へ直訴、承認、即日震災復興支援計画が成立。小生がコンセプトワークとステッカーなどのビジュアルデザインを担当、連盟副事務局長兼記念誌ディレクター通称「編集長」N村氏が綿密な実務と全体ディレクションを統括、計画は推進された。
募金をつのり全21チームから約70万円が集まる。
ヘルメットに復興支援のステッカーを貼り、公式戦を開催。この子らが大人になってもきっと想い出してくれるに違いない。

先日の第一公園に新品の野球用具が届いた。
K原副会長からの報告を以下に列記しておきたい。

ボール(軟式C号球)    47ダース
グローブ          56個
ミット           12個
バット           27本
アンダーストッキング   300足
バットケース付リュック    1個
シューズケース       20個

宮城福島両県の少年野球7市7団体に打診し、結果宮城県名取市の名取市少年野球育成会さんに寄付させていただくことに決定。こちらではまだ震災で使えないグランドも多く、他市に比べ用具も満足には揃っていないとの理由から。
かの被災地の子どもたちがこれらを受け取った時の、目の輝きと笑顔を想像しただけで勝手にちょっぴりウルッときてしまう。
20周年記念誌に載せるため早朝に写真撮影。担当は花の台フラワーズさんのN本さん。記念誌プロジェクトメンバーの一人で通称「師匠」。プロ並みのカメラの腕前はさすがのクオリティーである。記念誌掲載予定の数々の写真でもこのクオリティーが大きなウェイトを占めるはずだ。今回のブログ写真は全て師匠の撮影によるもの。いつもより解像度高めの写真を掲載。N本師匠ありがとうございます。

この他連盟各メンバーの人のいろんな努力により名取市への発送まで完了。連盟の支援計画は完了したとはいえ、復興が終わったわけではない。むしろまだ始まったばかりだ。これからも同じ日本人として被災地の方たちの心を思いやり、私たちは「心のチカラ」で声援を送っていきたいと思う。

にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

2011年7月20日水曜日

こんなフツーの野球がしたかった

こんな、フツーの、当たり前の、王道の....野球がしたかった。
いや、して欲しかった、子どもたちに。
それが秋季大会昨日の長沢ドングリーズ戦。二日連続の理想的な勝ち。

1回表Fの攻撃。先頭打者Teruが四球で出塁、2番手Inoueが手堅く送り、3番主将Nabeが左中間を深々と破るタイムリー2ベース、日本語で言う適時打。あっけなく先制点をスコアボードに叩き込む。
4回またしてもF。5番Taguchiが四球で歩き、次打者Katsuがナイスバッティングの二塁打で追加点。
ところがその裏。簡単に二死を取ったあと、Dの「エースで主将で4番」のN君がセンターオーバーの二塁打を放つと内野安打、失策、また内野安打がからみいつの間に3:2に逆転さる。いつもならここで意気消沈...。
しかしここ数試合のFは下を向かない。
6回表Fの攻撃。Inoue相手エラーで出塁、Nabeの今日2本目の二塁打で走者2,3塁。4番Otoが初球を叩いた打球はライト前ヒット...と思いきや打球が強すぎていわゆる「ライト前ゴロ」。少年野球ではよくあるプレー。しかしその間に二人の走者が本塁に帰還、2点を入れて歓喜の逆転4:3。
7回まで戦いそのまま主審の「ゲーム!」のコール。
ふとベンチ後ろを振り返れば母たちが抱き合って歓喜。その輪に筆者も加わりたかったけれど、スコアブックを天にかざしぐっと我慢。

トピックスをひとつ。「Oto劇場」の一人舞台。
4:3の僅差で迎えた6回裏二死。投手OtoがDBで出したランナーが3塁。
打者はボテボテのファーストゴロ、一塁手Onoが捕球、カバーに走ったOtoへトス。スリーアウトチェンジと思った瞬間、Otoが落球し、バッターランナーはセーフ。本塁へ突進してきた3塁走者が帰還すれば同点だ....。
Otoは落球後、すかさずキャッチャーへ矢のようなドンピシャ送球、本塁タッチアウト。チェンジ。以前なら暴投で一点か、または本塁へ送球することすらイメージ出来ずに戸惑っていたはずのチームだ。

こんな野球らしい野球を望んでいた。こんな当たり前の野球がうちは今迄出来なかったから。
日曜は粘って辛くも逃げ切り、5:3。
昨日は諦めずに逆転勝利、4:3。共に接戦を制した価値ある2勝だと思う。
夜は久々指導陣で野球を肴に野球論議。Yanagisawa代表は最近のNabeのリードや主将としてのリーダーシップを認めざるを得ないことを吐露。更に監督不在が続く中、監督代行29番Otsuboさんの采配も評価するなどして座は盛り上がる。
ベストプレイヤーは4打数3安打2本のツーベース、主将として声も出てたNabe。更に投球が安定しリズム良くチームの勝利に貢献したOto。オマケと言っては可哀想だが、最近強い打球、力の乗った球を引っ張って打てるようになったOno。憎めないヤツだ。

このブログで何度も力説してきた筆者の持論。少年野球はまず「四死球と失策」さえなければ一定以上のレベルの試合が出来る。これ絶対の基本。これをこの数試合実践して見せてくれたフレンズではある

「...フレンズではある」。なぜ「フレンズである」じゃないのか?
この一文字にに筆者の微妙なニュアンスを感じ取れる人はいまい。北極のペンギンだって頭に「?」マークを浮かべるに違いない。ブログでも幾度か書いてるけれど、野球以前の人としての基本がまだまだだからだ。挨拶。声を出すこと。コーチの話をちゃんと聞くこと。下級生を思いやること。仲間を大事にすること.....。
今の上昇機運に乗ってもっと上に行くには、この基本が生成されてなければ行けないと思う。これは我々指導者が強制的にやって成り立つものではない。仮に強制的になし得たとしても、砂上の楼閣・砂浜で作った砂人形にすぎないはずだ。子どもはもちろん、親の家庭教育の資質も問われるものだと思う。野球指導者だけでは限界があるとおもうのだけれど。
いみじくも最後グランドで代表が同じことを子らに言っていた。
弱小フレンズが宮前の台風の目、ダークホースとなるためにも。
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村