2020年12月18日金曜日

ロシアからバルチック艦隊襲来

 少し前の話。過日野球が終わってからバイクで久々に牛久保公園へ。ここで何度か書いたように、いくつもの大きな公園が四季豊かな緑道で結ばれている。横浜都筑区の公園行政は、実に素敵なことで敬意に値する。ここへ来る時の楽しみの一つは、カルガモ親子の様子を見ることだ。最初11羽だったのが時を経て今回は4羽に減っていた。きっとカラスなどの外敵に襲われたり、または他の池へ離別したりしたのだろう。4羽だけでも残っているのは嬉しいことだった。この子たちは緑道途中の小さな沼を根城にしている。ここを訪れる人の7割は彼らを見てほっこりするんである。

緑道を更に東へ行くと徳生公園にたどり着く。ここは大きな池があるわけで。なな、なんと、たくさんの鴨たちが群れをなして優雅に浮かんでいるのだった。それでは日本野鳥の会の皆さん、カウントお願いします。なんちゃって、昔の紅白歌合戦かよ。筆者ざっと数えるとその数約50羽ほど。

しかも見慣れたカルガモ以外に何種類もいたんである。一眼レフで撮って帰宅後ネット調査開始。興味のあることでかつ不明なことがあると、どーしても調べたくなるのはアカデミックなニンゲンとして当然のこと。以下に名前を調べた結果と写真を。

↓ご存知カルガモ。これが一番可愛い。夏になると母子の行列が道路を横断する姿がニュースになったりするのでお馴染みである。

↓オスとメスで全く色の違うオオヨシガモ(メス)。オスはメスの気をひくためもっと色合いが派手である。「オスはメスの気をひくため...」ニンゲン社会でも似たり寄ったりではある。

↓小さいけれど餌を捕食しに長いこと水中に潜ったまま出てこないヤツ。キンクロハジロ。水上では常に元気でバシャバシャせわしない。

↓羽の色が薄いシルクのスーツを着たみたいで、ダンディーで渋く、尾っぽが長いオナガガモ。

↓カモ以外にも飛来していた。こいつはカワウ。長良川の鵜飼のあの鵜の仲間。こいつも超高速で水中に潜って餌を取る。潜ったままかなり時間が経っても出てこないから、いったいどこ行っちゃったのと心配していると、全然遠方からひょっこり水面に顔を出す。ロシアの原子力潜水艦か?。過日亡くなったショーン・コネリーの名画「レッドオクトーバーを追え」みたいに。

↓シラサギとアオサギのふたり。筆者の最寄駅はサギヌマである。ちなみに鷺沼という沼にはヤングホークスという名の若い鷹が棲息している。

キンクロハジロの水浴び。例の4羽のファミリーとは違うカルガモも大勢いた。

池のほとりには四阿(これでアズマヤと読む。公園にあるあの四角い屋根の簡易休憩所のこと)の軒下では、ニャンコのペアがカメラを向ける筆者を訝(いぶか)しげに一瞥していた。「ナニ見てんだよ」

簡単にカモについて筆者が調べたことを開陳。カモは冬の季語であることからわかるように、日本では冬になるとロシア東部シベリアやカムチャツカから飛来してくる冬鳥だ。しかしカルガモは日本に居着いて一年中過ごす。他のカモたちは厳しい冬のロシアでは、餌もなく湖が凍ってしまうので越冬出来ないために、温暖な日本へ南下して冬を過ごす。2,3月になるとまたロシアへ飛んで行くのだった。てことは彼らは東京へ上京して家庭を持ち、年末年始には田舎へ帰省する家族みたいである。


ロシアから飛来して来た可愛いヤツらが、群れをなして水面を悠然と進む姿の写真を眺めてふと思った。一羽がこっちへ来るとつられて何羽ものカモたちが一斉に後をついて来る。

司馬遼太郎「坂の上の雲」。1904年ロシアの軍港を出航し英仏のドーバー海峡、アフリカ喜望峰、インド洋からフィリピンを抜けて、日本の対馬海峡まで、なんと10ヶ月かけてやって来たバルチック艦隊。当時はたぶん石炭が燃料だったはず。あまりに過酷な船旅で途中気が変になってしまい乗組員の自殺者が続出し、疫病にも悩まされた。有名な「日本海海戦」である。当時世界最強と言われたバルチック艦隊に対し、弱小日本海軍は奇跡的勝利を納めたんである。「本日晴朗なれど波高し」...これが日露戦争。有馬フレンズがニューヨーク・ヤンキースに勝ったようなものだ。先の日清戦争に続き列強の大国ロシアを破り、世界から驚嘆の賛辞を受け、大きく勘違いした帝国日本はのちの太平洋戦争へ突入することになる。更に戦後朝鮮半島を巡って中露米らの朝鮮戦争を経て、今のギクシャクした日朝関係に至る。

さてそれはともかく、こちらのロシアから飛来して来た平和なカモたちが、群れをなしてこっちへやって来る姿を見てそんな昔読んだ小説を想起しちゃったのだった。これがその写真。3枚目は現代の海軍写真。※出典ビジネスインサイダーHPから

最後にオマケ。バイクを停めてある牛久保公園へ戻り小山へ登った。秋の夕暮れ、紅葉したモミジが西に傾いた柔らかい陽の光に真っ赤に染まっていたのだった。その形は人の手のひらみたい。更に連想する。「手のひらを太陽にかざしてみれば、真っ赤に流れる、僕の血潮〜」みたいだった。

今日東京ではとうとうコロナ感染者が800を一気に越えた。この手のひらに流れる真っ赤な血潮を絶やさないためにも、自己中心にならず、自分のみならず人の命を守るためにも、「静かな年末」を過ごしましょうぞ、と自分に言い聞かせる今日この頃だった。

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2020年12月13日日曜日

クリスマスには枯葉プールを

 コロナ第三波、全国で日々過去の最多感染者数が更新される毎日、ここにきてまた世の中はイベントなど自粛、縮小、中止、取りやめ、...etcの嵐である。いろんな中止が相次ぐ中、中止が注視されるのはこの時期の少年野球界。卒団式では慣例のイベント内容を変更し、グランドや体育館で縮小して行われるところがほとんどのようである。(当「晴耕雨読」調べ)Queensは例年の卒団式は2月初旬が通例で、それも現段階では様子見の模様。例年この12月には女子らしく「クリスマス会」が鷺沼JAで開催されるんであるが、JA自体が飲食を伴う会合は貸し出さない意向になった。よって神木会館でと変更となったのは数週間前、更にこのコロナ状況を鑑みて、ついにグランドでの縮小開催となったんである。世の中の趨勢を見つつ社会的規範に従えば「オトナの判断」として当然の帰結と言えようか。

さて、その土曜日であった。フツーの練習に加えて後半はドッジボールや縄跳び大会で欣喜雀躍のQ姫たち。筆者が小学生の頃は男は片手で投げるのに対して、女子は両手でボールを投げるのが常。この両手投げのことを「女投げ」と呼称していた。男子でこれをやると小馬鹿にされていたものである。でも今の女子はほとんどこの「女投げ」はせず、ちゃんと片手で投げている。野球少女だからだろうか。これも昭和の死語となったのだろうか。ちなみに筆者の小学生時代の職員室は、タバコの煙で霧がかかったような空間で、昔は当たり前だった。良くも悪くもこれが昭和というものであった。

審判はKidani父。周知の通りQueensオリジナルマスクを着用にて。右頬からのアングルを。

「右頬を叩かれたら左頬を差し出せ」とは、古来キリスト教の教えにある。ならばと左頬のアングルも撮っちゃう。Qマスクは左右非対称デザインなのでこれでいいのだ。

外野には枯葉をドッサリ集めた囲いがあって、近隣の家族が枯葉を宙に舞い上げ遊んでいた。筆者思った「せっかく苦労して集めた枯葉なのに、あんなに舞い上げて遊んで良いものか。苦労して集めた人に対して失礼ではないか」と遠くから眺めていたんである。ところが。これは後で分かったことだが、これは地域が作った「枯葉プール」という名前の、家族で大いに遊んで良い、あえて作ったものだったのだ。筆者の狭量さを自省するとともに、こんな素敵で粋なプールを設定した製作者の心の広さに感心したのだった。写真では舞い上がる枯葉と背景の紅葉とが同系色でほとんど伝わらないのが残念ではある。散歩途中の親子連れは大量の花吹雪きならぬ、枯葉吹雪きを頭から浴びて実に楽しそうであった。


練習後はプレゼント交換会。各自持ち寄ったプレゼントを無作為抽出的にあげて、かつもらう。

場所を移動して昼食牛丼パーティー。部費から賄えたようだ。久しぶりに食べるチェーン店の牛丼はうまい。筆者恵比寿に事務所を持っていた頃は、ラーメン屋と吉野家とコンビニ弁当と、時々高級イタリアンの昼食が常であった。筆者の吉野家牛丼パターンは「牛丼の上にたっぷりの紅生姜と大量の白菜の漬けものを乗せて、これらをおもむろにザックリかき混ぜてミックスしたのち、ワシワシ食するのが好きであった。混ぜすぎると白菜漬けの水分が出すぎてご飯がネッチョリグッチョリしちゃうから、ゆめゆめ気をつけなければいけない。素早く男らしくガシガシ胃袋にかき込むのが牛丼食いの王道である。更にフィニッシュは会計したあと、唇の端に爪楊枝をくわえて店を出るのが望ましい。(ショーワの親父の妄想である)

なんどもここで書いているが、今年はコロナで子供たちには気の毒な年であった。少年野球のみならずあらゆるスポーツ、あらゆる年代の、あらゆる職種の世界中の人々にとっても。そんな中特に医療従事者や福祉介護者には尊敬の念を持って讃えたい。(逆にコロナで大儲けした企業もあるので、それだけは除く)

特に今年最高学年だった小中高の子供たちには気の毒だったが、彼らがのちのち成人し大人になった時に「俺たちはあのコロナの年だった」と、この2020を振り返れば、強烈な印象とともに記憶に残る年代となるのだろうか。

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2020年12月9日水曜日

チームオリジナルマスク制作

 さーてと、かねてよりの懸案であったQueensヘルメステッカーとオリジナルマスクなんである。パソコンの不調や喪中ハガキ作ったり、今年からはもうやらないと決めた、フレンズ毎年の年末の各種様々な仕事に忙殺されたりで、当ブログは滞りがちであった。

フレンズ仕事は近年私的に虚しさを覚えることが多くなり、また特に年末はフレンズ仕事に多くの時間を割かざるをえず、ほとほと疲れちゃったんである。昨年「もう広報のブログ以外卒業させて」と宣言したものの、仕事を引き継いだチーム担当父がやらないで(仕事が忙しく出来ないで)支障をきたしているのを見かねて、結局昨年同様やってしまっている。チームの各コーチ名刺作成はとうとうやっていないようだ。来年こそは心を鬼にして、そう鬼滅の刃で岩を切り裂かれようとも、後進に跡を託す所存である。言いたいことはまだあるものの、それはそれ、清濁併せ吞むのが大人の流儀、ブログで書くのは稚拙というもの。深夜の山奥に登って穴を掘り、穴に向かって苦しい思いの丈を叫ぶとするか。ん?待てよ。ブラジルの皆さんに聞かれたら困っちゃうな。

もとい。まずはQueensステッカー。ヘルメットに貼るステッカーの色が赤ではなくオレンジになっておかしなことになってるのは以前から気づいていて、更に老朽化もあってステッカーを新調することになった。しかし例によってデータがない。ならば作らざるを得ないわけで。まずはQ帽子の写真を専用画像編集アプリに取り込む。(まだ愛機Macが壊れる前であった)

これを下敷きにしてレイヤーを重ねてトレース作業。画面いっぱいに拡大してまずは赤いロゴの周辺をトレース。曲線部分は最初はカクカクしちゃう。

カクカクしちゃったところを滑らかに加工し直す。これを延々繰り返す。

赤い部分を終えるとこれを赤く塗りつぶし、次は周りの白縁を同じようにトレースし、中を白で塗りつぶし。

更に白縁のラインを黒から青に変換し太くする。白いヘルメに際立つように青いラインを入れるわけで。やっと完成である。このデータを「オリジナルプリントJP」というサイトに入稿して発注なんである。青いラインの更に外周に自動的に切り込みが入る。ロゴ自体は現行と同じ大きさだが、ステッカー本体が大きくなってヘルメの曲面に対してうまく接着できるかどうか。

過日マスクと一緒に納品。なかなかの厚みがあって素敵であった。一枚だけ頂戴し試しに筆者のバイクのヘルメに装着。宮前のMマークを貼ったオジサンが宮前を疾走する。月光仮面か怪傑ハリマオか、はたまた仮面ライダーか。

今度はオリジナルマスクである。事の発端は監督Satohさんから「マスク結構安く作れるサイトがあるみたいよ」との提案から。これはいわゆる「ウィズコロナ」である。一過性の流行感冒ならいざ知らず、長期戦はもう自明の理であるコロナ禍のご時世。これからもマスクは必需品、ならばと重い腰を上げちゃったんであった。検索すると昔と違いオリジナル印刷は数が多くないと「高くつく、割高」が常識だったけれど、今は「昇華印刷」というテクノロジーがあり、防水性に優れて手軽に安く作れるのだった。

ステッカーと同じ「オリジナルプリント.JP」で。制作にあたっては素人でも十分素敵なマスクが作れるサイトであった。感動したのはデザインアイテムの選択の多さと、それをシミュレーション出来ること。作ったデザインを随時3D動画で確認できるんである。まるで映画ブレードランナーに出てくる、4人のレプリカントの顔をハリソンフォードが手元の機器で360度回転して見れるように。Queensカラーのレッド濃淡のストライプにロゴを入れ、片面にはストッキングのイメージで紺と白でアクセントを入れた。下の画像は2枚だけど実際は動画で360度回転して仕上がりを確認できちゃう。実に素晴らしい。ここに至るまで何度か修正を重ねた。

発注後ほどなくして自宅へ届いた。先のステッカーと一緒に。参考までに見積をアップ。ステッカーは40枚で一枚単価¥160(税別)。マスクは大人用で50枚¥825。もし100枚発注なら単価¥750なんである。(送料無料税別)。ちなみにたった一枚だけでも発注でき、単価は¥1,000である。市井の既成のマスクとそう値段が変わらないのが素晴らしい。一枚単価は子供用の方が発注枚数が少ないため高くなったが、子供用は約半額をチームQueensが負担して安価に配布。子供は¥500で購入となった。これは代表Murataさんの英断である。まだ購入してないQ家庭はどーぞヨロシクなんである。

コロナはともかく、それとは裏腹に全くもっていい世の中になったモノである。某国アジア製は何かと不安だが、日本国産で精密で、しかもちゃんと個別フィルム包装で届く。マスクで思い出すのは「アベノマスク」。当初は中に異物が混入していたことが発覚して、やはりアジアの外国産だったりした。物議を醸した「アベノマスク」で一番驚いたのは、政府からの発注先はほぼ大手メーカーや商社だったが、それに混じって地方のマスクなど扱ったことがないような小さい企業が1社だけあったことだった。政府肝いりで巨額の金(税金である)が動き、国民も注視する中、どーしてあんな会社が入り込めたのだろうか。いや、どーして政府が発注先に選んだのだろうか。某与党議員のポスターが玄関横に貼ってあったのが気がかり。何をか言わんや。当時実に疑念を抱いたのだが、毎日次々に大量のコロナ関連ニュースが更新発信されるにつれて忘れ去られ、世間の関心も薄らぎ、今となっては深い闇の中である。

時を戻そう。「アベノマスク」ではない「Qのマスク」だった。難を言えば大人用の男性には少しキツイ。逆に良く言えば密着度が高くて飛沫防止にはいいかもしれない。早速各人が装着したショットを。自他共に認める大のマスク嫌いのSohma会長も素直につけていたのが、ちょっと楽しく笑えた。スティーブ・マックィーンが大好きなWatanabe父もなかなか似合っている。是非日本全国を飛び回る仕事でもこいつを装着して出張して欲しい。

その場で購入したQ選手たちも早速装着して最後の挨拶。主将Karinが叫ぶ。「グランドに礼!、保護者コーチに礼!」

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